「長岡さん、お待たせ」
そう言って忍足が出てきたのは約5分後。──5分以内で出てきたというべきかな。至ってシンプルなオフホワイトのセーターにジーンズ、コートは一見しただけでも上物とわかる多分ブランド物なトレンチコート。ちょ……トレンチコートの似合う15歳って何!? 着こなしはばっちりなのに、急いで準備してくれたらしく、髪が乱れてて、前髪が跳ねている。
「忍足君、髪乱れてるよ」
つい半年前までの教え子──そう言えば同じ年だ──にするように、頭に手を伸ばして髪を整える。
「……お……おおきに」
心なしか忍足の顔が赤いように見える。まさか、照れてる? いや、おっしーは女性経験豊富なタラシ(同人作品からの誤解に基づく正しい認識)だから、これくらいじゃ照れたりしないはず……。
「お昼ご飯……ファミレスかファーストフードのつもりなんだけど……」
カフェやレストランでもいいんだけど、流石に今は中学生だし、普通の中学生はそういうところ行かないだろうしなぁ。
「近くにファミレスあるで。そこ行こか」
というわけで、忍足に案内されてファミレスへGO。
──失敗した。今日は土曜日。しかも時間は午後1時ちょっと前。人多い……。しかもガキ連れた主婦がいぱーい。五月蠅いことこの上なし……。ま、幸い席は空いてたけどね。
混雑する時間帯なのにフロア担当はバイトの1人だけらしく、かなり時間がかかる。
注文をした後は、時間を持て余さないように忍足が色々話をしてくれる。学校のこと、部活のこと。私が氷帝を受験することを知ってるから、授業のことなんかも教えてくれる。それもかなり笑わせてくれながら。だから、待ち時間も苦にはならない。
とはいえ……流石に30分以上待たされるとねぇ……。
「土曜日やて忘れとったわ……」
失敗したなぁと忍足も苦笑している。
「ま、その分、長岡さんとゆっくり話できるけどな」
そう言って忍足は笑う。
リップサービスだろうけど、そういうのには馴れてない私は妙に照れてしまう。
「この後はどうするん?」
幸い直ぐに忍足が別の話題を振ってくれたから助かったけど……。
「ん……色々生活雑貨買わなきゃと思って。ホームセンター行こうかなぁって。それに食料品も必要だし」
一揃えるためにはホームセンターを何往復しなきゃいけないんだか……。思わず溜息が出る。私のお買い物リストを見た忍足は……
「これ、どうしても直ぐ必要なモン以外は、ネットショッピングとか通販でもええんとちゃう?」
──!
「そ……その手があった……」
ネットジャンキーの癖に、あまりネットショッピングをしていなかった私には盲点だった……。がくっと脱力してテーブルに突っ伏してしまった私の頭に誰かの手が触れる。いや、忍足の手なんだけどね。慰めるように忍足の大きな手がポンポンと私の頭を叩く。
「意外にボケてるとこあるねんな、彰子ちゃんも」
え……?
『彰子ちゃん』……?
