その他

遥けき空の彼方〈未完放置〉

幼馴染

「悧曄、約束の本を持ってきましたよ」

ニコニコといつもと変わらぬ笑顔でやってきたのは悠舜である。その後ろには当然のように黎深もいる。

「いらっしゃいませ、悠舜様、黎深様」

悧曄は2人を出迎える。既に悧曄は2人に口調や態度を取り繕ったりしていない。何せ、頻繁に出入りするのだ。猫を被っていてもすぐばれてしまう。

というよりも、1回目の訪問でばっちり黎深には見破られた。

「何ぶりっ子してんだ? 気持ち悪い」

出迎えに出た悧曄に黎深はそうのたまったのだ(即座に悠舜と鳳珠にぶん殴られていたが)。

悠舜は『なんて言い方をするんです! もう少し言葉を考えなさい』と怒ったが、発言の内容については異を唱えなかった。つまり、悠舜も悧曄の口調と態度に違和感を抱いていたわけである。

そんなわけで、悠舜と黎深には素の態度で接している悧曄だった。

「難しいと思いますから、判らないところがあれば聞いてくださいね」

そう言いながら悠舜が差し出したのは、兼ねてから悧曄が読みたがっていた建国の物語だった。

「ありがとうございます!」

ニコニコと嬉しそうに悧曄は礼を言う。

建国神話は子供向けのものであれば読んだが、あくまでも子供が理解しやすいお伽話化したダイジェスト版だ。しかも魔物とかお姫様とかヒーローとか出てきて、史実とは結構異なっている部分も多い。

今回悠舜が持ってきてくれたのは、きちんとした史官が編纂した史書である。官吏や官吏を目指す学生が読むものであり、当然文体も難しい。

とはいえ、元の世界では史記や漢書・隋書・唐書なども資料として読んでいたし、書き下し文とはいえ漢文を読むのに比べれば楽なはずだった。

「お勉強は進んでいますか?」

「はい、少しずつ……」

悠舜の問いにはそう答えたものの、実は思ったよりも進んでいない。

そのことに悧曄は少しばかり焦りも感じていた。

ここでもネックになっているのは幼児であることだ。何しろ体力がない。

夜はもう食後には眠くなる。大体戌の刻(午後8時)ごろだ。

それに日中も昼寝が欠かせない。1刻(約2時間)は昼寝させられる。

起きている時間をずっと本を読んだりしていたいところだが、ずっと部屋に篭っているのはよくないと半刻くらいは庭の散策もする。

それに悧曄が意図した勉強とは別の勉強もあった。

悧曄は鳳珠の養女だ。鳳珠は直系ではないとはいえ、黄姓を名乗ることが出来る、それなりにいい家の若様であ――つまり、悧曄は『姫様』となる。

故に貴族の姫としての教育もあるわけである。即ち礼儀作法・歌舞音曲である。

礼儀作法は日本では社会人として恥ずかしくない程度のものは身に着けていたが、何しろ世界が違うので位置から覚えなくてはいけない。現代日本にはほぼなくなっている身分制度がきっちりしている世界である。

歌舞音曲については、二胡、琵琶、琴を学んでいる。しかし音階などが全く違うからこれも0からのスタートだ。舞に関しても同様。

本当は姫君教育なんてどうでもいい悧曄だが、「鳳珠様の娘として恥ずかしくないように」なんて言われてしまうと拒否も出来ない。自分だけならまだしも、自分が何も出来なければ養父である鳳珠が恥をかくことになる。

