眩い光が収まると同時に、少女は大きく目を見開いた。
「……え?」
阿波津玲衣──花畑高校2年、17歳。つい先ほどまで下校途中だったはずの彼女は、巨大な魔法陣の中央に立っていた。
周囲は壮麗な神殿らしき石造りの建物。白い大理石の柱。金糸で刺繍された法衣を纏った神官たち。そして、煌びやかな衣装を纏う貴族らしき男女。
(きた……!)
玲衣の胸が高鳴る。この展開はラノベやアニメ、乙女ゲームでよく知っている。
(異世界召喚! 状況からして確実に聖女! 乙女ゲームの始まりじゃん!)
彼女は期待に満ちた視線で周囲を見渡した。
年配の神官、厳つい騎士──オッサンじゃん。
素朴な服装の青年──モブはお呼びじゃない。
草臥れた中年男性──論外。
次々と視線を流し、やがて一人の青年で止まる。
黄金に輝く髪。鋭く美しい蒼い瞳。誰もが息を呑むような美貌。鍛えられたであろう引き締まった体躯。
(いたー!絶対王子様! メイン攻略対象!)
その隣には銀髪の美しい令嬢が立っている。
(あー、当て馬令嬢ね。悪役令嬢ポジションかな)
玲衣は一瞬だけ彼女を睨み、美青年へ向けて甘く微笑んだ。尤も『甘く微笑んだ』と思っているのは玲衣だけで、周囲にはそれが媚びるための邪で浅はかで醜悪な笑みと映っていた。
神殿にいた全員が、その様子を黙ってみていた。
王太子アルフレッドが小さく呟く。
「これは……聖女だな」
隣の婚約者、公爵令嬢セレスティーヌも静かに頷いた。
「ええ、間違いありませんわ」
二人の声には落胆しかなかった。
大神官が一歩前に出る。
「ようこそ、異界より来られし御方」
異界、つまり異世界。やっぱり異世界召喚、神官っぽい人が話しかけてきたってことは確実に聖女だ! 内心でそうハイテンションになりながら、玲衣は胸を張った。
「はい!」
そんな玲衣を観察しながら、大神官は穏やかに尋ねる。
「貴女は、聖女ですか? それとも、聖人ですか?」
「……成人?」
玲衣は首を傾げる。聖人を成人と聞き間違えている。聖人など馴染みのない言葉だから仕方ないともいえるが。
「いや、まだ17歳だから未成年だけど」
神殿内が静まり返る。玲衣の気づかぬ場所で幾人かの女性たちが立ち位置を入れ替える。王宮の女官たちと、神殿の女神官たちが。
「でも異世界召喚なんだから、聖女っしょ!」
満面の笑みで告げる玲衣に、神官たちは目を伏せた。大神官は溜息をつく。
「……そうですか」
王太子も肩を落とす。
「今回は外れか」
セレスティーヌが玲衣から目を逸らす。
「残念ですわ」
だが、周囲のそんな様子には気付かず、玲衣だけは浮かれ、周囲の態度の意味を理解していなかった。聖女と告げたら失望されたことに。
(やっぱり聖女! ほらね! 攻略対象は何人だろ?王子様っぽい人しかいないなー。一人だけってことはないよね! 騎士とか魔法使いとか、宰相候補とか!)
玲衣は嬉々として王太子へ近づく。
「初めまして! あたし──」
「失礼します」
アルフレッドに声を掛けようとしたとき、左右から女神官が現れた。
「こちらへどうぞ」
「え、でも、王子様……」
「まずは神殿へ」
「イベント? ステータス確認?」
「ええ、そのようなものです」
有無を言わせず連れて行かれる。だが、玲衣は笑顔だった。
「最初はまずチュートリアルだよね!」
神官たちは何も、誰も答えなかった。
「……というわけで」
神殿の一室。王太子アルフレッドは深い溜息をついた。
「完全に、聖女だったな」
騎士団長も頷く。
「あれほど露骨に男ばかり見ていましたからな」
「|女性《セレスティーヌ嬢》には敵意、男性には品定め、|美青年《アルフレッド殿下》には媚びた視線」
やれやれと首を振り大神官は呆れを隠さない。
「典型例ですわ」
セレスティーヌは紅茶を口にする。
この世界では、異世界人は神々との契約によって召喚される。この世界の神と異世界の神との契約によって、異世界で死ぬ直前に転移してくるのだ。求める能力は世界の境界を超える際に付与される。
しかし、人格までは選べない。召喚のタイミングでそれに相応しい死者がいるとは限らないからだ。
そのため、召喚直後に適性を見極める必要があった。
「あなたは聖女ですか、聖人ですか」
「あなたは勇者ですか、聖騎士ですか」
この問いは試験だった。
聖人(聖騎士)とはなにか。聖女(勇者)とは何か。その違いを尋ねる者。状況や役割について説明を求める者。そうした者は大抵、常識的な人間だった。
約100年前に召喚された少女は『ここはどこですか、あなた方は誰ですか。私は何故ここにいるのですか』と尋ねた。まず状況把握をしたのだ。そして『聖女と聖人の違いはなんですか? 女性なら聖女、男性なら聖人だというのなら、態々聞きませんよね』と疑問を呈し、『私に求められる役割は何ですか? それを果たせば帰れるのですか?』と未来を尋ねた。その彼女は務めを全うし、その後は市井に下りて平凡ながらも穏やかで、孫やひ孫に囲まれた生涯を送ったと言われている。
一方、説明も求めず『聖女です!』と即答する者。
彼らは地球の娯楽作品に毒され、『異世界=俺や私が愛される主人公』という妄想に浸っていることが多い、勇者ならハーレム志向もしくは英雄願望や野心。聖女なら逆ハーレム志向、私が世界で一番のお姫様、皆に愛されるアタシというお花畑。そんな彼らは大抵召喚から10年以内に己の欲望によって身を滅ぼしている。
