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 天正18年(1590年)6月9日。その日、六条院は緊張に包まれていた。この六条院は政宗の京都での住まいとして建造された館である。今、政宗は宣下を受ける為に京の都へと来ていた。

 この日、この館に帝からの勅使がやって来た。政宗は広間にて衣冠束帯の正装で勅使を迎える。そして、勅使・参議勧修寺光豊によって、『従一位右大臣並びに征夷大将軍』に任ずる旨の宣旨を賜る。ここに伊達幕府が開府されることとなった。

 7月9日には政宗は御礼言上の為参内し、帝への拝謁を賜った。その後、祝いの宴、返礼の宴、或いは能楽を催すなど、将軍宣下に伴う様々な行事を行った。そして、政宗が本拠地である甲斐の躑躅ヶ崎館へ帰還したのは宣旨を賜ってから2ヵ月後のことだった。

 政宗はこのとき24歳。源頼朝(46歳での宣下)、足利尊氏(34歳での宣下)という先の初代将軍たちに比べ遥かに若い年齢である。その分、長期的な政策が採られることが期待された。

 天下統一が成ったのは1年前。それから幕府を開く為の様々な組織作りを行い、また将軍宣下の為に信玄・謙信、或いは伊達家に関係の深い公家による根回しも行われ、政宗の将軍宣下が成し遂げられたのである。

 ここまでの道のりは容易ではなかった。

 政宗が武田信玄の娘を正室として迎えてから2ヵ月後、伊達は北条を下し、関東を完全にその支配下においた。北条家は領民に慕われていたこともあり、本拠地の相模を北条の領土として安堵、その他の地域は伊達家の家臣によって支配されることになった。また当主北条氏政は高齢であることを理由に隠居させ、その嫡男氏直に家督相続をさせた。

 その1年後、病を得た武田信玄は隠居を宣言。自分の後継者に女婿伊達政宗を指名し、戦をせずに甲斐は伊達領となった。それに伴い政宗は本拠地を青葉城から躑躅ヶ崎館に移す。日ノ本全てを治める上で、青葉城では北に位置しすぎる。もっと京都に近い地へと本拠を移したのである。

 その年、甲斐御前と呼ばれる政宗正室が大姫・璃桜を出産、伊達家武田家は喜びに湧く。その慶事に勢いづき、対織田戦に望もうとしたところで、本能寺の変が起こる。逆臣明智光秀によって織田信長が殺され、ここに織田家は滅びた。明智光秀の背後で糸を引いていた豊臣は即座に明智を討伐、旧織田領を併呑する。

 それを受けて、政宗は豊臣に宣戦布告。伊達・旧武田・上杉・毛利・長曾我部・島津の連合軍が豊臣を一蹴。元々強固な地盤を持たなかった豊臣は秀吉の死によって脆くも崩壊し、滅び去った。

 その後は信玄、謙信の呼びかけにより、天下統一についての話し合いが持たれた。謙信は政宗に膝を折り、伊達家は東日本全てをその配下に収める。長曾我部は四国が平穏ならばそれで良いと、やはり早々に政宗に臣従の意を示した。それにより、伊達に抗するのは不可能と悟った毛利・島津も政宗に膝を屈した。ここに天下統一が成ったのである。

 幕府を開いた政宗は様々な組織・制度を作った。まず、日ノ本を東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州の7つの州に区分。東北の支配は伊達成実、関東を北条氏直、中部は上杉景虎(開府と同時に謙信は家督を譲った)、近畿は前田利家、中国は毛利元就、四国は長曾我部元親、九州は島津義弘に統治させることとした。各州は更に5~10の藩に細分化され、各州主の推薦によってその藩主は定められた。つまり、将軍が各州主を統率し、各州主が各藩主を支配する形が作られたのである。また、甲斐は幕府直轄領となり、京都は朝廷の支配下に置かれた。京都の六条院には幕府の機関が置かれ、その京都所司代と諮りながら京の政は行われることとなった。

 また、四国と堺、長崎には海外貿易港が置かれた。3つの港を中心に南蛮や明との交易が行われ、様々な品物が齎され、或いは輸出され、経済を活性化させた。更に長曾我部と毛利が中心となり、海軍も創設された。

