俺様が生まれた日

 帝国ホテルなんて、超敷居が高いんですけど……。来てしまいましたわよ。現実逃避でついついご近所にある東京宝塚劇場や日生劇場に行きたいなーなんて思っても無理はないと思うの。

 幸いというか、悪いことにというか、跡部のお誕生日は土曜日で。午後からここでパーティ。

 長岡彰子、思ってもみなかった社交界デビューですっ(ちょっと自棄)。

 日本にもあるんだね、社交界。自分には無縁の世界だと思ってたわ。

 うわー、なんか目映い世界だ……。ドレスアップした紳士淑女が一杯。

 流石に跡部後継者のお誕生会だけあって、招待客の年齢層は高いな。この会場のどこかに詩史もいるはずなんだけど、人が多すぎて判らない。ううう……怖いよー。涙目になっちゃう。本当は私小心者なんだから。

 取り敢えずバンケットのボーイさんが持ってきてくれたジュースのグラスを持って、壁際にポツン。知り合いなんていないもんね。家柄的に美弥子さんとか玲先輩も招待されてそうなものなんだけど……。ご家族は来てらっしゃるみたい。玲先輩は今日は模試だとかで参列出来ないって言ってたなぁ。

『彰子のドレス姿見れないのは残念だけど。まぁ受験生だし仕方ないね』

 なんて笑ってた。しかし、玲先輩と模試ってなんか似合わない。

 頼りの跡部は流石に今日の主役だけあって大忙し。色んなオジサマオバサマのお相手してるし……。うーん、私、来た意味あったのかなぁ。

 でもまぁ、来ちゃったんだから今更グチグチ言っても仕方ないよね。こうなったら普段は絶対に食べられない豪華なお料理を堪能しちゃおうっと。世界三大珍味キャビア・トリュフ・フォアグラ初体験だー!

 立食式のパーティだからといそいそとお料理の並べてあるテーブルに行く。こういうときってついつい欲張って取り過ぎちゃんだよねー。ほら、ホテルなんかでバイキングだと目移りして取り敢えず目に付いたもの全部取って食べすぎちゃったりなんて良くあるでしょ。お上品なパーティなんだから気をつけなきゃ。

 ガツガツしないように気をつけつつ、名前も知らないような高級っぽいお料理を綺麗にお皿に取り並べていく。一先ず5品くらい取ったところで、また壁際に戻って、椅子に座っていただきまーす。立食パーティとはいえ、やっぱ立って食べるのには抵抗あるし。

 黙々ともぐもぎゅとお料理を口に運ぶ。うーん、流石帝国ホテルのバンケット。美味しいー。お持ち帰りしたい。この高級なお肉、猫たちにも食べさせてあげたいなぁ。

 美味しいお料理に頬を緩ませる。ホント、こんなお料理一生に何度食べられることやら。

 ……けど、やっぱり寂しいし空しい……。

 それでもお皿を空にして、ふぅと溜息を漏らしてしまう。詩史何処だろう。お皿を戻しにいくついでに探してみよう。

「彰子、やっと見つけたー」

 お皿を戻して、改めて詩史を探そうとしたところで、目当ての人物の声。振り向くと探していた詩史の姿。おお、ふわふわのドレスが似合ってて可愛いー!

「詩史ー。探してたんだよぉ」

 思わず涙声で詩史に抱きついてしまう。──ハグしあってる外国人も多かったから幸い目立たなかったけど。というか人も多いし、いちいち皆他人を気にしてないから問題ないか。

「おー、よしよし。慣れない場所で寂しかったんだね」

 詩史は私を宥めるように背中をポンポンと叩く。

 それから2人でまた飲み物を貰って、ゆっくり話せるように壁際へ移動。

「けど、彰子見違えちゃった。凄く素敵!」

 詩史はそう言って私の全身を見回す。今日はちゃんとしたパーティってことで、ドレスなんだよね。まぁ、高校生だし昼間のパーティだしってことで、ロングドレスはなくミディアムのカクテルドレス。結婚式に参列するときに着るようなやつね。ベアトップっていうのかな、肩が出てるタイプのドレスで、トップは割りと体のラインが出るんだけどスカート部分はふわっと膨らんでる感じ。バレエのロマンティックチュチュの色つきみたいな感じっていえばいいのかな。それからふわっとしたストールで肩を隠してる。肩を出すデザインなんて今まで着たことなかったから、ちょっと恥ずかしいし。でもこんなストールも初めてでちょっとしたお嬢様気分。