顔を上げて忍足を見てしまう。
「あ……名前呼ばれるのイヤやった?」
「そんなことはないんだけど……」
慣れてないだけで。今まで私を名前で呼ぶのは家族だけだった。人付き合いが苦手な私はとっつきにくいらしく、今の忍足のように『彰子ちゃん』と呼んでくれる人も、彰子と呼び捨ててくれる人もいなかった。学生時代も、就職してからも、同僚や先輩、上司でさえ、『長岡さん』と呼び……男性でも『長岡』と呼び捨ててくれる人は稀だった。他の人を愛称や名前で呼ぶ人も、私には長岡さん──だった。
「私のこと……名前で呼んでくれる人家族以外にいなかったから……」
本当はそれが凄く寂しかった。学生時代のクラスメイトも先輩も、部活の仲間も、就職してからの同僚も……誰も下の名前で呼んでくれる人はいなかった。あだ名なんてついたこともなかった。だから、寂しかった。いつも苗字に『さん』付けで呼ばれて……。私は他の人に距離を置かれているんだと……そう感じてしまって。私が相手を愛称で呼びたくても、相手が隔意のある呼び名をすれば、こちらが愛称で呼ばれるのも憚られて……結局、どんどん距離は開いていたように思う。
だから、忍足が『彰子ちゃん』と呼んでくれて、凄く嬉しかった。不意に涙が零れそうになる。
「せやったら、俺が栄えある第一号っちゅーことやな」
忍足は優しく笑って言う。とても優しい顔で、ハンカチを差し出してくれる忍足……。
「俺のことも侑士でええよ」
そう言う彼が優しくて、涙が止まらなくなる。ごめんね、テニプリ一胡散臭いとか思ってて。
「ありがと……──侑士君」
バイトくんが漸く注文した料理を持ってきた時には、まだ私の涙は止まっていなくて。痴話喧嘩でもしてるのかというような好奇の目で見られてしまった。
ファミレスを出ると、忍足──……侑士はスーパーの買い物に付き合ってくれた。スーパーとファミレスが近かったこともある。
「俺が荷物持ちすれば、彰子ちゃんも何回も往復せんでええやろ?」
侑士は本当に優しい人だった。
取り敢えず最低限必要なお米(2Kg)にサラダ油、塩、胡椒、醤油、砂糖、味噌にマヨネーズにケチャップ、それになんにでも使えるポン酢、コーヒーと紅茶を買う。侑士が荷物もちをしてくれるのに甘えて牛乳と卵に小麦粉、食パンも追加して。
結構な量になったのに、侑士は「かまへんって」と笑って荷物もちをしてくれた。その上、一旦家に戻った後、ホームセンターでの買い物にも付き合ってくれたのだ。
ホームセンターでは侑士のアドバイス(?)に従って、指し中って今必要な物以外はネットショッピングをすることにしたので、それほど大量にはならなかった。
シャンプー・リンス・ボディソープに入浴剤。シャンプーなんかは元の世界でも使っていたものを選ぶのであっさり決まったものの、入浴剤は迷いまくった。これまでは家族と一緒だったから自分好みの入浴剤には出来なくて。一人暮らしを幸いと思いっきり迷いながら選んでたら、侑士に笑われた。それから食器用洗剤に洗濯洗剤・柔軟剤。
「あ……あそこ、見ていい?」
このホームセンターにはペットショップが併設してあって。元の世界でも必ず覗いてた習慣からつい眼が行く。
「ええよ」
侑士は重い荷物を持っているのに快く了承してくれる。
「ありがと」
元の世界ではネコを3匹飼っていた。あの子達がどれだけ私の心を慰め、癒してくれたか……。出来ればこっちでもネコを飼いたいと思ってる。そういうわけで真っ直ぐにネコのエリアに行く。アビシニアン、アメリカンショートヘアー、スコティッシュ・フォールド、マンクス、ロシアンブルー、ソマリ、ペルシャ、メインクーン、ラグドール……。好みの仔たちが一杯いる……。
「可愛い……」
ショーケースの硝子を指でつつくと、目の前のソマリの子猫は興味を惹かれたかのように、ていていっとネコパンチしてくる。
「19万円……かぁ」
流石に高いけど、買えないことはない。悠兄さんからの生活費は完全に自由になる分だけでも月に30万円ある。食費光熱費払って十分余る。現金でも可能だし、クレジットカードもある(一応悠兄さんの家族会員カードとなってたけど、15歳中学生じゃ、普通はカード作れないはず……なんで作れてるんだろう)。
「買うん?」
「んー……すっごく飼いたいけど、無駄遣いできないし、今は受験前だし……。止めとく」
1人は寂しいから、せめてネコにいて欲しいけど。でも、これから新しい人生を始めるのだから。今はネコに甘えるのはなしにしよう。
