順応力は好奇心に比例する?

 政宗の『お手伝い』はそれだけでは終わらなかった。後片付けも手伝い、なんだかんだでキッチンの使い方はほぼ覚えてしまった。

 更に彰子がリビングの掃除をしようと掃除機を取り出せばそれにも興味を示し、遂には彰子から奪い取る。如何やら几帳面なところがあるらしく、彰子よりも余程丁寧に細かく掃除機をかけている。

 政宗に掃除機を奪われたので、彰子は風呂掃除を終わらせ、食料品の買出しリストを作る。土曜か日曜に1週間分の食材を纏めて買出しに行くのだ。折込チラシで安売り食材をチェックし、1週間分の献立を考え、お弁当のおかずを考えて、冷蔵庫の中身をチェックする。

 そうこうしているうちに政宗は和室の掃除まで終わったらしい。掃除機を掛けている最中は真朱と撫子はその音が苦手なのでソファのクッションの陰に隠れ、萌葱は例によってあれこれと政宗に偉そうに掃除の仕方を指示していた。政宗の肩の上から。

「Hey,彰子。終わったぜ」

 他にやることはないのかと期待に満ちた目で政宗は彰子に声をかける。

「政宗さん、ありがとう。助かったわ」

 そんな政宗に彰子は笑みを誘われる。母親のお手伝いをしたがる幼子のようだ。尤も結局2度手間になる子供と違って政宗はきっちり仕事をこなしてくれたが。

「You're welcome.役に立ったなら嬉しいぜ、Honey」

 誰がハニーじゃ。心の中でそう突っ込み、その言葉はスルーする。

「もう暫くしたら食材の買出しに行くから、そのときにまた一緒に出かけよう。それまで休んでて」

「OK」

 もう手伝うことはないと判り、政宗はソファに落ち着くと1冊の本を手に取る。『今日の○理』ではなく、筋力トレーニングについて書かれている本だ。読みつつメモに判らない言葉を記していく。後で纏めて彰子に聞く心算なのだろう。

 猫たちも政宗の傍に座り、政宗の質問に答えたりしている。人懐っこい萌葱や好奇心旺盛な撫子はともかく、警戒心の強い真朱までもが政宗には気を許している。真朱は彰子の友人たちにもここまで近づくほど馴染んではいないのに。

 友人たちからも人見知りの激しさで知られている真朱なのだが、如何いうわけか政宗には気を許している。人間の言葉が話せることがばれていて、且つ同居人となっているからなのかもしれないが、まだ知り合って2日目の相手なのに。

 それをいうならば、彰子自身もそうかもしれない。

 元々彰子は人付き合いが苦手だった。この世界に来るまでは友人と呼べるような人は少数しかいなかった。職場が変われば縁が切れる程度の付き合いしかしてこなかったし、学生時代の友人は住むところが離れてしまった所為もあり、年賀状の遣り取り程度になってしまっていた。

 この世界に来てから『やり直し人生だから』と自分を少しずつ変えていこうと努力をし、今ではかなり深い付き合いの友人も、親友と呼べる人も出来た。女の子らしく恋バナを楽しんだり、ショッピングやケーキ店巡りを一緒にしたり……元の世界の長岡彰子とは違った学生生活を楽しんでいる。

 元の世界の高校時代もそれなりに充実はしていたが、大人になって振り返れば『あのときもっと頑張っていれば……』と思うことなんて沢山あるわけで、そんなかつての自分の後悔を踏まえて、今の彰子は目一杯勉強も部活も学生生活全般も友人付き合いも楽しんでいるのだ。

 しかしながら、人間の本質がそう簡単に変わるわけでもない。やはり最初は警戒しつつ、一定の距離を保って人と接する。人当たりは悪くないが本当に打ち解けるにはかなり時間がかかるのだ。

 なのに、政宗に対しては明らかに最初から距離が近い。一方的に知っている人物だからかもしれないが……それだけではないだろう。

 確かに状況的に距離を置いて接していては如何にもならないというのもある。相手は異世界人で何も判らないのだから、色々教えなくてはいけないし、ぶっちゃけ自分の庇護がなければすぐさま不審人物として留置所行きだろう。

 だが、それ以上に彰子が気を許してしまった、政宗を受け容れた理由は政宗自身にある。彼の圧倒的なカリスマ性──人を惹きつける力だ。

 真っ直ぐな力強い眼。前向きに自分を信じて進む姿勢と自信。信用すると決めたらその存在そのものを全肯定する懐の深さ。

(今からこんなに政宗さんを受け容れていたら……帰ったときには寂しいだろうなぁ)

