佐助は山の中を駆けていた。緊急を要する任務のときのように、ほぼ全力で駆け抜けている。
(城を出たのが未の下刻だから、戌の下刻くらいには竜の旦那のところに辿り着けるかね)
猫たちから携帯電話を預かった後、帰ってきた幸村に奥州に行きたい旨を伝えた。如何やら彰子が伊達政宗と何らかの
(竜の旦那……ねぇ)
少しも速度を緩めることなく、佐助は真朱たちの言葉を思い出した。
正直なところ、佐助としては面白くなかった。この世界に自分たちの他に彰子を知る者がいるということ。しかも、それが自分たち以上に彰子に信頼されている人物であることが。自分たちも浅からぬ関係のある見知った人物である分、その気持ちは余計に強かった。
猫たちの態度や言葉から、真朱たちが政宗にかなりの信頼を寄せ、好意を持っていることは察することが出来た。萌葱の『政宗は俺の子分だし』という言葉には笑いを禁じ得なかったが、萌葱がそう言い政宗がそれを許すくらいの信頼関係は、猫たちと政宗との間に確立されているのだろう。そして、あの猫たちがそれほどの信頼を政宗に寄せるのは、主である彰子が政宗を信頼しているからに他ならないということは容易に想像出来た。
佐助は別に彰子に特別な感情を抱いているわけではない。異世界の未来人という彼女に好奇心による興味は持っているし、平和呆けした危機感のなさに庇護欲を感じるのも事実だが、そこに男女間の艶っぽいものは欠片もない。
ただ、もし彰子が元の世界に戻れないのであれば、主・幸村の室になってくれたらいいなぁという望みはある。彰子の知識や判断力は甲斐にとっても幸村にとっても有益だと思っている。逆にいえば、下手な相手に渡ってしまえば厄介な存在だ。信玄がもう少し若ければ側室に勧めたかもしれない。
そういった真田忍隊の長としての判断と共に、幸村への個人的な好意からも、彰子のような女性に幸村の傍にいてほしいとも思うのだ。何せ、女性には異様なほど晩生な幸村だ。その幸村が構えることなく接することが出来る彰子は貴重な存在だった。
真朱たちは政宗が自分たちの知る人物であれば、即上田に駆けつけてくるだろうと自信たっぷりに言っていた。もしかしたら、彰子と政宗が再会したら、彰子は奥州へ行くことになるのかもしれない。それは面白くない。けれど、色々複雑な思いがあるにしろ、今はまず、彰子の状況を改善するほうが先だ。
彰子は隠しているが、徐々に体が弱っているのは知っている。相変わらず睡眠は充分でなく、食事も僅かばかり口にする程度だから、当然だろう。そんな状況を何とか出来るのであれば、政宗に頼むことを躊躇う理由はない。流石にこれが第六天魔王織田信長とかだったら、思いっきり躊躇って他の方法を考えただろうが。
(まずは竜の旦那が彰子ちゃんたちの知ってる『伊達政宗』かどうか確かめるのが先決だよな)
佐助の懐には真朱から預かったカラクリが収められている。携帯電話という名前のそのカラクリは精密機械というものらしく、絶対に水に浸けないことと落としたりして衝撃を与えないことを厳命されている。佐助としても興味はあるものの、今はそれを詳しく調べている時間もない。上田に帰ったら改めて彰子や猫たちに見せてもらえばいいだろう。
そんなことを考えつつ、佐助は奥州・青葉城への道をひた走ったのであった。
佐助が青葉城に到着したのは予想通り戌の下刻(午後9時ごろ)だった。城内に潜り込むのは然程難しいことではない。伊達の細作である黒脛巾組が警戒をしているが佐助の敵ではない。これまでに何度も城内に忍び込んで偵察をしているの佐助である。
それに今回は偵察でもなんでもなく、ちゃんとしたお使いである。念の為に幸村から書状も預かっている。
そういえば、旦那は字が随分巧くなったよなぁと佐助は思う。執務の合間を縫って彰子に手習いを見てもらっている成果が出ているのだ。元々筋は良かったらしく、彰子も無理に幸村の文字を矯正するのではなく、本来の幸村らしさに丁寧さを加えて読みやすい文字を書くように指導していたようだった。如何やら幸村の場合悪筆というよりも『人に読ませる』『誰にとっても読みやすい』という意識が欠けていただけのようで、それを意識させただけで随分改善したようだった。
佐助は周囲の気配を探りながら、城の内部へと進んでいく。城主である政宗の居室は城の奥深くにあり、当然警備も厳しいはずだった。それでも発見されることなく、佐助は政宗の部屋の屋根裏へと辿り着く。部屋には政宗だけではなくその片腕である小十郎の姿もあった。恐らく何かの打ち合わせか相談をしているのだろう。