というわけで、悧曄が『政治』に関しての勉強に使える時間は予想していた時間の3分の1程度でしかなかった。

それに――どこまでどれくらい勉強すればいいのか、どの程度理解できているのかがはっきりしないのだ。問題集やテストがあるわけでもない。

そんなことを考えていた悧曄に、鳳珠と悠舜はこっそり溜息をつく。

思うように勉強が進まず悧曄が焦っていることを鳳珠はちゃんと感じ取っていた。しかし悧曄はそれを鳳珠に気づかれまいとしている。

そこでどうしたらよいだろうと悠舜に相談し。

悠舜としても子供の扱いは判らず。

ああでもないこうでもないと相談して、「周りが大人ばかりだからいけないのかも」という結論に達したわけである。

大人には気を遣う悧曄。子供同士であれば気楽に何でも話したり出来るのではないか。

しかし、黄邸に他に子供はいない。

「うちにガキならいるぞ」

子供をどこで見つけようと再び相談していたときにそう言ったのは、天上天下唯我独尊絶対友人なんて思いたくねぇ百歩譲って知人だ痴人! と鳳珠が思っている紅黎深だった。

そう――実は悧曄とそう変わらない時期に黎深も子供を拾っている。それが李絳攸、推定10歳。

推定5歳程度離れているが、男女と言う違いはあるが。確かに子供同士には違いない。しかもどちらも拾われて養子になっていると言う共通項がある。

というわけで2人を会わせてみようということになったのだ。

「悧曄、来い」

それまでパタパタと無言で扇を煽いでいた黎深がいきなり悧曄の腕を掴む。

「え……?」

呆気にとられる悧曄に説明したのは悠舜である。

「黎深の家にね、子供がいるんです。でも周りは大人しかいないので、友達になって欲しいそうなんですよ」

「お友達……ですか?」

悧曄の為にといえば、この子供の癖に気を遣う子供はまた遠慮しかねない。なので、あくまでも『黎深の子供の友達になってやってくれ』ということにしたのだ。これならば悧曄も遠慮はせず、逆に引き受けざるを得ないだろう。

大切な父の大切なお友達の頼みならば、悧曄はどんなことでも聞こうとする。

「判りました」

案の定、悧曄はそう返事をする。

「黎深、夕餉までには返すんだぞ」

むっつりと不機嫌な表情で鳳珠が言う。

(鳳珠様はついてきて下さらないの……?)

と不安になった悧曄だったが、黎深の家ということは当然黎深夫人もいるわけで、振られた女性が他人の妻になっている姿は見たくないのだろうと思いなおす。それに鳳珠の性格からすれば自分が辛いという以上に振った黎深夫人に気を遣わせるのがイヤなのだろうと思った。

「では、行ってまいります」

悧曄がそういうや、黎深はとっとと歩き出す。しかし子供の扱いなんてしったこっちゃねー、そもそも他人に気を遣うなんて有り得な~いな黎深は、自分(成人男子)と悧曄(5歳児)の歩幅の差など考えてもいない為、悧曄は半ば引きずられるようにして連れて行かれたのである。

 

 

 

 

 

辿り着いた紅家は黄家にもまして広大な且つ豪奢な邸宅だった。

(さすが……彩七家第2位の格式を誇る紅家だわ……)

黎深に相変わらず引きずられながら邸内に入ると……

スパコーン

何処からか小気味のいい音がした。

見ると、黎深の数歩前に閉じた扇が落ちており、黎深は不機嫌そうに後頭部を撫でている。

「黎深ッ!! 君ってヤツは!! 今度は何処から攫ってきたんだ」

声に振り返れば、見た目は楚々とした可憐な美女が腰に手を当て、プリプリと怒っていた。

「…………百合…………」

地を這うような声で呟き、黎深は目の前の妻を睨む。が、百合は普通ならすくみ上がってあらざることないこと全て白状してしまいそうな黎深の視線を平然と受け流している。

(この方が百合様……。鳳珠様を振った方)

想像していた方とはかなり違いそうだ。普通名家の夫人は夫に扇を後頭部へ投げつけたりはしないだろう(しかも音からして渾身の力が入っていると見た)し、こんな言葉遣いもしないはずだ。

「あ……あの! わたくし、黄鳳珠の養い子で悧曄と申します。黎深様のお子様の遊び相手として、参りました」

『攫ってきた』なんて物騒な誤解を早く解かなければと、悧曄は慌てて自己紹介する。

「鳳珠さんの……?」

百合は悧曄に近づくと、しゃがみこんで悧曄の目線に高さを合わせる。

「黎深に無理矢理連れて来られたわけじゃないんだね?」

「はい、(いきなりでしたけど)自分でついて参りました(引きずられてたけど)」

「そうか……」

そう呟いて、百合は目の前の子供を見る。

鳳珠の養女……そういえば、一緒にお汁粉屋に行ったときに、そういう話題が出ていた。とても利発で可愛い娘なのだと鳳珠は言っていた。結構鳳珠さん親馬鹿なのかもと微笑ましく思ったことを思い出す。

確かに利発そうだ。自分の発言の誤解を解こうと、とっさに自己紹介した。しかもこれくらいの年齢の子供とは思えないくらい確りした言葉遣いで。

それに可愛いのも間違いない。桜色をした頬に目はパッチリとしているし、唇もふっくらとしている。10年後には飛び切りの美少女になっていそうだ。

「じゃ、絳攸の遊び相手をお願いしようかな。絳攸はお勉強やお手伝いばかりであまり遊ばないからね」

こっちだよ、と百合に手を引かれて歩き出す。流石に百合は子供の扱いに慣れていて、歩調もちゃんと悧曄に合わせてくれる。

そして……

「絳攸、今日から君のお友達になってくれる悧曄ちゃんだよ」

生涯に渡って理解者となってくれる、李絳攸との出会いだった。

 

 

 

 

 

