詐欺師の戸惑い(仁王視点)

 一体これはどういうことなんじゃ。

 どうして彰子は忍足でも跡部でもない男と一緒におるんじゃ。彰子の隣におるんはいつも忍足だったはず。忍足の不在時は跡部が代わりに守るかのように彰子の傍におったはず。

 なのに、今彰子の隣におるんはそのどちらでもない男。

 あれは誰だ。あれは彰子の『何』なんだ。






 全国大会が始まったとはいえ試合には出られんきに、これ幸いと恒例のように氷帝のコートに俺はおる。

 先輩たちの試合の応援はせなならんが、それ以外の時間は偵察じゃ。テニスに限らずの。

 立海のライバルとなる学校は青学と氷帝。青学には参謀が行っちょるきに、俺は氷帝。勿論目当ては彰子じゃった。

「なんや、詐欺師。また来たんか」

 俺を見つけたんは目下の最大のライバル、変態伊達眼鏡じゃった。ほんに目敏いのう。

「偵察じゃ。用心せんといかんのは氷帝と青学くらいじゃからの」

 金網越しに忍足の隣に立ち、言葉を交わす。GW以来、会えば喋る程度には親しくなっとる。一応携帯の番号やメルアドの交換もしちょるが、態々電話なんぞは気色悪うてしてはおらんけどな。

「立海とあたるんは準決勝やな。まぁ、またうちが勝たせてもらうで」

 自信たっぷりに忍足は笑う。確かに先輩たちも強いとはいえ、忍足や跡部には勝てんき、忍足の自信も尤もじゃ。

「はよう俺も試合に出たいのう」

「せやなぁ。実力が上なのに出られへんっちゅうのも可笑しな話やな」

 うちは縦の序列がかなり厳しいからのう。完全実力主義の氷帝が少しばかり羨ましいぜよ。

「ま、今のうちに天辺楽しんどくんじゃな。来年はそう簡単にはいかんきに」

 夏休み明けにはいい加減焦れた幸村がクーデター起こしそうじゃし……秋の選手権あたりからは俺等も出られるかもしれんがな。

「楽しみにしとるわ」

 ニヤリと忍足は笑う。何処までも自信に満ちた表情が少々癪に障るが、こいつの実力はほんまもんじゃし……仕方ない。

「で……彰子は何処じゃ」

「ドリンク作りに行っとるけど、そろそろ戻ってくるやろ。試合始まるしな。……ああ、戻ってきた」

 忍足の言葉に視線を向ければ、確かに彰子がベンチに戻ってきたところじゃった。

「今度は迷子にならんかったようじゃの」

「そうそう何度も迷子にはならへんやろ。付き人いてるしな……」

 僅かに忍足の声に棘が篭る。付き人……?

 改めて彰子を見れば、なるほど。1人の男が彰子の傍におる。籠を持っちょるところを見ると、一緒にドリンクを作りに行っとったということか。

 ……妙に親しげじゃな。

「さて、始まるよって俺も行くわ」

 ひらひらと手を振り忍足はベンチへと歩む。彰子の傍に行くと何やら耳打ちする。あんなに接近する必要はないはずじゃから、あれは俺に見せ付けとるのか。ムッとしとると、今度は彰子が俺のほうを見、手を振ってくる。つまり忍足の耳打ちは俺が来とると言うたわけじゃな。






 氷帝は順当に勝ち、3-0のストレート。S2の忍足・S1の跡部が出るまでもなく試合は終わりじゃった。跡部と忍足の試合が見れんと偵察の意味はないのう。まぁ、久々に彰子の顔を見れただけでも十分じゃけんど。

