ささやかな返礼

 食後のコーヒータイムを彰子はまた政宗とのんびり話をして過ごしていた。今日は金曜日、勉強は土日に回すから時間はある。

 政宗と過ごす時間はあと10日しかない。中間テストが来週から始まる為、土曜日の忍足宅へのお泊りも今週はなし。ついでに来週も『日曜の朝に政宗さんが帰国するから』ということでやっぱりお泊りはなし。忍足としても流石に親戚が同居していることを慮って無理は言わず、残念がったものの了承してくれた。政宗がいなくなればいつも通りに戻るのだと思っているから、多少は我慢が利くというわけだ。

 それはともかくとして、とにかく今は残り少ない政宗との時間を大切にしたかった。共に過ごして20日余り。同居して親しくなるには充分な期間だ。

 この20日間、当たり前のようにあった政宗の存在が、あと10日で消えてしまうと思うと、やはり寂しさを感じずにはいられない。けれど、彼は生まれ育った世界、彼が戻りたいと願っている世界に返るのだから、それは喜ばしいことだ。

 政宗の為に感じる喜びと自分自身の胸に迫る寂寥と、二つの感情が彰子の中に広がっていた。

「……え? 私に……?」

 突然テーブルの上にきれいなラッピングを施された箱が置かれた。目の前に座る政宗が置いたものだ。

「ああ。彰子に受け取って欲しい。世話になった礼だ」

「そんな……態々いいのに。でも、ありがとう」

 余りに固辞することは政宗の好意を無碍にすることになるから、心の中で『義理堅いなぁ』と苦笑するに留め、彰子はそれを受け取った。

「開けていい?」

「Of course」

 丁寧にリボンを外し包みを解くと、蒼いベルベットのネックレスケースが現れる。そっと開くとそこには以前買うのを諦めたラピスラズリのペンダントがあった。

「政宗さん、これ……」

「欲しがってただろ。オレからの礼だ。気にするな」

 気にするなと言われても充分気になるお値段だ。ペンダントトップとチェーン合わせて5万円近いからこそ、彰子は買うのを諦めたのだから。

 しかし、政宗は何処にそんなお金を持っていたのだろう。確かに家事労働の報酬として『お小遣い』は渡しているが、政宗の希望も汲んで大した金額は渡していない。全部使わずに持っていたとしても5万円には届かないはずだ。身元保証人も身分証明書もない政宗が外で働けるとも思えない。働いていた気配もない。だとすれば……

「……ありがとう」

 帰宅したときに真っ先に感じた違和感。いつもの眼帯ではなく、医療用の眼帯をしていた。そのときは特別不審には思わなかった。近頃は風呂上りや就寝時などにはガーゼの眼帯を使っていることも多くなっていたから。けれど、昼間からそれをつけていたことと、このペンダントを合わせて考えてみれば、つまりはそういうことだろう。政宗はあの眼帯を売ったのだ。

 堪らなく申し訳なかった。そして、同時に嬉しかった。

 あの眼帯が如何いうものか、以前に政宗から話を聞いたことがある。父・輝宗公が跡継ぎとして強い決意を持った政宗に与えたもの。それを政宗は自分の為に手放してくれた。自分がしてきたことにそこまでの価値があるのかは判らないけれど……。

 政宗は目の前で微笑みながらも何処か戸惑ったような、申し訳なさそうな瞳をする彰子に苦笑する。何も言わないのに如何やって金を工面したのか、あっさりと気付いたらしい。まぁ、顔を見れば一発で違いには気付くだろうが。こうなるならば、あの眼帯の由来など話さなければ良かったと思っても後の祭でしかない。

「彰子。気にするなよ。オレがやりたいからこうした。お前にはそれだけの価値があるんだ」

 父から与えられ、己の拠所の一つでもあった物を手放してでも、彰子にこのペンダントを贈りたかったのだ。後悔は微塵もない。寧ろあの眼帯の使い道としてはこれ以上のものはないように思えた。

「まー……完全に気にするなってほうが無理だよ。でも、それ以上に嬉しい。本当にありがとう」

 彰子はそう言って更に笑みを深くする。本当に嬉しい。欲しかったものが手に入ったからではなく、それを政宗が覚えていてくれたこと、こうしてプレゼントしてくれたこと。何よりも政宗の気持ちが。

