姫様って何!?
茫然自失していた麻幸己が連れてこられたのはとっても大きなお屋敷だった。
が……呆然としていた麻幸己はそれを認識できず、自分を拾ってくれた鳳珠の言うままに、部屋に入り、寝台に潜り込んだ。
(これは夢よ……目が覚めれば、いつもの世界……)
そう念じながら、麻幸己は眼を閉じる。
しかし、一向に眠りは訪れてくれない……はずだった。
そう、麻幸己は確り眠りに落ちていったのだ。
流石に体は推定5歳だから、麻幸己の感じた精神的な負担が諸に体に出て、麻幸己は深い眠りの淵に落ちたというわけである。
翌朝眼が覚めると、鳳珠は居なかった。
麻幸己としては目が覚めたら元の世界に居ることを願っていたが、願い叶わず、相変わらず体は小さく、自分にとっての異世界にいた。
元の世界では小説家をしていた麻幸己である。
そして、不思議な、所謂超常現象にも興味があったし、ネットサーフィンして2次創作や夢小説を読んでいたから、直ぐに『異世界トリップ』という言葉を思い至った。
そうしたとき、数名の侍女らしい女性たちが部屋に入ってきた。
彼女たちは麻幸己の世話をしてくれるらしく、麻幸己はあれよあれよという間にお姫様のような格好をさせられていた。
そして、侍女たちからこの場所――この国――と鳳珠のことを聞いたのである。
ここは、彩雲国という国でセン華という王が現在の玉座の主であり、この王が即位するまでには様々なことがあったらしい。
しかし、この王は英明な君主で、王の即位以来、彩雲国はよい方向に行っているのだとか。
そして、この国の創世神話には『彩八仙』と呼ばれる仙人が登場し、それに肖り名門大貴族は『彩七家』といわれるのだという。
八家じゃないのかと不思議に思ったが、王家である紫家を除くから七家なのだといわれ、漸く納得できた。
彩七家とは、藍家、紅家、碧家、黄家、白家、黒家、茶家の七家であり、その中でも藍・紅両家が最も力を持つという。
「え……じゃあ、鳳珠……様はその黄家の……?」
麻幸己は呟く。
侍女たちは自分たちが齎すかなりの量の情報を余すところなく吸収していく麻幸己に驚いていた。見た目は……幼い少女なのだから。
そして、更に侍女たちは麻幸己を拾った張本人である鳳珠についても教えてくれた。
黄家の直系御曹司であること、この冬に行われる会試を受験する為に都である貴陽にやって来たこと。会試の前に行われた州試では、黄州の首席であったことなど。
「私、そんな大変な身分の方に拾われたのね……」
貴族なんて……麻幸己のいた世界には既に居ないのだ。正確には麻幸己のいた日本には、だが。
これはラッキーなのか、アンラッキーなのか判らない。
「姫様は聡くていらっしゃいますこと」
侍女にそう言われて麻幸己はそれが自分のことだとは一瞬判らなかった。
姫ってなにー!?
そう思ったものの、一応この邸の主らしい鳳珠が拾ってきて、まだ名乗ってもいないから侍女たちはそう言ったのだろうと想像がついた。
「私の名前は……」
名乗ろうとした麻幸己だったが、ハッと気づき、口を噤む。
彩雲国なんて国は麻幸己の世界の歴史において存在しないから、ここは異世界であることは間違いなさそうだ。
部屋の中の調度類、侍女たちの衣服から、ここが麻幸己の世界での唐代の中国に似ていることに気づいていた。
尤も、麻幸己の世界で言う科挙に相当する国試が既に殿試まであるということは、元の世界で言えば宋代に相当するだろうが、中央王朝としては唐のあとが宋だから、さほどの違いはないだろう。
しかし、問題は名前である。
中津川麻幸己……なんて名前はこちらでは異様に違いない。
昨夜はあまりの現実離れした出来事(鳳珠のありえない美貌も含む)に自失していたから、鳳珠に名を問われたときも、名乗ってはいない。
(中華っぽい名前考えるかな……)
麻幸己はそう判断した。
それにしても……と麻幸己は思う。
名前も持たない自分。突然主が連れてきた小汚い娘に何故こうも彼女たちは親切なのだろうと不思議だった。
「あの……私のこと、怪しいとか思わないんですか?」
だから率直に麻幸己は侍女たちに聞いた。
