未知との邂逅

 第一関門はクリアしたとはいえ、まだまだやることはある。

「で……オレの還る方法はあるのか?」

 行き成り核心を突いてこられて、彰子はウッと言葉に詰まる。

「……判らないとしか申し上げようがございません」

 異世界トリップにしろタイムスリップにしろ、科学的にはまだ実証されていない現象だ。少なくとも一般の認識は現代の科学ではフィクション上の現象でしかない。謂わば超常現象だ。その原因や仕組みが一般庶民しかも完全に文系頭の彰子に判るはずがない。

「まぁ、当然だな」

 政宗も答えを期待していたわけではなく、取り敢えず訊いてみたという程度のことらしい。何しろ425年も未来の世界なのだから、時を渡る術が出来ていても不思議はないと思ったようだ。

「ただ……一度こちらに来てしまわれたということは、自然に機が熟せば戻れるのではないか……とも思います」

 これもまた、根拠のない発言である。だが、なんとなく彰子は政宗は何れ帰れると確信していた。

 自分の場合は草紙神という超自然的な存在によって連れて来られた。そしてはっきりと還れないと言われた。だが、政宗と自分のトリップ状況は明らかに異なっている。先ず第一に自分は元の世界の自分のままではなかった。16歳ほど若返っていたし、容姿も若干上方修正されていた。更に既にこの世界に戸籍が作られており、住居をはじめとした生活環境が整えられていた。何よりトリップ直後に神様直々の説明があったほどだ。ついでに言えばその神様は月に1回は様子を見に来るし、彰子が旅行や部活の合宿などで長期不在になるときには猫の餌やりとトイレ掃除に来てくれる。なんとも敷居の低い神様である。

 一方の政宗は恐らく、なんら元の世界との変化はない。ゲーム画像とアニメからの推測だが。いや、アニメに比べれば数倍美麗にはなっている。アニメではカッコイイ系だが、この政宗は綺麗系だ。

 また、この世界での受け入れ態勢が出来ているわけでもなさそうである。もし仮に受け入れ先として彰子のところが設定されているのだとしたら、恐らく草紙神から事前に連絡があったはずだ。連絡がないのだから、政宗のトリップはほぼ間違いなくアクシデントだろう。草紙神によれば、アクシデントによる異世界トリップやタイムスリップには必ず揺り返しがあるという。異世界トリップやタイムスリップして来たモノはその世界にとって異物であり、世界はそれを排除しようとする。それは元の世界に異物を押し戻すことになるらしい。

「こちらで過ごされる間の暮らしについては、わたくしがお世話させていただきますので、ご安心ください」

 乗りかかった船だから仕方ない。本当は『面倒臭ッ』と放り出したいところだが、それは余りにも鬼の仕打ちだろう。

 というか、何で自分はこんなにも謙っているのだろうと彰子は疑問に思った。尤も謙っているのは言葉遣いだけなのだが。

「面倒をかけて悪いな」

 本当に申し訳なさそうに政宗は言う。こんな表情もするのかと彰子は意外に思ったが、彼のことを全て知っているわけではないしと納得する。飽くまでも自分が知っているのはアニメとゲーム。それが彼の人生の全てではない。

 彰子は自分が異世界トリップをしてから理解したことがある。同時にそこから推論づけた世界観を持っている。今自分が住んでいる世界は、元々自分が生きていた世界では漫画だった世界だ。けれど、この世界は漫画そのものではない。その漫画と環境の別世界だと思っている。

 AとBというパラレルワールドが存在し、パラレルワールドは直接は交わらないものの、互いに影響を与え合う。Aの世界の現象がBの世界では漫画やゲーム、映画や小説といった創作物、あるいは伝説や神話として世に現れる。同様にBの世界の出来事もAの世界に創作物として現れる。何かの本でそんな説を読んだ記憶がある。多分そういうことなのだと彰子は思っている。

 つまり、この政宗も『戦国BASARA』と同じ世界観を持つパラレルワールドから来たのだと思うことにしたのだ。それは政宗を『ゲームキャラ』ではなく、一人の人間として認識する為に必要な心理的な作業だった。

「滅多に出来る経験ではございませんし、楽しむことに致します。歴史上の偉人と生活出来る機会など普通は有り得ないことですから」

 トリップしてしまったのも、彰子の許へ来たのも、結果的に2ヶ月ぶりのデートを潰してくれたのも、政宗自身には何の責任もないこと。政宗が気に病む必要はない。そう考えて彰子は敢えて明るく言う。

