にゃんこの功績

 近所のショッピングモールで紳士服売り場、下着売り場、靴売り場をパタパタと走り回り、ついでに今晩と明日の食事の材料を買った。

 かなりの大荷物だったが、この程度は慣れている。彰子が所属するテニス部は部員数が200人を超える超大所帯にも拘わらずマネージャーは彰子一人。部長の跡部が厳しいこともあって、人気があるというのにマネージャー候補が居つかないのが現状だ。2年間そんな大所帯の面倒を一人で見てきているのだから、この程度の荷物なんてお茶の子さいさいというわけである。

 ともかく早く戻らないと異世界に来たばかりの政宗は不安だろう。それになんだか政宗は好奇心が旺盛そうだから、下手に時間をかけて退屈させてしまうと、部屋の中の探索なんて始めてしまうかもしれない。寝室に入られてパソコンなんて触られたらどんな被害が出るか判ったもんじゃない。

 尤も、政宗がそこまで傍若無人で勝手に他人の物を触るとも思えないし、ヤバい者は猫たちは阻止してくれるだろうが。

 急げ急げと自分に言い聞かせて、それでも約2時間が経過し、慌ててダッシュで帰宅すれば……

「萌葱の所為で、人間の言葉が話せること、ばれてしまいましたの」

 という、真朱の衝撃の告白に出迎えられたのである。






「お待たせ致しました」

「いや、構わねぇよ。猫たちのおかげで退屈しなかったしな」

 長時間の留守を詫びる彰子に、政宗は気にするなとあっさりと言う。その政宗の後ろには萌葱が半分隠れ、『かーちゃん、ゴメン! マジでゴメン! 俺、チョー反省してる!!』とウルウルお目々で見上げてくる。己の見かけの愛らしさを充分に自覚しての行動だが、反省しているのは事実のようだ。真朱と撫子──妻と娘にこってり絞られているらしい。

「……そう、ですか」

 足元の真朱と撫子は『冷蔵庫と電子レンジと携帯電話とお風呂の使い方もちゃんと説明しましたわよ』と胸を張る。褒めて褒めてごろにゃ~んといったところだ。

「取り敢えず……衣服を買ってまいりましたので、まずは着替えていただけますか」

 買ってきたジーンズとシャツ、それから下着を取り出す。生憎と男性の下着を恥ずかしがるほど初心うぶでもない。実家にいた頃は父の下着を洗濯したり畳んだりしていたし、今も恋人をはじめとした部活の仲間の下着を合宿では洗濯したりする。ちょっとは羞恥心持って遠慮しろよと思わぬでもないが、まぁいい。忍足の下着に関しては自宅で洗濯するときは何となく気恥ずかしさもあるが、それは『恋人の下着を洗う』という行為が嬉し恥ずかしという状態なだけである。

 取り出した衣服を政宗に渡して、それぞれの着方を説明する。ジーンズのファスナーとボタン、ランニングの着方と着る順番くらいなものだが。下着も替えてもらう為、当分政宗の私室となる和室で着替えるよう頼み、唯一の同性である萌葱がフォローの為についていく。

 彰子は渡した分以外の衣類から値札などのタグを取り外し、テーブルの上に畳んでいく。今回買ってきたのは、シャツとランニングのアンサンブルが2組とTシャツが1枚。ジーンズ1本とチノパン2本、寝巻き用の浴衣一式、下着と靴下がそれぞれ3組にローファー1足。それから、外出時の眼帯代わりのサングラス。

 食器は一応来客用のものがあるし、歯ブラシも買い置きがある。というか、歯磨きの習慣があの時代にあったのかも判らないので、取り敢えず新たに買うことはしなかった。

 政宗の為に買い揃えたものを眺めながら彰子は思案する。その視線はサングラスに注がれている。

『独眼竜』政宗。その名の通り彼が隻眼なのは周知のことだ。天然痘の後遺症により右眼球を抉り取ったと言われている。傅役もりやくだった片倉景綱が政宗の劣等感の大本であるその眼球を抉り出したとも、剣術指南の折に政宗自身が脇差を右目に刺して景綱に抉り取るように命じたとも言われている。

 また、死に際しては政宗は自分の肖像画などに全て右目を書くように指示されていたともいわれており、『右目』が政宗にとってのコンプレックス──トラウマの一つであるというのはほぼ通説と認識されている。天然痘罹患とその後遺症による右目損傷が、母保春院との確執の一因となったともいわれているほどである。

