先輩は苦労する(関先輩視点)

 彰子が練習中に倒れて、忍足が救護室に連れて行き診断は風邪とのこと。

 しかし……倒れるまで自分の体調に気付かないとは、彰子も自分の体に無頓着すぎるにも程があるな。

 取り敢えず練習を終え荷物は恭平に放り投げ、救護室へ向かう。

 一応『彼氏』だから、行かなければ怪しまれるだろう。まぁ、彼氏ではなくとも行っただろうが。

 心配してついて来ようとする他の連中は『彰子が気を遣う』という理由で拒否っておく。実際彰子は練習を中断させたこと、マネージャー業務を遂行できないことを気に病むだろうしな。

「……寝てなくていいのか」

 救護室に入ると、寝ていると思った彰子は起きていて……明らかにコートに戻ろうとしている。

「あら、玲先輩。練習終わっちゃった?」

 俺の姿を見止め、彰子はそう言う。

「ああ。で、寝てなくていいのか? 風邪だと聞いたんだけどな」

「熱も下がったし、戻ろうと思って」

 練習が終わってもマネージャーの仕事はある。コート整備やら、備品の片づけやら。

「それなら滝たちがやってるから彰子は寝てないとダメだろ」

「でも、もう大丈夫だし」

 もう平気と彰子は笑うが

「解熱剤が効いて一時的に下がってるだけで本当に回復したわけじゃないでしょう」

 と養護教諭に叱られる。

「関くん、ひとまず部屋に連れて行っていいわよ。でも起き出さないように監視はつけたほうがいいわね」

 呆れたように言う教諭。教諭もそろそろ勤務時間が終わりだから、後は寮監任せというところか。

「そうですね。ありがとうございました」

 今ひとつ頼りにならないサラリーマン教諭に口先だけで礼を言い彰子を連れて救護室を出る。次の教員評価でこの教諭は落第点を付けておこう。

「そっちじゃないだろ。寮は反対方向だ」

 コートに行こうとしている彰子の襟を引っ張り方向修正する。ぐぇっと彰子が呻いたのは取り敢えずスルーして、腕を掴む。

「でも……」

「でもじゃない。大人しく寮に戻らないなら、抱き上げていくぞ」

 忍足がしたように、お姫様抱っこで。

「……玲先輩、怖い。なんか苛々してる」

 大人しく並んで歩き始めた彰子がポツリと呟く。

 ……苛ついていたかもしれない。彰子に言われるまで無自覚だったが……。

 彰子の体調に気付かなかったこと、それを忍足に指摘されたこと、忍足が彰子を抱き上げて救護室へ連れて行ったこと。

 それらが俺を苛付かせていた。

 全く……これじゃあ普通の高校生だ。この関玲彦ともあろうものが。

「悪いな。一番傍にいたはずなのに彰子の体調に気付けなくて。我ながら不甲斐ない。おまけにそれで苛ついて更に彰子に心配されてる」

 自分自身に苦笑する。恋は子供を大人にする妙薬とも言うが……同時に愚かにもする。だから恋愛なんて面倒だと避けていたんだが……。

「玲先輩も人の子だったんだ」

 クスクスと彰子は笑う。

「色んな意味で玲先輩は出来すぎだったから、寧ろちょっと親近感が増したかな」

 何事においても完璧……というわけではない。恭平たちとふざけたりもするし、彰子たちを揶揄ったりもする。普通の高校生だと思うんだが。

「玲先輩、全部計算してやってそうなんだもの。周りがそれをどう見るか意識してふざけたりしてる気がする」

 鋭すぎるだろ、彰子。

 確かにある程度計算して行動してる。全てが、とは言わないが……。いや、計算して動くのが当たり前になっているから、そうせずに動くことのほうが少ないかもしれない。無意識のうちに計算して動いているかもしれないしな。

「そうか……。だとしたら怪我の功名と思っておくか」

「それと、私の体調に気付かなかったのは仕方ないよ。私だって自分で気付いてなかったんだし」

 と彰子は言うが……それは慰めにもならない。忍足は気付いてたんだからな。

「侑士が鋭すぎるのよね。2月だってそうだったし……」

 まだ入学前の2月にも同じようなことがあったらしい。彰子自身は風邪気味程度の軽い認識しかなかったが、実際は肺炎寸前だったとか。忍足が気付き病院に連れて行き、結果3日ほど入院することになったのだという。