佐助は懐から携帯電話を取り出し、天井裏から室内に声をかけた。姿を現してから携帯電話を取り出すのでは、武器を取り出すと勘違いされる可能性もある。また、政宗一人ならともかく、2対1では刀を向けられたらかなり拙い。だから、敵意はないと示す為にも声をかけることにしたのだ。
「竜の旦那、右目の旦那。話があるんだけどさ。降りてもいいかい?」
佐助の声に鋭い視線が過たず自分のいる場所に向けられる。有能な細作である佐助は気配を消していればほぼ見つかることはない。気配を消している自分を見つけることが出来るのは、自分と同等以上の腕を持つ同じ細作だけだろう。
「降りて来い」
政宗の声を合図に佐助は二人の正面に降り立つ。これも敵意がないことを示す為に、長刀の間合いの内に。
「何しに来やがった、猿」
低い声で小十郎が言う。政宗は座ったままだが、小十郎は佐助がおかしな動きをすればすぐに斬るというように、既に立ち上がり刀に手をかけている。
無理もない。今は奥州と甲斐は戦争状態にこそないが、元々は天下を相争う敵同士だ。互いに同盟を組む為の方策を模索しているようではあるが、未だ同盟を結ぶには至っていない。
「言っただろ。話があるんだけどって」
肩を軽く竦めて佐助は応じる。態度は軽いながらも佐助は目の端で政宗の様子を捕らえている。その政宗は突然やって来た甲斐の細作に動じることなく、隻眼で佐助をじっと見つめる。その眼光の鋭さに佐助は信玄と同じ一国の主としての力強さを感じ取り、やはり一筋縄ではいかない手強い相手だと実感する。彰子を幸村に娶わせる為に一番の障害は目の前の独眼竜だろうと。
「用事はこれだよ」
掌に載せた携帯電話を見せた瞬間、政宗の様子が一変する。
「如何しててめぇがこれを持ってやがるんだ!? これは……ここにあるはずのねぇもんだ」
険しさを増す政宗の眼光。しかし、その目には僅かばかりの動揺も見て取れた。
「手にとって確認してみなよ。竜の旦那が知ってる物なのかどうかをね」
佐助の言葉に小十郎を介して政宗は携帯電話を手に取り、折りたたみ式のそれを開く。電源を入れると画面に明かりが点り、画像が表示される。
その画像を見て、政宗は我知らず穏やかな笑みを浮かべた。懐かしさがこみ上げてくる。別れた日から1日たりとも忘れたことのない、愛しい女とその家族の姿がそこにはあった。
「……彰子……真朱、萌葱、撫子……」
待ち受け画面に設定されているのは、最後の日に撮った写真だった。彰子と政宗が並び、真朱が政宗の腕の中に抱かれ、萌葱と撫子はそれぞれ政宗と彰子の肩に乗っている。紛れもなく、これは真朱たち猫の携帯電話だと政宗は確信する。
政宗は慣れた手つきで携帯電話を操作し、ボイスメッセージがあることに気付く。再生するとそれは真朱の声だった。
『このメッセージに気付いたのであれば、わたくしたちの知る政宗ですわね。安心しました。詳しい事情は今は省きますが、ママとわたくしたち、こちらの世界に来てしまいましたの。ママを迎えに来なさい、政宗。いいですわね。大至急ですわよ』
相変わらずの真朱の口調に政宗は苦笑を漏らす。自分にここまで上から物を言える者など、この世界には殆どいないというのに、それをいとも簡単にやってしまうのが真朱だった。
一方の佐助は、自分にはさっぱり使い方の判らない携帯電話を簡単に扱う政宗を見て安堵していた。携帯電話を見て反応を示したこと、あっさりとそれを操作していたことから考えて、彰子や真朱が知る政宗が目の前の人物と同一であることがはっきりしたのだ。何よりも政宗は携帯電話を見てはっきりと『彰子』と彼女の名を呟いていた。
「彰子と真朱がこっちに来てるんだな?」
幾分険しさの和らいだ目で政宗は佐助を見つめる。
「ああ、萌葱と撫子も来てるよ」
佐助はそう頷いて、約2ヶ月前の彰子との出会いから現在に至る状況を説明した。
「……こっちに来て3ヶ月にもなるのか……」
政宗はそう呟くと、それまで何も言わずに黙って主の行動を見守っていた小十郎に向き直る。
「小十郎、彰子がこっちに来てる。これから迎えに行く」
