「てめぇ、一体何モンだ。ここは何処だ」
喉許に切っ先を突きつけられ、そう詰問された彰子は政宗が意識を失っている間に刀を隠しておかなかったことを後悔した。後悔したところで今更後の祭りでしかない。
刀を所持していたことには気付いていたし、一応危険物だからと腰から抜いてベッドの上に放り投げておいたのだが、せめてベッドの下に隠しておけばよかった。真剣が重いという話は聞いたことがあったが、本当なんだなぁ、これを振り回すなんてどれだけ腕力、いや指力あるんだろう、なんて暢気なことも思ったりした。要は現実逃避の一環だった。
「それが、人に物を尋ねる態度ですか?」
政宗の物言いにカチンと来た彰子は心持ち声が低くなる。これが付き合いの長い友人たちならば『ヤバイ、退避勧告!』と一斉に彰子を怒らせた当人(大抵は跡部か忍足)と宥め役(大抵は忍足か宍戸)を残して部室から逃げ出してしまう状態だ。
とはいえ、彰子も一度は自分が異世界トリップを経験しているだけに、政宗の混乱が判らなくもない。自分の場合、若返った上に容姿もかなり上方修正が掛かっていた所為でパニック度は高かったが、少なくとも同じ文明圏であり時代だった。しかし一方の政宗は若返ってもいないし容姿の変わらないように見えるが、全く異なった時間軸と文明圏だ。彼の周りにあるのは彼にとって見慣れない得体の知れない物ばかりのはず。どちらのパニック度のほうが高いかといえば政宗のほうだろうなと彰子は冷静に判断する。
政宗はその隻眼で睨みつけてきていて、その眼光は鋭い。もしかしたら殺気を纏っているのかもしれない。尤も、現代日本にのんびりのほほんと平和的に暮らしている彰子が殺気を感じ取れるかといえば答えは否なわけで、殺気を纏っていようがいまいが、判らないから関係ないのだが。
冷たい眼光なら自校やライバル校の部長連──跡部、手塚、幸村で慣れているし、中には『本当にお前人間かよ!!』と言いたくなる恐ろしげな友人も2人ほどいるわけで、取り敢えず表面上はそんな視線など屁の河童と受け流しているように見せることも出来る。身の安全の為に身に付けたスキルだ。内心ビビっていたとしてもそれを悟られればおもちゃにされるから、ポーカーフェイスは必須スキルだ。
「状況を説明します。ですが、一言では言い表せませんので時間が掛かると思います。ということで、一旦刀を納めていただけますか」
言い表すだけなら『異世界トリップ』の一言で済むだろうが、それを理解出来るのは一部のオタクくらいなものだろう。自分のときも草紙神の見た目だけ轟悠が説明をしてくれた。
彰子はそれで現状を受け容れたわけだが、考えてみれば相当あっさり受け容れていたような気がする。尤もそれは『異世界トリップ』というものを創作の世界で知っていたからだし、容姿が若返って上方修正されるという有り得ないことが起こっていた所為もあるからかもしれない。
あのとき草紙神はホットミルクを入れて自分を落ち着かせてくれたが、ここで政宗に飲み物を出すのは如何なものだろう。全く見知らぬ土地と環境、彼にしてみれば不審人物から出された飲み物なんて警戒しまくるだろうなと、これは平和ボケした彰子でも判断は出来る。伊達に近世の歴史好きというわけではない。
(まぁ……そのうち、この私の平和ボケっぷりから害意はないって気付いてくれるでしょ)
忍足とのデートキャンセルの原因となった政宗に蹴りを入れようとしていたのは害意に入らないらしい。
「OK。但し妙な真似しやがたら容赦はしねぇ」
そう言うと政宗はあっさり刀を
因みにこの間、彰子の愛猫たちは彰子の足元でいつでも政宗に飛びかかれるようにスタンバイしていた。一番好奇心旺盛で身軽な撫子は彰子の肩の上に乗り、何かあれば政宗の顔に飛び掛る心算でいたようだ。女の子だから可愛らしく……と『撫子』なんて名をつけたが、名に似合わぬお転婆娘なのだ、この猫は。
