赤い人。

 萌葱と撫子は先日佐助を拾った場所へと来ていた。そこには佐助に傷を負わせたクナイが落ちている。

「やっぱり毒の臭いがするな」

 クンクンと臭いを嗅いだ萌葱は用心深くそれを爪でひっかけ、持ってきた桶に入れる。

「撫子、他になんか手がかりになりそーなもん、落ちてねーか?」

「なんもなさそーだよ。っていうか、佐助襲ったヤツの死体もないね」

「野犬あたりが食っちまったのかもなー。ここらへん、狼いるし」

 実は狼のボスと話をつけ、暫定的に共存OKの許可をもぎ取っていた萌葱である。彰子も真朱も知らないところで、萌葱は家族の安全の為に頑張っていたのだ。

「よし、戻るか。かーちゃんと佐助を二人っきりにしとくのも心配だしな」

「まだ歩けないから心配はいらないだろうけどねー」

 そんなことを言いつつ、撫子は萌葱の背に乗り、萌葱は走り始める。数分走ったところで撫子はあるものを発見する。

「パパ、ちょっと止まって」

 父にそう呼びかけて、不思議そうな萌葱に森の奥を指し示す。

「あれ、アニメの赤いヤツだよな」

 撫子の示すものを見た萌葱は呟く。視線の先には馬に跨り、ライダージャケットのような赤い鎧(あれは鎧の役目を果たしているとは思えないと常々家族で話題になっている)を着た青年がいる。

「だったら、佐助の上司だよね。おやかたさむぁぁぁぁぁって叫ぶ人でしょ」

「かーちゃんに報告すっか」

「だね」

「急ぐから確り捕まってろよ」

 萌葱は娘にそう声をかけると、飛ぶように走り始めた。その勢いのまま小屋に飛び込んだので、危うく戸を蹴破るところだったのだが。

 あまりの勢いに呆然としている彰子の腕を引っ張り小屋の外に連れ出すと、萌葱と撫子は見てきたものを彰子に報告する。

「撫子、本当に幸村だった?」

「うん。何度か『さぁすぅけぇぇぇぇぇ』って叫んでるの聞いたし」

 あんなに叫んでよく喉平気だよねーなどと暢気な感想を撫子は付け加える。

「佐助に言って、場合によっては萌葱に誘導してもらうことになるかも。ちょっと待っててね」

 彰子は萌葱からクナイ入りの桶を受け取り、小屋に戻る。そして何事かと心配そうに自分を見る佐助に向かって言った。

「萌葱たちが全身赤くて『さぁすぅけぇぇぇぇ』って叫びまわってる10代後半の青年武将を見かけたらしいんだけど、知り合い?」

 それが真田幸村であることは判っているが、それは言えない。ゲーム画面とアニメで見たから知ってたなんて到底言えない。だから、そんな聞き方を彰子はした。

「あー、俺の上司かもしれない」

 彰子の表現に佐助は苦笑を零す。大声で叫びまわる幸村の姿が目に浮かぶようだった。

「だったら、迎えに来てもらおうか」

 佐助はまだ動けないが、味方が迎えに来てくれたのであれば帰還可能だ。潜入していた間者のこともあるし、一刻も早く帰還し対策を練ったほうがいいだろう。

「じゃあ、ここまで萌葱に誘導させるから、その上着貸して」

 頷いた佐助から迷彩がらのポンチョを借り受け、彰子はそれを萌葱に咥えさせる。

「真田幸村様をここまで連れて来てね、萌葱」

 まさか佐助の前で普段のように『ユッキー』なんて言えないから、これまでしたことなかった様付け。彰子の言葉に頷くと萌葱は再び小屋を出て行った。本当に今日は大忙しな萌葱だ。

「旦那が迎えに来てくれたからさ、やっぱり彰子ちゃんもこの機会に一緒に上田に行こうよ」

 萌葱に邪魔された勧誘を佐助は再開する。

「ここが彰子ちゃんの世界の過去じゃないってんなら、アンタを利用するのは難しい。でも、似た時代があったってことは、全く利用価値がないわけじゃない。俺たちが知らない知識も一杯持ってるんだろうし、絶対利用しようとするヤツは出てくる」

 確かに個々の戦いの勝敗や誰が天下を獲るのかという『歴史』は役に立たないだろうが、戦術や戦とは関係のない政治経済の仕組みなど、彰子の知識を欲する者はいるかもしれない。恐らく武田や上杉であれば本人が不本意なことを強制はしないだろうし、伊達であれば既に自分が持っている知識は政宗もある程度持っている。しかし、他の国に捕まってしまったら如何なるかは判らない。そう思っていたからこそ、こそこそと山の中に隠れ住んでいたのだ。

「利用しないってことの証に、アンタが未来から来たってことは俺様と彰子ちゃんだけの秘密にしよう。そうすりゃ誰も利用しようなんて思わないでしょ。山の中にいるよりも上田の城にいるほうが格段に安全だよ。他のヤツらに見つかる心配もしなくていいし」