「どう?」

 ペンダントを首にかけ、尋ねる。長いチェーンのおかげでペンダントトップは胸元にくる。これなら服で隠れるから、制服であっても問題はない。

「ああ、似合ってるぜ。HoneyにはやたらとGorgeousなのよりも、そういったSimpleなもののほうが似合うな」

「ふふ。褒め言葉として受け取っておくね」

「褒め言葉だぜ」

 余計な装飾など彰子には必要ないのだ。飾り立てなくてもワンポイントのアクセントがあるだけで、彰子の美しさは一層引き立つ──政宗はそう言いたかった。尤も、彰子が自分の容姿の美醜に関しては全く無頓着であることは知っていたから言わなかったのだが。普段の言動が言動だけに『美女』という言葉に違和感を感じざるを得ないもの事実だ。所謂『黙ってりゃ美人』を素でいっている。

「ありがと。アクセサリーを異性から貰うのって初めてだわ。嬉しい」

 彰子はそう言って微かに頬を染めている。それを政宗は意外に思う。あの恋人なら彰子にプレゼントしまくっていそうなものなのに。

「Oh,Honeyの初めてを貰っちまったな」

「……なんか、誤解を招きそうな発言ね」

 クスクスと彰子は笑う。政宗も応じるようにニヤリと笑う。

 こんな他愛もない言葉の遣り取りもあと僅かしか出来ないのだと思えば、二人の心に微かな痛みが走った。






 既に政宗は眠りに就き、彰子は自室でパソコンに向かっていた。

(まさか……眼帯売っちゃうなんて)

 微かに溜息をつく。それに関して、申し訳ないとか勿体無いと思うことはもうしない。それは政宗の好意と行為を踏み躙ることになるからだ。でも、この政宗の好意には別の何かで応えたい。ただ言葉だけではなく。

 ググって目的のものを見つけ、彰子はそれを発注する。幸い在庫も充分にあったこともあり、日曜には届けてもらえるようだ。

 彰子が発注したのは、西陣織の端切れ数種類と帯締めに使われる組紐。それから止め具と綿。

 注文を終え、ざっと頭の中で予定を立てる。

 手縫いでもいいが、厚みがある組紐には苦戦しそうだ。それに使用頻度と使う場所を考えると縫い目が頑丈であるに越したことはない。ミシンを使ったほうが良いだろう。生憎ミシンは持っていないから、学校の被服室のものを貸してもらおう。あれならロックミシンも兼ねているから、端の処理をしなくて済む分、手間と時間が省ける。

 これまで昼休みはほぼ拘束されていた。この4月末まで彰子は生徒会副会長を務めていた。放課後には部活にかかりきりになる為、生徒会業務は昼休みに行っていたのだ。しかし、既に役員改選によりお役御免になっているから昼休みが丸ごと作業に使えるようになる。

 放課後もテスト前ということで部活は休みだから使えないこともないが、そうなると、一緒に帰っている忍足に理由を言わないといけなくなるから面倒臭い。それに帰宅時間が遅くなればその分、政宗と過ごす時間も減ってしまう。それは避けたい。残された時間は限られているのだから。

 昼休みのランチを一緒に摂らないとなると、忍足をはじめ、いつもランチを一緒にしていた部活の仲間たちが不審がるかもしれないが、そこは親友の詩史と一緒にランチをするからと誤魔化そう。ああ、詩史にも口裏を合わせてもらうように頼まなければ。というか、手伝ってもらっちゃおう。彼女は手芸が得意だったはずだ。何でこんなものを作るのかと追及はされるだろうが、そこは『叔父さんへのお礼』で済むことだ。

 それでも何日も続くと忍足たちに不審がられるだろうから手早くやるしかない。裁断と仮縫いは自宅で済ませて、本縫いと仕上げを学校でやるようにしたほうがいい。

「よし、計画だけは完璧」

 そう、計画だけ。あとは巧く作れるかだが。裁縫は苦手とは言わないが、得意でもないから微妙だ。いざとなったら助けてね、詩史。と心の中で親友に呼びかけると、彰子はパソコンの電源を落とし、ベッドへと潜り込んだ。






 週明けの月曜。昼休みに彰子は被服室に向かっていた。

 頼んでおいた材料も昨日届き、裁断と仮縫いは終わらせてある。あとはミシンで頑丈に縫い合わせるだけだ。それほど時間は掛からないだろう。……ミシンの扱いに手間取らなければ。

