先輩たちの優しい画策(関先輩視点)

「少々困ったことになりましたわね……」

 そう呟いたのは、正面に座るクラスメイト、冷泉美弥子だった。

 前生徒会長であり、女子生徒の間に一大勢力を誇る社交部(通称:ソサエティ)の部長であり、俺の幼馴染でもある。

 美弥子の視線の先には、数人の女子学生。そこから聞こえた会話に美弥子は眉を顰める。

 今、俺と美弥子は大学部のカフェテリアにいる。進学先の学科のガイダンスがあり、その帰りにカフェで一服(喫煙するわけではないが)していたのだ。

「玲彦さん、他人事のような顔なさってますけれど、あなたにも関係のあることですわよ」

 傍観者のように見ていた俺を美弥子が咎める。

「うちの可愛いマネージャーの危機か?」

 そう応じれば、美弥子は一瞬目を見開いた後、莞爾と笑う。

「そうでしたわね。長い付き合いなのにあなたの見かけにまた騙されるところでしたわ、玲彦さん」

 俺──関玲彦は一見すると人当たりのいい穏やかな人物に見えるらしい。人畜無害の優しい人に。

 別に俺が有害な人間というわけではないが、その見かけと中身は違う。

 人畜無害の優しいだけの男に代々政治に携わる家系の後継者は務まらないからな。

「確か……あれは忍足の元セフレだな」

 高校1年で元セフレがいるのも如何かという点はさて置き。

 フェロモン垂れ流しているあいつらに女が寄ってこないはずもなく、中学時代から忍足と跡部はそれなりに遊んでいた。

 中学生が性的交渉を持つことへの問題提起はこの際無視して、それでトラブルを起こしたこともなく、テニス部や学園に害があったわけでもないし、皆知ってて知らんぷり。教師陣も見て見ぬ振りをしていた。

 あいつらもそこは弁えているというか、同じ中学生には手を出さなかったし、家絡みのトラブルになりそうな相手も避けていた。何より、『後腐れのない相手』を選んでいたはずだった。

 しかし……一方がそう思っていても、もう一方がそう思っているとは限らない。初めは遊びと割り切っていても次第に本気になることもある。

 跡部にしても忍足にしても『本気の恋愛はしない』タイプと思われていたから(そう思われるようにヤツら自身が行動していた所為もある)、女たちにしてみれば『自分だけが遊びで終わったわけじゃない』と慰められる部分もあったのだろう。

 だから、別れる際には女たちは多少はゴネたとしても最終的には泥沼化することもなく別れを受け入れていた。

 だが……

「彰子の存在が、彼女たちのプライドを傷つけてしまったようですわね」

 冷ややかな口調で美弥子は言う。長岡に対してではなく、視線の先にいる女たちに対しての軽蔑だ。

「彰子は素敵な子ですわ。表面の美しさだけではなく内面の美しさも兼ね備えていますもの」

 妹のように長岡を可愛がっている美弥子は表情を一変させてそう言う。

「確かにな。気遣いも出来るし、頼り甲斐もある。それでいて堅物でもないし、真面目すぎることもない」

 テニス部のマネージャー、後輩として接する長岡は、見た目とのギャップがかなりある少女でもあった。

 まず、口が悪い。キチンとTPOを弁えて言葉は使い分けるが……跡部や忍足たち同学年の友人を相手にするときは途端に毒舌になることもある。あほべ、変態眼鏡なんてしょっちゅう言ってるしな……。

 それに、意外とボケているし、抜けている。迷子になるかと思えば、それを認めようとしない子供っぽい一面もある。

 自分のことには無頓着でズボラなくせに、仲間のためなら一生懸命にもなる。

 頼りになるのに、何処か危なっかしい……それが長岡だ。

 そんな長岡に対して、忍足は恋愛感情を抱いている。はたからみれば滑稽なほど周りの男どもを牽制し、長岡を守っている。その一方で長岡自身にはなんらアクションを起こさず、気持ちを伝えようとはしていない。まぁ、時期尚早と考えているみたいだが。

 周りから見て、忍足がどれだけ本気でどれほど長岡を慈しんでいるか判るだけに、かつての忍足の女たちには面白くないのだろう。

 どんな女にも本気にならない、自分だけではない。そう思って自らを納得させ慰めてきた女たちにしてみれば、長岡はいてはならない存在なのだ。自分たちの拠所を否定する存在なのだ。

 そう──自分たちが得られなかった忍足の心を得ている長岡に対して、女たちは敵愾心を持っている。

 高等部や中等部の忍足のファンたちは問題ない。忍足と深い関わりを持っていない分、嫉妬はしても根の深い敵愾心とまでは発展していない。

 跡部が『生徒会副会長』『テニス部マネージャー』として、性別に関わりのない信頼を置いていると示したこと、長岡自身の人柄から、高等部では概ね好意的に長岡は受け入れられている。忍足のファンにもそれは同様に。