 彰子、頼むから自分の体のことにも気を配ってくれ。

「ともかく、今は体を確り治せ。彰子が自分の体もきちんと管理しなかったら、俺たちが注意せざるを得なくなるだろ。そうしたら俺たちはテニスに集中は出来ないからな」

 彰子はとにかく俺たち部員がテニスにのみ集中出来るようあらゆることに目を配っている。事実俺も恭平も跡部も、これまでだったら煩わされていたファンクラブのゴタゴタやら、顧問との折衝やらから解放されてテニスへの集中度合いは増している。尤も、彰子が自分に対しての悪意に無頓着な所為で多少の手は打たざるを得ないが……それは主に美弥子や久世が担当してくれているからそれほど俺たちに負担があるわけでもないし、問題とするほどでもない。

 だが、彰子が自分自身のことにここまで鈍感だとすると、俺たちは彰子の体調に気をつけなきゃならない。別にそれを負担に思うわけじゃない。いつも見ていれば気付くことも出来る。今回俺は気付けなかったが……忍足は気付いた。次からは俺も見逃さないだろう。まぁ、本人がちゃんと自分にも気を配るにこしたことはないから、少々きつめに言っておいたに過ぎないんだが。

「はい……。そうよね、私が皆に気を遣わせたら本末転倒だもの。気をつけます」

 神妙に彰子は頷く。

「取り敢えず俺も着替えてくるから、俺が戻ってくるまでに彰子も着替えてベッドに入っておくこと。俺が戻ってくるまでに寝てなかったら……お仕置きするからな」

 彰子の部屋の前でそう告げる。体調の悪い後輩の看病は先輩の役目だろう。彰子のほかに女性部員がいない以上、『彼氏』である俺が看病することに異を唱える奴もいないはずだ。

「お仕置きって……」

 微かに顔を引き攣らせる彰子の頭をぽんぽんと叩き、一旦部屋に戻る。

 シャワーでざっと汗を流し、着替えて彰子の部屋に行くと、彰子は大人しくベッドに横になっていた。

 練習が終わったことと部屋に戻ったことで多少気が抜けたのか、また熱がぶり返してきたようで少しばかり顔色が悪くなっている。

「玲先輩、食事行かなくていいの? 私は大人しく寝てるから、食べてきて」

 部屋に入るなり、先ず俺を気遣う。病気のときくらい自分を気遣え。

「そうだな……。まあ、俺が食堂に行かなければ恭平あたりが気を利かせてこっちに運んでくれるだろ。彰子は気にするな」

 とはいっても気にするのが彰子だからな……。

「彰子、起きてるか?」

 ノックの音とともに忍足の声がした。起き上がろうとする彰子を制してドアを開ける。そこには案の定、ワゴンを押した忍足の姿があった。ワゴンの上には俺のものらしき夕食と、彰子のものらしいおかゆ、それから飲み物が乗っていた。

「先輩は彰子のこと心配で食堂に来ぃひんやろ思て食事こっちに持ってきました。入ってもええですか」

 正面から俺を見つめ、忍足は言う。

「ああ。悪いな、助かるよ」

「ほな、失礼します」

 忍足はワゴンを押し、ベッドサイドへと行く。

「彰子具合どないや。食欲ないかもしれへんけど薬飲むためにもちゃんと食わなあかんで」

 サイドテーブルにおかゆの入った土鍋、飲み物、そして市販の風邪薬の小瓶を並べつつ、忍足は言う。

「白粥嫌いやて言うてたから、卵粥にしてもろうた。あとリンゴジュースな。100%やで」

 飲み物は100%果汁のリンゴジュースの1.5リットルペットボトル。

「ありがと、侑士。態々ごめんね」

「気にせんと今は体調治すんが先や。悪い思うんやったら二度とこないなことないように気ぃつけてや」

 粥を小鉢に取り分け、彰子に渡す忍足。

「あと、PC借りてくで。今日の分のデータ入れとくよって」

「ごめんね、面倒かけて」

「副部長なんやし、当たり前やん。気にせんでええよ。ログインパスワードなんやっけ」

「IDがキャラ名で、パスワードが真朱の名前」

「了解。ま、後から変えといてな」

 忍足は彰子が普段部活で使っているノートPCを持つと部屋を出ようとする。

「ああ、跡部から伝言や。明日の朝、跡部が体調チェックに来るよって、それまでは部屋から出るの禁止な。トイレ以外はベッドから出たらあかん。大人しゅう寝とき」

 確りと彰子に念を押し、忍足は部屋から出て行く。最初と最後以外俺の存在はほぼ無視。因みに最後は『食い終わったら部屋の外にワゴンごと出しておいてください』だった。

「忍足も過保護だな」

 忍足との会話に微妙に神経を逆なでされた。いかにも自分は俺が知らない彰子のことを知っているのだというように。確かに俺の知らない情報がいくつもあった。付き合いの長さ・深さからいって仕方のないことではあるだろうが……。

