その他

遥けき空の彼方〈未完放置〉

宮城にて

何とか書き上げた手紙、差し入れの食料(米・野菜と干した肉や魚)、それからお土産のお饅頭を持って、悧曄は祥祐と一緒に王宮へと向かった。

「……そういえば、お屋敷から出るのって初めてかも……」

軒に揺られながら、悧曄が呟く。

「そういえばそうですねぇ。まぁ普通の姫君ならドコでもそうですよ」

応じるのは同乗している祥祐だ。

本来家人である祥祐は軒に乗る身分ではなく歩きで従うものなのだが、悧曄の「非効率だわ。祥祐が陪乗すれば、その分軒は速く進めるのよ」という言によって、同乗することになった。

とはいえ、車内ではなく、あくまでも御者台だが。

因みに悧曄は前簾の切れ目から顔を出して祥祐と話をしている。全くもって姫君としてはあるまじき行動ではあった。

「姫君なんてつまらない」

自分は屋敷内ではかなり自由に好き勝手にしているし、それを許してもらっているほうだと思う。

厨房で料理を手伝ったり、お掃除したり。

尤も小さな体では役に立つことはあまりなく、寧ろ今では邪魔しないことを中心にしているくらいではあるが。

「他の姫君に比べたら随分自由気ままなんだろうとは思うけど」

あちらの世界の、昔の貴族の姫君のように、恐らくこちらの貴族の娘は殆どが外に出ずに暮らすのだろうと想像がついた。

そんなことを思いつつ街の様子を見回せば、どことなく道行く人の表情は暗く、活気に乏しい。

鳳珠が言っていた『藍姓官吏の中央撤退』『第二公子の追放』という2つの政治的事件が影響を及ぼしているのだろう。

庶民が詳しい事情を知る由もない。しかし、日々を生きる庶民は敏感なのだ。何かが起ころうとしていること、それを理屈ではなく肌で感じ取っているのだろう。

(国を支える官吏……かぁ)

民衆の為、国の為に官吏になろうとしている鳳珠。その彼の許に自分が来た意味はなんなのだろう。

この異世界トリップに意味があるのかは判らない。けれど、意味があるから死なずにこの世界に来たのだと思いたかった。

自分には20世紀日本とその周辺諸国の一般的な知識はある。政治にあまり興味はなく、ニュースや新聞で見る程度。

首相のメールマガジンも、小泉元首相の『らいおんはーと』の際に登録したが、読んだのは初めのうちだけ。後はざっと見るだけになり、安倍前首相になってからは即ゴミ箱行きだった。

とはいえ、歴史小説を読むことも多く、大学時代は平安女流文学を専攻、背景となる政治についても現代政治よりは知識がある。特にここ1年ほどは次の作品の準備の為に漢代から晋・唐・宋代にかけての史書を中心に読んでいたから、かなり今現在の状況には役に立つはずだ。

まぁ、実際のところ、悧曄はまだ見た目は5歳児に過ぎないから、役に立つ日・使いこなせる日までは随分あることにはなるが。

「鳳珠様、お友達出来たかしら……」

人嫌いとまではいかなくても、人付き合いが不得手そうな鳳珠だ。あの美貌の所為で人付き合いでは苦労して、かなり人に気を遣うようになっている。

実際黄邸でも、直に顔を合わせるのは家令の祥祐と侍女頭の尚香くらいなもので、他のものに対するときは念のために扇で顔を隠したりしている。長い髪を結わないのも、さらさらしすぎて結えないという理由とあわせて、少しでも顔を隠す為だったりする。

「どうでしょう。でも、この半月ずっと宿舎にいらっしゃるわけですし、危惧していたような状況にはなっていないと思いますよ」

「そうよね。そう願いたいわ」

そう応じる悧曄に祥祐は苦笑する。時折この姫は保護者のような物言いをする。

「つきましたよ」

祥祐の言葉に顔を上げると、いつの間にか王城についていた。

(紫禁城と言うよりは御所っぽいなぁ)