 流石の悠兄さんもドレスが必要な状況になるとは思ってなかったらしくてクローゼットにドレスはなかった。だから、放課後、侑士に付き合ってもらって買いにいった。跡部のパーティだし安物は拙いだろうと5万円の出費です。うーん1ヶ月分の食費より多いや。食費は週末にチラシで安いものをセレクトしてのまとめ買いだし、味にこだわりはないから安いもの選んじゃうしね。

 それから、ドレスに合わせて靴とバッグも買ったし。

「そう言ってもらえると安心するわ。ドレスなんて初めてだから、よく判らなくて。結局全部侑士セレクト」

 買い物には全部侑士が付き合ってくれて、選んでくれた。正直自分じゃどんなの選んでいいのか判らなくてこれは助かった。一応、ドレスは写メ撮って、これで問題ないかって跡部に確認して。侑士も私もパーティなんて無縁だからね。念のため。

「忍足ね……。流石に彰子に似合うものよく判ってるわね、あいつも」

 詩史の言葉にドキっとする。深い意味はないんだろうけど、なんか彼氏が彼女のことをよーく判ってる的なニュアンスを感じちゃった。願望の現れだろうなぁ。

「とても高校生には見えないわ。珍しくお化粧もしてるし、ジュエリーもぴったり」

「あー、これは跡部が……」

 実は朝から跡部に呼び出されたんだよね……。ドレスや靴なんか一式準備して待ってろと。それでここの一室に拉致されて、エステに放り込まれて、ヘアメイクとお化粧を美容師さんにされたわけですよ。因みに髪は如何にもお嬢様という感じの縦ロール。縦ロールなんてロザリアかお蝶夫人かって感じです、ハイ。アクセサリーだって、普通に高校生がつけるような数千円程度のものしか持ってなかったから、跡部が貸してくれて助かったのは助かったんですが……怖くて値段は聞けません。最低ラインで7桁とかっぽい気がします。

「跡部が、ねぇ……」

 なにやら意味深な目線を向けてくる詩史。

「跡部曰く、自分の補佐役として家族に紹介するから、下手な格好をされると自分が恥をかくってことらしいんだけどね」

 妙な勘繰りをしそうな詩史に念のために言っておく。ホント詩史っては私の恋愛事情に興味津々なんだから。まぁ、心配してくれてるのは判るんだけど。

「なるほど。跡部にエスコートされてたら、多分大騒ぎよ」

 跡部がこれまでパーティで母親以外の女性をエスコートしたことはないそうで……。そんな跡部が他人の女性を──しかも同世代をエスコートしようものなら、すわ花嫁候補かとなるに違いないと詩史はしたり顔で言う。

「それはなんとなく予想ついたから、飾り立てられた後は別行動だよ。というか、部屋出てから跡部とまだ会ってないし」

 跡部の嫁候補なんて冗談じゃない。そりゃ客観的に見れば跡部はいい男だろうけど。

「ねぇねぇ、彰子。写真撮ろ。こんな綺麗な彰子を写真に撮らなかったら私死んでも死に切れない」

 何を大げさな……。でも、折角ドレスアップしたし、詩史も可愛いドレス姿だし、確かに写真は撮っておきたい。というわけで、2人で会場の外に出て写メ撮ることにして、乙女2人でキャッキャウフフとプチ撮影会。こういうのもちょっと楽しいかも。

 パソコンに転送しようと撮った写メをPCのアドレスに送信。詩史もどこかに送ってる。詩史もPCに保存なのかな。

 2人でプチ撮影会を終えて会場に戻ったところで、漸く本日の主役を見つけました。

「ここにいやがったのか」

 どうやら私を探していたようです。

「じいさんに紹介する。来い、長岡」

 うわっ。愈々前跡部財閥会長とのご対面ですか。緊張するよー。

「じゃ、詩史またね」

「うん。あっちの椅子のところで待ってるね」

 詩史にしばしの別れを告げて、跡部の後ろをついていく。跡部のおじいさんかぁ。雑誌とか見る限りロマンスグレーの渋いオジサマだったな。60代って元の世界の両親と同世代だから『おじいさん』って感じはしないんだよね。それに流石に財界の第一線で働いていらした方だけあって若々しい方みたいだし。