 ともかく、彰子が知る限りの創作物(戦国BASARAの二次創作を含め)では、政宗はこの右目にかなりのトラウマがある。取り扱いには要注意だ。

 彰子にしてみれば、この右目や天然痘罹患の後遺症は別に如何ということはない程度のものでしかない。16世紀のことなのだ。天然痘の致死率は相当高かったはず。18世紀のルイ15世の試飲も天然痘だったんじゃないか、『ベルサイユのばら』によれば。天然痘=死の病と認識されていたはずだ。

 そんな天然痘に体力のない幼い頃に罹患し命が助かっただけでも凄いことだと思う。全身に痘瘡が残っても当然の病気だが、政宗の体には少なくとも見える範囲にはその痕はない。寧ろ女である彰子が羨ましくなるほど綺麗なお肌だ。右目を結果として失ったのは辛いことではあるだろうが、逆にいえば右目だけで済んでラッキーだったのではないか。

 更にいえば、右目を抉ったといわれているのは片倉景綱、つまり家臣だ。主君の若君の右目を抉り取るなんて、仮令本人が望んだことだとしても、下手をすればそのまま処刑されたとしてもおかしくはない。なのに片倉景綱は政宗の心を救う為に自らの命を賭したのだ。それほどまでに家臣に忠義を尽くされた政宗は幸せ者以外の何者でもないだろう。

 この時代にだって、体の何処かを損なっている人は普通に存在する。傷跡も個性とまではいわないが、ある意味肉体的ハンデを負った人たちはそれをバネにして何かに秀でていたり、精神的に優れている人も多いのは事実だ。

 だから、彰子は隻眼だからといって変に同情したり、況してや蔑んだりする気持ちは欠片もない。負の意味で特別視する心算は一切ない。寧ろ遠近感が狂う隻眼でありながら、最前線で剣を振るうほどの腕を持つ政宗を凄いと思う。

 しかし、その彰子の考えと、政宗自身が如何思っているかはまた別問題だ。ゆえに如何接するべきなのかを迷っていた。

 とはいえ、別に家の中にいるのであれば、あの眼帯でもなんら問題はない。話題として触れなければそれでいいだけのことだ。問題になるのは外に出る場合だ。

 どれだけの期間、政宗がこちらの世界にいるのか判らない。2~3日で帰るのであれば、家の中で我慢しろで済む。しかし、長期間……1週間を超えるようであれば、政宗も流石に退屈だろう。家の中に篭りきりでは気も滅入るだろうし、外の世界への興味もあるだろう。家の中に押し込めておくのは忍びない。

 しかし、である。そうなると問題なのはあの眼帯だ。明らかに刀の鍔である。ゴツすぎる。ファッションと言い張るには若干無理がありそうだ。確かに今はファッションで眼帯をする人もいるにはいるが、やはり目立ってしまうだろう。なにせ、政宗は芸能人といっても通用するほどの精悍な美青年だ。

「ママ、色々と気を回しすぎのように思いますわよ」

 彰子の様子に真朱が苦笑する。この飼い主──真朱たちは飼い主というよりも母親のように思っているが──は生来、生真面目なところがあり、なまじ頭も良いだけに色々と気を回しすぎてしまう。先回りして、しなくてもいい心配をしてしまうことが多いのだ。まさに杞憂の見本。

「かなぁ」

 真朱の言葉に彰子も苦笑する。確かに今自分がここであれこれ悩んでも仕方ない。政宗は一時的な来客だ。何れは自分の世界に還るはず。深く関わる必要はない。今ここにいる間だけ、衣食住の提供をすればいい。彼の内面にまで立ち入る必要は全くないのだ。

「着替えたぜ」

 彰子が気持ちを切り替えたとき、政宗が和室から姿を現した。ジーンズにランニングと長袖のシャツのアンサンブルという、至ってシンプルな服装だ。よく似合っていて、政宗が着ると何処かの高級ブランドのようにも見える。その実、880円のジーンズと1000円のアンサンブルなのだが。

「着替える際にご不明な点はございませんでしたか?」

「ああ、萌葱が説明してくれたからNo problemだったぜ」

 それなら良かったと頷きながら、彰子は他の衣服を政宗に渡す。但しサングラスは取り除けて。

「当座の着替えです。和服──このひとえは寝巻きとしてお使いください」

 デフレの影響か、はたまた安価な化学繊維のおかげか、今は帯と合わせても浴衣ならば諭吉一枚で買える。流石に寝るときくらいは馴染みのある格好がいいだろうと、浴衣を買って来たのだ。日常着まで和服にするにはお財布が悲鳴を上げそうだったからしなかったのだが。

