ウェディングベルの代わりは梵鐘で?

 高砂や

 この浦舟に帆を上げて この浦舟に帆を上げて

 月もろともに入潮の 波の淡路の島影や

 近く鳴尾の沖過ぎて

 はやすみのえに着きにけり

 はやすみのえに 着きにけり

 四海波静かにて 国も治まる時つ風

 枝を鳴らさぬ 御代なれや

 あひに相生の松こそ めでたかれ

 げにや仰ぎても 事も疎かや かかる代に住める 民とて豊かなる

 君の恵みぞ ありがたき 君の恵みぞ ありがたき



 その日、青葉城の広間では厳かに伊達家17代当主政宗と武田信玄女・彰子の婚礼が執り行われていた。

 政宗の両親と弟二人、彰子の両親と異母兄勝頼(信玄と勝頼は遅れて到着した)と義弟真田幸村、同盟国主上杉謙信とその後継者景虎、更には伊達家の重臣たちが打ち揃い、めでたい婚礼を祝った。

 婚礼の宴には伊達家の気風を反映して、身分を問わず家臣なら誰もが出席出来、足軽や端女、庭師に至るまで城中の者全てといっては過言でもないほどの大勢の人々が祝いに参じた。

 彰子の乳母(ということになっている)真朱と静江、筆頭女中の衛門は嬉しさのあまり感涙に咽び、いつの間にやらやってきていた前田慶次や成実、佐助は新郎を揶揄い、賑やかな宴の夜が更けていく。仕舞いには庭で信玄・謙信VS萌葱・政宗・幸村のバトルまで始まる始末。誰もそれを止めるでもなく、やんやの喝采を送り煽り立て、どちらが勝つか賭けまで始まる。

 そんな賑やかな風景を笑いながら眺める彰子の周囲には、母三条夫人、姑義姫や義妹となった千子姫がいて談笑していた。

「姉上様、千は姉様が出来てほんに嬉しゅうございまする。仲良くしてくださいませ」

 歳若い千子姫は漸く出来た義姉が嬉しいようで、彰子にべったりだ。少女らしくキラキラした瞳で見つめてくる千子姫はたいそう可愛らしく、躑躅ヶ崎館にいる妹たち同様愛おしくなる。

「春になりましたら、ご一緒に桜を見に参りましょう。偶には姉妹で城下散策もよろしゅうございましょうなぁ。楽しみでございまする」

 うきうきとそんなことを語る千子姫に彰子も笑みを零す。

「これ、姫。そのようにそなたばかりが彰子殿を独占致してなんとする。妾も混ぜてたもれ」

「ほほほ、彰子は幸せ者じゃ。このように大事にされて」

 二人の母にそう笑われて、彰子は幸せを実感する。ほんの数ヶ月前には想像もしていなかった。あのときは哀しみと絶望しかなく、生きる気力すら失っていたというのに。

「ならば、そのときにはわたくしどもが母上姉上の護衛を仕りましょうぞ」

 庭先で兄たちのバトルを見学していた小次郎と異母弟秀雄までもがそう言って会話に加わる。幸せを具現化したような光景がそこにあった。

「御方様に笑顔が戻られて本当に良かった」

 そんな彰子の様子を眺めていた小十郎が呟く。それに隣で酒を飲んでいた綱元も頷く。

「あのようなお幸せそうなお顔は初めて拝見するな。一時は如何なることかと思ったが」

「後はやや子だね」

 酒の入った徳利を下げ、成実も会話に加わる。いい気分で酔いも回り、その頬は赤く染まっている。

「おい、成実、飲みすぎじゃねぇのか」

「いいじゃない、お祝いなんだ。梵と彰子ちゃんがごーるいんして、こんなに幸せなことってないよ」

 二人の関係にずっと気を揉んできただけに、今日この日を迎えられたことが嬉しくてならない。

「いいねぇ、いいねぇ、幸せだねぇ」

 姑や小舅・小姑に囲まれて笑っている彰子。舅と楽しそうにバトルっている政宗。バトルを終えた政宗は彰子の許に戻り、流石に姑には遠慮しつつも母や弟妹に文句をつけて彰子を独占しようとする。それを舅信玄や謙信、幸村に景虎まで加わって邪魔をし、主役二人の周囲はたいそう賑やかだ。それを彰子はコロコロと笑って眺めている。

「あー、疲れた。俺にも酒くれ、なるみ」

「あ、俺様にもちょーだい、なるみの旦那」

「だから、私はなるみじゃないってば。萌葱も猿飛もやめてよね」

 バトルとその被害拡大阻止をしていた萌葱と佐助がやってくる。因みに城内の人間は今更白虎の存在にも白虎が喋ることにも驚きはしない。寧ろ白虎という神獣がご正室様を守っているということで、伊達家にとって瑞兆であると思っているようだ。