政宗はそう言うや、刀を掴みそのまま部屋を出て行こうとする。それには流石の佐助も驚く。これから夜も更けるし、政宗の格好は気楽な部屋着そのものの着流し同然の姿だ。それを刀を掴んだだけで出て行こうとは……。どれだけ気が逸ってるんだと心の中で佐助は突っ込む。
「お待ちください、政宗様。まさかお一人で上田へ出向かれるお心算ですか」
だが、小十郎は政宗のこういった行動には慣れているのか、一向に動じることなく、至極冷静に政宗に問いかける。
「オレについて来れるヤツはいねぇだろ。足手纏いだ」
そう告げる政宗に、小十郎は苦笑を漏らす。とにもかくにも一刻も早く彰子に会いたいと容易に察せられる政宗の態度だった。無理もない。二度と会えないと判っていながらも、政宗の心の中から彰子の面影は消えなかったのだから。
確かに政宗の馬術は伊達軍でも群を抜いている。馬も最高の駿馬だ。政宗が本気で馬を飛ばせばついて来られる者などほぼいない。行軍の際にも無茶な馬の飛ばし方をしているように見えるが、あれは他の者に合わせてかなり速度を抑えているのだ。
「この小十郎が政宗様に遅れを取るとでも?」
つまり同行するのは小十郎というわけで、その言葉に政宗はニヤリと笑う。
「Ha! Sorry.お前なら問題ない」
政宗はそう応じることで小十郎が随従することを許可する。小十郎は政宗の武芸全般の師でもあり、未だに政宗は剣でも馬術でも小十郎には勝てないでいる。尤も、流石に三十路手前の小十郎と10代の政宗では体力が違ってきており、持久戦に持ち込めば政宗が勝てないこともない。大抵はそうなる前に小十郎が勝負を決めるのではあるが。
「今から向かえば、夜明け前には上田に着けるはずだ」
そう言ってすぐにでも出立しようとする政宗に小十郎は苦笑し、佐助は呆れる。どんだけ彰子に会いたいんだよと。
「政宗様、夜明け前に着いたとしても、そのように早い時刻では彰子殿も戸惑われますぞ。ご出立は夜明けまでお待ちいただきます。それまでに早急に煮詰めねばならぬ話がございますれば」
前半は苦笑し、後半は伊達軍の軍師の顔になり、小十郎は政宗を留める。その小十郎の声と言葉に、政宗は一瞬で『奥州筆頭』の顔を取り戻す。──今までは、ただの恋する男の子の顔になっていたのだ。
「I see.そうだな。折角甲斐まで行くんだからな」
政宗は頷くと部屋の中に戻り、円座の上に腰を落ち着ける。この世界に戻ってきてから密かに準備を進めていた甲斐との同盟。上田──甲斐にまで出向くのであれば、それを直接武田信玄に打診するいい機会だった。
「猿飛、先に真田に伝えてくれ。政宗様と自分が上田に向かうと。その上で、甲斐の虎とも面談したいと」
政宗が自分の意を理解したのを確認すると、小十郎は佐助に向かいそう告げる。佐助もそれが如何いう意味を持つのかを理解しており、『了解』とだけ応じると、政宗に向き直る。
「そのケイタイってカラクリは竜の旦那に預けておくけどさ、絶対壊したり失くしたりしないでよ。壊したりしたら、俺様が真朱に怒られるからさ。あいつ怖いよ」
体は小さいが、態度はでかい。迫力は虎の萌葱よりも上だ。ぶっちゃけ、母親に睨まれるような感じで真朱は怖い。
「OK.真朱の怖さはオレもよーく知ってるからな。特に彰子が絡んだときの怖さにゃ魔王のおっさんもきっと裸足で逃げ出すぜ」
どんだけ怖いんだ、真朱……と佐助は苦笑を零し、青葉城を後にする。滞在時間は半刻にも満たない。今から戻れば夜明け前には──丑の下刻頃には上田に戻れるだろう。一晩で上田と青葉城を往復など過剰労働もいいところだ。
とはいえ、これは任務ではない。一応幸村は奥州へ行けと命じてはくれたが、それは後から佐助や彰子が咎められないようにする為の幸村の配慮だ。飽くまでも今回の奥州行きは佐助の個人的な感情から出ている行動だった。
(まさか、この俺様が任務とは全然関係ないことで必死になるなんてねぇ……)
自嘲の笑みを浮かべつつ、佐助は上田への道を駆け抜ける。疲れているはずなのに足は軽い。
あの政宗の様子からして、明日の午前中には政宗は上田城にやってくるだろう。そして彰子と再会する。そうすれば、彰子の状態は良くなるはずだ。誰よりも彰子の傍にいて理解している真朱たちが政宗を呼び寄せたのだから、必ずそうなる。
少しばかり寂しい気もしたが、状況が良くなるのは喜ばしいことだった。
不安のほうが勝った往路よりも、安心した復路は心が軽い気がして、佐助の速度は増していった。
──別れの予感に胸が痛んだのには、気付かないふりをして。