恋する筆頭

 傍若無人な猫たちを中心に和気藹々と過ごしていた政宗たちだったが、やがて喜多の言葉によって彰子の部屋から辞することになった。佐助も同盟に関する連絡係として暫くの間は奥州に滞在するとのことで、当座の逗留先となる城下の旅籠へと移った。

「頑健で無骨な政宗様や小十郎と違うて、彰子様は繊細で嫋やかな、か弱き女子にございまする。長旅でお疲れでございましょうから、そろそろ御方様を休ませて差し上げるべきかと」

 彰子にしてみれば慣れない馬での長距離移動で体は疲れ切っているから、喜多の言葉は有り難いものだった。彰子を青葉城に迎え入れたことで浮かれていた政宗も漸くそれに気付き、大人しく乳母の言葉に従うことにした。なにせ、喜多はこの城で唯一といっていいほど、政宗と三傑が頭の上がらない女性なのだ。

「I see.オレとしたことがうっかりしてたぜ。彰子、ゆっくり疲れを取れ。そろそろ湯殿の仕度も出来るだろうしな。今日はのんびりと真朱たちと飯食って早めに休むといい」

 いつ元の世界に帰ってしまうかは判らないが、今日明日にも還るということはないだろう。当分の間彰子は己の側にいるのだと政宗は自分を納得させる。それでもついつい未練がましく立ち去り難い気持ちでいる己に言い聞かせるように、政宗は彰子に声をかけた。

「ええ、ありがとう」

 頷く彰子に笑みで応じると、政宗は三傑を伴い己の部屋へと戻っていったのである。

 因みに、喜多の『繊細で嫋やかなか弱き女子』という言葉にボソッと突っ込みを入れたのは言わずもがなの萌葱である。『繊細で嫋やかでか弱いって……どんなギャグだよ』と呟いた瞬間、妻と娘に恒例のライダーキックを食らったのは言うまでもない。しかも、つい数刻前まで虎だった萌葱に慣れていた2匹は力加減を間違ってしまい、萌葱は思いの外重大なダメージを負ってしまったのだが、これは完全な余談である。






 彰子の部屋を出た4人はそのまま政宗の私室へと移動した。政宗がついてこいと命じたわけでもないが3人はついてくる。つまりそれは3人とも自分に話したいことがあるのだろう。いや、『話』というほど畏まったものではないのかもしれないが、今し方漸く念願叶って対面した彰子について何かしらか語り合いたいのだろうと政宗は思った。

「で、如何だったんだ。Honeyに会ってみて」

 部屋に入りそれぞれが座に就いたところで、政宗は口を開く。

 伊達三傑とまでいわれるこの3人が彰子に対して何を如何感じたのか、それは政宗や彰子にとってのみならず、伊達家・伊達軍にとっても大きな意味を持つことだった。彼らが政宗──伊達家当主の側室を如何扱うかで、他の家臣たちの側室への対応も違ってくる。

 ──などと政宗は自分に言い聞かせるように考えたが、なんてことはない。保護者と友人の目に自分の彼女(片思いなので本当は違うが)が如何映ったが気になったというだけのことだった。

「うーん、なんか、ちょっと想像と違ってたかなぁ。殿の話からさ、正直、ちょっと気の強い女性を想像してたんだよね」

 まず口を開いたのは成実だった。大抵は政宗とのちかさから彼が口火を切ることが多い。別に小十郎や綱元が身分に遠慮しているというわけではなく、私的な場では歳の近い従弟として幼馴染として気安く気軽に応じる結果そうなるのだ。

「確かに、聊か違うておりましたな。我らが思うていたよりも、ずっと控えめで温和しやかな女性のように見受けられました」

 綱元も同意する。これを彰子が聞けば『政宗さん、一体如何いう話をしてたわけ!?』と抗議したと思える返答だ。

 成実や綱元の目には、彰子は思慮深く、慎ましやかで、それでいて何処か儚げに見えたのだ。萌葱が聞けば『ハカナゲって……有り得ねー!!』と腹を抱えて大笑いするに違いない(当然、その後真朱に強化版ライダーキックを食らうのはお約束)。

 政宗の話からは、彰子は何事にも物怖じせず、自分の意見をはっきりという女性だという印象を受けていた。政宗と議論し論破することもあったというし、彼を叱りつけることさえしたというから、きっと気の強い女性だと思っていた。政宗の話から色々と想像を巡らせていた彼らは、喜多や義姫に近い女性像を思い描いていたのだ。