中華風のど派手な建物を想像していたが、そうではなかった。

「黄州より入寮した黄鳳珠の家の者です。主に差し入れを持ってまいりました」

祥祐が門衛にそう告げると、一瞬門衛は遠い目をしたあと、通してくれた。

このときの門衛の表情を悧曄も祥祐も例の美貌の所為だと解釈したのだが、実はもっと凄いことになっているのだと、後に知ることになる。

悧曄は軒から降り、食料は門衛に預けて、お土産のお饅頭だけを祥祐に持たせて門衛に教えられた宿舎へ向かっていた。

「13号棟ね……」

門衛に教えられたとおりに歩いているのだが、どんどん人気がなくなり、かなりはずれのほうに来ている。

「姫様……アレのようです」

祥祐が指した先には廃屋があった。

「……お化け屋敷……?」

2人の顔が引きつった。

まさか、鳳珠様……隔離されてる?

――その通りだった。

だが、原因は彼自身ではなく、彼の生まれて初めての『友人』だったのだが。

 

 

 

 

 

「ごめんください……」

悧曄は恐る恐る入り口で声をかける。

手は確りと祥祐の服を握っている。実は悧曄は怖がりなのだ。お化け屋敷なんて入ることすら出来ないくらいに。

「客人……?」

声に顔を上げた悧曄は、そのまま気を失いかけた。

(昼間なのに……幽霊出たぁ……)

半泣きになり、目の前の幽霊を見る。――いや、足がある。これは生者……のはず。そう思い必死に意識を保つ。

「何子供脅かしてんだよ、文仲」

と、そこにもう1人。ドコの破落戸かと思う、無頼漢といった感じの男だった。

「あ……あの……」

こういうタイプもこれまで縁がなかったので、これまた後ずさってしまう悧曄である。

それに気づいたのか、破落戸――管飛翔――はしゃがみこんで、目線を悧曄に合わせてくれる。

その行為によって悧曄も緊張が解ける。

(いい人だわ……。私ったら失礼な態度とっちゃった……)

「し……しつれいいたしました。わたくし、黄鳳珠のいえのものです。めんかいにまいりました」

5歳児を意識して少々舌っ足らずな口調で告げる。

普段の話し方では子供っぽくないので、家の外ではそうすることにしているのだ。

「鳳珠なら、今、洗濯してるぜ」

――洗濯?

あまりに似合わない。

だが、ここでは自炊もするわけだし、当然洗濯も自分でやるしかないだろう。

「ありがとうございます。……えっと、おなまえ、うかがえますか?」

「ああ、俺は管飛翔で、こっちは姜文仲だ」

破落戸もどきはそう言い、先ほどの幽霊男も紹介してくれる。

「ひしょーさまとぶんちゅーさまですね。わたくしは りようともうします」

大切な義父の未来の同僚だからと丁寧に挨拶をする。

きちんと挨拶をした上で、悧曄は鳳珠がいるはずの洗濯場へ行くことにした。

しかし、王城は広い。しかも13号棟はかなり王宮のはずれにあり、他の宿舎からも離れている。それは水場からも離れていると言うことで……。

つまり、悧曄は迷子になったと言うわけだ。

「もう……着いてもいい頃よねぇ」

きょろきょろと周りを見渡すが、それらしい場所はない。

それどころか明らかに政庁っぽい場所に出てしまい、悧曄は非常に困ってしまった。

政庁――つまり、政治の中心部なわけで、そんなところに幼児がいていいはずがない。

(鳳珠様にご迷惑おかけしちゃう……)

