≪ふう、やっと邪魔者がいなくなりましたわね≫
≪母ちゃん、会いたかった!!≫
≪寂しかったんだよ、お母さん≫
腕の中で真朱が溜息と共に呟いて。
萌葱と撫子が顔を見上げてくる。
…………猫が…………喋ってる!?
≪ねーちゃん、母ちゃん固まってる≫
≪パパ、無理もないと思うよ≫
≪そうですわねぇ……普通猫は喋りませんもの≫
腕の中で会話する猫……。誰か説明して……。と……とりあえず落ち着こう……猫を抱っこしたまま、リビングに戻る。
≪ママ、説明致しますから、座ってくださいな≫
「う……うん」
真朱に促されるまま、ソファに座る。
≪あれは……1ヶ月くらいまえでしたかしら≫
私が座ると。3匹はやはり私の膝の上に座ったまま、私を見上げて話し始めた。
≪朝目が覚めたら、お部屋の様子が変わっておりましたの≫
≪うん、ボクたち母ちゃんの部屋で寝てたはずなのに、母ちゃんの荷物が全部なくなってたんだ≫
≪物置みたいな部屋になってたんだよ≫
≪ワタクシたちの餌入れやネコトイレはちゃんとありましたし、ママの荷物ではないタンスなんかはそのまま残っておりましたけれど、ママのお洋服やお布団、PCなんかが全部なくなってましたわ≫
確かに私の部屋には、亡き祖母が使っていたタンスなんかも置いてあった。仕事を辞めるまでは一人暮らしをしていたから、私が使っていた部屋は物置になってたから。あの部屋にあった荷物で私のものは布団とPC・PCデスクとテレビにラジカセ。それらが全てなくなっていたのだとネコたちは言う。
≪それで、おうちの中見て回ったんだけど、なんか母ちゃんがいた匂いが全然しなかったんだ≫
≪薫ちゃんに聞いても、お母さんのこと知らないっていうの。クーおばちゃんも、あずきももみじも誰のこと? っていうの≫
撫子が実家にいる犬の名前を出す。クーはもう13歳になるアメリカンビーグルで、薫はミニチュアダックスフント。あずきともみじは薫の娘。薫と撫子は殆ど姉妹のように育っているからとても仲良しで、あずきともみじは生まれたときからネコが3匹いる生活だったから、猫たちを兄と姉のように思っているらしくて、うちの犬と猫はとても仲が良かった。
≪萌葱と撫子がご近所の猫や犬に聞いても、誰もママのことを知らなかったんですの……≫
≪ボクたち3人しか、母ちゃんのこと覚えてなかったんだ≫
……こちらに来たときに悠兄さんに言われた。『長岡彰子の死若しくは存在の抹消、どちらかを選べ』と。そして私は存在の抹消を選んだのだ。だから、見事に消されているんだ。そのことにホッとする。家族に余計な悲しみを与えずに済んだことに。私はこっちの世界で生きていくしかないんだと改めて覚悟する。
そして、この目の前の3匹の仔猫は、あちらの世界で私が飼っていた3匹に間違いない。最初に飼った真朱、拾った萌葱、2匹の娘である撫子……。
「真朱たちは私のこと覚えてたんだね」
それでも忘れなかった存在がいてくれた。
≪当たり前でしょう! ワタクシたちのママなんですのよ!!≫
つぶらな瞳で猫たちが私を見上げる。そう……あっちの世界ではこの子たちが私の家族だった。両親とも妹とも折り合いがいいとは言えず、血は繋がっていても心は離れていた。特に悪い両親ではなかったし、妹も昔は仲が良かったけれど。私が仕事を辞めて実家に戻った頃から変わっていってた。私が何をしたわけでもないとは思う。そして、両親や妹が何かをしたわけでもない。ただ、同居していた子供のころ、学生時代には感じていなかった違和感を感じるようになっただけ。
独立して1人で生活する中で、自分のペースを作り出していた私。社会人として生きていく中で、それなりの厳しさなんかも味わってきていた。会社の利益の為には自分の良心を殺さなくてはいけないこともあったし、理不尽と思うことでも耐えなければならなかった。どんなにきつくても、生活する為にはそれに耐えなければならなかった。それは私だけではなく、社会人として生きている人なら誰もが経験していることで私だけが特別じゃない。だからこそ、耐えてこられたんだと思う。
だからなのか、ずっと実家でパラサイトしていた妹とは価値観が合わなくなっていた。常に実家と言う逃げ場があった妹。就職後たった半年で会社をクビになり、それからは両親の庇護のもと、僅かな生活費を入れるだけで実家に住み、遊びまわっていた妹。独立してから、両親に不要な心配を掛けたくないと……体を壊したことも、心を病みかけたことも、両親には告げていない私。妹とは、こちらに来る半年前から殆ど口を聞かなかったな……。私が避けていたわけではなく、妹が避けていた。何故かは解らないけど、何か私が気に食わなかったんだろう。
