筆頭の事情

 彰子が出かけると、猫3匹がリビングへと戻ってきた。真朱と撫子はさっさと窓際に行き、昼寝を始める。しかし、萌葱はトコトコと政宗に寄って行き、テレビを見ている彼の膝の上に飛び乗った。

「てめぇ、人の膝の上に乗るなら一言断ってからにしろ」

 図々しい猫に政宗は苦笑しながら話しかける。勿論答えが返ってこないことは承知の上だ。しかし、萌葱は『んなー』と返事をする。如何やら人間の言葉が判っているようだと政宗は感じた。

「てめぇも珍妙な猫だな」

 膝の上の萌葱の頭を突きながら政宗は言う。確かに萌葱のような猫は政宗の時代にはいないだろう。萌葱たち3匹は外来種──ソマリだ。

「まぁ、お前のMasterも変わった女だから、飼い主に似たのかもしれねぇな」

 政宗の呟きに猫3匹は思った。外見の珍妙さと内面の奇妙さが似るわけないだろうと。そもそも自分たちは珍妙などではない。これでも両親ともにコンテスト入賞経験のある立派な血統書付のソマリだ。それに自分たちの大好きな母親(=彰子)を馬鹿にされたようでムッとする。特に彰子に一番べったりな真朱は相当気分を害している。

 しかし、それも政宗の表情を見るまでだった。政宗の表情は決して彰子を馬鹿にしたものではなく、好意的なものだったからだ。好意的というよりも興味を持っているというほうが正確かもしれない。

 これが同じ時代、同じ世界だったとしたら、仮令恩人とはいえ政宗はここまで彰子に好意的な意識は持たなかったかもしれない。政治的・軍事的か如何かは別としても、同じ時代ならば奥州筆頭である自分を利用しようと考える者は少なくない。一見無害に見える女でも油断は出来ないのだ。

 しかし、ここは自分がいた時代ではない。戦乱の世ではなくなり、自分たちが目指した泰平が訪れた世界なのだ。おまけに身分制度もなくなっているとなれば、自分の存在に利用価値などありはしない。

 いや、それどころか、自分は紛れもなく厄介者だろう。そう思うと政宗の中に自然と彰子への好意と興味が湧いてくる。突然現れた自分を無条件で受け容れてくれた存在に。

 さて如何やって時間を潰そうかと政宗は考える。彰子は一刻ほど出かけてくると言っていた。剣を振るうにしても天井が低くて室内では無理だし、かといって昼寝をするのはあまりにも無防備すぎる。彰子と猫たちに害意がないことは判ったが、いつ何時何があるか判らない。

 何か書物でもあれば……と思ったがこの部屋にはないし、女性の臥所に勝手に入ってしまうのも問題があるだろう。それに彰子は自分にこの国の歴史を知らせない方針のようだし、自分もその判断は正しいと思っている。どの書籍であれば読んでも大丈夫なのか、今の自分では判断がつかない。それにこの時代の文化に則した内容のものであれば、理解は難しいだろう。

 このテレビというカラクリも興味深いものだ。しかし、基本となるべき『常識』が違う為に見ていてもさっぱり理解出来ない。

「無駄につけていても仕方ねぇな。電気とやらいう燃料が切れても困る」

 政宗が呟いた言葉に小さく笑ってしまったのは、猫たちだけの秘密である。

 何もすることがなくなった政宗は、先ほど与えられたボールペンと紙を引っ張りだした。巧く使えなかったのが癪に障ったから、練習しようと思ったのだ。

「この紙も面白いな」

 手触りが自分がいた時代のものとは全く異なっている。彰子は何枚かの紙を用意していたのだが、それぞれに微妙に手触りが違うのだ。ざらざらしているものもあれば、つるつるしているものもある。光沢があるものもある。書かれている文字や絵は様々な色で彩られていて、これだけの複雑な色の組み合わせをするには何枚の版木と幾度の刷りをすればいいのやら、気が遠くなるほどだ。

「400年の間にどれだけ進んでやがるんだ」

 自分たちが生きている世界とは全く異なる世界。だが、この世界は自分たちの未来の姿なのだ。自分たちの世界はこの世界に繋がっている。

 彰子は、科学技術が急速に発達し生活が豊かになったのはこの100年ほどのことだと言った。そして、この60年ほどは全く戦とは縁のない国なのだとも。異国では戦もあるらしいが、この日ノ本は平和を享受していると。

 それは彰子を見れば判った。あれは戦いを、殺し合いを、策謀を知っている人間ではない。命の遣り取りや日常的に死と隣合わせの世界とは無縁の人間だ。命の危険など日常の中で感じることなどないのだろう。そして、それは彰子だけではなく、この時代に生きる殆どの人間に共通していることなのだろうと容易に想像がついた。

 しかし、それでいながら彰子は飲食物を出す際には危険がないと示すかのように目の前で茶を注ぎ、まずは自分から食べたり飲んだりした。そんな配慮をこの平和な世の人間があっさりと出来るものだろうか?