 残念ながらうちの試合の時間になってしもうて彰子とは話も出来んかったが……全国が終わればまた合同合宿をやることも決まっとるきに、また今度でええじゃろ。

 うちの先輩たちも無難に勝ち進み、2回戦を終える。去年優勝しとる立海はシードやきに2回戦からの試合じゃった。氷帝はノーシードじゃ。中等部は全国常連じゃがここまで違うとはのう。まぁ、これからの3年間は氷帝も常連じゃろ、跡部と忍足がおるし。尤も忍足と向日がペアだったら微妙じゃけんど。忍足は寧ろシングルスのほうが向いちょる気がしとう。

 先に会場を出た先輩たちに代わって後片付けをして。1年坊主は辛いのう。早う赤也に押し付けたいぜよ。

 一通りの後片付けを終えて会場を出ようとしたところで再び氷帝と遭遇する。とはいうても、距離が離れちょるきに見かけただけじゃが……。

 ……?

 何かがいつもと違うちょる。そうじゃ、彰子が忍足の隣におらんのじゃ。

 彰子は何処じゃ……ああ、おった。けど……そいつは誰じゃ、彰子。

 彰子の隣には先刻忍足が『付き人』と称した奴。あれは確かD1の片割れの3年……関とかいう奴じゃ。

 彰子は忍足らに手を振ると、そいつとともに車に乗る。──どういうことじゃ、一体。

 何で忍足ではないんか。他の男と一緒に行くのはどういうわけなんじゃ。その男は一体お前のなんだというんか。

 携帯を取り出し、彰子の番号を呼び出す。──けど、発信することは出来んじゃった。

『彼氏』──もし、彰子の口からその言葉が発せられたら俺は立ち直れん気がした。

「やぎゅー。急用が出来たきに、後は頼むぜよ」

 学校まで持って帰らんといけん荷物を柳生に押し付け、返事を待たんと歩き出す。俺の行動には柳生も慣れちょるきに巧く誤魔化してくれるじゃろ。

 一旦閉じた携帯を再び取り出し、一度も使ったことのないメモリーを呼び出す。

「忍足。彰子のことで聞きたいことがあるんじゃが」






「あれは彰子の彼氏や」

 合流したファミレスで忍足は俺の問いに対してそう答えた。話の内容によっては酒でも飲みたいところじゃが、流石に2人とも制服じゃしな。男2人で(しかも忍足と)店に入るんも気色悪いが流石にこの炎天下に屋外で話す気にもなれんしのう。

『彼氏』という言葉に愕然とする。彰子に男が出来るとは予想しちょらんかった。

「よく平気な顔しちょるのう」

 忍足は平然とした顔をしちょるが、俺はショックを隠しきれんかった。

「なんや、仁王、彰子から聞いてへんかったんか」

「電話でもメールでも何も言うちょらんかった」

 話題はいつもテニスのことばかりじゃったから。

「彰子は自分から言うキャラやあらへんしな」

 忍足はそう苦笑する。確かにそうじゃなぁ。自分から『彼氏出来たの』なんて浮かれて触れ回るタイプではないきに。

「俺かて突っ込まんかったら言わへんかったかもな」

 そう言うて忍足はそのときのことを話したんじゃが……流石に面白い話ではないきに表情は憮然としちょる。

「なんで俺に知らせんかったんじゃ」

 ライバル情報くらい流してくれても良かろうに。

「すっかり忘れとったわ。ちゅうか、お前に知らせる義理はないやんか」

 それもそうじゃが……。

「まぁ、俺も気持ちの整理がついたんはごく最近なんや。かなりそれまでは悩んどったから、気ぃ回らへんかった。なんせ、ジローや岳人にすら心配されるような状態やったしな」

