日記を付けていた彰子はその日付を見てふと手を止めた。長月七日。そう書いたところであることに気付いたのだ。平成の世では廃れてしまった、唯一忘れられてしまった五節句の一。
衛門に頼んで喜多に来てもらうと、彰子は早速それについて尋ねた。
「菊合わせをしたり、殿方は宴で菊花酒を楽しまれたりなさいますが、その習慣はないようでございますね」
喜多は彰子の質問にそう答えた。伊達家は藤原北家山蔭流を称し、本姓は藤原氏である。元は京の公家に連なる貴族であると示すことは一種の政治的な意味合いを持つ。天下統一を狙う武将たちはある者は公家に連なる血筋を誇示し、そうでない者は婚姻によって都との縁を結ぼうとする。そういう意味では藤原北家──平安朝における藤原氏の主流。以降摂関家はこの北家から輩出され、北家でなければ摂政関白にはなれない──であることは、政略的にそれなりの意味を持つ。ゆえに伊達家では今では消えてしまった平安朝の風俗を残している。
先日政宗が『後朝の文』なんてものを贈ってきたのもその現れの一つだし、五節句の祝いもしているという。
五節句は1月7日の
彰子はかつて生まれ育った世界で学んだことを思い出す。大学時代には平安女流文学を専攻していた彰子は、当然当時の宮中女性の風俗にもある程度は通じている。
「私が政宗さんのお母様にそれをお贈りしても、問題はないでしょうか?」
息子の側室が、正室である母親にそれをしても礼を失することにはならないだろうかと彰子は案じる。とはいえ、紫式部は主である上東門院の母・倫子に贈っているから、大丈夫だろうとは思うのだが。
「問題はなかろうと存知まするが、気になられるようでございましたら、殿のお名でお贈りになられればよろしゅうございましょう」
喜多の答えに彰子はホッとする。実は初めから自分の名で贈る心算はなく、政宗が贈ったということにしようと思っていたのだ。
青葉城に入って間もなく1ヶ月になるが、その間、政宗が父輝宗はともかく母義姫と何らかの接触をした気配はない。それとなく成実に聞いてみたところ、精々年賀の宴で顔を合わせる程度で、普段は没交渉なのだという。住む棟は違うとはいえ、同じ青葉城内に住んでいるというのに。
何も政宗と義姫の間を取り持とうとか、関係を修復しようとか、そんな大それたことを考えているわけではない。ただ、母と息子が隔絶してしまっているのは寂しいと彰子は思ってしまうのだ。自分が異世界トリップにより肉親を永久に失ってしまっているから、余計にその思いは強くなるのだろう。
少なくとも政宗は義姫のことを母として慕い、悪感情は持っていない。かつて平成の世で政宗が家族のことを語ったときに、そこには交流が薄いことへの寂しさは感じ取れても、嫌悪感や忌避する感情はなかった。
だからせめて、義姫に政宗が母親のことを気にして案じているのだということを少しでも伝えられればいいな……とそんなふうに彰子は考えたのだ。
『伯母上だって、梵のことを嫌ったりしてるわけじゃないと思うんだ。ただ、似たもの親子っていうかね。素直じゃないんだよ、梵も伯母上も』
成実はそう言って苦笑していた。
「じゃあ、政宗さんからの贈り物ってことで、差し上げちゃいましょう」
彰子はニッコリと笑うと、喜多にあるものを手配するように頼んだ。
「御意。早速手配致しまする」
喜多も何処か嬉しそうに承諾する。
彰子が入城したときから、輝宗や義姫のことを気にしていたことは知っている。側室であることから、これまで彰子が輝宗たちに接触を図ったことはない。立場的にこちらから積極的に動くのは良くないと判っているようだった。だから、不自然ではなく、また礼を失することもない接触の機会を待っていたのだろうと喜多は推測する。
相手のことを気にしているのは何も彰子だけではない。ずっと妻を持たなかった息子が漸く側室を迎えたのだ。両親が無関心なわけがない。
喜多は時折、輝宗夫妻と小次郎の住む東の丸へ出向くことがある。彰子が入城した後、輝宗の許へ赴いた喜多に義姫は何も言わなかった。けれど、御前を辞した後、とある女中が喜多に尋ねてきた。『上田御前とはどのようなお方にございますか』と。その女中が身分は高くないものの、義姫が信頼している者であることに喜多は気付いた。
「お美しく、慎ましやかで、頭のよいお方でいらっしゃいます。殿とも大変仲睦まじく」
そう答えた喜多に、女中は何処か安堵した表情を浮かべた。恐らく義姫が案じていたのだろうと察せられる表情だった。
因みに、父輝宗はこっそりと何度か彰子の様子を見に来ていることを喜多は知っている。意外とお茶目なところのある輝宗は次男小次郎と共に庭師の格好をして、彰子の部屋の庭にやって来たのだ。