「そこで、これからの為に政宗様の現代の衣服を揃えたいと存じます。後ほど買い物に行ってまいります」

 でもその前にお昼ご飯にしようと彰子は立ち上がる。何かあったかな、今日は外でランチ予定だったから、禄なものはなかった気がする。

 そこまで考えてからはたと気付く。確か戦国時代は一日二食だったはず。昼食の習慣はなかったはずだ。だからといって、一応お客様を放って自分だけ食べるわけにもいかないし、買い物ついでにランチでは時間もかかる。何より土曜日だ。ファミレスにしてもファーストフードにしても混んでいるだろう。

 だとすれば、選択肢は一つしかない。

「これから昼食……昼の食事を摂りますが、政宗様もご一緒に如何ですか? 政宗様の時代には昼餉の習慣はなかったと存じますが」

「郷に入っては郷に従えというからな。馳走になる」

 順応力高いですね、筆頭。若干呆れつつ、そのほうが面倒もないかと彰子は内心で苦笑する。

 料理している間は暇だろうし、何れ通る道だし、この順応力なら問題はないだろうと、彰子はもう一つの説明をすることにした。現代生活に当たり前にあるもの──文明利器の説明だ。要はテレビである。

「待っている間はお暇でしょうから、この時代の娯楽を見ておいていただけますか」

 そう言い、テレビのリモコンを渡す。そして、それぞれの名称を言うことで詳しい説明はすっぱりと切り捨てる。

「この小さな『リモコン』というものを操作することで、あの『テレビ』という箱の表面に様々な絵や芝居が出てきます」

 リモコンの簡単な操作を教え、スイッチを入れる。突然真っ黒だった画面に明かりが点り、映像が流れ出したことに政宗は驚愕する。

「色々と不思議に思われることやご質問もおありでしょうが、それは後ほど。先に食事のご用意を致しますので」

 驚いている政宗を放置し、彰子はさっさとキッチンへ戻る。説明を放棄したわけではない。放棄したいのは山々だが。如何に説明すべきかを料理をしながから考えるのだ。

(電波とか、通信とか、LEDとか、如何やって説明するのよ。私だってよく判ってないのに……)

 軽く溜息をつきながら、彰子は冷蔵庫の中を覗き込む。一人なら面倒くさいから冷凍食品かインスタントラーメンで済ませるところだが、政宗がいるのでそうもいかない。冷凍食品はパスタやドリアといった洋食だし、ラーメンだって戦国時代にはまだなかったはずだ。日本で最初にラーメンを食べたのは自称越後の縮緬問屋のご隠居で諸国漫遊している天下の副将軍だったはずだ。

 お箸で食べられるもののほうがいいよなぁと頭を捻る。白米は炊いていないし、無難なところで麺類だろう。幸いなんとなく食べたくなった冷やし中華の麺を買い置きしておいたので、それを食べることにする。

 これまた幸いに4月とはいえ、今日はかなり暖かい。最早初夏の気温だ。天気予報では6月上旬の気候だと言っていた。夏の風物詩的な冷やし中華でも問題はないだろう。

 麺を茹でるお湯を沸かしつつ、手早く錦糸卵を作る。ハムときゅうり、トマトといった材料も準備し、麺を茹で上げる。そういえば、昔は仏教の影響か、肉食は不浄だと言われていたような……でもまぁいいか。別にハムの材料なんて聞かれなければ態々教える必要もないし……なんてことを考えている間に準備は出来上がる。

 そして調理時間という時間稼ぎで、文明の利器への説明方法も決める。──ある意味開き直りともいうべき簡単で面倒のない説明の言葉を彰子は纏めていた。

 出来た冷やし中華二皿と箸をトレイに載せ、リビングへ戻る。テーブルを布巾で拭いた上にランチョンマットを敷き、皿を並べる。政宗は見ていたテレビから視線を外し、テーブルの上の皿に目をやる。因みに政宗が見ていたのは現代もののサスペンス2時間ドラマの再放送だった。

「お待たせ致しました。冷やし中華というこの時代の料理です」

 詳しい説明は一切なし。『この時代の』という言葉で全てを省略して完了だ。

「では、いただきます」

 手を合わせて彰子は箸を付ける。安全性確認の為に先に料理を口にした。料理をしているときも視線を感じはしなかったし、現状を受け入れている政宗であれば無用な警戒はしないだろうが、見慣れない食べ物への不安はあるだろう。彰子が食べたのを見て、政宗も箸を付ける。

