侑士への想いを漸く認めたとはいえ……それで何かが直ぐに変わるわけでもなかった。
一応、32年生きてきた身としてはそれなりに自分の気持ちを隠す術も持っているわけで。
まぁ……侑士も跡部も滝も鋭いから、いつばれないとも限らないけど……侑士本人にさえ気付かれなければ問題ないと思う。
跡部も滝も人の気持ちにずかずかと土足で入り込んでくるような人じゃないから。
侑士の普段どおりのスキンシップにちょっと緊張したり、私だけに向ける笑顔に嬉しくなったり……。
自分の気持ちを認めてしまえば、今まで苦痛だったことも逆に心花の材料になる。
単純だなぁと我ながら思うんだけど、それが恋する乙女ってやつだよね……なんて。
あっちにいた頃は久しく恋なんて縁がなかったから……ちょっとこの想いがくすぐったくて。
侑士に恋をしていることも、恋している自分の状態も、なんだか楽しくなってきた。
この想いが嵩じていったら……苦しくなるかもしれない。
侑士にとって私は仲間に過ぎないから、それがいつか苦しくなるときは多分来ると思う。
でも、今の関係を崩したくない。
侑士は優しいから……自分が私を友達以上に見れないことに対して気に病むかもしれない。
恋愛に関してはどこかクールというか冷淡なイメージもあるんだけど、『友達』である私に対しては、『済まない』ってそう思うかもしれない。
だから、侑士にこの気持ちを気付かれたときが、私がこの恋を捨てるとき。
気付かれそうになったら、この想いは封印する。それが、侑士と今と変わらない関係を続けていくための方法だと思うから。
なんてことを思いながら、毎日を過ごして。
あっという間に関東大会がやってきました。
氷帝はBブロックのシード。
立海はCブロックのシードで、青学がDブロックのシード。
だから、3校とも試合は2回戦から。順調に勝ち上がれば(勝ち上がるに決まってるけど)、立海と青学は準決勝で対戦して、その勝者と氷帝は対戦することになる。
立海は幸村たち去年の中等部レギュラー陣は出場しないから……青学有利かもしれないな。
青学戦は……オーダー次第で勝敗は決まると思う。
「じゃ、ドリンク作ってくるね」
ウォーミングアップを始めようとしていた跡部にそう言えば……
「迷子になるんじゃねぇぞ、長岡」
と返されてしまった。私を一体なんだと……。
「せやなぁ、彰子方向音痴やし」
侑士まで!
「方向音痴じゃないもん!」
反論するけど……
「でも、長岡、都大会でも迷子になったよね」
クスクスと笑うのは関先輩で。
「あの時は1年生皆で探しに行ったんだよな」
これも面白そうに井上先輩が言う。
う……。
事実だから反論出来ません……。
「関も井上もそれくらいにしてやりなよ」
苦笑するのは塩沢先輩で、よしよしと私を慰めるように頭を撫でてくれる。
「そうそう。長岡は方向音痴なんじゃなくて、ちょっと方向感覚が人とずれてるだけなんだから」
って、鈴置先輩! それってフォローでもなんでもないです!!
「も……いいです。ドリンク作ってきます。関先輩と井上先輩と鈴置先輩には唐辛子入りで」
いっそ乾探して乾汁貰ってきてやろうか……。
「うわ、ひどいなぁ。俺たちこんなに長岡のこと可愛がってるのに」
井上先輩が大仰にそう言って、レギュラー陣は皆笑ってる。
「さっさと行って戻って来い」
先輩たちとじゃれてるとキリがないと判断したのか跡部が苦笑混じりにそう言ってくれて、それをきっかけにドリンクを作るために水場へと行く。
水場は氷帝が試合するコートからは割と離れていて。うわ、これは急がないと。
幸いにして水場には冷水機があったからジャカジャカと7つのボトルに水を入れていく。中々貯まっていかないなぁ……。
「水は入れてやるきに、お前はドリンク作りんしゃい」
横からボトルを奪われて、独特のイントネーションに振り返れば、そこには銀狐。じゃなくて、お久しぶりなにおちゃんが立っていた。
「あ、におちゃん、久しぶりー」
「会うのはゴールデンウィーク以来じゃの」
挨拶しながらもにおちゃんはボトルに水を入れてくれていて、私は遠慮なくお言葉に甘えて水の入ったボトルからドリンク作りに取り掛かる。えっと、これは井上先輩だからポカリ薄めだな。
「今日は応援?」
まだにおちゃんはレギュラー入りしてないはずだし。
「強制的にのう。まぁ、氷帝や青学の偵察も兼ねとるんじゃがな」
自分が試合出来ないのが面白くないといった感じでにおちゃんは言う。
「来年に備えて今は我慢の時期じゃ」
来年かぁ……。うちはチョタとピヨと樺ちゃんが入学してくる。そうすればD1が揃う。
立海は赤也が入学してくるから、去年の中等部レギュラーが揃うことになる。
青学は……桃城と海堂だからそこまで気にする必要はないかな。
来年の立海は強敵そうだなぁ……。
「におちゃんたちとうちが当たっちゃうと、応援が切ないなー」
におちゃんも応援したいし、勿論うちのメンバーだって応援したいし……。
「彰子は氷帝のマネージャーじゃけぇ、氷帝を応援しんしゃい。ちゃーんと彰子が心ん中で俺のことを応援しとるんは判っとるきに」
そう言ってくれるにおちゃんの心遣いが嬉しい。
そんなふうに幸村たちの様子なんかも聞きながらドリンクを作っていたら……
「あれ、長岡さん?」
と名前を呼ばれて。顔を上げれば……正面に青学の面々がいて。声をかけて来たのは不二だった。どうやら自分たちのコートに向かうところだったみたい。
「こんにちは、不二くん、手塚くん」
その他大勢の皆さん、と言いたいのをぐっと堪えて
「大和さん、大石くん、菊丸くん、乾くん、橘くん、佐伯くん」
「青学の皆さん、の一言ですませりゃええじゃろ」
律儀? に全員の名前を言った私に横からにおちゃんが突っ込む。そうか、その手があったのか!