絳攸と引き合わされた後、百合は家人に呼ばれて何処かへ行ってしまい、妙な沈黙が2人の間に落ちた。

目の前の少年は悧曄よりも頭2つ分ほど背が高く、見上げなければならない。

絳攸といえば、突然連れて来られた『遊び相手』(しかも年下の女の子)に思いっきり戸惑っていた。

(遊び相手って……まさか、また黎深様何処からか無理矢理連れてきたんじゃ……)

百合と同じことを考えている絳攸。

拾われた直後は『黎深様は優しくて親切ないい人』というとんでもない誤解をしていたが、今では黎深の天上天下唯我独尊(兄と姪に対してだけ例外)ぶりを知っている。

「えっと……ボクの遊び相手……?」

「はい。……あの、座ってもらっていいですか? 見上げてると首痛いので」

悧曄に言われて絳攸はハタと気づく。呆然として、見下ろしたままだった。これでは幼児は怖いだろう(でも怖がってる発言じゃなかった)。

「ああ、ごめんね」

絳攸はそう言うと悧曄を抱き上げて椅子に座らせ、自分も向かいの椅子に腰掛けた。

「はじめまして、絳攸様。私は黎深様のお友達の、黄奇人の養女で悧曄と申します」

現在鳳珠は公には『黄奇人』と名乗っている。あまりに『奇人変人』といわれる為、『だったらそれを名前にしてやる』と開き直ったらしい。

それを聞いたとき悧曄は呆れたものだが、確かに鳳珠は変わった考えをするところがあるから何もいわなかった。『黄変人』としなかっただけマシと諦めたのだ。

「ボクは黎深様の養い子の李絳攸です。…………黎深様に無理矢理連れて来られたわけじゃないよね」

これまた百合と同じことを聞いてくる絳攸に悧曄は苦笑する。

黎深の変人ぶりは悧曄もとっくに承知していることだ。

しかし、妻と子供にこうまで言われるとは……黎深の過去の所業がいかに悪かったのかを想像するに十分だった。

因みに現在だって有害指定済み黎深に変わりはないのだが、悧曄はとりあえず今のところ実害がないので気にしていない。

「はい、自分で来ました。私も周りが大人ばかりでちょっと寂しかったので……」

嘘である。

外見は5歳とはいえ、中身は30歳+α。しかも、現代日本にいたときもあまり友達を作るほうではなく、狭く深くといった付き合いの友人が若干名いた程度だ。

「でも……遊び相手といわれても、ボク殆ど遊ばないしなぁ」

「さっき百合様が絳攸様はお勉強ばかりっておっしゃってましたけど……」

お勉強やお手伝いばかり……といっていた。あまり自分と変わらない気がする。

「絳攸でいいよ。ボクも悧曄って呼ぶから。養い子同士だし、様とかつけなくていいよ」

「じゃあ、絳攸……。勉強って何をしてるの?」

「将来、黎深様のお役に立ちたいからね、官吏になろうと思って。国試の勉強をしてるんだ」

今では黎深がとんでもない人物と知ってはいるが、それでも自分を拾ってくれた恩人であり、『李絳攸』と名づけてくれた人だ。黎深が拾ってくれたおかげで、絳攸は死の危険を回避できたし、こうして何不自由なく生きていけるようになった。

一癖どころか1兆癖くらいある黎深ではあるが、百合と2人で絳攸に『家族』を作ってくれた。

だから、言葉では言い表せないほど感謝しているのだ。

「官吏……かぁ」

目標とするにはいいかもしれない、悧曄はそう思う。

「私もね、ほう……お父様のお役に立ちたいから、お勉強してるの。でも、難しいから……絳攸と一緒にお勉強してもいい?」

多分女性は国試を受けられない。

これまで読んだ書物には女性の政治家は出てこない。

現代日本だって、女性の政治参加が認められてからまだ60年程度だ。

中国や日本の歴史を見ても女性武人の記述はあっても女性政治家の記述は少ない。そして数少ない女性政治家は官吏から政治家になったのではなく、王や将軍の配偶者が、言い方は悪いが『政治に口を出した』と認識されているものが殆どだ。女性武人だって平時にいたわけではなく、乱世ゆえに出てきた存在が殆どだ(一部娘子軍などの例外もあるが)。

それでも、国試の勉強をすることは役に立つはずだと悧曄は思った。何より、目安が出来る。

「そう? じゃあ、一緒に勉強しようか」

お人形遊びして……などといわれなくてよかったと絳攸はほっとしたのだった。

 

 

 

 

 

それから、悧曄は週に何度か紅家貴陽別邸にて絳攸と勉強するようになった。

黄邸とどちらでやるか悧曄も絳攸も迷ったのだが、絳攸がいては鳳珠が帰ってきたときに仮面をとって寛ぐことも出来なくなるだろうし、万一絳攸がその美貌にショックを受けてしまったらと思うと紅邸のほうが無難だということになったのである。

