未来への羅針盤(跡部視点)

 長岡を俺の誕生日のパーティに招待しろと言い出したのはじいさんだった。どうやら俺に補佐役が出来たらしいと知り、しかもそれが女だということに興味を惹かれたらしく、紹介しろと言い出したのだ。

 面倒くせぇと思いもしたが、まぁ……将来のことを考えても早めにじいさんや親父に引き合わせておくのもいいかと思い直し、長岡を招くことにした。

 跡部後継者の俺の学生時代には一つの意味がある。それは将来のブレーンとなる人材を見つけ出すこと。俺が心から信頼を置ける者を探し出すことだ。そして見つけ出した1人目が忍足だった。

 だが、忍足は父親の背中を見て育ち、その父親と同じく医者となることを目指している。となれば、跡部に就職させ俺の片腕とすることは難しい。単に父親の病院を継ぐために医者になるのではなく、己の意志で医者を目指しているのだから。

 だが、そこに長岡が現れた。2人目のブレーン候補。そして、1人目を釣る餌ともなりうる長岡が。

 既に忍足は長岡との将来を考えるほどに長岡に惚れている。恋愛に臆病な長岡のことを考え、最終的な長岡の相手が自分であればいいと割り切り長期戦の構えすら見せるほど忍足は本気だ。そんな長岡が俺のブレーンになることになれば、忍足も自分の将来の選択を変える可能性はある。巧くいけば、俺は忍足と長岡、2人を手に入れることも可能になる。

 尤も、忍足も意志の強い男だし、長岡も自分のために忍足が道を曲げるのをよしとしないだろうから、可能性は低いが。だが、0ではない。

『ありがとう、跡部。そこまで私を評価してくれて。でも、返事は保留ね。いきなり言われてもそんな先のことまではまだ考えられない』

 俺の望みを聞いた長岡はそう応じた。今はまだYesともNoとも言えないと。今明確に長岡は将来の希望があるわけではないという。だがこれから先どうなるかは判らない。それにやりたいことがないから俺の求めに応じるというのも俺に対して失礼だと思うとも言った。

 長岡らしい誠実な返答だと思う。長岡は真剣な思いに対しては軽々しい返事はしない。最大限相手にも自分自身にも誠実な答えを返す。そういうところが、多くの者から長岡が信頼される一番大きな理由なのだろう。

 将来的なことへの返事は保留となったが、パーティには来ることになった。ほぼ長岡に拒否権はなかったが。

 パーティのことを話した翌日の放課後、珍しく長岡から写メが来た。普段長岡とのメールは生徒会やテニス部絡みのことが多く長文になる所為かPCメールが多い。携帯でのメールは珍しい。況してや写メとなると、半年余りの付き合いの中で本当に数通しかないくらいだ。その数通は元の飼い主である俺への猫の近況メールだが。猫にお手とおかわりを教えるのは微妙だと思うのは俺だけか。

 その写メはドレス姿の長岡だった。忍足とパーティのドレスを選びに行っているのだという。忍足じゃなくパーティに慣れている関さんか久世に頼れと思ったが……多分忍足が押し切って一緒に行ったのだろう。

『パーティって行ったことないからどういうドレスがいいのか判らない。これで大丈夫?』

 長岡のメールにはそうあり、いくつかのドレスを試着したらしかった。どれも問題ないものだったからそう返し、決まったらどれになったのかを連絡するように返信した。どうせ長岡のことだ。アクセサリーもないだろう。ドレスに合わせたアクセサリーを貸してやる。そう付け加えれば長岡からは決まったドレスの写メに『アクセ貸してもらえるのは助かる♥』と返事があった。どうやらドレスは忍足が選んだお勧めのものだったらしい。

 パーティ当日には朝から長岡を迎えに行った。俺の片腕として紹介するのだから、下手な格好はさせられない。長岡の普段着は忍足に言わせれば『楽な服装が一番』ということらしく、洒落っ気もない素っ気ないものばかりらしい。殆どがジーンズだと聞いているし、化粧なんてしたこともないだろう。

