第六話 桜色の花が咲いたら
レオニーは、思いどおりにならない現実に苛立っていた。
エティエンヌは、何度話しかけても礼儀正しいだけ。困ったことがあると訴えても、教師や担当者を紹介されるだけ。そして、どんなに接近しても、彼は必ずロクサンヌのもとへ戻ってしまう。
――おかしい。
――絶対に、おかしい。
ゲームでは、エティエンヌはもっと優しかった。ヒロインが困っていれば、自ら手を差し伸べてくれた。婚約者との関係に悩み、自分の気持ちを理解してくれるヒロインに惹かれていく。
それなのに、目の前のエティエンヌは違う。ロクサンヌとの婚約に悩むどころか、彼女を大切にしている。まるで、最初から彼女以外の相手など眼中にないようだった。
「……あの女さえいなければ」
レオニーは、ぽつりと呟いた。
彼女は、自分が何かを間違えているとは考えなかった。悪いのは、いつも自分の望みを邪魔する相手なのだ。
だから、ロクサンヌが自分を不当に扱っているという噂を流し始めた。自分は殿下のお役に立ちたいだけなのに、婚約者に邪魔されている。身分が低いから、王族に近づくことすら許されない。
そんな話を、同情してくれそうな相手に少しずつ語っていった。全てが嘘というわけではない。レオニーは実際に、エティエンヌに近づくことをロクサンヌに歓迎されてはいなかった。
しかし、それは婚約者として当然の感情でもある。彼女は、その事実を自分に都合よく解釈していた。
ある日の放課後。
エティエンヌは、ロクサンヌを学園の庭園へ誘った。
「今日は、少し話したいことがあるんだ」
「何でしょう、殿下?」
「ここなら、ゆっくり話せると思ってね」
二人は、花壇の側のベンチに並んで座った。
エティエンヌは、暫く迷ったあと、ロクサンヌの手を取った。
「最近、君が少し無理をしているように見える」
「……そうでしょうか?」
「うん。私に心配をかけないように、何でもないふりをしているだろう?」
ロクサンヌは、言葉に詰まった。エティエンヌは、昔から彼女の小さな変化によく気づく。
「私は、君に頼ってほしいんだ」
「……でも、殿下には王族としてのお役目がございますわ」
「それでも、君の話を聞く時間くらいは作れるよ」
彼は微笑んだ。
「君が私を守ってくれるのは嬉しい。でも、君の心を守ることも、私にさせてほしい」
ロクサンヌの目に、涙が浮かんだ。
「……わたくし、怖いのです」
「うん」
「殿下が、いつか本当にわたくしを選ばなくなるのではないかと。どれだけ殿下が優しくしてくださっても、ゲームの物語を思い出してしまいますの」
エティエンヌは、彼女の手を両手で包んだ。
「なら、何度でも伝えるよ」
「……何を、ですの?」
「私が君を好きだということを」
ロクサンヌは、顔を上げた。
「私は、君と一緒にいたい。君に笑っていてほしい。君が困っていたら力になりたい。君が何かを成し遂げたら、一番に褒めたい」
エティエンヌは、少し照れくさそうに笑った。
「そして、君が悲しいときには、側にいたい」
「殿下……」
「だから、不安になったら言ってほしい。私が君を安心させられるように」
ロクサンヌは、こくりと頷いた。
「……はい」
そのとき、エティエンヌは、ふと思いついたように微笑んだ。
「そうだ。久しぶりに、あの魔法を使ってみようか」
「あの魔法?」
「君の周りに花を舞わせる魔法だよ。叔父上に教えてもらったんだ」
ロクサンヌは、目を丸くした。
「まあ! 習得なさったのですか?」
「うん。但し、恋心を確かめる魔法ではないよ。花を舞わせるだけの、簡単な魔法だ」
エティエンヌは、少しだけ得意げに笑った。
「君が不安になったとき、少しでも笑顔になってくれたらと思ってね」
彼が指先を動かすと、桜色の花びらがふわりと舞い上がった。ロクサンヌの周りを、柔らかな花びらが踊る。
「……綺麗」
「君に似合うと思ったんだ」
エティエンヌは、今度は自分の周りにも青い花を舞わせた。
青い花と桜色の花が、二人の間をゆっくりと漂う。幼いころと同じ光景だった。ロクサンヌは、思わず笑った。
「殿下。わたくし、今、とても幸せですわ」
「私もだよ」
エティエンヌは、彼女の手を握った。
「桜色の花が咲いたら、二人で話そう。そう約束しただろう?」
「はい」
「君が不安になったら、いつでも言ってほしい。何度でも、君の話を聞くから」
ロクサンヌは、微笑んだ。
「……ありがとうございます、殿下」
その日、二人は長い時間、庭園で語り合った。
未来のこと。学園でのこと。王族として、貴族として、これから何を学んでいきたいか。
そして、いつか二人で築きたい家庭のこと。エティエンヌは、ロクサンヌと穏やかな家庭を築きたいと話した。ロクサンヌは、彼の隣で支えたいと答えた。それは、幼いころに交わした約束よりも、ずっと具体的で、ずっと大人びた未来の話だった。
けれど、二人の気持ちは変わらない。ただ一緒にいたい。互いを大切にしたい。
そして、自分たちの意思で未来を選びたい。その思いだけは、昔から変わらなかった。