俺様だって微妙に複雑(跡部視点)

 長岡と関さんが付き合い始めて数週間。

 漸く忍足は吹っ切れたらしくいつもの調子を取り戻した。

 吹っ切れたといっても長岡を諦めたわけではなく、その逆。諦められないことを悟り、改めて長岡を欲する想いを確認したというところか。

 傍から見ていれば、忍足が長岡を諦め切れないことなんて火を見るよりも明らかなことだったんだが……忍足にしてみれば初めてといっていい真剣な恋だったから色々慣れてねぇ部分もあったんだろう。

 そう思えば、忍足が歳相応に思えてくる。俺も忍足もまだ15歳でしかねぇんだからな。

「なぁ……忍足。本当にあの2人が恋愛関係だと思うか?」

 長岡への気持ちを再確認した忍足に、俺はそう問うてみた。

 ずっと心に引っかかっていたことだった。長岡と関さんが本当に恋人同士なのかどうか……。

 忍足は俺の言葉に若干戸惑いつつ考えすぎだろうと言った。だが、それは俺の考えを完全に否定しているゆえの言葉ではなく、余りに自分にとって都合のいい解釈を戒めるためのもののように感じた。

 都合がいい……か。確かにそうかもしれねぇな。

 だが、妙に引っかかる。

 余りにもタイミングがよすぎる。

 それまでの2人の態度からも違和感が拭えない。

 本当にあの2人は恋愛感情があって付き合っているんだろうか……と疑問に感じる。

 関さんに切り込んでも……はぐらかされるのがオチだ。だとすれば長岡にあたってみるしかねぇか……。

 とはいえ、もし裏があるんだとすれば、長岡も簡単には口をわらねぇだろうな。






 約1週間の合宿も残り1日になった最終日前日。俺は長岡に聞いてみることにした。

「長岡、関さんとは巧くいってんのか」

 コートの裏手にある水場で俺は長岡にそう声をかけた。他のヤツらは練習試合の最中だが……こういうときでもなければ今や殆ど長岡とプライベートな会話を交わす時間はない。四六時中関さんが側にいるからな。

 タオルを洗っていた長岡は驚いたように顔を上げる。

「あら、部長自らサボり?」

「仕方ねぇだろ。お前と部活以外の話をしようとすればこうでもするしかねぇんだから」

 学期中であればまだ生徒会室という手もあったんだがな。

 素直にサボりを認めた俺に長岡はクスっと笑う。

「じゃあ、タオル洗うの手伝って。そしたらサボりじゃなくなるでしょ」

 いつもの通りの『立ってるものは跡部でも使え』精神で俺にタオルを放って寄越す長岡。これも長岡流の気遣いの1つか。

「で……どうなんだよ」

 長岡と並んでタオルを手洗いしながら、再び尋ねる。

「んー、ごく普通に順調に初々しいカップルしてると思うわよ」

 自分で初々しいとか言うか。

「ほう……。俺様にはそうは見えねぇんだがな」

 否、2人がそう見せようとしていることは判ってるし、そう見えなくもねぇ。ただ、俺や一部の疑いを持ってる者にとっては違和感があるというだけのことだ。

 これまでの間、長岡と関さんの様子を観察してきた。特に変わったところはない。練習中は先輩と後輩、レギュラーとマネージャー以上の関係を匂わすものは一切ない。だが、休憩時間やフリータイムは当然のように2人で過ごしている。

 慈郎なんざ『関先輩、彰子ちゃん独占しすぎでズルイC』なんてむくれていたが……それくらいに常に関さんと長岡は一緒にいた。

 表面上だけ見れば公私の区別をきっちりつけた清く正しい『高校生らしい』付き合いだ。だが……そのこと自体に違和感がある。

 普通、どれだけ気をつけようと恋人同士ならば練習中に不意に恋人としての顔を見せてしまうこともあるはずだ。まだ18歳と15歳なんだ。そこまできっちり公私を分けられるはずがねぇ。……否、関さんなら不可能じゃないな。長岡も……出来そうだな……。