 なんてことを考えている間に、どうやら跡部はおじいさんを発見したらしく、立ち止まる。視線の先には雑誌で見たことのある跡部のおじいさまとご両親。

「じいさん、連れてきた。こいつが長岡だ」

 そう言って、跡部が私を紹介してくれる。けど……もう少しなんとかならんのか。その言葉遣い。

「はじめまして。長岡彰子と申します。景吾さんにはいつもお世話になっております」

「お嬢さん、気を遣わなくて宜しい。景吾に世話になっておるんではなく景吾の世話をしているの間違いだろうに」

 朗らかにおじいさんはそう仰る。目許は笑ってるけど……結構これは応答に注意が必要な気もするな。目の奥に鋭い光を感じるんだよね……。値踏みされてる?

「私は生徒会でもテニス部でも景吾さんの補佐をするのが勤めですから、お世話をしているとは思っていないんです」

 まぁ、多少手のかかるヤツというか、難題を吹っかけてくるヤツで振り回されることはあるけど、それを苦痛に思ったりすることはないしね。そりゃ侑士や詩史に愚痴ったり、跡部に文句言ったりするけど。跡部だって私に出来ないことはやらせないし。

「寧ろプライベートではかなり景吾さんが心配して世話を焼いてくれてるように思います」

 笑顔でそう応じれば……おじいさんの眼光がちょっと和らいだ、かな。

「ほう、景吾がちゃんとお嬢さんのお世話をな。成長したものだ」

 おじいさんは面白そうに笑って、あれこれと学校での跡部のことを尋ねてくる。ご両親はそれをニコニコと聞いていて、何かをお話しになることはない。おじいさんがこの場の主導権を握ってる以上口出し厳禁とかだったりするのかな。

 暫くお話をした後、おじいさん方は別の招待客のお相手もあるからと対面は終了。跡部に促されてホッとして詩史のところへと行く。

 そのときの跡部の行動はエスコートしてくれてるって感じでちょっと照れくさかったりして。そっと背中に手を添えて並んで歩いていくって状態だったから。なにげに注目されてた気がする。無理もないか。跡部に連れられてご家族に紹介されて、更にこうして跡部にエスコートされてるんだもんね。アレは誰だって思われるのも仕方ない。

「オツトメご苦労様」

 詩史が労いつつジュースのグラスを渡してくれる。確かにどっと疲れた。でもこれで義務は果たしたからあとはのんびりとパーティを楽しめばいいんだよね。詩史もいるからもう寂しくないし。

 あ……そういえば。

 ふと思い出し、一旦座っていたのを立ち上がり、跡部に向き直る。

「まだ言ってなかったね。16歳のお誕生日おめでとう、跡部」

「なんだ、今更」

 呆れたように応じる跡部。確かに今更ですけど……。でも言わないより言ったほうがいいじゃないか。

「いいじゃない、別に。素直にありがとうって応じればいいのよ」

 素直な跡部ってのも気持ち悪い気がするけど。

「フン。だが、まぁ。ありがとう長岡」

 ジュースのグラスを合わせ、互いにクスっと笑う。薄い高級なグラスは澄んだ高い音を奏でる。

 多分跡部とは長い付き合いになるという予感がある。こうしてこれからも跡部の誕生日を祝うことになるんだろうな。






 その後は跡部や詩史とおしゃべりしつつ、普段は食べることも出来ない高級なお料理を堪能して私なりにパーティを楽しんだ。跡部は時折他のお客様の相手をするために中座したけど、終わると何故か詩史と私のところに戻ってきてた。まぁ、気心も知れてるから楽だったんだと思うけど。

 でも……まさか、跡部にも気づかれてるなんて思わなかったな。知ってるのは詩史と玲先輩だけだと思ってたのに。






 終了時間になっても残っていた大量のお料理を見て、折り詰めにして持ち帰りたいと思ったのは、庶民としては仕方のないことだと思います。






 ともかく、Happy Birthday,跡部。