そう思った悧曄は出来るだけ話の判りそうな人に道を訊こうと木の陰に隠れた。

下手に警備の兵士にでも見つかれば大変なことになってしまうかもしれない。

「何故こんなところに女童がおる」

突然背後から声をかけられ、悧曄は飛び上がらんばかりに驚いた。

振り向くと見事なひげを蓄えた50歳くらいの壮年の男が立っている。身形からしてかなり身分は高そうだ。

「も……申し訳ありません。会試を受けに来た父に届け物をしに来たのですが、あまりに広くて迷子になってしまって……」

幼児口調に取り繕うことも忘れて悧曄は応える。

「ほう……」

男はじっと悧曄を見る。

「そなた――異なる世界から来たようだな」

男は悧曄を見据え、言う。

「……お解かりになるんですか!?」

ずばりと言われ、悧曄は誤魔化すことなく問い返した。

「儂には判る。他の者が気付くことはなかろうがな」

(縹家あたりには判るかもしれんがのう)

男はそう思いつつ、目の前の子供を見る。

明らかに纏う気がこの国のものではない。

「そう……ですか……。確かに私はこことは違う世界で生きていた記憶があります。――恐らくその世界での私が死の間際に願ったことが原因ではないかと思っています」

あちらの自分――『中津川麻幸己』が本当に死んだのかは判らない。けれど、覚えている限り、自分は死を感じていた。

「そうであったか。――悪しき力が働いたようにも思えぬし、そなたからも感じられぬ」

まぁ、放置しておいても問題はなかろう。男はそう判断した。

「あの……私は元の世界に戻れるのでしょうか」

「判らん」

きっぱりと男は言う。

いきなり自分の異世界トリップを見抜いた人物ゆえに少々期待してしまった悧曄は項垂れる。

――別に還りたいわけではない。けれど、還りたくないわけでもない。

ただ、あちらには30数年間で築いてきたものがある。

愛する人、愛してくれる人がいる。

戻れるか戻れないか、それだけでも判れば――そう思ったのだ。

「儂も知らぬ力が働いておるようだからな。こればかりは判らんとしか言えぬ」

「いいえ、詮無いことを伺って申し訳ありませんでした」

悧曄は気を遣ってくれたらしい男に詫びる。

「そなた、元の世界では幼児ではなかったようだな」

口調も態度も。

「はい……25歳くらいは若返っているようです」

「ふむ……とすれば、戻れぬ可能性が高そうだな」

「……やはり、そうですか……」

若返っていた――元の世界の自分のままではないから、そうではないかと予想はしていた。

「これも何かの縁だ。何かあれば力になろう。儂の名は霄ヨウセン。この国の宰相だ」

――彩八仙の1人、紫霄との出会いだった。

 

 

 

 

 

その後、悧曄は霄宰相に道を教えてもらい、水場に辿り着くことが出来た。

「悧曄? 何故ここに」

突然現れた養い子に鳳珠は眼を丸くする。

「そろそろ、色々不足する頃だと思ってお届けに参りました」

「そうか、態々すまなかったな」

鳳珠は養い子の訪れを喜んだ。

何しろ人付き合いに馴れていない為に、共同生活は気が張る。

幸い知り合った数名は鳳珠の美貌を見ても大事には至らず(多少の混乱はあったが)、州試のときのようにはなっていない。

とはいえ、後に『悪夢の国試組』と言われる受験者たちである。とにかく灰汁が強い。

鳳珠は顔と声以外は真っ当な好青年なので、結構胃に来るのだ。

特に……某二大貴族の当主の行動が。

故に悧曄が来たことはとても鳳珠を喜ばせた。

「悧曄、私の友人を紹介しよう。鄭悠舜だ」

どこか友人と言う言葉を誇らしげに言う鳳珠に悧曄は顔を綻ばせる。

「まぁ、ご友人が……」

と、保護者モードに入ってしまう悧曄。

目の前に立つ、鄭悠舜を見ると、穏やかそうな笑みを湛えた青年だった。足が悪いのか杖をついている。

(ルヴァ様……)

