一先ず終結(忍足視点)

 関さんとの話が終わり、俺と跡部が辞去しようとしたところで、俺だけが関さんに呼び止められた。

「忍足にはもう少し話があるから、残ってくれるか」

 口調も表情も穏やかやけど、拒否を許さない強さのある目でそう言わはった。

 一瞬跡部は俺と関さんを見たが何も言わず頷くと先に部屋を出て行った。

 改めて座るように促され、それに従う。

「忍足は彰子に本気で惚れてるよな」

 何の前振りもなく、関さんは言う。

「関さんかて、ホンマは彰子に惚れてはるでしょ」

 せやから俺も感じてたことをそのまま返す。

 俺等に自分たちの関係は兄妹やと言わはったけど……関さん自身は彰子のことを1人の女として好きなんやと感じとる。

 態度に露骨に出したりはしぃひんけど……同じ女に惚れてる男の勘やな。

「ああ。でも俺の場合、彰子に想い返されることは望んでいない。というか、逆に思い返されたら困るんだ」

 関さんは率直に俺の言葉を認め、そう言う。

「俺の結婚は政治の領域に位置することだからね。まぁ……高校時代の恋愛が結婚に結びつくとは限らないけどな。でも彰子だったら、俺は結婚も考えるだろう」

 それくらい惚れてるっちゅうことか。ホンマ俺と同類やん。

 俺かてそうや。彰子とは一生モンやと思うてる。彰子と相思相愛になれたとしたら俺は一生彰子を手放さん。決意とかとは違う。想像出来ひんのや。彰子がいてへん俺の将来がな。

 きっとこの先、大学に進んで、医者になって、結婚して。それでもどれだけの時が経とうと跡部や岳人たちとの関係が切れることはないように、彰子との付き合いも一生モンやと思うてる。俺等が恋愛関係になったらそれは結婚に結びつくやろうと自然に感じとるんや。

「だが、彰子との結婚は関家の後継者としては有り得ない選択肢なんだ」

 政治家の妻……か。

 色々と面倒そうやな。関さんのことやから、政治家になったら結構大物政治家と呼ばれるようになるやろ。状況次第では総理大臣とかも有り得るやろうし。

「彰子だったら、妻としての役割もきちんと果たしてくれるだろうし、巧く立ち回れるとは思う。例えばファーストレディになったとしてもね」

 色んな柵やらあるやろうけど、彰子には縁のないしきたりとか慣習に苦労させられたとしても、彰子やったら愛する関さんの為に、自分自身の為に努力して責任は果たしそうやしな。

「彰子が不適格ってことじゃないんだ。寧ろ、彰子を知れば祖父さんや親父は反対しないと思う。でも俺が嫌なんだ」

 関さんはそう言うて寂しそうに笑う。

「氷帝ですら、結構彰子は苦労してる。見せないけどな。今までと違う環境、慣習、そして価値観。もし彰子が俺の妻になったら、その苦労は今の比じゃない。そうなったときに彰子が今のままの彰子らしさを失わないとは言い切れないからね」

 価値観の違い……これはかなりでかい問題やもんな。

 入学前から今に至るまで、それなりに彰子から愚痴は聞いてるし。俺等に愚痴言うたり、金銭感覚の違う跡部に文句言うことで発散して、自分なりの折り合いをつけて過ごしとる。

 せやけど、それが関さんの妻……いや、関家の嫁になったら規模がもっとでかくなる。柵も増える。もしかしたら巧く折り合いをつけられんこともあるかもしれへん。そうなったとき……彰子から彼女らしさが失われてしまうかもしれへん。

 彰子はそんな弱くはないっちゅう思いもある。けど……確信はない。結構脆いところもある奴やし、自分自身に関しては鈍感なところもある奴や。気付かんまま、心を疲弊させていくことも十分有り得る。

「彰子らしさを失う姿なんて見たくないんだよ。況してや俺が原因でね。彰子にはいつも彰子らしくあってほしい。笑うときも怒るときも泣くときも……苦しむときでもね」

 だから、彰子の心は望んでいない。

 将来のことを見据えている関さんやから、先の先まで考えて杞憂かもしれんことを恐れて、自分の中で想いを完結させてる。そんな心配はいらんかもしれんのに、1%でも可能性があるんやったら……と。

「それは関さんの一方的な都合やないですか。もしホンマに彰子が関さんのことを好きになったらどうしはるんですか」

「拒絶するよ」

 関さんは迷いもなく断言しはった。

「先がないとはっきり判ってる関係に彰子を縛り付けることは出来ないしな」

 そう言う関さんの表情は少し寂しげやった。

「正直、彰子にここまで惚れるとは思ってなかった。そして、関家の後継者であることを初めて厭わしく思ったよ。こんな柵がなければ……ってね。だけど、政治家になることは自分自身で選んだことだし、俺にはやりたいことがある。それは曲げられない」

