まさか、こないなことになるなんて、想像もしぃひんかった。
青天の霹靂……ちゅうてもいいくらい驚かされた出来事。
そして……鳶に油揚げを攫われるっていうんは、まさにこのことやないか……って思うくらいのことや。
まぁ……相手は『鳶』やのうて『鷹』やけどな。
昼休み、彰子は図書館に行くいうたから、俺も一緒に行こうとしたんや。テストも終わったし、なんか本読もうかなぁ思うて。
けど、跡部に呼び止められた。どうやら彰子には聞かせとうない話あったみたいで。
明日は彰子が久世とランチの日やから明日でもええねんけど、早いに越したことはない話やった。
「冷泉女史からの情報だ」
そう言って跡部が切り出したんは、大学部にいる嘗ての俺のオンナのこと。
どうやら彰子の存在に気付いてなんや手ェ出そうとしてるらしい。
「忍足が恨まれるのは自業自得だC」
彰子のことやからと、いつもなら飯食うたら即夢の中に旅立っとる羊は確り目ぇ覚ましとる。
「彰子ちゃんなら巧く立ち回りそうだけど……でも事前に対策取ってた方が安心ではあるね」
滝の言葉に全員が頷く。
高等部に入学してからの3ヶ月。彰子はテニス部のファンとトラブルもなく過ごしとる。
跡部が事前に打った手が功を奏しただけやのうて、彰子自身の行動からもファンには好意的に受け入れられとるんや。
けど……大学部となると事情が異なるしなぁ……。
彰子のことを知らへんからな。俺が親しい女としか認識してへんやろ。そうなると厄介や。
「全国まで半月もねぇし、早めに手ぇ打ったほうがいいんじゃねぇか」
宍戸が言い、跡部がだから今話してるんだと応じる。
全国大会は8月初旬には始まるよって、それまでにはケリつけとかんと色々面倒やしな。
俺がオンナどもに釘さしたほうがええんやろうか。けど、連絡先はこの前久世にデリートされてもうたから判らへんしな。
「いっそ、侑士がコクって振られればいいんじゃねぇ?」
待てや、岳人。
なんで振られなあかんねん!
「だって、長岡、侑士のことなんて眼中にねぇだろ。ま、侑士だけじゃなくて全員弟扱いだしな」
やっぱ岳人の目にはそう見えとるんやな。笑っとる宍戸と慈郎も同じように思うてるみたいなんやけど……跡部と滝は妙に意味深な表情しとるな。
最近、彰子は俺を意識してくれとると思うねん。
俺を好きになってくれたかどうかはまだ判断つかへんのやけど……でも俺的には前進しとる感じがしとる。
「忍足が告って……って時点でオンナどもには面白くねぇだろ。逆効果じゃねぇか」
「そうだね。今は巧くいってる高等部のファンとも微妙になりかねないと思うよ」
岳人の提案は宍戸と滝によって却下。言外に俺が彰子と恋人同士になるという選択肢も却下される。
まぁ……俺かて恋人と公言するんはヤバイって思うわ。少なくとも1年以上経って『彰子が俺の側にいてるのは当然』っちゅう認識が氷帝内に浸透するまでは危ないって思うとる。せやから、仮に恋人になったとしても暫くは隠すつもりではいてたし。
……というか、恋愛に鈍い彰子のことやから俺が告白出来る状態になるまで早くても1年はかかるやろうと踏んでるんやけどな。
「跡部や忍足じゃファンが怖いヤツ多いから恋人の振りは拙いC~。俺や岳人じゃ説得力ないC」
よう判ってるやないか、慈郎。お前や岳人じゃ如何見ても飼い主とペットやな。
「滝や宍戸が無難じゃねぇ?」
不本意やけど……まぁ、敵は少ないわな。けど、滝や宍戸かてそれなりに人気あんねんで。
てか、なんで『恋人いる振り』が対策って流れになっとるねん!!
