「ここが青葉城……」
彰子は城を見上げ呆然とした。何やら自分の記憶にある青葉城とはかなり違う気がする。まぁ、異世界なのだから仕方ないかと彰子は思い直し、政宗の後に続いて建物の中へと入った。
上田城を出発してから4日目、一行は漸く奥州は青葉城に辿り着いた。政宗と小十郎の往路から考えればひどくゆったりとしたペースでの復路ではあった。彰子はこんなペースでいいのかと心配したのだが、政宗は『No Problem』と取り合わず、頼みの小十郎も『余りに早く戻っては御方様の受け入れ準備が整いませんので』と容認。そう言われてしまえば彰子もそういうものかと納得せざるを得ず、あまり疲れることなくのんびりと奥州までの旅を楽しんだ。
実は彰子は完全に西日本の人間である。生まれ育ったのは九州。就職してからは転勤で何箇所かを移動したが、それも全て西日本だった。旅行するのも関西が中心で、稀に東京にライブや舞台を見に行く程度。やり直しトリップによって東京在住となったが、東京以北に行ったのは某ネズミの国くらいなもので、あれは北というよりも東といったほうがいいだろう。毎年2回は部活の合宿で長野に行っていたから、それが最北ということになるだろうか。
つまり、彰子の人生の中で初めての東北地方というわけで、また時代も違っている(それどころか世界が違うのだが)為、彰子は道中の見るもの聞くもの全て興味深く、ゆったりとしたペースの旅路は有り難くはあったのだ。
「I'm home.今帰った」
政宗は出迎えの侍女にそう告げる。出迎えた家臣がその侍女一人しかいないことを彰子は意外に感じた。政宗は側近以外には殆ど何も告げずに甲斐にやってきたと言っていたから、怒った老臣たちが待ち構えているのではないかと思ったのだ。政宗もそれを予想していたようで、帰路では少々愚痴めいたことを零していたくらいだった。
「お帰りなさいませ、政宗様。ご重臣方は広間にてお待ちにございまする」
侍女は政宗の視線からその問いを正確に読み取り応じる。つまり出迎えではなく、広間で事情説明を受ける為に待機しているというわけだ。
「I see.大方綱元の差し金か」
「御意」
侍女の言葉を受けて政宗は軽く息をつくと、彰子を振り返った。
「Pardon,Honey.オレが案内してやりてぇところだが、爺どもが手薬煉引いて待ってやがる」
聊かうんざりとしたような表情の政宗だ。恐らくこれから突然甲斐へ単独(正確には二人だが)で行ったことや勝手に同盟を結んだことを責められるのだろう。
「仕方ないよ。気にしないで。半月近く留守にしてたんだから色々お仕事もあるだろうし」
自分の為に政宗は甲斐に来てくれたのだ。彰子にしてみれば申し訳なく思いこそすれ、政宗に謝られる謂われはない。初めての場所で心細くないと言えば嘘になるが、これ以上自分の為に政宗の時間を割いてもらうわけにはいかない。政宗は城主であり奥州筆頭なのだ。ゆえにそう言って政宗に広間へ行くように促した。
「喜多。彰子のことを頼む。小十郎、行くぞ」
幾分後ろ髪を引かれる思いをしながらも、政宗とて老臣たちを蔑ろにするわけにもいかず、再度『Sorry』と詫びると、小十郎を伴って広間へと向かった。
「彰子様、こちらへ」
政宗と小十郎の姿が見えなくなると、喜多は彰子を促して廊を進み始めた。政宗たちが向かったのとは逆方向になる。恐らく政宗たちが向かったのは政庁部分であり、これから自分たちが向かうのは居住エリアなのだろうと彰子は推測した。
決して短くはない距離を喜多の後ろからついて行きながら、彰子は少々緊張をしていた。目の前を歩いているのは喜多だ。政宗の乳母であり女中衆を束ねている人物。恐らく政宗の生母・保春院(今は義姫かお東の方と呼ばれているのだろうが)に次ぐこの城の女性の中ではNo.2の人物に違いない。とすれば、彼女との関係は今後の彰子の生活に大きな影響を与えるであろうことは想像に難くない。
(喜多さんかぁ。ちょっとイメージと違ったな)