両親とは普通に接していたけれど、心は離れていた。仕事を辞めたのは、上司との折り合いが悪くて、体を壊したから。まぁ、その直前に女として最大級の屈辱的な被害を受けていたから……それで心を壊しかけていた所為もあったけど。でも何も知らない両親にしてみれば、私の退職は突然のこと。両親にはこのまま今の会社にいても先の希望がないからと言っておいたけどね。転職するならぎりぎりの年齢だったし。
両親は私を昔の私のままで見ていた。両親に逆らわない、いい子のお姉ちゃん。常に私を『お姉ちゃん』として扱い、何も心配しなくていい優等生としてみていた。私にとっては過剰な期待も持っていた。そして、両親は家族という言葉の元、私が何を考えどう思っているのか理解しようとしていなかった。親だから娘のことは解っている──そう思っているようだった。だからなのか、私は両親に弱音は全く言えなかった。誰にも……弱音なんていえなかった。
ただ、この子たちだけが、私の心を癒してくれていた。私が疲れていると側によってきて頬を舐めたり、じっと見つめてくる。弱っていると、ぴったりくっついてぬくもりをくれた。この子たちだけが、私にとっては家族だった。
≪ママ、今は幸せそうですわね≫
あちらの家族のことを考えていた私に真朱が言う。
≪あの変態眼鏡、母ちゃんのこと大事にしてるっぽいよなー≫
≪俺様野郎も、お母さんのこと、大事に思ってるみたいだったよ。私たち連れて行くときも凄く迷って選んでたもの≫
「萌葱……変態眼鏡はやめようよ……。撫子も俺様野郎じゃなくて跡部ね……。2人ともママの大事なお友達なんだから」
萌葱と撫子のあまりな言葉に苦笑するけど、この子達にも彼らの優しさは伝わっているらしい。特に真朱は私以外には本当に懐かない子で、父には多少甘えはするものの、母を見たら逃げるし妹に至っては唸るは毛を逆立てるわで完全に敵扱いしていた。その真朱でさえも、侑士と跡部は警戒していない。
≪ママが幸せならそれでいいんですの。こうしてまたママのところへ来れましたし≫
そう言う真朱。
「そういえば、真朱たちはどうやってこっちに来たの?」
あちらの世界にいるはずの猫たちが……どうして。まぁ、連れてきたのは悠兄さん以外ないか……。
「脅されまくったんだよ」
溜息と共に声がして、振り向くといつの間にやら悠兄さんが立っていた。
「ちゃんと出会えたみたいだな」
≪ええ、ご苦労でしたわね、妄想神≫
って……真朱、あなた仮にも神相手にそんな偉そうに……。
「あっちの世界でお前の存在を消した後、不具合ないかチェックしてたらこいつらの存在が引っかかったんだ」
妄想神・悠兄さんはそう言う。私に関わった全ての生物から記憶を抹消し、記録も削除したはずなのに、この子たちだけが私を忘れなかった。
「それだけ、こいつらとお前の絆が深かったってことだろうな」
そこで悠兄さんは猫たちに私がこちらの世界で生きていること、望むなら猫たちも私の元へ連れて行くことを告げたという。
猫たちは迷いもなくこちらに来ることを望み、あまつさえさっさと連れて行けとネコパンチに引っかきなどで散々急かしたのだと……。但し、本体のまま連れて行くには色々煩雑な手続きもあるらしく(神様の世界にも色々な申請書とか手続きとかあるらしい)、魂だけをこの世界に連れてきたというわけだ。
そして、この子達は私と交流の出来るはずの跡部宅のネコとして生まれてきた。
≪跡部景吾ったら、萌葱だけ連れて行こうとしたんですのよ!≫
不満たっぷりに真朱が言う。確かに、萌葱が一番人懐っこいし……
≪だから、慌てて私と真朱ママもしがみついたの。連れて行けーって≫
そういえば跡部が3匹がまとわりついて離れなかったと言ってたっけ……。
「そうだったんだ。また真朱と萌葱と撫子と一緒に暮らせるんだね」
とても嬉しい。あちらの世界に未練はないけど、この子達だけが気がかりだったから。
≪これからもずっとママと一緒ですわ!≫
≪ずーっと母ちゃんと一緒!≫
≪お母さんを守るのは私たちだからね≫
3匹がしがみつくように擦り寄ってくる。
「うん、3匹ともママの大事な子供だよ」
その後、悠兄さんは入学に必要な書類を書いてくれて、入学金と制服その他備品の明細を持って帰っていった。
「ネコたちが話し出来るのは今夜だけだ。明日目が覚めたら普通の猫になる」
最後にそう言って。
「じゃあ、今日はいっぱいお喋りしようね」
3匹を連れてベッドに入り、おしゃべりをする。
猫たちの賑やかな声を聞き、いつの間にか眠りについていた。
≪これから人間語喋れるように練習しますわ≫
真朱のそんな言葉を聞きながら……。