 そう言われるとそうだよな……と彰子も認めざるを得ない。実際にこうして佐助と関わってしまったし、佐助の話によればこの近辺に余所の細作もいたのだから、これからも見つからずに済むという保証はない。

 徐々に彰子の心が傾いているのを佐助は確信し、更に言葉を継ぐ。

「それに、俺様の命の恩人だしさ。受けた恩は返さないとね。旦那も五月蝿いし」

 確かに幸村は五月蝿そうだ。色んな意味で。クスっと笑って彰子は降参することにした。そろそろこの山小屋生活もしんどいなぁと感じ始めていたから、ここは佐助の言葉に甘えることにしよう。

「うん、じゃあ、佐助さんのお言葉に甘えてお世話になることにするわ。帰れるそのときまで。ただ、真田様には私のことを如何説明するの? 未来から来たことを隠すなら、それなりの説明は必要でしょ」

 幸村は佐助を助けた女というだけで納得しそうだが、それだけでは納得出来ない者も多いだろう。

「旦那たちには……そうだな、戦乱に巻き込まれて家も家族も失って、この山の中に逃げてきて隠れ住んでたってことにすればいい。辛い思いをしたって過去があれば、あれこれ詮索はされないし、今時よくあることだしさ」

 なんでもないことのように言う佐助に、彰子は眉を寄せる。佐助に対してではなく、その発言の内容に対してだ。

「そんなことがよくある時代っていうのも嫌だね……」

 だからこそ、政宗はあれほど懸命に天下を統一し戦を失くそうとしているのだ。そして恐らくはこの地を治める武田信玄も同じだろう。アニメや漫画からの印象だが。ゲームだと英雄外伝の印象が強い所為か、武田=お笑い担当だ。

「うん、じゃあ、お世話になる。でもこの格好じゃ拙いね。着替えるからこっち見ないでね」

 いかにも21世紀な今の服装──ポロシャツにジーンズ──では不信感を持たれるだろう。幸いなことに何故か萌葱が政宗の浴衣を持ってきていたからそれに着替える。それから風呂敷にノートパソコンやタオル、携帯電話、財布に筆記用具といった細々した物を包む。スーツケースは流石に持っていけないだろう。大きいし、明らかにこの時代にはない物だから。

 持っていけないものについては後日佐助が取りに来てくれることになったので、全てをスーツケースの中に押し込めて小屋の奥に隠し、準備は万端だ。

 準備も整った頃、何やら蹄の音が聞こえてきた。如何やら幸村が到着したようだ。

 彰子が出迎えようと立ち上がるより早く、戸が吹っ飛ぶような勢いで開かれ、真っ赤な男が飛び込んでくる。そのまま赤い物体は佐助に突進する。

「佐助ぇぇぇぇぇ!! 心配したのだぞ!!!!」

 ぎゅうぎゅうと佐助を力いっぱい抱きしめている赤い彗星──もとい、赤い物体、じゃなくて人物。

「だっ…旦那っ……、苦しい……!!」

 かなりの力で抱きしめられているのだろう、段々佐助の顔が青くなってくる。

「おお、済まぬ、佐助!!」

 慌てて佐助から離れる幸村に、垂れた耳と尻尾が見えたのはきっと佐助と彰子と真朱と萌葱と撫子の目の錯覚に違いない。……全員見ているから錯覚ではないかもしれない。

 そんな幸村に苦笑し、佐助はまず詫びを口にする。

「ごめんね、旦那。しくじっちゃって、怪我して死に掛けてるところを彰子ちゃんに助けてもらったんだ」

 そう言われて初めて幸村はこの小屋に佐助以外の人物がいたことに気付く。それと判る幸村の表情に彰子は苦笑を禁じえない。猪突猛進で一つのことしか目に入らないんだなぁと。

「それは忝い。佐助の恩人であれば、それがしにとっても恩人。是非礼をさせていただきたい」

 彰子に向かって深々と頭を下げる幸村に、彰子は好印象を受ける。とても素直で率直で、愛すべき人柄を感じ取る。

「当然のことをしたまでですから、お気になさいませんよう。お顔をお上げください、真田様」

「おお、なんとお心の寛い!!」

 感動したように幸村は顔を上げる。目がキラキラと輝いている。

「でね、旦那。彰子ちゃん、戦に巻き込まれてここに逃げてきたんだって」

「なんと! では、是非それがしの城へとおいでくだされ。このような山の中では危のうござる」

 佐助の言葉に即断する幸村。それにも彰子は苦笑してしまう。いくら信頼する部下の恩人とはいえ、警戒心がなさ過ぎるだろう。間者だったらどうする心算だ。いや、それだけ佐助のことを信頼しているのだろう。佐助が大丈夫といえば大丈夫なのだと。

