玲先輩と付き合うことになって、私を取り巻く状況はかなり変わった。
悪事千里を走る……じゃないけど、あっという間に噂は広がった。
まぁ……それまで侑士と朝一緒に登校してたのが玲先輩とになり、ランチもテニス部と一緒だったのが玲先輩とカフェテリア……となれば人目にもつくしね。
勿論、玲先輩はそれを狙って態々部活で登校する生徒が増える時間帯を狙っての登校だったし、カフェテリアでのランチだったわけだけど。
元々その日は詩史とランチの日だったから、詩史には前夜に報告兼ねて話はした。
玲先輩と付き合うことになった、って。
詩史は私が侑士を好きなことを知ってるから凄く驚いてた。もう、鼓膜破れるんじゃないかって思うくらいの声で『なんですってぇぇぇぇぇぇぇ!』って叫んで。膝の上にいた猫たちが驚いて飛び降りてソファの影に隠れるくらいの大声だったなぁ……。
色々事情があって先輩と付き合うことになったとだけしか言えなかったのに、詩史も察してくれたみたいで『その事情が話せるようになったら真っ先に私に話してよね。忍足よりも先に!』と言うことで許してくれた。
跡部たちテニス部のメンバーには侑士が話してたみたいで、がっくんには『長岡に男が出来るなんて奇跡じゃないか』とか超失礼なこと言われたし……。ジロちゃんは『彼氏出来ちゃったら遊べないC』と寂しそうに言われて思わず可愛くて抱きしめちゃったら、『彼氏いるのにそれはあかんやろ』と侑士に即効引き剥がされてしまいました。あ、因みに暴言吐いてくれたがっくんには蹴りお見舞いしといたんだけどね。
跡部と滝は……なんかじーっと私を探るように見てて……何か気付かれたかなと冷や汗かいたけど、『男出来た割には色気ねぇのは全く変わらねぇな』と呆れ顔で言われました。うっさい馬鹿! と言いつつも気付かれたわけじゃないのかとホッとしたりして。
一緒に登校した翌日にはほぼ全校生徒が玲先輩と私のことを知ってるような状態でびっくりした。
「玲先輩、意外に有名人だったんですね」
なんて言ったら
「彰子……俺、一応前生徒会副会長で前テニス部副部長なんだけどね……」
と玲先輩にはさめざめと泣かれてしまいました。ああ、そう言えばそうだった。
「なぁ、玲。俺最近気付いたんだけど長岡って結構馬鹿だよな」
そう言ったのは一緒にランチを摂っていた井上先輩で。
「なに、恭平今頃気付いたんだ?」
同じく一緒にランチしていた塩沢先輩が言い
「長岡が馬鹿なのは初めからだろ」
と鈴置先輩が止めを刺してくれました。
「あのなぁ……お前ら、仮にも彰子は俺の大切な彼女なんだから」
玲先輩がそう言って窘めてくれるんだけど……
「事実とはいえ、もう少し言葉選んでくれよ」
本当の止めは、『彼氏』であるはずの玲先輩に刺されてしました……。
因みに既に現在夏休み。テニス部の合宿中です。
6泊7日の氷帝の合宿施設を使った合宿は、ほぼ夏休みが始まると同時にスタート。29日まで合宿で、2日の休日をはさんで8月1日から全国大会。参加者はレギュラー・準レギュラー13人と7月度部内トーナメント上位17人の合計30人。それにマネージャーの私。他の部員は通常通り学校で練習なんだけど、そっちは詩史たちがいつも通り臨時マネージャーに入ってくれてる。
玲先輩と付き合い始めてそれほど生活に大きな変化はなかったんだけど、唯一変わったのがこのランチの時間だった。
付き合いだして1週間も経たずに夏休みになったから、それほど大きな変化というわけでもなかったんだけど……。
でも、これまでだったら、私は多分侑士や跡部たちと同じテーブルでこのランチを摂っていたはず。でも今は当然のように玲先輩が私の隣に座る。周りは玲先輩が親しい井上先輩たちになる。侑士たちは……これも当たり前のように離れたテーブルに着く。それが……寂しいなんて思っちゃいけないことなんだよね。
「玲と付き合いだして、周り静かになったんじゃないか?」
井上先輩たちは玲先輩と私が付き合い出した理由を知ってる。学内で本当の理由を知ってるのは、当事者である玲先輩と私以外にはこの4人だけ。まぁ……美弥子さんもなんとなく気付いてはいるみたいだけど。
「そうですね。効果は覿面でした」
そう。玲先輩と付き合いだしてから、私自身の変化はあまりなかったとはいえ、周囲の変化は大きかった。
まず、これまであったテニス部ファンからの嫌がらせがピタリと止んだ。
入学前に跡部たちが私がテニス部ファンから苛められないように色々な手を打ってくれていたし、私自身入学後美弥子さんたちとの交流を通してそれなりにファンといい関係を作れるようには努力してきた。
でも、だからといって全てのテニス部ファンに受け入れられていたわけじゃない。事実嫌がらせはされていた。
露骨に学校内で呼び出し食らったとか苛められたなんてことは全くない。でもある意味それよりもずっと陰湿。