「delicious。なんだ、これは」

 訊かないで欲しかったと彰子が思ったのも当然かもしれない。肉食が不浄として忌み嫌われていたのであれば、お手討ちものかもしれないからだ。

「それはハムというこの時代の加工食品です」

 最早、某有名時代劇の葵の印籠の如く『この時代』を発動する。

 とはいえ、これからどれだけの期間、政宗がここに居るのかも判らない。その間一切の肉食を断つことも難しい。料理のレパートリー的にも、彰子の好み的にも。だったらちゃんと言っておいたほうがいいかもしれない。

「豚の肉を加工した食品です。詳しい製法は存じませんが」

「ほう、豚なのか。面白い食感だな」

 あっさりと政宗は豚肉加工食品を受け容れた。実は『明治時代以前までは肉食は不浄なものとして忌まれていた』というのは誤解なのだ。彰子はなんとなくそう聞いたことがあったなぁと用心していたのではあるが、はっきりと根拠を調べたことがあったわではない。

 実際に当時の人々は様々な肉を食べている。牛・豚・鳥(鶏だけではなく、鳩・雉・鴨・山鳥など様々)・鹿・猪・兎など、現代の日本よりも日常の食肉は多様だったのだ。

 問題なくパクパクと流麗な箸捌きでハムを食べている政宗の様子に彰子は安堵し、後で食肉の歴史について調べてみようなんてことを思っていた。

「ところで、あのテレビってやつは面白いもんだな。あの薄い箱の中に人がいるわけでもねぇんだろ」

 いるとしたらどんな小人だという話だ。

「然様でございますね。あのテレビというカラクリは情報を受け取り、それを映し出しているだけでございますから。大元のテレビ局という商家から電波というものに様々な情報が乗せられて送り出され、それをあのカラクリが受け取っております」

 テレビ局は商家なのか? 役所じゃないから強ち間違いではないだろうが。キー局ならば問屋といってもいいのかもしれない。なんてことを考えながら、彰子は答える。

「電波?」

「そういうものがございます。目には見えませんが。他にも、明かりやこのテレビをはじめとした色々なカラクリを動かす燃料は電気と呼ばれるものです。これも目には見えませんし、触ることも出来ません」

 実に大雑把なざっくりとした説明をする。とはいえ、不思議なものを目の当たりにして質問をこれまで封じられていた政宗にしてみれば、それだけでは納得し難い。

「電気に電波ね。如何いうものなんだ、それは」

 従って政宗にとってはこの質問も当然のものだ。この質問をされることを彰子は恐れていたわけである。

 彰子は完全に文系人間である。学生であるから教科としての科学や物理は勉強するが、それは飽くまでも一般教育の範囲内のことであって、所詮は受験勉強の域を出ない為、深く知ろうとは思わない。また、典型的なオタク気質とでもいうか、興味を持ったことはとことん細部に渡ってまで調べるが、興味のないことは幼稚園児以下の知識しか持たないのだ。

「大雑把に申し上げると、電波は遠く離れたところに絵や音を伝えるもの、電気はカラクリを動かす為に必要なものです。それ以上の詳しいことはわたくしには説明出来ません。生まれたときから当たり前にあるものなので、テレビにしてもここにあるもの全てにしても『そういうもの』としか思っておりませんでしたから」

 生まれたときから身の回りに当たり前にあるものだから、その原理とか仕組みなんてものは気にもせず、ありのままに受け止めているのだ。周囲に溢れる全てのものの原理や仕組みを一々気にしていたら生活が成り立たないから、大抵の現代人は先人たちの偉業にぼんやりと感謝しつつ、不思議に思うことなく受け容れているのである。

「勿論、原理や仕組みを気にする人はいます。そういう人たちは自分が満足するまで調べたり学んだりします。その大半は専門の技術者になったり、研究者になったりします。専門的な知識が必要なことなのです」

 彰子がそう言えば、政宗は納得したような、しかねるような複雑な表情をしている。

「例えば如何して昼の空は青いのに朝と夕方には茜色に染まり夜には暗くなるのか、何故季節は巡りその順番が決まっているのか、如何して馬は四本足なのか……そういうことを政宗様は考えることがおありですか?」

「No.考えたことはねぇな」

 言われてみればそうだ。不思議に思える事象も全て当たり前のこととして受け止めている。生まれたときから、否、生まれる以前からずっとそうだからという理由で。

「それと同じです」

 彰子はあっさりとそれで説明を終わらせる。専門的な説明をする心算は初めからなかった。知識的に不足していることもあるが、初歩的な知識ならば教科書を見せればいいし、今ならネットで調べればいくらでも出てくるだろう。だが、それすらもする気はない。