 関さんは深く息をつく。

「さっき俺は彰子らしさを失わせたくないから彰子を妻には出来ないって言ったけどな……。奇麗事だよ。本当はもっと現実的で打算的な理由なんだ。俺が妻に求める最低限の第一条件は財力なんだ。俺はどんな手を使ってもトップに登りつめる。その為には金がいるんだよ。政治は金が掛かる。思うことを実行するにはね」

 そこまで言われたら、俺には何にも言えへん。なんと言えばいいのかも判らん。否、何が言えるんや。

「関さんの考えは判りました。彰子があんたに惚れんように祈るのみですわ」

 彰子が関さんに惚れてしもうたら……最終的には立ち直るにしても途中では傷つき泣くことになる。そないなことにならんとええのやけど。

「それはないな。彰子には既に想い人がいる。俺のことを好きだってそいつに誤解されるのが一番キツイみたいだからな」

 彰子に想い人……。まさか……

「それが俺やとでも?」

「どうだろうな。それは直接彰子に当たれ。俺が言えるのは彰子には俺じゃない想い人がいるってことと本人は片思いだって信じ込んでるってことだけだ」

 俺……やろうか。思い当たることがないわけやないし……。

 けど、あんまり都合よく考えてもあかんな……。

 彰子と関さんを恋人と思うとるんは氷帝全員そうやし、立海のテニス部かてそうや。

 俺が把握しとるライバルは仁王だけやけど(鳳はライバル未満やな)、他にもいてるかもしれんし……。

 けど関さんが把握しとるとなると、やっぱ俺しかいてへん気もするし……。

 それまでの真剣で硬い表情とは打って変わって関さんは俺の顔を面白そうな表情で見とる。

「思いっきり悩め、忍足。大体お前は歳の割りに老成してて可愛げがないんだよ。偶には歳相応にオタオタしてろ」

 楽しんではるんですか、関さん。

 ……まぁ、ええけど。あんたにもあんたなりの苦悩とかあるみたいやから。






 関さんの家を出、マンションへ戻りながら俺の足取りは軽くなってた。

 彰子は関さんのことを恋愛的な意味合いで好きなわけやない。それが判ったことが大きい。

 そして彰子の想い人は俺である可能性がかなり高い。仁王っちゅう可能性もないわけやないけど……。

 ああ、これで俺やなかったらごっつうショックやけど……。

 まぁ、それでも俺の気持ちは変わらへんし、そのときはそのときでまた時期を待つだけや。

 ……ってちょっと待て、俺。時期を待つって、それは彰子が失恋するんを待つっちゅうことやないか。ちょっと酷いんやないか、俺!! ああ、けど、失恋やのうてもいつの間にか想いが冷めるちゅうこともあるし、必ずしも彰子が泣く結果になるとは限らへんな。

 彰子の想い人が俺やったらええなあ……。

 直ぐにでも確認したいところやけど、暫くは静観しとこ。見極めんと友達としての彰子も失うてしまいかねんし。もしそれが俺やなかった場合は、俺が告ってもうたら彰子は離れていってしまうかもしれんからな。

 それに……もし本当に俺が想い人やったとしてもそれはそれで彰子にも俺にもキツイこともあるしな。

 なんせ、来年の3月までは彰子と関さんの関係は続くんやから。表向き関さんと付き合いながら影で俺と付き合うなんてこと、彰子には出来ひんやろ。仮令関係者(俺やら関さんやら)が納得してたとしても絶対彰子は俺にも関さんにも申し訳ないとか思うやろうし。

 うん、やっぱり当分は彰子の気持ちがホンマに俺に向けられとるんか確かめることと、もしそうやったら彰子の気持ちが他に向かんように努力や。俺に向いてへんのやったら静観しつつ、頼りになっていつも一番傍にいる侑士君でいたるわ。まぁ、いい人やりすぎても恋愛対象外にされてまうやろうから匙加減には気ぃつけんとあかんけどな。

「あら、忍足。……関先輩のところから帰ってきたところ?」

 マンションのエントランスで天敵発見。久世詩史やった。

 丁度エレベータから降りてきたところらしい。っちゅうことは彰子のところに来てたってことか。

「ああ。お前は彰子のところからか」

「そ。事情説明を受けにね。あんたもでしょ?」

 こういう見透かしたような態度がムカつくわ。

「良かったわね、忍足。精々頑張りなさいよ。私は彰子の味方だけど、あんたを応援してあげないこともないわよ」

 何処か揶揄うように久世は笑うた。

「お前に応援されんかて頑張るわ。とっとと去ね」

 これから彰子のところに行くんやからお前の相手してる暇あらへんわ。

「はいはい。じゃあ新学期にね」

 ひらひらと手を振って久世は退場。俺はそのまま自分の部屋には戻らず彰子の部屋に直行。

 ああ、久しぶりやなぁ、彰子の部屋に来るんは。最後に来た日から1ヶ月ちょっとしか経ってへんのに、随分昔な気がするわ。

 久しぶりすぎて緊張しとるんか、微かに震える指でベルを鳴らす。暫くしてドアが開く。ああ、これも久しぶりや。

「侑士……。どうしたの?」

 俺の訪問は想定外やったんか、彰子は驚いた顔をしとる。前は然程驚かんかったのにな。

「取り敢えず、暑うて敵わんから中入れてや」

 以前と変わらぬようにそう言えば、彰子はクスっと笑って招き入れてくれる。室内はエアコン入ってへんけど(彰子は真夏日でも日中はエアコン入れへんのや。エコと夏ばて防止やて)、窓が開け放されとって、高層階なこともあって風通しはええし、冷風機は置いてあるよってそれなりに涼しい。

