エピローグ 花嫁の父は泣いている
それから数年後。
ゴーベール王国の王宮では、エティエンヌ王子とロクサンヌ・ジュヴェの結婚式が執り行われていた。
王宮の大聖堂には、王族と貴族たちが集まり、二人の門出を祝福していた。
祭壇の前に立つエティエンヌは、いつになく緊張していた。隣に立つロクサンヌは、純白のドレスに身を包み、花嫁らしい美しさで微笑んでいる。
エティエンヌは、彼女を見つめた。
――ああ。
――本当に、今日という日が来たのだ。
幼いころ、初めて出会った日。5歳のとき、恋をしているのに恋ではないと思い込んだ日。7歳のとき、彼女が震える声で未来の話をしてくれた日。そして、二人で未来を変えようと約束した日。
その全てが、今日に繋がっている。
「……ロクサンヌ」
「はい、エティエンヌ様」
「今日の君は、世界で一番美しい」
ロクサンヌは、頬を赤く染めた。
「……殿下。皆様が見ていらっしゃいますわ」
「構わないよ。本当のことだから」
そのやり取りを聞いていた参列者たちは、微笑ましそうに笑った。
但し、一人だけ、全く笑っていない人物がいた。ロクサンヌの父である。
「……ううっ」
彼は、ハンカチで目元を押さえていた。
「とうとう……とうとう、娘が嫁に行ってしまう……!」
「あなた、しっかりなさいませ」
妻が、呆れたように声をかけた。
「しっかりなど、出来るものか! あの小さかったロクサンヌが! 私の腕の中で眠っていたロクサンヌが! もう嫁に行ってしまうのだぞ!」
「あなたが3歳の殿下に向かって、娘を抱きしめるのは早いとおっしゃっていたころから、いつかはこうなると解っていたでしょう?」
「解っていても、嫌なものは嫌なのだ!」
父親は、とうとう号泣した。その姿を見て、ロクサンヌの3人の兄たちは苦笑した。自分たちだって可愛い妹が嫁に行くのは寂しい。しかし、ああも父が大仰に騒いでいるのを見ると、せめて自分たちだけは妹を奪われる悲しみは表に出さずに大人の対応をしようと思った。妹が幸せそうに笑っているのが嬉しいのは本当なのだし。
一方、遠慮なくが笑い出した者たちもいる。ロクサンヌの義姉になったエティエンヌの姉たちだ。
「小公爵ったら、相変わらずですわね!」
「ロクサンヌ、困ったことがあったら、いつでもわたくしたちに言うのよ!」
「そうですわ! エティエンヌ、ロクサンヌを泣かせるんじゃなくてよ!」
嫁いでいたエティエンヌの姉たちは、久しぶりに義妹と会えたことが嬉しくて堪らない様子だった。
あれこれと声をかけ、花嫁のドレスを褒め、涙を流す花嫁の父親を揶揄い、すっかり賑やかになっている。
「……皆様、少しお静かに」
ジュヴェ公爵が、咳払いをした。しかし、その目元も赤くなっていた。
「ロクサンヌ。お前が幸せになることが、何より大切なのだ」
「お祖父様……」
「エティエンヌ殿下。どうか、孫をよろしくお願いいたします」
「勿論です、ジュヴェ公爵」
エティエンヌは、深く頭を下げた。
「私は、ロクサンヌを幸せにします」
ジュヴェ公爵は、満足げに頷いた。そして、次の瞬間。
「それと、私はひ孫を見るまでは死なんぞ!」
「お祖父様!」
ロクサンヌが真っ赤になった。エティエンヌも、思わず咳き込んだ。参列者たちは、どっと笑った。
「お父様、少しはお控えくださいませ!」
「何を言う! 私は公爵家の繁栄を願っているのだ!」
「お祖父様、まだ結婚式の最中ですわ!」
「解っておる! だからこそ、今のうちに宣言しておるのだ!」
ロクサンヌは、顔を覆った。
エティエンヌは、そんな彼女を見て、そっと微笑んだ。
「……賑やかだね」
「……申し訳ございません、殿下」
「いいや。私は、こういうところも好きだよ」
彼は、ロクサンヌの手を握った。
「君が、こんなにも愛されて育ったことが嬉しい」
ロクサンヌは、彼を見上げた。
「……エティエンヌ様」
「これからは、私も君をたくさん愛するよ」
ロクサンヌの目に、涙が浮かんだ。けれど、それは悲しい涙ではなかった。
彼女は、微笑んだ。
「……はい。わたくしも、殿下をたくさん愛しますわ」
結婚式のあと。
二人は、王宮の庭園を訪れた。
幼いころ、初めて出会った場所。恋をしているのに、花が舞わないから恋ではないと思い込んだ場所。そして、二人で未来を変えようと約束した場所。
エティエンヌは、ロクサンヌの手を取った。
「覚えているかい?」
「ええ。勿論ですわ」
「君は、私に恋をしていないと言ったんだ」
「……もう、そのお話はおしまいですわ!」
ロクサンヌが頬を膨らませる。
エティエンヌは、楽しそうに笑った。
「ごめん、ごめん。でも、私はあの日からずっと、君に恋をしているよ」
「……わたくしもですわ」
エティエンヌは、そっと指先を動かした。
桜色の花びらが舞い上がる。青い花びらが、その周りを巡る。
二人の間を、花が踊るように舞っていた。
「……綺麗」
ロクサンヌは、微笑んだ。
「ええ。とても綺麗ですわ」
けれど、花が舞うから幸せなのではない。花が咲くから、愛し合っているのでもない。互いを想い、互いを信じ、何度も相手を選び続けた。その積み重ねが、二人の恋を育てたのだ。
エティエンヌは、ロクサンヌの手の甲に口づけた。
「愛しているよ、ロクサンヌ」
「わたくしも、愛しておりますわ。エティエンヌ様」
桜色の花と青い花が、二人の周りを舞い続けた。
こうして、恋の花は咲いた。
誰かが決めた物語の中ではなく。二人が、自分たちの意思で選んだ未来の中に。