「オスカー様、わたし、オスカー様のことが好きなんです」
「……俺に惚れちゃいけないって言っただろ? お嬢ちゃんはまだ恋に恋してるだけだ。そのうちお嬢ちゃんにもっと相応しい相手が現れるさ」
「いや……!」
アンジェリークは飛び起きた。体がじっとりと汗ばんでいる。
「夢……」
ほっとしたようにアンジェリークは息をつくと、膝を抱いて溜息をついた。
なぜ今ごろ、あの頃の夢を見たのだろう……とっくに忘れたと、忘れられたと思っていたのに。
自分の時間では1年経つか経たないかという僅かな過去。自分は現補佐官で親友でもあるロザリアと共に女王候補として聖地に召致された。そして飛空都市に赴きあの美しい大陸を育てた。
女王試験……随分昔のことのような気がする。自分が、あの人に恋をしたことも。そして、失恋してしまったことも。
彼の特別な女性になりたかった。本気で好きだった。彼に認めて欲しくて、素敵な女性になりたくて、精一杯女王試験を頑張った。けれど、彼は自分の恋を認めてくれなかった。子どもの憧れなのだと、恋に恋してるだけだと、一笑に付されてしまった。
自分の想いを受け止めてくれた上で想いに応えられないと言われるのならまだ諦めもつく。けれど、彼は想いを認めてすらくれなかった。
彼に認めて欲しくて頑張っていた女王試験で、自分に想いを寄せてくれた人もいた。告白されて驚いて、ちょっと嬉しくて誇らしくて、でも、自分の心には彼が住んでいたから、応えることは出来ないとはっきり告げた。
『このわたしを拒絶するのだから、立派な女王となれ。誰かの想いを受け入れ、わたしの誇りを傷つけるな』
半分脅しみたいにそんなことを言われもした。
因果応報ってこういうことをいうのかしら? それとも彼の呪い?
そのときのことを思い出してアンジェリークはくすりと笑った。
いいえ、違う。わたしに彼を振り向かせるだけの魅力がなかっただけ……。あの子と違って……。
ここは『次元の狭間』にある大陸アルカディア。
不思議な霧によってアンジェリークをはじめロザリア、守護聖、前回の試験の教官・協力者が連れてこられた世界。
遥か未来から救いを求めて時空移動してきた大陸には『何か』が封じられている。
その『何か』の封印を解く為に大陸のエネルギーを活性化させようと育成を進めているのはもう1つの宇宙の女王アンジェリーク・コレット。
アンジェリークはそのサポート役を担っている。彼女が育成に専念できるように、大陸の環境を整え、次元の狭間の収縮を抑え……。
そうして、ここに連れて来られて1ヶ月あまりが経過していた。
「陛下? お目覚めですの?」
頼もしい補佐官が扉を開けて入ってくる。
「おはよう、ロザリア」
「あら、顔色がよくありませんわね。お疲れなのでは?」
アンジェリークの顔を見るなりロザリアが言う。この親友は自分のこと以上にアンジェリークのことを大事にしている。アンジェリークが自分の世界全てだと言って憚らない。些細なアンジェリークの変化も見逃すことがない。
「大体、今回の事件は陛下に負担が大きすぎますわ。この大陸を維持しながら、なおかつ次元の狭間の収縮を抑えなくてはならないのですもの。それなのに、あの子ときたら……!」
アンジェリークの側近くに仕え、彼女の務めを見守っているロザリアにしてみれば、憤懣やるかたないといった事態なのだろう。
「ロザリア、そんなふうに言わないの。あの子だってよくやってるわ」
「そうでしょうか。幸福度が一度も目安に届いていないのに?」
陛下はあの子に甘すぎます、と言外に言っている。
「現に昨日だって育成せずにオスカーとデートしていたじゃありませんか」
怒りのままにそう言ったロザリアははっとしたようにアンジェリークを見る。
「アンジェリーク……ごめんなさい」
「やぁね……もうとっくに過去のことになってるわよ。気にしないで」
ロザリアの表情の変化を見たアンジェリークは、安心させるように笑った。
ロザリアは知っている。自分がどれほどオスカーに恋していたか。そして、どんなに傷ついたか。だから心配をかけたくない。彼があの子の許に足繁く通っていることに傷ついていることを知られてはいけない。未だに彼に想いを残していることを知られてはいけない。
「さ、ロザリア、今日も頑張ってお仕事しましょ?」
だから、明るく言って、ロザリアを促した。
ロザリアと共に朝食を採り、アンジェリークは執務室へ向かった。どんなに夢見が悪くて気分が優れないにしても、宇宙を安定させておくのが自分の役目であり、今はこの大陸を維持しなければならない。それは自分にしか出来ない務めだった。
「失礼いたします、陛下、補佐官様」
王立研究院主任研究員のエルンストが昨日現在のデータを持って報告に来る。
「どう? エレミアの幸福度は?」
「はぁ……それが……」
エルンストはらしくもなく歯切れのよくない口調で言葉を濁す。
「その様子だと上手く行ってないのね……」
エルンストの表情から育成が必ずしも順調でないことを読み取ってアンジェリークは溜息混じりに言った。
「はい、陛下。昨日現在での育成地の幸福度は僅かに403です。本来であれば2週間前に達していなければならない数値です」
まるで自分の落ち度であるかのように表情を曇らせてエルンストは報告する。残された時間はあと90日である。本来であれば今日の育成を終えた段階で1000の幸福度になっていなければならない。
育成を任されているのはもう1人の女王、アンジェリーク・コレットである。彼女には『目安』と伝えてあるが、実際はぎりぎりのラインなのだ。115日間で6000以上の幸福度へ導く為の。
「困ったものね。あの子にも……」
明らかに呆れ、かつ憤慨した口調でロザリアが言う。これならば自分が育成したほうが早い。女王の補佐の片手間に育成したとしてももう少しましな結果が出るだろう。
「ロザリア、あの子も戸惑ってるだけよ。もう少しすれば、きっと調子も出てくるわ」
ロザリアを宥めるようにアンジェリークは言う。
「陛下は甘過ぎます! 仮にもあの子だって宇宙の女王ですのよ! それなのにこんなお粗末な結果しか出せていないのは明らかに不適格としかいえませんでしょう!?」
これが『女王試験』ならば大目に見よう。超個性派揃いの守護聖たちと信頼関係を築くだけでも相当な労力を要するから。けれど、そんなことは、女王試験とその後の2回の危機(皇帝レヴィアスの来襲と謎の黒い力)の際に済ませているはずではないか。初めから守護聖も教官・協力者たちもコレットには友好的な態度で接しているではないか、女王への敬意と共に。
しかし、このお粗末としか言いようのない育成によってその敬意も薄れつつある。顕著なのはジュリアス、ルヴァ、エルンストといった直接この事態の解明に携わっているメンバーだった。それのみならず、コレットの補佐官で親友でもあるレイチェルも事態を憂えており、毎日執務室に顔を出しては謝っている。なのに本人は幾人かと毎日のようにデートして遊びまわっているのだ。
「そ……それよりエルンスト? 例の件はどうだった?」
アンジェリークがコレットを庇えば庇うほどロザリアは怒り出す。アンジェリークの負担を思って。だからアンジェリークは話題を変えることにした。
「はい。まだ断言は出来ませんが……。予想どおりと言ってよろしいかと」
この大陸が存在している宇宙の特定作業をエルンストは行っていた。調査の結果、ある1つの仮定に達している。ここはコレットの治める宇宙であること。しかしそれは現在の宇宙ではなく――コレットの宇宙には漸く類人猿が誕生した程度で、まだ文明は存在しないから――遥か未来から時空移動してきた大陸であること。
今はその仮定を裏付ける為の調査を行っていた。
「だとしたら、やっぱり、あの子こそが率先して動かなくてはならないのではありませんこと」
またも憤慨したようにロザリアが言う。突き放していってしまえば、自分たちには関係のないことではないか。本来ならその未来の女王が片付けなければならない厄介事を自分たちに押し付けているのだ。百歩譲ったとしても、それはこの宇宙の初代女王のコレットとレイチェルが負うべき問題で、自分たちは関係のないことではないか。
「ロザリア……そんなこと言わないの。レヴィアスの事件のときにはわたしたちも彼女に助けてもらったじゃない」
「確かに。でも、結局戦って陛下をお救いしたのは守護聖方ですわ。あの子は陛下の代わりに過ぎませんでしたでしょ。それに背負っているものが違います」
すっぱりとアンジェリークの擁護を切り捨てる。確かにあのときコレットは自分の宇宙から出て、戦ってくれた。だが、あの頃のコレットの宇宙は聖地から移植された植物以外は何もない、生命は何も誕生していない宇宙だった。だが、アンジェリークが治める宇宙は違う。女王や守護聖が不在の間にいったいどうなってしまうのか。
「大丈夫よ。わたしが導いてきた宇宙はちょっとやそっとじゃびくともしないわ」
ロザリアの不安も分かる。だが、アンジェリークには自信があった。自分たちが育てたエリューシオンとフェリシアが中心となって繁栄している宇宙。これまで守護聖たちと支えてきた宇宙は生命力に満ち溢れている。自分たちが多少不在でも崩壊するようなことはありえない。
「でも……本当に時空移動してきたとなると、事態は深刻ね。はっきり裏付けが取れたらあの子にも伝えて注意を喚起しましょう。それでいいわね、ロザリア、エルンスト?」
にっこりと微笑み、けれど『否』と言わせぬ女王の口調でアンジェリークは言った。
「はぁ~い、陛下。ご機嫌はいかがかなぁ~?」
「あ~、失礼いたしますね」
エルンストが出て行くのと入れ替わりにルヴァとオリヴィエがやって来た。毎日、必ず守護聖の誰かが顔を出す。コレットの予定はレイチェルを通じて各守護聖・教官・協力者たちに知らされているから、用のない謂わば『暇な』守護聖たちがやって来るのだ。だが、勿論暇潰しにやって来るのではない。この事件に際して最も負担の大きいアンジェリークを気遣ってのことだった。
「んふふふふ~。とっても美味しいお菓子を見付けたんだ。お茶しようよ」
オリヴィエは『天使の広場』の喫茶店のケーキの箱を持っている。
心得たとばかりにロザリアがお茶の準備を始め、アンジェリークがテーブルをセッティングする。
暫し和やかなお茶会。穏やかな雰囲気が場を満たす。
「あ~、そういえば、面白い言い伝えを聞きましてね。ここには色んな独特のお祭りがあるらしいんですよ」
流石に知識を司るルヴァは、色々な情報を集めていた。
「雪祈祭というのがあるらしいんですよ。何でも、アルカディアでは自分たちを守ってくれる天使の羽根が雪となって降ると信じられてましてね。ここの住人たちは天使への感謝の気持ちを込めて雪に祈りを捧げるんですよ。雪祈祭では1年の健康と幸せを祈って、天使の羽根の代わりに白鳥の羽根をまくんだそうですよー。天使の羽根は幸せを運んでくると信じられているんです」
「へぇ、なかなかロマンチックじゃない。いつごろなのさ」
「あ~、もうそろそろのはずですね。確か、次の金の曜日ではなかったかと思いますけど」
「じゃあ、その日はわたしが雪を降らせるわね、がんばってるアルカディアの民の為に。うふ、ロマンチック~。そうだ、ロザリア、その日はリュミエールとデートなさいよ」
アンジェリークが親友に話を振る。女王試験終盤からロザリアがリュミエールに恋し、アンジェリークはそれを応援してきた。2人が結ばれたのはレヴィアスの事件の後。親友の辛い恋を知っていたロザリアは罪悪感を感じたのだが、アンジェリークは我がこと以上に喜んだ。
「そんな、陛下……。こんなときに」
「こんなときだからこそよ。たまには息抜きなさいな、ロザリア。……わたしの分までロマンチックな気分に浸って楽しんで、ね?」
「そうだよ、ロザリア。たまにはリュミちゃんも構ってあげなきゃ。大丈夫、陛下のお守りはわたしがちゃんとしてあげるから」
「……判りましたわ。お言葉に甘えさせていただきます、陛下」
本当ならアンジェリークもこんなイベントを彼と楽しみたかっただろう。けれど、それは不可能なことなのだ。だから、代わりにロザリアだけにでも……そう願うアンジェリークが痛ましかった。
「さ、今日はお天気もいいことだし、少しお庭を散歩でもしてきたら? 少しは陽の光を浴びないとね」
気分を変える為にも、ロザリアはアンジェリークにそう言った。
ロザリアに薦められるままに、アンジェリークは庭園の散歩に出かけた。お目付け役というか、話し相手にオリヴィエも一緒だ。
「ねぇ、オリヴィエ。天使の広場に行かない?」
ロザリアは女王宮の敷地内であればOKと言ったのだが、それではつまらない。悪戯っ子の表情でアンジェリークはオリヴィエに提案する。
「う~ん……ま、いっか。1人じゃないしね」
アンジェリークにはとことん甘いオリヴィエである。それにボディガードとしてはオリヴィエは文句なしの人物だった。単なるボディガードなら一番の適任は精神の教官であるヴィクトールだが、ボディガード兼エスコート役兼お目付け役ならばオリヴィエが適任である。
「うふ。だからオリヴィエって好き~」
妹が兄に甘えるようにアンジェリークはオリヴィエの腕に自分のそれを絡ませた。そんなアンジェリークにオリヴィエは優しく微笑んだ。
「では、参りましょうか、お姫様」
天使の広場は賑やかだった。ここに来るのは初めてのアンジェリークはとても楽しそうだった。
(いい気分転換になったみたいだね。よかった……)
アンジェリークの顔色があまりよくないことには気づいていた。何か思うことがあるのだろう。だから、アンジェリークのおねだりに応えて連れて来たのだ。
2人で露店のおじさんおばさんたちと話をしたり、ウインドーショッピングをしたりと、楽しい時間を過ごす。だが、アンジェリークにとってのそんな楽しい時間も長くは続かなかった。
「オリヴィエ……もう、十分楽しんだわ。帰りましょう」
それまで笑顔で花を見ていたアンジェリークが、表情を強張らせる。声も僅かながら震えている。
「どうし……」
訊ねようとしたオリヴィエも、アンジェリークが何を見たのか気がついた。花屋のウインドウに1組のカップルの仲睦まじげな姿が映っていたのだ。一際背が高く、鮮やかな緋色の髪をした青年と、彼に甘えるように寄り添っている少女……。幸いあちらはまだ2人に気づいていないようだったが。
「そうだね、あんまり長居してると、ロザリアにお小言食らっちゃうもんね」
そう言うとオリヴィエは彼らに見つからぬようにアンジェリークを連れて天使の広場を後にした。
宮殿には帰らず、オリヴィエはアンジェリークを私邸へと連れて行った。散歩に出る前よりも表情が暗くなって、顔色も悪くなっている。このまま帰せるわけがなかった。
「もう……吹っ切れたと思っていたの……」
オリヴィエの淹れてくれたココアのカップを包み込むように持ったまま、アンジェリークは呟いた。
それからぽつぽつと語るアンジェリークの言葉をオリヴィエは何も言わずに聞いていた。
アンジェリークが勇気を振り絞ってオスカーに想いを告げたのは女王試験も中盤を過ぎた頃だった。
育成は互角で、自分とロザリアのどちらが女王になるかは未だ分からない状態。ただ、既に親友と呼べるまでに信頼し合っていた2人はどちらが女王になってももう1人を補佐官に指名することを約束し合ってもいた。
そんな中でアンジェリークは自分が苦しいほどオスカーに恋していることに気づき、ロザリアも知っていた。ロザリアの見るところ、オスカーもアンジェリークに女王候補への好意以上のものを持っているようだったし、親友が幸福になれるなら、とアンジェリークの恋を応援していた。ロザリアに励まされ、また気持ちに区切りをつけたかったアンジェリークは思い切って告白することにしたのだ。
駄目で元々……そう思いながらも日頃のオスカーの態度から淡い期待も持っていた。けれど、それは無残に打ち砕かれた。
『それは恋じゃないと思うぜ。お嬢ちゃんは恋に恋してるだけだ』
オスカーはそう言って、アンジェリークの想いを否定したのだ。
子どもだから相手にされないというならまだいい。対象外だと言われるなら。だから想いに応えられないというのなら……。
けれどオスカーは自分の想いを認めてくれなかった。自分がこれまでにどれほどオスカーを想って眠れない夜を過ごしたか、どんなに緊張して執務室を訪ねていたのか、そんなことも知らないで、オスカーはアンジェリークの想いを恋ではないと断定したのだ。
自分が子どもだから? だからオスカー様は恋なんてするはずがないと思っているの?
アンジェリークにとってオスカーは初恋ではない。聖地に召喚され女王候補になる前には恋人と呼べる人もいたのだ。尤も初めての関係はギクシャクしたもので半年ももたずに別れてしまったけれど。でも、恋は知っている。そしてそれが必ずしもいつも同じではないことも。オスカーへの想いはかつてのものよりもずっと切なくて、苦しくて、激しいものだったのだ。
オスカーはアンジェリークを振った後も、変わらない態度で接してくれた。彼の思いやりかもしれない。けれど、アンジェリークはそれが辛かった。
苦しくて、悲しくて、毎晩泣いた。一生分の涙を使い果たしてしまったのではないかと思うくらい。
そして、漸く涙が止まったとき。アンジェリークはそれでもオスカーに恋していることに気づいた。
見込みのない恋……。今の自分では、オスカーには相手にしてもらえない。だったら、オスカーが真剣に応えざるを得ないような大人の女性になればいい。
一番手っ取り早いのは女王試験だった。女王になって、宇宙を支えることが出来ればオスカーだって自分を子どもだとは思わなくなるだろう。
勿論、アンジェリークが女王になる決意をしたのはオスカーを振り返らせる為だけではなかった。オスカーに振られて落ち込んでいたとき、随分エリューシオンの民の姿に励まされたのだ。頑張っている民たちが愛しくて、彼らの思いに応えたいと思ったのも事実だった。
そしてアンジェリークは女王になった。自分が人々の為に出来ることがあるという喜びは大きかった。不純な動機から女王になったけれど、なって良かったとアンジェリークは思っていた。そして、母のような気持ちで宇宙を見つめている自分がいることにも気づいた。
けれど……。やはり恋の痛みは依然として残っていた。忘れていただけで……。
旧宇宙に誕生した宇宙の卵。そしてその為に行われた女王試験。召喚された2人の女王候補。自分と同じ名前を持つ女王候補が、アンジェリークに再び痛みを与えた。
彼があの子とデートしている、彼があの子と森の湖に行った、夜の庭園を散歩していた……情報はいくらでも入ってきた。そして、彼があの子の名を呼んでいた……。自分は一度も呼ばれたことのない名前……。
その頃から、眠るのに薬の力を必要とするようになった。酒も飲むようになった。眠る為に。
苦しくて、苦しくて、1日も早く女王試験が終わることを祈っていた。
結局彼女は女王になった。告白したともされたとも、振ったとも振られたとも聞かなかった。女王試験も終わり彼女たちが新宇宙に旅立った後は、いつもどおりの日常に戻った。オスカーも。
なんでもなかったのだと安堵する一方、何らかの信頼や深い愛情があるのではないかと思いもした。そしてそんな疑いを持っている自分に愕然とした。自分の心の中にこんな卑しい、暗い所があるなんて。
だから、レヴィアスが襲来したとき……。これは自分が招いたことのなのだという思いがあった。こんな黒い心を持った女王が治めているから厄災を招いてしまったのだと……。
守護聖たちを、宇宙を救う為にもう1人の女王に助けを求めた。女王として、それが最善と判断したから。
けれど、そのことによって心の闇は大きくなった。彼とあの子が一緒に旅をしているのだ……。自分を、宇宙を救う為だと判ってはいても、苦しくて堪らなかった。
宇宙は救われ、彼女は自分の宇宙へと戻っていった。けれどそれからも時々彼女は聖地へやって来た。そんなときは最低限にしか会わなかった。アンジェリークの苦しみを知っているロザリアが、そんな風にセッティングしてくれた。
そして……今回の事件が起こったのだ。
「やだ……涙なんて……もう涸れたと思ってたのに……」
話しながら、いつのまにか涙が溢れていた。
「……こんな女王で、失望したでしょ……」
「馬鹿。女王ったって生身の女の子じゃない。……恋ってのはさ、綺麗なもんばっかじゃないもんね。嫉妬とか、醜いものもいっぱいある。人が人を想う気持ちってのは、綺麗事じゃないからね……。どうしたって、自分の心の中の醜いものと向き合わなきゃいけなくなる。あんたは逃げずに頑張ってるよ……。だけど、溜め込んじゃ駄目。わたしでよければいくらでも聞いてあげるから、ね?」
オリヴィエはそっとアンジェリークを抱きしめた。
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「ようこそ、新宇宙の女王陛下よ。今日はわたしから、貴女が導く育成地について、お話しするわ。では、オスカー」
「はい。ご報告申し上げます。現在の幸福度は……403。順調に育成が進んでいるとは、言い難い状況です」
初めての定期審査だった。定期審査にはコレットへの敬意が一番高い人物が同席することになっていた。当然、今回の審査ではオスカーが呼ばれていた。これはオスカーの敬意が高いというよりも他のメンバーの敬意が低いといったほうが正解だが……。
敬意の高い人物から励まされることによって一層やる気も起こるだろうとの配慮からこのように決定していたのだが、今のアンジェリークには辛いことだった。
育成が上手く進んでいないことを、それによって悲しがるコレットを労わるような優しい視線を、オスカーは彼女に向けている。とても大切なものを愛おしむような目で……。
「そう……。でも、まだ時間はあるわ。貴女だったら、大丈夫。頑張ってね」
本当にそうだろうか? けれど、今は彼女の力を信じるしかなかった。
コレットが退出すると、当然ながらそこにはアンジェリークとオスカーが残ることになった。息苦しい……。早くオスカーに退出を促したかった。けれど、伝えなければならないことがある。女王として……。
「オスカー、貴方はこの状況をどう思って?」
声が震えないように、アンジェリークはぎゅっと手を握り締めて言った。オスカーと2人っきりで話すのは、あれ以来初めてのことだった。女王候補だったときには育成依頼の為に話すこともあったが、ほんの二言三言で済ませていた。会話といえるようなものではなかった。用件伝達のみだったのだから。
「あの子は……本当にやり遂げることが出来るのかしら」
「陛下ご自身が言われたではありませんか。まだ時間はあると。大丈夫でしょう」
優しい、自信に満ちた笑みを浮かべ、オスカーは言う。それは重圧に耐えているであろうアンジェリークを安心させようとしての笑みだった。けれど、アンジェリークにはオスカーがコレットを信頼しているゆえの笑みだと感じた。
「確かに、言ったわ。余計なプレッシャーを与えない為にね……。でも、状況は深刻だわ……。あの子、育成をちゃんとやってない……。だから、守護聖たちの敬意は下がる一方だわ、貴方を除いては。他の人の目には、あの子は遊び回っているように見えているの、貴方と……」
これは嫉妬が言わせている言葉ではない、女王として、守護聖と後輩女王に注意を喚起しているだけだ……そう思ってはいても、アンジェリーク自身、自信はなかった。
「つまり、陛下もそう思っておられるのですね」
オスカーはまっすぐにアンジェリークを見つめ、言った。
「……そう、ね。そう思わざるを得ないわ……。今の状況を見る限りでは……」
オスカーの視線の強さに耐えられず、アンジェリークは目を逸らす。
「だから……あの子と一番親しい貴方にお願いしたいの。あの子がきちんと務めを果たせるように導いてあげて。本来、日の曜日以外は、貴方たちが誘わなければ……デートは出来ないでしょう。あの子にちゃんと育成をさせてほしいの」
まるで自分に疚しい所があるかのように、アンジェリークは目を逸らしたまま震える声で言った。
「判りました。守護聖として配慮が足りなかったようですね。お言葉、肝に銘じます」
オスカーは一礼と共にそう言った。
「ところで、陛下。明日は何かご予定がおありですか? よろしければ、気分転換に遠乗りにお誘いしたいのですが」
突然のオスカーの申し出に、アンジェリークは驚いてオスカーを見た。
「……あ……ありがとう、オスカー……。でも、お断りするわ……。やらなくてはならないことがあるの。わたしに気を遣わずに、貴方は貴方の休日を楽しんで。……もう、下がって頂戴」
やっとのことで言葉を発すると、アンジェリークは彼に退出を促した。
「そうですか。では、失礼いたします」
背を向けてしまったアンジェリークを何か意味ありげな目で見つめ、オスカーはそれだけ言うと退出していった。
扉の閉まる音がすると、アンジェリークは力が抜けたように、その場に座り込んでしまった。
いったいオスカーはどんな気持ちであんなことを言ったのだろう? オスカーの意図が掴めなかった。ただ言葉どおりの意味なのだろうか、それとも何か含むところがあったのだろうか……。
アンジェリークは深い溜息をついた。
翌日の日の曜日は、結局アンジェリークはロザリアと共に執務室で1日を過ごした。守護聖をはじめ他の人たちには休日だが、アンジェリークとロザリアに休日はなかった。アンジェリークが力を送らなければ、この大陸を維持することも次元の狭間の収縮を抑えることも出来ないのだから。当然アンジェリークをサポートしているロザリアも同じだ。
「取り敢えず、今日のところはこれで大丈夫ですわね。お疲れになったでしょう、陛下」
アンジェリークを労わりながら、ロザリアは言った。
「大丈夫よ、今日はレイチェルもサポートしてくれたから、随分楽だったわ。ありがとう、レイチェル」
「いえ。お役に立てたのならいいんですけど……」
レイチェルは応える。天才少女といわれていたレイチェルである。今の状況がどれほど深刻なものであり、女王の負担がどんなに大きなものかは十分に知っていた。自分が補佐官として実際に宇宙の運行に携わるようになって改めてアンジェリークとロザリアが如何に優れた女王と補佐官であるのかを実感し、尊敬し崇拝していた。
だから、コレット、自分の親友であり、自分が仕える女王の不甲斐なさに腹が立っていた。アンジェリークとコレットが協力しなければ、この事態を乗り切ることは出来ない。コレットが早く大陸のエネルギーを活性化させればそれだけアンジェリークの負担は軽くなるのだ。なのに、コレットはそんなことも気づかずに遊びまわっている。
確かに必要以上に必死になる必要はなかった。だから、あんまり気を張り詰めないようにとは言った。だが、コレットは必要最低限度の務めすら果たしていない。それを気にしている気配すらない。
「申し訳ありません……ワタシの力が足りないばかりに……あの子に務めを果たさせることが出来なくて……」
「気にしないで、レイチェル。大丈夫よ、あの子だって判ってくれるわ」
レイチェルを慰めるようにアンジェリークは言った。そう、きっと判ってくれるはず……。宇宙の意思が選んだ女王なのだから……。
「そうだわ、マルセルからとってもおいしいお茶をもらったの。一緒に飲みましょ?」
レイチェルの気を引き立てるようにアンジェリークが提案する。
「そうですわね。さ、レイチェル」
ロザリアも優しくレイチェルを促す。
「ハイ……。ありがとうございます」
2人の優しさを感じながら、レイチェルは今夜はきつくコレットに言い聞かせなければ、と心に誓っていた。
レイチェルのお説教が功を奏したのか、翌週のコレットの育成は順調だった。月の曜日には『約束の地』と呼ばれる大陸がアルカディアにひかれてやって来た。それまで400弱だった幸福度は、水の曜日には700を超えていた。
ちょうどその頃エルンストの調査も終了したことから、翌木の曜日にアンジェリークは年長組の守護聖とコレットを王立研究院へと呼んだ。
そのときのコレットの様子は何か良いことでもあったかのように楽しげだった。育成が順調に進み始めた所為かとも思われたが、そうではないようだった。実際、王立研究院に来ることを忘れており、慌ててやって来たのだから。
「エルンスト、まだ始めぬのか」
急な呼び出しに不信を感じていたジュリアスがエルンストに厳しい口調で言う。
「はい。あと1人、調査を依頼した人がいるのです。その人が戻ってくるまで、もう暫くお待ちください」
「ねぇ、エルンスト。重要な会議だというのに、他の守護聖を呼ばなくてよかったのかしら」
アンジェリークからはとても重要な会議だと聞いている。なのにここにいるのは年長組の守護聖だけだった。
「それはわたしも考えたのですが……陛下とルヴァ様にご相談して、この人数に限らせていただきました」
「大人数では収拾がつかなくなるようなことなのだな。厄介な算段だ……」
エルンストの危惧を汲み取りクラヴィスが呟く。
その場の雰囲気はとても緊迫したものだった。流石のコレットもその場の雰囲気に飲まれ黙っている。
「すみません、遅くなりましたぁ!」
最後の1人であるレイチェルが慌てて駆け込んでくる。その態度をジュリアスは咎めた。
「レイチェル。陛下の御前だ。そのような落ち着きのない行動は慎むように」
「あ、ご、ごめんなさい。ちょっと慌てちゃって……。すみません、陛下」
いつもと変わらず厳しいジュリアスである。ことにこのアルカディアでの育成状況に不満を持っているだけに、新宇宙の2人にはなおのこと厳しかった。
「ふふ、いいのよ、レイチェル」
恐縮するレイチェルにアンジェリークは笑って応える。だが一瞬の後には女王らしい厳しい表情になる。
「それより、結果は?」
「あ、はい。結論から言うと、やっぱりワタシとエルンストが予想したとおりでした。アルカディアの異なる3地点を調査、観測したんですけど、全て同じ数値が出たんです。……例のありえない数値が」
「ありえない数値? ……どういうことかしら」
レイチェルの言葉にロザリアは不審そうに眉を寄せる。
「それは、わたしから説明しましょう」
エルンストがロザリアに応え、全員に向き直る。
「今からご報告することは、飽くまでも仮説に過ぎません。しかし、極めて可能性の高いものだとお考えください」