 そんなことを思い苦笑する。1ヵ月後には彼はいなくなるのだ。彼は客人まろうどに過ぎない。余り深く自分と関わらせてしまえば寂しくなるのは自分自身だろう。でも、だからといって、1ヶ月もの間距離を置いて接するのは自分の性格的にも政宗の性格的にも無理のような気もする。

(別れの後の寂しさを想定して、今楽しめることを我慢するってのも変な話よね)

 寂しくなっても自分は一人じゃない。いつか懐かしく思い出すことも出来るだろう。あれこれ考えすぎて、しなくてもいい用心をしてしまうのは自分の悪い癖だ。

 食料品の買出しメモを作り終わり、彰子は立ち上がる。ちらっと政宗を見ると何処となく退屈そうだ。

「政宗さん、コーヒー飲む?」

「Yes」

「OK」

 今回はお手軽にインスタントだ。とはいえ、それなりのお値段はするお気に入りのネ○レ『香味焙煎』だが。たっぷりの牛乳でカフェオレ状態にし、マグカップ二つを持ってリビングに移動する。

 まだ時間は3時前。買出しに行くにしても少し時間は早いかも知れない。そう思い、彰子は暫く政宗とお喋りでもしようと思ったのだ。政宗にまだ告げていない事実──ここが未来ではなく、異世界なのだということ──を話すきっかけを探そうと。

 異世界であることは話さなくてもいいのかもしれないとも思いはした。けれど政宗は好奇心が旺盛だから何処でどんな情報を手に入れてしまうか判らない。大河ドラマの影響で戦国武将ブームだった去年ほどではないが、テレビをつければ歴史バラエティの番組も多い。そんな番組を見れば、政宗は違和感を感じるだろう。

 それに何より、彰子自身が政宗の時代に生きる人々の話を聞いてみたかったのだ。特に上杉謙信とか。

「ねぇ、政宗さん。政宗さんの時代のこと教えてよ」

「Ah-,オレの時代?」

「そう。私、歴史好きだし、その時代に生きてる人の話なんて、普通は聞けないでしょ。同時代を生きる政宗さんの眼から見た歴史上の人物とか……すっごく興味あるんだよね」

 これは嘘でも何でもないから、彰子の目は好奇心と興味できらきら輝いている。

「OK.いいだろう。オレと同時代ねぇ……」

 この時代に来てから政宗は彰子に教えてもらうことばかりで(そのうち半分くらいは実際に教えているのは猫たちなのだが)、自分が何かを彰子に教えることはない。それが面白くなかったから、彰子の言葉は政宗にとっても嬉しいものだった。

「そうだな……まず……」

 政宗はチラシの裏に簡単な日本地図を描く。北海道はないものの、形は大雑把とはいえ今の日本と同じだ。精巧な日本地図が作られたのは江戸時代の伊能忠敬によってだが、戦国時代にこんな知識はあったのだろうかと彰子は不思議に思う。尤もすぐさま『ま、BASARAだし』と思い直すことにした。彰子の認識は『BASARA=なんでもあり』だ。

「奥州一帯を治めているのがオレ、伊達政宗だ。その奥州に接しているのが、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、相模の北条氏政だな。それから……尾張・美濃一帯は織田信長、大坂に豊臣秀吉、中国が毛利元就で、四国に長曾我部元親、九州はザビー教と島津義弘だな」

 大体の勢力図を描きながら政宗は説明する。それを聞きながら彰子は心の中で『やっぱりBASARAだなぁ』と苦笑する。

 織田と豊臣が別勢力というのも、織田信長存命時に秀吉が豊臣姓を名乗っているのも、そもそも毛利元就が生きているのも、この世界の史実と比べ合わせれば可笑しなことだらけだ。

 だが、だからこそ、政宗が勢力を説明してくれたことは大きなきっかけになる。

「え……ちょっと待って、政宗さん。毛利元就じゃなくて毛利輝元じゃない? 上杉だって謙信公じゃなくて養子の景勝のはずだし、この頃武田は既に滅びてるはず……」

 何処から切り込もうか……と迷い、取り敢えず政宗の時代には代替わりしているはずの戦国大名を挙げる。政宗が19歳というなら、とっくに信長は本能寺の変で死んでいるのだ。本能寺の変は天正10年──政宗16歳のときの出来事だ。