 だが、彰子は学問の研究が盛んで、歴史も研究されていると言っていた。実際自分の両親のことも知っていたし、あの口ぶりでは自分が将来何を行いどうなるのかも知っているようだった。だとすれば、自分たちが日頃どんな生活をし、どんなことを警戒しているのかも知識として知っているのかもしれない。

「興味深いLadyだぜ、彰子」

 自分でも気付かぬうちに政宗はにやりと笑っていた。

 そんな政宗の様子に(かーちゃん、変なのに目つけられたな)と膝の上の萌葱は溜息をついたのだった。






 膝に萌葱を乗せたまま、政宗はこれからのことを考える。とはいえ、全く見知らぬ世界。如何すれば元の時代に戻れるかも判らない。出来るだけ早く戻りたい。今すぐにでも。

 乱世なのだ。奥州筆頭と呼ばれるようになり、奥州全体を支配するようになったとはいえ、まだまだ地盤が安定しているわけではない。現代でいえば東日本の大部分を手中に収めているのである。陸奥・出羽・下野・常陸の4国──東北地方全域と関東地方の一部が現在の政宗の勢力範囲であり、当時は蝦夷地(北海道)には朝廷の支配が及んでいなかったことを考えれば、実に日本の国土の約3分の1を支配下に置いているといっても過言ではないだろう。

 僅か19歳の若き領主である。しかも隣接する地域には名門の北条家、越後の竜・軍神上杉謙信、甲斐の虎・武田信玄と名だたる武将が揃っている。

 長期間不在にすれば、国は混乱するに違いない。今の伊達家は政宗のカリスマによって纏まっている状態なのだ。

「誰かがオレの命、狙いやがったしな」

 呟かれた物騒な言葉に膝の上の萌葱はぎょっとして政宗を見上げる。真朱と撫子も寝たふりを忘れて政宗を振り返った。尤も自分の思考に沈んでいた政宗は猫たちの視線には気付かなかったが。

 政宗はこの世界に来たときの状況を思い出す。側近数名と共に領地内の視察に出た。田植えの時期を間近に控え、村々はその準備に追われていた。

 ここ暫くは領内が戦場になっていないこともあって、領民たちは穏やかな顔をしていた。伊達家は兵農分離を進めていたから、働き手が徴兵されることもなく、農民たちは戦に煩わされることなく、日々の仕事に励んでいた。

 幾つかの村を見て回り話を聞き、概ね満足して視察を終えた。特別気を緩めていたわけではない。だが、領民たちの明るい笑顔に気分も高揚し、注意力が散漫になっていたことは否めない。

 狭い山道──一方が山の斜面で他方は崖となった細い道──で襲われた。それでも政宗やその側近の敵となるほどの力を持つ者ではなく、あっさりと撃退した。生け捕りにし尋問しようとしたときに、それは起きた。観念したかに見えた襲撃者は思わぬ行動に出たのだ。政宗に飛び掛かり、そのまま断崖へと身を躍らせた。自らの命を犠牲にして政宗を亡き者にしようとしたのである。

 絶体絶命だと思った。自分はこんなところで名もない暗殺者に殺されてしまうのか。雄敵と渡り合い戦場に斃れるのではなく、こんな山の中で。

 だが、目覚めたとき自分は生きていた。そして全く見知らぬ土地──否、世界にいた。

 一刻も早く戻りたい。側近たちがどれほど心配して自分を探していることだろう。短時間であれば、伊達三傑といわれる忠実で有能な側近たちが領内を取り纏めてくれるだろうが、長期ともなれば混乱は必至だ。当主の座を巡って蠕動する者たちが現れる。不在の隙を狙い、領地を切り取ろうとする者もいるだろう。