 美容師とエステを手配し、慌てふためく長岡を磨き上げ着飾らせた。

 ──驚いた。ドレスアップした長岡は目が肥えている俺から見ても充分に美しく、何処かの令嬢だといっても遜色のない姿だった。尤も、口を閉じていればと注釈がつくのは長岡だから仕方のないことだが。

 忍足が選んだというドレスは長岡らしさを損なわず、既製品というのにまるで長岡のために誂えたかのようによく似合うものだった。『彰子のことを一番判っとるんは俺や』という忍足の声が聞こえそうなくらいに。

「馬子にも衣装だな」

「ついでに化粧の魔力ね」

 俺の失礼な言葉にも長岡はクスっと笑って応じる。慣れないドレスやアクセサリーに恥ずかしそうにしている長岡の姿は珍しいものだった。

「じいさんたちに紹介するときに迎えに行く。それまでは適当にパーティを楽しんでろ。久世も招待してるから、久世と一緒にいればいい」

 このまま長岡をエスコートしてもいいのだが、そうするとゴシップ好きな連中が五月蝿いだろう。俺の嫁候補と誤解を受けかねない。

 そうして互いに別々にパーティの会場へと向かったのだった。






 パーティは一応俺が主役ではあるが、実際はじいさんや父親がメインだ。招待客も仕事の関係者ばかりで、俺の誕生日に名を借りた会社のためのパーティだった。勿論俺も後継者であるからにはただのお飾りでいるわけにも行かず、じいさんや両親とともに挨拶をして回る。

 それでも長岡からは出来るだけ目を離さず、常に長岡の位置を確認する。

『ドレスアップした彰子はごっつうキレイやよって、変な男に目ェつけられんよう気ぃつけとってや』

 過保護で独占欲の塊の変態眼鏡に言われていたのだが、確かにその心配は的中していた。尤も、パーティ序盤のうちにまるで長岡を守るかのように久世がぴったりと張り付いた所為で、長岡を狙おうとする男たちも声をかけることは出来ないようだった。

「ところで、景吾さん。そろそろ長岡さんを紹介してくださらない」

 挨拶もひと段落したところで、母の言葉。じいさんだけではなく、両親も俺の補佐役を完璧にこなしている長岡には興味津々だったのだ。そして母は自分のジュエリーを長岡に貸すことを了承する程度には好意的でもある。

「そうだな。景吾も長岡さんの様子が気にかかっているようだし。私たちに紹介してくれたら、その後は景吾も好きにしなさい。用があれば呼ぶから」

 父にもそう言われ、長岡を呼びに行く。

「じいさんに紹介する」

 そう言うと長岡は若干緊張した様子を見せた。長岡は外面がいいし余りそれとは悟らせないが、実際はかなり人見知りをするタイプだ。打ち解けるまでに時間がかかる。俺たち──忍足を除くテニス部のメンバーに馴染むのが比較的早かったのは、事前に忍足が俺たちのことを長岡に話していた所為だろう。

「別に取って食ったしりねぇからそんな緊張するな」

「無理。トップクラスの財界人に庶民が拝謁を賜るんですから」

「友達のじいさんに会うだけだろうが」

「……そういえばそうか。けごたんのおじーちゃんに会うだけか」

「今度その呼称を使ったらぶっ殺す」

「コワーイ」

 ぼそぼそと会話を交わしつつ、祖父と両親の許へ行く。長岡に『とって食ったりしない』とは言ったが、じいさんの眼光は鋭い。俺の片腕として本当に相応しいかを見極めようとする目だ。まぁ、長岡なら心配はいらないだろう。

 どうやら長岡もじいさんの視線の意味を感じ取ったらしく、言葉には注意を払っているのが判る。

「私は生徒会でもテニス部でも景吾さんの補佐をするのが勤めですから、お世話をしているとは思っていないんです」

 返答に困るようなじいさんの言葉に長岡はそう応じる。俺の世話をしているというじいさんの言葉を否定することなく、それでいて長岡自身はそれを負担には思っていない、そう取れる返答をした。その上で、