幸い今の姿は推定5歳。子供というのは思ったことを率直に口に出しても許される生き物である。
「流石にご主人様が昨夜貴方を連れてきたときには驚きましたけれど」
そう言って侍女――名を木蓮というらしい――は笑う。
「でも、ご主人様が積極的に人とかかわりを持とうとなさるのはよいことですわ。それが姫様のような子供でも」
そう言ったのはもう1人の侍女・芙蓉だった。芙蓉は木蓮よりも年嵩で、芙蓉は20代後半、木蓮は20代前半というところだろう。
「もしかして、鳳珠様は人嫌い……?」
「嫌いというわけではないのですけれど……姫様もごらんになられましたでしょう?鳳珠様の美貌……」
そういわれて麻幸己は頷く。
あの美貌は女性であれば『傾国の美女』だろう。美形なんて見慣れていた麻幸己ですら、一瞬意識が遠のきかけたほどだ。
聞けば……鳳珠はあの美貌故に故郷である黄州から出ることになったのだという。
鳳珠のあまりに異質な美貌に、黄州は混乱していたとか……。
黄家当主が「このままでは黄州は滅びてしまう」と鳳珠に泣きつき、貴陽にきたのだとか……。
これが鳳珠の顔を見る前に聞いたのであれば、「そんな馬鹿な話あるかよ」と思っただろうが……顔を確りと見ている麻幸己は妙に納得してしまった。
美貌だけならまだしも、声まで破壊的な美声なのも災いした。美貌なんてものは眼を瞑って見なきゃいいのだが、交流を持とうとすれば声は聞かなければならない。
声を聞かないように交流を持とうとすれば、後は筆談くらいしか手段はなく、そうすると美貌が眼に入るだろう……。
あの美貌と美声ゆえに、鳳珠に相対した者はまさに茫然自失でまともな対応など出来ず……結果、鳳珠と向き合える者は極近しい血縁と少数の変わり者だけとなるのだという。
それでは鳳珠自身、まともな人間関係など築きようもなく、結果人嫌いに近くなっているのだ。
「ですから、ご主人様が姫様を連れて来られた時は驚きましたわ」
若干興奮気味に木蓮が言う。
「そうですわね。ご主人様が姫様を抱いてお連れになって、今日からここに住まわせると仰るなんて……」
鳳珠が自分から積極的に人と関わりを持とうとするなんて……と芙蓉は目をうるませている。
『私が拾ったのだから、私が育てる』
貴陽の黄家邸を取りまとめる侍女頭が自分の家族で養育しようと提案したとき、鳳珠はそうも言ったのだという。
その言葉に侍女頭(実は木蓮の母)は驚き、かつ喜んだ。人との関わりを避けていた鳳珠がたとえ子供相手であろうとも進んで関係を結ぼうとするなんて……と。
そして、その驚きと喜びは貴陽の黄家邸家人共通のものだった。
幼い少女とはいえ得体の知れない浮浪児だ。
そんな子供を主人が育てるといえば普通は反対する。
だが、皆反対しなかった。それが鳳珠の……黄家家人が密かに誇りにしている若主人の望みなのだからと。
鳳珠の希望を容れた家人一同は侍女の中でも最も洗練され教養の高い芙蓉と木蓮を幼女付とし、幼女を姫と呼ぶことに決めたのだった。
自分が眠っている間に、自分の処遇が決まってしまっていることに麻幸己は納得の行かないものを感じたが、それも仕方ないかと思うことにした。
ここでの自分はどう見ても子供だ。1人で生きていくなんて相当難しい。
これがあと10歳くらい年をとっていれば、いざとなれば体で稼ぐことも出来るだろうし、そうしなくても職を探すことも出来るだろうが、如何せん幼すぎる。
おまけに麻幸己にはこの世界の基礎知識がない。
だとすれば、とりあえずここは鳳珠たちの好意に甘え、ある程度この世界に慣れてから、身の処し方を考えればいい。
そして改めて鳳珠をはじめとする黄家の皆さんの恩に報いる方法を考えればいいだろう。
(私がこの世界に来たのには、何か意味がある……んじゃないかな……)
異世界トリップなんて、創作の世界だけのことだろうと思っていたのに……。
だが、現実にこうして麻幸己は見知らぬ世界に5歳になって存在している。
ありえないはずのことが起こるということは、何かの意味があると思いたかった。
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