「へぇ。見えないって? あ、初々しくないってこと?」

 長岡の声はいつもと変わらない。こいつのことだから、『恋人』の話題になれば多少なりと声に恥ずかしさや照れが含まれるように思うんだが……。

「てめぇと関さんが恋人には思えねぇってことだ。まぁ、関さんとてめぇだから公私の区別をきっちりつけてることは理解出来るし、納得できるんだがな」

 しかし、プライベートタイムも可笑しい。2人で過ごすとはいえ、2人っきりなど殆どない。ランチタイムは井上さんをはじめとした他の3年レギュラーと一緒だし、練習後のフリータイムはサロンで一緒に過ごしている。つまり……常に人目のあるところで過ごしている。だからこそ、慈郎の『独占しすぎ』なんて言葉も出てくるのだ。

 恋愛に関して長岡はかなりお堅いというか、潔癖なところがあるというか……高校生らしい付き合いというラインを持っているらしいから、その意味で『節度ある交際』として2人きりを避けているとの解釈も出来なくはないが……やはり違和感を感じる。

 俺たちに……『自分たちは付き合ってる』ということを見せつけようとしていると感じるのは考えすぎだろうか。

 そして、もし『見せ付けている』のであれば、その理由はなんだ? 本当に付き合っているのだとすれば、忍足への牽制か。忍足が長岡に惚れていることは当の本人である長岡以外はほぼ周知の事実だからな。とはいえ、あの関玲彦が態々そんな子供じみた牽制をするとも考えにくい。

 やはり俺たち長岡と親しい人間に『長岡が関玲彦と付き合っている』と信じさせるための行動と考えるほうがしっくり来る。態々信じさせようとするということは……信じさせなければならないということだ。

 本当に付き合っているのであれば、他人が信じようが信じまいが『付き合っている』という事実があるんだから関係ねぇはず。それを信じさせようとするってことは……本当はやはりあの2人は恋人なんかじゃない。

 っていうか、何で俺はこんなに一所懸命長岡と関さんの関係を否定する材料を探してるんだ? 忍足のためか、それとも単に違和感を放ってはおけないだけなのか……それとも他に別の理由があるのか。

「恋人らしい雰囲気なんて長岡からは微塵も感じねぇんだよ」

 そう。2人からは他の連中のような『恋人』の雰囲気を感じないのだ。

「ねぇ、跡部」

 それまで黙って俺の言葉を聴いていた長岡は洗濯物から顔を上げる。

「あのさ、この私、だよ? 人目があるところでラブラブ全開甘々オーラ出せると思う?」

「思わねぇ」

 思わず即答してしまう。

「でしょ? 玲先輩だってそういう私の性格判ってるから人目があるところではセーブしてくれてるだけ。2人っきりだとどうか判んないでしょ」

「厳密な意味でお前らが2人っきりになったことなんてねぇだろ」

「そりゃ合宿中ですからね。お互いに学生らしくしてるもの」

 長岡は肩を竦めてそう言う。

「何、それじゃ、跡部は態々『部活中だろうがラブラブオーラ全開にしていいぞ』って許可を出しに来てくれたの?」

「んなわけねぇだろ」

「じゃあ、別に私と玲先輩がどういう態度でいようが問題ないはずでしょ。寧ろ褒められる行動だと思うんだけど」

 確かに本当に2人が恋人同士なのだとしたら、部を預かる身としては2人の行動は大いに助かるものだ。だが……

「長岡、お前本当に関さんと恋人なのか? お前、本当に関さんのことを好きなのか?」

 そう。全てはこの答え次第。

「……どういう意味、跡部」

 心持長岡の声が低くなる。

「長岡と知り合ってから1年も経っちゃいねぇが……それなりにてめぇのことを知ってるし理解してるつもりでいる。だがな、今のお前の行動や態度からはどうも違和感しか感じねぇ。どこかお前らしくねぇ。そう感じるんだ」