すっと背筋を伸ばし流れるような足捌きで前を歩む喜多の後ろ姿を彰子は眺める。彰子にとっての『喜多』のイメージといえば当然ながら某大河ドラマの竹下景子である。が、目の前の女性はかの女優さんとは全く違っていた。当たり前といえば当たり前のことだ。その目力といい身に纏う雰囲気といい、竹下景子というよりは高島礼子といったほうが近いかもしれない。思わず『姐さん』と言いたくなる感じだった。
(高島礼子といえば、ヤマトの佐渡先生やるんだよな。ヤマトは12月公開だったけど……それまでに帰れるかなぁ)
ぼんやりとそんなことを考えながら彰子は大人しく喜多に先導されるまま後を付いて行った。
「こちらにございます」
「ここが……」
案内された部屋を見て、彰子は呆然とする。無理もないだろう。そこは2間続きの広い部屋だった。それぞれ20畳近くあるのではないかという広さだ。しかも、帳台、几帳、螺鈿細工や蒔絵の入った箪笥・長持など一目で高価と判る調度類が整えられているのだ。
「戸惑われるのも無理からぬこととは存じますが、彰子様は殿の初めてのご側室様でございますゆえ、ご辛抱いただきたく」
静かな喜多の声に彰子はハッと我に返る。もう少しで『もっと質素でこじんまりとした部屋にしてください』と言ってしまうところだった。仮令本来は一介の庶民に過ぎなくとも、今は『奥州筆頭の側室』であり『武田家重臣上田城主・真田幸村の姉』という身分なのだ。それに相応しい待遇を受けなければ、政宗や幸村の立場と体面を損なうことになる。
「然様にございますね。わたくし自身には過分なものでも、政宗様や幸村殿のお立場もございましょう」
一つ息をついて、彰子は部屋の中に入った。部屋のほぼ中央に立って彰子は室内を見渡す。後ろを大人しく付いてきていた真朱たちは物珍しそうに部屋の中を見回している。その間に喜多は彰子の座を整えていた。
「彰子様、お疲れになられましたでしょう。お寛ぎくださいませ」
「ありがとうございます」
喜多に促され彰子は用意された円座に座る。当然のようにそれは上座に用意されていて、喜多はこれまた当然のように彰子の下座に座っている。
(喜多さんと私の身分関係って如何なるんだろう)
喜多は恐らく現在は義姫に次ぐ第2位の身分の女性なのだろう。江戸時代の大奥に当て嵌めれば大奥総取締といったところか。大奥に準えれば、一番身分が高いのは正室である御台所でその次が大奥総取締。側室は世継ぎの母親でもなければ身分そのものは高くなかったはずだ。だとすれば、側室である自分は喜多よりも身分は下になるんじゃないのだろうか。
「彰子様付きの侍女には後ほどご挨拶をさせます。まずは詳細を知らぬ者がおらぬほうがよろしゅうございましょう」
再び自分の思考に沈みかけていた彰子は、喜多の言葉に意識を現実に引き戻す。
「喜多様は全てご存じであられるのですね」
喜多は言葉には出さず微笑んで頷くと、何処へともなく声をかける。
「小督、彰子様と大切なお話があります。呼ぶまで下がっていなさい。誰も近づけぬように」
その言葉に『ああ、やっぱり小督さんは天井裏辺りに忍んでたんだ』とぼんやりと彰子は思う。ちょっと監視されてるようで居心地が悪い。護衛の為とは判っているが、慣れないものは慣れないのだ。
「改めまして、ご挨拶申し上げます。政宗様の乳母にて、現在奥を束ねるお役目を頂いております喜多にございます」
すっと喜多は一礼する。その礼は流石武芸の嗜みも深く小十郎の姉だと思わせる凛としたものだった。
「長岡彰子と申します。これからお世話になります、喜多様」
彰子も失礼のないようにと丁寧な礼を返す。帰還までの間、喜多には一番世話になるだろうことは容易に想像がつくことだ。
「わたくしの本当の事情を御存じであられるのは、喜多様の他は鬼庭綱元様と伊達成実様のお二方のみ、政宗さ……様と片倉小十郎様を含めて5人の方だけということでよろしいのでしょうか」
それによって気の張り方も違ってくるから、彰子は改めて確認をする。
「もう一人、黒脛巾頭領である柳原戸兵衛と申す者も存じております。尤も柳原殿が彰子様と対面することはございませんでしょうが。他の者たちは甲斐にて政宗様が見初められ、信玄公と真田殿に請うて貰いうけた真田家の姫と思うております」