「まだ幾分緊張しておられたのだろう。本質は政宗様から伺っていたとおりの芯の強い女性だと思うがな」

 成実と綱元に比べれば多少彰子との交流が深まっている小十郎はそう応じる。奥州までの道中、確かに想像していたよりは少々大人しく感じたものの、彰子は政宗にも小十郎にも小督にもついでに佐助にもきっぱりはっきりと自己主張はしていた。特に政宗と佐助には信頼し心を許している所為か二人の言葉に突っ込みを入れたり、気安く冗談を言い合い揶揄ったり揶揄われたりもしていた。自分に対しては年長者且つ対面して日も浅いこともあってか一歩退いた感じはあったのだが。強面の自分を敬遠していたとは思いたくない。対面した折に一刻ほど和気藹々と話をし交流はそれなりに深まったと思っているから敬遠されてはいないだろうとは思うのだが。因みに彰子が小十郎に対して微妙に口数が少なくどちらかというと聞き役に回っているのは小十郎の声の所為なのだが、当然それを小十郎は知らない。

(やっぱ森川ボイスいいわー。うん、渋いよねー。ああ、秀吉とか毛利とか竹中の声も聞きたいなぁ。明智の声も超聞きたい。でも会いたくはねぇな……)

 なんてことを彰子が思いつつ、小十郎の声にうっとりしているなんてことは、萌葱以外誰も気付いてはいなかったのだ。

「Ah~確かにHoneyはまだ緊張してるみてぇだな。あれでアイツは結構人見知りするんだ。外面はいいから気付かれにくいけどな」

 自分にも暫くの間は距離を置こうとしていたことを思い出す。自分の場合は単に人見知り以前の問題もあったのではあるが。後に彰子自身から『自分でもこんなにあっさりと政宗さんと打ち解けたのが不思議』と言われたこともある。

「それに多分、Honeyのことだからな。自分の立ち位置を察ってるところなんだろ。まだお前らに如何接するべきか迷ってるってとこじゃねぇか」

 政宗の言葉に小十郎らはなるほどと合点する。政宗の話からすると彰子はかなり歴史にも詳しく頭の回転もいい。既にこの世界に来て3ヶ月以上が経過しているわけでもあり、そうなると身分制度も理解しているのだろう。となれば、奥州筆頭の側近且つ重臣である自分たちと建前上側室となった彰子が如何接するのがいいのかを考えているのかもしれない。

「そんなに難しく考えなくてもいいのにね。彰子ちゃんって真面目なんだなぁ」

 苦笑しつつ成実は言うが、その一方で安心もしていた。身分制度のない世界から来た彰子が、元の世界の常識で政宗たちに接するのであれば、それはそれで面倒なことにもなりかねないのだ。郷に入っては郷に従え。それをきちんと理解し実行している彰子に対して好印象が強くなる。元々好意と警戒が9:1程度の割合でしかないのだが。

「ま、それがHoneyらしいっちゃらしいんだけどな。その真面目さが災いしてこっちにきて3ヶ月も我慢してたんだ」

 困ったもんだぜと苦笑して政宗は応じる。もう少し彰子が図々しければ、ここが何処か判った時点で奥州を目指していただろうにと。

「しょーがないだろ。色々考えるのがかーちゃんなんだから。だからお前だって惚れたんだろうが」

「Oh,確かに」

 5人目の声に応じ、政宗ははたと気付く。今までここには自分と三傑の4人しかいなかったはずだ。政宗が声の発生源に目を向けると、いつの間にやら成実の横に萌葱がちょこんと座っていた。

「……いつからそこにいたんだ、萌葱」

「さっき女中さんが出て行ったときに入ったんだよ。なるみの後ろに座ってたんだけど、お前ら全然気付かねーんだもん。それって武将としてどーなのさ。特になるみ。武の成実がそれでいいわけ?」

