生活準備

 まさかの初日から、忍足侑士との出逢い。しかも、2回も。更に、住んでるところはお隣さんとか……。

 妄想神様、サービス良過ぎです!






 自宅のドアの前で忍足と別れて。部屋に入った途端、足から力が抜ける。

「忍足が……隣人かい……」

 呆然と呟いてしまう。

 確かに轟悠の顔をした妄想神はテニプリの世界だといった。まさにそのとおりで……。でも、まさか本当にテニプリのキャラと出会うなんて実際のところ思ってはいなかった。もし出会うことがあるとしても、それは氷帝に合格し、入学してから。人気者のテニス部とその他一般の平凡な女子高生として。つまり、その他大勢の一人としてかかわる程度だと思ってた。せいぜいクラスメイトになるくらいで……。

 これから、どうかかわっていくことになるんだろう? 幸い、忍足は同じ年といったから、既に忍足たちは中学3年の卒業間近のはず。だとすれば、これまで読んだ異世界トリップのように、原作の展開を知っているから悩むなんてこともない。

「……なるようにしか、ならんよね」

 ため息をつく。

 私はこの世界に来てしまった。この世界で生き直すことを選んでしまった。あちらの世界には、『長岡彰子』がいた痕跡もなくなっていて。私は過去にも未来にも、あちらには存在しないのだ。ここで生きていくしかないんだから。






 コンビニで買ってきたお弁当を食べながら、悠兄さんの置いていった資料を見る。

 こちらでの私の履歴、このマンションの概要・設備、生活環境について書いてある。芸が細かいことにこのマンション周辺の地図(どう見ても手書き)もあったりして、そこには「野菜はここが最安値」とか「ここのオムライスは絶品」だとか、「ここのビデオ屋は品揃え悪い」だの、「ここのおばちゃん店員はゴシップ好き」だの……書いてある。

 こちらでの私は中学時代までは書類上の存在でしかない。けれど、書類上であっても、頭に入れておかないと、いつかおかしなことになるかもしれないと書類を読む。

 生年はともかく、誕生日・血液型は同じ。身長も同じ(高校に入ってからは伸びなかったから)。体重は……かなり軽くなってる。得意科目は国語と歴史、苦手科目は数学と理科。運動はあまり得意ではないが、見るのは嫌いではない。これも全部一緒だ。家族構成は両親だけ。両親の名前はあちらと同じ。でも、あっちでは平凡な地方公務員だった父が大企業の親族になっている。今はアメリカ支社の支社長ということらしい。パートに出ていた母は、こちらではセレブな専業主婦。趣味が植物水彩画というのは同じだ。

『両親は書類だけの存在だから、あうことはないだろう』

 態々そう書いてあるのは、悠兄さんが腐っても神様で、あちらでの私と両親の折り合いの悪さを知っているからだろう。

 生活費は毎月1日に30万円ずつ振り込まれる。マンションは賃貸ではなく分譲、しかもローンではなく、一括で購入されていて、管理費共同費は別途支払われているため、生活費から出さなくてもいいとのこと。学費も当然のように別途支払われていて、氷帝にしろ立海にしろ、どちらに行っても必要なだけの寄付金も支払われるらしい。

 ……経済的には何も心配せずにすむわけだ。まぁ、生活費が支払われるのは就職後半年までとも書いてあるけど。

 で……マンションにあるのは、プラズマTV(36インチ)をはじめとして、生活に必要なものは全て揃っている。しかもインテリアは『一人暮らしならこうしたいな』と思っていた、理想の家具が揃っている。寝室にはかなり高性能なコンポもあり、欲しくて欲しくて仕方なかったものの、高すぎて手が出せなかったPC・I-Brain TypeZ(本体価格498000円)まである。これはオンラインゲームやりまくりだわ。

 ネット環境は光回線が開通済み。プロバイダはあちらで私が使っていたところと同じで、契約内容もADSLから光に変わってるだけ。ただし、開通して申し込み済みだけど、PCの設定やメールアドレスの取得はまだらしい。

 ホント至れりつくせりという感じだ。これは……このままでも十分ニートって生きていける。

 でも、せっかくテニプリの世界に17歳も若返ってやってきたのだから、もう一度、あちらではやれなかったこと、やりたくてもあきらめたことにチャレンジしてみるのも悪くない。少なくともこちらの世界で、元の年齢に達したとき。あちらで思っていたような「死んでいないだけ」という状態にはならないように、生きていきたい。

「……寝よ」

 資料を読み、改めてこちらへ来たことの意味をかみ締めベッドに向う。

「真朱、萌葱、撫子。ママ寝るよ。いらっしゃ……」

 途中で言葉が止まる。あちらでは常に自室にいるときには傍にいた3匹の愛猫。あの子達はこっちにはいない。一緒に連れて来たかったな……。あの子たちそのものには成り得ないけど……落ち着いたら、またネコを飼おうかな。確かペット禁止じゃなかったし。

 そんなことを思いながら、私はこちらの世界での初日を終えたのだった。






 思いのほかすっきりと目覚め。昨日買っておいたサンドイッチとカフェオレを冷蔵庫から取り出して軽く朝食。

 今日はやることがいっぱいあるから、ちゃんと午前7時には起きて行動開始。

 必要な生活雑貨はあるとはいえ、ほかにも欲しいものはある。食料も買出ししておかないといけないし。行動の幅を広げるためにも自転車は必需品だし。悠兄さんが書いてくれた地図にはホームセンターやスーパーの位置もちゃんと書いてあった。

