恋をしているのはあたしだけ
「政略結婚なんて可哀想です! ルディビーヌ様、グラン様を解放してあげてください!」
いきなり目の前に現れてそう叫んだのは、フラヴィ・ドロテさん。稀少な治癒魔法の使い手だとかで、特別枠で王立魔術学院に編入した平民の少女でしたわね。
突然のことに驚いて、思わず瞬きを繰り返してしまいましたわ。表情は崩れていないはずですけれど。
「フラヴィ! いきなりデュドネ嬢に声をかけるなんて無礼だよ!」
慌てて彼女を止めたのは、王太子殿下の護衛騎士候補であるドルイユ伯爵令息ティボー卿。わたくしの元に一直線に向かってきた段階で止めるべきではございませんの? わたくしこれでも公爵家の娘で王太子殿下の婚約者ですのよ。フラヴィが何かなされば、物理的に彼女の首が飛んでもおかしくございませんのに。それに殿下のお名前を勝手に愛称のように呼ぶのも不敬ですわ。まぁ、実際の殿下の愛称とは違いますけれど。親しい方はグラシとお呼びになりますもの。
ちらりと彼女に同行している方々に目を向ければ、申し訳なさそうにご紹介くださいました。
「申し訳ない、デュドネ嬢。こちらは治癒魔術師見習いとして特別入学したフラヴィ・ドロテだ。ドロテ嬢、こちらは王太子殿下の婚約者であるデュドネ公爵令嬢のリュディヴィーヌ・ジョゼ・ド・デュドネ様だ」
マスロン侯爵令息レオンス卿がご紹介くださいました。これで漸く会話が出来ますわね。
「然様でし……」
「それくらい知ってます! だからお話に来たんだもん!」
……遮られましたわ。そして、わたくしが公爵令嬢と判ったうえでの無礼でしたのね。まぁ、許してもいない名前を呼ばれた時点で解ってはおりましたけれど。とはいえ、訛って別物になっていたので逆に不敬にならずに済んだというところでしょうか。
「申し訳ありません! まだ貴族のルールを理解していないようで……!」
お詫びなさるのはランドロー男爵令息サミュエル卿。三人の男性方は王太子殿下の側近候補ということもあって、それなりに親しくさせていただいておりますので、貴族の発言ルールは適用されませんの。
当のフラヴィはティボー卿に何やら説明をされても、不快げに唇を尖らせていました。
「なんで!? 学院では身分は関係ないって聞いたわ!」
ああ、平民の特別枠入学者や下位貴族に一定数いる勘違いですわね……。
身分が関係ないのは主に教師と学生の関係であって、爵位によって成績に忖度はしないということ。そして、高位貴族が身分を盾に横暴に振舞うことがないようにと定められた規則です。学生同士の礼節を捨てて良いという意味ではございませんのに。
けれど……じっと彼女を観察します。
(少し、違いますわね)
心の中で呟きます。お庭番からの報告では、彼女は明るく努力家で、人当たりのよい少女だったはず。確かに殿方との距離は近いそうですが、ここまで高位貴族へ食って掛かる性格ではないと聞いております。
では、何が彼女をここまで駆り立てているのでしょう。彼女は転生ヒロインのお花畑少女ではないはずでしたのに。
そう、わたくしは転生者です。とはいえ前世の人格ではなく、この世界で16年間生きてきたリュディヴィーヌが主体。前世に関してはこの世界によく似た乙女ゲームの知識がある程度でございますわ。
ゲームに置いてフラヴィ・ドロテは主人公。稀少な治癒魔法をもつことから特別に王立魔術学院に入学を許され、そこで攻略対象と出会います。なお、治癒魔法は平民が王立魔術学院に入学するためのフレーバー程度の設定でしかなく、聖女だとかそういった特別な存在になるわけではございません。治癒魔法は500人に1人程度の頻度で発現する希少属性に過ぎませんもの。
攻略対象となるのは王太子殿下とここにいらっしゃる3人。
しかし、現実の殿下はゲームのような俺様王子でも恋愛脳でもございませんの。幼い頃から責任感が強く、民を想い、そして──わたくしを大切にしてくださいました。
婚約者だからではありません。10年以上の歳月をかけて、お互いを知り、信頼を積み重ねてきたからです。
だからこそ、殿下が見知らぬ少女へ心を奪われるなど考えられないのでございます。
わたくしは静かに息を整えました。
「ティボー卿、よろしくてよ。ドロテさんのお話を伺いますわ」
三人は顔を見合わせましたが、直ぐに頷きました。
侍女に目配せをすると、すぐさま卓へと椅子が用意されました。ここは高位貴族専用のお茶が楽しめる中庭でしたの。
「どうぞお掛けになって」
わたくしが促すと、フラヴィは遠慮なく腰を下ろしました。それは貴族の作法を弁えないものでしたので、ティボー卿が頭を抱えています。大丈夫ですわ、今回は不敬を咎めたり致しませんから。
「それで、ドロテさん」
「はい!」
わたくしが声をかけると幾分緊張した表情で、でも元気なお声で返事をなさいます。何を言われるのか解っておらず、ご自分の主張を受け入れられると思っているようですわね。
「わたくしにお話とはいったい何でございまして?」
わたくしの問いに待ってましたを言わんばかりに彼女は身を乗り出しました。こういうところも平民の少女ですわね。
「グラン様を自由にしてあげて!」
王太子殿下をお名前で呼ぶなど不敬であることもご理解なさっていないご様子ですわね。テーブルに着いている三人の側近候補はもとより、護衛騎士も侍女やメイドも眉を顰めております。
