迷彩忍者

 日も暮れ、やがて眠りに就こうかとしていたそんなとき、

「なんか、血の臭いがする」

 やめてくれーーと言いたくなる物騒なことを萌葱が言った。

「危険がないか、見てくる。かーちゃんもねーちゃんも撫子も小屋から出るなよ」

 虎になってから随分頼もしくなった萌葱は彰子が止めるのも聞かず、外へと飛び出していった。

「血の臭いって……戦いかな」

「こういうとき、二次創作ならきっと、佐助とか小太郎を萌葱が拾ってくることになりますわね」

「ママ、それ、冗談にならないってー」

 彰子の予測を知っている猫たちとそんなことを言いつつ、取り敢えず囲炉裏に火を入れ、念の為に桶に水を汲みに行ったのは虫の知らせだったのかもしれない。

 10分ほどの時が経ち、戻ってきた萌葱の背には一人の男がいた。気を失い萌葱に運ばれてきた男は、迷彩柄のポンチョを身に纏っている。本当に、真朱の言葉は冗談にはならなかった。

「──佐助かよ!」

 戦国BASARA世界へのトリップだったことが、ここに判明したのであった。






 取り敢えず、小屋の中に佐助を入れ、板の間に寝かせる。如何やら傷を負っているのは足らしい。大腿部から血が滲んでいる。

 一瞬ズボン──といっていいのか判らないが袴とも言い難い──を脱がすべきか迷い、面倒臭いとペンケースから鋏とカッターを取り出し、傷口の少し上からズボンを切ってしまう。桶の水とハンドタオルで傷口を洗うと、まだ傷口からは血が流れている。傷口と近くの動脈を含めるようにタオルを当て、萌葱に体重をかけて押さえるように指示する。圧迫して止血する為だ。虎にしてはスレンダーな部類の萌葱でも体重は200キロ近いから、ちょっと体重をかけるだけで、彰子がやるよりも遥かに効率よく圧迫出来るだろう。

 萌葱に止血させている間にスーツケースを漁り、消毒薬、ガーゼ、テーピング用のテープを取り出す。念の為の予備として自分の荷物の中に入れておいたものが役に立つとは……。それから、痛み止めの錠剤。非ピリン系だから問題はないだろう。怪我をしていれば発熱することも考えられるし、解熱作用もあったはず、と色々な物を準備していく。

「かーちゃん、血止まったみたいだよ」

 萌葱の言葉にタオルを見れば、血の染みの広がりは止まったようだ。

「OK.じゃあ、萌葱どいて。あ、タオルは桶に入れておいてね。血の染みは取れにくいし」

 萌葱に指示し、彰子は傷口の消毒をして手早くガーゼとテープで手当てする。萌葱の体重をかけた止血は巧くいったようで、新たな出血の気配もない。

「かーちゃん、血の中になんか変な臭い混じってるよ。ヤな感じの臭い」

 虎になって色々な面で敏感になっている萌葱はそう告げる。

「毒、かもしれませんわね」

「そういえば、佐助の近くにクナイ落ちてたような気がする」

 萌葱は思い出したかのように呟く。

「多分、足に刺さったのを佐助が自力で抜いたんだと思う。もしそれに毒が塗ってあったとしたら……」

 その可能性は高そうだと彰子は思う。怪我による出血はそれほど酷いものではなかった。けれど、その割には顔色も悪いし、息も荒い。

「……佐助が自力で解毒薬飲んでることに期待するしかないよね」

 佐助の懐を探り、薬入れらしい小さな袋を見つける。袋の口は若干緩んでいる。佐助がこの怪我をした後、自力で中の薬を飲んだのだと思いたい。数種類の丸薬が入っているが、彰子にはどれがどんな薬なのかさっぱり判らないから、下手にどれかを飲ませることも出来ない。

 運動部のマネージャーということもあって、多少は怪我の手当てに関する知識はある。とはいえ、その大半は打ち身や捻挫といったスポーツの上で考えられる怪我の応急処置方法だ。一応止血方法も多少は学んだが、毒に関する知識などない。況してや戦国時代の忍者が使う毒など判るはずがない。

 佐助が解毒剤を飲んでいることと彼の体力に期待するしかない。

 今の自分に出来ることは、求められるままに水を与え、慰め程度にしかならないだろうが解熱剤として『バファ○ン』を与え、少しでもエネルギー源になるようにと砕いた『カロリーメ○ト』を水で流し込むことだけだった。