ホームセンターの買い物を終えると、再び家に戻り、今度は本屋さんへ。これは侑士のリクエストで私も行きたかったから一緒に行った。
侑士はテニスの雑誌を買っていた。私は──あちらの世界で愛読していた小説や漫画は揃っていたので、適当に雑誌を物色。とはいえ、アイドルは向こうとは違っていて、ジャニーズはいないし、アイドル誌は意味なし。ファッション誌も興味ないから、『ES○E』と『今日の料○』を買う。一人暮らしだし、料理のレパートリー増やしたいしね。
それから同店内にある、CDショップでCDやDVDを見て。──……なんか、デートっぽい。
お店を出たときにはもう夕方になっていた。
「侑士君、今日は本当に助かった。ありがとう」
本当に侑士には感謝してる。本来なら何回かに分けて買うもの(重いからね)を1度で済ますことが出来たし。それに、彼の心遣いがとても嬉しかったし……。
「お礼といってはなんだけど、晩御飯作るからうちで食べていかない?」
1人分作るのも面倒だし、誘ってみる。とはいえ、知り合って間もないのにいきなり家に呼ぶのはどうなのかな……。侑士は呆れたりしないかな……。
「え、彰子ちゃんの手料理? 喜んでご馳走になります!」
侑士は笑顔で応じてくれた。
あっちの世界の漫画やアニメの『忍足侑士』は笑顔なんて殆どなくて。あっても嘲笑とか何か企んでいる笑顔とか、マイナス要素の笑顔ばかり。でも、今、私の隣にいる侑士の笑顔は裏のない、優しくて暖かい笑顔だった。ああ、此処では侑士はちゃんと生きている、私と同じ人間なんだ……。改めてそう思った。
再度夕食の支度の為にスーパーへ行き、それなりに夕方も遅い時間になっているから、手早く出来るパスタにする。材料をどんどん籠に入れて。侑士へのお礼を兼ねての夕食なのだからと、いつもなら安い材料にするところを一番高い質のいい材料で揃える。確り荷物は侑士が持ってくれたけど。
部屋に戻って、侑士は一旦自分の部屋へ。午後7時にまた来るといって戻っていった(確かに帰宅後直ぐに出かけてるから、一度戻りたかったに違いない)。
ざっと部屋を片付けて、お昼に買った食材や日用品を其々仕舞い込んで。パスタとコンソメスープを作る。ご飯は炊かずにパケットでガーリックトースト。パスタはキノコソースにして、コンソメは玉葱とピリ辛ウィンナー入りにする。侑士がやってきたときには後はパスタ茹で上げてソースに絡めるだけの状態。
「ごめん、侑士君。もう少しかかるから、TVでも見てて」
それだけでは申し訳ないので、コーヒーも出して、待っていてもらう。
「なんや気ィ遣わせて悪いな」
侑士はそういうとこれ以上私が気を遣わないようにと、リビングでソファーに座りTVを見ていてくれた。
夕食はお世辞だろうけど美味しいといってくれて、楽しい時間だった。元の世界では、あまり家族と話しながら食事をすることもなくて、TVを見ながらの早食いで。食事の後はさっさと自分の部屋に戻っていたのだけど。侑士はとても話が上手で楽しくて。いつもの倍以上の時間をかけて夕食を摂った。
「彰子ちゃん、俺と一緒に試験勉強しぃひん?」
夕食後のコーヒーを飲んでいるときに、侑士がいきなりそう言ってきた。侑士も、私の氷帝受験のころ、期末テストなのだという。
「実は高等部の入試と俺らの期末って問題も日程も一緒やねん」
そうすることで高等部のクラスわけがしやすくなるのだという。確かに、同じ問題同じ条件でやるのであれば、全く同じ基準で成績の比較が出来る。高等部は完全に成績順のクラスわけらしい。
「俺、これでも成績ええねんで。いつも3位内には入っとるし」
「へぇ、凄いんだね」
頭はいいだろうと思ってた。話していてもそう感じてたし。
「同じ問題出るんやし、折角やから一緒にな?」
うーん、どうしよう。計画では日中に勉強して、夕方以降はフリータイムにしてた。ただ、現役中学生じゃなくなって約20年。塾の講師をしていたとはいえ、やはり全科目となると不安は残る。そこに学年トップクラスの侑士がいてくれたらかなり心強い。誰かと一緒に試験勉強するなんて、学生時代は殆どやったことないから、やってみたい。
「んで、彰子ちゃんの作った晩御飯、毎日一緒に食べんねん」
「目的はそっちかい!」
思わず突っ込み、2人で笑う。
「ま、1人で晩御飯も毎日は寂しいから、いいよ。テスト終わるまでならね」
明るい侑士につられるように、自分でも意外なくらいすんなりとOKしていた。