心地よい空間(幸村視点)

 こちらから提案した、合同合宿や練習試合だったけれど、まさかこんなに早く合宿が実現するとは思ってなかったな。

 提案した翌日には長岡から『跡部がゴールデンウィークに合宿しようって言ってるんだけど……都合悪いよね? 悪いと言って!! こんないきなりじゃ、都合悪いに決まってるよね!』と電話が入り……。

 随分急だなとは思ったけど、快く独断で了承。

 長岡は落胆してたけどね。

 急な合同合宿で、マネージャーである長岡が忙しくなって本当は乗り気じゃないのは判りきってたけど、でも俺も合宿は願ったりだった。

 特に、長岡がマネージャーとして参加するのであればね。

 仁王も賛成だろうし、あのテニス馬鹿たちが連休中テニス三昧出来る機会を嫌がるはずもない。嫌がらせないし。

 そんなわけで、今日から合宿が跡部の別荘で始まったわけだけど……。

 長岡、面白かったな。

 彼女はとても興味深い。

「精市、楽しそうだな」

 ウォーミングアップを終えた蓮二が声をかけてくる。

「ああ、長岡が面白いからね」

「確かに興味深い存在だな」

 あの跡部が長岡に翻弄されているのが面白い。しかも、氷帝の会話から察するにあれは日常茶飯事のようだし。

「がっくん、待って! 先にテーピングするから!」

 氷帝が陣取っているベンチの側から話題の主の声がする。

「昨日の試合で足ちょっと捻ってるでしょ。念のためにテーピングしとこ」

 どうやら向日に言ってるらしい。

「おー、頼む」

 向日がベンチに座り、長岡はその前に跪いている。テーピングを施しているようだな。

「長岡がマネージャーになって約3ヶ月。随分信頼されているようだな」

 蓮二が興味深そうに長岡を見る。

 正直なところ、あの氷帝が女子マネージャーを採用するとは思っていなかった。しかも自分たちから望んで勧誘したというし。

 俺たち立海のテニス部もそうだが、氷帝のテニス部も女子生徒に異常なまでに人気がある。

 特に氷帝の場合はその学校の特性から、金持ちの子息が多いし、外見も整った連中が多い。ホスト部なんて陰で言われるくらいにね。

 その分、俺たち以上に女子生徒には迷惑を掛けられているし、失望しているはず。

 俺たちだって、健全な青少年なわけで……本当は女性に夢を持ちたいんだけど、それを悉く破壊し尽くしてくれるのがテニス部のファンの存在だ。

 跡部や忍足なんて、俺たち以上に女性に失望してると思うんだけど……その彼らをして、マネージャーにと望まれた長岡。

 しかも、跡部が揶揄われることを許容しているほどの信頼度だ。

「どうやら、俺が提示した情報も巧く利用したらしいな」

 ああ、春休みのアレか。

 2週間ほど前、仁王経由で『巧くいったらしいぜよ』と聞いてはいたが、まさか本当にファンの女子生徒と友好的にやれているなんてね。

「実質的支配者には妹のように可愛がられているらしいぞ」

「すごいね……そこまで」

 ますます興味深い。

 元々、ウチで一番女性不信度の高い仁王が連れてきたという点でも俺たちは皆長岡に興味を持ってた。

 そして、俺たちを特別視しない長岡に好意的な感情を持った。こうして合同合宿の差配を任せる程度にはね。

「幸村」

 氷帝サイドでの準備が終わったのか、長岡がこちらへやってくる。

「テーピングとか必要な人いる?」

「いや、今のところいないかな」

「そう? 柳生は大丈夫なの? さっき手首振ってたからなんか違和感ありそうなんだけど」

 ……よく見てるな。

「柳生! ちょっとこっちに」

 試しに呼んで、柳生に尋ねれば……

「ええ、少々痛みがありまして」

 と答える。

「念のためテーピングしとこうか。そのほうが安心でしょ」

 長岡はそう言って手際よく柳生の右手首をテーピングしていく。

「これでいいと思うけど、無理はしないようにね」

「ありがとうございます」

 これもマネージャーの仕事だからねと長岡は笑いながら、テープを片付ける。

「じゃあ、ちょっと全員集まってくれる?」

 そう言われて中央に備え付けられているベンチに行けば、氷帝メンバーも集まっている。

「ドリンクなんだけど……」

 そう言えば、個人のドリンクは準備してなかったな。

「ここにちょっと濃い目に、ポカリとアクエリアスとゲーターレードを準備してあります。もう1つには水が入ってるから、各自自分の好みの濃さにして飲んでね」

 と4つのウォータージャグを示す。そう言えば練習が始まる前に宍戸たちがこれを運んでたな。

「やったー! 久しぶりにポカリじゃん!」

 と向日が喜んでいて……

「いつもは違うのかよ」

 と丸井が問えば……

「部費削減とか言ってさー、長岡のヤツがスーパーで安いの買って来るんだよ」

 と向日は零している。

「お黙り、おかっぱ。年間370万違ってくるんだから我慢しなさい。成分は同じなんだから」

 370万円って……。流石氷帝だな。それだけでウチの年間予算より多い。

「水分補給は喉が渇く前にやってね。喉が渇いてからだと逆に体に負担掛かるから」

 長岡がそう注意して、それを潮に全員練習のためにコートに散っていく。

「スポーツ科学も勉強しているようだな」

 コートに向かいながら、蓮二が言う。

「みたいだな」

 氷帝のマネージャーとして、跡部たちをバックアップしたい。

 ずっと長岡はそう言ってた。