「は? 何言ってんだ。安芸は確かに毛利元就だし、軍神の養子は景虎ってヤツだけだし……それに虎のおっさんはピンピンしてやがるぞ」

 政宗にしてみれば、彰子のとんでもない発言に目を丸くする。

「いやいやいや……っていうか、そもそも織田信長が天正13年に生きているはずがないし、豊臣秀吉は織田信長の配下で、信長が生きてるなら木下藤吉郎か羽柴秀吉を名乗ってるはずだし……ザビー教なんて聞いたこともないし……」

 取り敢えず突っ込めるだけ突っ込んでおく。政宗に責任はないが。ついでに政宗のくれた情報の中には『BASARA、ばんざーい』と彰子が喜んでしまう情報もあったが、さしあたって今は関係ないことなのでそこには触れないでおいた。

「はぁ!? なんだそれは……」

 政宗も不審そうな声を上げる。彰子は政宗が描いた勢力図をじっと見つめ、思案する(振りをする)。

「……政宗さん。ここ、政宗さんがいた時代の未来じゃないかもしれない」

 出来るだけ真面目な深刻そうな声で彰子は言う。

「こっちの歴史だと、今言った通りなんだよね。時代的に重なるはずのない人、重なるはずのない名前が出てきてる。毛利元就は政宗さんの曽祖父世代で、信玄公は祖父世代、謙信公と信長、秀吉、家康、長曾我部元親は父親世代のはずなんだよ」

 早婚のはずの戦国時代だから大体そんなものだろうと大雑把に言えば、政宗の驚きは更に大きくなる。

「確かに軍神や信長は親父と近い。だか、虎のおっさんもそう変わらねぇはずだし、徳川や長曾我部、毛利はそれほどオレと歳は違わねぇはずだぞ」

 うん、出演声優からそういう年代設定なんだろうなとは思ってたよ、と心の中で頷きつつ、彰子は言葉を継ぐ。

「うん……だから、この世界の過去と、政宗さんがいたのは違う世界なんじゃないかな」

 異世界とかパラレルワールドとか説明が面倒臭いなと思いながらも、彰子は『こういうことなんじゃないか』と並行世界についての説明をする。

「Fantastic……いや、CrazyでUnbelievableな話だな……」

 政宗は呆然としている。

 無理もないだろう。今の時代、映画をはじめとした様々なメディアで異世界トリップやパラレルワールドをモチーフにした作品は作られている。それが現実に起こりうる現象なのか如何かはともかく、大抵の人はそういう概念は知っている。更にいえば彰子は元々半オタクであり、そういう現象を取り扱った作品に触れる機会も多く、何より自分がパラレルワールドからこの世界に移動している。

 だが、政宗の時代には、まだ地球が丸いという概念も浸透していないはずだ。パラレルワールドなんて理解の範囲外だろう。

「でも、そう考えないと説明がつかないんだよね」

「彰子が嘘を言ってるとも思えねぇしな……。そういうことなんだろうな」

 さらっと彰子を信頼している発言をし、政宗も頷く。

 彰子の話によれば、自分がいた世界とこの世界の過去は似たところもあるらしい。元号や帝も同じだし、各武将の勢力圏──大元の地盤──も同じ。軍神と甲斐の虎が好敵手であることも、謙信が信玄に塩を送ったエピソードまで同じ。違うのは武将たちが生きている年代。そして、天下の状況。

「この世界の歴史だと、天正13年にはほぼ天下は統一されてるの。一部の武将が抵抗を続けてはいたけれど……大きく趨勢は変わらない、変わりようがないところまで天下統一は進んでいた。でも、政宗さんの世界は違うんだね」

 彰子の言葉から政宗は察する。この世界の『伊達政宗』は天下を獲れなかったのだろう。だからこそ、昨日彰子は誰が天下を取ったのかという問いに『教えらない』と言ったのだ。

「オレの世界とこっちが違うってんなら、誰が天下を獲ったか教えてくれてもいいんじゃねぇか、Honey?」

 自分の世界とは違う、似て非なる世界。だが、状況や境遇が酷似している同じ名前の人物たち。彼等が如何なったのか、自分と同じ名を持つ人物はどうなったのか。それには興味がある。