「ご苦労様です。庭の手入れをしてくださってありがとう」
身分に拘らない(当然といえば当然だが)彰子が、庭の手入れをしてくれている庭師にそう労いの声をかけ、それに応じた老庭師の声を聞いた喜多はぎょっとしたものだ。偶々同行していた成実も驚きに零れ落ちそうなほど目を見開いていた。その後、偽庭師親子の輝宗・小次郎は彰子に庭の草木の説明をして楽しそうにしていた。
──後にそれを成実から聞かされた政宗が『何やってんだ、このクソ親父!!』と父親に詰め寄り、『晩生の息子が漸く妻を迎えたのだ。興味を持っても仕方なかろうて』と呵呵大笑した父に弄られ、親子喧嘩を繰り広げたことは彰子には秘密である。
ともあれ、漸く出来た『息子の嫁』に義姫も関心を寄せており、そこに重陽の祝いに託けた彰子からの接触を、義姫が忌避することはないだろうと喜多には思えた。
「政宗さんにも言っておいたほうがいいかしら」
「然様にございますねぇ……。殿は素直ではないところがおありでございますゆえ、事後承諾のほうがご面倒はないかと」
「あ、やっぱり? 結構政宗さん、子供っぽいところありますもんね」
オトコノコというものは得てして母親には素直になれないものである。況してやあの政宗だ。普段疎遠にしていること、母親に疎まれていると思い込んでいることから、素直に許可してくれるとは思えない。だったら、やっちゃったもん勝ちだ。やっちゃった後に言えば政宗は怒るかもしれないが、どれだけ騒ごうが後の祭りだ。
何処か悪戯っ子のような表情を見せる彰子に喜多は微笑む。奥州に来て1ヶ月、漸く彰子も肩の力が抜けてきたようで、自分や三傑、衛門や小督といった近しい相手にはこうして素の表情をみせてくれるようになった。それが喜多には嬉しい。それと同時に、彰子に接する機会のある下働きの者たちへも気軽に声をかけるようになっている。それだけ周りが見えるようになり、心に余裕も生まれたのだろう。尤も、下男や下女、庭師といった身分の低い者へあまりにも気軽に声をかける御方様に、衛門や小督は若干苦労しているようではある。
しかし、そんな彰子に対して、声をかけられた側が悪感情を持つわけがない。気安く声をかけて労ってくれる殿のご側室様に対して、彼らは好意と敬愛の念を持ち始めている。ゆえに喜多としては彰子の行動を制限する心算は一切なかった。
「では、明日の夜までには手配してお持ち致しまする。黄色と赤の綿にございますね」
「ええ、お願いします」
彰子の言葉に頷くと、喜多は早速綿を手配する為に彰子の部屋を辞した。廊に置かれた見事な大輪の菊花を見遣りつつ。
細やかな、それでいて何処か雅やかな気遣いを見せる彰子に、喜多は一層の好意を抱く。そして、弟たちと同じく、否、それ以上の思いで彰子を政宗の正室に、己の主にと望むのであった。
翌々日の朝、喜多は美しい蒔絵の入った小筐を捧げ持ち、東の丸の輝宗と義姫の許を訪れた。
「殿より母君お東の方様へ重陽の祝いの品にございまする」
喜多の意外な言葉に義姫は驚きつつも筐を受け取る。小筐は美しい中にも優しさを持った品であり、政宗の趣味とは違っているように両親には思えた。
筐の蓋を取れば、中には色鮮やかな黄色と赤の綿が収められている。その綿は水気を含んでおり、仄かに菊の香りがするものだった。
「ほう……これは
義姫も伊達家に嫁いで以降、公家の風を学んでおり、それを知らぬわけではなかった。
重陽の節句には、前日の夜から菊の花に綿を被せ、その香りを移し朝露を含ませる。その綿で体を拭うことにより菊にあやかり長寿を願うのだ。
筐から鮮やかな黄色の綿を手に取り、仄かな菊の香りに義姫は目元を優しく笑ませる。
「お心遣い感謝すると伝えてたもれ、喜多。上田殿にの」
あっさりと見破った義姫に喜多は微笑む。
「上田殿は真田の姫と伺っておるが、このような古き美しきことをよう御存じであられたのう」
甲斐の真田家といえば、現当主幸村に代表されるように武一辺倒の家だ。そんな家の娘がこんな雅やかな貴族の風習を知っていたことに義姫も輝宗も驚いているようだった。
「御方様は教養深き方でいらっしゃいます。そのようなところも殿のお気に召された一因かと」
喜多はそう応じる。政宗との後朝の歌の遣り取りにしても、綱元との討論にしても、喜多も驚かされたのだ。公家の姫並の教養と領主の側近並の政治的思考を持つ彰子に。平成の世とやらはそれほどまでに庶民ですら教養深いものなのかと。