 この合宿が決まった後、俺はスケジュールやトレーニングプログラムの打ち合わせで何度も長岡や跡部と連絡を取っていたけど……そのときに跡部が言ってたな。

『長岡がいるから、今回の合宿は俺たちはトレーニングに集中できるはずだ』って。

 それは普段からマネージャーとしての長岡を見ているからこそ出てきた言葉なんだろう。

 正直、そこまで信頼出来るマネージャーがいることは羨ましい。







 休憩の声かけやボール・コーンの片付けなど、長岡は常にじっとはしていなかった。

 驚くほど全員のことを見ていて、『そろそろ水分補給してね』『一気に飲んだらダメ』などそれぞれに声をかける。勿論、氷帝メンバーだけではなく俺たちにも。

「あいつはいつも200人を超える部員を1人で見てるからな。この程度の人数ならわけもない」

 驚いている俺に跡部が言う。

「いいマネージャーを得たようだな」

「ああ、お陰で俺も随分楽だ」

 中学時代は跡部が1人で部を取り仕切っていた。

 俺の場合は弦一郎も蓮二もいたから然程大変ではなかったが、跡部には補佐役はいなかった。しかも氷帝テニス部の部員は立海の4倍もいる。

「これからの氷帝は強くなるぜ。全国は俺たちが貰う」

 自信に溢れる跡部の言葉。

「そうはいかないよ」

 笑って俺も応じる。

 これまでの氷帝高等部は……俺たちの敵ではなかった。

 しかし……跡部が率いるこれからの氷帝高等部は、確実に俺たちの好敵手となりそうだ。

「跡部、幸村ー!」

 そんなことを思って牽制しあっている俺たちの下へ長岡が駆けてくる。

「私これから夕食の準備に取り掛かるから、後よろしくね」

 既に時間は5時になっている。練習は6時まで。確かにそろそろ支度をしないといけない時間帯か。

「ああ、判った。ちゃんと食えるメシ作れよ」

「お腹すいてれば何でもおいしいでしょ。問題なし」

「自分で言うな」

 クスクスと笑う長岡。跡部も穏やかな顔をしている。それだけで2人の信頼関係が判るようだった。

「じゃ、あと頼むねー」

 長岡はそう言って別荘へと戻っていく。

「じゃあ、ラストスパート掛けるか」

 跡部の言葉に頷き、俺たちもコートへと戻った。







 初日の夕食は定番のカレーライス。それに大量の野菜サラダ。カレーライスにもふんだんに野菜が使われていた。

 中学時代から交流もあり、氷帝も立海も関係なくわいわいと賑やかに食事をする。

 長岡の隣には忍足が、正面には跡部が座り、氷帝は長岡を中心に席についている。まぁ、仁王はちゃっかり彰子の隣(忍足の逆隣)を確保してたけどね。仁王にしては随分判りやすい行動を取るものだと苦笑する。

 まぁ、仁王にしてみれば気になって仕方ないんだろうね。いつの間にか長岡と忍足は名前を呼び合ってるし。しかも呼び捨てで親密そうだから。







 食後はフリータイムを挟んで、午後9時からミーティング。

 今日のトレーニングの進行状態と明日のトレーニングを確認して、互いに気付いた点を指摘しあう。

 長岡はそれをノートPCに入力してデータや情報を整理しているようだった。

「洗濯物出してない人は明日の朝までに出しておいてね」

 長岡のその言葉を最後にミーティングは終了。

 しかし、マネージャーも大変だな。

 俺たちがフリータイムでのんびりと休んでいる間も、明日の朝食の準備や洗濯なんかで動き回ってたし。

 ミーティングが終わるとそれぞれ思い思いに自室に戻ったり、プレイルームに行ったりしている。流石は跡部の別荘で……プレイルームにはビリヤード台とダーツなんかが揃ってる。

「彰子、コーヒー飲むか?」

「うん、飲む」

 どうやら忍足と長岡はリビングへ戻るらしく、俺と仁王、蓮二も部屋に戻るには早いかと一緒に行くことにする。

 既にリビングでは大画面のテレビを前に向日と丸井がゲームをしていた。

「におちゃんたちもコーヒー飲む?」

「ああ、頼むぜよ」

「おっけー」

 と長岡がキッチンへ行こうとすれば、

「彰子は休んどき。俺が淹れてくるよって」

 と忍足が彰子を労うかのように留める。

「じゃ、お願い」

 長岡も遠慮はせずに忍足に任せて戻ってくると、ゲームをしている2人の下へ行き画面を覗いている。

「長岡もやるか?」

 丁度対戦が丸井の勝利で終わったところだったから、丸井がそう問えば

「私格ゲーは苦手だからいいや。見るだけ」

 なんて言っている。

 やがて忍足が人数分のコーヒーを持ってきて、他愛もない話をして時間を過ごす。

 不思議なものだね。

 これまで何度も合同で合宿をしているけど、こんなに穏やかに皆が集まって過ごすことなんて殆どなかったのに。

 まぁ、『部』として合宿しているわけではないというのはあるんだろうけど……。

 いつの間にか全員がリビングに集まり、思い思いのことをしながら過ごしている。

 跡部は本を読んでいるし、向日や宍戸、丸井・ジャッカルはゲームをしている。芥川は長岡の膝枕で寝てるし。

 でも、どこか暖かな、穏やかな雰囲気で時が流れている。

 尤も、仁王と忍足はお互いに牽制しあっているようだけどね。

 面白いものだね。

 氷帝の雰囲気が随分やわらかくなってる。

 多分それは、長岡の影響だろう。

 そして、俺たちですら、長岡の存在を心地よく感じているんだから。








 こうして合宿1日目の夜は穏やかに過ぎていった。