「……まず、ハニーってやめてよ。私は政宗さんの恋人でもなんでもないし」

 一応突っ込んでおく。カッコイイ男性に甘い言葉を囁かれればそれはそれで女として嬉しかったりもするが、流石にハニーは嫌だ。自分には恋人もいるのだし。

 それに政宗はニヤリと笑って肩を竦めただけで応えない。改める気はないのかもしれない。その上で目で問いの答えを促してくる。

「うーん……政宗さんの世界に影響を与えかねない質問だよね」

「No problem.どんな答えを聞こうがオレが天下統一を目指すのは変わらねぇ。ただ興味があるだけだ」

 そう、ここが自分のいた世界の未来だったとしても、『伊達政宗は天下を獲れない』と言われたからといって諦める心算もなかった。況してやパラレルワールドであり、異世界なのだ。だとしたら、何の影響もない。

 そのきっぱりとした強い意志の込められた声に彰子は『まぁ、いいか』と頷く。余計な情報は与えるなと草紙神には言われたが……本人の意志も強いのだから構わないだろう。但し、元の世界に戻ってからこの話は誰にも他言しないようにとは一応注意しておく。

「前提として、信玄公が祖父世代、信長・秀吉・家康・謙信公が父親世代ってことを覚えておいてね。政宗さんは──こっちの世界の伊達政宗公は生まれるのが10年早ければ天下を獲っていたかもしれないといわれている方なの。遅れてきた戦国武将といわれてるわ。そういう意味では政宗さんの世界は、こっちの世界の伊達政宗公にとってみれば羨ましいかもね」

 こちらの世界の伊達政宗の話をし、それ以上の『伊達政宗』情報は出さない。やはり一番影響が深そうなだけに慎重にならざるを得ない。

「天下統一は一人の武将だけで成し遂げたわけじゃないの。こういう言葉があるわ。『織田が搗き豊臣が捏ねた餅を徳川が食う』ってね。ほぼ天下統一まで持っていったのが織田信長。でも彼は家臣に殺されて、その仇を討った豊臣秀吉が更に天下統一を進めたわ。そして最後まで抵抗していた関東と奥州を下して天下を統一した。秀吉の亡き後、豊臣を滅ぼして天下を手中に収めたのが徳川家康よ。そして徳川幕府を開き、日本は260年もの間、戦いのない平和な世になったの」

 ついつい好きな時代だから熱く語ってしまいそうになるのをぐっと堪え、彰子は出来るだけ簡潔に説明した。充分長い説明だが、これでも彰子にじては短く纏めたほうだ。

「豊臣に徳川か……。魔王のおっさんの仇を豊臣が討ったってのがオレの世界じゃ有り得ないな。豊臣は魔王のおっさんに敵対する急先鋒だ」

 改めて自分の世界との違いを実感する政宗である。

「軍神と虎のおっさんはどうなんだ? オレのところじゃ、虎のおっさんは天下を狙ってる。今のところ、オレの最大のrivalだが」

「うんと……こっちの歴史でも信玄公は天下を狙ってた。でも、病で亡くなるの。結局後継者だった息子は偉大な父親の影に押し潰されるようにして滅亡したわ。謙信公も信長より先にやっぱり病で亡くなってるの」

 武田が実質織田との戦いで滅びたことは言わない。ついでにいえば、完全に滅亡したわけではない。武田遺臣団は徳川に召抱えられているし、信玄の次女見性院は徳川家光の異母弟を養育し、武田の名跡を継がせようとしていた。

「なるほどね……。オレの世界の虎のおっさんと軍神には長生きして欲しいもんだぜ。病なんかで斃れられちゃ面白くねぇ。で……気になってたんだが、如何して虎のおっさんと軍神だけ、敬称つけてんだ?」

「あれ……そうだっけ。うん、まぁ、歴史上の人物で一番尊敬してるのが謙信公なんだよね。色々調べてるうちに、その最大の好敵手である信玄公も尊敬するようになって。だからついつい、このお二方には敬称をつけちゃうんだよね」

 創作上の人物でもごく一部は敬称なしでは呼べない彰子である。某歌劇団で有名な昭和の少女漫画の男装の麗人には『様』をつけてしまうし、某遅筆作家のペルシャ風英雄叙事詩小説の主人公には『陛下』をつけてしまうのだ。つけずにはキャラ名を呼べないあたり、結構重症なのかもしれない。

「ほう……尊敬ね。どんなところが?」

 聞いてきたのを幸いと、彰子は歯止めを失った。熱く熱く上杉謙信について語り、政宗から別世界の謙信の話を聞き、時間を忘れた。

「ママ、そろそろいい加減にしませんと、お買い物と公園の案内をする時間がなくなりましてよ」

 そう真朱に諌められるまで、それは続いたのだった。