仮マネージャー(跡部視点)

「長岡、入学したらマネージャーにならないか」

 気付けば俺はそんなことを言っていた。

 忍足が連れてきた隣に引っ越してきたという女。珍しく忍足が気に掛けていて、態々監督に見学許可まで取って俺たちに紹介した女だった。それが、長岡彰子。

 感じのいい女だった。周囲に群がる俺たちの諸条件(テニス部だとか、家柄だとか)目当ての女どもとは明らかに何かが違う女だった。そして、テニスは素人だというのに妙に鋭くプレイスタイルを見極める。話していて頭のいい女だと思った。

 200人を超える大所帯だから、部長である俺1人で把握管理するのは難しい。生徒会もあり、高校生になれば跡部の仕事もある程度は入ってくる。その中で部員の管理を俺1人でやるのはかなり厳しい状況になる。忍足か滝あたりに手伝わせることも考えてはいたが、それを専門に任せられる奴がいれば……そう思ってもいた。

 どうせ高等部に入ったら、また即俺が部長になる。この中等部でも俺が1年のときから部長をしていたし、既に高等部の現部長からもそう打診されている。氷帝は良くも悪くも実力主義だから、俺の部長・忍足の副部長は確定だろう(尤も、これまでも忍足は面倒臭がって副部長業務なんてしなかったが)。

 突然の俺の申し出に長岡は驚き、答えない。

「入試終わったら、試しに臨時マネージャーやってみないか? 実際にやってみて、どうしても無理なら断ってくれていい」

 こいつなら、絶対にやれる。そう確信していた。伊達に跡部の後継者として人を見る目を養っているわけじゃない。俺の人物鑑定が外れることは殆どない。

「そうね、それもいいかも。出来るかどうかも判らないし、そんな状態で答えは出せないしね」

 案の定長岡はそう言う。闇雲にNOというわけでもYESというわけでもなく、冷静に判断している。

 こいつは将来、俺の片腕になる。それは確信にも似た予感だった。




 氷帝受験の当日。

 忍足は長岡と昼食を摂るといい、それにジローと向日が便乗し、結局旧レギュラー全員が一緒に昼食を摂ることになった。俺たちと一緒では長岡が悪目立ちしそうだからということで、生徒会用ミーティングルームを借り、そこで昼食を摂ることにした。

「ね、侑士君、後で自己採点付き合って」

 長岡が忍足に言う。

「せやな、跡部もどうや?」

 忍足が俺にも声をかける。長岡に確実に惚れている忍足が俺を誘うのは珍しいとは思ったが、俺と忍足の答案であれば、ほぼ正答を導き出せるから誘ったのだろうと判断する。より確実な自己採点をして、長岡を安心させたいのだろう。

「どうせなら、3年全員でやるか。若干名、赤点が心配な奴がいるからな」

 赤点・追試・補習となれば、春休みの練習計画にも狂いが出る。5月のインターハイ地区予選には現3年メンバーでレギュラーを固めたい。それには春休みからの練習が肝心だ。補習で時間を取られては満足な練習が出来ない。特に、向日は忍足のパートナーでもあるし、向日が一番レギュラー取りが危うい奴でもあるからな。

「赤点……がっくんとジロちゃん?」

 長岡が呟く。途端に向日とジローが反論し、他のメンバーは噴出す。知り合って間もない、しかも会うのは今日で2回目の長岡に図星を指されたのがショックだったらしい。

「だって、侑士君は学年トップクラスで、跡部君もいつも競い合ってるって言うからやっぱりトップクラスでしょ? 滝君は何でも卒なくこなしてそうだし、宍戸君だってコツコツやって、少なくとも平均点以上は取ってそうだし……」

 そう言う長岡のメンバー評に俺は驚く。やはり鋭い。知り合って僅かに接しただけで、それぞれの性格を把握している。これはやはりマネージャーに欲しい人材だと思った。




 午後の試験を終え、部室に集まり自己採点をする。俺と忍足、それから長岡の答案を衝き合わせ、自己採点していくと……恐らく長岡は全科目満点だ。

「あとはうっかりミスやスペルミスしてなきゃいいんだけど……」

「彰子ちゃん結構ドジっ子やからなぁ……」

「侑士君……酷い。でも中ってるから何もいえない……」

 そんなことを言いつつ忍足と笑っている長岡。ともかくも長岡は99%合格確実だ。合格発表の日にマネージャー業務について教えることにして、その日は解散したのだった。

 因みに……向日とジローはそれぞれ2科目ずつ赤点になりそうな教科があり。補習を避けるべく、翌日から部活の後に俺と忍足、合格発表の翌日からは長岡も加えて勉強を見ることになった。




「悪い、待たせたな」

 案の定長岡はあっさりと合格し。前生徒会長としてのコネを利用し教師に聞いたところ、500点満点中498点だったという。スペルミスで点を落としていたらしい。俺と忍足は480点台だったから、俺たちよりも頭がいいということになる。

 長岡を待たせていた部室に入ると、長岡はテーブルにこれまでの部誌数冊を広げ、PCに何かを入力していた。

「あ、皆。お邪魔してます」

 長岡はそう言って笑顔で俺たちを迎える。

「彰子ちゃん、合格おめでとう!」

 ジローがそう言うや、長岡に抱きつこうとし、それを忍足が阻止。ジローの言葉をきっかけに全員が長岡に祝いの言葉を告げ、長岡は嬉しそうにそれに答えている。

「というわけで、明日から臨時マネージャーやらせていただきます。よろしくね、皆」

 長岡はそう言って笑う。

 長岡は不思議な女で、俺たちの心の中にするりと入ってきていた。散々忍足に長岡の話を聞かされていたからとはいえ、それなりに女どもに苦労を掛けられて警戒心が強くなっていた俺たちに警戒心を全く抱かせず、マネージャーになることもすんなりと全員が認めている。いや、認めているのではなく、望んでいる。

「あ、皆お昼は?」

 時間的にまだじゃない?