「かーちゃんも政宗も幸せそうだなー。ねーちゃんと撫子もすんげー機嫌いいし」

 彰子の後ろに人型で控えている真朱とその膝の上にいる撫子。どちらもニコニコと零れんばかりの笑顔だ。この場にいる誰もが幸せを感じている。

「後は政宗が天下統一してハッピーエンドかな」

「はっぴーえんどって何?」

 萌葱の言葉に佐助が尋ねる。

「皆幸せにくらしましたとさ、めでたしめでたし。ってやつ。天下統一までは戦続くからな。そうなりゃかーちゃんの笑顔が曇ることもあるだろ。だから、それまではまだハッピーエンドにはならねーじゃん」

 萌葱の言に周囲の男たちの眉が寄る。そう、まだまだ戦いの日々は続くのだ。政宗と彰子が結婚して、それで終わりではない。まだ先の道のりは長い。

「まぁ、確かにそうだけどね。でも、彰子ちゃんがああして笑顔でいてくれるなら、その道のりだってきっと梵にとっては険しくないよ。梵には守りたい人が出来たんだから、無茶もしなくなるだろうしね」

 武田との絆も強まった。三国同盟は強固なものになった。決して楽ではないだろうが、それでも天下への道は見えている。きっと政宗は天下統一を成し遂げる。そう成実は確信した。

「俺様はちょっと複雑だなぁ。やっぱ俺様としては大将に天下取ってもらいたいし」

「まぁ、猿にとっちゃそうだろうな。織田豊臣を倒した後のことはまた話し合うことになるんだろう」

 その結果、政宗は信玄に膝を折るかもしれない。或いはその逆も有り得る。如何なるかはこれから決まることだと小十郎は言う。

「だね。まずは織田や豊臣だ。──豊臣戦には私も絶対に出陣するからね。留守番はなしだよ、小十郎」

 豊臣だけは絶対に許せない、そう言う成実に小十郎と綱元は苦笑する。気持ちは十分に判るが。

「血腥い話はここまでだ。今日はめでたい婚礼の席だしな。そろそろ、殿と御方様を解放して差し上げたほうがよかろう。殿が切れそうだ」

 もう充分に舅や父母に揶揄われて切れている新郎を眺めやって、綱元は笑う。喜多と衛門が新床の支度の為に下がってから四半刻は経っている。用意も整ったことだろう。

 綱元の言葉を受けて、萌葱は真朱にメッセージを送り、真朱がそっと彰子に耳打ちする。すると彰子の頬が仄かに染まった。真朱が周囲を囲む家族になにやら告げると、父母兄舅姑小舅たちは頷いて彰子を送り出した。彰子の姿が見えなくなると、舅と父は政宗にあれこれと語りかけ、それに政宗が言い返している。如何やら信玄と輝宗は新婚の政宗を揶揄っているらしい。それに辟易したのか、政宗は立ち上がると、小十郎たちの許へ逃げてきた。

「ったく、親父も虎のおっさんもうるせぇってんだ」

 どっかりと腰を下ろしながら政宗が吐き出す。

「それだけ大殿も甲斐の虎も今日のことを喜んでるんだろ」

 政宗の盃に酒を注ぎながら成実が言えば、政宗は何も言わずに盃を煽った。誰もが喜んでくれていることは判っている。だから、どれだけ揶揄われてもマジギレせずにいるのだ。とはいえ物には限度というものもある。

「政宗様、御酒を過ごされますな。今宵は大切な宵にございますぞ」

 暗に初夜のことを仄めかす小十郎を政宗は睨む。しかし、頬が照れによって赤く染まっているから迫力はない。揶揄われつつも気の置けない腹心たちと酒を酌み交わす。佐助は気を利かせて座を離れ、幸村の許へと戻っている。

「そろそろ、お支度も整った頃合にございましょう。あまり御方様をお待たせするのはよろしくございませんぞ」

 彰子が下がって四半刻が経っている。ゆえに綱元がそう促すと、政宗はまたも頬を染めて、それでも立ち上がった。

「今日は無礼講だからな。皆には飲みたいだけ飲ませて、食いたいだけ食わせろ」

 小十郎にそう告げて、政宗はそっと宴席を後にする。それに気付いている者たちも何も言わず、足早に愛しい花嫁の許へ向かう政宗を見送った。

 政宗と彰子の主役二人が消えた宴は、夜明けまで賑やかに続いたのであった。






 真朱に言われて、衛門と共に一旦自室に下がった彰子は緊張していた。湯浴みをし、真新しい白絹の単に着替えて衛門に先導されて政宗の寝室へと向かう。

(如何にも今から初夜ですー! って……恥ずかしい)

 緊張の中、彰子はそんなことを思う。数ヶ月前、こうして同じように政宗の寝室へ向かったときとは違う緊張感だ。あのときは如何なるんだろうと不安だったが、今回はこの後何があるのか判りきっている。それが恥ずかしい。何しろ城内の皆がこれから自分たちが何をするのかを知っているのだ。