 理由は簡単だ。それらの知識は『政宗の時代にはない』ものだからだ。あの時代にはない現代の知識や技術は、これから研究者や技術者が研鑽を積み様々な苦難の末に獲得したものだ。それを教える気はない。それにあの時代にそぐわない現代の知識を与えることは良いこととも思えない。その時代に合うものだから、必要だから生まれる技術と知識なのだ。

 だから彰子は『この時代の、そういうもの』で全ての現代の文明に関するものの説明は押し切ることにしたのだ。若干、面倒臭いからという理由も含まれていることは彰子自身自覚しているが。

 政宗にしても興味は持つが、彰子が口にしないことも何となく理解していた。歴史について教える気がないといったのと根幹は同じだろうと。彼だって色々なしがらみの中で生きている。求めれば全て答えが与えられるわけではないことも理解している。それに彰子の考え方は納得出来るものだった。

「OK.この時代にはオレを楽しませる面白いモンがあるってことだな」

 新たな知識を得たいという欲求はあるが、それが自分の時代にあってはならない知識であれば仕方がないと政宗は考える。

 この時代にはざっと見ただけでも随分便利そうなものが沢山ある。それらの原理を知れば、政宗は過去に戻った後必ずそれを作り出そうとする。民の生活が良くなるからだ。しかしそうすれば確かに彰子が言うように歴史が変わってしまうかもしれない。歴史が変わってしまえば、今現在ここにいる者たちは消えてしまうかもしれない。だとすれば、自分の個人的な興味は抑えるしかない。

「政宗様はご理解が早くていらっしゃるので本当に助かります。わたくしの言葉の裏もご理解いただいているみたいですし」

 彰子の周囲には偏差値的な意味ではなく『頭の良い賢い』人物は多い。その彼らと同じかそれ以上の聡明さを政宗は持っていると感じた。それも当然かもしれない。でなければ、この若さで奥州筆頭は務まらないだろう。何しろBASARA2の政宗の初期版図は、現在の東北地方の殆どと関東の一部を含む広大な地域なのだから。

「食事も済みましたから、簡単に家の中をご説明致します」

 食べ終わった食器を片付け、リビングに戻ったところで彰子はそう提案する。

 この後彰子は当座の政宗の生活用品を買う為に買い物に出る。買い物には最低でも1時間、恐らく量や種類から考えても2時間近くかかるだろう。食事もしたし、最初に政宗はかなりの量のハーブティも飲んだ。あのお茶は精神安定効果もあるが、利尿作用もある。だから、最低限トイレの説明はしておいたほうがいいだろうと思ったのだ。

「まず、この部屋はリビングという、生活の大半を過ごすところです。隣がキッチン……くりやですね。それから、あの扉の奥が政宗様が落ちてこられたわたくしの寝室兼書斎です」

 指差しながら政宗に説明する。そして自分の部屋とは反対にある襖を開ける。客間である和室だ。草紙神からこの部屋を与えられたときには一人暮らしの高校生に2LDKは贅沢だなと思いもしたが、こうなるととても有難い。まさか草紙神がこういう状況を予測していたわけではないだろうが。

「政宗様はこちらの部屋をお使いください」

 そう告げたところで、彰子はハタと気付いて政宗をそのままに、和室に入ると押入れを開けて客用の布団を取り出した。これまでに殆ど使われたことのない布団だ。流石に押入れに仕舞いっ放しだった布団をそのまま政宗に使わせるわけにはいかない。

 一旦窓際に布団を運び、ベランダに面した窓を開けると、敷布団と掛布団、肌布団を物干し台に広げる。2時間もあれば充分殺菌も出来るだろう。

 一連の彰子の行動を政宗は面白そうに見ていた。少しもじっとしていない。

「失礼しました。では、改めて、この部屋をご滞在中はお使いください」

「Thanks.いい部屋だ」

 部屋の中に入り、政宗は部屋を見渡す。居城の自室に比べれば然程広いともいえないが、狭すぎるわけでもない。窓からは心地よい風が入ってくるし、麗らかな日差しも差し込んでくる。