「これから試合?」
シードだし、うちと同じくらいから試合開始かなぁ。全試合データ取りたいんだけど……。オーダー研究して不二や手塚と宍戸が当たらないように、出来れば手塚には侑士があたるように組みたいから。
まぁ、跡部が部員何人か回してビデオ撮るって言ってたから大丈夫なんだけどね。
「いや、俺たちはまだだ。氷帝の試合を見学しようと思ってな」
手塚がそう答える。
「あら、偵察?」
「まぁ、そう言うことになるか」
「彰子、これがラストじゃ」
手塚と話をしていれば、におちゃんが最後のボトルを渡してくれる。これは宍戸のだからアクエリアス濃い目っと。
最後のドリンクを作り終えて、ボトルを軽く拭いて水気を拭ってから籠に入れる。
「いいにゃぁ、マネージャーいると。ちゃーんとドリンク作ってもらえるんだ」
ひょこっと顔を出して言ったのは猫丸。じゃなくて菊丸。青学は乾汁だもんねぇ。っていうか、皆氷帝のコートに行かないわけ?
「氷帝はBコートじゃったな。彰子のことじゃけぇ迷子になるかもしれんし、送っていっちゃる」
だから、どうして誰も彼も私が迷子になるって思うわけ!
におちゃんは籠を持ってさっさと歩き始める。慌てて追いかけると、そのあとに青学も付いてきて。先に行ってればいいのにね。ま、行き先同じだし別にいいんだけど。
「におちゃん、先輩たちの試合はいいの?」
確かうちと同じ時間帯だったはずなんだけどなぁ……。1年生3人がデータ取りに行ってるから。
「先輩たちは決勝までは負けんきに問題なしじゃ。幸村や真田も氷帝コートに行っとるはずじゃ。俺は彰子に早う会いとうてこっちに来たんじゃがな」
におちゃんの『決勝までは負けない』という発言に一瞬後ろの青学陣からイヤーな空気。準決勝であたる予定だしね……。
「あら、決勝までは、ってことはうちには負けるの?」
ヤな空気だなーと思いつつ、後ろからは何も言ってこないから取り敢えず後ろの空気はスルースルー。
「跡部と忍足、それとD1じゃったか。関・井上ペアには先輩たちは負けるかもしれんのう」
去年も関・井上ペアには負けとるようじゃし、とにおちゃんは言う。
そう言えば……去年の関東大会、氷帝は3回戦……準々決勝で立海とあたってるんだよね。結果は3-1で氷帝が負けてるんだけど、唯一勝ってたのが当時2年だった関・井上ペア。
「幸村たちが出てない今年は氷帝にとっても狙い目だけど……立海は層が厚いから油断は出来ないわね」
跡部にしてみれば、幸村や真田といった実力的に優れているメンバーが出ていない立海に勝っても満足はしないだろうなぁ。戦力的にベストになる来年、立海を下してこそ、価値のある優勝になるとか思ってそう。ま、私がそう感じるだけなんだけど。
におちゃんに対しての冷たい視線を背後から感じつつ、氷帝コートに戻れば、観客席には幸村はじめ、立海メンバーが揃ってた。真田、柳、柳生、丸井にジャッカル。目立つなぁ……。
「お帰り、長岡、仁王。……おや、手塚たちも偵察かい?」
相変わらず綺麗なお顔です、幸村さん。連日屋外でテニス三昧でしょうに全く日焼けしてなくて綺麗なお肌で……。
そう言えば、跡部も侑士も焼けないなぁ。紫外線対策とかしてるのかな。
「におちゃん、手伝ってくれてありがと。じゃ、またね」
久しぶりに会ったから幸村たちとも話はしたかったけど、これから試合スタートだしね。
コートのレギュラー陣のところへ戻り、ドリンクをクーラーボックスに入れて。スコアブック準備して。
そして、関東大会が始まった。
結局、におちゃんの予言? 通り、準決勝で青学は立海に敗退。S1の手塚・S2の橘までは回ってこないストレート負け。
うちは順調に勝ち進んでいて、決勝で立海と対戦。
D2の塩沢・鈴置ペアは負けたけど、D1の関・井上ペア、S3・宍戸、S2・侑士が勝って、跡部が出るまでもなく関東大会優勝を決めた。
そして、全国大会へと、私たちは駒を進めることになった。