 向日や芥川にか。そりゃあ随分落ち込んどったんじゃな。まぁ判らんでもない。俺が忍足の立場でもそうだったじゃろ。

「どういう奴なんじゃ、その関っちゅうのは」

「一言で言えば凄い人……やな。あの跡部ですら一目置いてるくらいなんやし」

 ほう……跡部が。

「彰子を預けるだけの信頼に足る男ではあると思うで」

 預ける……のう。

「その口ぶりじゃと、諦めてはおらんようじゃの」

「当たり前やろ」

 余りにも平然としちょるから、彰子のことを諦めたんかと思うたぜよ。流石は氷帝一の曲者。ポーカーフェイスはお手の物っちゅうことか。

「お前はリタイアするんか? そのほうが俺は有り難いんやけど」

「ボケ。諦めるわけないじゃろ。元々ニブチン彰子相手じゃ。長期戦は覚悟しちょる」

 とはいえ、戦略は変えざるを得んか。

「まぁ、あの2人は最大長くて関さんの大学卒業までの関係やな。そのまま結婚とかは有り得へんし」

 妙に自信たっぷりに忍足は言う。高校生で結婚なんて考える奴はおらんじゃろうが……。俺だってそこまでは考えちょらんし。

「せやなぁ……多分、関さんの高校卒業くらいには別れるんとちゃうかな」

 後半年程度……か。じゃがどうしてそこまではっきりと言えるんじゃ。

「氷帝だから、やな」

 俺の疑問に忍足はそう応える。氷帝だから……?

「氷帝は政治家やら財閥系やらの跡取り多いやろ。関さんもその1人やねん。まぁ、跡部にも言えることやけど、恋愛と結婚は結びつかへんのや」

 そがいな世界もあるんじゃな。いや、あるっちゅうことは漠然と知ってはおるけど、身近なモンでもないきにピンとはこん。

「けんど……そうなると彰子は傷つくことになるんじゃないがか」

 彰子があの男に惚れちょるんじゃったら……

「多分……彰子はそれも判ってると思うで。自分たちの関係が高校時代だからこそ許されるんやて」

 なんか切ないのう……。彰子は先のない恋愛をしちょるんか。

 彰子に男が出来たことは面白うないし、嫌なんじゃが……それでも彰子が傷つく結果を望んでるわけじゃなか。

「彰子が選んだ相手が相手やから……最終的には傷つくことは避けられへん。いくら彰子が承知の上で割り切っとったとしてもな。せやけど、そのときには俺が傍にいてる。傷ついとる彰子を1人にはしいひん」

「弱っちょる彰子に付け込む気か」

 こいつはそんなことはせんじゃろうが、敢えてそう言う。

「そこまで卑怯者やないで」

 俺の考えは見通しとるように忍足は苦笑する。ある意味、互いに信頼関係はあるんじゃな、俺たちにも。なんか気色悪いが。

「彰子を1人にはしいひん。途中でどんな男が現れたかて、最終的に彰子の隣に立つ男が俺だったらそれでええねん。まぁ、あんまり寄り道はさせとうないけどな」

 他の男は寄り道か。

「お前が最後になるとは限らんじゃろ。俺だって指咥えて見ちょるわけじゃないき」

 それでも……まぁ、忍足じゃったらええかもしれん。

 口が裂けても言わんがな。

「今回のことで改めて自覚したんや。彰子が幸せだったら誰でもええなんて奇麗事は言わん。彰子の相手は俺やないとあかんねん」

 強い視線で忍足は俺を見据える。

 本気も本気の宣戦布告っちゅうことじゃな。

 勿論、俺とて負ける気はないぜよ。

 ただ、忍足のように強い独占欲はもっとらん。これは彰子への想いが忍足よりも弱いんか……それとも俺の性格ゆえか。忍足のように彰子が他の男のものになっちょる状況を近くでは見ちょらん所為か。それは判断がつかんけど。

 もしかしたら……何れは何が何でも彰子を手に入れようとするかもしれん。けど、今はまだ忍足のような強い独占欲はもっちょらん。俺にとってそれがいいほうに行くんか、悪いほうに転がるんかもまだ判らん。

 じゃけんど、俺と忍足は違う人間じゃきに、愛し方も想いも違って当然じゃ。

 まぁ、最終的にはどうなるかは知らんが、俺だって彰子を諦める気ぃはないぜよ。