俺が彼女に逢うたんは、学校の帰りに立ち寄った本屋やった。いつも買うとるテニス雑誌を買い、ついでに参考書(高校のやけど)を見ようと思うたとき、彼女に遭遇した。
彼女は問題集を取ろうとしとって……手が届かんみたいで。フェミニストな俺としては女の子が困っとるのは放ってはおけんよって、彼女が取ろうとしてた問題集をとってやったっつーわけや。それは……うちの高等部、つまり氷帝学園高等部の過去問題集やった。
氷帝は、中高一貫教育の学校で大学もある(幼稚舎もあるけど)。一貫教育やから……高等部からの編入はあんまり多くはない。
編入受け入れ枠も10人かそこらのはずやった。高等部編入はごっつー難しいらしい。そんなうちの高等部を受けるなんて、よっぽど頭ええんやろうなあ……なんてことを思いつつ、問題集を渡す為に彼女を振り返り……。
ごっつー可愛い。
めちゃくちゃ綺麗な子やった。今時珍しい、腰まで届く長い髪は『緑の黒髪』。これまた珍しい、全く化粧してへん顔は、そこらのアイドルなんて足もとにも及ばんくらいの美貌で。雪花石膏のように、白い肌、くっきりと二重の瞼に縁取られた目は大きな瞳で。ふっくらと柔らかそうな唇は口紅をしとるわけでもないのに、艶やかな薔薇色で。
俺はあまりの彼女の美貌に目が釘付け。俺があんましジーっと凝視しとったせいか、彼女は戸惑ったように固まっとった。
「これでええん?」
「あ……ありがとう」
あんま見つめとっても不審者になってまうから、何とか声を絞り出し、問題集を渡そうとしたんやけど……彼女は警戒しとるのか、中々受けとらへん。怪しまれたんやろうか……。
「……どないしたん?」
固まっとる彼女にもう一度声を掛けるが……彼女は凍ったままやった。なんや警戒しとるいうんやなくて……思いもしないモノに突然出会って固まっとる……そんな感じ。この場合やと……思いもしないモノ=俺、いうことになるけど……。彼女とは初対面やしなぁ……。
まぁ、一応俺かて氷帝テニス部のレギュラーやから、それなりに有名人ではあるけど……。もし俺らのファンとかやったら、何処かで見かけてるやろ。第一、こないな別嬪さんを俺が見落とすわけはない。絶対初対面や。
「姫さん……?」
名前知らへんから、そう呼びかけてみる。思いっきり近づいて、耳元で。…………こないなことするから、エロキングやらセクハラやら言われるんやろうな、俺。けど、なんや彼女が可愛くて。自然にそうしてもうたんや。
すると……姫さんはボンッと音がしそうな勢いで真っ赤になった。
「あ……すっ、すみません。ありがとうございました」
俺の呼びかけで漸く正気に戻った……そんな感じで慌てる姫さんは……めちゃくちゃ可愛い。ワタワタと音がしそうなくらい慌ててるのが解って……思わず笑いが漏れる。
「大丈夫か? なんか……おもろいな、姫さん」
「そ……そうですか……?」
姫さんの声はひっくり返っとる。美人のわりには、男に慣れてへんいう感じで、なんかええなぁ。
「で……これでええんやな?」
このまま揶揄ってコミュニケーション図りたい感じもしてたけど、初対面であんまやりすぎるとただのナンパ野郎になってまうからと、一先ず問題集を渡す。
「自分、氷帝受けるん?」
まぁ、聞くまでもないことやけど。案の定、
「受けない人が問題集取ったりしないと思いますけど」
という姫さんの返答。ただ、普通に『ハイ』やのうて、ちょっと捻くれた答え方が……俺の興味をそそる。
自分でも性格悪いなぁとは思うねんけど……一癖どころか1万癖も2万癖もあるテニス部Rと付き合うてた俺としては、普通のやり取りはつまらへんねん。それよか、こないな感じで、ちょっと捻った返答のほうがおもろいやん。せやから、この返事で姫さんのポイントが更に上がったっちゅーこと。