 だから、3日目にして漸く佐助の熱が下がり、呼吸が穏やかになったときには心底ホッとした。取り敢えずこれで命の危険は回避出来たと考えていいだろう。

「だけど、本当にBASARA世界へのトリップだったんだ……」

 佐助の容態も落ち着き、一息つけたところで、彰子も漸くそれを考えることが出来るようになった。

 所持品──浴衣とペンダント──から、もしかしたら……とは思っていたが、本当にそうだったとは。しかも最初に遭遇したのが佐助なのは運がいいのか悪いのか。まぁ、織田信長とか明智光秀とかの関係者ではない分、この世界的にはマシかもしれない。あの二人の声は超好きな彰子だが、お近づきには絶対になりたくない。

 関わってしまったのは仕方のないことだが、深入りは避けたほうがいいだろうなと彰子は考える。少なくとも政宗が逆トリップしてきたときには、奥州と甲斐は敵国だった。漫画やアニメでは奥州と甲斐が同盟を結ぶというエピソードもあったが、この世界で如何なっているのかは判らない。だとすれば、下手に政宗の関係者だと知られるわけにもいかない。

 それに……と彰子は考える。ここがBASARA世界であるのは確実だとしても、それが即ち自分が知る政宗のいる世界だとは限らない。BASARA世界が一つとは限らないではないか。また、あの政宗がいる世界だとしても時間軸が如何なっているのかも判らない。佐助の見た目から考えて、10年以上の過去とか未来とか、そんなに大きな差はないかもしれないが、政宗がトリップする以前の世界かもしれないし、出会った後だとしても政宗の記憶からトリップしたことが抹消されてしまっているかもしれない。

 このトリップに何らかの意図が働いているのだとしたら、恐らくここは自分の知る政宗がいる世界なのだろうとは思う。けれどその『意図』は飽くまでも自分が予想しているに過ぎない。彰子としては考えすぎるほど考え、色々なパターンを想定し、用心を重ねることにしたのである。

 政宗が自分の知る彼である場合、自分の知らぬ彼である場合、或いは自分の知る彼ではあるが自分のことを忘れている場合。更に奥州と甲斐の関係が友好的なのか、そうではないのか。それぞれによって自分の言動一つで、如何転ぶか判らなくなる。自分だけならまだしも、政宗にとっても不利に働くケースも出てくるに違いない。

「真朱、萌葱、撫子。佐助には私たちが政宗さんと知り合いってのは内緒ね」

 彰子がそう言えば、猫たちも心得たように頷く。

 彰子は色々考えすぎていると思わないでもないが、自分たちの主がそういう人なのだということは判っている。それに情報が不足している現状であれば、こちらも不用意に情報を与えるべきではないことも理解出来る。取り敢えず暫くは様子見ということになるだろう。

「さて、目を離しても大丈夫そうだし、食糧と薪を探しに行きますか」

 この2日殆ど寝ていないから少々きつくはあるが、そろそろ薪も切れかかっている。佐助が意識を取り戻したらクッキーやカロリーメ○トでは不審がられるだろう。魚を獲って、野草や茸でスープ擬きでも作ろう。そう考えて彰子は小屋を出たのであった。






 山菜と薪を集め、川で洗濯をし、萌葱と一緒に魚を獲り、この時代に来てからの日課を済ませた彰子は小屋に戻った。未だに佐助は意識を取り戻さないが、それでも呼吸は落ち着いているし、随分楽そうにはなっている。

 佐助の様子に一安心して、彰子は山菜でスープを作り始める。味は茸と野草から染み出るエキスだけのシンプルなものだ。せめて塩があればいいのに、とついつい無い物強請りをしてしまう。

 ああ、お米が食べたい。パスタにカレー、オムライス、コロッケ、白身魚のフライ、マク○ナルドにケン○ッキー、ポテトチップス、大福……元の世界に戻ったらファミレスに行って帰りに商店街で食べ物を買い捲ってしまいそうだ。

 そんなことを思いつつ、枝を使った串に魚を刺し、囲炉裏端に指して魚を焼いていく。焼けた魚のうち小さめの数匹の身をほぐして山菜スープに入れる。魚から味が出ればスープも多少はマシになるだろう。まぁ、胃を満たす為に結構な量の野草を入れているから、投入した魚肉などは微々たるものなのだが。

 小屋の中には幸いなことに幾つかの調理器具があった。木製のお玉に箸、小さなお椀が数個。包丁はなかったから野草は手で千切らねばならなかったし、魚もハラワタの処理は出来ないのだが。

 それでもお椀とお玉があったのは助かった。でなければスープ擬きを作ることも出来ず、食生活は今よりも数倍厳しいものになっていただろう。

 調理を終えてさて食事にしようとしたところで、微かな声がした。如何やら佐助が目を覚ましたらしい。

「目、覚めました?」

 意識を取り戻したのならもう安心だろう。そう思い、彰子は安堵する。取り戻したら取り戻したで、ある意味別の戦いの幕開けのような気もするが。

 目覚めた佐助は自分の状況が判らないらしく、ぼうっとしている。まだ意識の混濁があるのかもしれない。それでも流石は細作らしく、二、三度瞬きをする間に意識を覚醒させ、状況を把握しようとしたようだった。