 後ろ足で耳の後ろを掻きながら飄々と萌葱は応える。

「あのさ、萌葱。私はなるみじゃなくて……」

「なるみー。取り敢えず抱っこしろよ」

 成実の抗議を無視して、萌葱はのそのそと成実の膝に乗り、収まりのいいように体の位置を調整する。

「成実、諦めろ。彰子様の愛猫たちは既にお前を『なるみ』認定だ」

「流石に判ってるな、つなもー」

「……諦めが肝心だ」

 何処か憮然として応じる綱元に、成実はそれでも納得しかねる表情をし、政宗と小十郎は苦笑する。因みに小十郎も既に諦めて『こじゅ』呼びを容認している。猫相手に呼び名で言い合うのも大人げない。尤も普通は猫と言い争うことなど有り得ないのだが。

「で、なんでお前はHoneyの傍離れて、オレのところにいるんだ?」

 成実の再三の抗議もなんのその、すっかり成実の膝の上で寛いでいる萌葱に政宗は問いかける。普段から彰子べったりの猫たちが離れるなんて普通はないことだ。

「んー、ここなら、俺が護衛で張り付いてなくても大丈夫だろ。小督ねーちゃんもいるし、まだ佐助も帰ってないしな。それに政宗の城なんだから安全に決まってる。ってわけで、俺が代表して城の探検してた。そしたら政宗の部屋に来たから入ってみたっつーこと」

 奥州に対するさり気ない信頼を示しつつ、萌葱は答える。奥州だから、政宗の国だから、自分が張り付いていなくても警戒を解いても心配はない。萌葱だけではなく、猫たちは皆そう安心しているのだ。

「それにさ、ちょっと政宗には話しておいたほうがいいだろーなってこともあって。かーちゃんの体のことなんだ」

 萌葱にしては珍しく真面目な声で話し始める。

「佐助に頼んで政宗に知らせただろ、俺らのこと。俺ら、かーちゃんに内緒で佐助に頼んだんだ。それくらい、かーちゃんの状況ってマズかったんだよ」

 器用に眉間に皺を寄せ萌葱は語る。あの当時のことを思い出すと如何してもそんな表情になってしまう。還れないことへの焦燥りと不安からどんどん精神的に弱り、体もそれに付随して弱っていっていた彰子。周囲に心配をかけまいとして気を張り、余計に悪化させていたあの頃。このままでは体の不調が更に精神を弱め、悪循環に陥ることは目に見えていた。そして張り詰めた心の糸は些細なきっかけで切れてしまいそうだった。

「すぐに迎えに来てくれてサンキュー、政宗。お前が来てくれなかったら如何なってたか判らない。それ考えると超怖いんだ」

 成実の膝から降り、萌葱は政宗の前に行くとぺこりと頭を下げる。彰子の護衛を代表して萌葱が礼を言いに来たのだと4人は理解した。本当に彰子のことが大好きな猫たちなのだ。

「たださ、かーちゃんの体まだ本調子じゃねーんだ。お前が来た翌日には甲府の信玄のおっちゃんのとこ行ったし、それからすぐにこっち来ただろ。甲府では少しはゆっくり出来たけど、完全回復とまではいかなかったしな。まぁ、気力は取り戻してたから大丈夫だとは思うんだけどさ。ただ、逆に安心したから気が抜けて、かーちゃん寝込んだりするかもしれないからなー。先にそれは言っとこうと思って」

 萌葱の言葉に政宗は考え込む。体が引きずられるほど彰子の心が弱っていたとは。確かに再会したときに少し痩せたようだとは思っていたが、それは環境の違いから来るものだと思っていた。あの世界に比べればこの世界の食糧事情は豊かではないのだから。

「I see.上田じゃ寝込むことも出来なかったんだろうしな。お前らからも彰子に言っとけ。ここで気を張る必要はねぇって。安心して寝込んでいいぞってな」

 病の床に就くことを勧めるのも如何かとは思うが、飽くまでもそれは回復する為に必要なことだ。

「うん。てか、既に今頃ねーちゃんが言ってると思うけどな。政宗のとこに来たんだからもう心配いらねーし。かーちゃん自身がすっかりリラックスしてるしな。まぁ、今はまだ、なるみやつなもーに遠慮してるみてーだけど。だから、二人ともかーちゃんが儚げな女性なんてとんでもねー誤解してるわけだし」

 ケラケラと笑いながら萌葱は言うが、実は成実と綱元侮りがたしと思ってもいた。儚げなんて言葉は彰子に似合わないと思いつつも、実際の彰子は精神的に脆い部分も確かにある。それを見抜かれているのかもしれない。如何にも能吏で頭の良さそうな綱元はともかく、一見やんちゃ系チャラ男な成実にまで見抜かれるとは。

