婚約破棄系

「彼女をどのような立場に置かれるつもりですか」と聞かれたら…

アクエス大陸のエフフエ王国王宮の一室にて、王太子ランベルトとその婚約者ディートリンデが向き合っていた。婚約者同士のお茶会といった和やかな雰囲気ではない。

「殿下、彼女をどのような立場に置かれるおつもりですの?」

紅茶のカップをソーサーに戻し、ディートリンデは穏やかに、しかし、誤魔化しを許さぬ声音で問いかけた。

「は……?」

ランベルトはギクリと身を強張らせる。まさかバレていたとは。『彼女』とはランベルトが学園で出会い寵愛しているダマー男爵令嬢ピーアのことだろう。

「殿下がどのようになさるのかによって、わたくしの対応も変わりますゆえ、お聞かせ願えますでしょうか」

至って冷静にディートリンデは問いかけてくる。ピーアからは嫉妬したディートリンデに辛く当たられていると聞いているが、目の前のディートリンデは穏やかだ。

直系長子相続優先のエフフエ王国であるから、長子のランベルトは生まれたときから次期王太子だった。2年前に父が即位して正式に王太子となり、その際にディートリンデが婚約者として選ばれた。ディートリンデは中立派筆頭のブライテンバッハ公爵家の令嬢である。中立派を王家派に取り込む目的での政略だ。

金髪碧眼・容姿端麗、剣術によってそれなりに鍛えられた体躯を持つランベルトは『太陽の王子』と呼ばれ、銀髪蒼瞳で静謐さを湛えた美貌と細身ながらも女性らしい肢体を持つ『月女神の貴婦人』と称えられるディートリンデは似合いの二人だと持て囃された。見た目だけであれば似合いの二人だと陰で言われていることをランベルトは知らない。

ディートリンデにはもう一つ異名があり、それは『智の女神の愛し子』だ。中立派を王家派に取り込む目的以外に、王太子としての能力に不安のあるランベルトを支えるために選ばれたのがディートリンデなのである。それをランベルトとその側近だけが理解していない現状だった。

ここでランベルトが真面な『王太子』であれば『学生時代だけの割り切った付き合いだ。許せ』或いは『君の許しがあれば愛妾とするつもりだ』と言っただろう。不貞を犯している時点で真面とは言い難いが、取り敢えず将来のことを理解していると言える。

また、ある意味王族らしい遊び人であれば『普段接することのないタイプで興味を惹かれてね。味見はしたしもう十分かな』とでも言っただろう。尤もそれは王族としての自覚のない行動と発言ではあるが。不用意に胤を蒔く危険性を理解していないし、女性の尊厳を何だと思っているんだという話になる。とても王太子として相応しいとは言えない。

「殿下が何をお望みなのか。例えば、学園時代だけの割り切った恋人なのか、将来愛妾にするのか」

王国では王族と絶えてはいけない公爵家には側室が認められている。正妻となれるのは爵位差が2つまで。王族であれば侯爵位まで、公爵家であれば伯爵位までとなる。側室は基本的に正妻の親族・寄子から4爵位差以内までで選ばれる。側室が認められているとはいっても、飽くまでも血を絶やさないためなので、夫が好きに選べるわけではない。5爵位以上の差がある場合や夫の望みで側に置く場合は愛妾となる。側室の子であれば王位(爵位)継承権を持つが、愛妾の子は婚外子となり継承権を持たない。なお、側室もきちんと婚姻関係を結んだ妻として認められている(でなければ子に継承権が与えられない)。

ランベルトが寵愛しているピーアのダマー男爵家はディートリンデのブライテンバッハ公爵家の親族でも寄子でもない。そして王家と縁組(側室として)出来るのは子爵位まで。それをディートリンデは当然の決まり事として告げたのだが、ランベルトはディートリンデの言い様にカッとした。ピーアを馬鹿にしていると感じたのだ。ディートリンデにそのつもりは全くなく、今後のために必要な事項であるので確認したに過ぎないのだが、ランベルトを愛してやまないディートリンデが嫉妬して不当にピーアを貶めようとしていると解釈したのだ。

物語にもありがちなのだが、何故かランベルトは政略で結ばれただけの婚約者が自分を愛していると思い込んでいた。自分と同じように政略だからと仕方なく受け入れたなどとは思ってもいない。政略が不満で婚約者の務めを半分以上放棄している自分と違って、ディートリンデは積極的に己に関わってくる。それこそ婚約者の義務を果たしているに過ぎないのだが、ランベルトはそれがディートリンデが自分を愛しているゆえだと思いっきり勘違いしていたのだ。

ランベルトが文句をつけようと口を開きかけた瞬間、ディートリンデは冷静な眼でひたとランベルトを見つめ、言葉を継いだ。

男爵家のピーアでは側室にはなれないが、ブライテンバッハ公爵家の寄子の子爵家と養子縁組すれば側室にはなれる。だから、続けてディートリンデは問いかけた。

「それとも側室にするのか。或いは正妃となさることを望んでおられるのか」

己の立場を正しく理解していれば『愛妾』と答えただろうし、ピーアとの婚姻をどうしても望むのであればディートリンデに頭を下げて寄子との養子縁組を願い『側室』と答えただろう。

「殿下のお答え如何いかんに因りましてはわたくしの手配も変わりますので。側室をお望みであれば養子先の手配もせねばなりませんし、側室に相応しい教育も必要となります」

側室の管理や選定は正妻の務めだ。愛妾を含めた夫の閨の管理も正妻が為すべきことであり、それは後継に関して争いの種を作らぬためであった。しかし、ランベルトはそれを理解していない。