エルンストは言う。本来であれば仮説の段階での発表などしたくはなかったのだ。だが、ことは急を要する上、納得の行くデータが揃うのを待っていたら、間に合わないことも有り得るのだ。コレットの育成はそれほど心許ないものだった。
「ここ数日、王立研究院ではアルカディアが属する宇宙の特定に尽力してきました。異なる地点での地質学的調査、および宇宙エネルギー的調査……そしてある1つの結論にたどり着いたのです」
「どの宇宙だったのだ」
一旦エルンストは言葉を切る。それに呼応したかのようにジュリアスが訊ねた。エルンストは直接答えずに、コレットへと向き直る。
「……アンジェリーク。貴女が育てる新宇宙です」
既に知っていたアンジェリークとルヴァを除いて、場が騒つく。全員が現在のコレットの宇宙の状況を知っていたから。
「そんな……!」
「無論、調査ミスの可能性も考えられます。ですが……採取された地質成分の検査計測値が正しかったとすれば……この大陸を構成する物質は新宇宙のものである、という結論に達せざるを得ないのですよ」
「つまりね、アンジェリーク。アルカディアの土を調べたらワタシたちの宇宙のものだってことが判ったんだよ。でも、こんな大陸はワタシたちの宇宙には存在しない。だから、エルンストと仮説を立てて調べてみたの。もしかしたら、この大陸は、ワタシたちの宇宙が育ったもの……未来からやって来たものじゃないのかって……」
レイチェルが、コレットにも判りやすいように噛み砕いて説明する。
「……?」
「で、色んな場所で土を採って調べてみたら、その仮説を裏付ける数値が出たってワケ」
「……信じられぬ。時空移動が行われたというのか」
呆然としたままジュリアスは呟く。
「ええ……そう考えるのが、自然かもしれませんねー。時間の流れを操る女王の力で、対象物を任意の時空間に転送する『時空移動』……」
「それには、女王の命と引き換えになるほどのエネルギーが必要となりますわ。もし、時空移動が行われたとすれば、それはつまり……」
女王に最も近い存在であるロザリアには、それがどれほどの事態であるかは容易に想像がついた。
「コレット。お前の宇宙の未来において、ただならぬことが起きているということだ……」
その事態の重大さに未だ気づかぬコレットに、クラヴィスが淡々と告げる。感情を含まぬ口調だけに一層深刻さを伴っていた。
「……!」
「勿論、そうと決まったわけではないわ。さっきエルンストが言ったように、これは飽くまで『仮説』なの。大陸の育成が進めば、もっと細かいことが判ると思う。だから……アンジェリーク、頑張って頂戴。わたしたちが、未来の女王が伝えたがっていることを知る為には、貴女が育成を進めるしかないのよ」
「陛下……判りました」
漸くことの重要さを飲み込んだような表情でコレットは頷いた。その表情にアンジェリークはほっとした。
「それじゃあ、エルンスト、レイチェル。引き続き、調査をお願いするわ。何か判ったら、すぐに報告してね」
「了解しました」
「守護聖や他の人たちには、後で、わたしから伝えておきます。今夜はこれくらいにしておきましょう」
エルンストの返事を得ると、アンジェリークはにっこりと微笑んで解散を告げた。
アンジェリークはジュリアスと共に女王宮への帰路についていた。ロザリアはルヴァ、エルンスト、レイチェルと共に王立研究院に残っており、クラヴィスはコレットを送っていっている。
「貴方と、宮殿以外を歩くなんて女王試験以来ね」
アンジェリークはジュリアスに笑顔を向けた。
「そうですね……懐かしい気がいたします」
ジュリアスはアンジェリークに応える。自分の愛を拒んだ彼女は今、至高の存在として彼と共に歩んでいた。
「お疲れなのではありませんか、陛下」
ジュリアスは訊ねる。
「そう見えて?」
「いいえ。ですが、我々守護聖と違って、陛下もロザリアも休むことの出来る日などないのですから。それに貴女は仮令疲れていても、苦しくても、それを表にはお出しになりません、女王候補であったときから」
ジュリアスの声音はアンジェリークへの労わりに満ちていた。
「わたしは貴女に重荷を背負わせてしまったのではないかと思うことがあるのです。わたしがあんなことを言ったばかりに……」
「貴方の言葉で、わたしが女王になったと?」
アンジェリークが女王候補だった頃、ジュリアスはアンジェリークに恋し、自分1人のものとなって欲しいと願った。だが既にオスカーに恋していたアンジェリークは想いを受け入れなかった。初めての恋に破れたジュリアスは感情のままに口走ってしまったのだ。『女王になれ』と。誰かの想いを受け入れ、自分の誇りを傷つけてくれるなと。冷静になってから後悔した。あまりに子どもじみたことを言ってしまった、と。まるで彼女の不幸を願うような、自分勝手なことを言ってしまったと。
「女王になったのは、その所為ではないわ。仮令ああ言われていても、あの人がわたしの想いを受け入れてくれていたら、わたしは女王にならなかった。女王になったのはわたしが選んだことよ」
アンジェリークはジュリアスに向かって微笑んだ。その瞳には揺るぎない意志の光が灯っている。
「あの人が、わたしの想いを受け入れないことは何となく判っていたの。いつも子ども扱いだったから。女王になる前の最後の足掻きだったのかもしれないわね」
アンジェリークが失恋したことはジュリアスも知っている。明るく気丈に振舞ってはいたが、笑顔に力がなかったから。相手が誰であったのかは即位後に知った。唯一、彼女が側に召さない守護聖だったから。
けれど、彼女が仕方なく、恋に破れたから女王になったのではないことは知っている。仕方なくではこれほどの安定を宇宙に齎すことは出来ない。これまで3人の女王に仕えている。その中でも彼女は最も素晴らしい女王だった。これほどに安定し豊かな宇宙はこれまでに見たことがなかった。如何に彼女がこの世界を愛しているか、その証が今の宇宙の姿なのだから。
自分が最も敬愛する女王。
その女王の表情を曇らせる者は赦しがたかった。自分が最も信頼する片腕であるだけに、一層。
「ご無理はなさいませぬよう。所詮は我らの宇宙とは別の世界。陛下が導くべき宇宙ではありません。その世界の為に陛下の御身に何かあってはなりません」
アンジェリークもジュリアスも、本当はこの宇宙とは無関係なのだ。責任を負うべき世界は別にある。他人の宇宙を助ける為に自分たち本来の務めに支障を来してはならないのだ。
だが、ジュリアスの本心はそれだけではない。あまりに愚かしいもう1人の女王への批判でもあった。
「ええ、判ってるわ。大丈夫よ、わたしのサクリアは充分にあるんだから」
ジュリアスを安心させるようにアンジェリークは微笑む。だが、ジュリアスはそれに安堵することは出来なかった。状況がどれほど深刻であるのか、アンジェリークにどれほどの負担がかかっているのか、十分すぎるほど知っていたから。だが、アンジェリークの優しさに応え反論はしなかった。
「御意。では、ゆっくりとお休みください」
いつの間にか女王宮についていた。
「ええ。……ジュリアス、わたしも貴方に謝らなければならないと思っていたの。わたし……貴方をどれだけ傷つけたのかしら……。謝っても謝りきれることではないけれど……」
「陛下、わたしは傷ついてなどおりません。いいえ、確かにあの頃は悲しみも嘆きもいたしました。けれど、今は陛下にお仕え出来ることが無上の喜び。わたしが愛した少女はこんなにも素晴らしい女王となられたのだとかえって誇らしくさえ思っております。わたしの陛下への想いは、今は敬愛となって陛下に捧げられております」
それを示すかのようにジュリアスは跪き、アンジェリークの手の甲に口付ける。
「……ありがとう、ジュリアス……」
「さぁ、お休みください、陛下。ゆっくりと」
「ええ」
そう言うとアンジェリークは背伸びをして立ち上がったジュリアスの頬に軽く口付けた。
「貴方も。おやすみなさい」
感謝のキスだった。
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「では陛下、補佐官殿をお借りしますね」
リュミエールは柔らかく微笑み、言った。女王の心遣いに感謝しながら。彼の恋人は親友を残して自分だけが楽しむことに躊躇いを感じているようだった。
「ええ、楽しんできてね」
親友のそんな戸惑いを感じつつ、アンジェリークも微笑んで送り出す。自分の恋は破れてしまい、もはや恋する人とこんなイベントを楽しむことは出来ないが、だからこそ、親友には楽しく素敵な時間を過ごしてほしかった。
天使の広場へと向かいながらも、ロザリアは何度も女王宮を振り返る。
「わたくしばかり……」
「陛下は、貴女が楽しんでくれることをこそ望んでいらっしゃるはずですよ、ロザリア」
恋人である自分よりも重責を担う親友の心配ばかりするロザリアを微笑ましく思いながらリュミエールは言う。
「ごめんなさい、リュミエール……わたくし、最低の恋人ですわね。いつも貴方のことは後回しにしてしまって……」
「いいのですよ、ロザリア。わたくしはそんな貴女を愛したのですから」
リュミエールはその司るサクリアそのままに優しく恋人を労わる。この世にたった2人きりの天使たち。その背負い、支えているものがどれほど大きいか、どれほど重いものか十分に知っている。
「貴女と陛下の信頼、絆がどれほど強いものかはよく知っています」
「リュミエール……」
「陛下の幸せを一番願っているのは貴女であり、貴女の幸福を一番望んでいるのは陛下ですからね」
その頃、女王宮に向かう1つの影があった。炎の守護聖オスカーである。
今日が特別な日であることはルヴァたちから聞いていた。だから、女王宮に向かっていた。『雪祈祭』を口実に女王に息抜きを勧める為に。そして、息抜きを口実に女王……いや、アンジェリークと共に過ごす為に……。
彼女が女王候補だった頃には毎週のように週末は共に過ごしていた。それは遠乗りだったりピクニックだったり、それまでのオスカーであれば考えられないようなデートだったが、それでも、どんな美女と共にいるよりも楽しかった。
それを断ち切ってしまったのは自分だと判っている。だが、かつてのように彼女の明るい笑顔に接することが出来たら……そう願っている自分も確かにいるのだ。
だから、先日思い切って遠乗りに誘ってみた。聖地ではない、この異世界でなら、自分たちの関係を変えることが出来るのではないかと。遠乗りは結局断られた。
それで諦めたわけではない。だからこうして『雪祈祭』を口実に女王宮へと向かっているのだ。
だが、同じく女王宮に向かうオリヴィエを見、オスカーは踵を返した。
自分がアンジェリークの想いを拒絶した後、彼女の最も身近にいた守護聖はオリヴィエだった。オリヴィエがずっとロザリアと共に彼女を支えてきたのだ。
オリヴィエなら、アンジェリークを包み込むように愛することが出来る……。自分よりもずっと……。自分のように彼女を傷つけ悲しませることはしないだろう。
オスカーは、コレットの女王宮へと向かった。
ロザリアを送り出したアンジェリークの許にオリヴィエが訪ねてきた。勿論雪祈祭に誘う為である。
「わたしは、行かないわ……。行けないの。だからその分、みんなには楽しんでほしいわ」
「いいじゃない、今日くらい。陛下だって息抜きは必要だよ」
なおもアンジェリークを誘うオリヴィエの言葉を聞きながら、アンジェリークは窓の外を見つめていた。ちょうど、オスカーがコレットと共に出かけていくところだった。
「わたしは……大丈夫よ、オリヴィエ。今日は外には行きたくないの。折角誘ってくれてるのに、ごめんなさい……」
アンジェリークは振り返って、微笑んだ。その弱い笑顔にオリヴィエは言葉に詰まる。
「わたしより、レイチェルを誘ってあげて。あの子も、かなり精神的にまいってるわ。気苦労が多いみたい。気分転換させてあげないと……」
「OK。判った。そうするよ。あの子も……ストレス溜まってるみたいだしね。お土産、買ってきてあげるね」
「ええ。お願いね」
オリヴィエのお誘いを受けたレイチェルは意外そうに目を丸くしていた。オリヴィエから女王の心遣いを聞かされると、彼女は涙ぐむ。
自分がどんなに情けない女王補佐官なのかと、歯痒くなる。自分の女王に対する怒りが込み上げてくる。
「陛下……」
今のレイチェルは、女王候補時代に比べて随分成長している。かつての天才少女としての傲慢で自己中心的なところはなくなり、補佐官としての心遣いや配慮が出来る大人の女になりつつある。それはアンジェリークやロザリアに憧れ、少しでも近づきたいと彼女が努力してきた成果だった。
「オリヴィエ様……ワタシ、決めました。あのコのこと、徹底的に教育しなおします」
女王として為すべきことをやらせる為に、厳しい姿勢で臨む。あの子のスケジュールはワタシが決めて管理する。そうでもしないと陛下への負担は増えていくばかりだ。
「そう。でも、ま、今日のところは陛下の好意に甘えるんだね。思いっきり楽しんで。それが陛下への何よりものお礼になるからさ」
長かった雪祈祭の1日が終わろうとしていた。
いつもどおりにエルンストからのデータを許に歪みを修正し、内圧を高め収縮に対抗し、そして雪祈祭の為に雪を降らせた。
かつての自分ならジュリアスのお小言もロザリアのお説教も振り切ってお忍びで参加していただろう。ゼフェルか、オリヴィエを巻き込んで……。
だが、そうするだけの気力がなかった。コレットと出かけるオスカーを見てしまってからは。
コレットは漸く先ほどオスカーに送られて自分の部屋に戻っている。彼女が部屋に戻ってかなり時間が経過しているというのに、オスカーが出てくる気配がない。
アンジェリークはまるで監視するかのように、じっとコレットの部屋の窓から漏れる明かりを見つめていた。
「何をしてるの……」
呟いて、アンジェリークは我に返った。
自分はいったい何をしていたのだろう? コレットの部屋をじっと見つめて……まるで探るように、監視するように……。
「いや……わたしは……」
堪らなく自分が情けなくなった。アンジェリークは、部屋を飛び出した。
いったいいつから、こんなに浅ましい女になってしまったのだろう……。
アンジェリークはただ呆然と夜空を眺めていた。誰もいない、静かな場所。つい最近アルカディアに惹かれてやってきた大陸。『約束の地』と名づけた大陸。どうしてそんな名前をつけたのか、自分でも判らなかった。
失恋して、それでも側にいられるだけでよかったはずだった。女王として認められて、もう子どもではないのだと認められれば、満足できるはずだった。そうして、女王の務めを果たし終えたら、そのときまだ自分が彼を好きだったら、もう一度告白してみようと思っていた。そのときの為に、誇れる自分でありたい、自分が好きでいたい、そう思って精一杯女王として生きてきたつもりだった。
けれど、心の中にはどんどん醜いものが溜まっていく。黒いサクリアがともすれば目覚めようとしてしまう。
「だから……女王は恋をしてはいけなかったのかしら……」
恋は決して甘やかなものばかりではない。そこには醜い感情もたくさんあるのだ。
元々恋とは利己的なものだ。
以前ルヴァから聴いたことがある。辺境の太陽系のある惑星、その東洋と呼ばれる地域にある島国の言葉……。
『恋』とは『来い』であり、『乞い』なのだと。想う人の心を自分に引き寄せたいと思い、『我が許へ来いと乞い願う想いを恋という』のだと。
その国の古代には『真名』と『仮名』があったという。『真名』はその人そのものを示す名であり、その名を呼ぶということはその人を支配することなのだという。だから、真名を呼び来いと命じる。そうしてまで相手を手に入れようとするほどの利己的な思い、それが恋なのだと……。
自分はオスカーを支配したいのだろうか。それは違う。けれど違わない。自分だけを見てほしい。自分以外を見ないでほしい。コレットと親しくなんかしないで……! わたしだけを見て!!
こんなにも醜い心が自分にあったなんて思ってもいなかった。
アンジェリークは周囲を見渡す。夜風に優しく草木が揺れている。エリューシオンを思い出させる風景だった。
自分が女王候補として育成した大陸。自分たちの新宇宙の中心となった大陸。そこの住人は自分のことを天使様と呼んでくれた。全てを信頼し預けてくれた。彼らの笑顔だけが喜びだった。オスカーに恋するまでは……。
何も知らずに、前だけを見て自分が好きでいられたあの頃に戻れたら……。
「あの頃に戻れたら、どんなにいいかしら……」
そうアンジェリークが呟いたとき、背後から彼女に呼びかけたものがいた。
「……アンジェリーク……か……?」
その声にアンジェリークは一瞬体を強張らせる。まさか、そんなはすはない。そう思う一方、彼の声だと言う確信もあった。
アンジェリークはゆっくりと振り返る。間違いない。白銀の髪、金銀妖瞳。
「レヴィアス……」
かつて、アンジェリークの宇宙に危機を齎した、『皇帝』レヴィアス・ラグナ・アルヴィース。彼が今、目の前にいる。
レヴィアスはゆっくりとアンジェリークに近づいてくる。アンジェリークはじっと近づいてくるレヴィアスを見つめていた。
だが、2人の間には『皇帝』と『女王』としての緊張はなかった。アンジェリークは恐れても警戒してもいなかった。
アンジェリークの目の前に辿り着くと、レヴィアスはそっとアンジェリークの頬に手を当てる。
「間違いない……俺のアンジェリーク……」
レヴィアスは限りない愛しさをこめてアンジェリークの名を呟く。
「レヴィアス……何故、貴方がここに?」
『黒い力』を撥ね退けて以来、『アリオス』は行方不明だった。王立研究院が総力をあげて調査したが見つけることは出来なかったのだ。アンジェリークも彼の『気』を追ったが、見つけることは出来なかった。
自分を見上げるアンジェリークを愛しそうにレヴィアスは見つめる。
「お前……泣いていたのか……」
レヴィアスはアンジェリークの目尻を拭いながら言った。
「え……?」
アンジェリークは泣いていたことに気づいていなかった。レヴィアスとの再会が齎した涙ではない……。
「気づいてなかったのか……?」
レヴィアスは眉を曇らせる。アンジェリークが泣いていたことに、ではない。そんな泣き方をさせるものに怒りを感じていた。
「泣いていることも気づけないような悲しい泣き方はするな。女は男の腕の中で泣くもんだぜ」
レヴィアスはそう言うと、アンジェリークを優しく抱き寄せた。
「レヴィアス……」
アンジェリークは漸く安心できる場所を得ることが出来たというように、目を閉じた。
レヴィアスは大樹に凭れるようにして座っていた。安心して甘えるように自分に凭れかかるアンジェリークを腕に抱いている。
「レヴィ、貴方、どうしてここに?」
レヴィアスの胸に頭を預けたまま、アンジェリークが問う。
「判らない。気がついたらここにいた」
レヴィアスはアンジェリークの金の髪に指を絡ませながら言った。そういえば、彼はこうして自分の髪で手遊びする癖があった……そんなことを思い出しながらアンジェリークはレヴィアスを見上げる。
「お前に別れを告げてから先の記憶がないんだ。いや、お前の力に包まれて眠りについたところまでは覚えてる。だが、そこから先はまったく思い出せない」
「そう……」
アンジェリークは眉を曇らせる。前回レヴィアスが『アリオス』として聖地に現れた際にも彼は一切の記憶がなかった。今回はレヴィアスとして、アリオスとしての記憶はあるようだったが……。
あのときは、『アリオス』は『黒い力』の媒体としての役割があった。また今回も何かの役割を与えられているのだろうか……彼の意思とは関係なく。
「そういえば、あいつにも会ったぜ。茶色い髪のもう1人の女王。相変わらず遊びまわってるみたいだな」
レヴィアスは馬鹿にしたように笑う。『レヴィアス』は決してコレットに好意的ではなかった。
「俺を見て嬉しそうにしてやがった」
喉の奥で笑いながらレヴィアスは言う。
「あの子にとって『アリオス』は特別だもの」
女王であることを捨ててまでアリオスを救おうとしていたコレット。宇宙よりもアリオスのほうが大事だと……。その強さが羨ましかった。
「だから、俺を『アリオス』として転生させたのか?」
だったら不愉快だというようにレヴィアスは言う。
「ううん、違うわ。貴方には、全く別の人生を歩いてもらいたかった。でも、あの子の宇宙に送ったから……あの子の思いが影響してしまったのかもね」
目の前にいるレヴィアスは『アリオス』の姿をしている。
「……あいつにそんな力があるのか? 違うな。俺はお前を忘れたくなかった。だが、自由になりたかった。『皇帝』『反逆者』としての自分からな……」
だから、アリオスの姿で転生したのだろう……。
「そうね。貴方にとって『アリオス』は自由の象徴だった……」
「ああ……だが、俺が一番俺でいられたのは、お前といるときだった」
優しくアンジェリークの頭を自分の胸に引き寄せながらレヴィアスは言った。
「皇帝、反乱軍の指導者……そういった重荷から解放されることが出来たのは、お前といるときだけだった」
レヴィアスの腕の中で穏やかな時間が流れていた。ここに来て初めて与えられた、穏やかな時間……。
「ところで、ここはどこなんだ? 聖地じゃないようだが」
レヴィアスは思い出したように言う。
「次元の狭間と呼ばれる、時空連続体の歪みの中に存在する大陸よ。アルカディアと名づけたわ。元々はコレットの宇宙の未来から時空移動してきた大陸なの」
アンジェリークの告げる事実にレヴィアスは驚く。彼もまた強大な魔導の力を持ち、本来であれば別の宇宙でその運行に関わる立場にあっただけに事の重大さにすぐに気づいたのだ。
「何かが封じられているらしいの。でもそれが何かは判らないわ……。未来の女王が何を望んでいるのかも。育成を進めてエネルギーを活性化させれば、封印は解けるらしいのだけれど……。今の段階では他には何も判らないの」
アンジェリークは再び眉を曇らせる。あと84日。それだけしかない。4週間で700の幸福度。残りは11週。どう考えても3000に満たない数値しか出てこない。このままの状況であれば……。
「あいつの宇宙か……。あいつがいるのは判るけど、なんでお前まで?」
「不思議な白い霧に導かれて連れて来られたの。多分、未来の女王の力だと思うわ」
「つまり、あいつだけじゃ不安だから、お前たちまで呼ばれたってことか」
呼んで正解だったな、とレヴィアスは呟く。今の状況を考えても、コレットの力だけではどうにもならなかったことが判る。彼女の力は一緒に旅をした『アリオス』がよく知っている。あのときも『蒼のエリシア』という増幅器がなければ、お荷物以外の何者でもなかった。
「わたしなんて、何の力もないわ……」
だが、アンジェリークは自嘲するように呟く。そんなアンジェリークの態度にレヴィアスは不安になる。何がここまで彼女を悲しませているというのか……。
「俺は、ここはおまえの宇宙だと思ってたぜ。お前のサクリアが満ちてた。あの宇宙のように」
ゆっくりと一言一言を言い聞かせるように、レヴィアスは言う。
「お前の宇宙はいつも優しさに満ちていた。俺が求めてやまなかった愛に満ちていた。だから、俺はお前の宇宙がほしかった」
手に入れるのであれば、コレットの宇宙のほうが遥かに容易かった。生命も何も生まれていない宇宙。そして治めるのは何も判っていない小娘。アンジェリークの宇宙のように絶対の信頼で結ばれた守護聖などという厄介なものもいなかったのだから。
「どうしたんだ」
レヴィアスは優しくアンジェリークを抱きしめる。ここは安全な場所なのだと、安らげる場所なのだと告げるように。
言いながら、レヴィアスは思い当たった。アンジェリークを苦しめるものの存在に。絶対の信頼で結ばれているはずの守護聖……。
「奴が、関係しているのか?」
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アンジェリークとレヴィアスの出会いは決して友好的なものではなかった。当然だ。レヴィアスは侵略者として、アンジェリークの宇宙に襲い掛かって来た厄災だったのだから。
女王として宇宙の安定を図らねばならぬゆえに、アンジェリークはロザリアを派遣してもう1人の女王に助力を求めた。守護聖たちを救出し、宇宙を救う為に。自分は東の塔へ逃げ込んだ。レヴィアスはアンジェリークを捕らえようとはせず、そのまま塔ごと封印した。女王の身柄さえ押さえておけば、守護聖などどうとでも料理できると思っていたのである。
が、封印を掻い潜って、アンジェリークはそのサクリアを宇宙に送りつづけていた。それがレヴィアスの気に障った。アンジェリークの暖かな女王のサクリアが、彼の魔導の邪魔をするのだ。
自分の強力な封印に抵抗できるほど、大きな女王のサクリア。それを取り込まぬ手はないと思った。初めは『黒い霧』により間接的に女王のサクリアを奪っていた。だが、それによって奪うことの出来るサクリアは微々たる物であり、一向にアンジェリークに影響を与える様子はなかった。
業を煮やしたレヴィアスは、もっと効率よくサクリアを奪い取ることにした。つまり、肉体を通して、セックスによるサクリアの吸収であった。古来魔物・神仙がその精気を効率よく交換する手段として用いられた方法でもある。そして何より、愛していない相手、しかも敵の指導者とのセックスが女王の心に齎すであろう傷を思いほくそ笑んでいた。
だが……それはレヴィアスが思ってもいなかった方向へと事態を進めることになったのである。
初めは、アンジェリークは泣き叫んだ。いつかは愛する人と結ばれたい。そう願っていた。今愛している人とは無理かもしれない。女王であるうちは、無理かもしれない。けれど、いつか、心から愛する人と……。
その願いは無残に壊された。ただの『女』という肉の塊。女だというだけで、これほどまでの屈辱を受けなければならないなんて……。
そして、奪われていくサクリアを感じていた。レヴィアスの目的はサクリア。そして自分に屈辱を与えること。
サクリアが尽きれば、この男も自分を打ち捨てるのだろう……。この男が用があるのは、サクリアの器である自分なのだから……。
そう考えたアンジェリークは失笑した。そう、自分は単にサクリアの入れ物に過ぎないのだ。
度重なる凌辱がアンジェリークの心を磨耗させていた。
守護聖たちだって、そうなのだ……。自分が女王候補だったときにはデートに誘ったり、『女の子』扱いをした。なのに女王になった途端、名前すら呼ぶ者はいなくなった。『女王陛下』そんな記号で呼ばれるようになった。『アンジェリーク・リモージュ』という人格はどこかに追いやられてしまった……。
それまでの彼女であれば考えないようのことを本気で思っていた。
心が空虚になる。そして、その悲しみと絶望は、アンジェリークを抱いていたレヴィアスに伝わった。
レヴィアスはアンジェリークを単なる『女王』として以上に意識するようになっていた。抵抗を諦め、されるがままになっているアンジェリーク。体だけが快楽に従順になっていくアンジェリーク。そして、その変化は、彼がアンジェリークの悲しみと絶望を感じ取った日から始まっていた。
それまでは恵まれた女王だと思っていた。豊かな宇宙を安定させている女王。忠誠を誓う9人の男を従え、彼女を救う為にたくさんの男たちが命がけで戦っている。この頃には『アリオス』として守護聖たちと行動を共にしていたから、彼らがどれほど必死になっているかは知っていた。その必死さを嘲笑ってもいたのだから。
だが、アンジェリークはそんなことは感じていないのだ。彼らが戦っているのは『女王』という存在を救う為。これがロザリアでも、コレットでも、レイチェルでも『女王』であれば同じだけの必死さで戦っているだろう。アンジェリークが求めているのはその必死さの中に僅かでも『アンジェリーク・リモージュ』を救うことが含まれていることだった。だが、アンジェリークはまたそんな意味は含まれてはいないと感じていたのだ。
事実は関係なかった。アンジェリークがどう感じているのか、それだけが重要だった。自己否定の方向へアンジェリークは転がっていっていた。アンジェリークの心の中には『孤独』という名の大きく暗い淵があった。そして、それはレヴィアスの心の中にも存在しているものだったのである。
レヴィアスには愛する女がいた。しかし、彼女は叔父である皇帝に側室にと望まれ、逆らいきれず皇帝に抱かれ、死を選んだ。レヴィアスには何の相談もなかった。彼女に事前に打ち明けられていれば、持てる力の全てを使って、叔父に抵抗していただろう。或いは彼女を連れて彼の宇宙から逃亡したかもしれない。どちらにせよ、『生きて』『2人で』幸福になる為の道を探しただろう。
だが、彼女は1人で全てを決めてしまった。未来への可能性を摘み取ってしまった。結局彼女は自分の愛を信じていなかったのだ。自分はその程度の男だと見縊っていたのだ。そしてレヴィアスの心に残ったのは孤独と絶望だけだった。それはやがて叔父への憎しみへと転化していった。
叔父への復讐の為に力を蓄える為に手に入れようとした宇宙で、奇しくもレヴィアスは同じ傷を持った孤独な魂に出会ったのである。
アンジェリークを抱くごとに、彼女の記憶が流れ込んできた。女王としての孤独、悲しみ、絶望。そして破れた恋の痛み……。愛する者に自分を否定された過去……。
レヴィアスはもうアンジェリークをただの『女王』としてだけ見ることは出来なくなっていた。
レヴィアスの態度が変わったことにアンジェリークも気づいた。無言でやって来て抱いて、去っていく。それは変わらない。だが、愛撫が優しくなっている。蹂躙する為のセックスではない。何か労わるようなものがあった。
そのことに戸惑いを感じたとき、アンジェリークの中にレヴィアスの心が流れ込んできた。自分と同じ孤独と悲しみを持った彼の心が。
同病相憐れむ、傷を舐め合う……そういう行為だったかもしれない。だが、それでも必要だった。
言葉は交わさない。だが、抱き合う。言葉より雄弁に。互いの傷を癒そうとする。孤独を埋めようとする。悲しみを癒そうとする。
そこにはある種の愛が芽生えていたかもしれなかった。
だが、やがて終幕がやってくる。守護聖たちが彼らの女王を救う為にやって来たのだ。