 まずは買出ししないといけないものをメモに書き出す。自転車、シャンプー、リンス、コンディショナー、ボディソープに入浴剤。洗濯洗剤、柔軟剤、漂白剤、洗濯物用のハンガーなどもろもろ。米、醤油、味噌、塩、砂糖、胡椒、マヨネーズにケチャップ、かつおぶしにいりこなど最低限の調味料。

 最低限でこれだけ。……車欲しい。それに食品はあくまでも最低限のものだけ書き出したわけだから、これに数日分のその他の食品が必要になる。先にホームセンターに行って、自転車買うかな。

 大雑把に今日の予定を立てたところで、寝室に戻り、PCを立ち上げる。ネット設定やPCのスペック、インストールされてるソフトのチェックなど、さっと終わらせる。至れり尽くせりはここにも発揮されていて、あちらの世界で私がやっていたオンラインゲームもしっかりインストールされていた。

 インターネットを立ち上げて、まずは大手ポータルサイトに接続し氷帝と立海を検索。それぞれの学校のHPをお気に入り登録して、今後必要になると思われるお料理レシピのサイトをいくつか登録。更にネットショッピングのサイトも登録。必要と思われるサイト登録が終わったところで、ふと思いついて、オンラインゲームの公式サイトに接続する。本当にプレイするかどうかは別にして、ユーザー登録しておく。アカウントだけ取得して、課金はしない。実際にプレイするようになったら、課金すればいい。幸い、私名義のクレジットカードも作られているわけだし。

 ネット関係が一通り終わると、いよいよ、今日のメイン! 入試までの日程作成。ある程度きっちり予定を立てておかないと、だらだらとすごしてしまいそうだから、入試まではスケジュールを組んでおくことにした。

 今日は1月8日。立海の入試が2月5日。氷帝が2月8日。合格発表はともに2月12日。

 昨日買ってきた入試問題集は過去5年分が掲載されているから、2校あわせて10年分。試験時間は50分、各休み時間は10分の昼休み1時間。学校には行っていないのをこれ幸いと、実際の入試スケジュールにあわせて、問題を実践的に解くことにする。

 今日が土曜日だから……今日と明日はこれからの生活準備に当てて、月曜からスタート。1週目に立海の5年分、2週目に氷帝の5年分。土曜に答えあわせと復習で、日曜は予備日という名の休日にあてる。過去問は2週間で終わるから1月中には完了。その後は適当に一般的な入試問題集でも解いていればいいだろう。

 ああ、それに立海と氷帝の下見にも行かないとね。校内を見学できるかは不明だけど、少なくともそれぞれの学校までのルートと所要時間は確認しておかなきゃ。場合によっては、立海はホテルをとったほうが無難かもしれないし……。






「よし、出来た!」

 計画だけは完璧なスケジュールをPCで作成し。プリントアウトして勉強机のマットの下に入れる。

「さて……買い物行くか」

 リストを手に取り正直うんざり。これだけの大荷物、どうしよう……。配達って頼めばやってくれるのかなぁ。どうせなら悠兄さんも必要な生活雑貨は揃えておいてくれればいいのに。とはいえ、折角の一人暮らし。雑貨だって自分の好みのものを使いたい。

 取り敢えず今日はホームセンターで自転車とお風呂用品・お洗濯用品を買って、スーパーでお米と今日の分の食材を買おう。一度に全部なんて絶対無理だし! 今日最低限買わなきゃいけないものにチェックを入れて、着替える(今までパジャマだった)。携帯と財布、そして時間的にそろそろお昼ということもあり、昨日買っておいた小説もバッグに入れる。悠兄さんの周辺情報に拠れば、この近くにはファミレスもファーストフードも揃ってるから、そこでランチを取ってから買い物に行こうというわけ。

「戸締りよーし、忘れ物もなし」

 バッグの中に財布と携帯、家の鍵が入っていることを確認する。……携帯かぁ。何処に電話する当てもないし、何処からかかってくるってこともないけどね。こっちには知り合いも当然いないから、メモリーはたったの1件。妄想神の悠兄さんの分。それも有り得ない番号。0が11個並んだだけの番号だもの。

 ふぅと溜息をついて部屋を出る。

「あれ、長岡さん」

 するとばったりお隣さん──忍足侑士に遭遇。どうやら今帰ってきたところらしい。

「なんや出かけるん?」

「ええ、買い物とお昼食べに……。忍足君は学校だったの?」

 制服を着て、テニスバッグを持ってる。部活……? でも、既に1月だから引退済みのはずじゃ……。

「せや。部活は引退してんねんけど、体鈍るからな。時々参加してん」

 なるほどー。どうせ、内部進学できるんだから、受験体制にする必要もないわけで、だとすれば暇を持て余すのかもね。

「昼飯食い行くんやったら、一緒せぇへん? 俺もまだやねん」

 思いがけない申し出だったけど、断るのも角が立つ気がして頷く。

「急いで着替えてくるよって、ちょお待っとってや」

 言うや、忍足は部屋に駆け込む。

 なんだかなー。昨日出会ったばかりでこの接近具合。元の世界ではオトコに縁の薄かった私とは思えないなぁ。

 そんなことを思いつつ、私は忍足を待っていたのだった。