某恋愛シュミレーションゲームの地の守護聖を思い出す悧曄である。

頭がよくて、知識欲旺盛で、世俗と女性に疎くて、一緒にいると(ゲームだが)ほんわかしてしまうキャラクターだ。

悠舜から受ける印象はそんな感じだった。

「悠舜、私の養い子の悧曄だ」

これも誇らしげに紹介する鳳珠に、今度は悠舜が笑みをこぼす。

そして、無視されている青年が1人。

やたらと偉そうに、悧曄を見下ろしている。

「鳳珠様、こちらの方は?」

「……………………単なる同期受験者の紅黎深だ」

ムスっと答える鳳珠。

多大どころではない被害を受けているだけに、鳳珠としては可愛い娘に紹介などしたくなかったのだ。

が、保護者モードに入っている悧曄はこれまた微笑ましく感じていた。

口ではこういっているが、鳳珠が彼に気を許していることが見て取れた。

「ゆうしゅんさま、れいしんさま。ほうじゅさまがおせわになっております。ほうじゅさまはひとになれていらっしゃらないので、おてすうをかけることもあるかとぞんじますが、なにとぞよろしくおひきまわしくださいませ」

口調だけは幼児バージョンだが使っている言葉と内容は完璧保護者の悧曄だった。

 

 

 

 

 

悧曄が帰った後、鳳珠は悧曄に渡された手紙をいそいそと開いた。

帰り際に渡されたのだ。恥ずかしいから自分が帰ってから読んでほしいと。

悧曄が文字の練習をしていることは知っていたが、もう手紙が書けるほどになっているとは。

やはり、悧曄は賢いと密かに得意になる鳳珠である。

そして、開いた手紙の最初にあった言葉に鳳珠は嬉しさのあまり涙しかけた。

そう、書き出しは『お父さまへ』。

お名前が上手に書けなかったので、お父さまとお呼びすることをお許しください そう書いてあったが、悧曄を娘と思っている鳳珠には嬉しいことこの上もなかった。

内容は鳳珠の身を気遣うことばかりで、家のことは祥祐と尚香とともに確りと守っているから心配しないでください、鳳珠様は絶対合格できるから、気を楽にして試験に臨んでくださいますよう、といったものだった。

可愛い娘からの初めての手紙は、後々まで大切に鳳珠は保管していたのであった。

 

 

 

 

 

鳳珠にとって重大な転機となる事件が起こったのはその翌日。

後の黎深夫人・百合姫と出会い、彼女に恋をしたのだった。

 

 

 

 

 

探花で見事に及第し、黄邸に戻ってきた鳳珠。

悧曄たちは早速お祝いの宴を催した。

黄州では唯一の及第者となってしまった鳳珠だったが、会試では例年より少ないものの、その分少数精鋭と言えるメンバーが及第した。

それに、今回及第者が少なかったのはどうやら鳳珠だけが原因ではなく、彼以上に被害を与えまくった人物がいたらしい。その名を紅黎深。

ともあれ、黄邸の者たちは皆、自慢の若様の実力が正当に評価されたことを喜んだ。

そして、それ以上に喜んだのは鳳珠に想い人が出来たことだった。

恐らく初めての恋に舞い上がり、不器用ながらも懸命な主を皆心から応援したのである。

――それが南ボラボラ鳥仮面だろうと、身請合戦だろうと。

 

 

 

 

 

だから――。

『その顔の隣で奥さんなんてやってられません』という理由で振られてしまったとき。

鳳珠が顔を隠すようになったことに誰も何も言えなかったのである。

またしても顔の為に深い傷を負うかにみえた鳳珠だったが、百合姫の結婚相手が黎深だったこと、そして顔を理由にすることで敢えて自分に思い切らせようとする百合の優しさを感じたかもしれなかった。(尤もその手紙は黎深の捏造だったが、鳳珠は知る由もない)

 

 

 

 

 

しかし――

一番の大きな理由は、身近にとても愛しい存在があったことだろう。

そう、愛娘・悧曄がいたから。

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