終末はレヴィアスの敗北という形で訪れた。だが、そのことにレヴィアスは満足していた。漸くこれでこの愚かしい、孤独しかない生を終えることが出来るのだ、と。
ただ、残していくアンジェリークのことだけが心配だった。これから1人でまた耐えていかねばならない彼女が……。
「孤独の幕開けか……」
虚空の城の広間でレヴィアスはそう呟く。コレットは彼にとどめをさすことは出来なかった。『アリオス』としての彼に惹かれていたらしい。だがレヴィアスにはそんなことは関係なかった。彼の心はもう1人の女王に向けられていたから。
だから、魂が向かったのは、聖地のアンジェリークの許だった。
〔アンジェリーク……〕
「逝ってしまうのね……」
〔お前を愛していた……愛している……。願わくば、次の生ではただの男と女として出会いたいものだ〕
「真っ先に、貴方に出会いたい……。そして、何者にも縛られずに愛し合えたら……」
〔そうだな……我の、聖なる天使〕
レヴィアスは穏やかに微笑み、姿を消す。その魂をアンジェリークのサクリアが包み込む。そして次の生へと向かわせる為に、輪廻の輪の中に送り出す。
(貴方だけを愛したのなら……貴方の愛だけを望んでいたのなら……こんな結末でも幸福だったでしょうね……)
レヴィアスの魂を送りながらアンジェリークは心で呟く。
レヴィアスに抱かれ、レヴィアスを抱き、愛し合った。けれど、まだ消えてはいなかった。彼への苦しいほどの恋情が。
一目彼の姿を見ただけで息を吹き返してしまった。彼に愛されたいという願いが……。
(ずるいわ、レヴィアス……。貴方1人だけ……。わたしも連れて行ってくれたらよかったのに)
「奴が、関係しているのか?」
レヴィアスは言った。アンジェリークが愛している男。苦しいくらいに恋し、求め、与えられずに悲しみと苦しみだけを与えている男。炎の守護聖・オスカー、彼が関係していることは間違いない。
だが、アンジェリークはその問いには答えなかった。レヴィアスも敢えてそれ以上は問わなかった。関係していないはずはない。確認するまでもないことだった。
「お前は泣いていた……たった1人で。俺が傍にいれば、そんな目には合わせなかった……」
レヴィアスはアンジェリークを抱きしめる。
「寂しいのかしら……。きっと、寂しいんだわ、わたし……」
まるで人のことを語るかのような口調でアンジェリークは呟く。
「皆となら、宇宙を導いていくことが出来ると思ったの……」
女王候補として現れたアンジェリークの影響で守護聖たちは変わったのだとディアは言った。好ましい方向へと。だから、きっとこれまでとは違った形で宇宙を導いていけると思っていた。女王と守護聖の関係も変わっていくと思っていた。変えていけると思っていた。公私を使い分けていくことでも。
だが、変わらなかった。アンジェリークに『公私』の『私』の部分はなかった。僅かばかり、眠る前の数瞬だけがアンジェリークにとってただの『アンジェリーク・リモージュ』でいられる時間だった。
「誰も……わたしをただの女としては見ない。アンジェリーク・リモージュとしては見ないの……。いつでもわたしは『女王陛下』……。あの子と何が違うのかしらね」
コレットが現れる前は感じなかった。いや、彼女が女王候補だったときにも。だが、彼女が女王になってから、感じるようになったのだ。自分は守護聖たちにとっていつでも『女王』なのだ、と。『女王』でしかないのだと。
女王として崇敬され、大事にされている。何が不満なのだといわれるかもしれない。だが、アンジェリークは生身の人間なのだ。本来であれば、両親や家族の愛に包まれ、青春時代を楽しんで、心配するのは好きな人にどうすれば少しでも可愛く思われるか……そんな世代なのだ。まだ、少女なのだ。
けれど、アンジェリークに要求されるのは『宇宙の母たる女王』なのだ。その重圧、そして孤独……。
なのに、もう1人の女王は、『アンジェリーク・コレット』という1人の少女として認識されているのだ。女王候補だった頃と少しも変わることなく……。いったい自分と彼女の何が違うというのだろう……。
「あいつら、9人もいながらお前1人の孤独すら支えてやれないなんて、何やってんだ」
レヴィアスは苦々しげに呟く。彼にも覚えのあることだ。だが自分は少なくとも己で選んだ道だ。アンジェリークとて自分で選んだ道ではあったが、それは『女王となるか、ならないか』という二者択一、しかも『ならない』を選べば、宇宙は崩壊するという状況だった。選択の余地など本当はなかったのだ。
レヴィアスが道を選んだとき、既に20代も後半だった。人生の酸いも甘いも知り尽くしたとはいえないものの、ある程度の不条理や理不尽さを知った上で、自分に責任の取れる年齢になっていた。だが、アンジェリークは違う。まだ夢見がちな、そしてそれが許される年頃だった。これから世の中に出て行く為の力を蓄えるべき時期だった。
だから、守護聖の存在は大きなものだったはずだ。自分の私設騎士団たちとは違う。単に使われるだけの存在ではないのだ。年若い、本来であれば親の庇護の許にあるはずの少女を重圧から守るべき存在でもあるはずなのだ。
なのに、これほどの苦しみをアンジェリークに与え、責任を押し付け、それに気づきもしない……。
「歴代の女王陛下は耐えてこられたわ……わたしが弱いの……。それに、皆、大切にしてくれるわ。労わってもくれる。オリヴィエなんて……わたしの為ならどんな我が侭も聞いてくれる……。でもね、やっぱり皆、『女王と守護聖』なの。女王と守護聖としての信頼関係なら、きっとどの時代の女王たちよりも強いわ」
自分の弱さが原因なのだ、とアンジェリークは言う。だが、レヴィアスはアンジェリークがそんなに弱い存在だなどとは思っていなかった。そんなに心が弱い人間が女王なんて務められるはずがない。自分が欲するほど、豊かで暖かい宇宙を造ることなど出来はしない。
だが、そう言ってもアンジェリークの心には届かないだろう。アンジェリークが望んでいるのは自分の『弱さ』をそのまま受容されること。『弱くてもいいのだ』と、あるがままの自分を肯定されることなのだ。
アンジェリークは常に女王としての強さを求められている。十分にその期待には応えている。だが、アンジェリークはそれを『強がっているだけ。無理をしているだけ……』と思い込んでいる。
レヴィアスはアンジェリークを『天使』に相応しい少女だと思っている。その優しさも、暖かさも、清らかさも。そして、芯の強さも。だが、アンジェリークは全てに自信を失っている。恐らくそれはたった1人の男にあるがままの自分の想いを否定されたことに起因しているのだ。
「辛いんならやめちまえ。女王なんて。俺が攫っていってやる」
だから、レヴィアスはアンジェリークが望んでいる答えを口にする。そして、それはレヴィアスの本音でもあった。愛しい天使をこれほどまでに追い詰めているものに対する怒りがあった。
「でも、お前は自分の宇宙を見捨てるなんてこと出来ねぇんだろうな」
アンジェリークが何か応えるよりも先に言葉を継ぐ。アンジェリークが本当はこの宇宙をどれほど慈しんでいるかも知っているから。
「だから、どうしても我慢できなくなったら、俺が攫っていってやる。お前の宇宙じゃ面倒が多いからどこか他の宇宙に行こう。俺とお前ならどこへでも行ける」
攫って逃げるのは最終手段だ。アンジェリークが壊れてしまう前の。だが、そうはならないだろう。そんなにアンジェリークが弱いなんて思ってもいない。だが、このレヴィアスの言葉が、アンジェリークにとって最後の支えになることも知っていた。どうにもならなくなったときに逃げ場があると思うだけで、人間は大概のことには立ち向かっていけるのだから。
「辛かったら俺に言え。俺はお前の守護聖じゃない。お前に仕えてるわけじゃない。お前の孤独が判るのも、お前の愛の痛みが判るのも俺だけだ。俺になら曝け出せるだろう?」
レヴィアスはその金銀妖瞳に優しい光を湛えアンジェリークを見つめる。
「……ええ……ありがとう……レヴィアス」
アンジェリークはレヴィアスの胸に頭を預け、頷いた。
「そろそろ帰らないとまずいんじゃないか? お前のが大事な補佐官が大騒ぎする。送っていってやるよ」
恐らく誰よりも、何よりもアンジェリークを大切に思っている補佐官を思い出し、レヴィアスは言う。彼女には会っておくべきかもしれない。
だが、アンジェリークは首を振った。
「帰らない……まだ、帰れない」
レヴィアスはアンジェリークを自宅へと連れ帰った。育成地である『エレミア』にある質素な家。サクリアの作用によって出来た家ではない。レヴィアスが己の魔導の力で作ったものだった。
余分なものは何もない簡素な住まいだった。ただ、広さだけが十分なほどあった。
「何か、飲むか? ……って言っても、お前が喜びそうなものはないな。酒しか置いてないんだ」
レヴィアスはキッチンへと向かいながら言う。
「お酒でも、いいわ」
そう応えながら、アンジェリークは室内を見渡す。如何にも『仮住まい』といった感じに何もない部屋。余計な装飾も何もない。だが、妙に心地いい部屋だった。今では自由な、何者にも束縛されないレヴィアスの匂いがそこかしこにあった。その所為かもしれない。
「駄目だ。まだ未成年だろ、お前は。成長止まっちまうぞ。お……あったあった」
アンジェリークの言葉にレヴィアスは声だけで応える。何かを探しだし、暫くは物音だけが響いていた。
「ほら、これでも飲んでな」
キッチンから戻ってきたレヴィアスがアンジェリークに渡したのはホットミルクだった。
「……お子ちゃまはミルクでも飲んで寝てろってこと?」
ミルクを受け取りながら、アンジェリークは笑う。
「そういうことだ」
揶揄うようにウインクしてレヴィアスはソファに腰をおろす。アンジェリークの隣に。自分はバーボンの入ったグラスを持っている。
「……美味しい……」
カップを包み込むように持ち、アンジェリークは呟く。冷えていた体に暖かさが広がる。レヴィアスの優しさが冷えた心を暖めてくれる。
ほっと息をつくアンジェリークをレヴィアスは見つめていた。
アンジェリークはこんなに線が細かっただろうか。確かに華奢だった。だが、こんなに消えてしまいそうな儚さを持ってはいなかった。それだけアンジェリークの心が弱っているのだ……そう認めざるをえなかった。
自分も同じ痛みを知っているからこそ、レヴィアスを包み込んでくれたアンジェリーク。抱かれながら、レヴィアスを抱いてくれていたアンジェリーク。傷つきながらもしなやかな強さを持っていたはずの天使。その彼女の心から弾力性が失われている。
そう気づいたレヴィアスの心に怒りが湧きあがる。そこまでアンジェリークを追い詰めたものの存在に。
守護聖たち、そしてもう1人の女王。そして何よりも罪が重いのは、炎の守護聖オスカー。
アンジェリークはカップをテーブルに置くと、レヴィアスに向き直る。思いつめた目をしていた。アンジェリークが何を言おうとしているのか、レヴィアスも感じ取っていた。
「レヴィアス。わたしを抱いて……。ただの女としてのわたしを感じさせて」
予想した言葉がアンジェリークの唇から零れる。レヴィアスはアンジェリークをじっと見つめ返す。
アンジェリークにとっては必要なことなのだろう。弱さを受容され、そしてあるがままの、否定された自分を取り戻す為に。ただのアンジェリーク・リモージュであることを感じたいのだ。
「いいのか? お前の為ならなんでもする奴がいるだろう? 夢の守護聖ならお前の孤独を癒す為にお前を抱くことだって出来るんじゃないか?」
答えは判っている。だがそれでも敢えて聞いた。アンジェリークの決意を確かめる為に。
「貴方が言ったのよ……。わたしの孤独が判るのは貴方だけだって……。そのとおりだわ。貴方でなければ駄目なの。わたしが願えばオリヴィエは抱いてくれるかもしれない。でも、その後は? 守護聖が女王を抱いてしまって赦されるかしら。ただの女王と守護聖の関係に戻れるかしら。それに……わたしが嫌なの。貴方がいいの」
オリヴィエはアンジェリークが望むならなんだってしてくれるかもしれない。仮令反逆罪に問われることが判っていても。だが、オリヴィエに抱かれることなど考えられなかった。オリヴィエに自分の寂しさは判らないだろう。自分がこんな孤独を抱いていることなど知らないに違いない。いや、きっと親友のロザリアとて知らないはずだ。表面上は守護聖たちと強力な信頼で結ばれ、どの時代の女王よりも恵まれた女王なのだから。
そして、何よりも、オリヴィエに抱かれたいとは思えないのだ。オリヴィエだけではない。自分を愛してくれたジュリアスでも、他の誰でも……たった1人を除いては。
「判った」
レヴィアスはそう言うと、アンジェリークを抱き上げ、寝室へと向かった。
レヴィアスはアンジェリークを寝台に下ろす。
「本当にいいんだな?」
本当にそれでいいのかと、後悔はないのかと念を押す。
「ええ……レヴィアス。貴方に抱いてほしいの。貴方が……欲しいの」
アンジェリークは迷いのない瞳でレヴィアスを見つめ返し、応える。
「判った。何もかも忘れてしまうくらい、何も考えられなくなるくらい、感じさせてやるよ」
そう言うとレヴィアスはアンジェリークに口付ける。
アンジェリークが求めているのは、全てを忘れさせてくれるほどの快楽。何もかも判らなくなるくらいの……。
軽く啄むように口付けながら、徐々に強く、深くアンジェリークの唇を味わう。薄く開いた唇から舌を滑り込ませ、口腔内を愛撫するかのように蠢かす。
アンジェリークが口付けに意識を集中している間にも、レヴィアスの手はアンジェリークの肌を滑り、彼女の衣を剥いでいく。そして自分も生まれたままの姿になっていく。
最後の1枚だけを残すと、レヴィアスは口付けを解き、アンジェリークを見つめた。
月明かりの中にアンジェリークの白い肢体が浮かび上がる。透けるような白さだった。
月明かりゆえかとも思ったがそればかりではない。肌そのものが白いのだ。
(こんなに青白い肌をしていなかった……)
かつてのアンジェリークはパールピンクの肌をしていた。だが、今はまるで白磁器のようだ。陽光を浴びていないのだ。宮殿に閉じ込められているのだ。
「綺麗だぜ、アンジェリーク」
それでもアンジェリークの美しさは損なわれていなかった。
「恥ずかしいわ……レヴィアス。そんなに見ないで……」
アンジェリークは羞恥に頬を染める。こんなにじっと見つめられたことなどなかった。行為の最中に言葉を交わすことなどなかった、以前は……。
「あの頃だって、俺は心の中でいつもお前に語りかけてたぜ? 綺麗だ、可愛い、もっと乱れてくれ、ってな。今日は、思ったことはそのまま口にすることにしたんだ。そのほうがお前もずっと感じられるはずだ」
アンジェリークの滑らかな肌に指を這わせ、レヴィアスは言う。頬から首筋、そしてまろやかな丘の頂まで。
「ほら、可愛いピンクの芽がもう自己主張してやがる。早く触って、そう言ってるみたいにな」
指先で円を描くように、乳輪をなぞる。
「レヴィアス……恥ずかしい……」
アンジェリークの頬が更に赤くなる。適度な羞恥は快楽を深める。
「こんなに可愛く誘われちゃ、断れないな」
レヴィアスは舌で乳輪を愛撫する。ゆっくりと外側から輪を描くように舌を這わせながら、けれど決して乳首には行かない。アンジェリークを焦らすように、その周囲だけを丹念に舐めていく。そうして舌で愛撫を加えながら、両手は強く、時には弱くアンジェリークの乳房を揉みしだく。
求めるところに与えられないもどかしさにアンジェリークが身を捩ると、漸く、レヴィアスの舌が乳首に触れる。先端を舐め刺激し、側面を舐め、更に捏ね回すように刺激する。
その刺激にアンジェリークの息が忙しなくなっていく。
「感じてきたな……いいぜ、アンジェリーク」
乳首に、言葉を発したことによる微妙な刺激……。アンジェリークの躰はどんどん熱くなっていく。
「あ……レヴィアス……」
アンジェリークの腕がレヴィアスを求めてさまよう。
レヴィアスは躰をずらすと安心させるようにアンジェリークに口付ける。
アンジェリークはレヴィアスの背に腕を回し、縋りつくようにより深い口付けを求める。
アンジェリークに口付けを与えながらレヴィアスの手はアンジェリークの躰を弄り、やがてそれは下腹部に到達する。薄いレースの布越しに秘所に触れ、そこが濡れ始めていることを確認する。
2本の指を揃え、布越しに秘裂に沿って何度も指を走らせる。時折掠めるように花芽に触れる。そのたびにアンジェリークの躰はぴくりと反応し、泉からは蜜が零れ始める。
切なげに身を捩るアンジェリークが何を求めているのか判っている。だから、口付けを解いた。けれど、彼女が求めるものは与えない。
「レヴィアス……いや……お願いだから……」
アンジェリークが喘ぎ混じりに言う声をレヴィアスは無視する。もっとはっきりと言わせたい。
「お願い……触って……」
やっとのことでそれだけ言ったアンジェリークに、レヴィアスは意地悪く耳元で囁く。耳朶を吐息が擽り、それがアンジェリークに更なる熱を齎すことを知っているから。
「触ってるぜ?」
「いや……そうじゃないの……。……直接……触って……」
恥ずかしさに顔を背け、アンジェリークは言う。だが、自分の発した言葉に、更に躰が熱を持っていく。
「OK。よく言えたな、ご褒美だ」
レヴィアスは濡れた下着を剥ぎ取ると、アンジェリークが求めていた場所に指を這わせる。秘所からアンジェリークの熱い中へと指を潜り込ませる。掻き回すように、レヴィアスの指は動き回り、アンジェリークの熱を上げていく。
「あ……あっ……あ……」
アンジェリークの声に応えるように、レヴィアスは、アンジェリークの両足を開かせると頭を埋める。溢れる蜜を舌で掬い取り、味わい、飲み下す。舌で舐めあげられ、唇で吸われ、指で掻き回される……。アンジェリークの躰には堪えきれぬ震えが走る。赤く熟した花芽を舌先で突付くとアンジェリークの震えが一層大きくなる。
アンジェリークの中はより熱いものを、確かなものを求めるかのように蠕動している。きついくらいにレヴィアスの指を締め付ける。
だが、レヴィアスはアンジェリークが言葉にしない限り、入れるつもりはなかった。自分から求めるのは恥ずかしいだろう。だが、だからこそより深い快楽をアンジェリークに与えることになる。
全てを忘れるほどの深い悦楽をアンジェリークは求めているのだ。その為にも、アンジェリークに求めさせなければならない。
「レヴィ……レヴィ……お願い……もう、来て……」
レヴィアスの内心に反応したかのようにアンジェリークが言う。
「お願い……貴方を頂戴……!」
潤んだ瞳でレヴィアスを見つめる。上気した肌、潤んだ瞳、零れる切なく甘い吐息、擦れた声。壮絶なほどの艶があった。
「ああ……俺もお前の中に入りたい……」
レヴィアスは両足を抱えあげると、一息に己を埋め込む。
熱く滾ったレヴィアスに突き上げられ、アンジェリークは一瞬息が止まる。
レヴィアスの作り出す波にアンジェリークは翻弄され、全ての思考が消えていく。ただ、耐えがたいほど強烈な悦楽だけだあった。
「レヴィ……レヴィ……あああああっ」
波に飲まれ、高みへと押し上げられる。
レヴィアスはアンジェリークがいったのを確認すると身を起こし、息も整わず、意識が朦朧としているアンジェリークに獣の姿勢をとらせる。何が起こっているのかアンジェリークが理解も出来ぬうちに、背後からアンジェリークを貫く。
エクスタシーを感じたばかりの躰は敏感だ。そこに更なる刺激と快楽を送り込もうというのだ。
「レヴィ……もっと……もっと……」
既に正常な思考をアンジェリークは失っている。求めるものはレヴィアスが与えてくれる快楽だけだった。己の求めるものに素直に、アンジェリークは乱れる。
「いいぜ……アンジェリーク……いくらでも好きなだけくれてやる……」
アンジェリークを突き上げながら、レヴィアスは応える。
(今は……溺れてしまえ……何もかも忘れて、悦楽に溺れてしまえ……)
アンジェリークを救う為、アンジェリークの心を安定させる為に、レヴィアスはアンジェリークの望むままに彼女を抱き続けた。優しく、時には荒々しく……。やがてアンジェリークが意識を失い夢さえも見ずに眠るときまでそれは続くはずだった。だが、それは招かれざる客の来訪によって突然断ち切られることになる……。
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「遅いわ……いったいどこに行ってしまったのかしら」
ロザリアは苛々と呟く。リュミエールと雪祈祭を楽しみ、戻ってきたときにはアンジェリークの姿は既になかった。
オリヴィエがアンジェリークを連れ出すと言ってはいたが、アンジェリークは結局姿を見せず、オリヴィエはアンジェリークに頼まれたと言ってレイチェルとやって来た。
オリヴィエがアンジェリークを誘い出せなかったことは残念だったが、それで良かったと後から思った。メインの会場となっていた『天使の広場』にはコレットを連れたオスカーも来ていたから。2人を見て、3人は3人ともそれぞれに不快感を感じ、『アンジェリークがいなくて良かった』と思ったのだ。
「オリヴィエと……オスカーを呼んで頂戴」
ロザリアは側に控えていた研究員に命じる。2人がこの大陸の警備を担当しているのだ。責任者はオスカーだが、彼を呼ぶことにロザリアは躊躇いを感じてもいた。
「どうしたのさ、ロザリア?」
程なくオリヴィエとオスカーが現れる。
「陛下のお姿がどこにもないのです」
ロザリアは努めて平静に言った。だが、発言の内容は重大だった。尤も、一瞬だけ驚きの表情を見せた2人の守護聖も次の瞬間には平静な表情に戻る。自分たちが感じ取っている女王のサクリアには何の異常もないから。
「あらら……。暫くは大人しくしてたけど、やっぱり陛下のお転婆は健在だったってわけか。抜け出しちゃったんだね?」
出来るだけ明るくオリヴィエは言う。何か外部からの危険があって姿を消したわけではない。アンジェリークが自分の意志で宮殿を抜け出したのだ。だが、口調ほどオリヴィエは楽観してはいなかった。
『失踪』などと大げさなものではないだろう。だが、いつもの聖地の宮殿を抜け出して遊びに出る、というのとも違う。アンジェリークの心に何らかの衝撃があって、宮殿から抜け出してしまったのだ。
「出来るだけ穏便に探してきていただけるかしら?」
「オッケー、お・ま・か・せ。ちゃーんと陛下を無事に連れて帰るよ」
「ええ、お願いね」
ロザリアとオリヴィエが話をしている間、オスカーは終始無言だった。
「陛下は……お前と一緒だったんじゃなかったのか、オリヴィエ」
アンジェリークを探しながら、オスカーはオリヴィエに言った。探るような、険しい声音だった。
「誘いには行ったんだけどね。振られちゃった。疲れてたみたいだね……色々と、さ」
言葉の後半には何か含みがあるようだった。
「だけど、あの子を連れて行かなくて正解だったよ。あの子には見せたくないものがあったからね」
それが自分に向けられた言葉だということが判らないほどオスカーも愚かではない。
「お前が陛下の許へ向かう姿を見たからな……。俺なんかよりお前との方が陛下もお楽しみになれるだろう」
「へぇ、わたしに遠慮したってわけ? あんたが。で、どうしてそれでコレットと一緒に現れるのさ」
責任を転嫁するようなオスカーの言葉にカチンと来て、オリヴィエは言う。
「コレットに惚れてる、なんて戯言は通用しないよ」
嘘を許さない鋭い眼でオスカーを睨みつけ、オリヴィエは言葉を継いだ。
「わたしとあんたはさ、結構似たところがあると思ってる。考え方とか物の見方、感じ方……。全てが理解できるなんて臭いことは言わないけど、なんとなく、こう考えてるんじゃないかって思うことはあるんだ。だから、わたしはあんたの行動が腹立たしいんだ。何でこんなことしてるんだって、ね」
これはチャンスだと思っていた。きっかけを作ったのはオスカーだから、納得いくまでオスカーの考えていることを聞いておこう。そうすれば、現状を変えることが出来るかもしれない。少なくとも、オスカーの所為でアンジェリークが苦しむようなことはなくなるかもしれない。
「……もって回ったような言い方はよせ。はっきり言ったらどうなんだ」
オスカーもまた、現状を何とかしたかった。
「わたしとしては、あんたがアンジェリークを振っちまったことについて、いまいち納得してないんだけどね。あんた、あの子のこと本気だっただろ?」
ずばりとオリヴィエは言う。全てはそこから始まっているのだから。
「ああ。本気だったさ。今でも、愛してる」
この期に及んで自分の心を偽るつもりはなかった。オスカーはオリヴィエの言葉をあっさりと認める。
「だから、それなのにどうしてこんなことになってるのか知りたいね」
何故オスカーはアンジェリークの気持ちを受け入れなかったのか。
「……」
「答えたくないってわけ? じゃあわたしが言ってやるよ。あんたは怖かったんだ。あの子の本気が。いつでも軽いお遊びの恋しかしてこなかったあんたには、あの子の本気が怖かった。そしてあの子に本気になっちまった自分もね」
「……そのとおりだ。俺は本気になった自分がどうなるのか、自信がなかった」
守護聖の性質はその司るサクリアそのものだ。しかも己が最も強く出る愛においては……。
オスカーはその司るサクリアそのままに炎だった。炎は何も生み出さない。全てを燃やし尽くすのだ。高熱であればあるほど、後には何も残らない。だからこそ、破壊と再生を司るサクリアとして炎が位置付けられているのだが。
そのオスカーが本気の恋をすれば、全身全霊をかけて愛するだろう。そしてそれは自分も、そして愛する少女をも焼き尽くしてしまいかねなかった。それが怖かったのだ。
アンジェリークが自分を一途に恋い慕っていたことは知っていた。それが嬉しかった。彼も彼女を愛していたから。だが、まだ少女である彼女に自分の炎が受け止めきれるのか。受け止めきれなかったら、彼女は破滅してしまうだろう。
僅かでもその可能性がある以上、オスカーは危険な賭けに出ることは出来なかった。自分が破滅するのは構わない。その愛ゆえに命を落とすとしても幸福の中で死ぬことが出来るだろう。どんな過酷な運命を与えられようと、愛の結果だと思えば喜んで受け入れられる。だが、アンジェリークにそんな危険を近づけたくはなかった。
「愛してるから怖かった、ね……。にしてはあんたらしくない振り方をしたね」
全てを話せ、とオリヴィエは言う。アンジェリークからオスカーがどういう態度をとったのかは聞いている。
本気でアンジェリークを拒むのなら、それに相応しい拒絶があったはずだ。『愛せない』というべきだったのだ。自分の思いを貫くのなら。
だが、オスカーはアンジェリークにとって真剣な想いそのものを否定するという最悪の形で振った。あれがオスカーの思いやりだとは思えない。アンジェリークがオスカーに真剣に恋していたことをオリヴィエは知っている。そして、それにオスカーが気づいていたことも。だからアンジェリークの思いを受け止めた上で拒絶するべきだったのだ。
「エゴイストなんだよ、俺は……」
ああ言えばアンジェリークがオスカーを諦めないだろうと思ったのだ。『子ども』だから相手にされない。ならば『大人』になれば振り向いてもらえるかもしれない。アンジェリークはそう思うだろう。そして、オスカーを振り向かせる為に大人になろうとする。そう確信していた。
愛されていたかったのだ。アンジェリークの心に住む男は自分だけにしておきたかったのだ。
そして、いつかアンジェリークがオスカーの炎を受け止めれられるだけ大人になったら……或いは自分のサクリアが消え、オスカーの不安がなくなったら、今度は自分からアンジェリークに愛を告げるつもりだった。
身勝手以外の何物でもないことは十分に理解している。だが、アンジェリークを求める心に変わりはなく、アンジェリークを他の男に渡すつもりもなかった。
「最低だね……。でも、判っちまう自分が悲しいよ」
溜息と共にオリヴィエは呟く。
「じゃあ、最後にもう1つ。コレットと親しいのは、どういうわけさ」
「簡単さ。何も考えないでいい気楽な相手だからな」
かつての彼女と同じ『女王候補』。その肩書きがオスカーを彼女に接近させた。かつて彼女と交わしたような女王候補と守護聖としての会話。彼女に比べれば幾分内向的な性格ではあったものの、どこか彼女に似ていた。それは恐らく女王のサクリアだったのだろうが……。
そして、もう1つの理由。それは、コレットのファーストネームだった。決して声に出して呼ぶことの出来ない彼女の名前。コレットをそう呼ぶことでオスカーは彼女を心では呼んでいたのだ。
つまり、オスカーはコレットにアンジェリークを重ね、身代わりにしていたのだ。
「どうしようもない馬鹿だね、あんたは。でも、あんたの真意が判った分だけ動きやすくなったよ」
「俺だって今の状況を何とかしたいんだ。彼女を苦しめたことを償いたい……許されることなら、彼女との愛を育てていきたい」
「甘いこと言ってんじゃないよ。許されるなんて希望は捨てな。それだけのことをあんたはアンジェリークにしたんだからね」
切って捨てるようにオリヴィエは言う。だが、アンジェリークはきっとオスカーを許すだろう。そして、きっとオスカーと幸福を見つけていくはずだ。勿論それまでには一波乱も二波乱もあるだろうし、ジュリアス、ロザリアをはじめとする分厚い壁にもぶつかるだろう。だが、それでも最後には2人は幸福になれるはずだ。そうオリヴィエは予見していた。漸く、心から重石が取れたような感じだった。
「じゃあ、陛下探しを再開するか」
オリヴィエは明るく、心から明るい声で言った。
「見かけたって? 本当?」
約束の地に2人は来ていた。そこにいたカップルがアンジェリークらしい少女を見たという。
「ふわふわした金髪に、翠の瞳、大きなリボンのついたピンクのドレスの女の子だろう? ああ、確かに見たよ」
青年が言う。
「目立つ2人連れだったもの」
それに応えるように恋人の少女が言う。
「2人……?」
不審もあらわにオスカーが尋ねる。守護聖でも、教官協力者たちでもない。彼らはみな自邸にいた。
「そう、背が高くて……珍しい、紫がかった銀髪の男の人」
「銀髪だって……?」
いやな予感がする。背が高い銀髪の男――まさか、アリオス?