「寧ろプライベートではかなり景吾さんが心配して世話を焼いてくれてるように思います」

 更にそう付け加えた。この答えでじいさんも両親も長岡への評価を高めたようだった。生徒会やテニス部を『公』とし、それ以外をプライベートとすることで公私の別をつけていると。補佐すべき者としての俺と友人としての俺がいるのだと伝えたようなものだ。

 それからはじいさんが長岡にあれこれと学生生活について訊ねていた。家族についての話はしない。長岡のプライベートに立ち入ることも。じいさんのことだ。長岡の家族については既に調べているのだろう。

「なかなか確りしたお嬢さんのようだな。これからも景吾のことをよろしく頼みますよ」

「はい。でもどちらかといえば、私がよろしくお願いしますと申し上げることのほうが多いように思いますが」

 長岡の年齢の割には──まだ15歳だからな──確りした応対に、じいさんも両親も信頼を置くに値すると感じたようだった。

「彰子さん、ご両親と離れておられるなら色々大変なこともおありでしょう。何かあったらわたくしを頼ってね。女同士お役に立てることもあると思いますわ」

 母などは長岡にかなりの好印象を抱いたらしくそんなことまで言う。

「ありがとうございます。こちらにいる保護者は叔父だけですので、叔父にも相談しにくいことが出来ましたら、頼らせていただきます」

 幾分緊張が解けたらしい長岡は母の申し出を断ることなく応じる。その上でアクセサリーを借りていることへの礼を告げる。その返答は母を更に満足させたらしく、母は嬉しそうにおっとりと微笑んだ。そういえば、日頃から娘が欲しいと言っていたが……まさか。

「ほう。嫁も彰子くんを気に入ったようだな。どうだ、彰子くん。いっそ景吾の秘書ではなく嫁になってくれんかね」

 じじいッ。いきなり何を言い出しやがる。

 長岡も同じことを思ったようで、素で『ゲッ』とか言いやがった。

「……失礼いたしました。そればかりはもう光速の速さでご辞退申し上げます」

 若干顔を引き攣らせ、長岡は何とか笑みを浮かべて答える。

「おや、景吾ではご不満かな。我が孫ながら中々にイケメンだと思うが」

「客観的に見て景吾さんは格好いいですし、頼りになる男性だと思います。でも、一応まだ、恋愛結婚に憧れておりますので」

 長岡、口が浮いてるぞ。長岡の言葉に色々と突っ込みを入れたいところではあるが、俺が口を挟むとじいさんが面白がって更に変なことを言いかねない。

「景吾では彰子くんの恋人にはなれんのかね」

 ほら見ろ。絶対じいさんは面白がってる。いや、じいさんだけではなく両親も面白がってる。

「なれないのではなくて、勿体無いんです。恋人にするには」

 口先だけでの返答ではなく、長岡は本心からそう思っているようだった。思ってもみなかった長岡の言葉に俺も興味を惹かれる。それは皆同じようで、じいさんは長岡に言葉の続きを目で促す。

「本当に信頼出来る友人というのは余り多くはありません。同性であってもそんな友人を得ることは難しいことだと思います。況してそれが異性の友人ともなれば、そんな友人が出来ることのほうが奇跡に近いとさえ思っています。景吾さんはそんな数少ない異性の友人となる可能性が最も高い人です。だから、勿体無くて恋人になんか出来ません」