「萌葱、そんなことを言ってるってばれたら、また真朱に蹴り食らうぞ」

「ゲッ。それは勘弁。ねーちゃんも撫子も俺が虎だったときの力加減で蹴るから、俺さっき脳震盪起こしかけたんだぜ」

 政宗の揶揄いに萌葱は心底嫌そうな表情で応じる。そんな様子に小十郎たちは自然と笑みを零した。彰子と共にいたときといい、こうして萌葱と接しているときといい、政宗の表情はこれまでと違っている。恐らく平成の世にいた頃も政宗はこんなに寛いだ歳相応の青年の顔をしていたのだろう。奥州筆頭・伊達家当主という重責から解放されて。

「あ、そうだ。政宗、今夜から俺お前んとこで寝るからなー。如何だ、嬉しいだろ」

「あー嬉しい嬉しい。お前と一緒なんて超嬉しいぞ萌葱」

「なんだよ、その超棒読み! 政宗のくせに生意気だっての」

「Han? オレは素直に喜んでんだぜ、萌葱Boss」

「ぜってー違うだろ。てめぇ俺のこと子供扱いしてるだろ!!」

「してねぇって、お兄サマ」

「ライダーキック食らわすぞ、テメェ」

「やってみろ。怖くもなんともねーよ」

 尤も猫と対等に喧嘩するのは人として如何よと内心突っ込んだのだが。

 それでもやはり、何処かでホッとしている三傑でもあった。政宗はその若さにそぐわない重責を担っている。政宗自身はそれを当然のことと受け止めているとはいえ、小十郎たちは多少の痛ましさも感じてはいたのだ。だが、伊達家の家臣である自分たちは、政宗に責任を一瞬でも忘れろなどということは出来ない。如何しても政宗に責任を課す立場にある。

 けれど、彰子と猫たちは違う。異なる価値観の世界で生きてきた彼女たちは政宗に『奥州筆頭』ではなく、ただの19歳の青年である『藤次郎政宗』の顔をさせることが出来るのだ。それは重責と孤独を纏う政宗にとって、何よりの慰めと安息を齎すものだろう。

「なんか、いいよね。梵があんなふうに寛げるんなら、彰子ちゃんたちがずっと奥州に留まってくれたらいいのに」

 萌葱を揶揄いつつ楽しそうに話している政宗を見、成実はポツリと呟く。

「確かにな。政宗様も歳相応の顔をなさっている」

「ああ。初めて見るお顔だな」

 小十郎と綱元も頷く。成実に言われるまでもなく、小十郎も初めて彰子と話をしたときからずっとそう願っているのだ。

「Don't talk drivel.」

 3人の言葉を政宗は聞き咎め、厳しい声を発した。それを最も願っているのは自分だ。けれどそれは決して願ってはいけないことなのだ。どんなに自分が彰子の存在を欲し、傍に置くことを切望していたとしても。

「あいつが生きるのはこの世界じゃねぇ。あいつはいつか還るんだ。愛しい男の許へな」

 それこそが彰子にとって最も幸福な道なのだ。こんな戦国乱世にいるべきではない。平和で豊かな平成の世で相思相愛の恋人と共に幸福に暮らすべきなのだ。

 政宗の心そのままに重く切ない声に誰もが言葉を失う。

「政宗もこじゅもつなももなるみも色々考えすぎんなよ。ケセラセラ。なるようになる。なるようにしかならねーんだよ。俺らが元の世界に帰れるんならお前らが如何しようが帰るし、還れないんならかーちゃんが泣き叫ぼうが還れない。俺らやお前らの力じゃどーにもならねーんだからさ。今を精一杯後悔しないようにするしかねーじゃん」

 猫らしからぬ、何処か達観したことを萌葱が言う。普段のやんちゃ猫からは想像もつかない大人びた声音だった。

「……そうだな、萌葱。オレたちが如何考えようが、如何にもならねぇことはあるんだ。彰子が還れるのか如何かは神のみぞ知るってところだろうな」

 幾分落ち着いた声で政宗が応じ、他の3人も頷く。自分たちがあれこれ思案しても仕方がない。全ては人知の及ばぬ神々の領域の事象なのだから。






 けれど、それでも。

 彰子にこの世界に留まってほしいと願わずにはいられないの三傑だった。

 何よりも敬愛する主君の幸福の為に。