 まぁ、テニス部ファンのリーダー格でもあった久世詩史が長岡の親友になったことも大きな理由の1つではあるだろうが。

 だが……大学部の女たちは違う。長岡の人格など見ていない。ヤツらが知っているのは『忍足が本気で恋愛をしている相手』というだけ。

 しかも、ヤツらは『嘗て好きだった人が本気で人を好きになったのだから応援しよう』なんて美しくもある意味偽善的な想いなんか持っちゃいない。

 自分たちに適わなかったことを適えた長岡への嫉妬と、肥大化した自尊心を傷つけられた恨みしかない。

「何か手を打たなければなりませんわね……」

 とはいえ、俺も美弥子も高等部ならまだしも、大学部への影響力など持ってはいない。

 出来ることといえば、跡部と忍足に注意を促す程度か……。

「もう少し、忍足さんがセーブしてくだされば良かったのですけれど」

 美弥子が苦笑を滲ませ呟く。

 やれやれ、俺にとっては初めての全国大会を前に厄介なことにならなきゃいいんだが。











 どうやら、厄介ごとっていうのは寂しがり屋らしく、1人ではやってこなかった。

 美弥子との大学のカフェテリアでの一件から数日後、いい天気に誘われて井上と2人自主休講と決め込んで中庭で昼寝していたときだった。

「長岡っていいよな。泣かせてみたくなる」

 不意に耳に飛び込んできた言葉に俺は振り返った。

 そこには俺たちと同じように自主休講という名のサボタージュ中の男たちがいた。

 同じ学年の、少々素行の良くない連中。しかも厄介なことに家柄と実家の力は抜群にいい連中。

 俺は音を立てないようにそっとヤツらに近づく。いつの間に起きたのか、井上もそっと場所を移動する。

「結構イイ体してそうだよな」

「真面目そうなあの顔、汚しちまいたくなる」

 男たちは下卑た笑いを浮かべ話している。

「だけど、跡部と忍足が邪魔だよな」

「まぁ、引き離す手はいくらでもあるさ」

 男たちは……長岡を性欲の対象として見、そしてその欲望を満たすための行動を起こそうとしている。

 そのことに怒りが沸く。

「玲彦、落ち着け」

 井上が俺の肩に手をかける。自分でも意識せぬまま、俺の拳は固く握り締められ、体は戦闘体勢に入っていた。

「恭平……」

 いつもは何処か飄々として掴み所のない井上の、珍しく窘めるような表情に俺は力を抜く。

 怒りに任せてはいけない。こんなときこそ、冷静に。

 深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

「ありがとう、恭平。もう大丈夫だ」

 ヤツらに気付かれぬよう、そっと不快な場所から遠ざかる。

 ヤツらの声の届かないところへ来て、漸く呼吸が楽に出来るようになる。

「このままじゃ不味いな……」

 井上が深く溜息をつく。

「ああ。跡部じゃ、あいつらに巧い手は打てない」

 跡部に注意を促せば、跡部は長岡を守るための手を打つだろう。だが、それは長岡の周囲の守りを固めるだけだ。

 あいつらに対してはそれは殆ど意味はない。

 厄介なことに、あいつらの持つ力──実家の力は、跡部ではなんら影響を与えることは出来ないのだ。

「跡部も忍足も自分たちの力を過信してる部分があるからな……」

 再度井上は溜息をつく。

 跡部の人柄・カリスマ性・影響力。それは一般の生徒には有効だ。実家の力など関係なく。

 普通に、跡部や忍足たちを、他の生徒を『人』として見る者であれば、実家の力も多少は影響するとはいえ、基本的に人と人として、相手への配慮をする。だからこそ、跡部の影響力が意味を持つのだ。

 だが、さっきのヤツらは……根本から考え方が違う。家の力が全てなのだ。金と権力で自分の思うとおりに全てを動かそうとする。そういう連中だ。

 跡部とあいつらの実家の力関係からいえば……あいつらは跡部になんら遠慮など必要ない。寧ろあいつらの論理で言えば跡部は自分たちに便宜を図るべき存在でしかない。

 でも……俺なら……。

「なぁ、恭平」

「ん?」

「俺が長岡に惚れてるって、気付いてたか?」

 俺の言葉に井上は『何を今更』と笑う。

「お互い母ちゃんの腹の中にいるときからの付き合いだろ。俺が気付いてないとでも思ってたのか」

 確かに今更、だな。お互い顔を見れば大抵のことは判る。見なくても判る。何を思い何を考えてるかなんて、手に取るように。

「長岡に愛の告白しますか」

 どこか茶化すように井上は言う。

「する気はなかったんだけどな」

 軽く溜息をつく。自分の迷いを吹っ切るために。

 長岡への想いは、いつの間にか可愛い後輩への好意以上のものに育っていた。

 長岡を自分のものにしたいという独占欲、長岡を抱きたいという欲望もあった。

 けれどそれ以上に、楽しそうに日々を送っている長岡を見守っていたいという想いが強かった。俺らしくもなく、何処か少年めいた綺麗な想い。それが長岡への想いだった。

 恋愛に関しては驚くほど鈍感な長岡。彼女が俺の気持ちに気付いていないことは確実だし、俺を恋愛対象としては全く意識していないことも明らかだった。

 長岡にとって俺は優しい先輩の1人でしかないことは十分に判っている。

 恋愛感情なんて不確実なもの。いつかはこの長岡を愛しいと感じる気持ちも消えていく。

 女ではなく、ただの後輩に戻る日まで、自分だけでこの気持ちを楽しんでいよう。

 そう思っていた。

「政治家関玲彦としての行動ってことか」

 なんとも言い難い、何処か同情するような、それでいて嗾けるような表情の井上。

「そうでもないさ。恋する男の愚かさってヤツも十分入ってる」

 そして、恋する男の卑劣さもな。

 長岡を守るため。

 そんな大義名分を掲げつつ、あわよくば……と打算を巡らし計算している俺もいる。

 長岡を守るための計算ではなく、長岡を欲しいと思う男の部分での計算を巡らせている自分が、確かにいる。

「恋する男は皆バカだよ。お前も忍足も含めて、な」

 そう言って井上は笑った。











「長岡、話があるんだ」

 昼休み、俺は長岡を呼び出した。