召喚の時点では神々ですら魂の選別が出来ず、この簡易試験が設けられたのである。
「今回は我々現地人で対処しろという神々の思し召しなのでしょうな」
大神官が静かに言う。真面な召喚者であれば現地の神官や騎士、魔術師と協力して脅威に立ち向かう。けれど勘違いした召喚者たちは役に立たない。そのときは彼らに頼らず自力で何とかしなければならなかった。そして、何とか出来ていた。
つまり、外れ召喚だった今回は何とか現地人で対処可能な範囲の脅威ということだろう。
「神託によれば脅威が訪れるのは5年後。十分とは言えぬまでも時間はあります」
王太子は苦笑した。
「騎士修行に励み、聖騎士となれるよう努めねばな」
セレスティーヌも微笑む。
「わたくしも少しでも聖人に近づけるよう、鍛錬いたしますわ」
一方、その頃。
「えっ?」
玲衣は目を丸くしていた。
「此処が……聖女の館?」
案内された建物は豪華だった。だが、様子がおかしい。美しい数人の女性がいる。しかし、表情はどこか空ろで、濃い化粧と妖艶な衣装とのミスマッチが大きい。
「彼女たちは貴女の補助をする聖女補佐です」
「あたしの補佐?」
こんなぼーっとした女たちに出来るのかななどと玲衣は考える。それに聖女の補佐が何故あんなにも露出の多い服を着ているのだろう。何かが可笑しいと感じたが、それを振り払うように玲衣は案内の女神官に尋ねた。
「王子様との恋愛イベントっていつ始まるの?」
部屋中が静まり返った。
「……恋愛?」
「攻略対象ですよね?」
「攻略?」
女性たちは困惑した顔を見合わせる。あ、モブはチュートリアル係じゃないんだ、だったらどう攻略すればいいか判んないなぁと周囲の反応から玲衣はそんなことを思った。だが、玲衣の勘違いもここまでだった。
案内をしていた中で最も年かさの女神官が、出来るだけ優しく説明した。
「この国で聖女とは……神の僕たる神官に身を捧げる女性のことです」
遠回しの表現に玲衣は首を傾げる。なので女神官はもう少し直接的な言葉を告げた。
「我が国、いいえ、この世界の神官は妻帯も恋愛も禁じられております。けれど、欲望はございます。お勤めの妨げにならぬよう、その欲望を発散することも必要となります」
「……」
沈黙が流れる。言語的な意味は解るが文脈を理解できない。いや、無意識に頭が理解を拒んでいる。
「……え?」
「魔を払い世界を浄化する神聖な力を持つ方は、男女問わずに聖人と呼ばれます」
「え?」
「聖女は、性女とも書きます。聖なる務めを果たされる神官方が下界の毒に侵されぬよう、また、精神の安定を得られるよう、誠心誠意、その体で性欲を発散させ、お慰めする役目、それが性女。神官専用娼婦です。ここ聖女の館は神官専用の娼館なのです」
「え?」
三回目の「え?」だった。そして漸く理解が追い付く。
「聖女様の補佐をする者たちは借金奴隷として売られた娼婦たちです。貴女の教育係も務めます」
「えええええええええええええええええええええっ!?」
館中に悲鳴が響いた。
夕暮れ。神殿の回廊アルフレッドとセレスティーヌが歩いていた。
「彼女はどうなりますの?」
「本人が意思を示さねば、聖女だ。だが、希望があれば、神官か下働きか、教育の上市井に出す」
「一時的に神殿内で保護、こちらの世界の知識と常識を与えるのですね」
セレスティーヌは一人納得するように頷いた。強制的に娼婦とすることはない。同じ年ごろの女性としてそれには安堵した。
召喚しなければ異世界では死んでいた者とはいえ、召喚したのはこちらの都合だ。狭い範囲の選択肢ではあるが、本人の希望を聞くことは出来る。
「より良き道を選んでほしいものです」
けれど、そうならない予感もしている。易きに流れそうな、享楽的な道を選びそうな、目先の豪奢さに惑わされそうな。そして、過去の例を見れば、そういった聖女や勇者は、予言の災厄の際にまるで幕開けを示すかのように命を落とすことが多い。
「神官か下働きを選んでくれればいいが……そうはならないだろうな」
「ええ……現実を受け入れられぬ、身の程を知らぬ狂人が聖女や勇者を名乗るとも言われておりますものね」
二人は空を見上げた。今はまだ何の異常もない空だ。
予言の災厄まであと5年。本来ならば異世界の聖人を迎え、共に戦うはずだった。
しかし今回やってきた少女は、自分を物語の主人公と思い込み周囲を人ではなく攻略対象と当て馬、モブとしか見なかった。
神々が望んだ救世主ではなかったのである。であれば、彼女はその行いに相応しい居場所へと堕ちることになるだろう。
「さて」
アルフレッドは剣の柄に手を置いた。
「召喚に頼れない以上、我々が強くなるしかない」
「はい」
セレスティーヌは力強く頷く。
「この国は、この世界の者が守りましょう」
神託によって召喚を行なったが、ここ何代かは所謂外れ召喚ばかりだ。神々には召喚に拘る意味があるのかもしれないが、人間にとっては召喚は負担でしかない。その儀式も、召喚によって齎されるモノの扱いも。
夕日に照らされながら、未来の王とその妃は歩き続けた。
異世界から来た少女が、一日も早く己の思い込みを打ち砕き、真っ当な生を得られるようにと願いながら。
コメント