「では、6人の方以外の前では襤褸が出ないようにしないといけませんね」
異世界人というのを隠すという点においては上田城の頃と変わりはないが、ここでは『真田幸村の姉』という設定もついて回る。自分がおかしなことをすればそれは即幸村の立場にも障るわけで、彰子としてはこれまで以上に気を張らなければならない。
「これまでの彰子様のお振る舞いを拝見致しまして、そのままでなんら問題はないように見受けられますゆえ、お気を楽になさいませ」
如何やら話に聞いていたとおり、根は生真面目な方のようだと内心で喜多は苦笑する。立ち居振る舞いは見る限り問題はなさそうだから、然程心配はいらないだろうにと。
「ありがとうございます。されど、わたくしの振舞によっては弟幸村の障りにもなりかねませぬゆえ、おかしなところがございましたら、何卒ご指南いただきたく存じます」
何処にどんな目があるか判らないのだから、常に真田の姫らしくしておこうと彰子は言葉遣いを改めた。本当なら青葉城に入った時からそうすべきだったと今更ながらに気付いたのだ。如何やら政宗と過ごしていた間に気が緩んでいたようだ。
「そのお言葉遣いでございましたら、彰子様の出自を疑う者もございますまい。されど、わたくしの前ではどうぞ彰子様のよいようにお話しくださいませ。お疲れになられますでしょうに」
やはり真面目な方だとつい喜多は笑いが漏れた。決して侮ったわけではなく、純粋に好意的な笑いだった。
「助かります。武家風を取り繕うと舌を噛みそうになるので」
喜多の言葉に彰子はホッとする。やはりなんちゃって武家女性の言葉遣いは肩が凝ってしまう。
「それに彰子様に接する者は然程多くはございませぬゆえ、あまりお気を張る必要もございますまい」
彰子は側室なのだから、正室と違って奥を束ねる役目があるわけでもない。従って、家臣たちと会う必要もないのだ。身の回りの世話をする数名とだけ接すればいいのである。そして、傍仕えの侍女も政宗の意向もあって、一人の奥女中と小督の二人しかつけないことになっている。彰子がいつ帰還してしまうか判らないこともあり、接する人数は最小限に留めるというわけだった。
そう喜多に説明されて彰子は心底ホッとした。元々が庶民なのだ。お付きの侍女なんて如何接していいのか判らない。ただ、この世界は身分社会なわけで、一応それなりの武家の姫という身分を貰っている現在、ただの一人も侍女をつけないというわけにもいかないだろうことは彰子も承知している。
「色々なご配慮、本当にありがとうございます」
彰子は心からの感謝を込めて喜多に頭を下げる。
「お気になさいますな、彰子様。あちらの世界で我が殿が受けた恩義をお返ししているだけにございます。どうかご滞在の間はここを我が家と思うて、お気を易くしてお過ごしくださいませ」
にっこりと微笑み、喜多は応じる。元々喜多は彰子に対して好意を持っていた。政宗から聞いていた話もあるし、小督の報告もある。政宗や彰子が躑躅ヶ崎館に行っている間、小督は一旦状況報告の為に奥州に戻っていた。その際、小督は自分が接した彰子の様子の他、上田での彰子の評判も聞き集め報告していたのだ。
それらの報告は喜多に更に彰子への好意を深めるものでもあった。慎み深く聡明で優しい人柄、公家の姫と思わせる立ち居振舞の優雅さを持った女性──上田での彰子の評判はそういったかなり好意的なものなのだ。恐らく彰子や政宗がそれを聞けば大笑いするだろうし、実際政宗は『どれだけでかい猫被ってたんだ、Honey』と彰子を揶揄ったほどだ。
「ありがとうございます、喜多様。ご厚意有り難く頂戴致します」
自分が政宗にしたことなどそれほど大したことではないとは思うが、厚意に甘える身であれこれ言うのも憚られる。どれくらいの滞在になるかは判らないが、政宗や小十郎に相談して出来ることがあればさせてもらおうと彰子は思った。やはり徒飯食らいは気が引けるのだ。
「さて、彰子様、そろそろお召し換えを。いつまでもそのお姿でいていただくわけにも参りませぬゆえ」