「無理やり連れて行かれていた様子はなかったか?」
険しい表情でオスカーが2人に問い掛ける。アリオスだとすれば真っ先に思い浮かぶ可能性は『皇帝による女王陛下の誘拐』だ。だが、カップルはあっさりとそれを否定した。
「う~ん、それはなかったなぁ」
「そうね、寄り添って、男の人は女の子をすごく大事そうにしてたもの。ああ……でも、女の子はなんだか思いつめたような顔をしてたわ」
「駆け落ちでもするんじゃないかって、話してたんだ」
2人の守護聖はその言葉に青ざめる。
「2人はどっちに行ったの!?」
「え……あ……ああ、エレミアのほうに向かっていったよ」
オリヴィエの気迫に圧されるように青年が応える。その言葉を聞くや否や、オスカーは駆け出していた。
育成地『エレミア』。まだ、さほど発展していない、荒野。数件の建物がぱらぱらと点在している。
だが、その中に1つだけ見覚えのない建物があった。サクリアの作用によらない建物。けれど似て非なる力を感じさせる建物。
「魔導の力で作った家、か……」
やはり銀髪の男はアリオスなのだ。だが、何故アリオスとアンジェリークが共にいたのか。アンジェリークが拉致されたわけではないことは目撃証言からも明らかだった。だからこそ、余計に不審だった。
「とにかく、中に入ってみよう」
オリヴィエが扉に手をかける。オスカーは右手を剣の柄に当て、いつでも抜けるようにしておく。
中は広い空間だった。僅かにソファセットだけが人が住んでいることを示している。置いてある家具はそれだけ。居間と思しきの部屋の奥に、キッチンと、扉が2つ。ざっと室内の構造を見渡し、2人は中に入った。
テーブルの上にはグラスとマグカップが置いてある。間違いなく2人はここにいるのだ。グラスの氷はまだ溶けきっていなかった。
キッチンに近いほうの扉を開けると、バスルームだった。では、もう1つの部屋か……。どう考えても、そこは寝室以外では有り得ない。嫌な予感が2人の胸をよぎる。
『あ……レヴィ……いい……』
扉に近づいた2人の耳に、女の声が聞こえてきた。切れ切れに呟かれる言葉、忙しない息遣い。
『もっと……もっと……頂戴……』
『ああ……いくらでも感じさせてやる』
それは明らかに閨での睦言。一際女の嬌声が高くなる。
はっと気づき、オリヴィエは背後のオスカーを振り返る。オスカーはまさに憤怒の形相で扉を睨みつけている。その体からは怒りと嫉妬の青白い炎が立ち上っているかのようだった。
オスカーは一歩を踏み出す。扉にかけようとした手を、慌ててオリヴィエが制する。
「どうするつもりなんだ、オスカー」
「決まってる。あいつをぶち殺してやる……!」
中からは、今尚、艶めいた声が聞こえてくる。それがオスカーの理性の糸を完全に焼き切っていた。
「オスカー!」
オリヴィエの制止を振り切り、オスカーは扉を開けた。そして、彼の目に、アリオスと、彼に組み敷かれ恍惚の表情を浮かべるアンジェリークの姿が飛び込んできた。
闖入者の気配を感じたアリオスは、アンジェリークを解放し、ゆっくりとオスカーを振り返る。それにつられるようにアンジェリークが朦朧としたまま振り返る。そしてオスカーの姿を見た瞬間、意識が覚醒した。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
アンジェリークの表情には、驚きと、絶望、哀しみ、そんなもの全てが綯い交ぜになっていた。
険しいというだけでは表現しきれぬ表情のオスカーが一歩一歩近づいてくる。アンジェリークはそれに怯えたようにレヴィアスに縋りつく。それが一層オスカーの怒りを煽る。
オスカーは一歩一歩近づきながらマントを外す。そして、ベッドの端まで歩み寄るとアンジェリークの腕を掴み、レヴィアスから引き剥がした。アンジェリークが痛みに顔を歪ませるほどの力で。
アンジェリークを自分の腕の中に取り戻し、オスカーはその体を自分のマントで包み込む。
「オリヴィエ。陛下を」
あまりのことに部屋の中に入れず立ち尽くしていたオリヴィエを呼ぶと、オスカーはアンジェリークを彼に託す。
「陛下……こっちへ……」
オリヴィエがアンジェリークを引き寄せる。
その守護聖たちをレヴィアスはベッドの上から冷ややかに見ていた。
嫉妬に震えているオスカー。彼にレヴィアスは嘲るような笑みを向ける。
「嫉妬してるのか?」
だが、オスカーはそれには応えず、剣を抜き放つ。アンジェリークが息を呑む。
「……反撃のチャンスをやる。剣を取れ」
切っ先をレヴィアスに向け、オスカーは言う。だが、レヴィアスは相変わらず嘲笑を浮かべるだけで動こうとはしない。
「貴様など……殺してやる……!」
オスカーの殺気がまるで燃え盛る紅蓮の炎のように立ち上る。
「やめて……」
オリヴィエに体を抑えられたまま、アンジェリークは呟く。
「やめて、オスカー! わたしが望んだことよ!!」
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アンジェリークの女王宮、執務室。守護聖たちが招集されていた。ことがことだけに、ジュリアスは年若い守護聖たちを呼ぶことに躊躇いを感じたが、やはり全員を集めた。
あの場を収拾したのはアンジェリークだった。オスカーは抜刀し、レヴィアスは魔導をその掌に集めはじめ……。だがアンジェリークの発した一言がオスカーから力を奪ったのだ。
『わたしが望んだこと』――その一言が。
そのままアンジェリークは崩れ落ちた。極度の緊張の為だ。
意識を失ったアンジェリークを宮殿に運んだのは、オスカーだった。レヴィアスになど任せられるはずがない。
抱き上げたアンジェリークは意外なほど軽かった。女王候補時代に感じた心地よい重みはなかった。空気のように、羽のように……消えてしまいそうなほど儚い、頼りない軽さだった。
レヴィアスはオスカーの表情を冷たい目で見ていた。何か思うことがあるのか、黙ってアンジェリークをオスカーの腕に委ねた。そして、オリヴィエに促されるまま、共に宮殿へと向かったのである。
守護聖たちは突如現れたアリオスに驚きを隠せない。しかも……女王であるアンジェリークと共にあり、のみならず性交渉を持っていたとあっては……。
これがコレットであればまだ納得も出来た。彼――アリオスが最も身近にいたのは彼女だったのだから。彼女が『アリオス』に特別な感情を持っていたことも全員が知っていた。
だが、アリオスとアンジェリークには共通点などないはずだ、守護聖たちは誰もがそう思っていた。そう──『アリオス』ならば。だが、彼はレヴィアスなのだ。守護聖たちの知らないアンジェリークの一面を唯一知っている存在……。
「いったい何が目的なのだ!」
ジュリアスが厳しい声音で詰問する。
彼が聖地に現れ、混乱を齎したことは記憶に新しい。だか、今、この時期にここに現れたことも、何か裏があるのではないかと疑ってしまうのは無理もないことだった。
「我の目的か……。決まっている。愛する者をこの手に抱くことだ」
姿は『アリオス』だが、『レヴィアス』だった。その存在感が守護聖たちを圧倒する。
「我とアンジェリークは愛し合っている。愛する者の為に、我はここへ来た。孤独を癒す為にな」
守護聖たちをレヴィアスの冷たい視線が嘗める。その視線はオスカーの上で長く留まる。
「何を馬鹿なことを……!」
「そうだぜ、まさかアンジェ……陛下が敵であるてめぇと愛し合ったなんて……誰が信じるかよ!」
守護聖たちにしてみれば、信じがたいことだった。敵同士だったはずだ。アンジェリークもこれまで、そんな様子は微塵も見せていなかった。
「だが、我らが愛し合っている姿をはっきりと見たであろう? 炎の守護聖」
「くっ……貴様……」
剣に手をかけようとするオスカーをリュミエールが制する。
「お前たちにアンジェリークを理解は出来ぬ。癒すことなど出来ぬ」
レヴィアスの声は冷たく、守護聖たちの心に突き刺さる。
「我ら守護聖と陛下の絆を馬鹿にするな。陛下と我々は深い信頼で結ばれているのだ!」
ジュリアスの言葉に半数の守護聖は頷く。だが、クラヴィス、ルヴァ、オリヴィエ、リュミエールは眉を曇らせた。
「ほう、深い信頼だと……?」
レヴィアスは馬鹿にしたように言う。
「お前たちは、あれの全てを理解しているとでも言うのか? 判っているとでも言うのか?」
レヴィアスの強い視線がジュリアスを刺し貫く。
「そうだよ! 僕たちと陛下は深い絆で結ばれてるんだ!」
「ああ、陛下が女王候補でいらしたときから、俺たちと陛下には強い絆があるんだ! だからこそ、お前の野望を潰すことが出来たんだ!」
歳が近い分だけ、いつも側にいた。その自負のあるマルセルとランディが反論する。
「ふざけるんじゃねぇ!」
そんな守護聖たちをレヴィアスは一喝する。
「絆、だと? てめえらが勝手にそう思い込んでるだけじゃねぇか! 陛下、陛下、陛下! そういってあいつに全てを任せて」
「だって、陛下は女王様だもん……」
「あいつは、人間だ。女だ。たった1人の、『アンジェリーク・リモージュ』っていうな」
その言葉に、はっとしたように数名が顔を上げる。
守護聖たちはアンジェリークをまず『女王』として見る。だからアンジェリークも『女王』として応える。そうしているうちに何かが変わっていたのかもしれない。
「てめえらじゃ役者不足なんだよ、あいつを支えるには。9人も揃いながら、あいつ1人支えてやれねぇんだからな」
守護聖たちはただ沈黙する。それでもまだ、彼女がそんな孤独を感じているとは信じられない者もいた。自分たちと女王の信頼を、絆を信じているだけに。
「レヴィアス……彼らを責めないで。彼らは守護聖としての勤めは果たしているのだもの」
私室に繋がる扉が開き、アンジェリークとロザリアが現れる。女王同席では尋ねにくいこともあるから、と別室に控えているように要請されていたのだ。だが、自分のことだ。だから、ずっと話は聞いていた。
「ああ、勤めはな。だが、守護聖の務めってのは女王を守ることだろうが。それとも、お前を孤独の淵に沈めることが守護聖の務めか」
レヴィアスは言い放つ。
「レヴィアス……言ったでしょう? わたしが弱いだけ。彼らはわたしをとても大切にしてくれているわ」
アンジェリークはまっすぐにレヴィアスを見つめる。その視線にレヴィアスは苦笑し、クラヴィスをはじめ4人の守護聖は再び表情を曇らせる。
「……ったく、強情だな、お前は」
アンジェリークの髪をクシャリと掻きあげ、レヴィアスは言う。そして、再び守護聖に向き直る。
「俺は、身を退いたりするつもりはない。こいつが俺を必要としている限りはな」
鋭い視線でレヴィアスはオスカーを見る。オスカーも同じように、そして怒りと嫉妬を含んだ目でレヴィアスを睨む。
「お前が呼べば俺はいつでも来る。何かあったら俺を呼べ」
守護聖に向けたのとは打って変わった優しい目でレヴィアスはアンジェリークに言う。そして、守護聖たちに冷笑を向けるとレヴィアスは魔導の力で転移していった。魔導の力を見せつけるように。彼らに自分たちの逢瀬の邪魔は出来ないのだと思い知らせるように。
「陛下……」
ジュリアスは呼びかけたまま、後が続かない。ただ、女王の密通事件というのならば責めることも出来よう。だが、レヴィアスの言葉の衝撃は大きかった。
「彼に罪はないわ。わたしが望んだのよ」
有無を言わせぬ口調で、アンジェリークは言う。その言葉の強さに誰も何も言えなかった。
「女王としての務めは果たします。サクリアに変化はないわ。……尤もそれは以前から判っていたことだけど」
続けたアンジェリークの言葉に、更に守護聖たちの衝撃は大きくなる。
「そ……それは……」
「わたしたちは、かつては敵だった。けれど、愛し合った。互いの立場を貫く為に別れざるを得なかった」
それだけが真実ではない。けれど、それも真実の一部だった。
「レヴィアスはわたしの為だけに、ここに現れたの。害を成す存在ではないわ」
守護聖たちは衝撃の収まらぬまま、それぞれ退出していった。訊きたいこと言いたいことは山のようにあるはずだった。けれど、何を言っていいのか彼らは判らなかった。だから、『陛下はお疲れです』というロザリアの言葉をきっかけにして退出していった。
「ロザリア……わたしのこと、軽蔑する?」
2人だけになって、アンジェリークは言った。
ロザリアはアンジェリークを鏡台の前に座らせ、豊かな金色の髪を梳っていた。
「しないわよ」
きっぱりとロザリアは断言する。
かつてのレヴィアスとの関係は知っていた。ただ、心がこれほど寄り添っていたのだとは思わなかった。
「でも……ちょっと悔しいわね」
意外なロザリアの言葉にアンジェリークは顔を上げる。
「わたくしは、あんたのことを誰よりも理解しているって思ってたわ。あんたが『女王』として見られることに寂しさを感じてたのも知ってた」
「うん、だから、いつも『アンジェリーク』って呼んでくれたもんね」
2人だけのときは女王と補佐官ではなかった。ただの親友だった。ロザリアがそうして接してくれていたから、アンジェリークは孤独に押し潰されずに済んだのだ。
「でも……わたくしが思っていた以上だったのね……。それに気づけなかったことが悔しいわ。他の人に言われて気づくなんて」
ロザリアは労わるようにアンジェリークの頭を抱く。
「ごめんなさい、アンジェリーク……」
「……レヴィアスはね、同じだったの……。同じ痛みを持っていたの。だから、理解し合えたんだと思う」
アンジェリークは呟くように言う。
「そう……。……いいこと、アンジェリーク。これから彼の所に行くときは、わたくしにだけは言ってから出かけて頂戴。でなきゃ、心配するでしょ?」
「ロザリア……反対しないの?」
「出来ないわ。今のあんたには必要な人だもの」
彼を見つめるアンジェリークの信頼しきった瞳。アンジェリークは彼になら全てを曝け出して甘えられるのだ。自分では駄目なのだ。嫉妬を感じる。けれど、アンジェリークの弱った心を癒すことは自分1人では出来ない。自分にも出来ることはあるけれど、今は何よりアンジェリークが安らげる腕が必要なのだ。
それは……本当ならばオスカーが最も相応しいはずだった。アンジェリークが恋する、求める彼が。だが、彼がアンジェリークの心を最も傷つけている以上、それは不可能だった。
レヴィアスになら任せられる。アンジェリークを見つめる優しさに偽りはない。恐らくここにいる誰よりもアンジェリークを理解し、『アンジェリーク・リモージュ』の為だけに存在できる人。
「ありがとう……ロザリア」
胸が熱くなる。こんなに自分を思ってくれる親友がいる。
「さ、早く休みなさい。明日も大変よ」
「うん。……ね、今日、ロザリアと寝たいな?」
甘えるように、首を傾げてアンジェリークは言う。
「……久しぶりに、それもいいわね」
女王候補時代のように、ベッドの中で他愛もない話をしたり、くすくす笑いあったり……久しぶりにそんなことをしたくなった。まだ、2人とも17歳なのだから。今夜はただの17歳に戻ってみよう、ロザリアはそう思った。
女王執務室を出た後、守護聖たちは全員がジュリアスの館に集まっていた。ジュリアスが命じたわけではなかった。全員が、この事態にどう対処すべきか判らなかったのだ。
「黙認するしかあるまい」
クラヴィスが言う。
「何を言う、クラヴィス!」
ジュリアスはとんでもないと言うようにクラヴィスの言葉に反対する。
「そうですねぇ……アリオス……いいえ、レヴィアスの魔導の力があれば、わたくしたちがいくら止めたところで無駄でしょう」
ルヴァも溜息と共に言う。
「何、馬鹿なこと言ってんだよ、そんなこと許されるわけねぇだろ」
「女王陛下に恋人がいるなんて、聞いたことないです」
「そうですよ、女王に恋は禁じられてるんじゃなかったんですか」
年少組が次々に反論する。
「……『女王に恋は許されない』ね……。だったら、どうしてあんたたちはコレットをデートに誘うんだい」
オリヴィエが冷たく言う。その言葉に彼らはぐっと詰まる。そうだ、確かに彼女も『女王』なのだ。
「でも、コレットは1人で育成頑張ってるから、励ましになればって……」
マルセルが辛うじて理由になるようなことを口にする。それに対し、リュミエールがこれも冷ややかな声で応える。
「頑張っている……? そうとは思えません。アルカディアに来て1ヶ月、まだ彼女の育成は十分とはいえませんよ。幸福度は漸く1000に届くかどうかといったところですからね」
「でも、陛下は休む時間さえなく、大陸と空間を維持してる。どっちが頑張ってるか、負担が大きいかなんて判りきったことだろう」
リュミエールの言葉を継いでオリヴィエが言った。
「だから……レヴィアスは陛下には……アンジェリークには必要だよ」
オリヴィエがずれかけた話を戻す。守護聖の中では誰よりもアンジェリークの側にいる彼の言葉に、8人は沈黙する。
「……だが、奴は敵だった男だ」
それまで沈黙していたオスカーが口を開く。
「奴の本当の狙いが判らない以上、陛下に奴を近づけるわけには行かない」
怒りを必死で抑え込んだような声だった。
「うむ。確かにそうだ」
ジュリアスが我が意を得たり、とばかりに頷く。
「守護聖としては模範的な意見だね」
馬鹿にしたようにオリヴィエが言う。含みがある発言だった。
「陛下が……アンジェリークがあんなに安心しきった表情をしていたのです。反対など出来ません」
リュミエールが柳眉を曇らせて言う。
結局、守護聖たちは二分したまま、解散した。飽くまでも認めないとするジュリアス、オスカー、ランディ、ゼフェル、マルセルの反対派と、積極的ではないにしろ容認するというクラヴィス、ルヴァ、リュミエール、オリヴィエの黙認派に。
ジュリアスの館を出て、オスカーとオリヴィエは共に岐路についていた。彼らの館は隣同士だったから。
「一杯、やらない?」
オリヴィエは有無を言わせず、オスカーの館に上がりこむとさっさと酒の用意を始める。
「お前は……認めるんだな、奴のことを」
吐き出すようにオスカーが言う。
「ああ。認めるね」
「奴は、敵だった男だぞ? 彼女に何の目的で近づいてるのか判ったもんじゃない!」
オスカーは半ば怒鳴るように言った。
「オスカー、建前はどうだっていいんだ。本音で言いな。アンジェリークを奴に渡したくないんだって。奴がアンジェリークを抱いてたことが許せないんだろう?」
何の遠慮もなく、オリヴィエが言う。図星なだけにオスカーは返す言葉がない。
「自分で撒いた種だよ。あんたがちゃんとアンジェリークを受け止めてればこんなことにはなってない。仮令振ってたとしてもね」
アンジェリークの真剣な想いに同じだけ真剣にオスカーが答えを返していたら。子ども扱いして誤魔化すのではなく、アンジェリークの想いを受け止めていたら。そうすれば2人の関係はもっと違っていただろう。
アンジェリークの心の傷は深い。想いを認めてもらえなかったこと、想い人が他の女性と親しいこと、それが自分と同じ女王という立場にいる同じ歳の少女であること。癒えていなかった傷は、未だに血を流し続けている。そして、アンジェリークはオスカーを責めるわけでもコレットを非難するでもなく、自分が弱いのだと醜いのだと自分を責めている。
その傷ついた心を癒すのは、癒せるのはレヴィアスだけなのだ。2人の間にどんな心の結びつきがあったのかは判らない。けれど、レヴィアスはアンジェリークを愛していて、アンジェリークはレヴィアスを信頼しきっている。
「あんたには、何も言う資格はないんだ、オスカー」
冷たくオリヴィエは言い放つ。2人の恋を応援しようと思っていた。出来る限りの力になろうと思っていた。けれど……。
「愛しているんだ……」
オスカーが呟く。
「壊してしまうかもしれない……破滅させてしまうかもしれない……そう思ったら怖かった。アンジェリークのいない世界なんて考えられない。だから……アンジェリークの想いに応えられなかった……」
けれど、手放したくなかった。だから女王にした。アンジェリークの想いをわざと誤魔化して、彼女の恋心が自分から離れないようにした。
そして、その結果が、これだ。誰よりも愛しい少女は他の男の腕の中で女になっていた。嫉妬で気が狂いそうだった。
「諦めるのかい?」
挑発するようにオリヴィエが言う。
「……無理だな」
オスカーは自嘲する。諦められるのならばあんなに姑息な手を使って彼女の想いを繋ぎとめたりしない。コレットを使って嫉妬を煽ったりしない。
「ふ~ん、道は険しいよ? 守護聖は皆、あんたがアンジェリークを傷つけたことを知ってる。形振りかまわず、アンジェリークの許しを請うしかないね」
厳しいようなことをどこか優しい声で言う。
「彼女を傷付けた。覚悟はしてるさ」
翌日、ジュリアスたち守護聖はロザリアを訪ねた。昨夜は結局結論が出なかった。だから、補佐官でもあり親友であるロザリアに意見を求めたのである。
「わたくしは、陛下のお心のままに従いますわ」
反対派にとっては驚くべき発言であり、黙認派にとっては納得の出来る意見だった。
「だが、『皇帝』だぞ、ロザリア」
「アンジェリークにとっては必要な人です」
昨晩のオリヴィエと同じことをロザリアが言う。アンジェリークの最も側にいる2人の共通した言葉に、反対派の守護聖は沈黙する。
「陛下は大変な責任を背負っておいでですわ。その陛下を支えられるのは彼だけです」
ロザリアはきっぱりと断言する。まるで守護聖たちが役立たずだと言わんばかりに……。
「俺たちがいるじゃねぇか!」
ロザリアの言葉に反発してゼフェルが怒鳴る。アンジェリーク1人に責任を押し付けたりしていない。一緒に宇宙を支えてきたのだ。共に宇宙を育み、守ってきた。彼らの宇宙は侵略者に狙われるほど繁栄している。それは女王であるアンジェリークと守護聖の信頼関係が出来上がっているからこその繁栄のはずだ。
「陛下が……アンジェリークが苦しんでいることも気づかなかった貴方方に何が出来るというの」
ロザリアの言葉は氷の刃となって守護聖たちの胸に突き刺さる。それはアンジェリークの孤独を感じながら何も出来なかった守護聖たちも同様だった。
「わたくしは、あの子の為に最善の道を選びたいのです。仮令補佐官としてあるまじき選択だとしても」
凛とした表情でロザリアは言い切った。守護聖たちには返す言葉もない。女王の為。いや、『アンジェリーク・リモージュ』の為。
いつの間に、『女王』と『アンジェリーク・リモージュ』が分離してしまったのだろう。
女王候補だった彼女は愛すべき可愛らしい天使だった。女王になった当初も彼女は守るべき天使だった。時には窘めたり、叱ったり……そんな庇護を要する天使だった。だが、女王としての務めを果たしていくうちに彼女は変わっていった。女王として自覚が出るにしたがって、彼女には冒し難い何かが現れてきた。彼らの目に移る彼女は庇護すべき天使から畏れ敬う慈愛の聖母へと変わっていったのだ。
守護聖たちの態度は徐々に変わって行く。自分たちが感じた女王の姿に合わせて。彼らが望む女王の姿を感じてアンジェリークの態度も変化していく。守護聖たちは彼女が素晴らしい女王になることに喜びを感じ、そんな女王の守護聖であることに誇りを感じていた。だが、愛すべき天使を失いつつあるという寂しさもあった。自覚のあった者は僅かだったが……。
そんなときに多くの守護聖にとっては二度目の女王試験が行われた。聖地に召された同名の女王候補。彼女を深く知る前に、彼らはその名前によって彼女を女王に重ねた。同じく女王候補だった頃の彼らの天使に。
彼らの天使が失われたことの寂しさを埋めるように彼らは新たな天使の名を持つ少女と親しくなっていった。そして、無意識のうちに、彼女を女王として扱うことを避けた。再び天使を失わぬ為に。それが、彼らの本当の天使をどれだけ孤独に追い込むかも気づかずに。
いや、気づいていたものもいる。黙認派の4人だ。彼らはコレットには最低限の接触しか持たなかった。そして女王として遇した。だが、彼らに出来たのはそこまでだった。天使の孤独を深めることはないにしても埋めることは出来なかった。
アンジェリークは守護聖たちが望むままに『女王』として彼らに接した。そのことによって、アンジェリーク自身の感情を表に出すことは不可能になった。よほどのことがないと弱音も吐けない。時折オリヴィエに漏らす程度だった。だから、オリヴィエですら、彼女の孤独の深さには気づけなかった。
新しい女王と守護聖の関係が築けるはずだった。けれど、出来なかった。
重苦しい沈黙が場を満たす。それを崩したのは、不意に現れた女王だった。
「ロザリア? そろそろあの子たちが来る時間よ。どうしたの?」
アンジェリークが顔を覗かせる。全員が集まって深刻そうな顔をしている守護聖たち。何のことを話していたかは容易に想像がついた。
「わたしは、レヴィアスと会うのをやめないわよ」
きっぱりと、守護聖たちを見渡して言う。
「貴方たちに、わたしたちの邪魔は出来ない。仮令、貴方たちが許さないといっても、関係ないわ」
ジュリアスあたりから猛反発を食らうと思った。だが、予想に反して守護聖たちは何も言わなかった。言えなかったのだ。
気負っていったアンジェリークは少しばかり肩透かしを食らった気分だった。だが、レヴィアスは今の自分にとってなくてはならない人だった。だから、宣言しておく必要があったのだ。
「陛下、態々呼びに来てくださったの? そうですわね、参りましょう」
ロザリアは凍りついたように動けないでいる守護聖たちを一瞥するとアンジェリークを促して女王の執務室へと向かった。
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今日は土の曜日だった。育成状況の定期報告がある。アンジェリークとロザリアは女王執務室に向かっていた。
「ロザリア、あまり厳しいこと言っちゃ駄目よ」
アンジェリークが釘をさす。アンジェリークの負担を思うあまり、ロザリアのコレットに対する言葉はいつも棘だらけだ。
「仕方ありませんでしょう? お粗末な結果しか出ていないんですもの」
ロザリアは当然のことだとばかりに言う。
「確かにそうだったわ。でも今週は頑張ったじゃない。今までの2倍近くの結果が出てるのよ」
「あの子がこれまで如何に不真面目だったかの証拠ですわ」
「でも、だからって叱ってばかりじゃ、あの子余計萎縮しちゃうわ」
『後輩女王』としてのコレットをアンジェリークは気遣う。自分だって女王になったばかりの頃は戸惑いばかりが大きかった。それを有能な補佐官の親友と守護聖たちが支えてくれたのだ。
「それに、貴女がコレットを責めたら、レイチェルだって可哀想よ。彼女は本当によくやってくれているわ」
コレットの不備を補うかのようにアンジェリークやロザリアを手伝い、エルンストを手伝い、守護聖たちのご機嫌をとり……一番辛い思いをしているのは彼女かもしれない。コレットの育成不備を自分の罪のように責めている。
「……判りましたわ。陛下がそこまで仰るなら。でも、あの子の態度次第では、どうなるか判りませんわよ」
「よかった。だから好きよ、ロザリア」
「現在の幸福度は883ですわ」
コレットとレイチェルが立っている。正面にアンジェリークとロザリア。コレットの姿を見てもアンジェリークは不思議と穏やかな気持ちでいた。いつもは目を合わせることも嫌だったのに。
(レヴィアスのおかげかしら……)
泣きたいだけ泣かせてくれる、弱音を受け止めてくれる、自分を自分としてだけ見てくれる、受け止めて、安らぎを与えてくれる腕がある。
「まだ目標には達していないけど……でも、随分伸びてるわ。頑張ったわね、コレット。この調子ならすぐに遅れを取り戻せるわよ」
アンジェリークは優しく微笑み、言う。まさに聖母のような慈愛に満ちた微笑で。
「はい、頑張ります、陛下」
アンジェリークから好意的な言葉をもらったコレットは安心したように笑った。
「来週までの目標は1600だけれど……いきなりそこまでは追いつけないでしょうから、出来るだけ近づくように頑張ってね。きっと貴女なら出来ると信じているわ、アンジェリーク」
アンジェリークが励ますように言う。その言葉をコレットは『陛下はわたしを信頼してくださってる』と、都合よく受け止めた。その今1つ緊迫感のない表情に、やはりロザリアの口から棘のある言葉が漏れる。
「まだまだ十分ではありませんからね。気を抜かないで頂戴」
その瞬間、アンジェリークが新宇宙の2人には気づかれないように、ロザリアの足を踏む。
「……気を抜きさえしなければ、貴女ならきっとやれると信じていますよ、コレット」
仕方なく、ロザリアはフォローするように言った。
「もう、ロザリアったら! やっぱりあの子を責めるようなことを言って……」
「言わずにはいられなかったんですもの。しょうがないじゃない」
コレットとレイチェルが退出した後、2人はそんな会話を始めた。
「大体、順調に行ってはいないのに、2人そろって甘い顔できませんでしょう?」
「それはそうだけど……。じゃあ、今度はわたしから言うわ。もっと確りしなさい、って」
「駄目です」
「どうして? いつもわたしは甘いって言ってるじゃない」
「厳しく言うのは、憎まれ役はわたくしの務めです。陛下は、慈愛の存在でいらっしゃらなくては」
「ロザリア……」
アンジェリークはロザリアの言葉の裏の優しさに胸が温かくなる。
知っているから。アンジェリークがコレットをどんな風に思っているか。だから、アンジェリークがコレットを叱責することになれば、アンジェリークはそれが女王としての発言なのか、個人的感情に基づいての発言なのか思い悩むことになるだろう。仮令それが女王としての発言だとしても、自虐的になっているアンジェリークには、その言葉の中に自分の醜い嫉妬が隠れているのではないかと思ってしまうだろう。コレットごときの為にアンジェリークを思い悩ませることはしたくなかった。
尤も、快く思っていないコレットを誉めたり励ましたりすることはアンジェリークにとって苦痛だろうが、そのほうがまだ『先輩女王』として、やりやすいはずだった。元々アンジェリークは人の善の部分を強く信じているし、人のちょっとした美点を見つけ、素直に誉めることが出来るのだ。
だから、ロザリアはアンジェリークにはコレットを励ます立場で接するようにと言ったのだ。
「これからどうなるか……本当にあの子次第ですわね」
アンジェリークがコレットと謁見している頃、教官と協力者の計6名はジュリアスの執務室に集まっていた。勿論ジュリアスが集まるように命じたのである。
全員が集まるとジュリアスがオスカーを従えてやってくる。
「いきなり呼びつけて済まぬ。だが、事態は急を要するのでな」
そう言って、ジュリアスが告げたのは、『アリオス』の出現についてだった。全員が驚きの表情を浮かべる。『メモワール事件』と呼ばれる、聖地への黒い力の侵入事件には全員が何らかの形で関わっている。だから『アリオス』が復活し、その後行方不明になったことも当然知っていた。
「やっぱり……アリオスだったんだ」
メルがポツリと呟く。
「どういうことだ、メル」
それを聞き咎めてオスカーが言う。
「あの……アリオスに似た存在を感じ取っていたんです……。でも僕が知ってるアリオスじゃなくて……でも、邪悪なものでもなくて……確信がなくて、誰にも言ってませんでした」
オスカーの鋭い視線に晒されて、メルはおどおどしながら応える。
「アリオスであって、アリオスでない……。確かにそうだ。やつは『レヴィアス』を名乗っている」
ジュリアスが言う。再び、教官らが驚きの表情を浮かべる。
「ですが、メルは邪悪なものは感じないと……」
ヴィクトールがメルを擁護するかのように言う。彼らにとって『アリオス』は仲間であり、『レヴィアス』は邪悪な侵略者だった。
「それは我らも感じなかった。だが、彼奴自身がレヴィアスを名乗っているのだ。アリオスであることは否定している」
「お会いになったのですか、ジュリアス様」
更に驚いたようにエルンスト。
「ああ……奴は陛下に近づいている」
感情を押し殺したような声でオスカーが応える。
「でも……何の為にアリオスさんが陛下に?」
「……」
ティムカの問いにジュリアスは沈黙で答える。
「……奴の狙いは判らん。だが、一度ならず陛下の命を狙っている。しかも、一度は何かに操られて、な」
オスカーが言う。何かを隠しているらしいということは、ここにいる全員が感じ取っていた。だが、オスカーとジュリアスがそのことを隠している以上、それを聞き出すことは不可能だろう。そして、オスカーの言うことも納得できるものではあった。レヴィアス本人の意思はともかく、彼は一度は『黒い力』に操られ、女王たちの命を狙っているのだ。今回ここに現れたことが全く無関係とは言い切れないのだ。
「とにかく、奴が現れた理由も目的も判らぬ以上、陛下に近づけるわけには行かぬ。用心してくれ」
ジュリアスがそう言ったとき、チャーリーが初めて口を開く。
「陛下に近づいとるんはカモフラージュとちゃうんですか?」
「確かに可能性はあるね。アリオスなら、アンジェリークが目的かもしれない」
セイランの言葉に教官・協力者たちは頷く。彼らにしてみればそのほうが納得できる意見だった。
「それはないな。あのお嬢ちゃんには何の価値もない」
きっぱりと即座に否定したのはオスカーだった。
「そんな言い方はひどいです、オスカー様」
ティムカは怒りを含んだ表情で言う。
「彼女だって女王ではありませんか」
「あのお嬢ちゃんが女王? ああ、一応立場は女王だな」
それに応えるオスカーの言葉は冷たい。
「だが、それじゃあ訊くが、この中にあのお嬢ちゃんをちゃんと女王として敬ってる奴はいったい何人いるんだ?」
オスカーのその言葉に全員が沈黙する。
「どうなんだ、エルンスト?」
オスカーが主任研究員に水を向ける。彼は研究員の責任者としてあらゆる数値データを把握している。
「……一番敬意が高いのはオスカー様の55……あとは50前後です」
最も低いのは、ここにいるメンバーの中ではエルンストで45、全員を対象とすればオリヴィエの38だ。
「誰1人として、お嬢ちゃんを女王なんて思ってないんじゃないのか? そんな人間に奴が近づくはずないな」
オスカーの声は冷たい。
「……やめぬか、オスカー」
言いたいだけ言わせておいて、ジュリアスはオスカーを諌める。オスカーも形ばかり一礼して引き下がった。
オスカーの言葉は少なからず彼らにショックを与えていた。
「ともかく、彼奴には十分に気をつけてくれ。陛下に近づけてはならぬ。よいな」
ジュリアスの言葉に彼らは頷くと、心持青ざめた表情で退出していった。
「言いすぎだな、オスカー」
ジュリアスは責めるでもなく叱責するでもなく淡々とした口調で言った。事実には違いないから、責めるわけもないのだが。
「は……」
短くオスカーが応える。こちらも謝罪などしない。
「彼奴を近づけるなと命じたのは、守護聖としてか?」
だが、その問いにオスカーは答えない。これが答えだ。
「そうか……。わたしとて同じだ。私情が多分に混じった命令だ……。首座としてはあるまじきことだがな」
この1日……いや昨夜からの数時間のオスカーを見て、ジュリアスは気づいていた。常の彼らしからぬ激昂ぶり。それは紛れもなく嫉妬の為なのだと。オスカーはアンジェリークを愛しているのだと。
何故オスカーが彼女を拒絶したのかは判らない。或いはその後彼女を愛したのかもしれない。オスカーがいつから彼女を愛しているのは判らなかったが、今現在のオスカーは彼女を愛しているのだと気づいた。
「知っているだろうが……わたしは一度アンジェリークに振られている。彼女の幸せを願っている。だから、レヴィアスとのことは認めるべきなのかもしれない。だが……出来ぬのだ。彼奴だけは、どうしても許せぬのだ」
自分の気持ちを確認するかのように、オスカーに聞かせるかのようにジュリアスは言う。
「まだ、そなたならば許せるかもしれない……」
ジュリアスの言葉にはっとしたようにオスカーは顔を上げる。
「わたしは、陛下の真の幸福はそなたと共にあるのではないかと思っている」
「ジュリアス様……それは……」
漸くのことでオスカーは言葉を発する。
「だが、再びそなたがアンジェリークを傷つけることがあれば、そのときは容赦はせぬ。心しておけ」
真剣な、だがどこか優しさを含んだ眼でジュリアスはオスカーを見つめた。
ジュリアスの執務室から退出したエルンストは王立研究院に向かっていた。
『アリオス』の出現。驚くべき事態だ。だが、この大陸でなら何が起こっても不思議ではないという思いもある。
だから、今彼の心を占めていたのはアリオスのことではなく、オスカーの言葉だった。
『誰1人として、お嬢ちゃんを女王なんて思ってないんじゃないのか?』
その言葉は大きな衝撃を彼に与えていた。そして、納得のいく言葉だった。
王立研究院主任として女王試験に関わった。彼女が関係した二度の危機にも関わっている。そして、王立研究院の研究者として、リモージュ女王の治める宇宙の状態もよく知っている。だから、ずっと違和感を感じていたのだ。アンジェリーク・コレットという『女王』に。
エルンストは聖地に住む守護聖たちに畏敬の念を抱いている。宇宙の運行を研究する者として。そして、女王と補佐官の存在は彼にとって大きな謎であり、崇敬の対象だった。それはアンジェリーク・リモージュという想像とはちょっと違った、普通の少女としての女王の一面を知った後でも変わらなかった。
敬愛する女王。彼女の治める宇宙を研究できる喜び。彼女の治世に微力ながらも協力できる誇らしさ。そんなものをエルンストは持っていた。だから、女王試験に携わることになったときには張り切ったし、事があるたびに召喚されることですら嬉しかった。
だが、もう1人の女王、コレット。彼女をどうしても『女王』として見ることは出来なかった。何も1人の少女として見ている、というわけではない。彼女を『女王』として敬うことが出来ないのだ。どうしても比べてしまうのだ。
アルカディアと名づけられ、女王アンジェリーク・リモージュの力によって維持されている大陸。
コレットの宇宙の、未来の女王が時空移動させた大陸。本来ならば、コレットが維持しなければならない大陸。
けれど、この地に満ちているサクリアはコレットのものではなく、アンジェリークのものだ。
アンジェリークの力は、この大陸と空間を維持する為に大量に放出されている。通常であれば、5年間で放出するほどの力を、女王はこの僅かな115日という期間に費やさねばならないのだ。それがどういうことなのか。つまり、アンジェリークはこの大陸を、自分の宇宙には何ら関係のない世界を守る為に、自分の治世を犠牲にしているのだ。
慈愛の存在だとエルンストは思う。全ての生命を愛しているのだと。それが自分の宇宙であろうが、他人の宇宙であろうが、或いは侵略者であろうが……。
頼りない、何の自覚もない不心得な小娘の為に、そんな慈愛の女王が犠牲になろうとしている。本来ならばアンジェリークのサクリアは彼女の宇宙に注がれ、更なる安定と発展を齎しただろう。これまでに存在し得なかったほどの素晴らしい宇宙に発展したに違いない。その未来を奪ったのがコレットなのだ。これでコレットを敬えというのは無理な話だった。
そんなことを考えているうちにエルンストは王立研究院に辿り着いていた。
「よう、エルンスト。久しぶりだな」
中に入ろうとしたエルンストに背後から声がかかる。
「貴方は……アリオス!」
エルンストは研究院内の自分の部屋へレヴィアスを招き入れた。ジュリアスたちから警戒するようにという指示は受けていたが、ただ追い返したのでは何も判らない。だから、彼の話を聞いてみる気になったのだ。
「俺のことはジュリアスあたりから聞いているか?」
「ええ。陛下に近づいていること、貴方がアリオスではなくレヴィアスを名乗っていることは」
そう答えながらエルンストは目の前にいる青年を観察する。雰囲気は自分たちが仲間と信頼していた頃の彼と似ている。だが、『アリオス』に比べ、その存在には他を従えるような静かな迫力があり、より思慮深さと聡明さが勝っているようだった。これが彼の、『レヴィアス』の本来の姿なのだろう。
「それで、わたしを訪ねていらしたのはどうしてです?」
「ああ、頼みがあってな」
「頼み?」
「俺の魔導の力を調べて欲しい」
レヴィアスの依頼にエルンストは応えた。勿論、その理由を尋ねて納得した上でのことだった。依頼に応えるというよりは感謝し、喜んで協力した。
レヴィアスは、自分の魔導がアンジェリークのサポートにならないか、と考えたのだ。
かつて自分が皇帝としてアンジェリークの宇宙に及ぼした魔導の力は破壊の力だった。一方のアンジェリークのサクリアは創造し、育み、安定させる力。正反対だ。だが、元々は同じように宇宙を支配し守る為の力なのだ。根本にあるものは同じはずだった。
だから、レヴィアスは自分の力の残量を数値化するように依頼した。そして、それがどの程度の期間、アンジェリークのサポートが出来るのかを計算させたのだ。
「まず、通常、聖地で陛下が放出されているお力を1として考えます」
コンピュータのディスプレイを示しながら、エルンストはレヴィアスに説明する。
「次に、現在の陛下の1日の力の放出量ですが……この大陸を維持する為に6.7、狭間の収縮に拮抗する為に9.1、つまり1日で15.8の力が必要になるのです」
つまりは通常約16日かけて使う力を使わねばならない。
「陛下は……本来であれば5年かけて使うと力をこの115日間に使い切ってしまわれる計算になります」
説明しながらエルンストの表情が苦痛に歪む。
「このままじゃ、アンジェリークはこの大陸の為に自分の力を使い果たしちまうのか……」
「ええ……そうなります」
アンジェリークの女王のサクリアは強大なものだった。あと5年は余裕で宇宙を導くことが出来るはずだった。それは外界では数百年に及ぶ長い時間だったはずだ。
「そんなことさせるか! で、俺の力はどうなんだ? 俺の魔導の力なんて、使い切っちまって構わないんだ」
コレットに対する怒りが湧いてくる。だが、そんなことよりも、今はアンジェリークの負担を出来る限り軽くしてやりたい。
「貴方の魔導を数値化したのがこれです、1095。残された日数は残り81日。1日に13.5の力を放出できますから、陛下のご負担は2.3となりますね」
そうすれば少なくとも3年はアンジェリークの治世が残されることにはなる。それがアンジェリークにとって幸福かどうかは判らない。けれどアンジェリークの宇宙の民にとってはより望ましいことだ。そして、アンジェリークの負担を約7分の1まで減らすことが出来る。
「じゃあ、俺の魔導の力は十分あいつを手助け出来るって訳だな……」
ほっとしたようにレヴィアスは言う。
「ええ、十分に。けれど、貴方の力は殆ど残りませんよ? 急激にそれだけの力を使ってしまったら、命の保証もない……」
「あいつだって同じだろう? あいつが無事なら、それでいい……」
レヴィアスの表情はとても優しいものだった。アンジェリークへの愛に満ちている。
(彼が陛下に害を為すとは思えない……)
寧ろ、彼はアンジェリークの強い守りだ。恐らく守護聖よりも……。
「では、1日に一度ここにいらしてください。その上で魔導の放出量を調整して、残量を測定しましょう」
エルンストは、レヴィアスを心強い同志として認識していた。
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コレットは朝から気分が良かった。昨日の定期報告では目標には達しなかったものの、女王陛下からはお褒めの言葉をいただいたのだ。だから、今日は安心して休養できるというものだった。
今日はどうしよう? そう考えて、コレットはオスカーを訪ねることにした。
オスカーは自分と一番親しい人物だった。他の人はなんだか素っ気ない。オリヴィエやエルンストなどはコレットと会うだけで不機嫌そうな表情をする。他の人も似たり寄ったりで、コレットを快く迎えてくれるのは年少組の守護聖を除いてはオスカーだけだった。
コレットはオスカーの館へ向かい、彼を誘おうと思った。一緒に天使の広場にでも行って、お買い物をして……。そんなふうに計画を立てながら。
コレットが訪ねたとき、オスカーはちょうど出かけようとしていた。
(わたしを誘いに行こうとしてくださってたのかしら)
そんなふうに都合よく解釈するのも無理はなかった。日の曜日に限らず、オスカーは頻繁にコレットを誘っていたから。だが、コレットのそんな夢想はあっさりと破られる。オスカーはコレットを冷たく見下ろしたのだ。まるで、他の守護聖たちのように。『何故ここにいるんだ』というように。
それでもコレットがオスカーを誘うと、オスカーはにべもなく断った。これから女王陛下の許に行くというのが理由だった。
「お仕事ですか?」
それならば仕方ないと思いながらコレットは訊いた。
「いや、個人的なことだ。そこまで送ろう」
そう言ってオスカーはコレットを追い立てるように外に出る。館を出ると、オスカーは形だけの挨拶をするとコレットのことなどもはや眼中にはないような足取りで女王宮へと向かっていった。
コレットはまるで自分のことなどいないかのように足早に女王宮へ向かうオスカーの背中と寂しく見送った。これまで、日の曜日はずっと一緒だったのに。どうして今更陛下の所なんか……。
1つ溜息をつくとコレットは気を取り直して、『約束の地』に向かう。そこには大切な人がいるはずだ。自分だけを見てくれる人。アリオス。
「アリオス!」
コレットは彼の後姿に、嬉しそうに声をかける。まるで主を見つけて走り寄る犬っころのようだった。
だが、振り向いたアリオスを見て、コレットの足が止まる。なんだかいつもと違う……。
自分を冷たく一瞥する彼の眼。まるで、価値のないもの、否、それどころか害にしかならない塵を見るような蔑んだ眼。アリオスじゃない……『皇帝』!