 そう長岡は言った。まさか長岡が俺をそんな風に思っているとは思ってもいなかっただけに驚いた。そして嬉しかった。

「なるほど。恋人よりももっと大切な友人か」

 じいさんも満足そうに笑っている。ある意味、恋人よりも近い位置にいる友人か。それも悪くはない。

 程なく別の招待客の相手をするためにじいさんと両親は座を離れた。これで長岡との対面は終了だ。

「あー、緊張した」

 げっそりした表情で呟く長岡。長岡から思いがけない言葉を聞いたことで俺は上機嫌になっていた。長岡を母にするようにエスコートし、久世の待つ場所へと行く。

 長岡を出迎えた久世と共にそのまま長岡のガードにつく。長岡に声をかけようと狙っていた男たちの舌打ちが聞こえそうだった。

「さっきから何人かに彰子のこと聞かれたよー。やっぱり皆興味持ったみたい。跡部が家族に紹介してたから」

「マジですか。なんて答えたの、詩史」

「ありのまま。同級生で学校では跡部の補佐役をしてるってだけ。花嫁候補かって聞いてきた人には否定しといた」

 久世の返事に長岡はあからさまにホッとした表情を見せる。

「あ、でも、彰子狙いっぽかったヤツには思わせぶりな返事しといた」

「は? 私狙いって何」

「彰子ちゃーん……いい加減自分が一目を引く美少女ということを自覚してください。高校生には見えないし、独身男性の半分近くは彰子に興味持ってるんだからね」

「何を大げさな……」

 呆れて溜息をつく長岡に、俺と久世は呆れる。少しは自覚して自己防衛しやがれ。まぁ、自覚のないところが嫌味もなく長岡らしいんだが……。

「でも、もしかして跡部の家族に彰子気に入られちゃった?」

「ああ。じいさんなんざ、俺の嫁にならんかなんて言いやがったしな」

「即座にご辞退申し上げました。跡部だってイヤだろうしね」

 クスクスと笑いながら長岡は言う。

 客観的に、そして跡部の後継者として考えれば、長岡が俺の妻になるというのもありえない話ではない。こいつならば社長夫人としての役割も難なくこなしそうだ。俺としても下手などこぞのご令嬢を妻にして妙なしがらみを作るよりはこいつのほうが何倍もマシだ。

 だが、それはありえねぇな。こいつは忍足の想い人だ。そして、恐らくこいつも……。

「まぁ、長岡には忍足がいるからな。他の男に惚れてる女に手を出すほど俺も女に不自由はしてねぇし」

 俺のその言葉に長岡は驚いたように俺を見る。鳩が豆鉄砲を食らったような顔ってのはこういうのを言うんだろう。

「あっ跡部っ。そ、そ、それは」

「何、どもってんだ」

 長岡がこれほど慌てるのも珍しい。アタフタという擬音が聞こえてきそうだ。

「見てりゃ判る。俺様のインサイトを侮ってんじゃねぇよ」

 ニヤリと笑って言えば、長岡は深く溜息をついた。

「詩史と玲先輩にしかばれてないと思ってたのに。侑士には絶対秘密ね。というか、誰にも言わないでよ」

「言うか、馬鹿」

 そんなことばらして、忍足を喜ばせてやるのも癪だしな。人の色恋を面白がって話すような男じゃないぞ、俺は。

「うん、だよね。跡部は本人の意思に反して望まないことはしないもんね」

「てめぇから忍足に告ったりしねぇのか?」

 そうすれば、即馬鹿ップルの出来上がりだろうに。──見たくはないが。

「しないよ。そんなことしたら、友達でもいられなくなる。そんなのイヤだもの」

 忍足の気持ちにはまだやっぱり気付いてねぇというわけか。まぁ、忍足も長岡のことを考えて気持ちを押し付けたりあからさまにしたりはしてないからな。過保護な友情と思える程度にしか長岡には見せてない。

 だがな、忍足。こんな臆病で鈍感な長岡が相手だぞ。お前がその調子だと長岡は一生気付かないかも知れねぇぞ。







 気付かなければいい。心のどこかでそんなことを思ったのかもしれない。

 だが、このときの俺はまだ自分がそんなことを願ったことに気付かなかった。

『恋人にするには勿体無いくらいの友人』という長岡の俺への評価に上機嫌となり、それで満足していたその日の俺は。

 気付くのは、忍足があいつの側を離れてからのことになる。