それはともかく、足元と頬に感じる猫たちの柔らかな毛の感触は、彰子の気持ちを落ち着かせる効果を持っていた。
「ここは私の寝室……
彰子は内心ビビりつつも政宗に背を向ける。無防備な背中を敢えて曝すことで敵ではない、害意はないんだと示す為に。それに仮にも『伊達政宗』だ。背後から切りつけるような真似はしないだろうとも思った。一応女相手だし。猫たちが警戒心を露わにしているのはご愛嬌だ。政宗には全く相手にされず、まるっきり無視されている。
寝室のドアを開け、リビングへと移動する。ソファには慣れていないだろうと床にクッションを置き、そこに座るように言う。正座ならクッションのふわふわ具合は都合悪いだろうが、あの時代の男性ならば胡坐だろう。
案の定、政宗はクッションの上に胡坐をかく。クッションの柔らかさに一瞬驚いて狼狽てていたことを彰子は確りと見ていて、内心でクスっと笑った。
政宗を座らせるとキッチンへ移動し、グラスを2つ、冷蔵庫で冷やしておいた作り置きのハーブティのポットを取り出す。政宗の許には見張りのように萌葱が張り付き、彰子には護衛のように真朱が着いて来る。撫子は好奇心いっぱいでフンフンと政宗の匂いを嗅いでいる。
グラスとハーブティのポットをトレイに載せ、リビングへと戻った彰子は、政宗の目の前でハーブティをグラスに注ぐ。政宗の前にグラスを置いて、自分は政宗の対面に座る。
政宗は出されたハーブティに手をつけない。予想の範囲内だ。だから彰子は自分のグラスに手を伸ばすと、それに口をつける。普段ならば来客よりも先に手をつけることはないが、今回は例外だ。同じ容器から注いだ同じ飲み物だから安全ですよと、行動で示したわけである。政宗がキッチンの自分の行動を監視していたことにも気付いていたから、グラスに何の仕掛けもしていないことも判っているだろう。
彰子の行動から危険はないと判断した政宗もグラスを手に取り、ゆっくりと口をつける。用心しながら恐る恐るといった心理状態なのだろうが、そこは流石に武将で一国の主。しかも『伊達男』で名を馳せた一流の風流人をモデルとして造形されたキャラクターだ。所作が優雅で洗練されていて怖気など微塵も感じさせない。
が、一口含んだことで喉の渇きを思い出したのだろう。一気に飲み干してしまった。空になったグラスに彰子がハーブティを注ぎ足せばまたも飲み干す。また注ぎ足し……と5回ほど繰り返したところで、漸く政宗は一息ついたようだった。
癖のある味なのに平気だったかなと今更ながら彰子は思う。ハーブティは苦味があったり酸味が強かったり、ちょっと味に癖のあるものが多い。ギャバ茶やヘルシア茶に比べればマシだが。
「これは薬湯か」
ああ、なるほど、そういう解釈かと彰子は納得する。薬湯ならば味に癖があるのも頷けるだろうから。しかし、冷たい飲み物なんだから『湯』じゃねぇだろ、なんてツッコミも心の中で確りと入れる。
「そうですね、一種の薬のようなものかもしれません。心を落ち着かせる効果のある飲み物です」
自分の心を落ち着かせる為に選んだものだ。ついでに表面には出さないが内心パニックだろう政宗への効果も期待している。
「落ち着かれたようなので、ご希望通り状況をご説明します。ですが、より状況を把握する為に、途中幾つか質問させていただくこともあるかと思います。よろしいですか?」
「OK。説明しろ」
一々命令形なのがカチンとくるよなーなんてことを思いつつ、彰子は頷く。まぁ、お殿様で生まれたときから身分社会で人に命令を下す立場だったのだから仕方ない。それに命令形がデフォルトなのは跡部も同じことで、ならばまだ異世界の奥州筆頭のほうが我慢出来るというものだ。