 昨晩のうちに詩史には連絡して、今日のランチの約束は取り付けた。大抵は忍足をはじめテニス部の面々とランチを摂っているのだが、週に1、2回は詩史と一緒だから別段不審には思われなかった。これで忍足へのアリバイ工作はOKだ。別に疚しいことをするわけでもないのだが、流石に忍足以外の男性への贈り物を作る為……となれば、それを忍足に正直に告げるのは躊躇われた。

 被服室に入ると既に詩史は来ていた。事前にこういうものを作る為と連絡していた所為か、詩史は必要なミシンを準備してくれているところだった。

「ありがと、詩史」

「いいって。久しぶりの彰子とのランチだしねー。これくらいはなんでもないって」

 にこやかに詩史は応じる。二人でミシンの準備を終え、彰子は早速作業に取り掛かる。行儀は悪いが、食べながらだ。その為に今日の彰子のお弁当は一つ一つ小分けにラップで包んだおにぎりにしてある。

「しかし……眼帯ねぇ」

 彰子がミシン掛けしていない分を手に取り、詩史は呟く。

「コスプレでもするの、彰子」

「あんたじゃないし。というか、そもそも私のじゃないし」

 手を動かしながら口も動かす。詩史との会話は言葉のキャッチボールならぬ言葉のスカッシュだ。一々手を止めていては作業が全く進まなくなる。

「叔父さんだっけ。まるで筆頭だね」

 うん、本人です。とは言えない。

 彰子に『戦国BASARA』を勧めたのはこの詩史だ。元々彼女の弟がヘビーユーザーで、そこから詩史もビジュアルに嵌り、好みが似ている彰子にも勧めたというわけである。

 因みに彼女のイチオシは小十郎である。理由は『彰子を髣髴させるから』。如何いう意味だと突っ込んだら、『俺様に苦労させられつつ、実は俺様の手綱を取れる唯一の存在』と嬉しくない説明を受けた。俺様=政宗=部長ということだろう。BASARAを知っているテニス部の仲間にも激しく納得されてしまって、余計に嬉しくないと感じてしまった。小十郎は好きだが……。

「隻眼って、別に筆頭だけじゃないでしょ。山本勘助だってそうだし、レオン・エウゼビオだってそうだし」

「レオン・エウゼビオって誰よ」

「某漫画の親馬鹿カリスマ超男前公爵で、海賊の長」

「隻眼の海賊!! それってアニキじゃないー!」

「ちゃうし」

 彰子が好きな漫画の一つのキャラクターを挙げれば、隻眼と海賊というキーワードでまたBASARAに結び付けられた。

 正直彰子は西日本の武将に興味がない。精々地元のお殿様であった加藤清正と細川氏くらいなもので、加藤清正は地元民(元、だが)らしく『清正公せいしょうこさん』とお呼び申し上げているくらいだ。

 が……戦国時代となるとさっぱりなのが実情だ。毛利元就は中村橋之助しか思い浮かばないし、長曾我部元親に至っては『そんな人いたような……』という、戦国時代ファン並びに子孫の方々が聞いたら怒りそうなことを思っているくらいだ。BASARAキャラとしての彼らの認識は二次創作と『ミニ戦国BASARA 長曾我部君と毛利君』くらいしかない。

「よし、1個目完成」

 表側は西陣織、裏は肌に当たることを考慮しての柔らかなシルク、内部には綿を入れて厚みと柔らかさを確保。紐は高麗組帯締。西陣織は鳳凰紋、牡丹唐草に千鳥紋、青海波に唐草の3種、帯締めも浅縹色の金耳綾高麗、水蒼色の春小花別玉柄、コバルトブルーの静海柄と基本的な色合いは全て伊達のイメージカラーに合わせてみた。

「どう?」

 編み物や料理はするが、縫い物はボタンつけやちょっとした繕い物くらいしかしない彰子である。和裁洋裁なんでもござれの詩史に確認してもらう。

「うん、縫い目も確りしてるし、厚みもいいと思うよ」

 丁寧に確認した詩史からそうお墨付きを得て、彰子はホッと一安心。やはり日常使いをするものだからこそ、耐久性は重要だ。

 おにぎりを頬張りつつ、二つ目に取り掛かる。このペースなら昼休みの間に何とかなりそうだ。

「……叔父さん、かなり好い男らしいね」

「何処からその情報を……」

 一応『叔父』とはいえ、政宗がいい男なのは事実なので、否定はしない。本当の叔父なら謙遜兼ねて『そんなことないよ』と言うだろうが……。

「忍足からに決まってるじゃない」

 ニヤリと音がしそうな笑顔で詩史が言う。

 詩史と忍足はクラスメイトだ。彰子を間に挟んで一方は親友、他方は彼氏という関係ながら、密かに彰子を取り合っているライバルでもある。どっちがランチを一緒にするか、休日を一緒に過ごすかと、事あるごとに熾烈な争いを繰り広げている関係なのだ。