呼び出されて殴られるなんてことはないから肉体的なダメージは全くないけど、割と精神的ダメージは大きい手段でやられた。
それはメール攻撃。
携帯メールはテニス部やごく親しい人にしか教えてないからそっちに来ることはなかったんだけど……学内で利用するアドレスとサイト管理に使っているアドレスに嫌がらせのメール攻撃をされたというわけ。
学内のメルアドは【学籍番号@hyoutei.ed.jp】だから、学内にいる人間なら誰でも判る。サイト管理のメルアドも、テニス部のサイトを管理するために使っていたものだから……管理者が私であることは明記してたからやっぱり誰でも判る。
そこにまぁ嫌がらせのメールが来ること来ること。
『跡部様に近づかないで』『跡部様にあんたなんか似合わない』『忍足君から離れろ』『死ね』『ブス』etcetc。
学内のアドレスに送ってくるお馬鹿さんはさくっとシステム管理者である情報処理担当の教師に連絡。相手も学内のアドレスっていうお馬鹿さんだし……。学内のPCからフリーメールで送ってカモフラージュしたつもりでいるお馬鹿さんもいたけど、そんなもんログイン履歴見りゃ何処のPCから誰が送ったか丸バレですから……。
サイト管理用メルアドに送ってきたメールは『そんなメールは来ていない』と魔法の呪文を唱えてさくっと削除。あまりに酷いものはプロバイダに通報してやろうかとも思ったけど……そこまでするのもなんだしね。
彼女たちの気持ちは判らないでもないし……。誰だって、好意を寄せている相手の直ぐ側にいる女には悪感情を持つだろうから。私だって、侑士の側に他の女の子がいたら悲しいし。とはいえ、嫌がらせなんて陰湿な手を使ってくる相手に同情する気はないけど。
流石に『忍足君は優しいからあんたに同情して優しくしてあげてるだけなんだから勘違いしないようにね』なんてメールが来たときには結構ダメージ大きかったりしたんだけど……。ストレートにブスとか死ねとか書かれるよりヒットポイント削られた感じ。
いい加減鬱陶しいと思ってた嫌がらせメールだったけど、玲先輩と付き合い出してからはピタっと止まった。お嬢さんたち……判り易すぎ。
それから、意味不明な呼び出しもなくなったなぁ。
2年や3年の男子生徒から呼び出しがなくなった。まぁ、全部今まで無視してたヤツなんだけど。だって見も知らぬ男子生徒がいきなり『昼休み、○○に来い』とか言ってきてもさ……『あんた誰? なんで命令?』みたいな……。
第一昼休みとかかなり忙しいから見ず知らずの野郎に構ってる暇なんてないし。
「彰子……」
それを言ったら、玲先輩はなんともいいがたい困ったような呆れたような顔になった。
塩沢先輩は呆れ果てたというように溜息付いてるし、鈴置先輩は頭抱えてるし、井上先輩はお腹抱えて笑ってるんだけど……。
「長岡、天然返し最強だな」
天然返し……?
「多分それ、今回の原因になって連中の呼び出しだぞ」
溜息混じりに鈴置先輩が言う。
え……そうだったんだ。
「長岡に無視され続けて実力行使に出ようとしてたってことかもなぁ」
……じゃあ、今回のは私自業自得……?
「いや、彰子が呼び出しに応じてても結果は変わらなかっただろうし、寧ろ悪くなってただろうから気にしなくていい」
そうかな? うん、多分そうだろうな。
先輩たちの話から想像するに、相手は多分『俺の女になれ』って命令するような気がするし。『俺の女になれるなんて光栄だろう』と断られることは想像すらしてないに違いない。でも当然私が『嬉しい』なんて思うはずもないわけで。確かに状況は悪くなってたかも。
「そう考えると玲先輩の影響力って大きいんですね」
跡部とは違った意味でのうざい俺様たちが大人しくなったんだもの。
同じ俺様でも、跡部の場合は自分の実力に裏打ちされた自信による『俺様』だから、多少ムカつくことはあっても鼻に付くことはないしそこまで嫌な印象はない。『ま、跡部だしねー』で許容できちゃう。
でもあいつらの『俺様』は本人の能力とは全く関係ないところでの財力による自信だから鼻に付くしムカつくし『ケッ、何言ってやがるんでぃ』って感じ。近寄るんじゃない! って思ってしまう。
「俺自身の影響力じゃないよ。家の力関係」
面白くなさそうに玲先輩は言う。玲先輩自身、価値観は跡部たちと近いからこの影響力そのものが面白くないんだろう。
「でも、そのおかげで私はこうして学校生活が平和に送れるようになったんだから、やっぱりありがたいですよ」
この影響力は跡部や侑士じゃ発揮できないもの。玲先輩だからこそ、成し得たものだから。
「……じゃあ、お礼はキスで」
「もうっ! 真面目に言ったのに」
「彰子堅物なんだから……。まだキスもさせてくれないし……」
「あらら、可哀想に玲くん」
「いやいや、長岡はそうだろ」
「だなぁ。色気相変わらずないんだし」
先輩たちの揶揄うような口調は……とても優しいもの。