「Thanks.気を遣わせて悪いな」

「お気になさらずに。勝手にしていることですから」

 意外と申し訳なさがる政宗に苦笑しつつ、彰子は応える。

 異世界トリップなんて超常現象に遭い困っている人を見捨てるほど彰子も鬼ではない。況してや自分の部屋に落ちてきたのだから仕方ないだろう。嫌々面倒を見るよりも楽しんだほうが気も楽だ。これは相手が一方的とはいえ知っている人物──キャラクターだからというのもある。頭が良くて既に大人で理解が早いのも助かるし、おまけにイケメンだから目の保養にもなる。

 元々世話好きな彰子ではあるが、面倒臭がりな面もある。一から十まで説明しなければならないとしたら、途中で放り投げたくなっただろう。そういう彰子の性格を熟知しているがゆえに、猫たちも留守中にある程度のことを政宗に説明しておいたのだ。

 さてこれから如何するか、と時計を見れば午後4時。夕飯の準備をするにはまだ早い時間だ。かといって政宗を放置して自室に篭っていつものようにネットをするわけにもいかない。やはり何日かは判らないが同居するからには、ある程度のコミュニケーションはとっておくべきだろう。

「ところでこれからのことなんだがな」

 そんなことを考えていると、政宗が口を開いた。いつの間にか政宗はソファに腰を下ろしている。こういうところでも順応性の高さが窺われる。

「ああ、然様ですね。……少々お待ちください。飲み物をご用意致します」

 買い物から戻ったばかりだから一息つきたいところだ。彰子は政宗に断りを入れ、キッチンへ行く。

 コーヒーメーカーにブルーマウンテンをセットし、お茶請けを探して戸棚を覗き込む。生憎クッキー類は買い置きを切らしてしまっている。あとは煎餅やおかきしかない。バリバリボリボリと音を立てる煎餅は、話をしながらには合わない気がする。

 まぁお茶請けはなしでいいかと諦めて、食器棚から来客用の者と自分のマグカップを取り出す。丁度出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、冷蔵庫からカットバターを取り出し、一つずつカップに入れる。某学生刑事漫画に出てきた長髪の私立探偵が好んだ飲み方だ。それを知って以来、彰子はブルマンといえばこの飲み方しかしない。

 バターが完全に溶けたことを確認して、彰子はカップを二つ持ってリビングに戻る。面倒くさいから手盆だ。行儀悪いだろうがいつものことだから気にしない。

「どうぞ、政宗様。コーヒーという南蛮渡来の飲み物です」

 コーヒーが日本に入ってきたのは江戸時代中期くらいだったはずと思いつつ、カップを政宗の前に置く。

「Thanks。奇妙な香りだな」

 そう言って、政宗はカップを手に取る。彰子の持ち方を見様見真似で。一口飲んで苦さと酸味に驚いたようだが、如何やら気に入ったらしい。

 ほっと一息ついたところで漸く本題だ。これからのこと。それを決めなくてはいけない。因みに猫たちは真朱が彰子の膝の上に、撫子がソファの背もたれに、萌葱はちゃっかりと政宗の膝に座っている。

「アンタが言うことを信じるなら、オレは何れ元の時代に帰れる。しかし、それがいつになるかは判らねぇってことだよな」

 政宗は確認するように問う。

「はい。尤も帰れるようになるというのは、わたくしの勘でしかありませんので……確定情報ではございません」

 流石に自分が異世界トリップ経験者でその状況と比較して……とは説明し難い。帰れる可能性と帰れない可能性は五分五分かもしれない。しかし、帰れないと決まったわけでもない。ならば希望となるほうを示しておくほうが、政宗の精神安定上好ましいだろう。

「All right.オレが元の時代に戻るまでの間はアンタの世話になるしかないわけだが……タダで世話になるのも心苦しい。かといってオレはこの時代の銭は持ってねぇ」

 意外と常識的というか良心的なことを言うなと彰子は驚く。城主……お殿様なんてものは奉仕されて当然と思っていそうなものだが。

 否、それは勝手な思い込みだ。色々な物語の中にもいるではないか。領主や国王は国を治め守ることの代償として税を徴収し敬われているのだということを理解している者も。政宗もそういうタイプの領主なのかもしれない。