「忍足愚痴ってたよ。彰子が叔父さんに感けてて冷たいって」

「冷たい、って……」

 そんなこと言われてもなぁ……と彰子は苦笑する。別に冷たくした心算はない。自分としては忍足への態度は全く変えていない心算だ。しかし、休日に一緒に過ごす時間は激減しているし、その所為でスキンシップもかなり減っていることは確かだ。それを指して冷たいと言っているのだろうか。

 相変わらず手は休めないまま、うーん、と彰子は唸る。

 政宗は一時の客人。忍足はそうではない。だとすれば、優先するのは当然政宗になる。これはおかしいことなのだろうか。

「まぁ、あいつってばあれで結構独占欲強いしね。仮令叔父さんだろうが面白くないんでしょ」

 食べ終わったお弁当箱をランチバッグに仕舞いながら詩史は言う。ざまーみろと付け加えながら。

「でも……今の彰子見たら、確かにあいつがヤキモチ妬くのも判るかな。凄く楽しそうに作ってる」

「……え?」

 思いがけないことを言われて、彰子の手が止まる。楽しそうに作ってる? しかも、忍足が妬くのを理解出来るくらいに……。

「バレンタイン前に一緒にチョコ作ったでしょ。忍足の分作ってたときと同じ顔してたよ」

「そう……なの?」

「うん。……大好きな叔父さんなわけだ」

 大好きに多少の含みを感じるが、そんなはずはない。

「家族、だからね。両親と疎遠な分、叔父さんたちが家族だから」

 そう、政宗は家族のようなものだ。あと10日で別れ、二度ともう会うことがないとはいえ。20余日を共に過ごし、初めは当たり障りのない程度の浅い関わりに留めようと思っていたのに、いつの間にか一緒に暮らしていることに違和感のない相手になっていた。だが、異性として意識したことはない。意識したら一緒には暮らせない。

 政宗の存在は忍足とは違う。それははっきりしている。

「まぁ、叔父さんも日曜には帰るし……彼もそれは知ってるんだけどね」

 残された時間はあと僅かしかないから、だから自分の意識はずっと一緒にいられる忍足よりも、友人たちよりも、政宗に向く。

「ふーん。ていうかさ、あいつもあれだけ彰子のこと独占しといてまだ足りないのかっつーの」

 彰子の言葉に何かを感じ取ったのかは判らないが、詩史は明るく忍足に対しての文句を垂れる。

「あー……あはは……」

 確かに四六時中一緒だ。今はクラスが分かれているから一緒にいる時間は減ったが、それでも1日の中で共に過ごす時間は一番多い。

 忍足は彰子の行動を制限したり束縛したりはしないものの、目は口ほどに物を言うわけで、彰子も惚れた弱みもあってついつい忍足の希望を優先してしまう傾向にある。だからこそ、偶にはこうして忍足以外を優先してもいいじゃないかと彰子は開き直ることにした。

「よし、完成」

 喋りながらも手を動かしていた甲斐あって、何とか昼休みの間に三つの眼帯が完成した。あとはこれを政宗に渡すだけ。照れ臭いから、彼が還る直前にでも渡そう。

「……ね、彰子。──」

 小さく何かを詩史が呟く。小さな声は彰子の耳には明確な言葉としては到達しなかった。

「ん? 詩史、何?」

「ううん、なんでもない。今日のお礼は叔父さん帰国後にケーキバイキングね」

「OK。あ、でも、関東終わってからでよろしく」

「判ってるって」

 彰子の耳に届かなかった詩史の言葉。──何処にも行かないでね。私たちの傍にいてね。

 何故か突然、そんな言葉が詩史の胸に湧いたのだ。彰子が何処かへ行ってしまいそうな、そんな厭な予感が。






 政宗の帰還まで、あと8日。