「まずは自己紹介させていただきます。わたくしは長岡彰子と申します。この家の主です」
それから自分の後ろのソファに行儀良く座っている猫たちも紹介する。すると萌葱は心得たかのようにソファから飛び降り、トコトコと政宗の許へ行くと膝に擦り寄った。動物の温もりが安心感を齎すものだということを猫たちは理解しているのだ。
一瞬驚いた政宗だったが、萌葱が『んなぁぁ』と甘えた声で鳴くと苦笑を浮かべ、頭を撫でた。幾分政宗の表情が和らいでいる。彰子の後ろで『パパ、グッジョブ』と撫子が小さな声で呟いたことには政宗は気付かなかったようだが。
「実はわたくしも突然のことで未だに少々混乱しておりますので……」
そう言いながら、彰子は如何説明しようかと考えた。まさか本人に向かって『貴方はこの世界のゲームのキャラクターで~す』とは言えまい。というかゲームが何かを説明するのも大変だろう。ここは単に異世界トリップとして説明するのがいいのだろうか。その前にそもそも(一応)戦国時代に異世界という概念はあるのだろうか。やはり、単なるタイムスリップ的な説明のほうがいいかもしれない。その途中で政宗側の状況を聞いた段階で『この世界の歴史と違うから』と異世界──パラレルワールド説を告げればいいかもしれない。
取り敢えず一応の方針は定まったわけだが、さて何処から説明したものか。
「まず、貴方がここに現れた状況なのですが……。これはわたくしの目の前で起こったことですが、我が目で見たこととはいえ、かなり自分でも信じ難いことです」
事前にそう予防線を張る。話している本人も自分の目で見たのでなければ信じられないことなんだよ! それくらい異常なことが起こったんだからね! というわけだ。
彰子が説明をすると、やはり政宗も信じ難いようで大きく目を見開く。とはいえ彰子が嘘をついていないことは判る。それにこの室内の調度を見ても、ここが自分がいた奥州とは全く異なっていることが判る。否、奥州だけではなく、日ノ本のどの国にもない物がこの部屋には溢れている。
「それから……失礼ですが、貴方のお名前を教えてください」
未だに名乗ってもいなかった政宗だ。彰子も猫たちも99%以上の確信を持って目の前の人物が誰であるかは判っているが、名乗ってもいないのに名前を呼んだらまた警戒心が増してしまうだろう。漸く少しは警戒心を解いてくれた状態だから、それは避けたい。猫で言うならば当初は毛を逆立てて尻尾を束子にして絶え間なく唸り声を上げていたものが、唸らなくなり尻尾の毛も平常だが、忙しなくパタパタと尻尾を動かし用心はしている……といった程度の警戒度へと変化しているのだ。
「ああ、そういえばオレは名乗ってもいなかったな。Pardon。オレは奥州筆頭、伊達政宗だ」
ああ、やっぱりなーと99%の確信が100%の確定情報になった。
「伊達……政宗公……ですか」
信じられないとばかりに目を見開き、本当かどうか確かめるかのようにマジマジと正面の男を見る──という芝居をする。判っていたことだから驚くわけはないが、一応驚いたふりをしないと不審に思われかねないし、話が進まない。ついでに言葉遣いも敬語表現を強めることにした。相手はお殿様だし。
「伊達家16代ご当主伊達輝宗様と最上家の義姫様のご長男の、伊達藤次郎政宗様……であらせられますか?」
仙台藩初代藩主とは聞けない。江戸時代にはまだなっていないはずだ。というよりもあの世界で徳川幕府が開かれるのかは甚だ疑問だ。少なくとも彰子のプレイデータでは絶対に有り得ない。