「では、こちらへ」

 次に彰子が案内したのは、リビングを出て玄関へ繋がる僅かな廊下。出て直ぐのところにあるドアを開けると、洗面所がある。

「こちらが湯殿になります。使い方は後で詳しくご説明致します」

 見たことのない設備に政宗は興味津々だ。元々好奇心は強い。その好奇心の強さが嵩じて南蛮文化を取り入れ、今では英語まで使うようになった政宗である。

「それから、ここが厠です。ここは今、使い方をご説明致します」

 そう言って彰子は便座の蓋を上げる。

 しかし、大掃除をしておいて良かったと思う。

 学生である彰子は普段は掃除に時間をかけることはない。週末に纏めてやる程度だ。今日は11時に待ち合わせでデートの予定だったから、掃除は明日にしようと思っていた。だが、いつもと同じ時間(午前6時前)に目が覚めてしまい、それから眠れなかった。どうせ眠れないならと、明日に予定していた掃除を朝っぱらからやったのである。しかもいつもより丁寧に。自室・リビングは言うに及ばず、客間とキッチン、風呂場と洗面所、トイレまで。ピカピカに磨き上げて気分良く彰子は部屋に戻り、一息ついて服を選び始めたときに政宗が落ちてきたのだ。

 しかし、まるで『来客』を予感していたかのような徹底した掃除ぶりだったと彰子は思った。もしかしたら、これも虫の知らせというやつかもしれない。

 トイレの使用法については年頃の女性として言いにくい部分もあったが、そこは政宗も朴念仁ではなく、言葉にせずとも察してくれた。やはり初対面の異性、しかも超美形に対して使いにくい言葉もあるのだ。

 使い方と使用後のことを説明し、トイレを後にする。そして玄関、納戸の説明をした後、リビングへ戻った。

「これから買い物に行ってまいります。政宗様のこちらでの衣類を買ってきます。ですから、サイズを測らせていただけますか」

 裁縫箱からメジャーを取り出し、彰子は言う。といっても実際に計ったのは足のサイズだけだ。並んだ感じからほぼ忍足と同じサイズだろうと予測をつけることが出来たのだ。マネージャーとしてジャージやユニフォームを管理していることもあって、忍足の服のサイズは把握している。勿論、恋人だからというのもあるのだが。

 サイズを把握した上で、今度は必要と思われるものを買い忘れがないようにとメモしていく。何日いるか判らないが、取り敢えず3日分あれば、着回し出来るだろう。ジーンズ3本、シャツ3枚、下着3枚、パジャマ代わりに夏用のスウェットあたりでいいだろう。もし長期滞在になるなら、改めて買い足せばいいだけのことだ。

 因みに彰子がメモをしている間、そのボールペンを政宗はこれまた興味深そうに見ていたので、彰子は簡単に『この時代の筆のようなものです』と、持ち方を説明し、別のボールペンとメモ用紙代わりの裏が白いチラシを渡した。早速政宗は何やら書いていたが、持ち慣れないボールペンに悪戦苦闘していた。

「では、出かけてまいります。誰も来ないとは思いますが、来客は無視なさってください。来客がございますと、こういう音が致します」

 インターフォンの音の設定機能を利用して、実際の音を聞かせて説明する。尤も単身者用であるこのマンションにセールスマンは来ないし、突然やってくることもある友人たちは今日の彰子の予定(潰れてしまったが)を知っているので、来客などないだろうが。

「I see.心配するな」

 政宗はそう言って頷くものの、心配するなと言われても心配になるのが人情だ。気分は幼い子供を留守番に残していく母親だった。

「大体一刻ほどで戻ってまいります」

 政宗が頷くと、彰子は玄関へと移動する。政宗はリビングに残り、彰子の後ろからトコトコと猫たちがついてくる。そうだ、無用の心配はいらなかった。猫たちがいるのだ。

「真朱、萌葱、撫子、後はよろしくね。何かあったら電話して」

 実は猫たちが話せるようになったとき、猫たちには携帯電話を1つ買い与えているのだ。固定電話はあると何かと鬱陶しいので引いていない。かつての世界でコールセンターに勤務したこともある彰子は、電話帳に載せていなくてもセールスの電話がかかってくることを知っている。

「判りましたわ、ママ。安心なさって」

「そーそー。ちゃんと俺たちが見てるから。心配いらねーって」

「お留守番してるからお土産買ってきてね、おかーさん」

 玄関先にちょこんと3匹並んで座り、猫たちは言う。本当に頼りになる子たちだ。

「うん。プリン買ってくるね。じゃあ、お留守番よろしくね」

 そう言って、彰子は近くのショッピングモールへと出かけたのである。