喜多に言われて彰子は自分の格好を思い出した。そういえば今は男装しているのだ。素襖に袴、髪も現代風にいえばポニーテールだから、流石にこの格好のままではいられないだろう。本当はこの姿のほうが動きやすくて好きなのだが。
取り敢えず上田から送られてきた荷の中から適当な小袖を選びそれに着替えることにする。奥州側でも彰子の為の衣類は準備をしてあったが、ここは敢えて上田──真田家が準備した物を着ることにした。これは彰子なりのけじめのようなものだった。本来の姿は如何あれ今は幸村の姉という立場なのだから、少なくとも必要な人への挨拶が終わるまでは上田の物を身につけようというわけだ。尤も誰に挨拶をすれば『必要な人への挨拶』が終わったことになるのかはよく判っていないのだが。
「普通、側室って、政宗さんの……政宗様のご両親様へのご挨拶ってしないんですよね?」
「然様でございます。お付きの者をご紹介致しましたら、他には彰子様がお会いになる必要のある者はおりませぬ。尤も、成実様や綱元は彰子様に是非お目通り願いたいと思うておりましょうが」
「あ、成実さんや綱元さんなら私も是非お会いしたいです。あちらの世界で散々政宗さ……まからお話を伺っていて」
政宗さんと言いかけて慌てて様と言い直す彰子に喜多は苦笑する。
「彰子様、先ほど申し上げましたように、話しやすいようにお話しくださってよいのですよ。わたくしの前では『さん』で結構ですわ。政宗様もそれでよいと仰せなのでございましょう」
「ええ。でも、慣れておかないと、何処で襤褸を出してしまうか判らないので……」
そう答えつつも、自分と接するのはほんの数名だから別に構わないのかなとも思う。まぁ、なるようになるだろうと早くも彰子は開き直り始めた。
「では、彰子様付きとなる者を紹介致します。呼んでまいりますので、暫くお待ちくださいませ」
着替えも済み、一通り聞かれては拙い話も終わったということで、喜多は一旦下がって行った。すると、これまで無言を通し、部屋の隅で大人しくしていた真朱たちが彰子の許へ駆け寄ってきた。
「ママ、これからのことですけれど。わたくしたちが人の言葉を話せること、お付きの侍女さんたちにも教えておいたほうがよいですわよね」
「だなー。じゃねーとさ、俺たちかーちゃんと殆ど喋れなくね?」
「お付きの侍女って人は殆どおかーさんと一緒にいるんでしょ?」
3匹は堰を切ったように言葉を発する。ずっと話をしたくてうずうずしていたのだろう。
「それもそうだね。確か喜多さんは知ってるはずだけど、侍女の人と小督さんには真朱たちが喋れることちゃんと説明しておいたほうがいいよね」
びっくりするだろうなぁと思いつつも、猫たちとのお喋りは日常のことなのでそれを隠すことは難しいだろう。隠し通そうとしてもついうっかり萌葱か撫子が口を滑らせるに違いない。そもそも政宗にばれたのも萌葱がうっかり政宗の言葉に反応した所為だったのだし。
「じゃあ、わたくしから説明することに致しますね、ママ。ママはわたくしたちが化け猫ではないということだけ説明してくだされば充分ですわ」
「えっ、ねーちゃんは充分バケネコだろ?」
「人間語喋れて、パソコン使えて、携帯使えるんだから充分バケネコだよね。二足歩行したり空飛んだりしないのが不思議なくらいだもん、ママって」
「お黙り、萌葱。いきなり虎になったお前に比べれば、己の努力で習得したわたくしは充分に普通の猫です。お前こそ変身なんてして化け猫ではありませんか」
「俺は家族を守るという、実に男らしい決意をしたらこうなっちまっただけでさ、別に虎になりたいって思ったわけじゃねーぞ」
「もー、ママもパパも充分バケネコだって。普通の子は私だけー」
「ねーちゃんと俺がバケネコならその娘のお前だってバケネコだろうが」
「えー、違うもーん。私は可愛い普通の猫だもーん」
すっかり話題が逸れてぎゃいぎゃいと可愛らしい兄弟喧嘩(或いは夫婦喧嘩に親子喧嘩)をしている猫たちに彰子はついつい笑いが漏れる。如何やら奥州に──政宗の許に来たことで猫たちも随分緊張がほぐれたようだった。上田ではまさに『借りてきた猫』のように大人しかったのだ(飽くまでも当猫比)。