 俺と彰子が『付き合い』始めた当初は意気消沈していた忍足だったが……合宿前には気を取り直したのか、以前の忍足に戻っていた。彰子に対してはいつもどおりに接し、俺に対しては……微妙に敵対心を燃やしているような感じで。あからさまに何かを言ってきたり態度に出したりすることはない。彰子が倒れたときのようにあからさまな態度のほうが珍しい。尤も、さっきのように自分と彰子の付き合いの長さ深さを見せ付けるような言動を取ることはままあるのだが。

「薬飲むためにもちゃんと食べろよ、彰子」

 食欲はなさそうだが、彰子は素直に頷き粥を口に運ぶ。普段の彰子に比べかなりスローペースだが、少しずつ粥を食べる。

 俺も食事を摂りながら、気に掛かっていたさっきの彰子と忍足の会話を当たり障りのない程度で聞きだしていく。

「パソコンは部活専用だから、私の個人情報は一切入ってないし、見られて困るものはないから平気」

 よほど忍足のことを信頼しているんだなと思っていたが……そういうことか。それでも忍足だから躊躇いも遠慮もなくPCを預けたと感じるのが穿ちすぎだろうか。

 ゆっくりと時間をかけ、粥を食べ終わった彰子に薬を飲ませ、横にならせる。ジュースと薬だけをサイドテーブルに残し、食器をワゴンに戻して部屋の外に出す。

「彰子が眠ったら俺も部屋に戻るから」

 そう言えば彰子も大人しく眠るだろう。

「はーい。……玲先輩、面倒かけてごめんなさい」

「気にするな。俺は彰子の彼氏だからな」

 その俺の言葉に一瞬だけ、彰子の表情が硬くなる。恋人の振りを始めて半月ほど経つが……やはり罪悪感はまだ消えないらしい。

「ごめんなさい……。先輩のこと好きになれたら良かったのに」

 病気の所為か、いつもだったら言わないようなことを彰子は言う。

「気にするなって言ってるだろ。俺は全部承知の上でやってることなんだから」

 彰子が忍足を想う気持ちさえ利用して『忍足に無用な心配をかけないため』と言いくるめて、彰子を恋人のポジションに置いたのは俺自身。彰子が俺を先輩以上には思っていないことも承知の上で、彰子の罪悪感すら利用しているのに。

「侑士のこと、どうでも良くなれたら楽なのにな……」

 ポツリと彰子は呟く。病気の所為で弱気になっているのだろうか。弱っているからこそ、本心が出てきたのだろうか。普段の彰子ならば、こんな周りが心配するようなことは言わないだろう。

「今は何も考えるな。病気のときに考え事したって悪い方向に行くだけだぞ」

「……はい。おやすみなさい、先輩」

 彰子は素直に頷くと、目を閉じる。薬が効いてきたのかやがて彰子は眠ったようだった。






 彰子の風邪の原因は疲労だった。確かにマネージャーとしての務めはかなりハードとはいえ、そればかりが原因ではなかっただろう。

 恐らく一番の疲労の原因は精神的なもの。周りに嘘をついていること、想い人である忍足に俺という恋人がいると思われていること。そういった精神的な負担が大きく影響しているのではないだろうか。

 彰子は嘘が巧くない。否、必要であれば嘘をつき、周りに悟られないようにすることも出来る。実際、殆どの連中は俺たちの嘘を信じている。

 跡部と滝が多少怪しんでいるようだが……あれは彰子の態度からというよりは信じたくないから疑える材料を探し疑おうとしているというところだろう。

 けれど……この嘘は彰子にとって思いのほか重荷になっている。信頼している奴らに嘘をついていること、好きな男に嘘をついていること。

 彰子自身は忍足が自分を想っているなどとは予想だにしていない。忍足が過保護なのは、出会った頃に弱い部分を見せた所為で保護者気分なんだろうと思っているようだしな。忍足自身が今はそう思わせておこうとしている所為でもあるんだが。

 しかし……このままじゃ拙い気がする。

 俺と彰子の関係を怪しんでいる跡部たち。

 今は静観しているものの俺に対しての敵愾心を持っている忍足。

 それらが絡み合って、この芝居に齟齬を来たしそうな予感がする。

 何より、彰子の心に思っていた以上に負担が掛かっている。

 計画は修正しなければならないかもしれない。否、修正せざるを得ないだろう。

 俺にとってはあまり喜ばしいことではないが……このままでは彰子が傷つくことにもなりかねないからな。

「結局、彰子にとっては『いい先輩』でいたいんだよな、俺も」

 苦笑がもれる。

 さしあたって、計画を修正するために、恭平と打ち合わせするか。