 そう言って長岡は俺たちを見回す。

「先に食べておいでよ。私待ってるから」

「彰子ちゃんかて、食うてないんやろ?」

 どうせだったら、一緒に食おうと忍足が誘うが、長岡は断った。

「この後、友達と会う約束してるの。遅いランチになるけど、一緒にって言われてるから」

 友達……? 忍足の話では、長岡はこちらに友人はいないということだったが……。同じことを思ったのだろう、不審そうな表情の忍足を見て、長岡は苦笑する。

「立海に行ったときに知り合った人なの。それからメールしたり、電話したり。立海の発表見てくれてて、こっちも合格したこと知ってるからお祝いしようって」

 忍足は自分が知らない交友関係が出来ていることに若干ショックを受けているようだった。

「えー。俺たちも彰子ちゃんのお祝いしたかったのにー」

 こちらは素直にジローが不満を漏らす。

「ありがと、ごめんね。でも、皆とは明日から毎日会えるし。でも、あっちの友達は滅多に会えないから。態々こっちまで出てきてくれるから……」

 申し訳なさそうに長岡が言うが、ジローと向日は不満げだ。

「まぁ、先輩、後日改めてでいいじゃないですか。彰子先輩はマネージャーやってくれるんですから」

 仕方ないというように鳳が2人を宥める。

「待ち合わせがあるなら、先に打ち合わせをしてしまったほうがいいだろう」

 俺はそう言うと、いくつかのファイルを取り出し、机につく。

「ありがと、跡部君。お腹すいてるだろうに、ごめんね」

 長岡もそう言いながら、机につき、未だ入り口付近にたむろしている忍足らに声をかける。

「早くお昼ご飯食べてこないとお腹と背中がくっついちゃうわよ」

「……なんやねん、それは……」

 不機嫌そうに答える忍足。…………解りやすい奴だ。自分の知らない交友関係にプラスして俺と長岡が2人になるのが気に食わないのだろう。

「長岡、放っておけ。さっさと済ませよう」

 俺はことさら忍足らを無視して、長岡にマネージャー業務の説明を始めた。俺と長岡が話し始めると、忍足も諦めたようで、向日たちと共に食堂へと去っていった。




「じゃあ、主にやることは、ドリンク作りとユニフォームの洗濯、部誌記録ね」

 意外とないのね、と長岡は笑う。

「レギュラー以外はユニフォームがあるわけじゃないから、各自持ち帰って洗濯するし、タオル類も同様だからな。コート整備は1年の役目だ。長岡は主にレギュラーのマネージャーとして日々の練習の記録をつけることだな」

 その記録を元に俺が翌日のメニューを調整する。

「非レギュラー部員のメニューは毎日一緒?」

「曜日ごとに違うが、それは奴らの部室に張り出してあるし、管理は各グループのリーダーが行う。長岡は各グループのリーダーから出欠状況とメニューの消化具合の報告を受けて部誌に記録すればいい」

「了解。…………結構非レギュラーほったらかし?」

「俺たちが直接見るのは月に1回程度だな」

「ふーん……」

 なにやら考えている長岡。確かに約200人近い非レギュラー部員に関しては俺もあまり正確には把握は出来ていない。月に1回の部内対抗戦で勝ちあがった奴らの試合を見る程度だ。

「折角マネージャーやるんだったら、レギュラー以外にも目を配れる方法ないか探してみるね。そうすれば跡部君も安心でしょう」

「1人で面倒見るには多すぎる人数だぞ」

「各グループのリーダーとの意思の疎通を図ることで何とかできるんじゃないかと思うわ」

 既に長岡は色々考えているようだった。

「跡部君の補佐をするのも、マネージャーの役目なんじゃない? 単に雑用係ってわけでもないでしょ?」

 ドリンク作りなんてやろうと思えば誰にでも出来るんだし……その為に私をマネージャーにしようとしたわけでもないんでしょ? そう長岡は笑う。

「まぁ、確かにそうだがな……」

 やはりこいつは鋭い。

「高等部に入るまでにどれだけのことが出来るかは解らないけど、やれるだけやってみるわ」

 長岡はそう言ってにっこりと笑う。何処か大人びた笑顔だった。




 打ち合わせを約30分で終え、長岡は帰っていった。それから俺も食堂へ行くと、不満げな表情の忍足たちが待っていた。

「長岡は帰ったぞ」

 というと、全員が同じように残念そうな表情をする。すっかり長岡を気に入っているらしい。

「忍足、部活の後、うちにこい」

「は……? いきなりなんやねん」

 未だ忍足の機嫌は直っていないらしい。

「猫、授乳期終わったぞ」

 そういうや、忍足の表情がガラリと変わる。

「おおきに、跡部!」

 ……こいつ、こんなに単純にわかり易い奴だったか……? 長岡の影響の大きさを感じざるを得ない俺だった。