「では……お言葉に甘えて」

 上田城に行くことは佐助の説得によって納得したことだったから、彰子はそう頭を下げる。

「彰子殿はそれがしと共に馬に乗っていただくとして……佐助はいかがいたそう。馬に佐助と彰子殿に乗っていただき、それがしが馬を引けば良いか」

 馬は1頭しかいないし、佐助は歩くのが困難だ。如何すべきかと幸村は頭を悩ませる。その間に彰子は背に風呂敷を括りつけ、バスタオルをお腹に巻きつけ、その中に真朱と撫子を入れる。

「真田様と佐助様で馬をお使いくださいませ。わたくしはこの子の背に乗りますゆえ」

 彰子が示したのは虎の萌葱。これまでにも萌葱の背に乗って山の中を走り回ったことがあったのだ。

「おお! 然様でござるか。賢い虎殿でございまするな」

 また感動している様子の幸村である。この感激屋さんめと思ったのは二人と3匹のうちの誰であったか。

 幸村が佐助に肩を貸し、馬に乗せる。彰子は萌葱の背に横座りだ。流石に浴衣姿で跨るわけにはいかない。

 彰子を乗せている為あまり早く走ることの出来ない萌葱に合わせて、早足程度の速度で一行は山を下りる。

「実は城下で山の中に白虎がおるとの噂が立っておったのだが、事実だったのでござるな」

 パッカパッカと馬を軽く走らせながら幸村は言う。是非見てみたいと思っていた白虎にこんな形で会えるとは夢にも思っていなかった。

 因みに如何して城下で噂になったのかは、既に彰子も萌葱を問い詰めて把握している。実は萌葱は自分が捕らえた野兎や野猪、野鳥を山菜を採りに来た村人と物々交換していたのだ。時折萌葱が桶一杯の山菜を持ってくるから不思議には思っていたのだが。

「我はこの山のヌシに仕える白虎なり。我が主の為にその野草を所望する。代わりにこれを与える」

 とかなんとか言っていたらしい。誰が山のヌシだと思いはしたものの、そうやって萌葱が持ってきてくれる山菜は確かに有り難かったので、彰子としては叱るに叱れなかった。

「しかし、彰子殿の虎であったのだな。萌葱殿と申されるのか」

 虎にまで敬称をつける幸村に彰子たち21世紀組は何度目か判らない苦笑を漏らす。

「白虎がお守りしているとなれば、彰子殿は余程のご身分の女性にょしょうなのでござりましょうな」

 虎など滅多にいるものではない。南方にはいると聞くが、この甲斐にはこれまで現れたことはないのだ。それが珍しい白虎ともなれば尚のこと。白虎は西の守り神ともされる獣だ。そんな白虎を従えている彰子は一体何者なのかと幸村は想像を膨らませる。

「はっ! もしや、彰子殿は天女殿ではございませぬか!? 神の化身たる白虎を従えているのでござる。天女か女神……」

 とんでもないことを言い始めた幸村に、彰子は萌葱の背から転げ落ちそうになる。萌葱ですら脱力して転びかけた。彰子や真朱たちを落とすわけにはいかないから、踏ん張って耐えたのだが。

「……旦那、彰子ちゃんは普通の町娘さんだよ。そんなこと言ったら彰子ちゃんが居た堪れないでしょ」

 呆れたように呟く佐助の言葉に彰子も力いっぱい頷く。

「佐助様の仰るとおりですわ。そのような力のある者であれば、こんな山の中に隠れ住んだりしておりません」

 寧ろ力があるからこそ、それを利用されないように隠れ住むだろうと心の中で自分で突っ込んでみたが、幸村はそれで納得したようだ。

「然様でござるか……。戦により村を失われたということでござったな。辛い思いを為されたのであろう」

 しゅんとする幸村に彰子は少しばかり罪悪感を覚える。本当は戦で焼け出されたわけではないから、幸村が思うほど辛い目に遭ったわけではない。確かに戦国時代──というかBASARA世界にトリップさせられ、経験したことのないサバイバル生活を強いられて辛くなかったといえば嘘になるが、それでも幸村が想像する辛さよりは軽いものだ。

「我が城では何の心配も要りませぬ。心安らかに過ごされよ」

 真っ直ぐな視線で幸村は彰子を見つめる。一点の曇りもない、純粋な瞳。

 こんなに純真で真っ直ぐな青年など、彰子の周囲にはいなかった。友人たちはどれも一癖も二癖もあるメンバーで、『純真』なんて言葉とは無縁だった。別に歪んでいるわけではないし、懸命にテニスに打ち込み、情熱を傾けている姿は真っ直ぐで、とても輝いている眩しいものではあったが。

 けれど、ここまで単純なほど純真でストレートな感情表現をする青年は周囲にはいなかったから、彰子としては戸惑いつつも好意を持った。可愛いなぁと。こんな弟いたら面白いだろうなーというわけだ。あの大声は初対面にも拘らず蹴りを入れたくなるほど五月蝿いと感じたのだが。

「こんなに単純でよく城主務まるよね」

「だから、佐助がオカンになるのですわ」

 こっそりと彰子にしか聞こえない声で猫たちが呟いていた。けれど、その声には嫌悪の色はなく、寧ろ好意的なものだった。