テンプレ疑問系

恋愛結婚こそがイレギュラーですわよ

恋は盲目、信頼は現実

中庭に静かな風が吹き抜けました。先ほどまで熱弁を振るっていたフラヴィは、わたくしが何も言い返さないことにかえって焦っているようでした。

「どうして何も言わないの? 反論しないの?」

わたくしは小さく首を傾げます。それにしても、いくら平民だとしてもフラヴィの言葉遣いはなっておりませんわね。平民学校では目上の者に対する言葉遣いを教えないのでしょうか。ああ、そういえばフラヴィは学院の平等主義を勘違いしておりましたから、そのせいかもしれませんわ。

「反論?」

「そうよ!」

「ドロテさんのお話は事実ではなく貴女のお気持ちですもの。ですから反論する類のものではございませんわ」

「……っ!」

わたくしの言葉に彼女の肩がピクリと震えました。恐らく彼女は今怒りと戸惑いを感じているのでしょう。わたくしが相手にしていないことを感じ取って、馬鹿にされたとでも思っているのかもしれません。馬鹿にする以前の話なのですけれど。

「あたしの気持ちなんかじゃないわ! あたしは見たの! グラン様はあたしといると本当に楽しそうだった! 笑ってくれた! あたしが治癒魔法を使えば嬉しそうだった! だから判るの!」

ああ、「気持ち」と婉曲に伝えた言葉の意味をちゃんと把握して下さったみたいですわね。思い込みや勘違いといえば傷つけるかと思ってそう言ってみたのですけれど。

再びのお気持ち表明。まさに思い込みですわね。

「だから、判るの!」

飽くまでも主張を曲げないフラヴィにレオンス卿が小さく溜息をつきました。

「ドロテ嬢。殿下は臣下の努力を正当に評価なさる御方だ。私が試験で首席を取ったときも笑って褒めてくださった。ティボーが騎士団演習で優秀な成績を収めたときも、サミュエルが新しい魔法陣を完成させたときも」

隣でサミュエル卿が頷きます。

「ええ、私にも見事だったと仰ってくださいました」

ティボー卿も苦笑しました。

「俺なんて子供のころから何百回も褒められてるぞ」

フラヴィは困惑したように三人を見回します。彼らの言葉を否定できないにしてもやはり受け入れがたいようです。

「……でも、あたしは特別だから」

「確かに治癒魔法は珍しいからな」

サミュエル卿が率直に答えます。約500人に一人の発現ですから、貴族であれば数世代に一人の割合ですわね。けれど、人口を考えれば、王都だけでも各世代に数人はいる計算になります。ただ、発現しても使い物になる人はそう多くなく、治癒魔術師となる方は少ないのが現状です。ですから、きちんと医学と薬学が発達しておりますのよ。

「私も非常に興味深く拝見していました。だから話しかけましたし、質問もしました。研究対象として」

悪気のない一言に、ティボー卿が慌てて肘で小突きました。

「お前、言い方!」

「事実ですが?」

空気が少し和らぎかけましたが、フラヴィは唇を強く噛みます。

「違うわ! 皆解ってない。恋って、そんな理屈じゃないの!」

その声は己の主張が受け入れられないことに震えていました。怒りなのか、悔しさなのか、焦りなのか。

「グラン様は優しいから! ルディビーヌ様が嫉妬であたしを虐めないように、本当のことを言えないだけなの!」

思わず溜息が漏れます。わたくしが嫉妬ですか。もし本当に殿下がお心を移してしまわれたのであればそういうこともあるかもしれませんわね。ですが、思い込みと勘違いで主張されましてもねぇ……。

そろそろこの愚かな思い込みの主張を辞めさせるべきですわね。ですから静かに、穏やかに問いかけました。

「ドロテさん、殿下があなたに、わたくしとの婚約を嫌だと仰ったことがおありですか?」

「……ないわ」

「婚約を解消したいと?」

「……ない」

「わたくしを愛していないと?」

「それも……」

彼女の声が小さくなり、力を失います。

「ないわよ」

「では、殿下のお言葉もないのに、何故そう思われましたの?」

ここで思い込みを認めてくれればよかったのですが、そうはなりませんでした。キッとわたくしを睨むように、彼女は顔を上げました。

「だって、言えないのよ! 王太子なんだもの! 責任があるから我慢してるだけなの! そんなの可哀想よ!!」

思い込みってすごいのですね。思わず苦笑が漏れそうになりましたが、堪えます。

「つまり、貴女は殿下が何を仰っても『本心ではない』とお考えになるのですね」

「え……?

