第二話 君と一緒に未来を変える
それから二年が過ぎた。
7歳になったロクサンヌは、社交界へのお披露目と、エティエンヌとの婚約発表を迎えた。
その日、彼女は初めて、自分が生きている世界の正体を知った。正確には、思い出したのである。前世の記憶を。そして、自分がかつて遊んだ乙女ゲームの世界に生まれ変わっていたことを。
――エティエンヌ様が、攻略対象?
――わたくしは、悪役令嬢?
――このままでは、殿下はヒロインと恋に落ち、わたくしは婚約を破棄されてしまうの?
目の前が真っ暗になった。何より耐えがたいのは、エティエンヌが自分以外の女性を愛する未来が、ゲームの物語として用意されていることだった。
その日から、ロクサンヌはエティエンヌに会うたび、笑顔を作るのが難しくなった。
彼の顔を見ると嬉しい。手を握られると幸せだ。けれど、いつかこの手を離されるのではないかと思うと、胸が苦しくなった。
そして今日。
様子のおかしいロクサンヌを心配して見舞いに訪れたエティエンヌを裏庭の茂みへと連れ出し、ロクサンヌは防音の結界を張った。
「殿下。今からわたくし、すっごく変なことをお話しします。もしかしたら頭が狂ったのかもしれません。悪魔憑きかもしれません。必要であれば治癒士でも神官でも呼んでくださいませ」
「……うん?」
エティエンヌは首を傾げた。
いつもなら、ロクサンヌの話は何であれ楽しみだ。けれど、今日は違った。小さな婚約者は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「どうしたんだ、ロクサンヌ」
「……信じていただけないかもしれません」
「君が話してくれることなら、ちゃんと聞くよ」
その言葉に背中を押され、ロクサンヌは話し始めた。
自分には、前世の記憶があること。この世界が、かつて遊んだ乙女ゲームによく似ていること。エティエンヌは、そのゲームの攻略対象であること。
そして――。
「殿下は、ゲームの中ではヒロインと恋に落ちるのです」
言い終えた瞬間、ロクサンヌの目から涙が零れた。
「わたくしは、殿下の婚約者なのに……。殿下が大好きなのに……。ゲームでは、わたくしは悪い令嬢で、最後には殿下に捨てられてしまうのです」
エティエンヌは黙っていた。ロクサンヌは、ぎゅっと目を閉じる。
「ごめんなさい。こんな変なことを言って……」
「ロクサンヌ」
小さな手が、彼女の手を包み込んだ。
「私は、君を捨てるつもりはないよ」
「……でも」
「ゲームというものが何なのか、私にはよく解らない。けれど、君が私を守ろうとして話してくれたことは解る」
エティエンヌは、真剣な顔で続けた。
「君は、私が君を嫌いになるかもしれないと思いながら、それでも教えてくれたんだろう?」
ロクサンヌは、こくりと頷いた。
「なら、私は君を信じるよ」
「殿下……」
「それに、私は君が好きだ。君と会える日は嬉しいし、君が笑っていると私も嬉しい。君が悲しんでいると、どうしたら笑ってくれるのか考える」
エティエンヌは少しだけ頬を赤くした。
「君のことが、ずっと好きなんだ。だから、まだ起きていない未来のせいで、君が泣くのは嫌だ」
ロクサンヌはとうとう泣き出した。エティエンヌは慌てた。
「えっ、あ、あの、ロクサンヌ! 泣かないで!」
「だって……だって……!」
「どうしたらいい? 花を咲かせようか? あの魔法を覚えたら、君が安心できる?」
「……魔法?」
ロクサンヌが顔を上げた。エティエンヌは、少し得意げに頷く。
「うん。叔父上に教えてもらおうと思っていたんだ。君の気持ちが解るように、君の周りに花を咲かせる魔法を」
「まあ……!」
「でも、叔父上に止められてしまった」
「どうしてですの?」
「『恋心を確かめるために魔法に頼るのはおやめなさい』って」
エティエンヌは不満そうに頬を膨らませた。
「私は、君が不安にならないようにしたかっただけなのに」
ロクサンヌは涙を拭った。
自分の知らないところで、エティエンヌがそんなことを考えてくれていたなんて。胸がいっぱいになった。
「殿下……わたくし、嬉しいですわ」
「本当?」
「はい。でも、わたくしの気持ちは魔法で確かめなくても大丈夫です」
「……どうして?」
「だって、わたくしは殿下が大好きですもの」
エティエンヌの顔が、ぱっと明るくなった。
「私もだ!」
二人は、ぎゅっと手を握り合った。
それから、ロクサンヌはゲームのことを話した。ゲームの舞台は、日本の高校をモデルにした3年制の学園。15歳になる年に入学し、3年間をそこで過ごす。ヒロインはそこで攻略対象たちと出会い、恋愛イベントを重ねていく。
エティエンヌのルートでは、彼はロクサンヌとの婚約に悩み、ヒロインに惹かれ、やがて婚約を解消する。
ルートによっては、王族としての責務をおろそかにする展開もあった。
「……つまり、私が君以外の女の子を好きになり、君との婚約をやめてしまうということか?」
「はい……」
「嫌だな」
エティエンヌは、きっぱりと言った。
「私は、ロクサンヌと結婚したい」
「殿下……」
「けれど、君の記憶だけを頼りに誰かを悪者にするのも違うのだろう?」
ロクサンヌは目を丸くした。
「はい。ゲームの中ではそうだったとしても、現実の人々が同じとは限りませんわ」
「ならば、確かめよう」
エティエンヌは小さな手を差し出した。
「君が未来を知っているのなら、私は今を調べる。二人で考えれば、きっと何とかなるよ」
ロクサンヌは、その手を取った。
「……はい!」
そして二人は、秘密の約束を交わした。
不安になったときは、一人で抱え込まない。相手の気持ちが解らなくなったときは、きちんと言葉にして尋ねる。未来が怖くなったときは、二人で考える。
その合言葉は、幼いころの思い出から選んだ。
「桜色の花が咲いたら、ですわね」
「うん。桜色の花が咲いたら、二人で話そう」
こうして、二人だけの秘密が生まれた。