「では、御方様、明日の朝、お支度を整えに参りまする」

 政宗の寝所へと着き、設えられた座に座った彰子に、衛門はそう言って頭を下げると下がっていった。

「やだなー、もう、なんか変な緊張感あるし……恥ずかしいっての」

 静かな空間が耐えられず、彰子は独り言ちる。そりゃあ、政宗と肌を重ねるのは初めてではない。けれどあのときはぶっちゃけ勢いだった。勢いに流されて気がつけばそうなっていた。だが今は違う。やるぞ、やるぞ、さぁやるぞ。とばかりに準備が整えられている。彰子はこれまで側室という立場にいたのだから、別に城中皆が初夜の首尾を見守っているというわけではない。それでもやっぱり新婚初夜だ。気恥ずかしくもなるし、緊張する。

「……ホントに政宗さんの奥さんになったんだなぁ……」

 改めてそう気付く。婚礼も挙げたのに今更何をという感じではあるのだが、婚礼の間は慌しくてそう実感する余裕もなかったのだ。

「政宗さんが、私の旦那様……」

 そう思うと、それまでとは違った意味で照れくさくなる。微りと心に灯がともり、温かくなる。

(悠兄さん、今日、私は結婚しました。大丈夫だよ、幸せになれるから)

 自分を生まれ育った世界から異世界トリップさせた、草紙神。この世界に留まらざるを得なくなったことを悔いていた草紙神。彼に自分の声が届くかどうかは判らない。けれど、伝えたかった。心配しないで、そしてありがとうと。

(侑士、ごめんね。婚約不履行だね。どうか、貴方も幸せになってください)

 自分を死んだと思って悲しんでいるだろう恋人。彼を思えば今でも心は痛む。決して彼を嫌いになったわけではない。けれど、自分は彼以外の男性を選んだ。選択肢がそれしかなかったからだとは思わない。この世界にあって忍足を思い続けて独身を通すことも出来たのだから。自分の意思で政宗と共に歩むことを選んだのだ。だから、忍足に対する罪悪感はあっても後悔はない。

(詩史、怒るだろうなぁ。なんで私を結婚式に呼ばないのって。でも、ムリ。ごめん。詩史、貴方の大好きな小十郎さんは今私の身近にいるよ)

 トリップした世界で出来た親友。その顔が浮かぶ。きっと彼女は自分が幸せになることを喜んでくれるだろう。

(跡部、におちゃん、皆……。私、結婚したの。幸せだよ)

 かつての仲間たち。今でも友情を抱いている仲間たちを思い浮かべる。そして。

(お父さん、お母さん。私、結婚しました。幸せになります)

 今では自分という娘がいたことも知らない、生まれ育った世界の両親。色々な確執もあり、決して良好な親子関係とはいえなかった。けれど、今、彰子の心にあるのは両親への感謝だけだった。自分という命を生み出してくれたこと、育ててくれたこと。様々な確執ですら、今こうして自分が政宗の妻となる為に必要なことだったのだと思えた。

 そうして過去の様々な人々に思いを馳せているうちに自然に彰子の目から涙が零れていた。

「彰子……如何した」

 いつの間に入ってきたのか、政宗がそっと彰子の肩を抱き寄せた。彰子と同じく真新しい白絹の単姿で。

「元の世界の、家族や友達に報告してたの。結婚しました、幸せです、って……」

 そして、漸く別れを完全に受け容れられた。

「……そうか。彰子、これからはここがお前の生きていく場所だ。オレの隣で、オレと共に」

 政宗は包み込むように彰子を抱きしめる。こうして彰子が自分と共に生きていく為に、どれだけのものを失ったのか。それを思うと心が痛む。けれど、自分が、周囲が新たに与えられるものもある。彰子もそれを知っている。

「政宗さん、不束者ですが、末永くよろしくお願いします」

 政宗の背に手を回し、抱きしめ返しながら、彰子は告げる。

「こちらこそ、だな。オレは嫉妬深いし、我が儘だし、俺様だし、多分Honeyを怒らせまくるだろうからな」

「覚悟してる。でも、そんな政宗さんが好きだから、大丈夫」

 政宗の言葉に笑いを零し、彰子は応じる。

「まぁ、Honeyも頑固だし、気が強ぇし、不器用だし、お互い様だな」

 政宗も笑う。

「ひどーい。それが新婚の妻にいうこと?」

「Oh,sorry,Honey」

 政宗は両手を上げてお道化てみせる。そして二人で顔を合わせて笑う。

「彰子、お喋りはここまでだ。夜はこれからだぜ」

「……うん」

 男の顔になった政宗に彰子は頬を染め、頷く。






 明かりの消えた部屋から洩れたのは秘めやかな衣擦れの音だけだった。