レヴィアスは近づいてくるコレットにあからさまな嫌悪の目を向ける。
「迷惑なんだよ。お前にまとわりつかれるのは」
凍りつくような冷たい声。だが、コレットはそれでも僅かな期待を言葉にする。皇帝のはずはない、彼はアリオスなんだ。自分に好意を持っている……。
「どうして? 過去のことはもう関係ないじゃない。貴方そう言ったわ」
「ああ。過去は関係ない」
切り捨てるようにレヴィアスは応える。レヴィアスは、アンジェリークの為にならないものを排除する為にここにいた。だから、コレットには容赦はしない。
「お前、女王だって言ったな? 宇宙を統べる存在なんだって。だが、お前がやってることっていったい何なんだ? ここに来て俺と喋って、守護聖どもと遊び呆けて。育成してるんだって言ってたな。育成の意味知ってるのか? お前が育成してるんなら、お前のサクリアとやらを感じ取れるはずだよな、ここから。でも感じない。微塵もな。あるのはあいつの慈愛に満ちたサクリアだけだ」
レヴィアスの言葉に容赦はない。彼にとってコレットはアンジェリークの負担をかけるお荷物でしかない。
「だが、お前が遊び呆けてる影でどれだけあいつに負担がかかってるか。お前は考えたことがあるのか?」
そう言うとレヴィアスは背を向けて歩き出す。
「待って、アリオス」
「俺はアリオスじゃない。レヴィアスだ。あばよ、偽天使」
これは最後の賭けだ。これでコレットが自覚すればその分アンジェリークの負担も軽くなるだろう。もし駄目ならアンジェリークにこの宇宙を放棄させる。自分の魔導全てを使って、無理にでもアンジェリークの宇宙への道を開いてやる。こんな大陸どうなろうと知ったことじゃない。コレットの未来の宇宙とやらも同様だ。
(俺もお優しくなったもんだぜ……。アンジェリーク、お前の所為だぞ)
苦笑しながら、レヴィアスは『約束の地』を後にした。
再び取り残されたコレットは混乱していた。
アリオスじゃない? レヴィアス? どうして? どうしてレヴィアスなの? 確かに彼はアリオスだったはずなのに。
冷たいアリオス、彼は陛下と何か関係があるのだろうか?
彼は陛下のことを『あいつ』と呼んでいた。その言葉には、慈しみがあった。優しさがあった。
『だが、お前が遊び呆けてる影でどれだけあいつに負担がかかってるか。お前は考えたことがあるのか?』
『育成してるんだって言ってたな。育成の意味知ってるのか?』
レヴィアスの言葉が蘇る。そう、わたしはどうして育成をしているの? 育成をするとどうなるの?
コレットは改めて考えた。
育成するのは『封印されし者』を解放する為。エレミアの幸福度がいっぱいになれば解放される。その為に育成をしている。いっぱいって、どれだけ? そう、6000。今は? 883。全然足りない。残りは何日? 81日……。大丈夫なの? でもどうして残りの日数が定められていたの? そう、陛下がそのお力で狭間の収縮を抑えてくださるから。それが限界だから。
大陸を安定させながら、狭間の収縮に拮抗する。それがどんなに大変なことか。レイチェルも言っていたではないか。『自分だったら、命の危険があると判ってるのにあんなことは言えない、お2人の信頼関係ってすごいよね』と。
昨日陛下は優しい言葉を下さった。いつも励ましてくださって……自分はそれに甘えていたのだ。久しぶりにオスカーと過ごせたことが嬉しくて。アリオスに再会できたことが嬉しくて。そちらばかりに気をとられていた。
わたしはなんて馬鹿だったのだろう……。
漸く、コレットはそこまで考えが至った。そして、守護聖をはじめとした関係者の態度に納得した。陛下に近い位置にいる人ほど冷たかった。ロザリア、ジュリアス、オリヴィエ、リュミエール、そしてエルンスト。当然ではないか。自分の宇宙の問題なのに、全てを陛下に任せてしまっていたのだから。
「今からでも間に合うかしら……ううん、間に合わせなきゃ」
陛下はどんなときも笑顔で接してくださった。優しく励ましてくださった。
コレットは慌てて自分の部屋へと戻った。
「えっと、これと、これと、これと……あった、これ!」
ばたばたとこれまでの資料をひっくり返し、集める。そして、それを確りと胸に抱き、レイチェルの許に向かう。
「レイチェル、もっと効率よく育成できるように、1日も早く陛下の負担が軽くなるように一緒に考えて」
部屋に飛び込んできたコレットに目を丸くしていたレイチェルは、その言葉を聞いて嬉しそうに笑った。
「オッケー! 任せて!!」
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コレットを殆ど無視して、オスカーは女王宮へやってきた。
正直にいってここまで来るのに非常な勇気を要した。ここへ来る決心をつけるのにも。
だが。アンジェリークを愛している。アンジェリークを他の男になど渡したくない……。
だから、オスカーはここへやって来た。アンジェリークに赦しを請わねばならない。彼女を傷つけたことを。
簡単に許されるとは思っていなかった。彼女をどれだけ傷つけただろう、自分のエゴの為に。自分がつけた傷を癒す為に、彼女はレヴィアスを求めたのだ。安らぐ場所として……。
余計に彼女を傷つけ、苦しめるかもしれない……そんな不安がある。いや、彼女を苦しめるだろうことは殆ど確信している。それでも、アンジェリークを求める心を抑えることは出来なかった。
オスカーがアンジェリークの執務室を訪れたとき、彼女は1人だった。常に側にいるはずのロザリアはエルンストから緊急の、しかも内密の用があるということで王立研究院に行っていたのだ。
何の前触れもなくオスカーが訪れたことにアンジェリークはひどく驚いたようだった。聖地であれば、取り次ぐ女官がいる。女王が1人になることはない。だが、ここでは違う。町の女性たちが掃除や食事の世話などをしてくれるが、それだけだ。
「……オスカー……どうしてここに……」
コレットは炎の館に行ったとレイチェルから報告を受けている。平日も休日も、コレットの予定は全てレイチェルから報告を受けているのだ。コレットは毎週のようにオスカーの所へ行っていた。そして、オスカーも彼女の訪問を受け入れ、デートしていた……。きっと、今日もそうなのだと思っていた。
「身辺警護を……強化する為です」
驚愕に見開かれたアンジェリークの瞳を見つめオスカーは言う。驚くのも無理はない……。こうして自ら彼女を訪ねたことなどなかったのだから。聖地にいた頃も、ここへ来てからも……。聖地ではプライベートでアンジェリークと訪ねるものはオリヴィエとリュミエールだけだった。他の守護聖は職務でなければ、彼女の許へは行かなかった。彼女は『女王』だったから。ここへ来てからは、ルヴァやクラヴィスも頻繁に訪れてはいるようだったが、オスカーは一度もなかった。
何度も訪れようとはした。だが出来なかった。アンジェリークは傷ついている。その傷をつけたのは他ならぬ自分だ。それゆえに彼女に面会を拒絶されるのが怖かった。だが、一方ではアンジェリークの傷が癒えていないことは即ちまだ自分に想いを残している証拠だと喜ぶ自分がいた。そんな浅ましい自分の姿を見せることも怖かった。だから、楽なほうに流れた。
「身辺警護……? 何からわたしを守るというの……?」
アンジェリークの表情が歪む。
「守るんじゃないでしょう。それはわたしにレヴィアスを近づけない為?」
アンジェリークの声は震えている。そして、本来の彼女にはありえないはずの皮肉な口調だった。
「……そのとおりです」
オスカーは応える。アンジェリークにレヴィアスを近づけたくない。仮令、アンジェリークが望んでも。そのほうがアンジェリークが安らげるのだと判っていても……。
「守護聖もご苦労なことね……。無駄なのに」
オスカーの言葉に、アンジェリークはそう返す。彼は『守護聖』だから。ここの『警備責任者』だから……。だから、かつての敵であるレヴィアスを警戒しているのだ。アンジェリークはそう思った。
彼が、自分を訪ねてくれたのは即位以来初めてだ。自分が避けていたからかもしれない。オスカーと2人っきりになったことなど、殆どない。避けてきたから。怖かったから。まだ、彼を想っている。だから、彼の周りにいる女性たちに嫉妬していた。彼と接すれば、いやでもそんな醜い自分と向き合わなくてはいけない。
レヴィアスが現れて、漸く安らげる場所を見つけたのに。逃げる場所を得たのに。オスカーが訪ねてきた。また、心が波立つ。『守護聖』としての責任感からやって来たに過ぎないのに。けれど、コレットではなく、自分の許に来てくれた……。寂しさと、戸惑いと、そして喜び……アンジェリークの心は乱れる。
「……守護聖じゃない。俺が君に奴を近づけたくないだけだ」
オスカーの口調が変わる。声が低くなる。アンジェリークを見つめる蒼氷色の瞳は彼女を貫くかのような強い想いを込めたものだった。
「俺は……ずっと君を愛してきた……」
アンジェリークにとっては思いもよらぬ言葉がオスカーの口から発せられる。アンジェリークは大きく目を見開き、彼を見つめる。
「だから、奴に君を渡しはしない」
オスカーの蒼氷色の瞳の中に炎が見えるようだった。炎はその温度が高ければ高いほど、青く、白くなっていく。彼の瞳の色が、そのまま炎のようだった。オスカーはそんなにも自分を、熱く、熱く求めているのだろうか……。
(怖い……!)
アンジェリークはオスカーの真剣な眼差しに怯えたように後退る。
オスカーの眼差しが怖かった。彼の情熱が。想いの強さが。そして、彼の胸に飛び込みたがっている自分が……。
けれど。忘れてはいない。自分の真剣な恋に、彼がどんな態度をとったのかを。
「嘘……貴方、わたしの想いを否定したじゃない……」
アンジェリークは震える声で言う。オスカーの言葉を信じたいという思い。再び傷つきたくないと警戒する心。アンジェリークの心は揺れていた。
「愛してる……」
オスカーはアンジェリークに向かって一歩を踏み出す。かつてのように、彼女に触れたかった。あの柔らかな金糸の髪に。柔らかく温かな頬に。
「嘘……!!」
アンジェリークは激しく頭を振る。彼の言葉が信じられない……いや、信じたい、けれど再び傷つくことが怖かった。
「どうして今更そんなことを言うの? 貴方はわたしを拒否したのよ?」
オスカーの顔が苦痛に歪む。そう、アンジェリークを傷つけた。自分のエゴで、彼女の心を繋ぎとめる為に彼女を拒否したのだから。
「ああ……君を傷つけた」
けれど、オスカーはアンジェリークから目を逸らさなかった。アンジェリークの全てを絡めとるような視線に、アンジェリークは息が詰まる。けれど、心の一部は喜んでいる。
信じていいの……? オスカーはわたしを愛しているのだと、信じてもいいの……? アンジェリークの心は揺れる。信じたい。彼に愛されているのだと信じたい。ずっと、彼に愛して欲しいと願っていたのだから。
けれど、傷つくことを恐れる心が警鐘を鳴らす。何故今、このときに彼がこんなことを言い出したのか……と。
「レヴィアスの所為……? 彼が現れたから、そんなことを言うの?」
「ああ、そうだ! やつに嫉妬した! やつを殺してやりたいと思った! あんなにも人を憎んだのはあれが初めてだ!」
オスカーは叫ぶ。彼の偽りのない本心だ。レヴィアスの腕の中にいるアンジェリークを見たとき、オスカーは怒りと嫉妬で何も見えなくなった。守護聖であることも、全てがどうでもよかった。ただ、アンジェリークを抱くレヴィアスが赦せなかった。
アンジェリークはそんなオスカーを驚愕の眼差しで見つめる。こんなオスカーは見たことがない。いつも自信たっぷりで、人を小馬鹿にしたような態度で……。こんなに感情をむき出した彼を見たことがなかった。
アンジェリークの心に僅かな喜びが芽生える。オスカーが嫉妬している! それはわたしのことを愛しているの? だから、レヴィアスが憎いの? 信じていいの?
けれど、再び傷つくことを恐れる心はそれを否定する。信じてしまうのが怖い。もう……傷つくのは嫌……。
「本当に……? いいえ、きっと違う。貴方は彼に対抗してるだけよ。貴方のことを好きだって言っていたわたしがレヴィアスに抱かれたから……プライドを傷つけられただけ……だから、そんなこと言うんだわ!」
臆病な心がそう言わせる。
震え、怯えた表情のアンジェリークにオスカーは胸が締め付けられる。一歩アンジェリークに近づく。アンジェリークは怯えたように体を震わせる。そっとオスカーはアンジェリークに触れる。繊細な硝子細工に触れるように優しく、細心の注意を払って、彼女の色を失っている頬に……。
「そう思われても……仕方ない。これまで俺がやってきたことを考えればな……」
不思議に穏やかな声が出る。
「すぐに君が信じてくれるとは思わない……。だから、これからは俺が君を求める番だ。君が再び俺を見てくれる日まで。俺の愛を信じてくれる日まで……」
そう、すぐに自分の告白を信じろというのが土台無理な話なのだ。それだけのことを彼女にしてきたのだから。策略を使って、彼女の心を弄んだ。エゴの塊だった。だから、再び彼女の愛を得る為には、それを償わなければならない。そして、真剣な想いを誠意を持って捧げなければならない。
「君が俺の想いを信じた上で、それでも奴を選ぶのなら仕方ない……。君を諦められるかは判らないけれど」
そう言って、オスカーは笑った。いつもの自信たっぷりな笑顔ではない。どこか人を揶揄うような笑顔でもない。切なくなるような、寂しげな、けれど優しい笑顔だった。その笑顔はアンジェリークの心に深く刻み込まれた。
(オスカー……)
「……仕事しなきゃ……」
オスカーの笑顔をに見入っていた自分に気づき、アンジェリークは慌てたように言った。
「お手伝いしますよ」
即座にオスカーが言う。
「でも……貴方、今日は休日だわ」
ずっとオスカーと一緒にいたら平静ではいられない。そう思って、アンジェリークは言う。けれど、オスカーに引き下がる気はなかった。
「サクリアを使うわけではありませんからね。それに……俺は少しでも君の側にいたい。君が、俺の顔など見たくもない、これ以上一緒にいるのは苦痛でしかないというなら別だが……」
前半は守護聖の顔をして、そして言葉の後半は1人の男の顔で言う。
まっすぐな熱い視線で見つめられ、アンジェリークの心はときめく。
「……判ったわ……。手伝ってくれる? コンピューターには詳しい?」
アンジェリークが頬を微かに染めて応える。その表情と言葉にオスカーは嬉しそうに笑う。その笑顔が、アンジェリークの胸を更にときめかせた。
ロザリアは女王執務室に入った途端、その光景を見て夢を見ているのではないかと思った。
アンジェリークはコンピュータに向かい、仕事をしている。その隣では真剣な顔をしたオスカーが画面に見入り、アンジェリークと話している。アンジェリークもそれに真剣な表情で応えている。これまでの、2人の間にあった緊張した息苦しくなるような空気はない。それどころか、優しく穏やかな空気が流れていた。
この光景をどれほど見たいと願っていただろう……。アンジェリークとオスカーが笑って並ぶ姿を。いや、まだロザリアが望んだ姿ではない。けれど、少なくとも前進してはいる。
「あ、ロザリア、お帰りなさい」
戻ってきたロザリアを見て、アンジェリークが明るく言う。その声のトーンもいつもより明るいものに聞こえたのはロザリアの気の所為ではないだろう。
「エルンストの緊急の用事ってなんだったの?」
再びディスプレイに目を戻し、アンジェリークが尋ねる。
「え……? ああ、大したことではありませんわ。個人的なことです」
「そう」
「ええ」
勿論、嘘だった。エルンストから、レヴィアスの協力のことを聞かされたのである。そして、レヴィアスの魔導の力を徐々にアンジェリークのサクリアに換えていく為の打ち合わせを行ったのだ。ただ、宇宙を支える力であることは同じではあるが、性質は同じではない。その為、一度にアンジェリークのサクリアを減らすのではなく、徐々に換えていくことにした。そのことによって、アンジェリークがこの大陸で使い果たしてしまうはずだったサクリアは、少なくとも3年は治世を保つことが出来るようになった。代わりにレヴィアスはその魔導全てを使い切ってしまうが……。
「でも、珍しいことですわね。オスカーがここにいるなんて」
ロザリアは心持弾んだ声で言った。自分の不在の間に何があったのだろう……。
「これからは、時間の赦す限り、陛下のお側にいるつもりだ。ロザリア、宜しくな」
オスカーが言う。
「わたしが羽目を外さない為のお目付け役なんですって」
アンジェリークが悪戯っ子のような表情で言う。
「無理をしすぎない為の、だ」
オスカーがこつん、と軽くアンジェリークの頭を小突く。その一瞬、アンジェリークの躰が僅かに強張る。
(ああ……そうか……)
まだ、関係が修復できたわけではない。けれど、2人は今の状況から抜け出す為に動き出したのだ。恐らくは、オスカーのほうから。レヴィアスの存在が、オスカーの行動の引き金になったことは間違いない。
「じゃあ、助っ人も入ったことですから、今日はこれだけの書類を決済してくださいね」
ロザリアは明るく、努めて明るく、そう言った。アンジェリークが少し無理をしていることは、先ほどの僅かな緊張が示している。けれど、アンジェリークはオスカーの行動を受け入れようとしているのだ。自分たちの関係を少しでも改善する為に。
どうなるかは判らない。アンジェリークは真剣にオスカーに恋をした。オスカーはその想いを否定し、アンジェリークを傷つけ続けた。アンジェリークは安らぎを求めて、レヴィアスと愛し合った。依然、オスカーに恋したまま……。
けれど、とにかく動き出したのだ。オスカーも、アンジェリークも。何かが変わっていく。それが良い方向へ向かうのか、破滅へと向かうのかは判らない。仮令、アンジェリークが最終的にレヴィアスを選んだとしても、このままでは本当に幸せにはなれないだろう。オスカーとの決着をつけなければ。
(アンジェリーク……貴女には幸せになって欲しい……)
アンジェリークが幸せになる為なら、なんだってしよう……。オスカーの味方をするとか、レヴィアスに協力するとかではない。ロザリアはアンジェリークの為だけを思って、2人の男を見定めるつもりでいた。
結局、その日、オスカーは夕食を共にしてから、館に戻った。彼が館に戻る頃にはアンジェリークも幾分か緊張を解いていた。だが、1日中気を張っていたのか、オスカーが帰ると、早々に寝室に入っていった。
それから、オスカーは毎日、アンジェリークの許を訪れるようになった。だからといって、『愛してる』を連発するわけでもない。ただ、アンジェリークの仕事を手伝うだけだ。自分の目では確かめられない町の様子をアンジェリークに報告したり、過去の経験から得た知識をアンジェリークにアドバイスしたり。そして、お茶の時間やランチのときにはアンジェリークが楽しめるような話題を提供したり……。
アンジェリークも初めのうちは緊張していた。時折、オスカーの真意を探るような目で見たりもしていた。けれど、オスカーはただ、彼女の側にいるだけだった。それ以上は何も望まずに。ただ、彼女を守るように……。
不思議と穏やかな時間が流れていた。
オスカーがアンジェリークの許へ日参するようになってから10日が過ぎた。
彼がアンジェリークへの想いを吐露したのは、最初の1日だけだった。その後は何も言わない。『愛している』とも『愛してくれ』とも……。レヴィアスについて触れることもなかったが。ただ、アンジェリークを見つめる瞳だけが雄弁に語っていた。『愛している』と……。
アンジェリークは初め戸惑っていた。言葉よりも雄弁に語りかけてくるオスカーの眼差し。言葉ではないぶんだけ、偽りのない想い。
オスカーはわたしを愛している。わたしはオスカーに愛されている……。オスカーの想いが心に染み込んでいく。アンジェリークは喜びを感じる。そして、オスカーが側にいることに何の違和感も感じなくなっていく。まるで女王候補だった頃のように。
だが、まだ恐れている。いつか、やはりオスカーは自分を傷つけるのではないかと。自分の弱さゆえに傷ついてしまうのではないかと……。
オスカーが退出した後、アンジェリークは自室に戻った。
(オスカー……)
溜息が漏れる。自分だけを見つめるオスカーの眼が心地よかった。いつまでも自分だけを見て欲しい……。けれど、いつまで自分を見てくれるのだろう? そして、彼は本当に自分を見ているの?
単にレヴィアスへの嫉妬から自分でも誤解しているだけではないの……?