「仮に殿下が『婚約者を愛している』と仰っても、無理をしているだけだとドロテさんは思われるのでしょう?」

フラヴィは迷わず頷きました。一体彼女は誰を、何を見ているのでしょう。彼女の思い描く王子様だけを見ているのでしょうね。わたくしの話が通じているのは、彼女が思い描いている『王子の政略結婚の婚約者』の範囲から外れていないからでしょうか。

フラヴィが『当然だわ』と応じた瞬間、レオンス卿が額を抑え、ティボー卿は天を仰ぎ、サミュエル卿は深い溜息をつきました。

「それでは殿下が何を仰っても、君の考えは変わらないではないか」

「変わるわけないじゃない。だって恋をしているんだもの! 恋をしてる人にしか解らないの」

ティボー卿が深く息を吐きました。彼女の主張では彼女が恋をしたら必ず相思相愛になるようですわね。相手の心など関係ないと言っているようです。彼女が恋をした相手は全て彼女の思い通りに動くとでも? それでは洗脳ですわよ。余りにも傲慢な恋ですこと。

この盲目さ、この思い込みの激しさ。前世であれば精神病院に入院レベルではないかしら。今のところそれによって身体的な危害を与える段階にはなっておりませんし、殿下に直接こういった思い込みを伝えてはいないので、殿下の精神状態に悪影響を与えてもおりませんけれど。そもそも殿下との接点なんて、公の場だけですわよね。殿下が騎士団や治療院に公務で視察に出向かれた際だけのはずですわ。たったそれだけの接触で思い込めるものなのですね。

「ドロテ、落ち着け!」

「落ち着いてるわよ! あたしは正しいの!」

思索に嵌りかけていたわたくしをティボー卿とフラヴィの会話が現実に引き戻してくれました。

「ドロテさん、一つお伺いしてもよろしくて?」

「何?」

「殿下の幸せを望んでいらっしゃるのですよね?」

「当たり前でしょ」

即答でした。尤も彼女の考える殿下のお幸せとは彼女と恋人になることでしょうけれど。

「では、その幸せは誰がお決めになるのでしょう?」

わたくしの問いに彼女はキョトンとした表情を浮かべます。

「え?」

予想だにしなかったであろう問いにフラヴィは目を瞬かせます。

「殿下ですか? それとも」

わたくしは表面は穏やかに微笑みます。けれど眼は確りと彼女を見つめ、答えを求めています。

「貴女ですか?」

言葉が止まりました。初めてです、彼女が返答に窮したのは。

「あたしは……だって……グラン様は優しいから……だから本音を言えなくって……」

また同じ答えです。きっと殿下と相思相愛だから、フラヴィが幸せなら殿下も幸せと思い込んでいるのでしょう。そう、本当は彼女は殿下のことを見ても考えてもいないのです。

ならば、ここで話を変えましょう。思い込みや勘違いではどうにもならない、常識と価値観の違いに。

「ドロテさん」

「何?」

「貴女は政略結婚を、好きでもない相手と結婚する制度だと仰いましたわね」

実は貴族にとって家門のため、国家のために結婚することは当たり前ですので、結婚=政略結婚なのです。好きな相手と結婚する『恋愛結婚』は貴族には殆どあり得ないのです。けれど、それと恋愛をして結ばれることを否定するのは違いますけれど。

そもそもわたくしたち貴族が『政略結婚』という言葉を認識したのはごく最近のことです。市井の平民少女向けのロマンス小説発祥の言葉ですもの。政略を以て婚姻を結び家門を結びつけるのが当然の貴族にしてみれば、態々普通のことに特別な名など付けませんでしょう?