あんまり馴れ馴れし過ぎても警戒されてまうし、ここらが潮かもしれんな。そう思うて、そろそろ姫さんとの会話を切り上げることにする。氷帝受けるんやったら、4月からは同じガッコになる可能性大やし。そもそもうちの高等部は超難関やから、合格確実レベルやないと中学側も受験させへんし。受験できる=合格確実って聞いとるからな。
まぁ、氷帝はマンモス校やから、そないに簡単には再会でけへんやろうけど、外部生でこんだけの別嬪さんやったら直ぐ話題になるはずや。
「それもそやな。ってことは……自分俺と同じ年っちゅーことやん。中学3年やろ」
「はい……。……え?」
今度は素直に返事した姫さんが、『信じられない』とばかりに俺の顔を見上げる。じーっと見て……うわ、ごっつー綺麗やから、そんなに見つめられると照れるやん。驚きに大きく見開かれた目が綺麗で。黒かと思うてた瞳が濃いブルーグレーでなんとも綺麗で姫さんの雰囲気によう似合うてた。
「……貴方も、中学生?」
「ああ、おない年や」
「……先輩かと思いました……」
姫さんは半分呆然としたように呟く。
確かに、俺中3には見えへんかもしれんなぁ。身長かて180超えとるし。せやけど、俺の周りには跡部やら、立海の真田やら、青学の手塚やら……どう見ても中3とは思われへんやつがゴロゴロしとる。真田なんて30代いうても通るんやないか? それに、姫さんかて、15歳にしては大人びてるで。コートに隠れてスタイルははっきりとは判らへんけど……結構いい感じに見えるし。見た目もやけど、なんや雰囲気がもっと大人な感じがする。
「姫さんかて大人っぽいやん。──4月、会えるの楽しみにしてんで。がんばり」
4月が楽しみや。俺はそう思うて、姫さんと別れた。
しかし、再会は思いがけない速さで訪れた。その再会に俺は運命的なものを感じたんやった。
再会は自宅近くのコンビニ。
俺は中2の時にテニスをするために氷帝に転校し。実家は京都やよって、俺だけ東京に来て買い与えられたマンションに一人暮らしやった。以前は通いの家政婦がおったけど、他人に自分の部屋いじられるんが嫌で、部活引退した後、家政婦を断った。部活しぃひんようになって時間出来たしな。せやから、作るのが面倒な時はコンビニで晩飯仕入れとるゆーわけやった。
で、夕飯仕入れに立ち寄ったコンビニで、俺は姫さんに再会した。
「メゾンドシェルマンってマンションにはどう行ったらいいんでしょうか?」
姫さんはコンビニの店員にそう訊いとった。
そのマンション名は俺が住んでるのと同じトコで。俺は姫さんに迷わず声をかけた。「俺が案内したるわ」と。
姫さんと並んで歩きながら、俺は妙に浮かれとった。ごっつー好みのタイプの美少女。しかも頭の回転も速そうな、手応えのある。
「そのマンションに知合いでもおるん?」
俺がそう訊いたのも当然やと思う。うちのマンションは1LDKか2LDKの単身者向けマンションやし。住んどるんは大抵大学生以上。中学生で一人暮らしなんて俺くらいのもんやろ。誰やろうなぁ。彼氏とかやったらショックやな。けど彼氏なら迎えに来るやろうし……とすれば兄か姉やろか?
「いえ……住んでるんです……」
姫さんは恥ずかしそうに言う。
「は……?」
住んでる……?
「いえっ! あのっ! 実は昨日引っ越してきて。移動はずっと車だったから、バスだとどう行ったらいいのか判らなくて!!」
慌てたように言う姫さん。確かに『自分の家が判りません』なんて、ごっつー恥ずかしいやろうしな。
けど……昨日引っ越して来た……って。
「お隣さん……やったんか」
「えっ!?」
俺が運命やと確信しても無理はないやろう。
コンビニからマンションまでは僅か5分の道のりで。『コンビニ近うて便利やなー』なんて思うてたくせに、今は『なんでこないに近いねんっ』と妙に腹立たしい。
それでもしっかり互いに自己紹介はして。姫さんの名前を教えてもろうた。
そして、『氷帝のことで訊きたいことあったらいつでも聞いてや』そんなことを言って、互いの部屋の前で別れた。
長岡彰子。
それが、これからの俺の人生で最も重要になる姫さんの名前やった。