「怪我をして倒れていたところをこの子が見つけて、連れて来たんです。ほぼ3日間寝てましたよ。今朝までは熱も高かったようですけど、今は下がってると思います」

 下手に近づけば警戒されるだろうと、彰子は動かずにそう告げる。

「……アンタが助けてくれたのか」

「正確には見つけて助けたのは、この子です。私はこの子が拾ってきた貴方の手当てをしただけ」

 そう言って彰子は萌葱の頭を撫でる。萌葱は嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らし、彰子の体に額を擦り付ける。その萌葱の行動にムッとした真朱と撫子もぐりぐりと額を彰子の体に擦り付けて、猫バトルを繰り広げている。額を擦り付ける=所有権の主張だ。尤もそんな猫たちの争いは日常茶飯事なので、彰子は気にも留めないのだが。

「白虎……城下の噂は本当だったんだ」

「噂?」

 佐助の言葉に萌葱を見遣れば、萌葱は『やべぇ』とでも言うように視線を逸らす。これは後から追及しなければ。

「それより、気分は如何ですか? 食べられるようなら食事もしたほうがいいと思いますが、如何でしょう」

 なんせ、ほぼ3日間何も食べていないのと同じだ。体力をつける為にも回復の為にも食事は大切だろう。

 とはいえ、佐助──仮にも有能な細作である者がそう簡単に『うん、食べる』とは言わないだろうことも彰子は承知している。政宗だって、初めの頃は自分が口をつけて安全であることを示してからしか食べなかったのだから。

「私も今から食事するところだったので。こんな環境下ですから、味も素っ気もない山菜の汁と焼き魚ですけど」

 自分の為に用意した食事なんだから毒なんて入ってないんだよと、まずは安全性を告げるように言う。ついでに味の保証も出来ないけどねと。

 佐助からの返事はないが、彰子はそれを待たずにお椀に山菜スープを注ぎ、焼いた魚3匹を皿代わりの板切れに載せ、箸を添えて佐助の枕元へと持っていく。佐助は警戒するように自分の行動を見ているが、気にしない。気にしたらやってられない。最初は政宗だって以下同文。こちらに疚しいところは欠片もないのだから、気にする必要は全くないのだ。

 彰子は元いた場所に戻ると、さっさと自分の食事を始める。沈黙が重いが仕方ない。佐助は起き上がりはしたものの、食べ物には手をつけない。仕方のないこととはいえ、それにはムッとする。政宗でも自分が食べ始めた後にはちゃんと食べたのに。

(なんか、行動の判断基準が政宗さんになってるなぁ)

 ふとそれに気付いて内心で苦笑する。ここがBASARA世界だったのなら、政宗にも会いたいなとも思う。自分が知っている政宗であることが前提だが。

 しかし、佐助がいたということは、ここは甲斐なのだろうか? 佐助は細作で、色々なところに情報収集の偵察に出ているから、佐助がいる=甲斐とは限らないかもしれないが……。

 甲斐なら、武田信玄や真田幸村も見てみたいなぁ……と暢気に考える。『会う』ではなく『見る』だ、飽くまでも。関わりになるのは現段階では厄介なことになりかねない。

 そういえば、トリップ前に自分がいたのは軽井沢だった。軽井沢から上田──真田幸村の本拠地までは電車でそう時間も掛からなかったはずで、近い場所のはず。同じ県じゃなかったかなと思い出す。もしかしたら、トリップ前とトリップ後にいた場所は同じ所なのかもしれない。合宿所は山の中じゃなかったからそれはないかと思いつつも、強ち完全な間違いとも思えなかった。

 そんなことをつらつらと考えながら、彰子は食事を終える。が……相変わらず佐助は全く手をつけていない。警戒心が強いのは仕方ないが、配膳(というほど大袈裟なものではないが)から見ていたし、自分が食べたのも見ているのだから、そこまで警戒し続けることはないだろうにと、流石の彰子もカチンと来た。大体、出血していたし熱も出したのだから体力は衰えているはず。それを取り戻すにはまず食事をすることだろうに。

「警戒するのも結構ですけどね。毒とか入ってないのは、私が食べたのを見てたら判ったでしょう。体力落ちてるんだから、食事しなきゃ死ぬよ。死にたいなら勝手にすればいいけどさ、3日間寝ないで看病した私の労力を返してよね」

 憤りというほど強い感情ではないが、気分を害した彰子は強い口調で佐助にそんなことを言っていた。