信じたい、けれど、傷つくのが怖くて信じきれない……。
「随分悩ましい溜息だな」
不意に背後から声がした。振り向くとレヴィアスが立っている。魔導で転移してきたらしい。
「もう、レヴィアスったら……レディの部屋にノックもなしだなんて失礼だわ」
一瞬驚いたものの、アンジェリークは微笑んで言う。
「レディ? どこにいるんだ?」
揶揄うようにレヴィアスが言う。
「もう!」
膨れて見せるアンジェリークにレヴィアスは笑い出す。
「……顔色が良くなってきたな」
真顔に戻って、レヴィアスは言った。
再会した頃に比べて、顔色が良くなっている。恐らく、サクリアの負担が減ったからだろう。あの頃の3分の1にまで、アンジェリークの負担は減っていた。
そして……表情が明るくなっていた。
アンジェリークとオスカーの関係に変化が訪れていることをレヴィアスは知っていた。いつもアンジェリークの様子を気にかけていたから。毎夜訪れる王立研究院で、エルンストからアンジェリークの様子は聞いていた。
「このところ毎日、オスカー様が御前にいらっしゃいます」
エルンストはそう言った。そして、アンジェリークは別に変わったところはなく、どちらかというと楽しそうにしているのだとも。
ロザリアからも、このところアンジェリークか声を出して楽しそうに笑うようになったとも聞いた。そう言ったロザリアの表情には安堵の色があった。
全て、オスカーが行動を起こしたからだった。そして、オスカーが行動を起こしたのは、レヴィアスが現れたからだ。
アンジェリークにとって、よい方向へと変化が訪れている。レヴィアスはそう感じていた。喜ばしいことのはずだった。
アンジェリークの笑顔の為に、彼女の幸福の為に、それだけの為にレヴィアスはここへやってきた。
(お役ご免になる日もそう遠くはないな……)
その日が来るのが寂しい気がした。いや、寂しいのではない。その日が来ることを恐れているといってもいい。しかしそれも当然なことだ。仮令条件付の生とはいえ、再び愛する女の許に戻ることが出来たのだから。
けれど、レヴィアスは自分の存在理由を忘れてはいなかった。
ただ、アンジェリーク・リモージュを幸福に導く為だけに存在を赦された。『ラ・ガ』という未来の宇宙の禍々しい存在によって、無理に復活させられた。アンジェリークの宇宙の害を及ぼしたくなくて、『ラ・ガ』の支配を跳ね除け、コレットの宇宙へと逃げた。思えば、コレットに近づいたのは無意識のうちにもアンジェリークを危険から遠ざけようとしていたのではないか。
コレットの宇宙に逃げ、眠りについていた。そこを目覚めさせられた。今度は禍々しい力にではない。対極に位置する力。聖なる力。宇宙の意思。恐らくそれはアンジェリークの宇宙の意思。彼女が慈しみ、守ってきた世界の意思。その力が、女王を守る為の存在としてレヴィアスの目覚めを促したのだ。ただ、彼女を幸福に導く為だけに。
だから、アンジェリークの心に強さが戻ったら、レヴィアスは再び眠りにつくことになるだろう。彼女が彼の助けを必要とするときまで。そして、アンジェリークの治世が終わったとき、本当の輪廻の輪にレヴィアスは旅立つことになるのだろう。
「オスカーと、巧くいってるみたいだな」
レヴィアスは優しい口調でアンジェリークに言った。
「巧くなんて……判らないわ」
僅かにアンジェリークの表情が曇る。『今』は巧く行っている。オスカーと過ごす時間は穏やかに緩やかに過ぎていく。多分、幸せな時間だろう。けれど、それはいつも不安と背中合わせだった。
オスカーもそうだろう。互いに、どこまでなら大丈夫なのだろうと、相手との距離を常に測りながら接していた。今の幸福な時間は薄い氷の上に築かれたものなのだ。
「オスカーは……愛してるって言ってくれたわ」
「信じられないのか?」
言いながら、信じられるほうがおかしいと思っているレヴィアスでもある。アンジェリークの受けた傷を思えば、信じられなくて当然なのだ。だから、オスカーもまだ彼女に愛を求めることをしていないのだろう。
「信じたい……そう思うの。でも、怖い……」
アンジェリークの偽りのない本心。
「しょうがないだろうな。それだけ、奴がお前を傷つけたんだ」
淡々とレヴィアスは言う。
「だが、奴は自分の罪を認めて、動き出した。ただ、お前の愛だけを求めて」
オスカーが悔い改めただけでは、2人は幸せにはなれない。アンジェリークが恐れを乗り越えて動き出さなければ、本当の幸福には結びつかないのだ。
「ええ……わたしが臆病なの。わたしが……一歩踏み出せば、きっと変わっていくはずだわ……。でも、その勇気が出ない……」
それを責めることはレヴィアスには出来ない。だが……まだアンジェリークが勇気を持てないでいることを喜んでいる自分がいることもレヴィアスは感じていた。まだ、アンジェリークは自分の掌の内にあるのだと……。
いずれは自分の足で確りと立って、前に進んでいくアンジェリーク。そしてそのアンジェリークと共に歩むのは自分ではなくオスカー。
それは判っている。けれど、今暫く、アンジェリークを自分に繋ぎとめておきたかった……。
「仕方ないさ。俺が付いていてやる。お前に勇気が出るまで、な」
甘やかしてくれるぬるま湯。それが、今のレヴィアスだ。母親の胎内のような安全地帯。そんな場所にいれば、そこから出ることは怖くなる。現状を壊す勇気など出ない。それを知りながら、レヴィアスはそう言った。
狡い自分を自覚しながら。
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「え……?」
休日である日の曜日、いつものようにオスカーがやってきた。だが、今日はいつもの守護聖の正装ではなかった。シンプルなオフホワイトのサマーセーターにブラックジーンズ、といった如何にも普段着な姿だった。守護聖の正装ではないオスカーの姿を見たのは初めてだった。
「……珍しい格好ね。どうしたの?」
飾らない格好だけに、ストレートにオスカーの魅力が引き出されていた。いつもと違う格好が、何か特別なことのようにアンジェリークをときめかせた。
「今日は遠乗りに行かないか?」
オスカーが言う。守護聖としての口調ではなかった。それがアンジェリークは嬉しかった。
この数週間、オスカーはずっとアンジェリークの側にいた。まるで女王候補だったときのように、それがあたりまえの毎日になっていた。けれど、オスカーが語りかける言葉は常に女王に対する敬語で、それが少しだけ寂しかったのも事実だった。口調は優しく、親しみに……愛に満ちたものだったが、けれど、どこか寂しさを感じたのだ。
「ええ。どこに連れて行ってくれるの?」
だから、アンジェリークは素直に、そして嬉しそうに応えた。
ロザリアに外出することを告げると、意外にもあっさり許可をくれた。
「オスカーがついているのですから心配は要らないでしょ。いいわ、息抜きしてらっしゃいな」
ロザリアはそう言って微笑んだ。頑なにオスカーを避けていたアンジェリーク。アンジェリークを燃えるような目で見つめながらも何の行動も起こさなかったオスカー。その2人が、こうして一緒に出かけようとしている。それだけでロザリアは嬉しかった。僅かずつだが、2人の道は寄り添い始めている。そして、いつか同じ道を歩むことが出来るようになるのだろう。
「楽しんでいらっしゃいな」
そう言ったロザリアに見送られながら、アンジェリークはオスカーと共に、遠乗りにへと出かけた。
2人はエレミアへと来ていた。エレミアの中でも北端の、まだ、開発がなされていない場所だった。
ここに来るまでにたくさんの人にすれ違った。いつもならば守護聖であるオスカーに挨拶をする者も多かったが、今日は殆どいなかった。元々顔を覚えていて挨拶するのではない。守護聖の正装を見て初めて住人は『守護聖様だ』と判断するのだ。だからこそ、オスカーは私服だった。今日ばかりは何者にも邪魔をされず、ただアンジェリークと過ごす為に。
コレットと出かけるときにはそんな配慮などしたことはなかった。どう見られようがどれだけ邪魔が入ろうが一向に構わなかったから。寧ろ正装であることで守護聖として接している、ということを知らしめようとしていたのだ。それには薄々コレットも気づいているようだった。ただ、それを守護聖としてけじめをつけているだけ、と都合のいいように誤解していたが。
「気持ちいい~!」
馬から下りると、アンジェリークは思いっきり新鮮な空気を吸うように深呼吸する。
まだこの辺りまでは人が住めるほどにはなっていないが、アンジェリークが送るサクリアの影響で美しい草原が広がっている。
「ありがとう、オスカー」
アンジェリークは振り向いて、オスカーに笑いかける。その笑顔をオスカーは嬉しそうに見つめる。
「たまには、こんな自然の中でのんびり過ごすのもいいだろう?」
オスカーも優しく微笑みながらアンジェリークに言う。
「うん。……なんだか女王候補だったときに戻ったみたい……」
こんなに穏やかに、そしてどきどきしながらオスカーと一緒にいる。オスカーの言葉遣いもあの頃のもののようだ。
「じゃあ、俺は『お嬢ちゃん』って呼んだほうがいいのかな?」
揶揄うようにオスカーが言う。オスカーも感じていたのだ。時があの頃に戻ったような感覚。互いに想いは告げぬまま、それでも惹かれあい、想いを育てていたあの頃。
「そう呼んでもいいわ。だって……オスカーはわたししか、そう呼ばなかったでしょう?」
思いの外真剣な口調でアンジェリークがそう言う。
そう、初めは『お嬢ちゃん』は子ども扱いする言葉だった。だがいつのまにか、それはオスカーにとってアンジェリークのみをさす言葉になっていた。
「ロザリアのことは……お姫様とかお嬢様とか言ってたし……あとからは、名前も呼ぶようになってて、ちょっと羨ましかった。わたしは名前で呼んでもらったこと、なかったから……」
寂しそうにアンジェリークが呟く。だが一瞬の後には明るい笑顔に戻る。
「でもね、オスカーに『お嬢ちゃん』って呼ばれるの嫌じゃなかった。子ども扱いは嫌だったけど、オスカーがわたしにしか言わない言葉だったから、それだけで嬉しかったの」
だから、オスカーが女王候補としてやってきたコレットを『お嬢ちゃん』と呼んでいることを知ったときは寂しかった。彼女が名前で呼ばれたことも……。
再び寂しそうな表情をしたアンジェリークを堪らずにオスカーは抱きしめた。
「オ……オスカー?」
「俺が君をお嬢ちゃんって呼んでたのは、自分に言い聞かせる為だったんだ。『彼女は女王候補のお嬢ちゃんで、俺の対象外のお子様なんだ』って……。そうでもしなければ想いが止められなかった……。一度君の名を口にしてしまったら、君を閉じ込めて、俺だけのものにしてしまいそうだったんだ」
苦しそうにオスカーが言う。
そう、初めは子どもだからそう呼んでいた。だが、彼女に惹かれ始めてからは意識的にそうしていたのだ。何度彼女を名前で呼びたいと思ったか。だが、彼女をそう呼んだら自分に歯止めが利かなくなりそうだった。そのまま彼女を抱き、閉じ込め、自分だけのものにしてしまいそうだった。まだ幼かった彼女に惨いことをしてしまいそうだった。だから名を呼ばなかった。そして、揶揄うように何度も『俺のお嬢ちゃん』と呼んだのだ。そのたびにアンジェリークは『俺の、ってなんですか~!』と抗議するように言っていた。けれどそれは擽ったそうに、嬉しそうに……決して本心では嫌がってはいなかった。
「……わたしのこと、好きだった……?」
オスカーに抱きしめられたまま、アンジェリークが言った。どこか怯えたような、頼りなげな声だった。
「ああ……ずっと好きだった。愛していた。今でも変わってない。寧ろあの頃より、ずっと愛してる……」
ぎゅっとオスカーはか細いアンジェリークの体を抱きしめる。その途端、アンジェリークはオスカーの胸を押し返し、正面から彼を見つめた。
「じゃあ、どうしてあのとき、あんなふうに言ったの? わたし……勇気を振り絞って貴方に好きだって告白したのよ」
どれだけの勇気が必要だったか……。
「わたしが女王に相応しいって思ったから? わたしを女王にしたかったから、あんなふうに言ったの?」
アンジェリークは真剣な瞳でオスカーを見つめる。
「それもあった。だが、それは些細なことだ。俺は君が女王だろうが女王候補だろうが関係なかった。欲しいと思ったら、そんなことはどうでもよかった。だが……怖かったんだ。君の純粋さが……。君はまだ幼かった、少女だった。その君が……俺の愛を受け止めきれるのか……。俺の凶暴なほどの激しい想いを受け止められるのか不安だったんだ」
全てを燃やし尽くそうとするほど、激しい想いだった。だから怖かった。
「君を壊してしまうかもしれない……君が変わってしまうかもしれない。そう思ったら堪らなかった。君を失うなんて耐えられなかった……」
「わたしが貴方の所為で壊れてしまう……? そう思ったの? わたしが、わたしの愛した人を受け入れることで壊れてしまうほど、弱い人間だと……貴方はそう思っていたの!? 見損なわないで!!」
アンジェリークはそう叫ぶとオスカーに背を向けて走り出した。
アンジェリークの言葉にオスカーは愕然とした。アンジェリークを見損なっていた……? 自分の想いに彼女が変わってしまうかもしれないと危惧しただけだ。いや……それ自体が、彼女を見損なっていたことに他ならないのではないか。彼女が弱いと決め付けていたのではないか。
女性は弱いもの。守らなければならないもの。騎士としてそう教育を受けてきた。生家でも、父は母を守っていた。だが……そうだ、確かに母を守っていたのは父だ。だが、父の疲れを癒し、母もまた父を守っていたのではないか?
『母さんは強い女性だよ』 父がそう言っていたことを思い出す。そのとき少年だったオスカーは『父さんはいつも女性は弱い存在だから守らなきゃいけないって言ってたじゃないか』と言った記憶がある。そのとき、父親はなんと言った? 『社会的にはな。だが、女性は男よりもしなやかで靭いんだぞ』と言ったのではなかったか? あの頃は父の言葉の意味が理解できなかった。だから、ずっとオスカーは女性は弱いもの、守るべきものだと思ってきた。だが……それは心までも弱いものだと決め付けていたのではないか……。
「アンジェリーク……!」
オスカーは慌ててアンジェリークを追った。そして程なくアンジェリークに追いつき、腕を掴む。
「放して!」
「嫌だ! 放さない!」
オスカーから逃れようとするアンジェリークをオスカーは腕の中に抱きしめる。
「すまない……俺が馬鹿だった……。そうだな、君は弱くなんかない……こうして宇宙を愛で満たせるほど強い女性だったんだ……。弱かったのは俺のほうだ」
そう。自分が弱いのだ。『強さ』を司るはずの自分の心はこんなにも臆病で弱いものだったのだ。
苦しげなオスカーの声にアンジェリークは顔を上げ、オスカーを見つける。
「怖かったの……? わたしを失うかもしれないと思ったから……?」
「ああ……」
「そんなにも、わたしのことを愛してくれてたの? じゃあ、どうして女王にしたの?」
「君を他の男に渡さない為だ……。君が大人になったら、君を奪いに行くつもりだった。他の守護聖は女王になった君を自分だけのものにするだけの勇気はない。女王になった君を諦める、そう思ったんだ。だから女王にした」
とんだエゴイストだな、オスカーはそう自嘲するように言った。
「コレットに近づいたのも、君の心にいつまでも俺への想いを持ち続けさせる為だった。同じ『女王候補』『女王』……そんな彼女に俺が近づけば、きっと君は平静ではいられない。俺を意識し続ける……。俺への想いが消えることはない……そう思ったんだ」
オスカーの言葉はあまりにも利己的で卑怯な自分の姿を告白するものだった。
「卑怯な男ね、オスカー……。でも……嬉しい……酷いって思うのに……でも、嬉しいの……」
「アンジェリーク……」
「でも……まだ、怖いの。貴方が本当にわたしだけを求めてくれているのか、自信が持てないの……。また傷ついてしまうんじゃないかって……どうしようもなく怖いの……」
オスカーは自分がアンジェリークにどれほど深い傷を与えていたのか、改めて思い知らされた。女王候補時代の彼女は無邪気で無鉄砲で、信じられないくらいに前向きだった。失敗したり傷つくことを恐れたりはしなかった。だが、彼女は今それを恐れている。そしてそれはオスカーが彼女に与えてしまった傷の所為なのだ。やはり……自分の愛は彼女を変えてしまうのか……? 彼女を弱くしてしまうのか……本来の彼女らしさを奪ってしまうのか……。
だが、アンジェリークの言葉がその不安を打ち消した。
「だから、信じさせて。貴方がわたしだけを求めてるんだって、わたしに信じさせて。わたしがそれを信じることが出来たら……わたし、貴方の胸に飛び込む勇気が持てるから」
生来の彼女らしい表情だった。そうだ、彼女は本来こんなにも強い少女だったではないか。いや、もはや少女ではない、立派な淑女……女性だ。
「……我侭だけど、それくらい、いいよね? わたし、悲しかったんだもの。苦しかったんだもの。だから、いいよね?」
「ああ……。君が信じてくれるまで、君だけを求めつづける。君が信じてくれてからも、ずっと……命ある限り、君を求めつづける……」
「オスカー……」
アンジェリークは嬉しそうに呟くと、目を閉じる。オスカーはそっと彼女の頬に手を当て、誓いをこめて、優しくアンジェリークに口付けた。
「では、今日はこれだけのサクリアをお願いいたします」
エルンストがいつものようにこの大陸と空間を維持するのに必要な数値データを告げる。
「エルンスト……これ間違いじゃないの?」
アンジェリークは数値を見て、確認するように言う。
「……いいえ、間違いはありません」
一瞬、ぎくっとしたようにエルンストは表情を強張らせたが、努めて冷静に言った。
「そう……」
アンジェリークは敢えてそれ以上言わずにエルンストを下がらせた。
「どうなさったのです、陛下」
オスカーがアンジェリークに尋ねる。
「これを見て」
アンジェリークはオスカーにエルンストから渡されたデータを見せる。そこには僅か『0.8』という数値が記されていた。
「昨日より、また減っていますね」
「ええ」
この20日あまりの間に、アンジェリークが送るサクリアは徐々に減っていた。エルンストはエレミアの育成が順調に行き始めたからだと言った。確かに以前に比べれば順調には行っている。けれど、初期の遅れが響いて、本来の目標ペースよりは大幅に遅れている。とてもアンジェリークのサクリアを減らせるほどの発展ではないはずだ。
そして、アンジェリークは自分ではない、ましてやコレットでもない、宇宙を支える力を感じ取っていた。
オスカーもまた、それを感じていた。
(アンジェリークの代わりに……レヴィアスが力を送っているのか……)
この地を支えていた力、それはアンジェリークの温かな、優しいサクリアだった。だが、今はそうではない、力強いサクリアを感じていた。はっきりと感じるようになったのはここ1週間ほどのことだった。レヴィアスが、己の魔導の力をサクリアへと換え、アンジェリークを支えているのだ。
自分には出来ないことだった。それを簡単にやってのけてしまうレヴィアスにオスカーは嫉妬した。彼が妬ましかった。
今、自分はこうしてアンジェリークの側で彼女の執務を手伝っている。けれど、それは何もオスカーでなくとも出来ることなのだ。サクリアを使うわけではない。飽くまでもアンジェリークの補佐……そういえば格好もつくが雑用係に過ぎないのだ。全ての決定と実行はアンジェリークでなければ出来ない。オスカーが代わることは出来ないのだ。
けれど、レヴィアスは本来アンジェリークにしか出来ないことでも出来る。同じ、宇宙を支える力を持っているから。『皇帝』の力を持っているから、アンジェリークを本当に支え助けることが出来るのだ……。
オスカーの持つサクリアは、女王のサクリアとは全く別物だ。守護聖と女王では役割が違うのだから、それも当然だった。飽くまでもオスカーの炎のサクリアは宇宙を支える因子の1つに過ぎない。アンジェリークのサクリアに換えることは出来ないのだ。オスカーに出来ることはアンジェリークのサクリアが少しでも輝きをますよう、彼女に密かに炎のサクリアを送ることだけだった。
「オスカー……今夜、王立研究院に行きたいの。付き合ってくれる?」
思考の淵に沈んでいたオスカーの意識をアンジェリークの声が現実に引き戻した。
「ああ……俺が付いていかないと言ったら、お忍びで1人でも行くつもりだろう?」
「うふ。お見通しね。でも、どうしても確認したいことがあるの」
強い意志を感じるアンジェリークの瞳をオスカーは複雑な気持ちで見つめた。
その、深更。
アンジェはオスカーと共に王立研究院に赴いた。そして、星の間へと向かう。サクリアを送る為の部屋だ。
誰もいないはずの室内には、予想どおりの人物がいた。
「やっぱり……貴方だったのね、レヴィアス」
レヴィアスが魔導の力を送り終えたのを見計らって、アンジェリークが声をかけた。
「気づいてやがったのか」
アンジェリークとオスカーが来ていたことに気づいていたのだろう。レヴィアスは驚くことなくゆっくりと振り向いた。
「気づかないわけ、ないでしょう? 貴方の魔導の力はわたしに一番近いもの。すぐに判るわ」
アンジェリークはゆっくりとレヴィアスに近づく。レヴィアスは柔らかな笑みを浮かべ、アンジェリークを待っている。オスカーは扉の前に立ったまま、じっと2人を見つめていた。
「お前に判らないわけないと思ってた。出来るだけ気づかれないほうがいいとも思ってたがな」
苦笑して、レヴィアスは言う。
気づけばアンジェリークはレヴィアスを止めるだろう。本来は彼女が背負うべきものだから、と。そして急激に力を消費することによって及ぼされる彼の躰への負担を思って。
「折角、同じ働きをする力を持ってる奴がいるんだ。利用できるものは利用しておけ。いいな?」
揶揄うような口調だったが、アンジェリークに拒絶を赦さない響きを持っていた。
「……判ったわ。でも、無理はしないで……」
「ああ」
レヴィアスはアンジェリークを安心させるように微笑むとオスカーを呼んだ。
「陛下はお戻りになるとさ。送っていけよ」
「……お前に言われるまでもないことだ」
ただ、見ていることしか出来ない自分にオスカーは怒りを感じていた。
2人は、その視線だけで、互いの心を伝え合っていた。相手を思いやって……。それだけの絆が2人にはあるのだ。そこには自分の入り込む余地などないように思えた。嫉妬が湧きあがる。レヴィアスに対する嫉妬、そして己への怒り……。
女王宮への帰路、アンジェリークは終始無言だった。何かをじっと考えていた。アンジェリークが何も言わなくとも、何を考えているのか、誰のことを考えているのかはオスカーにも容易に想像がついた。
「では、陛下。ゆっくりとお休みください」
「……ええ……」
それまでも感じていたことではあったが、改めて事実として知るとアンジェリークは平静にはなれずにいた。レヴィアスは自分の代わりに己を犠牲にしているのだ。その思いが、アンジェリークの表情に影を落としていた。
「気にするな……と言っても無理だろうな。だが、敢えて言う。君が負い目に感じたり、気に病むことはないんだ。あれは奴が勝手にやっていることだ。そして、あれが奴なりの、君への愛の示し方なんだ。君が奴の行為を否定したり、負い目に感じたりしたら、奴の想いすら拒絶することになる。だから、君は今までどおりでいればいい。奴のおかげで減った負担を、別のところで活かせばいいんだ」
オスカーはアンジェリークを寝室へ送り届け、最後にそう言った。
「オスカー……」
アンジェリークは驚いたように、オスカーを見上げた。だが、オスカーの瞳は優しい色をしていた。
レヴィアスのことには冷静になれなかったはずのオスカーが、こんなことを言うのは意外だった。いや、本来の彼は、誰に対しても公正だったではないか? それが仮令敵対する者であっても、美点は美点として認めることの出来る人物だった。憎い相手ではあっても、いやだからこそ、オスカーはレヴィアスの側に立って、アンジェリークに告げたのだ。
「ゆっくりお休み。俺の……俺たちの天使。いい夢を」
オスカーはそう言って、アンジェリークの額に口付けると、アンジェリークを寝室へと促した。
そして、アンジェリークが寝室の中へ消えていくと、今度はエレミアへと向かったのである。
レヴィアスの家を訪れるのは二度目だった。一度目のことは思い出したくもない出来事だった。けれど、あのことがあったから、自分は漸く全てを曝け出し、赦しを乞う覚悟が出来たのだ。
「来ると思ってたぜ、オスカー」
オスカーが訪れると、レヴィアスはそう言って、彼を家に招じ入れた。
「お前の言い方は全部見透かしてるみたいで気に食わんな」
オスカーが率直に言うとレヴィアスはおかしそうに笑う。
「あれだけ俺のこと睨みつけてたんだ。予想はつくぜ」
レヴィアスはオスカーと自分の為に酒を準備しながら言う。
「お前……体は大丈夫なのか?」
そんなレヴィアスを見ながら、オスカーは言った。その言葉に……恋敵である自分を気遣うようなオスカーの言葉にレヴィアスは驚いたように振り返った。
「……まさか、お前からそんな言葉を聞くとは思わなかったぜ。お前、俺のこと憎くて殺してやりたいって思ってたんじゃないのか?」
「ああ……思ってたさ。だがな……今、一番彼女の為に必要なのもお前だからな……。俺の力では彼女を援けることは出来ない。お前が羨ましくて、妬ましい」
オスカーの正直な気持ちだった。レヴィアスに対する気持ちは嫉妬と羨望……。色々なものがぐちゃぐちゃと入り混じり、一言では言い表せなかった。
だが、1つだけ、はっきりとレヴィアスに対して否定的な思いもある。
レヴィアスはアンジェリークを愛している。ゆえに、彼女の為に己が身を犠牲にして魔導をサクリアへと換えている。そう、彼自身の命を犠牲にして。オスカーとてその身にサクリアを持つ。だから、これだけ急激なサクリアの消費がレヴィアスの命を縮める行為であることには気づいていた。
そう……この『命を縮める』ということにオスカーは反発を感じていたのだ。
アンジェリークとレヴィアスは多分愛し合っている。そして、レヴィアスがこのまま魔導を使いきり命を落としたら、残されたアンジェリークはどうなるのだ。自分の為に愛する者がその命を犠牲にしたとしたら、残されたものはどれだけ自分を責めることだろう……。アンジェリークはどれだけ、自分を責め、苦しみ、悲しむだろう……。
自分だったら……。もし自分だったら……。
オスカーにもしレヴィアスと同じ力があったら、多分レヴィアスと同じように自分のサクリアをアンジェリークのものに換えるだろう。けれど、命を縮めるような無理はしない。自分は常にアンジェリークの傍にいる為に。
レヴィアスはアンジェリークの幸福を望んでいる。その為に魔導を使い、彼女を援けている。けれどその結果、アンジェリークは一人残されることになるのだ。
自分たちが愛し合い、同じ状況に置かれたとしても、自分だったらそんなことはしない。アンジェリークに幸福にはなって欲しい。彼女の不幸を望みはしない。けれど、彼女の幸福は自分と共にあることで初めて真に幸福たりえるのだ、と思っていた。愛する者と共にいてこそ、本当に幸福になれるのだ。自分が幸せにしてやるのだなどと自惚れてはいない。けれど、2人で幸福になるのだ。
「俺がいないほうが、都合がいいだろうに」
レヴィアスがオスカーを挑発するように言う。
「俺があいつを抱いて、あいつが俺に抱かれて、喘いで、お前、怒り狂っただろう?」
「ああ……だが、自業自得だからな」
オスカーはレヴィアスの挑発には乗らなかった。
「お前がアンジェリークを愛してることは判ってる。アンジェリークがお前を……多分愛してることもな」
オスカーの声は静かだった。
「じゃあ、お前は潔く身を引くってことか?」
「……そう出来たら楽だな。だが、そんなことは出来ない。彼女が少しでも俺を求めてくれる限り、俺は全身全霊を賭けて彼女を求め続ける」
「……改めて、宣戦布告ってことか……」
にやり、とレヴィアスは笑った。自分が現れたことは無駄ではなかったのだ。オスカーが正面からアンジェリークを求めるようになったのだから。
「だから、お前も無茶はするな。お前は少なくとも彼女にとっては必要な人間なんだ。勿論、いつかは必ず、アンジェリークの心を俺に向かせてみせる。だが……お前に何かあって、彼女が悲しむ姿は見たくないからな……」
オスカーはまっすぐに蒼氷色の目をレヴィアスに向けた。
「夜中に邪魔したな」
そういうと、オスカーは立ち上がり、レヴィアスの家を出て行った。
「あいつ……」
オスカーの後姿を見ながら、レヴィアスは複雑だった。
自分はオスカーを見縊っていたのではないか? 身勝手なエゴイストで、アンジェリークを傷つけるだけの男だと思っていたのではないか? だが、今のオスカーはそうではない。自分が思っていたよりも遥かに懐の寛い男だった。
そして、レヴィアスは安心するのだった。
「あれがオスカー本来の姿なら……俺は安心して逝けるな……」
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漸く残り54日目の定期審査で、コレットは目標数値に追いついた。
「……頑張ったわね、コレット! 本当に、頑張ったわ。この調子で、やっていけば大丈夫よ」
アンジェリークはほっとしたように言った。
「ありがとうございます、陛下」
コレットも漸く一息がつけた。レヴィアスに責められ、どれほど自分が不甲斐なかったかを思い知らされた日から、必死になって育成してきた。漸く今、最低限の務めを果たすことが出来たのだ。目標である6000の幸福度に後は出来るだけ早く辿り着くことだ。そうすれば115日を待たずに、謎が解明され女王陛下の負担も軽くなることだろう。
コレットとレイチェルを送り出した後、ロザリアもほっとしたような表情だった。
アンジェリークの負担はレヴィアスのおかげで随分軽減している。けれど、やはり彼女が背負っているものを考えると、1日も早く全てが終わり、元の宇宙に戻ることが望ましかった。
「あと……もう少しですわね、陛下」
「そうね……1日も早く、全ての謎が解き明かされればいいんだけど……」
その為にも、アンジェリークは今の自分に出来ることを精一杯為そうと思っていた。
翌日の曜日、早朝。オスカーはいつものようにアンジェリークの許へと向かおうとしていた。だが、そこに思わぬ来客があった。もう1つの宇宙の女王補佐官レイチェルだった。
「コレットと、デートしてくれませんか?」
レイチェルはいきなりそう言った。
「あの子、この1ヶ月あまり、精一杯頑張ったんです。だから、そのことを誉めてあげて欲しいんです。労ってあげて欲しいんです。そうすればあの子もまた頑張れると思うから……」
毎週のように、いやそれ以上に頻繁にコレットと会っていたオスカーがある日を境にぴたりとコレットに見向きもしなくなった。コレットにとっては、オスカーは今回の関係者の中で一番頼りにし、慕っていた人物だった。そこに恋の要素が含まれていただろうこともレイチェルは気づいている。
そして、自分の女王の不備を補う為にレイチェルはよく女王執務室も訪れていた。だから、コレットの許を訪れなくなったオスカーがどこで何をしているのかも知っていた。いつも女王陛下に付き添っている。女王陛下もそれが当然のように受け入れている。視線で言葉を交わしあい、時には甘やかな空気さえ流れている。
コレットは平日は必死に育成しているが、半日は休日となる土の曜日や日の曜日には寂しそうに時折漏らすのだ。『オスカー様、近頃ちっともお見えにならないわね』と。
「……」
全て自分の身勝手ゆえだ。自分が撒いた種だ。オスカーはレイチェルの願いを了承した。
自分がアンジェリークの心を繋ぎとめる為にコレットを利用したのは事実だ。コレットの心など無視していた。コレットをコマとして扱っていたのだ。身勝手さを十分に承知していた。だから、今、コレットに対して申し訳ないと思う気持ちも確かにあったのだ。
利用していたことを謝罪すべきだろうか? だが、それは確実にコレットを傷つけることになる。彼女が利用された事実に気づかないうちはオスカーは自分から告げるつもりはなかった。申し訳ないとは思うものの、気づいていない者に気づかせて傷つけることもないだろうと思ったのだ。だがせめてもの罪滅ぼしに、守護聖として女王の彼女に出来る限りの協力はしようと思った。
(アンジェリーク、今日は行けない……すまん)
心の中で詫びながら、オスカーはコレットの女王宮へと向かった。
「……遅いなぁ……オスカー……」
いつもだったら、とっくに来ているはずの時間だった。けれど、オスカーはまだ、アンジェリークの許へは訪れない。
「せっかく、今日はピクニックにでも行こうと思っていたのに……」
ふぅ、と溜息を漏らす。そして、アンジェリークははっとした。自分はオスカーがここに……自分の所に来るのを当然だと思っていたのだ。オスカーが毎日自分の許を訪れるようになって、1ヶ月あまり……。互いに避けていた時期のほうがずっと長かった。なのに、アンジェリークはオスカーがこないことに寂しさを感じていた。いつのまにか、オスカーと過ごすことがあたりまえになっていたのだ。
「やだ……わたしったら……」
アンジェリークは顔を赤くする。
(わたしは……彼が来るのを楽しみにしていたの? 彼の言葉を信じてた? 判らない……でも……嬉しかった……)
オスカーはエレミアの草原の誓いのまま、毎日アンジェリークの許を訪れた。確かに彼がアンジェリークを求めているのだと示してくれた。
言葉には出さない。けれど、何よりも雄弁な瞳が、時折触れる指先が、囁く声の甘さが、全てがアンジェリークを求めているのだと、アンジェリークに訴えていた。
だが、まだアンジェリークは信じきれずにいた。信じる気持ちが今は勝っている。けれど、まだ100%信じきれてはいないのだ。オスカーが行動を起こしたのはレヴィアスが現れたから。もし、彼が行動を起こすのがレヴィアスが現れる前日であったなら、もっと早く信じることが出来ていただろう。だが、どうしても、レヴィアスに対する対抗心があるのではないかという不安が拭いきれなかった。だから、まだ、オスカーの全てを受け入れる勇気が持てなかった。
けれど、仮令オスカーのそれが嫉妬から来た行動だったとしても、オスカーは自分だけを見てくれた。このままのときが続けばいいとも思っていた。
「オスカー……もっと、信じさせて……わたしが間違いなく、貴方に愛されているのだと……」
なんて貪欲なんだろう……。そんな自分に呆れてしまう。けれど、感じたいのだ。愛されていると。
「そうだわ」
アンジェリークはふと思いついて、ペンとメモを取った。
『オスカーへ。天使の広場で待ってます』
まるで、デートみたい。
ちょっとした悪戯心だった。アンジェリークはうきうきしている自分を感じていた。
天使の広場でアンジェリークはどきどきしながらオスカーを待っていた。多分、オスカーは慌てて走ってくるだろう。どっちから来るのかしら? あっち? ううん、こっちかしら?
自然に笑みが零れる。こんなデートなんて、オスカーとしたことはなかった。彼が迎えに来るか自分が会いに行くか……女王候補時代はいつもそうだった。
だが、どれだけ待っても、オスカーの姿は見えない。
「オスカー……今日は来なかったのかしら……」
そんなはずはない……オスカーは自分に言ってくれたではないか。『毎日、君の許へ来る』と……。
けれど、オスカーは来ない。メモに気づかなかったのかしら? でも、判りやすい所においてきたし……。
だんだん不安になってくる。
「オスカー様、こっちです」
不意に、待ち人の名を呼ぶ声がした。あの声は、コレット……!
アンジェリークはとっさに、建物の陰に身を隠した。何故、そんなことをしてしまったのか。
「ああ……お嬢ちゃん、そんなにはしゃがなくってもいいだろう?」
オスカーの優しい声。
「だって、久しぶりなんですよ、オスカー様とこうしてお出かけするなんて」
コレットは嬉しくて堪らないというように弾んだ声で答える。そんなコレットをオスカーは優しい目で見ている。
アンジェリークはそれ以上2人を見ていることが出来なかった。そのまま2人に見つからないように、天使の広場を後にする。
(オスカー……オスカー……!)