「……自由と申しますと?」
いちいち不敬を咎めていては話が進みませんから、目線で騎士やメイドを留め、フラヴィとの会話を進めます。
「政略結婚なんて、可哀想よ!」
「そうお思いになる理由を伺ってもよろしくて?」
そういえば、平民の方々はわたくしたち王侯貴族の結婚を政略結婚と憐れむことがあるようですが、フラヴィもそうお考えのようですわね。
「だって、好きでもない人と結婚するなんておかしいもの」
迷いなく断言するフラヴィ。ああ、やはり、そういう価値観なのですわね。
わたくしは静かに紅茶へ口をつけました。一呼吸置くことで勢いのままにフラヴィの主張を続けさせぬために。
「では、お聞きします。殿下が、わたくしを好きではないと仰いましたの?」
「え……?」
一瞬言葉に詰まるフラヴィ。けれど、直ぐに気を取り直したのか顔を上げました。
「言えないだけよ」
レオンス卿が額へ手を当てました。辛うじて溜息は堪えたようですけれど、冷静沈着な彼が思わずそうしてしまいたくなるのも無理はございませんわね。
「ドロテ嬢……」
最早どう制止すればいいのかと困惑している側近候補たち。大丈夫ですわよ。今日はフラヴィの言葉遣いや態度で不敬を問うつもりはございませんから。話の内容によっては問わざるを得なくなるかもしれませんけれど。
「王太子だから言えないのよ。政略結婚だから我慢してるんだわ」
そう断言する彼女の瞳は妙に熱を帯びていました。まるでそれを疑う余地など一切ないと信じ切っているように。
「どうしてそのように思われますの?」
わたくしが尋ねると、彼女は嬉しそうに笑いました。恐らく、彼女は『政略結婚』をするわたくしたちの間に個人的感情などないと思い込んでいるのでしょう。
「だって、グラン様はあたしに笑ってくれるもの!」
「……」
取り敢えず、ツッコミは後回しにして彼女の主張を聞きましょう。
「あたしが治癒魔法を成功させたとき、有難うって言ってくれたわ! 怪我をした騎士様を助けた時も、君のおかげだって!」
ティボー卿が困ったに呟きます。
「殿下は誰にでも感謝なさるぞ」
ティボー卿、しーっですわよ。今は彼女の話を聴くターンです。
「違うわ!」
フラヴィは勢いよく立ち上がりました。
「恋をしてる女には判るの!」
中庭が静まり返ります。何とも言い難い気まずい空気ですけれど、フラヴィはそれに気づかず自身の主張を続けます。
「優しい目をしてたわ! あたしを特別扱いしてくれてた! きっとあの方もあたしを──」
彼女は頬を赤らめ、夢見るような笑みを浮かべました。
「好きなんです」
沈黙。誰も何も言えません。サミュエル卿ですら口を閉ざしています。誰もがとんでも展開の彼女の思考に呆れているのです。そんな中辛うじてレオンス卿が慎重に問いかけました。
「……殿下が、そのようなことを?」
「言葉にはしてないわ」
「では……」
君の思い込みでは? そう続けようとしたレオンス卿の言葉はフラヴィに遮られます。
「でも判るのよ!」
きっぱりと言い切るフラヴィをもはや魔物を見るかのように理解不能といった表情でメイドや騎士たちが見つめています。騎士の一人が魔道具を起動させ、何処かへ連絡をしているのが視界の端で捕らえられました。
「恋をしていたから判るの! ルディビーヌ様には判らないよね? だって政略結婚だもん。恋なんて知らないでしょ」
何処かわたくしをあざけるようなフラヴィの言葉に、ディボー卿が思わず椅子を鳴らして立ち上がります。
「フラヴィ!」
「あたしは本当にグラン様が好きなの!」
涙さえ滲ませながら、彼女は叫びます。明らかに自分に酔ってますわね。
「だから、判るの! グラン様は苦しんでる! でも優しいから言えないだけよ! ルディビーヌ様に気を遣ってあげてるの!」
──ああ、漸く判りましたわ。この方は殿下の言葉を信じているのではありません。殿下の表情を見ているのでもありません。ご自分が恋をしているから。だから、殿下も同じように恋をしているはずだと思い込んでいるだけ。殿下のお心が自分に向いていると思い込んでいるだけ。そして、その思い込みを真実だと信じて疑わない。何といったかしら、そう、前世でいう勘助というものに近いかもしれないわ。或いはお花畑恋愛脳。
「だから!」
フラヴィはまっすぐにわたくしを見据えました。
「グラン様を解放してあげて! あんたが身を引けば、グラン様は幸せになれるの!」
その後に続くのは『あたしと』でしょうか。その言葉は言わないだけの頭はあるということでしょうか。
彼女の瞳に宿るのは悪意ではありません。けれど、正義感でもありません。恋に酔い、自分だけが真実を知っていると思い込む危うい確信でした。
わたくしは静かにティーカップをソーサーへ戻しました。小さく響いた陶器の音が不思議なほど鮮明に耳へ届きます。
「……なるほど」
ようやく、何を申し上げればよいのか分かりましたわ。彼女は、政略結婚を知らないのではありません。恋をしている自分だけが、殿下の心を理解していると信じていらっしゃる。
ならば、お話ししなければなりません。恋とは何か。結婚とは何か。
そして――貴族にとって、政略結婚とは何なのかを。
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