尤もこれは誤解であることを喜多も教えられている。彰子は典型的なオタク気質で自分が興味を持ったことに関しては深く調べ学ぶ為、たまたま平安時代の習慣と近現代の政治については詳しくなっているだけだ。その証拠に、とんと興味のない現代の芸能や流行には疎く、新しい物好きで好奇心旺盛な政宗のほうが、たった1ヶ月しか滞在していないのに詳しいくらいだった。
「上田殿に一度会うてみたいものじゃ。大殿と小次郎は会うたことがあるというに妾だけまだ姿を垣間見たことさえない」
「済まぬのう。だが、お義も会えば気に入るぞ。上田殿は好ましい娘であったゆえな」
身分の低い庭師のふりをしていた自分に接した態度を輝宗は思い出す。
『いつも美しい花々に心を慰められております。ありがとう』
そう言って彰子は自分と小次郎に声をかけてきた。
『恥ずかしながら、あまり花には詳しくなくて。教えていただけますか』
何処か恥ずかしそうに微笑んだ彰子に輝宗も小次郎も好感を抱いた。もとより二人とも漸く政宗が置いた側室ということで悪感情は持っていなかったのだが。彰子との接触後、小次郎などは『兄上、早く我らに義姉上をご紹介くださいませ』と政宗に直談判したほどだった。彰子のことを『義姉上』と呼び、対面の許可が出る日を心待ちにしているくらいなのだ。
「見目麗しい姫であったぞ。それ以上に心根が美しいと儂は見ておるが」
「外見だけで女子を選ぶほど、政宗も愚かではありますまい。政宗の選んだ女子であれば当然のこと」
夫の言葉を義姫はあっさりと片付ける。何を当たり前のことを、といった感じだった。それに喜多はこっそりと笑う。政宗は自分が義姫に疎まれていると思っているが、そんなことはない。義姫は義姫なりに息子として政宗のことを想っている。ただ、自身の負い目とその性格ゆえに素直になれないだけなのだ。成実の言うようにまさに似たもの親子だった。
「しかし、思っていた以上の女子のようじゃ。政宗の名で贈ってくるところもよい」
自分を表に出し主張するのではなく、飽くまでも夫を立てているところにも好感が持てるし、最初の贈り物が長寿を願う被綿というのも良い。そう義姫は思う。
初めはどのような女なのかと警戒をしていた。政宗が選んだ女だから心配は要らないだろうと思ってはいたが、女に縁のない政宗であれば意外と晩生で性悪女に引っかかる可能性もなくはないと不安に思う部分もあった。
そこでこっそりと探りを入れていたのだが、上田御前の評判は悪くない。しかも、下の者ほど彰子への評価は高く、慕われていることも判った。政宗との仲も良好なようで安堵していたところだった。
尤も、母親の常として、息子の嫁に点が辛くなるのは仕方のないことで『未だに我らに挨拶もないとは』と半ば無理やり不満を作っていたのだ。側室の立場では挨拶に出向くのも逆に礼を失する場合があることは棚に上げて。逆にいえば、それくらいしか文句をつけるところがなかったのである。
そんなこんなで彰子への興味が尽きなかったところへ、漸く彰子からの接触があった。しかもそれは義姫たちを喜ばせる、細やかな心遣いを感じさせるものだった。
「早く上田殿に会うてみたいが、正月までは難しいかも知れぬのう。政宗も我らに会わせる心算はなさそうじゃ」
息子の側室に好感を抱きつつ、義姫は残念そうに呟く。
そもそも政宗自身が年に一度しか顔を見せないのだ。出陣前と帰還後には遣いを寄越すが、顔を見せることはない。幼い頃からの自分の態度を省みればそれも致し方ないと思いはするが、寂しさを感じるのも事実だった。
「御方様もずっと気にかけておいでにございまする。殿のお父上お母上に会いたいとのご希望もお持ちでおられまするが、側室の身ではご挨拶に出向くのも憚られ、かといって殿にそれを願うのも殿のご勘気に触れるのではないかと案じておられるように思われまする」
暗に喜多は彰子が政宗母子に確執があると知っていることを告げる。そしてそれを気にしていることも。なるほど確かに頭の良い女性のようだと義姫は彰子への興味を増す。
「何れお会いする機会も来よう。それを待つしかあるまいの。その日を楽しみにしていると上田殿に伝えてたもれ。まさか妾まで下女に身を窶しこっそり見に行くわけにも行かぬしな」
夫の悪戯にチクリと嫌味を交え、義姫は笑った。
その後、政宗の許へ義姫から『重陽の祝いの返礼に』と見事な菊の鉢植えが届けられ、政宗は彰子の行動を知ることになる。驚きはしたものの『余計なことをしやがって』とは思えず、寧ろ彰子らしいとくすぐったいような嬉しさを感じたのであった。
漸く互いの念願が叶って彰子と義姫が対面するのは、それから半年以上が過ぎ、彰子が本当に政宗の側室となってからのことになる。