ああ、歴史勉強しておいて良かった、大河ドラマ見ていて良かったと心の底から彰子は思った。北大路欣也の輝宗と岩下志麻の保春院。竺丸は岡本健一で大好きだった。妹と2人して『お竺ーーー!!』と叫びながら見ていたものだ。それまで無名だった渡辺謙の大出世作でもある。なんせ主役。三浦友和の成実、西郷輝彦の小十郎、ゴクミの愛姫、五郎八姫は沢口靖子、その夫は真田広之。今考えればとんでもない豪華キャスト。西郷輝彦が大好きだった彰子(当時からカッコイイおじさまには弱かった)は片倉小十郎が大好きになったくらいだ。未だに伊達政宗=渡辺謙な彰子にとって、今目の前にいる伊達政宗は渋みが足りない。尤も当時の渡辺謙だって渋かったわけじゃない。彰子の脳裏になるのはすっかりハリウッド俳優となった今現在の渋い渡辺謙だ。
なんてことを考えていた所為で彰子は至極冷静に政宗と向かい合うことが出来ている。普通目の前に好きなゲームキャラがいたら平静ではいられない。目の前にいるのが炎の守護聖オスカーだったり、地の白虎友雅だったりしたら、声を聞いた瞬間に意識を失っている自信がある。あの美声であのタラシな台詞を言うのだから、悶絶失神ものだ。
「何故オレの親を知っている」
警戒したのか、政宗の声は低くなる。無理はないと思いつつ、彰子はそれには直接答えず、更に問いを重ねる。
「詳しくご説明する為にもう一つ二つ質問させていただきたく存じます。西暦というものをご存知でいらっしゃいますか?」
あの世界での政宗は英語を使っているし、南蛮文化を取り入れたりしているのではないかと予想して問いかける。
というか、16世紀ならば英語なんて地方の小国の一方言、世界的な公用語はラテン語で、使用人口が多いのはポルトガル語かスペイン語だろうに……何てことも心の中で突っ込んでおく。エリザベス1世がスペインの無敵艦隊を破るまで、イギリスは貧乏な二流国家(何しろ女王命令で海賊行為をやっていたくらいだ)だった。イギリスで一番有名だろうシェイクスピアだって、紫式部よりも600年も後の文化人だ。文化成熟度の低さが判るというものだ。日本の古典文学と歴史を愛してやまない彰子にしてみると、ついつい現代の西洋諸国偏重主義に対して物申したくなる。
「ああ、伴天連たちが使ってる暦のことだろう」
「では、政宗様が過ごしておられたのは西暦何年に当たるかはご存知であられましょうか?」
これで済めば話は早いんだけどと思いつつ、そこまで都合よくは行かないだろうとも思う。ついでに段々言葉遣いで舌を噛みそうになってきた。もうかよ、というセルフ突っ込みをしてしまうが仕方ない。使い慣れていないのだから。
「I don't know,but……オレがいたのは天正13年だ。これが聞きたかったんだろ?」
政宗の頭の回転の良さに彰子は苦笑する。先に答えてくれてありがとう。ゲーム世界では登場人物の年齢やら戦いの年代が実際の歴史とは異なっている。なんせ政宗青年期にはとっくに死んでいた毛利元就・武田信玄・上杉謙信・織田信長が生きている時代であり、大坂冬の陣と川中島の戦いが同時期に起こっているのだから。歴史上では前者は江戸時代、後者は二つ前の戦国時代と時代区分も違っているというのに。
だから、説明の為に年代を把握するにはそのものずばり『何年』が必要なのだ。とすれば元号が同じなのは助かる。何しろ天下統一モードでは婆沙羅暦だったから、それで言われてしまっては比較対照出来ない。
「ご配慮痛み入ります」
頭を下げ、資料を取ってきますと断って一旦寝室へ行く。パソコンデスクの横のラックから1冊のファイルを取り出す。それは彰子が趣味でやっている創作活動の資料を突っ込んでいるものだ。パソコンで原稿を書きつつ別ファイルを開くのが面倒臭いという理由で、頻繁に使うものはプリントアウトして紙データでファイリングしているのだ。