アンジェリークは足早に天使の広場から遠ざかろうとする。涙が知らず知らずのうちに零れていた。
オスカーはコレットと一緒だった。ずっとアンジェリークの側にいるといったのに……。
信じようと決めたはずだった。オスカーのあの告白に嘘はないと思った。
けれど、目の当たりにした事実。オスカーはコレットにとても優しく接していたではないか。
信じたい……でも……。
天使の広場を後にしたアンジェリークは、花崗の路へと来ていた。休日の昼間だというのに、花崗の路に人影はない。アンジェリークはほっとして、東屋へ入った。
天使の広場で見た光景がショックだった。
オスカーとコレット……かつて見た光景だった。あのとき以上に、アンジェリークは2人の姿にショックを受けていた。
オスカーは自分を愛していると言った。そのことを自分が信じてくれるまでずっと証明し続けると。自分が信じられるようになるまでずっと自分だけを求め続けると。
彼がそう誓ってから、まだそれほど時は経っていない。けれどアンジェリークは徐々にオスカーの言葉を信じるようになっていたのだ。
元々オスカーが好きで、彼を信じたくて、彼の想いの強さを確かめたくて言ったことだった。
『わたしが信じられるように求め続けて』と。
彼はその言葉どおりにずっと彼女の傍にいて、彼女を求め続けた。強く、激しく。けれど表面は穏やかに。彼女を見つめるオスカーの目には蒼い炎が揺らめき、その情熱を彼女に伝えてきた。
だから、アンジェリークは信じられなかった。オスカーがコレットと共にいたことが。
真っ先に思ったのは、やはり裏切られたのだという諦めだった。やはりオスカーは自分よりコレットのほうがいいのだ、と。オスカーがコレットに向けていた優しい微笑が何よりの証左だと。
けれど、徐々に落ち着きを取り戻すに連れ、アンジェリークは冷静に考えられるようになっていった。
オスカーを信じたい、信じようと思ったではないか。
女王候補だったときからオスカーは嘘はつかなかった。全てを話すわけではなかったし、本当のことを言わず黙っていることはあったが、嘘はつかなかった。そして、約束を破ることは絶対にしない人だった。
だから……きっと何か理由があるはずだ。
アンジェリークはふぅっと大きく息をつくと、気分を変えるように大きく伸びをする。
オスカーと一緒に、という希望どおりにはいかなかったが、折角ここまで抜け出してきたのだ。暫くお忍びで遊んでしまおう。たまには息抜きをしたとしても赦されるはずだ。
「……まさか……なんでこんな所にいるんですか……?」
そのときアンジェリークに心底驚いたような声を掛けた者がいた。アンジェリークはその声のほうを振り返ると、なんでもないことのように微笑んだ。
「こんにちは、セイラン、チャーリー」
「……って、こんにちはとちゃいますやろ!? 何してはるんですか!」
ニコニコと微笑んでいるアンジェリークを2人は信じ難いといった表情で凝視する。
「ふふふ、いいお天気だったから、お散歩。気持ちいいわね」
「まさか……お1人なんですか?」
そんなわけない、そんなことあっていいはずないと思いつつ、念の為にセイランが言う。
「他に誰かいるように見える?」
アンジェリークは悪戯な表情で笑う。守護聖たちが見たら、『女王候補のときのままの表情だ』と思っただろう、そんな笑顔だった。
「見えんから、お訊きしとるんやないですかー!」
頭を抱えるようにしてチャーリーは言う。聖地の御用商人として、頻繁に聖地に出入りしていたチャーリーは今回の協力者の中では王立研究院のエルンストに次いでアンジェリークのことを知っている人物になる。だから、女王陛下は結構お転婆なのだという噂を聞いたこともある。何度か謁見した女王は愛らしい少女で、けれど気品があって、そんな噂など信じてはいなかった。しかし、実際、前回の女王試験の際、女王陛下はお忍びでチャーリーので店にゼフェルと現れ、ジュリアスとロザリアにお小言を食らっていた。その場には当然チャーリーもいたから。だが、今回はたった1人でのお忍びだ。まさかここまで無茶をするとは思っても見なかった。
「女王陛下ともあろう方がたった1人で、こんな所にいてもいいんですか?」
セイランが言う。動揺を隠す為に、いつもの斜に構えた口調で。
だがその途端、それまで微笑んでいたアンジェリークの様子が一変した。微笑が消え、能面のように表情が消える。
「お立場をお忘れなんじゃないでしょうね? 貴女が唯一の至高の存在だって……」
セイランにしてみれば、口煩い守護聖筆頭に女王の身辺に気をつけるよう注意を喚起されたこともあって、口にした言葉だった。だが、彼は最後まで言葉を続けることが出来なかった。アンジェリークの右手がセイランの左頬に強く打ち付けられたのだ。
「どわっ!?」
チャーリーが驚きのあまり口に出す。平手打ちを食らったセイランは頬を押さえ、目を丸くしている。
「女王……唯一絶対の存在……いつだってそうだったわ!!」
アンジェリークが叫ぶ。セイランの言葉はアンジェリークを昂ぶらせるのに十分な力を持っていた。
常に女王であるよりも、女王でありアンジェリーク・リモージュという少女でありたいと思っていた。だが現実はレヴィアスが守護聖たちに言ったように、アンジェリークの望んでいたものとはかけ離れていた。アンジェリークは女王としてのみ、彼らの心の中に存在しているように思えた。
苦しくて、悲しくて、辛くて……。それを精一杯頑張ってきた。ロザリアや、数人の守護聖がそれを和らげてくれてはいた。そして、オスカーと過ごす時間が……。けれど、そのオスカーがコレットと接する姿を見て、再びアンジェリークの心は脆くなっていた。
だから、セイランの言葉によって、アンジェリークがこれまで堪えていたものが一気に噴出したのである。
「女王、女王、女王! 女王はわたしだけじゃないわ! あの子だって女王よ! なのに、あの子は大陸中を自由に動き回って、自由にすごして、遊んで、デートして……それが許されて。わたしにはほんの僅かな息抜きすら赦されないって言うの!?」
自分たちが知っている明るく朗らかで、いつも微笑んでいる気丈な女王とはあまりにも違うその姿にセイランとチャーリーは絶句した。
『アンジェリーク』という名前は本来『天使のような』という意味なのだという。まさにその名に相応しい女王陛下だと思っていた。その女王の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。
けれど……確かに彼女の言うことは尤もだった。オスカーにも指摘されたことだったが、自分たちの接し方は、あまりにももう1人の女王に対するものとは違っていた。『女王』という至高の存在への接し方としては、恐らくアンジェリークへの接し方が正しいものだろう。コレットへの接し方は女王候補だったときと何ら変わりはない。
だが、同じ17歳の少女。同じ女王という立場。けれど……。
「……確かにそうだね。彼女も貴女も女王なのにあまりにも違いすぎる……」
漸くそこに思い至ったようにセイランは呟く。そう、彼女はまだ17歳の少女に過ぎないのだ。たまには女王の重責から解放されて息抜きしたくなっても当り前ではないか。
「せやな……」
チャーリーもセイランに同意する。そして、2人はアンジェリークにとって思いがけない提案をしてきた。
「そしたら陛下? 今日は思いっきり楽しみましょ。俺らがお供しますよって」
「そうだね、じゃあ行こうか」
セイランは口調まで違う。まるで普通の年下の少女に対するのと同じものだった。そのことにアンジェリークは嬉しくなった。
「え……? どこへ?」
「まずは俺の店行って、服着替えましょ。どうせやったらいつもと違うカッコして思いっきり羽目はずさな!」
そう言うや、チャーリーはアンジェリークの手を引っ張り、駆け出した。
大龍商店につくと、チャーリーはどこから取り出したのかと思うほどたくさんの衣装、アクセサリー、靴をアンジェリークの前に並べた。
「やっぱ、羽伸ばすんやったら、いつもと違うカッコしてみるのもええですやろ」
そういって、チャーリーとセイランは次々とアンジェリークの服を選んでいく。
2人が選んだのは黒のチューブトップにスリムジーンズ。同じ素材で作ったショート丈のデニムジャケット。耳にはゴールドの大きなイヤリング。髪はポニーテールにしてメイクもセイランがしてくれた。
「なんだか、わたしじゃないみたい……」
少しばかり派手めのメイクはアンジェリークを別人のようにしていた。
「これやったらぱっと見陛下とは判らしません。煩い人に見られたかて誤魔化せますやろ」
「陛下、ってのも拙いね。アンジェリークって呼んでもいいかな?」
「ええ、勿論!」
「じゃあ、お姫様、まずはどちらへ参りましょ?」
チャーリーがアンジェリークに手を差し出す。そうして3人はアンジェリークの束の間の休日を楽しむ為に出かけていった。
セイランとチャーリーはアンジェリークをエスコートして遊ぶことにした。訊いてみると、彼女が行ったことのある場所は『約束の地』と『天使の広場』、そして2人がアンジェリークと会った『花崗の路』の3箇所だけだということだった。そう聞いて、2人はアンジェリークが哀れになった。
この地に来てから、70日が経っている。最後に引き寄せられた水晶の宮が出来てからも、もう数週間になる。彼らが憩いの場と呼んでいる6箇所……『天使の広場』『日向の丘』『約束の地』『花崗の路』『太陽の公園』『水晶の宮』……どこも美しい場所であり、少女であれば心弾む場所だろう。
もう1人の女王は最近こそ減っては来たものの、しょっちゅうそれらの場所に遊びに行っていた。だが、アンジェリークは女王としてこの地を支えなければならなかったことから、外出もままならなかったのだ。17歳の少女にすぎないアンジェリークは宮殿に閉じ込められ、こうした息抜きさえ赦されていなかったのだろう。
「そしたら、まずは『太陽の公園』のカフェテリアでランチとって、『日向の丘』、『水晶の宮』って行きまっか」
1日で全部を堪能することは出来ないだろうが、出来るだけたくさんの場所をこの少女に見せてやりたかった。
「それからもう一度『花崗の路』に戻って『星見の塔』だね。駆け足スケジュールだけど、それもまた一興さ」
2人はそうスケジュールを組むと、それぞれアンジェリークの左右の腕を組んで、目的地に向かっていった。
『太陽の公園』では、まずは『精霊の苑』でたっぷりと遊んだ。さまざまな可憐な花々はアンジェリークを慰め、さまざまな趣向を凝らしたオブジェはアンジェリークを楽しませた。
「そろそろお腹も空いてきたね」
セイランはそう言うと、アンジェリークの手を取る。
「ここのカフェテラスの軽食はなかなかいけるよ」
完全にお昼になって込みだす前に、ということで早めのランチを取る為にカフェテラスへと移動し、セイランお勧めのランチセットを注文する。流石に『好きなものは美味しいもの』というだけあって、セイランお勧めのランチはとても美味しかった。3人が楽しく食事を摂っていると、クラヴィスとルヴァがやって来た。
「おや~アンジェリーク。珍しい取り合わせですねぇ」
ルヴァもクラヴィスもアンジェリークがここにいることに一向に驚くことなく、優しく笑って声を掛ける。
「たまにはお前にも息抜きは必要だ。今日はゆっくり楽しむといい。五月蝿い者がいたら、わたしが黙らせておこう」
クラヴィスはそう優しく笑う。
2人ともこの僅かな休日がアンジェリークにとって何よりも必要なものだと感じたのだろう。だから顰めつらしいことは何も言わず、ただかつての女王候補、つまり1人の少女にしたように接したのだった。
「ありがとう、ルヴァ、クラヴィス♪ じゃあ、ジュリアスは任せたわね?」
にっこりと悪戯っ子の表情でアンジェリークは答える。だが、実は言葉以上に2人に感謝していた。
そうだったのだ……ずっとクラヴィスとルヴァは変わらぬ態度で接してくれていたではないか。ただ、呼称が『アンジェリーク』から『陛下』と変わっただけで……。それ以外は何も変わっていなかった。それに、リュミエールとオリヴィエも同じだった。自分を見守ってくれる瞳はかつてと変わらぬ温かさと親しみを持っていたではないか……。そのことに、漸く気づくことが出来た。漸く気づく余裕が出来たというべきか……。
アンジェリークが『守護聖たちが変わってしまった』と思ったのは、顕著に態度が変わった者たちがあったからだ。変わらぬものよりも変わったもののほうが目に付きやすい。そして弱っていた自分の心はそのダメージを倍化させていたのだろう。
「ええ~彼はわたしたちに任せて、貴女は思いっきり羽を伸ばしてくださいね~」
再びにっこりと笑って、ルヴァが言った。
ランチを終えると、今度は日向の丘に向かった。
海の見える丘まで来るとアンジェリークは思いっきり潮風を吸い込む。聖地には海はないから、こんなに気持ちのいい潮風を感じることは出来ない。だから、潮の香りを嗅ぐだけでもアンジェリークは解放された気分になった。
「だいぶ顔色がよくなったね、アンジェリーク」
潮風に髪を弄られながら、セイランが言う。
「ええ、ありがとう。貴方たちのおかげよ」
そう、彼らが連れ出してくれたから。自分の寂しさを理解してくれたから……。守護聖たちの中にすら気づかぬ者もいたのに、理解してくれたから……。
「それなら、よかった~。やっぱ、アンジェリークには元気な笑顔でいてもらわな、俺らのほうが悲しくなるよってな。アンジェちゃんは俺らの天使で太陽なんやから」
チャーリーが言う。その明るい笑顔に、アンジェリークも笑顔を返す。
(わたしは1人じゃない……ロザリアだけじゃない……こんなにも『わたし』を見てくれている人がいるんだわ……)
「おい……あれってまさか、陛下じゃねぇか……?」
ゼフェルが前方に見える3人組を示して言った。
「まさか。陛下がこんな所にいらっしゃるわけないじゃないか」
異論を唱えながら、ランディがゼフェルが指し示す女性を見る。
「そうだよ、陛下があんな格好なさるわけないよ」
マルセルがランディに同意する。
「いや、あれは絶対に陛下だ」
ゼフェルは頑強に言い張る。ランディとマルセルはそんなゼフェルに呆れながら件の女性をじっと見つめる。
男はセイランとチャーリー。2人の間に挟まれた女性はとても楽しそうに明るい表情で笑っている。
「そんな……本当に……」
「陛下だ……」
「あいつ……こんな所で何してるんだよ……!」
3人はショックを受けていた。女王がこんな所にいることにも、レイチェルばりの臍だしルックを着ていることにも。そして何よりも、セイランとチャーリーに笑顔を見せていることに。
アンジェリークの笑顔はここ久しく見ない笑顔だった。自分たちには見せない『素』の笑顔だった。ずっと共に過ごしてきた自分たちには見せなくなった表情を、どうして一般人なんかのセイランとチャーリーに向けるのだ。
ここまではっきりと言語化された意識ではなかったが、3人はアンジェリークに、そんな笑顔を見せるアンジェリークに理不尽な憤りを感じていた。だから、アンジェリークらの許へ駆け出していた。
「女王ともあろうもんが何やってんだよ!」
駆けつけるなり、ゼフェルはアンジェリークに怒鳴りつける。
「そうですよ、陛下。微行だなんてとんでもない!」
ランディとマルセルもアンジェリークに向かって口々に早く帰るようにと促す。
「おめー、自分が女王だって判ってんのかよ。こんなことしていいと思ってんのか」
ゼフェルにしてみれば、自分たちに向けられなくなった笑顔がセイランたちには与えられたことがショックで、嫉妬して言った言葉だった。一刻も早く不愉快の元を無くしてしまいたくて言った言葉だった。だが、それがアンジェリークの逆鱗に触れることとなった。
同じような発言をしてしまっていたセイランにしてみれば、予想のつく展開だった。アンジェリークは自分を非難するゼフェルに対して思いっきり頬を打ちつけたのだ。
「貴方たち……何も判ってない……!」
セイランやチャーリーは判ってくれた。ルヴァやクラヴィスも。オリヴィエやリュミエールも。だけど、女王候補時代一番近くにいたはずの、同世代の彼らは何も判ってくれていない……! アンジェリークはそのまま踵を返すと駆け出した。
「あ……アンジェちゃん待ってや!」
その後を慌ててチャーリーが追いかける。それに続こうとしたセイランは不意に足を止めると、3人の守護聖に向き直った。
「最低ですね、貴方がた」
蔑むような冷たい声で言い、彼らを睨みつけると、セイランは2人を追っていった。
「……アンジェ……泣いてた……」
3人の後姿を呆然と見送っていたマルセルがポツリと呟く。
「言いすぎだよ、ゼフェル……。ううん、僕たちもだ」
「だって、あいつが女王のくせにこんな所をあんな格好でふらふらしてっから……!」
「でも……ちょっときつかったかもしれないな。いきなり怒鳴りつけちゃったわけだし」
「う……」
「僕さ、羨ましかったんだ、セイランさんたちが。アンジェとあんなふうに一緒にいられて……」
女王試験が行われていた頃、アンジェリークと年少組の守護聖はよく行動を共にした。歳が近かったから、女王候補と守護聖というよりはクラスメイトの延長のような感じだった。だが、アンジェリークが女王になってから、関係は変わった。
「アンジェリーク……寂しかったんじゃないかな。今までは僕たちがいつも遊びに誘ってたよね。なのに、即位してからは全然誘わなかった」
「当り前だろ、あいつは女王になったんだぜ」
「うん……でも……考えてみれば陛下だってまだ17歳なんだよな」
「そうだよ。コレットは女王なのに、僕たちは一緒に遊んでる。彼女が女王候補だったときと同じように。でもアンジェリークは……? 僕たちはアンジェリークの名前すら呼ばなくなってた。いつも女王陛下って……女王だからって……」
マルセルの言葉にゼフェルもランディも沈黙する。
そう……アンジェリークが即位してから、自分たちはアンジェリークの許に行かなくなった。女王だから。至高の存在だから。女王候補のときだったら必ず誘っていたようなピクニックやお茶会にも、声をかけることすらなかった。仮令、オリヴィエやリュミエールに誘われても女王の部屋を訪ねることはしなかった。もうアンジェリークはアンジェリークではないから。女王なのだからと。そうして、自分たちは壁を作っていたのだ。アンジェリークを女王という檻に閉じ込めて。
自分たちの態度が変わったことを棚に上げて、『アンジェリークは女王になって変わった』と密かに恨めしく思ったりしてもいた。寂しさを感じているのは自分たちだけだと思い、アンジェリークの寂しさなんて想像すらしなかった。
「謝ろうよ」
「そうだな、あいつが赦してくれるまで」
「それから、またアンジェリークをピクニックとか遊びに誘おう。ジュリアス様に叱られたって、アンジェリークが寂しい思いするのに比べたらたいしたことないもんな」
3人は頷き合うと、アンジェリークに謝る為に女王宮へと向かった。だが、アンジェリークはまだ戻っておらず、ロザリアも不在だった為、目的を達することは出来なかった。この後、暫くはごたごたが続く為、年少組がアンジェリークと和解するのは聖地に戻ってからのこととなる……。
走り去ったアンジェリークたちは、大龍商店へと戻っていた。
「ごめんなさい、折角連れ出してくれたのに。貴方方が叱責を受けるようなことがあったら、わたしも一緒に叱られるわ。ジュリアスに呼び出されたら知らせてね。大丈夫、わたしが目をうるうるさせて、『そんなにいけないこと?』なんて言えば、ジュリアスだって何もいえなくなるから」
アンジェリークが今日の礼を言った後、二人に告げる。2人は自分の我侭に付き合ってくれただけだから。
「大丈夫だと思うよ? クラヴィス様とルヴァ様が何とかしてくれるって言ってたじゃないか」
「そうそう、気にせんでええって。今日は邪魔が入って半分しか行けへんかったから、また次の休みにでも遊ぼうな」
2人はアンジェリークの気を引き立てるように言う。
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
アンジェリークが笑うと2人はほっとしたように笑った。
「じゃあ、送るよ」
セイランがアンジェリークの服の入った紙袋を持って言う。
「あ、いいの。行く所あるから」
アンジェリークはセイランから袋を受け取ると慌てたように言った。
すぐに2人は何か感じるところがあったのか引き下がり、アンジェリークを送り出した。
「……アリオスん所、行くんやろうな」
「多分ね」
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青い顔をしたレヴィアスが、1人ベッドの横たわっていた。これまでの疲労が回復しない。魔導を大量に、一時に放出している所為だった。だんだん体力の回復に時間がかかるようになっていた。そして、回復しないうちにまた魔導を使う、最近はその繰り返しだった。
「もう……俺に残された刻も僅か、か……」
命の終わりの刻が近づいてきている。レヴィアスはそう感じていた。不思議に恐ろしくはない。元々なかったはずの命だ。アンジェリークの為に与えられた命だ。
そう……アンジェリークの為……。
アンジェリークのサクリアにかかる負担は減った。取り巻く状況も変わってきた。徐々に改善されている。一番の不安材料だったオスカーとの関係もよい兆しが現れている。安心して逝くことが出来そうだった。
「レヴィアス? いる?」
不意に寝室のドアが開き、アンジェリークが顔を覗かせた。人が入ってきたことに気づかなかった。それほど消耗していたのだ。
「アンジェリークか……お前なんて格好してるんだ」
ベッドから身を起こしレヴィアスは言った。アンジェリークの格好は、セイランたちが選んだ、常の彼女からは想像も出来ないものだった。
「変? セイランとチャーリーが選んでくれたの。微行だから、こんな格好のほうがいいだろうって」
「……そういう格好はお前の補佐官みたいなメリハリのきいたナイスバディな奴が着てこそ似合うんだぜ? お前の幼児体型じゃなぁ……」
レヴィアスはベッドを降りて、アンジェリークを居間へと促しながら言う。
「ひど~い。そりゃ、ロザリアに比べたら……でも、これでもBカップはあるんだから」
ぷぅっと頬を膨らませ、アンジェリークが言う。そんな表情もまた愛らしくてレヴィアスは笑みを誘われる。ここのところ随分アンジェリークの情緒は安定しているようだった。
「珍しいな、お前からこっちにくるなんて」
「うん……」
一瞬、アンジェリークの表情が曇る。
「今日はね、微行でセイランやチャーリーと遊んだの。その帰りに寄ったの」
表情を曇らせたのは一瞬のことだったが、それを見逃すレヴィアスではない。
「何があった? オスカーか?」
ソファに座らせたアンジェリークを正面から見つめる。
「……色々……オスカーだけじゃなくって……」
ポツリとアンジェリークが呟く。
「セイランたちと遊んでたらね、ゼフェルとランディとマルセルに会ったの。女王のくせに何やってるんだって、言われたわ……」
アンジェリークが溜息交じりに言う。その言葉を聞いてレヴィアスは眉を寄せる。
「あいつら……まだ判ってなかったのか……」
「他の人たちはね、だんだん判ってくれてるの。ううん、クラヴィスやルヴァやリュミエールもオリヴィエも……わたしを見る目は変わってなかった……わたしがそれに気づいてなかったの。ただね、一番女の子扱いしてたランディたちが一番変わっちゃってて……それに気付いてなくって、ショックだったの……」
レヴィアスの肩に頭を預け、アンジェリークは言う。
「それで? ショックだったお前はどうしたんだ?」
「ゼフェルにビンタ食らわせちゃった……」
途端にレヴィアスは大笑いした。
「そりゃいい薬だ。奴らも少しは考えるだろうさ」
一頻り笑って、レヴィアスは真剣な表情に戻った。
「で、それだけじゃないだろ? お前が気にしてるのは」
「オスカー様、今日はありがとうございました」
コレットは部屋まで送ってくれたオスカーにそう礼を言った。
オスカーが一刻も早く切り上げたいと思っていることには気付いていた。だが、気付かないふりをして結局1日中連れまわした。今日だけはどうしてもオスカーを独占したかったのだ。そして確認したかった。オスカーの心がどこにあるのかを。
レイチェルに『どうしても今日はオスカー様と過ごしたいの。でもわたしがお誘いに行っても断られると思うの。だから、レイチェル、協力して』と。レイチェルもここのところ真面目に育成している親友の頼みを快く了承してくれた。そして有無を言わさずここまでオスカーを連れてきてくれたのだ。
「今日は我侭ばかり言って済みませんでした。オスカー様、早く帰りたいって思ってらしたのに」
コレットのその言葉にオスカーは少なからず驚く。まさか、気付かれていたとは。確かに一刻も早く切り上げてアンジェリークの許へ行きたかった。レイチェルにここまで連れて来られた為、アンジェリークに伝言を託す隙もなかった。だから小一時間も付き合ったら、早々に切り上げてアンジェリークの許に駆けつけるつもりだった。そして、きちんと今日のことを包み隠さず告げて謝ろうと思っていた。だが、結局殆ど1日コレットに付き合うことになった。
オスカーには負い目がある。コレットをずっと身代わりにしていたこと。利用していたこと。コレットの心など無視していたこと。だから、コレットの願いを無碍には断れなかった。
「済まない……コレット」
「いいんです、判ってましたから。オスカー様がわたしのことを好きなんじゃないってこと……」
少し寂しそうにコレットは笑った。
「ずっと、わたしの後ろに誰かを見ていらしたでしょう? わたしの名前を呼びながら、違う方を見ていた。女王候補の頃は気付かなかったんです。でも、アリオスに出会ってから判りました。アリオスはわたしの後ろにエリスさんを見てた」
レヴィアスの失われた恋人・エリスとコレットはよく似ていた。コレットにレヴィアスが近づいたのも、彼女の血を使ってエリスを復活させる為だった。だから、アリオスはいつもコレット自身ではなくその後ろにエリスを見ていた。エリスの霊に出会い、レヴィアスの過去を知った後、コレットはアリオスが悲しそうな瞳で自分を見ていた理由を知ったのだ。
そして、今回の事件。初めはオスカーは自分を見ているのだと思っていた。だがオスカーは突然離れていった。何故、どうして? そう考えて、ずっと考えつづけて、漸くオスカーが自分を見る目がかつてのアリオスと同じだということに気付いた。
(オスカー様はわたしを好きなんじゃない……他の人を見てるんだ……)
そう理解して合点が行った。オスカーが何故、自分を名前で呼びながらも自分の告白に答えてくれなかったのか。最後の最後に勇気を出して告白した。女王陛下が与えてくれた最後のチャンスで。ただ、そのときは自分を女王にと望んでいるから、告白を受け入れてもらえなかったのだと思っていた。相思相愛なのに……そう解釈していた。だから、今回の事件でオスカーが自分を頻繁に誘いに来るのも当然だと受け止めていた。けれど、本当は違ったのだ。
「それを確かめたかったんです。オスカー様がどなたを好きなのか。わたしは本当に身代わりなのか……。あの方がライバルじゃわたし敵わないです。わたしなんかよりずっと素晴らしい方……わたしなんて及びもつかないくらい……」
オスカーは言うべき言葉が見つからなかった。なんと詫びればいいのだろう……。アンジェリークだけではなく、コレットをこんなにも傷つけて。
「コレット……」
「行って差し上げてください。わたし、もう平気ですから。納得できたから、すっきりしました」
「済まない……君には詫びる言葉もない……」
「そう思うんだったら、絶対あの方と幸せになってください。わたしなんかよりずっと辛い思いをなさってる方だから」
「ああ……。約束する。コレット……君も素晴らしい女王陛下だな」
そう、いつまでも頼りない少女ではないのだ。確かの女王としてはまだまだ頼りないが、これほどの心の広さを持っているのだ。きっと素晴らしい女王になるだろう……。
「だったら、早く行ってください」
「ああ……」
コレットに促され、オスカーは部屋を出る。コレットはそれを寂しい気持ちで見送った。
「今度は、オスカーの奴は何をやらかしたんだ?」
レヴィアスは決め付けてかかる。オスカーが関わっているに決まっている。そして、オスカーがアンジェリークを傷つけたのだ。
「コレットと、会ってただけよ」
なんでもないことのようにアンジェリークは言う。だが、口調は取り繕っても、それが虚勢であることは明らかだった。
「信じるって決めたんだもの。オスカーの言葉を、オスカーの想いを、信じるって決めたんだもの……。だから、オスカーが説明してくれるのを待つの……。そう決めたの。なのに……」
なのに、やっぱり恐くてここに来てしまった。きっとオスカーはコレットと別れた後アンジェリークの許に来てくれる。そして説明してくれる。けれどオスカーがもし、訪ねてこなかったら?
コレットとデートして、やっぱりコレットがいいと思ってしまったら?