この偽りの関係を私が気に病まないように……。
「あ、でも、なんか告られること増えた……」
そう、嫌な俺様連中からの呼び出しはなくなったんだけど、何故か『彼氏』が出来たのに告白されることは増えた。
「私、結構モテるんですね……」
そう呟くと、先輩たちはこれまた一斉に呆れ顔。
「今頃気付いたのか、長岡……。やっぱ、馬鹿だ」
「だって、これまで告白とかされたことなかったし! 詩史に彰子はモテるんだからとか言われてもピンとこなかったというか……」
確かに詩史たちから言われてはいたんだけど……実感全然なかったし。あっちの世界にいたころから全然モテなかったから、自分が誰かの恋愛対象になるなんて考えもしなかったというか……。
それがこっちの世界に来てからは結構モテる、らしい。なんかヤな感じだな……。中身はあっちにいたときと変わってないのに、こっちで多少美少女に変えてもらったからモテる……なんて。
「それが、玲先輩と付き合いだしてから、なんか告白されること多くなっちゃって……漸く理解したというか」
だからといって嬉しいとは全く思えないんだけどね。所詮外見しか見てないんでしょ……って感じで。
だからこそ、玲先輩からの告白は嬉しかった。玲先輩は外見だけじゃなくて私自身を見てくれてたから。
「俺がいるのにいい度胸だねぇ」
ニッコリと笑う玲先輩……ちょっと怖いです。
「まぁ、あれだな。玲は一見人畜無害だからな。これまで長岡は跡部か忍足のどっちかと出来てるに違いないって思われてたっみたいだし」
「らしいですねぇ……。そう言われました」
呼び出されて告白されるわけなんだけど、ほぼ100%のヤツが『跡部や忍足じゃ勝ち目ないから諦めてたんだけど』とか言いやがってた。
「それって玲先輩に超絶失礼ですよ」
思い出しても腹が立つ。玲先輩が跡部たちより劣るとでもいうのか。玲先輩より自分のほうがいいと思ってるのか。
「で、彰子はどう答えてたの?」
「玲先輩だからお付き合いしてるんです、貴方と付き合う可能性は跡部が貴方の下僕になる可能性よりも低いです って言いました」
本当は何も言わずにぶん殴って帰りたかったんだけど。告られた瞬間に『アホか』って言いそうになったけど。
「まぁ、玲くん。愛されてるわね!」
「夏とはいえ、暑いなぁ……。今一気に暑くなった」
先輩たちは裏面の事情を知ってるのに、そう揶揄ってくる。
なんか……ちょっとキツいな。居た堪れないというか……。
玲先輩は私を好きだと言ってくれてるのに、私が好きなのは別の人で……。
「彰子。何も気にすることはない。俺は俺の意思でこうしてるんだから」
私の考えを見透かしたように玲先輩は言う。
「玲先輩……」
私は玲先輩の好意を利用してるのに、それでもいいんだと言ってくれる……。
「じゃあ、感謝を込めて玲にキスってことで」
「それいいね」
「……まだ無理です!」
先輩たち……優しすぎます。
玲先輩と付き合うようになって当然、私が玲先輩と過ごす時間は増え、それに反比例して侑士と過ごす時間は減っていた。夏休みになったこともあって、教室で話すなんてこともなくなってたし……。侑士との会話は殆ど部に関する事務的なことばかりになってた。
だから、侑士が練習が終わってから話しかけてきたときはちょっとドキドキして嬉しかった。
でも……その内容は私を傷つけるには十分なものだった。
ううん……傷つくなんて、本当はそんな権利ない。侑士には何の責任もないことだもの。
「昼間、先輩たちの会話聞こえてもうたんやけど……彰子まだ関先輩とキスもしてへんの?」
そう言われて……心臓に鋭い針が突き刺さったような痛みを覚えた。
侑士に悪意はない。ただ、友達として揶揄うようにそう言ってきただけ……。
「だって……まだ付き合いはじめて半月にもならないんだよ」
精一杯、声が震えないように、何でもないことのように答える。
「彰子らしいわ」
侑士はそう言って苦笑する。
友達として心配してくれている侑士……。
きっと侑士は私が異性と付き合うのは初めてだと思ってる。こちらの世界でははじめてだから強ち間違いではないけど。
初めての『彼氏』という存在に私が恥ずかしがってる、戸惑ってる……そう思ってるのかもしれない。
だから、巧く行くように気にかけてくれてるんだと思う。
玲先輩と付き合うことになったと告げたあの日。侑士はこれからはお弁当いらないって言ってたし……これまでのような付き合い方は出来なくなるとも言ってた。
『彼氏』が出来たのなら、当然のこと……だよね。
それを寂しいと思うなんて、単なる私の我侭。侑士は私のためを思ってそう言ってくれたんだから……。
「心配してくれなくても平気だよ。私は私のペースで玲先輩と付き合うし、先輩もそれは判ってくれてるから」
だから……私のことは気にかけないで。
侑士が気にかけてくれるたびに、寂しくなるから……。
私は友達に過ぎないんだって。