 流石に武田信玄や上杉謙信が火事場泥棒のような真似はすまいが、奥州内の今は臣従している最上や葛西、大崎、南部といった元領主たちがまた独立を狙って動くかもしれない。

 しかし、如何すれば帰れるのか。そもそも還ることが出来るのだろうか。

『自然に機が熟せば戻れるんじゃないか……とは思います』

 自分を保護した彰子はそう言った。根拠はないと言ったくせに何故か自信有り気だった。何故彰子がそう確信しているのかは政宗には判らない。だが、政宗が知らない何かを知っているからこその確信なのだろう。それが何かを彰子が自分に告げないということは、過去から来た自分には知られてはならないことなのかもしれない。

「本当に変わった女だ」

 彰子を思い出し、政宗は苦笑する。意志の強い目をしていた。刀を退けと言ったときも歴史を教えられないと言ったときも。強い意志と知性を感じさせる瞳だった。

 過去から来たという如何にも不審人物である自分を『目の前で起こったことだから』とあっさりと受け容れ、更には帰るまで面倒を見ると言った。先刻家の中を案内されたが、如何やらここには彰子しか住んでいないようだ。一人で住んでいるところに歳が近いだろう男をあっさりと受け容れるとは……。

「あの女、警戒心が欠如してるんじゃねぇのか」

「やっぱりアンタもそう思うよなぁ」

 何処からかしみじみとした同意の声がしたが、他に人の姿はない。何処かに細作しのびが潜んでいるのかと思ったが、その気配は感じない。否、何処からかではなく、その声は確実に政宗の膝の上から発せられているのだから、細作ではないだろう。膝の上には猫しかいないが……。

 マジマジと膝の上の猫を見下ろす。膝の上の萌葱も政宗を見上げる。何処か狼狽したような顔をしているように感じるのは気の所為だろうか。

 するとそれまで窓際にいた真朱と撫子がトタタタタと走り寄り、萌葱にいきなり猫パンチを食らわせる。ペシペシと2匹の雌猫が萌葱を叱っているようだ。

「痛ぇよ、ねーちゃん、撫子!」

 はっきりと、膝の上の猫が喋った。口の動きと声が合っていることを確認した政宗は驚愕に目を見開く。

「Unbelievable……この時代は獣も喋るのか」

「ホンットにパパってお馬鹿よね!! ばらして如何するのよ」

 撫子は萌葱にライダーキックを食らわせて政宗の膝の上から蹴り落とし、そのまま再び頭をビシバシと叩く。確り爪も出していて、萌葱は相当痛そうだ。

「撫子、母が許します。徹底的にお仕置きしなさい。母はこの方に説明をしますから」

 萌葱だけではなく、真朱と撫子までが話し始め、政宗は呆然とする。400年も経っているのだ、猫も進化しているのだろう、多分。

「政宗殿、別に未来の猫だから人間の言葉が話せるわけではありませんわよ。わたくしたちが特別に賢くて、ママ──彰子様のことを大切に思っているから、人間の言葉を話せるようになったのです。全てはわたくしたちの努力の成果であって、他の猫も犬もこれほどまでにきちんとした人間語の会話は出来ませんことよ」

 テーブルの上にちょこんと座り、真朱は政宗に説明する。その堂々として理路整然と語る姿は飼い主である彰子とよく似ている。

「わたくしたちが人間の言葉を話せることは、ママしか知りません。わたくしたちはこの世界にあって異端なのです。貴方に対して人間の言葉を使ってしまったのは、萌葱がお馬鹿な所為でもありますけれど、丁度好い機会ですわ。ママが学校に行っている間は、この家に貴方とわたくしたちだけになりますからね。わたくしたちが話せることを知っていたほうが何かと便利でしょう。色々と教えて差し上げることも出来ましてよ」

 それに何れは自分の世界に還る人間であり、基本的に自分たち以外とは関わらないはずなのだから問題ないだろうと真朱は判断したのである。災い転じて福となす。或いは転んでもただでは起きない。それが真朱のモットーである。

 真朱は政宗をじっと見つめる。飼い主の彰子が政宗を受け容れたように、この猫たちも政宗を受け容れているのだと政宗は理解した。

 それと同時に、彰子があっさりと政宗の同居を認めたのは警戒心の欠如というよりも、この猫たちの存在があるからなのではないかとも感じた。──同列扱いとは思いたくはないが。

 そういえば、自分がここに現れた当初、彰子はともかく、この猫たちは自分を警戒し威嚇していたではないか。

「お前たちは彰子のBody Guardか」

 そう猫たちに話しかける政宗に、漸くお仕置きを終えたらしい撫子と萌葱もテーブルの上に並ぶ。本当はテーブルの上に乗ることは彰子に禁じられているのだが、政宗と目線を近くして話す為には仕方がない。