 俺を含めた一部が2人の関係を信じられない理由の1つが、余りに2人の関係が唐突に始まったということだ。関さんが長岡に好意的だったことは薄々感じてはいたが、飽くまでもそれは先輩後輩の域を出ないと思っていた。長岡にしても関さんに懐いてはいたが、やはり後輩として頼りになる先輩を慕っているという印象でしかなかった。互いに異性として意識している素振りなど微塵もなかった。

 関さんはああいう人だから巧く隠すことが出来るだろう。だが、長岡は無理だ。恋愛に晩生な長岡は行動や表情にそれが出る。事実……GW明けには忍足のことを相当意識してしまっていたことが俺や滝のみならず、恋愛ごとには鈍い宍戸にすら判っていたくらいだ。もし関さんのことを意識していたのだとしたら、それは俺たちに判ったはずだ。

 少なくとも、長岡は異性としての関さんを意識したことはないはずで、意識していたとすればその相手は関さんではなく忍足だったはずだ。

 そして、仮に意識していたとしても……告白されてその日のうちに付き合い始めるというのも納得がいかない。長岡の性格を考えれば……少なくとも1日は時間を置いて考え返事をするんじゃないだろうか。

「……そう」

 長岡は微かに目を伏せる。その表情が妙に大人びていてドキリとする。いつも大人びている長岡だが……その表情は明らかに『大人』のもの。俺たちとは違う何かを一瞬感じさせた。

「あのさ、跡部。貴方がかなり私のこと理解してくれてるのは知ってる。友達として……凄く嬉しくて、やっぱ氷帝に来てよかったなぁって思ってるもの。でもね、貴方が知ってる私が全てじゃないよ。特に……女の子な部分は99%見せてないからね」

 今まで俺たちには見せなかった部分を見せているから違和感を感じるのだ──長岡はそう言う。そうだろうか?

 違うと反論したくても……きっぱりと長岡に言い切られてしまうと、そうなのだろうかと納得しそうになる。

「私さ、臆病でしょ。だから本気で好きになっちゃうと徹底して隠しちゃうんだよね。周りに気付かれちゃったら、失恋したときとかなんか気不味いじゃない」

 長岡は言う。だから、関さんへの態度も後輩としてのものにしか見えなかったのだ、とそう言いたいのだろう。

 確かに恋愛ごとには臆病だというのはある程度長岡を知っている奴なら感じていることだ。鈍感且つ臆病。否、臆病だから恋愛ごとから遠ざかることで鈍感になろうとしているのか。