それに木蓮や芙蓉曰く、黎深夫人は上流の名家出身とか。それならば貴婦人としての立ち居振る舞いに身近で接することは姫君の為にもよいだろうと判断したのだ。

というわけで、今日も悧曄は絳攸と勉強をしていた。

「お前の父上は……その、家でもあの仮面をつけているの?」

休憩をしているときに、鳳珠の仮面の話になった。

「あー……私の前では取ってるよ。仮面つけてるなんてイヤだから、とってくださいってお願いしたの」

まぁ、あの美貌を隠すには確かに仮面は有効だろう。仮面をつけて以来、変人だとは言われても、鳳珠を見て気絶したり自失したり、人生踏み外したりする人はいなくなった。今では鳳珠の美貌よりも黎深の傍若無人唯我独尊俺様主義の為に人生踏み外させられる者のほうが多いという。

「でも何で仮面なんて……。黎深様は『飛んでるカラスも気を失って落ちてくるほどの顔』っておっしゃってたけど……」

黎深の喩えに悧曄は苦笑する。言い得て妙だ。

「確かに……お顔の所為で随分ご苦労なさったみたい。まぁ、今は変人扱いされてるけど……それでも仮面をつける前よりはマシだっておっしゃってたわ」

絳攸は鳳珠が仮面をつけてからしか知らないので、鳳珠が美貌の持ち主であることを知らない。

それに普通、顔を隠すのは醜いもの……例えば傷跡などを隠す為の場合が多いわけで、絳攸も仮面で隠さなければならないほどの醜悪なご面相なのかと幼心に同情した。

悧曄がいた世界であれば、蘭陵王の例もあるから『どっちだろう?』と考えたかもしれないが、少なくともこれまで読んだ伝承や御伽噺に蘭陵王のような話はない。

「最初に仮面をつけたのは百合姉様と逢引なさったときなんですって。黎深様がくださったそうよ」

悧曄は黎深夫人のことを百合姉様と呼ぶ。おば様というには若いし、百合様と呼んだら百合が嫌がったのだ。

(逢引というと……あのときか)

と絳攸は会試後に百合が出かけていたことを思い出す。あの時は慌てたものだ。

「お勉強は進んでる?」

そこへ、話題の主の1人でもある百合がおやつを持ってやってきた。

「姉さま、休憩してたんです」

だから一緒にお話しましょうと悧曄は百合を誘う。百合はさっぱりした気性で悧曄としても付き合いやすく、好きだった。しかも『その顔の隣で奥さんなんてやってられません』なんてカッコイイ台詞で鳳珠を振った人だ。

「今、百合様と悧曄の父上の話をしていたんです」

絳攸はそう百合に説明する。

「どうして仮面をつけてらっしゃるんだろうと言ったら、最初につけたのが百合様との逢引のときで、それも黎深様が贈った仮面だったとかで……」

絳攸の言葉に百合は呆然。何処から手に入れた仮面なんだろうと思いはしたが、まさかあの馬鹿が関わっていたとは。そういえばあの時みかん仮面もいた……。

「……悧曄、ごめんね……。うちの馬鹿が……」

あんなものを贈ったせいで、今も鳳珠は仮面をつけている。なんとなく娘である悧曄に申し訳ない気がした。

「いいえ、私も家人も黎深様には感謝してるんです」

しかし、悧曄は百合と絳攸が思ってもみなかったことを言う。2人はその言葉に目を丸くする。

「あの仮面のおかげで変人扱いはされても、お父様は正面な官吏生活が送れているんですもの。お顔のせいで正当に実力を評価してもらえなかったお父様にしてみれば、変人だが能吏といわれている今のほうが充実して満足していらっしゃいますわ」

とても10歳に満たない幼子の言葉とは思えない。

「いい子だね、悧曄は……」

父思いの悧曄に百合はホロリと来る。

「そうだ、悧曄。将来は絳攸のお嫁さんにならない? 悧曄なら私も嬉しいな」

「なっ……百合様っ!!」

突然の百合の言葉に絳攸は動揺しまくる。

絳攸の妻になるということは漏れなく舅として黎深がついてくるわけで。

黎深は珍しく悧曄を気に入っているし、悧曄も黎深を怖がったりせず父の大事な友人であり幼馴染の義父として慕っている。だったら、将来絳攸のお嫁さんになってくれれば万々歳じゃないか。百合はそう思ったのだ。

「黎深も君ならいいって言うと思うんだよね」

ニコニコという百合に悧曄は苦笑する。

「お父様が絶対反対なさいますよ」

「――だよね」

百合は深く溜息をついたのであった。

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