「そうだぜ。俺らはかーちゃんを守ってるんだ。かーちゃんボケボケだし」

「おかーさんってどっか抜けてるからねー」

 萌葱と撫子が返事をする。口ではそんなことを言いながらも猫たちの声からは飼い主である彰子への愛情が感じられた。

「政宗もここにいる間は俺たちと一緒にかーちゃん守れよ。世話になるんだから、それくらいやるよな」

 猫に呼び捨てにされ、おまけに命令されているのに不思議と不快には感じない。小さな子供に言われているのと同じように感じるからだろうか。

「そうだな。お前たちのMasterには恩もあるから、それくらいはしねぇとな」

 見たところそれほど広い家でもない。一人で住んでいるということは、恐らく親はもう亡くなっているのだろう。だとすれば決して裕福な暮らしではないはずだ。そこに自分のような何も知らない者を抱え込む破目になって、余計に彰子の生活は苦しくなるのではないか。

 この世界の者ではない自分が金を持っているはずもなく、ここにいる間は彰子によって養ってもらうしかないのである。奥州筆頭ともあろう者が他者の情けと施しに縋りっぱなしにはなれない。状況的に仕方ないとしてもだ。せめて自分の出来ることで彰子の恩に報いなければならない。

 因みに彰子の生活が苦しいというのも裕福ではないというのも、政宗の勝手な思い込みである。狭い家とはいっているが、現代人の一人暮らしとしては充分過ぎるほど広いマンションだし、生活費も草紙神から潤沢に与えられている。少なくとも大学卒業まではアルバイトをせずとも余程の浪費をしなければ余裕のある生活をすることが出来るのだ。その証拠にこの世界に来てから彰子は既に400万円近い貯蓄が出来ている。家賃とは学費は別に草紙神が振り込んでいるから、生活費の半分以上が余ることになるのだ。そもそも家の広さを城と比べたら財閥御曹司である跡部の家(通称跡部ッキンガム)の家ですら『貧しい』となってしまうだろう。

「そういえば、彰子は学校とやらに行ってるんだよな」

 学校が学問所だということは聞いていたが、それ以外はさっぱり判らない。すると心得たように猫たちは学校についての説明を始めた。6・3・3(+4)で12(or16)年の教育制度やどんなことを学習するのかを説明し、政宗の質問にも猫たちはすらすらと答えた。かなり突っ込んだ質問も政宗はしたのだが、猫たちはそれについてもきちんと答えた。時折真朱が彰子の寝室に入って何かをしてから答えることもあった(ネットでググっていたのだが、政宗には当然判らない)が、概ね政宗は教育についてはある程度知的好奇心を満足させることが出来た。ぶっちゃけ周囲にいる彰子をはじめとした人間が偏差値的な意味でも頭が良く知識量も多い為、猫たちもなんだかんだと頭脳明晰なのである。

 それはともかくとして、これら猫たちの解説により、政宗は彰子が高等学校と呼ばれる教育機関に通っていること、そこの3年生で今年18歳になるということを知る。更に彰子がとても優秀な生徒であり、望めば日本最高レベルの最高学府にも進学出来ること、学友たちからも信頼が厚いことをまるで自慢するように、というか鼻高々に自慢しまくりで猫たちは説明した。ママ大好きな猫たちにしてみれば、彰子は自慢の飼い主なのだ。

 ついでに猫たちはカレンダーの見方や七曜制についても教えた。今日が土曜日であること、明日は日曜日であり世間一般は休日であること、土日は学校が休みであることも伝える。つまり、今日明日で出来るだけこの時代に慣れるように、というわけだ。

「月曜には学校が始まりますから、それまでに貴方がここでの生活を把握してくだされば、ママも安心なさいますわ」

「That's all right.判らねぇことがあってもお前たちがFollowしてくれるんだろ」

 ニヤリと笑って政宗は了解の意を伝える。尤も猫に教えられるというのも微妙だと思いはしたが。






 結局、彰子が買い物から戻ってくるまでの間に、猫たちはキッチンの家電製品の使い方から、バスルームの使い方、果ては携帯電話の使い方まで政宗に指導していたのである。携帯電話以外は猫たちは当然ながら使ったことはないが、使い方は彰子をみてきちんと理解していたのだ。






 帰宅した彰子が、猫たちと話をしている政宗を見て驚いたのは言うまでもない。