 様々な法律も整えられ、教育も整備され、農業と商業の活性化もあり、長い戦乱によって荒廃していた国土は瞬く間に復興を成し遂げた。

 そして、幕府開府から16年。初代将軍政宗は嫡男信宗に将軍位を譲る。15歳の若き将軍の下、長期的な政策が採られ、日ノ本は更なる発展を遂げるのであった。







「Hey、Honey! 次は別府温泉に行くぞ」

 将軍位を息子に譲り、40歳の若さで大御所となった政宗は愛妻の許へ足音も高くやって来た。

「また、温泉? つい先月、草津温泉に行ったばっかりじゃない」

 大御台となった彰子はそんな夫に呆れ顔だ。彰子の周りでは三男の菊王丸と四女の佑姫が『おんせん~』と喜んで走り回っている。

「あー、お前らは留守番な。DadyとMommyの二人っきりのFullmoonだ」

「ずるうございまする、ちちうえ!」

「ゆうもいきたい!!」

「ゆいひめもいきたいともうしておりまする!!」

 菊王丸はまだ乳飲み子の五女結衣姫まで巻き込んで大騒ぎをする。

「ダメだ。DadyはMommyと二人で行くんだ」

 幼児と言い合いをする大人気ない夫に彰子は溜息をつく。将軍在任中は我が侭も控えめだった所為か、信宗に譲位後はその我が侭ぶりに拍車がかかっているように思う。

「政宗さん、大御所の旅行ともなれば、色々面倒なのよ。また信宗が怒って重長が胃痛起こすわよ」

 呆れてそう窘めれば、問題ないと政宗は笑う。

微行おしのびだから大丈夫だ。元親の野郎が船出してくれるってよ」

 天下統一の為の同盟の際に意気投合して以来、夫の親友で悪友となっている隻眼の海の男を思い浮かべ、彰子は頭痛を感じた。海のヤンキーと陸のヤンキーとはよく言ったもので、この二人は性格もよく似ている。

「となると、信親くんも胃を悪くしそうね……」

 元親の嫡男で息子の側近でもある少年が憐れになる。信宗と信親の二人は父親に苦労させられる境遇がよく似ている所為か、身分と立場の垣根を越えて今では親友だ。父親コンビがトラブルメーカーならば、息子コンビは後始末係だ。普通は逆だと思うと、彰子は何処か遠い目になる。

「母様、現実逃避はいけません」

 夫を放置して庭を眺めた彰子の袖をつんつんと引っ張りながら三女ふみ姫が言う。

「史……それくらい許して」

 何処までも冷静な三女に乾いた笑いを漏らすと、更に横から次男松千代が溜息をついた。

「父上の暴走は母上にしか止められませぬ。なお、私も温泉に行きたいです」

「そうじゃな、兄上。来年には姉上も京の都へ嫁がれてしまいます。これが最後の家族旅行となりましょうしなぁ」

 そう言われてしまうと彰子も言葉に詰まる。次女うた姫は来年、東宮の許へ入内が決まっている。

「家族旅行なれば、璃桜姉上も誘わねばなりませんな」

 松千代は言う。長女璃桜は越後の上杉景虎の正室となっている。

「ならば、虎兄上も行きたいのではありませぬか」

 更に史姫は長男信宗(幼名虎菊丸)の名前まで挙げる始末。

「虎菊まで行くとなると……将軍が行くのは拙いでしょ」

 将軍・大御所揃ってとなれば、家族旅行というレベルではない。どれだけ大げさな行列を仕立てていかねばならないというのか。予算を考えただけでも気が遠くなる。

「だから、DadyとMommyの二人っつってんだろうが」

 どっかりと腰を下ろし、政宗は子供たちに宣言する。

「いや、だから、そもそも別府行きが拙いんだって」

 呆れて溜息しか出ない。こうなると自分では収集がつかない。彰子は側にいる真朱に目配せをして小十郎を呼びに行かせた。

「何だよ、Honeyはオレと旅行行くのがそんなに嫌か」

「頻度の問題です。先月も行ったばかりでしょ。虎菊が将軍として慣れない仕事頑張ってるんだから、政宗さんも大御所としてしっかりサポートしてあげないと」

「あー、面倒くせぇ。大丈夫だろ、虎なら」

 政宗はムッとして反論する。折角隠居して自由の身になったのに、これ以上縛られて堪るかと思っているのがありありと判る表情だった。

「政宗様には大御所として為すべきこともございますれば、別府温泉行きは諦めていただきますぞ」

 タイミングよく、地を這う声が政宗の背後から響き渡る。

「本日もまだ書類が残っておりますな。大御台様、大御所様を引き取ってもよろしゅうございますかな」

 既に政宗の後ろ襟首を引っ掴んだ状態で小十郎が彰子に尋ねる。

「ええ。遠慮なく持っていってちょうだい、小十郎。しっかりお仕事させてね」

 これでやっと収拾がつくと彰子はニッコリと笑う。

「御意」

「ってめぇ! オレは大御所だぞ! 何ガキみてぇに首根っこ掴んでやがる。つーか、引き摺るんじゃねぇ!!」

 じたばたと藻掻きながら引き摺られていく大御所伊達政宗40歳。

「政宗様もいい加減大人になってくださいませんと……いつまで若に苦労をかけるお心算か」

 説教しながら、小十郎は相変わらず政宗を引き摺る。

「離せ! 小十郎ッ」

 徐々に遠くなっていく夫の声を聞きながら、彰子は衛門の入れてくれたお茶を啜った。

「天下泰平ねぇ……」

「まことでごさいますねぇ」

 子供たちをそれぞれの傅役に任せ、彰子はのんびりと衛門と共にお茶を楽しむのであった。






 今日も日ノ本は快晴、天下泰平の世を誰もが満喫していた。