ですのに、ロマンス小説では政略結婚は悲劇の元の悪として描かれますの。驚きましたわ、貴族と平民(一部下級貴族)ではこんなにも考えが違うのかと。

ですからフラヴィの返答にも予想がつきました。

「そうよ! 可哀想じゃないの」

ああ、やはり殿下とわたくしとの関係を市井のロマンス小説のようなものと思い込んでおられるようですわね。しかも、恐らく、わたくしが強引に捩じ込んだとか思っていそうですわ。

「では」

わたくしは紅茶を一口いただいて、口の中を潤わせてから続けました。

「殿下とわたくし、何歳から婚約していると思われますか?」

「……学院に入る前の15歳とか?」

平民だと13歳くらいから働きに出て、凡そ20歳前後で結婚することが多いようです。社会に出て恋愛をして結婚となれば、それくらいの年齢になるのでしょうね。我が家の下働きたちが恋に騒ぎ始めるのが大体15、6歳くらいですから、その想定でしょうか。

「3歳です」

「え?」

「殿下が4歳、わたくしが3歳のころですわ」

フラヴィが目を丸くします。平民では考えられないことですわよね。

「そんなに小さいころに?」

「ええ。当然、その頃のわたくしどもは恋など知りません。ですが」

自然と口元が緩みました。

「殿下は木登りを教えてくださいました。わたくしはお伽噺をお聞かせいたしました。互いに勉強し励まし合い、失敗すれば慰め合い、共に喜び、共に悲しみ、時に喧嘩をして仲直りをする。10年以上、そうして共に歩んでまいりました」

フラヴィは黙っています。わたくしたちの積み重ねなど想像もつかないのでしょう。

「気付けば、わたくしたちは互いを信頼しておりました。生涯を共に歩む伴侶として。そして、その信頼が」

少しだけ照れて恥ずかしくなりながら、言葉を紡ぎます。

「いつしか恋になっておりましたの」

誰も口を挟みません。三人の男性方は実感として共感してくださっているようです。そしてフラヴィには理解できないのでしょう。

「ドロテさん、恋愛結婚とは恋をしてから家族になります。政略結婚──貴族の結婚は家族になる約束をしてから恋を育てます。順番が違うだけですわ」

まぁ、飽くまでも理想論ですけれど、それでも恋愛はなくとも親愛や友愛は育ちます。ただ、関係構築を怠ったり上手くいかなかったりで、結果不幸な結婚となる方がいないわけではございません。初めから相性の悪い組み合わせというどちらにも運の悪いご夫婦もなくはございませんし。

フラヴィは理解したくないとばかりに首を横に振りました。

「違う! 全然違う! 好きな人を選べないなんて、そんなの幸せじゃない!」

わたくしは静かに微笑みます。

「そう、それが平民の幸せなのでしょう。ですが、貴族の幸せとは違いますわ」

貴族の幸せは領民の、国民の生活が脅かされぬこと。それを守る力があること。勿論、個々人の幸せもございますけれど、それはやはり個々人の価値観によるものです。

ティーカップを置き、真っ直ぐに彼女を見据えました。

「それを他者に押し付けるのは間違いです。押し付けられた『幸せ』は幸せではございません」

フラヴィは言葉を失いました。彼女の主張を全否定いたしましたから。それでもなお、その瞳には『自分こそ正しい』と揺るぎない光が宿っていました。

恋による万能感はまだ彼女の世界を覆いつくしているのです。

そして、その時──中庭の入口から侍従の慌てた声が響きました。

「王太子殿下がお見えです」

レオンス卿、ティボー卿、サミュエル卿が一斉に立ち上がります。わたくしも席を立ち、淑やかに一礼いたしました。

一方、座ったままのフラヴィの表情は見る間に明るく輝きます。

「グラン様……!」

まるで運命が味方したと信じるように恋する少女の瞳は期待に満ちておりました。きっと彼女は彼女が信じる妄想する王子様が絶対的な味方になってくれると信じて疑いもしなかったのでしょう。

しかし、ほどなくその期待は木っ端みじんに打ち砕かれるのです。他でもない彼女が恋した相手グラシアン殿下によって。

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