「俺たちがガードを固めるのにも限界があるからな。正直今以上は無理だろう」
確かに……彰子は校内で1人の時間は殆どあらへん。授業中は勿論、休み時間は俺か跡部か久世が一緒やし、朝と放課後は部活やし、登下校は俺と一緒やもんな。
となると、手ェ出すんは校外か俺らが彰子から離れる部活中や。校外かて、平日やのうて休みの日になるやろうし……そこまで俺が張り付くわけにもいかんしな。張り付きたいけど。
「他校に彼氏いるって噂流すのが無難なんじゃない?」
滝の言葉にそれもそうやなと思う。
他校の彼氏、やったら誰かに彼氏の振りしてもらわんかて噂だけで済むしな。
「頻繁に仁王あたりからメールが来たりしとるみたいやし、他校に男いてる、ってのはある程度説得力あるかもしれへんな」
ほぼ毎日のように仁王からメール来とるし、時々柳や丸井からも来てるみたいやしな。柳は情報交換やって判るんやけど……丸井はなんなんやろ。まさか、丸井もライバルか!?
「放課後にでも長岡に言って、噂流すか」
噂の発信源は俺らやと工作バレバレになってまうから、久世や冷泉女史に頼めばええな。
「クラスの女の子たちが噂してたC。今なら説得力あるかもね」
慈郎のクラスにはよう彰子の手伝いしてくれる子が何人かおって、比較的彰子と親しい女の子たちがいてる。
彼女たちが『長岡さん、なんか最近可愛くなったよね。恋でもしてるんじゃない』と話しとったらしい。
……ほんまやろか? 女の子の観察眼は侮られへんしな……。
もし、それがほんまやったら。
相手が俺やったらええな。
昼休みも終わり近くになって教室に戻ったら、彰子はまだ戻って来てへんかった。
珍しいな。図書館行ったときはさっさと本を借りてきて教室で読んでること多いんやけど。そう言えば図書委員の女の子と仲良うなった言うてたから、お喋りでもしとるのかもしれへんな。
そんなことを思いつつ、午後の授業の準備をして隣の野田と他愛もない話をしてたら、漸く彰子が戻ってきた。
けど……なんで隣に関先輩いてるんや?
「態々教室まで送ってくれなくてもよかったのに……」
……。
彰子が、先輩にタメ口……? いや、こないな短いセンテンスじゃ判らへんやろ。けど、いつもなら『送っていただかなくても』言うてたと思う。
「別にいいだろ。じゃあ、また放課後な、彰子」
「はい、また。玲先輩」
え……? 『彰子』に……『玲先輩』……?
野田をはじめ比較的彰子と親しいクラスの連中も不思議そうな顔しとる。
彰子はそんな俺らに気付かへんで席につき、授業の準備を始める。
「忍足……どうなってんだ?」
後ろの内山が聞いてくるけど……それは俺が聞きたいことや。
今まで……今朝の朝練まで、関先輩は彰子を長岡と、彰子は先輩を関先輩と呼んでたはずやのに……。
少なくとも俺が知る限り、彰子を名前で呼びすてにする男は俺と仁王だけや。彰子が名前で呼ぶんも俺だけや。
彰子はこれまで友達少なかったせいもあって、自分の名前を呼び捨てにされることを『親しくなれた』って喜んどる部分あるよって……別に深い意味はないのかもしれん。
けど……彰子が関先輩を『玲先輩』と呼んだのは……なんかそれとは違う気がする。
別に関先輩のことを呼び捨てにしてるわけやあらへんけど……彰子が『先輩』に対して、しかも異性の先輩に対して名のほうで呼ぶなんてことは有り得へんことや。
彰子は男に対して一線引いとるところある。せやから、彰子が名前で呼ぶこと、彰子を名前で呼び捨てることは……俺たちが思う以上に深い意味があるはずなんや。
「彰子……関先輩と」
なんかあったんか?
そう聞こうとしたとき、運がいいのか悪いのか、教師が入ってきて、俺はそれ以上何も聞かれへんかった。
更にその次の6限目は体育やったから休み時間に聞くこともできひんで、タイミングを逃してしまうと聞きづらくなってしもうて……。
結局部活の時間になってしもうた。
部活中は特に彰子も関先輩も変わった様子はなく、いつものように部員とマネージャー以上の関係はあらへんみたいやったし、呼び名かて『長岡』と『関先輩』でこれまでどおりやった。
けどな。
ああ、なんもあらへんのや。
なんて安心するほど俺はお気楽やない。
あれが聞き間違いなんかやないことは、野田たちが不思議がってたことからも確かやし……。
「跡部。なんか状況変わってるかもしれへんから……昼の話、今日は彰子にはせんといて」
それだけを跡部に言うて……いつもより集中力に欠けた部活も終わった。
いつも通りに2人で帰宅しながら、関先輩のことを如何切り出そうか迷うてた。
ストレートに名前呼びのこと聞けばええねんけど……。
「あ、あのね、侑士」
俺が迷うてたら、彰子がどこか言いづらそうに口を開いた。
「明日から、朝、私のこと迎えに来なくていいよ」
これまで毎日、俺が彰子の部屋に行って、それから一緒に登校してた。それを……しなくていい?