「それは仕方のないことですから、政宗様がお気になさることではありません」

 毒を食らわば皿まで……ではないが、面倒を見ると決めた──それ以外の選択肢はなかったが──ときに多少の出費や面倒は覚悟の上だ。

「いや、恩を受けてそれを返せないなんてのは、オレの沽券に関わる。過去から来たオレに出来ることなんざ少ないが、出来ることはやらせてもらう」

「はぁ……」

 きっぱりと宣言する政宗に彰子は内心溜息をつく。政宗の気持ちは判らないでもないが、元々一人暮らしだし、別段やってもらうことなどない。寧ろ何かやられてそれがトラブルの元になっても困る。電化製品を壊されるとか……。

「ではお伺いしますが、政宗様はこの時代で何が出来るとお考えですか?」

 取り敢えず政宗が如何いったことを想定しているのかを確認してみることにした。

「そうだな……アンタが外に出るときのBody Guard」

「必要ございません。政宗様の時代と違い、こちらは夜道を女一人で歩ける程度には平和で安全です」

 まぁ、痴漢とか引ったくりとか犯罪者が皆無ではないが、あの時代に比べれば天国並みに平和で安全だろう。第一、外出時──主に通学だが──は大抵恋人と一緒だ。恋人となる以前から同じ時間帯に同じ場所へ行くお隣同士ということもあって、登下校はいつも一緒なのだから。

「Really? そいつはすげぇな」

 自領の城下町であればともかく、自分たちの時代には考えられない安全さに政宗は驚く。400年後の世界はそんなにも穏かな住みよい世界になっているのかと。

 尤も、自分の提案をあっさりと却下され、政宗はちょっとムッとする。他に出来ること……

「なんなら伽でもいいぜ。独り寝は寂しいんじゃないか?」

 ムッとしていたから意趣返し……というよりも子どもっぽい悪戯心でそう言う。一瞬彰子は聞き慣れない言葉に言われた意味を図りかねたが、判った瞬間『真朱、Go!』と猫に突撃指示を出そうとしてしまった。

「必要ございません。相手はおりますから」

 務めて冷静に返答する。言っている内容は顔から火が出るほどに恥ずかしいのだが。

「ほう、いるのか」

 少しばかり不快に思う政宗だったりする。別に性的なものがどうこういうわけではなく、単に揶揄う為に言った言葉だったに過ぎないが、それに返ってきた答えは意外なことに自分にとって面白くないものだった。何故か気に入らない。彰子にそういう相手がいることが。

「そうですね……。政宗様の徒飯食らいは厭だというお気持ちも判ります。ただ、まだ政宗様はこの時代に慣れていらっしゃいませんので、当分は『何もしないこと』を基本としていただけますか。慣れていらっしゃれば、追々何かしら手伝っていただきます」

 何もするなと言えば角が立つ。だから『今は』と一応限定しておく。

「尤も、慣れる前に帰ることが出来るのが一番いいのですけれど」

 不本意な異世界トリップなのだから、早くに帰れるに越したことはないのた。

「Sure」

 それには政宗もしみじみと同意する。が、『今は何もしない』という基本方針にはやはり不満があるようだ。それが表情にありありと出ている。まるでお手伝いすることはないと言われた子どものようだと彰子は苦笑する。

「ああ、猫たちから聞いていると思いますが、通常、わたくしは半日ほど不在にしています。ですから、その間の猫たちの相手と食事の世話をしていただけるととても助かりますし安心出来ます」

 いつもは朝出かけるときに、いつでも猫たちが食事出来るようにと水と餌は準備しておくが……出しっぱなしの水は温くなるし、餌は湿気を帯び風味も落ちる。だから、猫の餌やりをしてくれれば助かるというのは本心だ。本当は猫トイレの掃除もして欲しいところだが、流石にお殿様に排泄物処理までは頼めない。

「猫たちは……もうお判りかもしれませんが、わたくしにとって大切な家族です。わたくしが不在の間世話をしていただけると有難いのですが」

「OK.アンタの家族の世話、任されたぜ」

 政宗にしてもこれが彰子にとっての妥協点なのだろうと納得する。まぁ、彰子の言うように追々出来ることを増やしていけばいい。

 ひとまずお互いに妥協点を見つけたことで、この話は一旦終了となったのであった。