因みにトリップ前の世界では元々平安女流文学を専攻していたこともあり、また主にゲームやドラマ、小説の影響から歴史が好きな彰子は、自分でも架空の歴史物を書くことが多い。主役や主要人物は架空の人物を作り出すが、史実を踏まえたり、実在の人物をモデルにしたり、脇役で実在の人物を出したりもする。そんなわけで西暦と時代、元号の一覧表なんてものも作っているのだ。尤も自分が好きな、興味のある時代だけなので、飛鳥時代、平安時代、戦国時代くらないものだが。
しかし、まさかこのファイルがこんなところで役に立つとは。
仮令異世界とはいえ、未来のことを──その人物の人生に関わることを教えてしまうのは問題があるだろう。特に今はまだ政宗に『異世界』であることを伝えていないのだから尚更だ。
「天正13年って……ヤバくないか?」
天正13年。伊達政宗19歳(但し数え歳なので実年齢は18歳)。タメ歳かよと思いつつ、それどころではない記述に溜息をつく。一応好きな武将の生没年と家督相続、事件の代表的な年代も年表形式にして纏めてあるのだ。
天正13年といえば、政宗が家督相続をした翌年。そしてその年に父である輝宗は死去する。政宗の銃弾によって命を失うのだ。敵に捕らえられ人質となってしまった輝宗が足手纏いになることを忌避して『己を撃て』と政宗に命じたとも、影響力のある前当主を疎んじた政宗の謀略であるとも言われる事件だ。
それが天正13年の10月。彰子は個人的に前者の説を信じている。政宗の世界とこの世界の季節がリンクしているのであれば、輝宗はまだ生きているだろうが、これは説明に注意を要する。
それに仮に父親のことがなくとも、家督を相続したばかりの政宗だ。ゲーム世界に小次郎がいるのかは判らないが、やはり家を継いだばかりの時期の不在は色々と拙いだろう。
「如何いう状況でトリップしたのかも確認しなきゃね……」
ふぅと溜息を付き、彰子はリビングへと戻った。
リビングでは政宗が大人しく待っていた。どうやら萌葱に戯れつかれて相手をしていたらしい。流石は人懐っこさダントツの萌葱だ。
「お待たせして申し訳ございません」
彰子は一言詫びると、元の位置に座りファイルを開く。そして元号一覧の天正を指で示す。
「政宗様がいらした天正13年というのは、西暦で言えば1585年でございます。そして今は平成22年、西暦2010年となります」
すーっと指で元号を辿り、平成を示す。
「つまり、ここは政宗様の時代から425年を経た先の世ということになるのです」
そこで彰子は一旦言葉を切る。政宗が如何いう反応を示すのかを見る為だ。いきなり425年未来でーすと言われても、そう簡単には受け容れられないだろうと思ったのだ。しかし、政宗の反応は予想とは違っていた。
「なるほどね。で、アンタはオレの質問にまだ答えてないぜ。如何してオレの親のことまで知ってるんだ」
予想とは違った政宗の反応に彰子は一瞬目を丸くする。いや、もしかしたら余りの展開に動転して逆に冷静になっているのかもしれない。受け容れ難い、或いは実感を伴わないから、先を促しているのかもしれない。
「425年も先の世とお聞きになって驚かれないのですか?」
「驚きはしたさ。だが、寧ろ合点がいった。アンタが着ているものも、この部屋にあるものも、この部屋自体も、オレの周りにはなかったモンだからな」
その政宗の答えに『ああ、頭の良い人なんだ』と彰子は感じた。そして戦国乱世を生きる武将の胆力の深さを知った気がした。如何なる状況であろうとも冷静に周囲を見る。それが出来なければ生き抜けない。況してや一軍の将帥であれば尚のこと、冷戦沈着さが求められる。自分のみならず多くの配下の命も背負っているのだから。