「真朱も萌葱も撫子もママの可愛い子供だよ。化け猫でもそうじゃなくても大事な大事な、ね」
ずっと側にいてくれたこの猫たちにどれだけ彰子の心は救われてきたことか。何よりも大切な家族だった。
「ママ……」
真朱も萌葱も撫子も嬉しそうに彰子に擦り寄ってきた。真朱と撫子は彰子の膝の上に乗り、甘えるように体を擦り付けてくる。そして萌葱も額を彰子の体に摺り寄せ……その力の所為で彰子を転がしてしまい、結果妻と娘からライダーキックを食らってしまうのであった。
数分後、喜多が二人の女性を伴って戻ってきた。一人はいつもの細作装束から小袖姿に衣を替えた小督だ。本来の勤めは彰子の護衛だが、彰子付き侍女の数を絞ったことにより、影ながらの護衛ではなく、普段は侍女として側にいることになったのである。
そしてもう一人。彰子とほぼ同年代と思われる女性がいた。
「衛門にございます。まだ歳は若うございますが、目端も利き気も働きますゆえ、此度彰子様付きと致しました」
彰子の前に座り、頭を垂れている衛門を喜多が紹介する。何れ政宗が正室を迎えた折にはその傍仕えにしようと喜多が目をかけてきた女中だった。
「衛門さんですね。顔を上げてください」
彰子の声を受けて衛門は顔を上げる。取り立てて美女というわけではないが、人好きのする愛嬌のある顔立ちの少女だった。きちんと彰子の目を見つめてくるところに彰子は好感を持った。時代によっては相手の目を見つめることは礼を失するとされることもあるが、彰子としては目をきちんと合わせない者を信用する気にはなれないのだ。
「彰子と申します。まだ奥州には不慣れで判らぬことも多い身ですので、何卒よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願い致しまする。心を込めて御方様にお仕え致します」
ハキハキとした声で応じる衛門に彰子は笑みを返す。少なくとも第一印象は悪くない。これから最も身近に接することになるだろう相手が苦手なタイプではなくて良かったと彰子は安心した。
「小督さんもこれから改めてよろしくお願いします」
「御意。されど、御方様。わたくしどものことは衛門、小督とお呼び下さいますよう。我らは御方様付きの侍女にございますれば、お言葉遣いも……」
「もー、小督さんってば、いい加減に諦めればいいのにー。ずっとおかーさん、言葉遣い変わらないんだしさ」
小督の言葉を遮ったのは、まだ喋る予定ではなかったはずの撫子だった。当然、突然喋った猫に小督も衛門も驚いている。
「これ、撫子。またお前は……」
呆れたように溜息をつき、真朱が撫子を窘めるが後の祭だ。これには彰子も苦笑するしかなかった。
「驚かせてしまってごめんなさい。改めて紹介するわ。この子たちは私の家族同然の猫と虎で、真朱と撫子、それから虎の萌葱というの。人の言葉を話すけれど、化け猫などではないから安心してね」
とはいってもすぐに安心出来るものではない。衛門と小督は驚愕さめやらぬ表情でじっと猫たちを見つめている。とはいえ、小督が武器を構えていないのは既に少なくとも『護衛』を共にした者として萌葱への信頼があったからである。
「これから長い時間を一緒に過ごすことになるでしょ。隠しておくのは無理だと思って」
「わたくしたち、人の言葉を話しますけれど、他は普通の猫と変わりませんの。彰子様とお話しがしたくて、幼い頃から一所懸命人の言葉を練習して話せるようになっただけですから」
普通は練習したからといって話せるようになるとは限らないのだが、まぁ、この際それは棚に上げておく。
「南蛮渡来の鸚鵡とやらは人の言葉を話せるといいますが、それと同じでございますね」
既に知っている喜多がフォローするように言葉を添えてくれたことで、その存在を知っていた小督も衛門も何とか納得してくれたようだった。
「というわけで、これからよろしくお願いしますね、衛門、小督」
ニッコリと笑って、『御方様』彰子よりもそれらしい態度で告げる真朱であった。