「別に迎えにって大げさなもんでもあらへんやん。お隣さんなんやし」
唐突なこの彰子の言葉……。これはきっと関先輩に絡んどる。
「うん……えっと、あのね……。明日から……その、関先輩が迎えに来てくれる……って。放課後も……先輩と帰ることになると思うの」
スーッと血の気が引くんが判る。体が冷とうなる。
「そうなんか? けど態々関先輩が迎えに来るなんてどないしたんや」
聞きとうないことやのに。聞かへんでも理由なんて想像付くのに。それでも一縷の望みをかけて訊く。
「えっと……実は……」
彰子は俯いて、何処か恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
こんなにショック受けるもんなんやな……。好きな女の子が他の男のことで頬を染める姿見るんは……。
「今日、関先輩から付き合って欲しいって言われて……それでお付き合いすることになったの」
「……へぇ」
いつもの『友達』の俺なら、如何彰子に言葉を返すやろ。
「彰子のことやから、付き合ってほしいって言われて『何処にですか』とかボケたんと違うんか?」
多分、俺やったら揶揄うはずやな……。声、震えてへんよな? いつも通りの彰子言うところの『エロヴォイス』になっとるよな?
「そんなことないよ。酷いな、侑士ってば」
「まぁ……彰子は男っ気あらへんかったよって、良かったやないか」
心にもないこと、よう言えるわ、俺も。でも、そう言わなしゃぁないやん。彰子は俺の気持ちなんて知らへんのやし……。
彰子が俺を意識してくれた思うたんは……勘違いやったんか。
彰子が意識してた相手は関先輩やったんか……。
阿呆やなぁ、俺。
「彼氏出来たんやったら、俺がいつも一緒におるんも可笑しいし。明日からは別行動やな。ま、関先輩がいてるんやったら彰子が迷子になることもあらへんやろうし、安心やな」
「だからどうして私即迷子なの!」
ひどーいと怒る彰子。
うん、大丈夫やな。俺はいつも通りに振舞えとるな。
「ああ、それから、もう弁当も俺の分はええよ」
これまで彰子が弁当のときは同じもんを俺にも作ってくれとったけど……流石に彼氏持ちにはいかんやろ。
「え? 別に構わないでしょ」
「彰子は気にしぃひんかもしれんけど、関先輩はおもろうないと思うで。彼女が他の男に弁当作ってたら」
『彼女』……か。自分で言うたくせに、その言葉に胸がズキっと痛みよる。俺は彼氏やあらへんのやな。『他の男』なんやな……。結構しんどいわ、この事実。
当然、これから先彰子の部屋で一緒に晩飯食うんも、気軽に遊びに行くんも、もう出来ひんな。
「そっか……。そういうものだよね……」
彰子はどこか寂しそうに言う。彰子にとっては俺はほぼ人生初めての親しい『友達』やったからな。
「彼氏出来たからって、友達の侑士くん見捨てんといてや?」
変わらず『友達』やねんで。
そう……もう、友達以上にはなれへんのやな……。
寂しゅうて、どこか空しゅうて……。
でも彰子に寂しそうな顔させたままではいられへんから。せやからそう言うたのに。
「うん……。侑士はこれまでと変わらずに友達でいてくれるんだよね」
なんで、お前まで寂しそうな表情になるんや、彰子。
「当たり前やろ。俺は彰子の友達第1号やで? まぁ……どこか抜けとる彰子の保護者みたいなもんやけど」
明るく言えば……彰子はクスっと笑う。依然としてどこか寂しげなまま……。
明日から……俺らは離れてしまう。
いや、部屋の前で別れたときに、もう離れてしもうた。
俺は失恋したんやな。
彰子は……他の男のモンになってしもうたんや。