「然様でございましたか。実は未来であることを受け容れていただくのが一番の難関だと思っておりましたので、安心致しました」
パニックになって騒がれたら如何しようと思っていた彰子は漸く安心することが出来た。だから自分が微笑んでいたこと──政宗に対して初めて笑顔を見せたことに気付かなかった。その笑顔に政宗が一瞬見惚れていたことにも。
「では、どうしてわたくしが政宗様のご両親を存じ上げていたかと申しますと……」
そうして彰子は説明を始める。
この400年の間に世の中は大きく変わったこと、その中で特に変わったのはここ100年ほどの間に身分制度がなくなったこと。文化や科学技術が発達し、教育制度が整い、少なくとも日本は60年以上『戦い』を経験していないこと。
「今では過去の歴史について、学者が様々な研究を行っています。その研究によって判った事実は学校というところで学びます。わたくしもそこで学びました。ある程度の年齢の者ならば、少なくとも政宗様のお名前と生きた時代がいつ頃であるのかくらいは知っているのです」
彰子の説明を政宗は興味深げに聞いていた。どれも興味深いもので、そうであれば彰子が──425年の時を隔てている目の前の女が自分や両親を知っていることにも納得が出来た。そして、一番興味をそそられたのは当然ながら……。
「で、今の日ノ本は一つの国として纏まってるんだな? 誰が天下を獲ったんだ」
その質問に彰子は心の中で『キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』と叫ぶ。予想していた質問であるから、ニッコリと笑って答えた。
「お教え致しかねます」
跡部に無理難題(別名無茶ぶり)を要求され断るときに浮かべる笑顔と口調だ。これが出ると跡部が何と言おうと彰子が諾と返すことはない。当然、政宗がそれを知るはずはないのだが、その笑顔にムッとした。
「Why?」
「歴史を変えてしまう可能性がございますので、お教え致しかねます。わたくしの答えることが、もしかしたら貴方様の気に染まないことかもしれません。或いは逆に貴方様の望み通りの答えかもしれません。どちらであれ、貴方様にとって良いことではないと存じます」
答え方に注意を払う。気に入らない答えと断言してしまえば答えを与えたことになる。『天下統一するのは貴方じゃないんだよ』という。しかし、考えてみればそこまで神経質になる必要はないのかもしれない。
目の前にいる政宗が自分たちの歴史の中に住む政宗であれば、19歳の頃には既に天下はほぼ統一されていて(この年に秀吉が関白就任しており、5年後に天下統一)、自分の出番がないことは察しているはずだ。
それにこの政宗は別世界の政宗なのだから、仮令この世界の政宗の生涯や歴史を知ったところで、この世界もBASARA世界も歴史が変わるとは思えない。
それでも彰子は自分から教える気はなかった。政宗自身のことについても、歴史の流れについても。仮令別世界とはいえ、同じ名前の同じ立場の人物が大勢いるのだ。それが政宗の精神に何らかの影響を与えないとは言い切れない。
「オレにとって良いことじゃない……ねぇ」
政宗は彰子の言葉に暫し思案する。もし自分が未来のことを知ったら如何するだろう。その通りに動くのも面白くない。何かに『動かされている』と思うかもしれない。自分が天下統一するのだとしたらその答えを得て慢心してしまうかもしれないし、油断が生まれるかもしれない。確かにこの女の言うとおりだ。
「OK。これ以上歴史については聞かねぇ」
ニヤリと政宗が笑うと、彰子はホッとしたように頷く。
「ご理解いただけたようで安堵致しました」
取り敢えずは第一関門クリアといったところだろう。彰子はホッと一息ついて、すっかり温くなってしまったハーブティを口にした。