「じゃあ、冷たい麦茶でも」

 俺に団扇を放って寄越し彰子はキッチンへ行く。

「ビールでもええで」

「未成年ですから、ありませんよー」

 クスクスと笑って応じる彰子。ああ、久しぶりやな、この雰囲気。やっぱええわ。俺と彰子の関係はこうでないとあかん。

 そっと音を立てぬように彰子に近づき、背後から抱きしめる。

「ゆ……侑士!?」

 当たり前やけど彰子は驚いて振り返ろうとするけど、俺がぎゅっと抱きしめとる所為で身動きが取れへんようやった。

「ずっと彰子とコミュニケーション不足で寂しかったんやで。せやから彰子補給中」

「……私はポカリか何かですか」

「侑ちゃん専用彰子印の栄養ドリンクや」

 今までこないに密着したことあらへんから、ちょっとドキドキしてまうな。

「もう……」

 彰子は少々呆れたように溜息をつきはしたものの、俺から逃れようとするわけでもなくそのままでいてくれた。

「関さんから全部聞いたで。相談してくれへんと全部2人で決めてしもうてたのは水臭いと思うたけど……まぁ、状況があれやししゃあないわな」

「嘘ついててごめんね」

「それは構へんよ。敵を騙すには先ず味方からって言うしな」

 それ以上彰子が謝らんように更に腕に力を込める。全部判っとるからもうええねんで、そう言うように。

「……ありがと」

 彰子はそれが判ったかのように、笑ったようやった。

「ていうか……侑士凭れすぎ。重い。くっつきすぎで暑い。序でに汗臭い」

「堪忍。せやけど、もうちょいこうした……痛たたたた」

 突然背中に痛みを感じる。痛みに彰子を抱きしめてた腕を解き、背中を見れば……

「あら、真朱、萌葱、撫子、ナイス」

 それまで暑さ防止のクールジェルマットの上で昼寝してたはずの猫3匹が俺の背中でロッククライミングしてたんやった。

 猫たちは何処か俺を非難するような目で睨みつつ、背中に爪立てとって……彰子が引き剥がしてくれるまでじわじわと痛んでた。

「この仔たち結構強く爪立てたみたい……。ごめんね、侑士」

 猫たちを床に下ろし、俺にそう言うと彰子は猫たちを叱る。彰子に叱られた猫たちは神妙な表情でまたマットに戻っていったんやけど……ホンマこいつ等彰子大好きやなぁ……。

「侑士、ちょっと背中見せてね」

 猫たちの行動に苦笑しとると、突然彰子が背後から俺のTシャツを捲り上げる。きゃー、侑ちゃん、貞操の危機!?

「少し血が滲んでるね……。今消毒するね。座って」

 ああ、猫たちの爪か。そないに強い力で攀じ登ってたんか、こいつ等……。

「猫の爪って雑菌一杯だからね。軽くみてると腫れ上がることもあるから」

 救急箱を取り出して俺の背中を手当てしてくれつつ、彰子はそう言うた。

「私なんて、前真朱に足引っかかれて靴履けないくらい腫れ上がったことあるもん」

 そないなことしたんか、真朱!! と真朱をみれば、しゅんとした顔で項垂れとる。こいつ……ホンマに人間の言葉理解しとるな。

「あ、その真朱じゃなくて、こっち来る前に飼ってた子のほうね。こっちの真朱はいい子だよ」

「そか。せやけど、そんなこともあるんやなぁ」

 靴履かれへんほどて、よっぽどやろ。猫の爪て侮られへんのやな。

 猫3匹は俺の手当てが終わるとトコトコと俺のところにやって来て正面にちょこんと行儀良うお座りする。そしてにゃにゃんな~んとまるでごめんなさい言うてるみたいに鳴いて俺の顔を見た。

「怒ってへんで」

 謝られてるみたいやからそう言って3匹を膝の上に乗せれば、猫たちは安心したみたいにそこで丸うなった。

「彰子、今日は晩飯食わせてな。それで俺に隠し事してたんチャラにしたるから」

「はーい、ありがと」

 なんか、やっぱりこの感じええな。

 うん。やっぱこの感じがええ。






 久々に彰子手製のゴーヤチャンプルと中華風冷奴の晩飯を食うた俺は、穏かな夜を過ごせたのやった。