「貴様は俺に寵愛されるピーアに嫉妬してそのようなことを言うのか! ピーアを側室にも愛妾にもするつもりはない! 俺の妻となるのはピーアだけだ!」

「ダマー男爵令嬢を王妃になさるおつもりですか」

珍しく感情を見せ、呆れたことを隠さずにディートリンデは溜息をついた。今ランベルトは『妻はピーアだけ』と言った。つまり、側室も娶らないと。

ピーアは男爵令嬢であり、王家には嫁げない。側室であれば正妻の親族・寄子への養子縁組しての入内が認められているが(歓迎はされないし、不妊措置が取られる)、正妻たる王妃は侯爵家以上の嫡出子に限られているのだ。

「そうだ! 俺の愛はピーアにのみある! 貴様など不要。婚約破棄だ! 出て行け!」

ランベルトが叫んだ瞬間、部屋の扉が開き、数人の騎士が許しもなく入室した。それにランベルトは目を見開く。

「なんだ、貴様らは!」

突然入室した騎士たちにランベルトは怒鳴りつける。王太子たる自分の許しもなく入室するなど無礼極まりない。

「ブライテンバッハ公爵令嬢から相談された王妃殿下より国王陛下を通じて命令され、控えておりました。入室したのも陛下の命を遂行するためです」

騎士たちの後ろから一人の文官が姿を現す。

「宮内省正親おおきみ局局長アイスナーと申します」

名乗ったアイスナーは騎士たちに目配せをする。すると、騎士たちはランベルトを拘束した。

「なっ、何をする!」

騎士に拘束されて狼狽えるランベルトには目もくれず、ディートリンデはアイスナーに礼をする。王妃殿下に相談し、国王陛下にもお伝えいただいた。そして王妃殿下から今日の話し合いには騎士と役人を控えさせると伺ってはいた。婚約についての話に行きつくと思っていたから、王侯貴族の婚約・婚姻を司る治部省礼部局の役人が来るのだと予想していた。

だがやってきたのは宮内省正親局。王籍の管理をする部署だ。まさか、陛下はそこまでのご判断をなさったのかとディートリンデは驚いたとともに納得した。

「後日、陛下より父君の公爵閣下とともにお召しがあるやと存じます。一先ず本日はお引き取りいただいて結構ですよ」

ランベルトに対するものとは全く異なる穏やかな声音と表情でアイスナーはディートリンデに告げる。ここからは彼女の役目ではない。政治の判断となる。まだ婚約者でしかない未成年の彼女に立ち会わせる──責任を負わせることではない。

「畏まりました。では辞させていただきます」

ディートリンデは騎士に拘束されているランベルトに一瞥すら与えず、アイスナーに辞去の旨を告げて部屋を出た。王太子との茶会に使用されていたこの部屋に二度と来ることはないだろうと思いながら。

 

 

 

その後、王太子ランベルトは病に倒れた。治療はなされたものの、王太子の重責を担うには耐えないということで廃太子され、5歳年下の第二王子が立太子した。当然、ブライテンバッハ公爵令嬢との婚約も白紙撤回された。

廃太子ランベルトは療養のため南部の離宮へと向かい、そこで然程長くもない生涯を終えることになる。ランベルトが寵愛した男爵令嬢が付き添ったそうだが、数か月後には彼女は離宮から姿を消していた。

ピーアは分不相応な夢を見ていた。貧乏な実家暮らしに辟易していた彼女は王太子に愛され贅に満ちた生活を送ることを望んでいた。王妃になって自分を馬鹿にした(と思い込んでいる)高位貴族令嬢を顎で扱き使ってやり仕返しをすることを夢見ていたのだ。そのためにランベルトを墜とした彼女は市井の恋愛小説のざまぁされるヒロインそのものだった。讒言して王太子の婚約者を貶め、自作自演で被害者を装い、王太子の庇護欲とヒーロー願望を刺激し、寵愛を受けたのだ。

しかし、根回しも何も出来ず己の立場を弁えていなかったランベルトによってその夢は破れた。己の夢が分不相応で実現不可能であることも理解していなかったピーアは、強制的に離宮へ送られたことが不満で、離宮に出入りする裕福な商人を誑し込み、逃げ出したのだった。

廃太子ランベルトはピーアの裏切りにショックを受けた。彼は本当にピーアを好きだったのだ。愛といえるほどの深く真剣なものではないにしても、彼女を正妻に望むほどには。本当に彼女との結婚を望むのであれば、ディートリンデと真摯に話し合い婚約を解消し、国王に願い出て伯爵位を得て臣籍降下すれば良かったのだ。伯爵位であれば男爵令嬢であるピーアを妻として迎えることが出来たのだ。

「ちゃんとディートリンデと向き合わなかったから、こうなったのだ……」

病に罹ったりしていなかった。己は健康そのものだった。けれど弟が婚姻し3人の子を儲けた頃から床に臥せるようになった。予備の子種製造機としての役割も終わったということだろう。

ランベルトは公には裁かれていない。婚約破棄を告げたとはいえ二人きり(隠れていた騎士や役人、侍従やメイドはいたが)での場だったし、実際に破棄したわけでもない。罪といえるものは犯していない、だから今でも王子のままだ。だが、己の行動は王太子たるに相応しくなかった。政治を理解していなかった。だから、こうなっている。あの時、ピーアを側室に望んでいれば今頃自分は王位につき、優秀な王妃であるディートリンデに支えられながら幸福だっただろうか。

ディートリンデは実家とは別の公爵家へ嫁いだという。王太子妃となった義妹の相談役として、社交界の華としてその才能を花開かせているらしい。

「ディートリンデには面倒をかけたなぁ」

そう呟き、ランベルトは目を閉じた。

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