 真剣な想いだったから隠していた、思いがけなく相思相愛だったから即断で付き合うことを了承した──そういうことなのだという。

「そう……か。変なこと聞いて悪かったな」

 俺に応じた長岡の表情も瞳も揺るぎないもので……偽りを言っているようには見えなかった。

 だが、それでもやはり違和感は拭えない。

 否、違和感ではなく……信じたくないだけかもしれない。長岡が他の男を好きになったのだということを……。






 長岡に付き合わされてタオルを干し、コートに戻ると忍足が駆け寄ってきた。

「跡部、何処でサボってたんや。部長のクセに」

 ブツブツと文句を言いながら、忍足は俺がいない間の練習試合のスコアを渡してくる。

「……彰子。ちょっとこっち来てみ」

 長岡の顔を見るや否や長岡を呼び寄せる。そして徐にコツンと額を合わせ、首筋に手を当てる。

「熱、あるんとちゃうか。熱中症やあらへんやろな」

「え……。別になんともない……と思うけど」

 長岡は突然の忍足の行動と言葉に驚いている。俺も今まで長岡といたが、別段変わったところはなさそうだったが……。

「いや、絶対可笑しい。跡部、救護室連れて行くよって、後頼むわ」

 忍足はきっぱりと言う

「大丈夫だって。別になんとも……」

 だが、そういった瞬間、長岡の体がふわりと揺れる。眩暈を起こしたのだ。崩れ落ちそうな体を予想していたかのように忍足が抱きとめた。

「あ……あれ……?」

 自分の体に起きた異変が理解出来ずに長岡は驚いている。忍足に抱きとめられた長岡の額に触れれば確かに熱い。

「確かに熱があるな。今日はもう休んでろ。忍足、連れて行け」

「ああ。ほな、後頼んだで」

 含みを持たせた言葉で、忍足は長岡を抱き上げる──所謂お姫様抱っこ──と救護室へと向かった。

 コートでは3年生ペア同士がちょうど試合を終えたところだった。長岡を挟んだやり取りを見ていたらしく、どうしたんだと駆け寄ってくる。

「彰子……長岡はどうしたんだ?」

「眩暈を起こしたんで、忍足が保健室に連れて行きました。熱があるようで……熱中症か風邪かは判りませんが」

 俺はそう答え、そのまま休憩に入るよう告げる。だが、関さんが救護室へ行くことはなかった。曰く『彰子は喜ばない』。長岡は少ない休憩時間を潰してしまうことを申し訳なく感じてしまって、逆に精神的負担を負わせてしまうことになると。長岡ならそれも有り得るな。

 休憩時間も終わり間際になって忍足だけが戻ってきた。

「風邪みたいやな。扁桃腺腫れてるって言うてたから。まぁ、疲れもあるんやろうて言うてたわ」

 そう言えば、ずっと忙しい日が続いてたからな。俺たちに比べれば体力は劣っているだろうに、忙しさという点では相当なものがあったはずだから。

「……先輩、彼氏やのに彰子の体調に気付かへんかったんですか」

 険のある口調で忍足は関さんを見る。

「夕べも、今日の昼も、彰子の側にいてはりましたよね。彰子の体調に最初に気付かなあかんのとちゃいますか」

 ここまで露骨に忍足が関さんに対して棘のある言い方をしたことはこれまではなかった。

 長岡のことを諦めないと決めた忍足ではあったが、だからといって関さんとの間に割り込もうなどとはしていなかった。そんなことをしても益がないことを知っているからだ。時機を待っているのだ。

 だが、そんな忍足であってもこれには我慢出来なかったらしい。

 長岡は自分のことにはとことん無頓着だ。テニス部の合宿ともなれば、俺たちレギュラーの様子にこそ細心の注意を払うものの、その分自分のことはおざなりになる。忙しく走り回っていれば自分の多少の体調不良など気力で乗り切ってしまうだろう。

 そんな長岡だからこそ、傍にいる者があいつの不調には気付かなければならない。でなければ長岡は無理をしすぎてしまう。実際に今年の2月には風邪をこじらせて入院する一歩手前の状態にまでなってしまったほどなのだ。

 そんなこともあった所為か、忍足はいつも傍にいて長岡の様子を気にかけていた。長岡の状態に最初に気が付くのはいつも忍足だった。一番傍にいることの出来なくなった今でさえも。

「悪かったな。確かに俺が気付くべきだった」

 関さんは素直に非を認める。が、それだけでは終わらなかった。

「俺が一番側にいたんだからな。まだ付き合い始めて日が浅いとはいえ、俺が恋人で一番傍にいるんだ。忍足ではなく、な」

 これも珍しい関さんの挑発的な言葉に冷静なはずの忍足もムッとする、

「そうですね。彰子は人に気ぃ遣うて遠慮する奴やよって確り見てくれんと不安でしゃあないですわ」

「まるで保護者だね、忍足」

 一応、部内では穏か系の代表格である関さんと忍足の陰険な応酬に俺たちは呆然とする。

「はいはい、そこまで。彰子ちゃんが悲しむよ。仲良しの忍足と、一応彼氏である関先輩が自分のせいでケンカなんてしたらね」

 まるで子供のように睨み合っている忍足と関さんの間に滝が割って入る。

「……せやな」

「大人気なかったな。済まないな、忍足」

 滝の割り込みによってその場は収まったものの……忍足と関さんの間に嫌な雰囲気が漂う。

 プライベートなことをコートに持ち込むやつらではないが……色恋が絡むと厄介だ。

 特に忍足は冷静なようでいて、かなり苛立っているし……。

 ──何事もなきゃいいんだが。