そんなことになったら、耐えられない。オスカーを恨んで、コレットを妬んで、きっと黒いサクリアが目覚めてしまう。だから、ここに逃げてきた。
「ごめんなさい、レヴィアス……。わたし……貴方を利用してる……。オスカーのこと、信じるって決めて、でも恐くて……逃げてる。逃げる為に貴方のこと、利用してる」
レヴィアスの優しさに、レヴィアスの寛さに。そしてレヴィアスの愛に甘えて、それを利用している。
「いいんだぜ、利用しても」
自分を責めるアンジェリークを労わるように、レヴィアスは優しく囁く。
「利用される男ってってのはいい男じゃなきゃ出来ないからな。あの頃の、お前と出会った頃の俺じゃ無理だった。だが、お前に出会って、お前を愛して俺は変わった。今、俺がこんなふうにお前を包み込めるようになれたのはお前がいたからだ。だから、お前には俺を利用する権利がある。お前にしか、ないんだ」
アンジェリークを愛して、レヴィアスは全ての柵から解放された。そして、再び人を愛せるようになった。何の見返りも求めることのないほど、ただ相手の幸福だけを願えるような愛し方……。そんな愛し方が自分に出来るとは思わなかった。それは全てアンジェリークが相手であるがゆえだった。
アンジェリークの為に……。再び遺していかねばならないアンジェリークの為に、レヴィアスはオスカーともう一度対決することを決意していた。
コレットの部屋を出て、オスカーは足早にアンジェリークの女王宮へと向かっていた。
コレットがオスカーの本心に気付いていたのは意外だった。済まないと思う。可哀想なことをしたと思う。
コレットたちの女王試験の際、コレットがオスカーに好意を寄せていることには気付いていた。朴念仁ではない。聖地一の色事師だったのだ、気付かぬはずがない。
当然ながら、オスカーはその気持ちに応えるつもりは毛頭なかった。だが、コレットに対して気のある素振りを見せた。コレットに誤解させる為に。
精悍な美丈夫で低く甘い声。徹底したフェミニストぶり。少女たちが思い描く理想の男性を具現化した存在、それがオスカーだった。コレットが誤解したとしても無理はない。況してやオスカーは意図的にそう仕向けていたのだから。
そしてオスカーの思惑どおり、コレットはオスカーに夢中になった。そしてオスカーの歓心を得ようと必死になって育成していった。
彼女がライバルに僅差で勝利した後、コレットは思いがけなくオスカーに告白してきた。即位の儀の前日だった。
女王になるはずの少女の行動を訝しむオスカーに、コレットは女王陛下が最後のチャンスを下さったのだと言った。このまま女王になっていいのか、悔いはないのか、と。そして想いが成就したなら、宇宙のことは気にせずに愛する人と共に生きなさいと。
二度目の女王候補の告白が、アンジェリークの言葉が、オスカーの中でアンジェリークの告白を思い出させた。自分に告白したとき――アンジェリークは振られることを覚悟していた。その上で、女王になる為に、自分の気持ちを整理する為に告白したのだ。子ども扱いされているからきっと相手にはしてもらえない。でも、こんな気持ちのままじゃ女王にも補佐官にもなれない。アンジェリークはそう思って、けりをつける為に告白してきたのだ。言葉の端々からそれが察せられた。
それがオスカーは赦せなかった。けりをつける為に、つまりは自分への想いを、自分を捨てる為の告白だったのだ。だから、オスカーはわざと拒否も拒絶もせず、アンジェリークの想いそのものを否定したのだ。
アンジェリークがどれほど自分に恋していたかは感じ取っていた。自分を見つめる眼差しの熱さ。自分と接するときの少女らしい恥じらい。薄く薔薇色に染まる頬。全てがオスカーを好きなのだと告げていた。
その恋をアンジェリークは捨て過去のものにしようとしている。自分がどれほどの忍耐で彼女への想いを抑えていたかも知らないで。だからオスカーはアンジェリークの想いそのものを否定した。そうすることによって、アンジェリークはオスカーに想いが真剣なものであることを認めさせようとする。恋を捨てることはせず、ずっと自分を想い続ける。そうオスカーは確信していたのだ。そして的中した。
長かった。アンジェリークの告白から1年も経っていないはずだ。だが、事が多かった。オスカーにとっての二度目の女王試験、異なる宇宙からの侵略、それに付随した聖地の混乱、そして今回の事件。10年もの歳月が過ぎ去ったかのような気さえした。そう――そんなにも長い時間、オスカーはアンジェリークを苦しめ、傷つけていたのだ。
漸くアンジェリークに詫びることが出来た。愛しているのだと本心を告げることが出来た。これから、今まで傷つけてきた分を取り戻し、信頼を、そして愛を得なければ……。そんなときに、コレットへの贖罪の意味もあったとはいえ、アンジェリークの信頼を裏切るような真似をしてしまったのだ。
「済まない、アンジェリーク!」
オスカーはアンジェリークの私室に駆け込む。ノックもしない。既にそれが赦されるだけの関係にはなっていた。私室に、アンジェリークはいない。
「……執務室か?」
溜息をつき、執務室に向かおうとしたオスカーはテーブルの上にあるメモに気付いた。
〔オスカーへ。天使の広場で待ってます。……ふふふ、デートみたいね?〕
メモにはそう記されていた。アンジェリークはオスカーがここにやって来ること疑わずに、ちょっとした茶目っ気を出してこんなメモを残して出かけたのだろう。だが、自分は行かなかった。いや、1人では行かなかった。天使の広場にはコレットと共に行ったのだ。
「……見られたのか……」
溜息と共にオスカーは呟く。
漸く少しばかり信頼を取り戻したところだった。アンジェリークの愛を乞い、得る為に、彼女への愛を証明しなければならないときだった。なのに――。全ては振り出しに戻った。いや、0ではなくマイナスかもしれない。
オスカーは踵を返すと、エレミアへ向かった。傷ついたアンジェリークが行く所は1つだけ。そう、レヴィアスの所だけなのだから。
「あーあ、大泣きするから最悪だぞ、ひどいブスになってる」
レヴィアスはアンジェリークの顔を見てわざと呆れたように言った。勿論、アンジェリークの気持ちを軽くしようとして言ったのだ。
「取り敢えずシャワーでもして化粧落として来い。ついでに服も着替えな。俺のシャツを出しておいてやるから」
レヴィアスはそう言って、アンジェリークをバスルームに押し込む。
「いいわよ、着替えなんて」
「バーカ。子どもが腹出してっと、風邪ひくぞ」
「もう! いつもそうやって子ども扱いね」
「当然。お前、俺より11歳もガキなんだからな」
「そのお子ちゃまに最初に手を出したのは貴方だってお忘れなく!」
アッカンベーとばかりに可愛い舌を見せてアンジェリークはバスルームに消える。アンジェリークの姿が消えてから、レヴィアスは『やれやれ』と苦笑する。
アンジェリークのことだけが気がかりだった。自分の命はもう長くない。魔導の急激な消費の所為で、体にがたが来ているのだ。何とかしたかった、アンジェリークが幸福になれるように。
アンジェリークはオスカーを愛している。オスカーはアンジェリークを愛している。なのにずっとすれ違っている。アンジェリークは傷つくことを、オスカーは傷つけることを恐れて。
恋愛はどちらか一方だけが悪い、というものではない。オスカーは司る力そのままに炎だ。その炎をアンジェリークが受け止めきれないかもしれないとオスカーが恐れたのも無理はないだろう。愛するがゆえの危惧を責めることは出来ない。だが、オスカーが間違った選択をしたのも事実だ。だからアンジェリークは臆病になっている。
2人は今、漸く互いの道を修正し、寄り添う方向へと動き始めたところだった。なんとしてもこのまま進ませたかった。その為には、レヴィアスはどんなことでもしようと思っていた。
アンジェリークは臆病になっている。オスカーを信じたい、オスカーの愛を信じたい。でも裏切られるのが恐い。再び傷つくのが恐いのだ。無理もない。だが、その恐れを克服しない限り、アンジェリークの真の幸福はありえない。
この世に永遠の愛など存在しないとレヴィアスは思っている。人の心は必ず変わるものだから。そして人の命には限りがあるのだから。だが、永遠に近い愛はある。それに近づける為には努力が必要なのだ。ただ、待っているだけでは駄目だ。互いに想いを伝え合い、確認し合わなければ。そしてそれを続けていかなければ。愛している、愛されているということに胡座をかいていては、いつか愛は失われてしまうだろう。
オスカーは今、アンジェリークを愛していると訴え続けている。情熱的に、けれど穏やかに。アンジェリークを包み込むように優しく。アンジェリークはそれを受け止め、愛されているという自信に結びつけようとしている。だが、何かが足りないのだ。傷つくことを恐れ、傷つけてしまうことを恐れ、何かが足りないのだ。アンジェリークがオスカーに飛び込む為の何かが。
「……オスカーを煽ってみるか……」
オスカーは今、精一杯自分を抑えている。アンジェリークに信じてもらう為に穏やかに真摯に愛を伝えている。だが、今、アンジェリークを踏み出させる為に必要なのは寧ろ烈しさなのではないか……。
そう考え、レヴィアスはオスカーと対峙しようと決めた。長くはない命。残された時間は少ない。アンジェリークの為に、オスカーを挑発しよう。そして、オスカーの烈しさをアンジェリークが確かに受け止めたとき初めて、2人は先に進めるのだ。
「レヴィって、やっぱり大きいのね」
アンジェリークがバスルームから出てくる。レヴィアスの渡したTシャツはアンジェリークには大きく、それを身につけたアンジェリークはなかなか艶かしかった。少しばかり肩が露出し、裾は膝上丈になっている。こんな姿のアンジェリークとレヴィアスが共にいるところをオスカーが見たら、またとない挑発になるだろう。
「まだ、髪が濡れてるじゃねぇか。こっちに来いよ」
レヴィアスはアンジェリークを手招くと、自分の膝上にアンジェリークを座らせ、アンジェリークの頭をタオルで包み込む。
「やだぁ、レヴィアス、乱暴!」
がしがしと音がしそうなほど、レヴィアスはアンジェリークの髪を拭く。
「ふーん……。なかなかいい眺めだな」
笑いながらアンジェリークの髪を乾かしていたレヴィアスは何かを感じ取り、わざとそう言った。
レヴィアスは後背からアンジェリークを抱きかかえるような状態になっている。身長差があるからアンジェリークの胸元が目に入る。扇情的な眺めだった。
「もう、レヴィアスのエッチ」
くすくすと笑いながらアンジェリークが言うと、レヴィアスは半ば剥き出しになっている肩に唇を押し当てた。手が意味ありげにアンジェリークの大腿に這わされる。
「おう、俺は助平だぜ? 知ってるだろう? 大体お前がそんなそそる格好で現れるから悪い」
アンジェリークの滑らかな肌を撫で摩りながらレヴィアスは言う。心の中でカウントダウンしながら。
果たしてドアが開き、オスカーが現れる。そう、オスカーが近くにいることを感じたレヴィアスはわざとセックスを匂わせるような行動をとったのだ。
「なんだ、またお前か。いいところなのに邪魔するな」
オスカーを挑発するレヴィアス。そして、オスカーはその挑発に簡単に乗せられる。
「アンジェリーク……!」
レヴィアスからアンジェリークを奪うようにして自分の腕の中に抱え込む。アンジェリークは驚き戸惑ったようにオスカーを見上げる。オスカーの視線はレヴィアスに向けられている。恐いほど強い眼差しだった。視線でレヴィアスを射殺そうとでもするかのような強い眼差しであり、嫉妬しているのが明らかな視線だった。
「行こう、アンジェリーク」
オスカーがアンジェリークの肩を抱く腕に力をこめる。そして、レヴィアスに背を向けアンジェリークを促す。
アンジェリークはレヴィアスを振り返った。レヴィアスがアンジェリークを抱くつもりではなかったことは感じていた。そして、オスカーを挑発する為の行動だったことも。『どういうつもり?』 そう目で問い掛ける。それにレヴィアスは同じく目で応える。
――逃げるな、自分の臆病さから。オスカーに向き合え、自分と戦え――
それが2人の関係を進める為に必要なことなのだから……。
アンジェリークはかすかに頷くと、オスカーと共に出て行った。
2人が出て行くとどっと疲労が押し寄せた。見事にオスカーは挑発に乗った。情熱のままその烈しさをアンジェリークのぶつけるだろう。見届けなければならない。
「……おっと忘れ物だぜ」
レヴィアスはアンジェリークの服を手にとると、少し遅れて家を出た。
オスカーは無言のまま、アンジェリークの腕を掴んで歩きつづけた。大股で、一刻も早くエレミアから……レヴィアスから遠ざかろうとするかのようにオスカーは歩く。アンジェリークは手首を強い力で掴まれたまま、殆ど小走り状態で、オスカーについていく。オスカーは何も言わない。アンジェリークはそんなオスカーを不安げな表情で見ていた。
エレミアを抜け、居住地とエレミアを結ぶ森の中へと進んで行く。それでもオスカーは無言だった。
アンジェリークに詫びるつもりで探していた。レヴィアスの所へ行ったのも仕方ないと思っていた。彼が唯一アンジェリークが安らげる場所だから。悔しいけれどそれが事実だ。
だが、そこで見たものはオスカーの理性を吹き飛ばす光景だった。以前見た生々しい光景よりも一層オスカーの冷静さを失わせるものだった。アンジェリークは自分を信じると言いながら、レヴィアスに身を任せていたのか? いや、そんなはずはない、アンジェリークはそんな女ではない。それに彼女の信頼を裏切ってしまった自分にはアンジェリークを責める権利はない。
だが……それでも怒りを、憤りを感じる。レヴィアスに、そしてアンジェリークに。
これまで、抑えつけていたアンジェリークを求める欲望が溢れそうになる。
「……オスカー……ねぇ……痛いわ……」
アンジェリークのか細い声に、オスカーは立ち止まる。急に立ち止まったオスカーに、小走り状態だったアンジェリークは勢いあまって、転んでしまう。
「済まない、アンジェリーク。大丈夫か……」
慌てて手を差し出したオスカーだったが、赤い色が目に入った途端、動きが止まった。
乱れた髪の隙間から覗く白い首筋。そこに咲く赫い華。それが何なのか判らぬほどオスカーも初心ではない。レヴィアスがアンジェリークに刻み付けた情事の跡。
それを認識した途端、オスカーの中で何かが弾け、燃え上がった。オスカー自身を燃え尽くそうとするほど凶暴な炎の力が。怒りと嫉妬、そして自責。それが炎のサクリアを暴走させようとしていた。
オスカーはアンジェリークの腕を引き立ち上がらせると、大樹の幹に彼女を押し付けた。そして、覆い被さるように、アンジェリークの唇を塞ぐ。
激しい口づけだった。かつての触れるだけの口づけではない。あのときの口づけは、神聖なものに触れるかのように恭しく、そして優しく穏やかなものだった。だが今度は違う。オスカーはアンジェリークの全てを奪い尽くそうとするほど激しく口づけてきた。
「奴に抱かれたのか」
唇を離し、アンジェリークを見下ろす。アンジェリークは怯えた表情でオスカーを見上げている。オスカーの蒼氷色の目が凍てついた炎の矢となりアンジェリークを刺す。
「……」
アンジェリークは怯えた表情のまま、微かに首を振る。だが、暴走した炎はそれを認識しない。
「あのときも……奴を求めて喘いでいたな。淫らに浅ましく……!」
ずっと愛していた。彼女を傷つけもした。それでもずっと愛していた。愛している。女王だから、まだ少女だから、彼女を傷つけた自分にそんな資格はないのだから、そう言い聞かせて欲望を抑えつけていた。彼女の愛を得るのが、彼女の許しを得るのが先だと。彼女が大人になるまでは、と。
だが、アンジェリークは他の男の腕で女になり、性を開花させていた。
「……男が欲しいと仰せなら、いくらでも俺がお相手いたしますよ」
「ん……?」
ランピーを奏でる手を止めて、オリヴィエが顔を上げる。同時にリュミエールもハープの演奏を止め眉を曇らせる。
「今のは……」
「炎の……サクリアでしたね」
サクリアが暴走している。オスカーのサクリアが。
「なにやってるんだ……?」
2人は立ち上がると異変を感じた地点へと向かうことにした。途中、同じく異変を察知したジュリアス、クラヴィス、ルヴァと出会う。全員が一様に表情を強張らせている。
ここのところオスカーのサクリアは安定しているかに見えた。だが、実はかなり危うい状態だった。いつ暴走してもおかしくないほど、オスカーは緊張を強いられていたのだ。表面上は、アンジェリークとの関係が好転していることから安定しているようだった。しかし、愛する女性を求める気持ち、愛を希う想い、そして自分は赦されるはずはない、赦されてはならないのだという自責の念。それらがオスカーの精神状態を不安定にしていた。
「奴と何かあったな」
歩を進めながら、ジュリアスが呟く。
「それだけではあるまい。アンジェリークが関わっているはずだ」
それにクラヴィスが応える。
「どちらにしても急がなくてはいけませんね……取り返しのつかないことになる前に」
ルヴァの言葉に頷き、5人は足を速めた。
駄目よ……オスカー……!
アンジェリークは抵抗も出来ず、ただオスカーの為すことを受け入れていた。
オスカーはレヴィアスの痕跡を消し去ろうとするかのように、アンジェリークの首筋に、露わにした肩口に口づけ刻印を残していく。手は足を割り、指は秘められた泉を弄る。
駄目よ……やめてオスカー……。
アンジェリークもオスカーのサクリアの異変を感じていた。オスカーの嫉妬がサクリアを暴走させ、暴走したサクリアが更にオスカーの嫉妬を煽っていた。
このままじゃ取り返しのつかないことになる……。
くちゅくちゅと淫らな水音がする。何の音なのかいやというほど判っている。濡れているのだ、オスカーに弄られて。
オスカーは誤解し、嫉妬し、どうしようもなくなったものを自分にぶつけている。自分を見ているのではない。今オスカーは誰も見ていない。けれど、それでも……オスカーが自分に触れているのだと思うだけで、アンジェリークの中で『女』の部分が歓喜に震えていく。
でも……このままでは駄目だ……。
「そろそろ……欲しいのではありませんか」
オスカーの掠れた声が甘い毒をアンジェリークの耳に流し込む。
「仰いなさい。俺を貴女の中に入れろと……お命じなさい」
アンジェリークはその言葉に首を振る。駄目……こんな形で結ばれては……
アンジェリークは苦しそうな表情で、それでも必死に首を振る。
駄目……オスカーが……壊れてしまう……。
アンジェリークの両腕がそっとオスカーの背中に回される。オスカーを包み込むかのように。そして、オスカーを癒すかのようにアンジェリークのサクリアがオスカーを包み込もうとする。
「そこまでだ、オスカー」
背後から、オスカーの首筋に剣が押し当てられる。誰もいなかったはずの空間にレヴィアスが立っていた。魔導で転移してきたのだ。
オスカーを嗾けた。挑発した。オスカーが暴走することを予測して。だが、このまま突っ走ってはオスカーもアンジェリークも傷を負うことになる。取り返しのつかない傷を。だから、タイミングを見計らって現れた。
そして、レヴィアスが現れると同時に、守護聖たちも現れていた。
オスカーは無言のままアンジェリークから離れる。だが、微かにアンジェリークにだけ聞こえる声で『済まない』、そう告げる。離れる間際に、そっと繊細なガラス細工に触れるかのようにアンジェリークの頬に優しく触れて……。
「オスカー……謹慎していろ」
努めて冷静な声でジュリアスが命じる。その言葉を受けて、オリヴィエとリュミエールがオスカーの両側から彼を促す。ジュリアスはアンジェリークに一礼するとその後に続く。クラヴィスとルヴァは何か言いたげにレヴィアスを見つめ、彼らの後を追った。
「後は……おまえ次第だ、アンジェリーク」
レヴィアスの言葉はアンジェリークへの決断を促していた。
オスカーの愛を受け入れるのか。オスカーへの自分の想いにどう向き合うのかを。
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オスカーは私邸へと戻っていた。監視役という名の相談役として、オリヴィエが残っている。
「あんた……馬鹿なことやったね」
そう言いながらもオリヴィエの口調は優しかった。
「全くだな……」
オスカーは自嘲の笑みを浮かべる。
「だがな……後悔はしちゃいない……。何もかも、どうでもよかったんだ。アンジェリークを抱けるなら……」
あのとき、オスカーの目には何も映っていなかった。ただ、アンジェリークを抱きたい。彼女を感じたい。彼女に自分を刻み付けたい……それだけだった。
「あの子を傷つけても、そうしたかったんだ?」
「そうかもしれない」
アンジェリークの肌に残るレヴィアスの跡と見た瞬間に何もかもがどうでもよくなった。ただ、アンジェリークを抱きたかった。
「彼女を一度でも抱くことが出来るのなら、何も望まない。命さえもいらない……彼女がいなければ、何もかも全て意味も価値もない」
その想いがサクリアを暴走させた。そして……それを包み込み、和らげるかのようにアンジェリークのサクリアが反応していたことにも気づいていた。
アンジェリークは自分を赦そうとしている……こんな自分にそれでも愛を示そうとしてくれている……。
そう感じた途端、サクリアは暴走を止めた。だからこそ、今こうしてここにいられるのだ。あのまま暴走していたら、恐らく炎のサクリアはこの大陸を破壊していただろう。
あのときはそれでも構わないとさえ思っていた。アンジェリークに愛されなければ、彼女が傍にいなければ、オスカーにとってこの世界など、何の意味も持たないのだ。
「……おとなしくあの子の判断を待つんだね。あんたは全てをあの子の曝け出した。愛も、欲望も。きれいな気持ちも醜いものも。あとはあの子がそれをどう受け止めるかだ」
アンジェリークがオスカーを拒むことはないだろう。確かに彼女のサクリアはオスカーを包んだのだから。この世界を守る為ではなく、オスカーを守る為に……。
「ああ……」
もし、アンジェリークが自分を拒絶しレヴィアスを選んでも仕方がないと思えた。自分を全て曝け出して弱さも醜さも狡さも、全て見せたのだ。レヴィアスが彼女に与えたものとは全く正反対だった。だが、それでもいいと思えた。アンジェリークが自分を包んでくれた。ただそれだけで十分だった。彼女を壊さずにすんでよかったと、今のオスカーはそう思えたのだ。
アンジェリークは1人居室に篭もってていた。心配するロザリアに1人で考えたいからと頼み込み、じっと考えていた。
怖かった。オスカーが、ではない。サクリアの過剰反応によってオスカーを失うかもしれない、そう思って、それが怖かった。
オスカーはあんなにも自分を求めていたのだ。それを抑え込んで、アンジェリークが心を開くのをじっと待ち続けていたのだ。
サクリアが暴走するほど、オスカーは自分を愛していた。それが嬉しかった。そんなにも愛されていたのだ、求められていたのだと思うだけで、体が熱くなり、心は歓喜に震える。己を燃やし尽くし、更には周囲も、いや世界全てをも焼き尽くすほど愛されていたのだ。
オスカーを失いたくなかった。このままではオスカーが壊れてしまう。失ってしまう。そう思った瞬間、サクリアが動いた。意識する前に、本能的に、オスカーを守る為に。
ずっと、オスカーに愛されたいと思っていた。
自分は子どもだった。オスカーへ向けた恋はなんと子どもっぽい想いだったのだろう。ただ、彼に愛されることだけを願って、彼がどんな想いで自分を見ていたのか気づいてもいなかった。
告白したときもそうだった。ただ、あのときは自分の気持ちだけをオスカーに押し付けたのだ。
初めから振られるのだと決め付けていた。僅かに期待はしていたけれど、99.999999999%(所謂イレブンナイン、絶対的不可能と同義)振られると思っていた。だから、彼への告白は、自分が気持ちに決着をつける為の一種の儀式のようなものだった。オスカーの気持ちなど、少しも考えていなかった。
オスカーは、初めから『YES』を期待していない告白をどう受け取っただろう? 初めから、気持ちを捨てる為の告白を。
「随分……身勝手だったわね、わたし……」
だから、それに気付いたから、オスカーは自分の気持ちを認めなかったのだ。
多分、オスカーが自分にオスカーの激しさが受け止められるのか不安だったと言ったのも事実だろう。だから、オスカーは自分に想いを告げなかったに違いない。オスカーは待っていたのだ。自分が大人になるときを。それなのに、自分は身勝手な、楽になりたいからという理由でオスカーに告白したのだ。オスカーへの想いを終わらせる為に。
もし、オスカーがアンジェリークの望んだとおりの言葉でアンジェリークを振っていたら……。
「気づかなかったわね。オスカーの気持ちに……」
オスカーがどんな想いで自分を見つめていたのか、どんなふうに苦しんでいたのか。そんなことを想像すらしなかっただろう。拒否されたからこそ、オスカーへの想いを捨てられず、オスカーのことを見つめ続け、考え続けた。そして、レヴィアスの出現によって、漸くオスカーと向き合うことが出来た。
「オスカー……」
アンジェリークは立ち上がった。
「貴方に……会いたい……! 伝えたい。謝らなきゃ」
そして……愛し合いたい!
「じゃあ、わたしは帰るよ」
オリヴィエは軽くそう言うと立ち上がる。
「いいのか? 俺の監視役だろうに」
「もうあんたは馬鹿なことはしないだろう?」
オリヴィエはあっさりと言ってのける。オスカーの強さを知っているから。
「ああ……」
「封印の解除もあと少しだ。多分その前に何か起きる。だから、少しでも早くけりつけるんだよ」
オリヴィエはそう、エールを送って、オスカーの館を後にした。
オリヴィエを見送って、オスカーは私室に戻る。
アンジェリーク……
オスカーは心の中で呟く。
彼女はどんな決断を下すのだろう。だが、どんな決定が彼女の中で為されたとしても、自分が彼女を愛していることに変わりはない。彼女が自分を選ばなくとも、彼女の為に自分は生きていく。彼女を支える為に。彼女を守る為に。
オスカーはふと顔を上げた。窓の外に気配を感じたのだ。だが、バルコニーの側には木があるだけで、誰もいないはずだ。けれど確かに人の気配を感じる。それも、彼が求めてやまない女性の気配を。
「アンジェリーク……!?」
まさかと思いつつバルコニーに続く窓を開ける。
「……オスカー……」
そこには確かにアンジェリークがいた。正確にはバルコニーに張り出した木の枝に。
「どうして……そんな所に」
「貴方に会いにきたの。でも、入れてもらえないかもしれないって思ったから……忍び込もうと思って」
顔を真っ赤に染めてそう言うアンジェリークに、オスカーは自然に笑みを浮かべた。そしてそれは徐々に大きくなり、オスカーは楽しそうに笑い出した。
「相変わらずのお転婆だな、俺のお嬢ちゃんは」
そう言うと、アンジェリークに手を差し伸べる。そしてアンジェリークを抱き下ろす。
こうして、アンジェリークが来てくれた。それが、彼女の出した答えなのだ。
そして、アンジェリークも顔を更に赤くしながら、オスカーを見上げた。『俺のお嬢ちゃん』 確かにそうオスカーは言った。
「こんな夜更けに、俺の所に来るなんて……夜這いか?」
揶揄うようなオスカーの口調……。それがアンジェリークには嬉しかった。
「だったら、どうする?」
だから、ちょっとした意趣返しにアンジェリークはそう応えた。今度はオスカーが赤くなる。だが、それも一瞬で、見惚れるような笑みを浮かべる。
「嬉しい限りだ」
そう言って、オスカーは優しくアンジェリークを部屋に誘った。
アンジェリークをソファに座らせ、彼女の為のホットミルクと自分のバーボンを用意する。アンジェリークは少しばかり緊張した面持ちでオスカーを待っている。
「熱いから、気をつけるんだぞ」
「……子ども扱いしてる……」
少し不満そうにアンジェリークが言う。唇を突き出した、拗ねた表情が愛らしかった。昔のように、ありのままのアンジェリークの姿を見せてくれている……そう思うだけで、オスカーの心は満たされていく。
「……あのね……わたし、オスカーに謝らなきゃ、って……」
オスカーが腰をおろし落ち着いてから、アンジェリークはそう切り出した。
「わたし、子どもだった……。オスカーの気持ち考えずに、自分の気持ちばかり押し付けてた……ひどいことばかり貴方にしてきた……」
アンジェリークが真摯に語りかけてくる。その言葉をオスカーはじっと聞いていた。
「ごめんなさい……どれだけ謝っても赦されることじゃないけど……。でも、でも……どうしても謝りたかったの。そして、言いたかったの。こんなわたしでも貴方を愛してもいいですかって……わたしを愛してくれますかって……」
アンジェリークの声は震えている。
「俺こそ聞きたい。俺は君を傷つけた。傷つけ続けた。ずっと意図的にそうしてきた……。君の心が俺から離れないように、君が俺だけを想い、苦しむように仕向けてきた。そんな俺に君を愛する資格はあるか? 君はそんな俺でも愛してくれるか?」
蒼氷色の目がアンジェリークを見つめる。情熱の視線。けれど、暖かな優しい視線で。
「わたし……貴方を愛してる……。貴方だけを、愛してる……」
「君だけだ。君が俺の愛の全てだ……!」
見る間にアンジェリークの目に涙が浮かぶ。堪らず、オスカーはアンジェリークを抱きしめる。
「オスカー……オスカー……オスカー……!」
アンジェリークもオスカーを抱きしめる。これまでのすれ違いの溝を埋めるかのように確りと。
漸く、1つに寄り添った。心が。そして歩む道が……。
「君が……欲しい」
「貴方が欲しい……。抱いて……」
幾度、夢に見ただろう。彼女をこの腕に抱くことを……。
ずっと愛していた。ずっと求めていた。サクリアが暴走するほど。
夢の中で、何度もこの白い躰を組み敷いた。時には睦み合う恋人のように抱き合い、時には抵抗を封じて欲望をぶつけた。全て、夢の中で……。夢で吐精することもあった。
「……オスカー……?」
恥ずかしそうに、アンジェリークが自分の名を呼ぶ。月明かりに照らされた彼女の肢体は真珠のような光沢を放っていた。
「お願い……そんなに見ないで? 恥ずかしい……」
この大陸に来てからの無理が祟って、肌は艶を失っているし、みっともないくらい躰は細くなってしまっている。オスカーと1つになりたい。愛しているのだと、愛されているのだと実感したい。だから、望んだ。けれど、オスカーの目に自分はどう映っているのだろう?
「綺麗だ……俺の……アンジェリーク」
オスカーはそんなアンジェリークの心を感じ取ったかのように、優しい、そして眩しいものを見つめるような瞳でアンジェリークを見つめる。
神聖なものに触れるかのように、細心の注意を払ってアンジェリークの頬に触れる。
「オスカー……」
アンジェリークがそっとオスカーの背を抱く。早く、オスカーを感じたい。それに応えるようにオスカーはアンジェリークの口づけする。優しく、穏やかに。だがそれはすぐに濃密さを増していく。くちゅくちゅと、互いの舌を絡めあい、全てを貪るように口づけは激しくなっていった。
オスカーはそっと、アンジェリークの乳房に触れる。肌が掌に吸い付くようだった。そのしっとりとした感触が、オスカーを昂ぶらせる。その激情のままにオスカーは形が変わるほど強く揉みしだく。
この肌に触れるのは自分が初めてではない……。アンジェリークの性は既にレヴィアスによって開花させられている。それが悔しかった。
オスカーは処女性に拘っているのではない。処女だろうがそうでなかろうが、女性の価値に何の代わりもないのだから。そんなことを気にするのは自分に自信のない狭量な男だと思っていた。
けれど……愛し続けていた女性が他の男に抱かれた、その事実はオスカーに憤りを感じさせる。自分だけのものにしておきたかった。独占欲の塊だった。だからこそ、彼女の気持ちが他に向かないように仕向けていたのに……。しかし、全ては自分の罪なのだ。アンジェリークには一欠片の罪もない。
たっぷりとアンジェリークの口腔を貪り、オスカーは唇を離す。アンジェリークは苦しげに、けれど艶やかに息をついている。瞳は既に情欲に潤んでいた。
「愛している……」
耳元に甘くオスカーは囁く。そして、そのまま耳朶を甘噛みする。舌でアンジェリークの耳を愛撫すると、アンジェリークは微かに躰を震わせ、感じているのだとオスカーに知らせる。
オスカーはアンジェリークの感じる個所を1つ1つ探り出すように全身を隈なく、手で、唇で、舌で探索する。
アンジェリークの唇からは絶え間なく艶やかの声が漏れ続ける。オスカーの愛撫はきりがなかった。これまでに求め続けた分だけ、飽くことなく、アンジェリークの肌を味わいつづける。
「オスカー……オスカー……!」
オスカーの1つところに留まることのない、それでいて柔らかな愛撫がもどかしかった。もっと激しい刺激をアンジェリークは求めていた。
アンジェリークの切なげな吐息混じりの声にオスカーは口づけで応える。
そして、アンジェリークが一際艶やかな声をあげた、硬く立ち上がっている乳首を口に含む。一方を口に含み、舌ではじき吸い上げ、他方を指で摘み、捏ね、掻くように刺激する。アンジェリークが求めるように、強く、激しく愛していく。
「ああ……あ……オスカー……ああ……」
天上の音楽にも似たアンジェリークの声にオスカーは更に情熱的にアンジェリークを愛していく。だがアンジェリークは更にオスカーを求めるように、切なげに腰を揺らめかす。
アンジェリークが自分を求めている――そのことが更にオスカーを昂ぶらせる。今すぐにでも、アンジェリークの中に己を埋め込んでしまいたかった。けれど、もっと、もっと求めさせたい。もっともっと感じさせたい。アンジェリークを傷つけた分だけ、それに見合うだけの快楽をアンジェリークに与えたかった。
唇と舌で乳首を刺激しながら、片手をアンジェリークの秘処へと滑らせる。アンジェリークがオスカーの手を招き入れるかのように足を開く。指先に熱い滑りを感じる。アンジェリークが感じている証。オスカーを受け入れたいと望んでいる証だった。
溢れ出る蜜を指に絡め、オスカーはアンジェリークの秘裂をそっとさする。そして、隠れている宝珠を探り当てる。指先で触れるか触れないかといった、繊細な、微妙な愛撫を加えていく。
切なげにアンジェリークが首を振る。もっと、オスカーを感じたい。早く……。
オスカーは更にアンジェリークを高みへ押し上げる為に、両足を大きく開かせると、秘処へ唇を滑らせた。秘裂を舌で割り、溢れる蜜を掬い取る。それが更にアンジェリークの泉を溢れさせ、芳醇な、甘露な蜜が止め処なく溢れる。
「あっ……ああ……あん……あっ」
アンジェリークの唇から零れる嬌声をもっと聞きたくて、オスカーは胎内に指を差し込む。待ち望んでいたかのようにアンジェリークの中はオスカーの指を締め付け、奥へと誘い込もうとする。その妖しい動きにオスカーはすぐにも貫きたい欲望をぐっと我慢する。まだだ……もっと……もっと……!
アンジェリークの中に潜ませた指を曲げ、内壁を掻くように刺激する。一方では感じやすい宝珠を舌で舐めあげる。そのたびにアンジェリークの腰が跳ねる。
「いやぁ……オスカー……もう……もう……!」
アンジェリークが潤んだ瞳でオスカーを見つめる。壮絶な色香を放っている。
「ああ……アンジェリーク……俺ももう……」
オスカーはそう言うと、昂ぶりきった己をアンジェリークの秘処にあてがう。そして、ゆっくりをアンジェリークの中に分け入っていく。アンジェリークを、確かに抱いているのだと感じる為に、殊更ゆっくりと挿入していった。
漸くオスカーが全てを埋め込むと、アンジェリークが安心したように溜息をついた。オスカーが、いる。わたしの中にオスカーが……。
アンジェリークの中が歓喜をもってオスカーを迎え入れ、妖しく蠢く。オスカーがそれに応えて注挿を始める。初めはゆっくりと、そして徐々に激しく。
オスカーはアンジェリークが最も乱れる一点を求めて浅く深くアンジェリークを貫く。最奥の一点をついたときアンジェリークが歔いた。オスカーのものを締め付ける。
アンジェリークが快楽に耐えられないかのように、首を振る。
「オスカー……もう……もう……一緒に…お願い……!」
「ああ……アンジェリーク……! 一緒に……!」
オスカーは共に高みへ駆け上がるべく、激しく突き上げる。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「うっ……くぅ……」
そして、アンジェリークはこれまでに感じたこともない充足と共に眩しい光を感じ、オスカーもまたアンジェリークに包まれて達したのだった。
「……歩けるか……?」
オスカーは気遣わしげにアンジェリークに問い掛ける。
「……何とか……」
アンジェリークはその問いに真っ赤になって応える。夜が明けるまで、愛し合った。疲れ果てて、気を失うように眠るまで……。何度も何度も求め合い、愛し合った。これまでの溝を埋めるように。互いの孤独を癒すように。
「新しい……1日ね……」
「ああ……。俺たちの、始まりの日だ」
オスカーはアンジェリークへの愛を込めて、優しく口付けた。
翌朝、ジュリアスをはじめとする守護聖たちは女王の執務室に集まっていた。オスカーの処分を決定しなくてはならない。どの守護聖も沈痛な面持ちだった。事態が事態だけに、年少組の3人は呼ばれていない。事実を知る者だけで決定しようとしていた。これ以上アンジェリークもオスカーも、追い詰めたくはなかった。
「いつかは……ぶつかり合うんじゃないかと思ってはいたけどね……」
溜息交じりにオリヴィエが言う。
「オスカーもアンジェリークも……避けていたことの付けを払わなければならなくなったのでしょう」
リュミエールは柳眉を曇らせて言う。
だが、年長の3人はいつもと変わらぬ表情だった。ジュリアスなどは信頼するオスカーの醜態に、敬愛する女王の哀れな姿に怒りを爆発させるかと思われていたが……。
サクリアを感じていた。女王の穏やかな、優しい慈愛に満ちたサクリア。炎の激しく、だが力強い護りとなるサクリアを。
「ロザリア……陛下はまだ……?」
女王を呼びに行っていたロザリアが戻ってくる。
「……今、使いを出しました。まもなく戻ってくると思いますわ」
「使い、ですか? あ~、陛下はいらっしゃらない?」
「ええ。昨夜から」
アンジェリークの行き先は全員が思い当たった。ああ……だから、今朝アルカディアを包んでいた女王のサクリアはあんなにも暖かかったのだ……。
「……戻ってきたようだ」
窓の外を見て、クラヴィスが言う。
「ごめんなさい、お待たせしたわね」
それから間もなくして、アンジェリークが部屋へやってきた。オスカーと共に。
「……如何様にも処分をお受けいたします」
オスカーは穏やかに言う。彼がしたことは女王への不敬罪であり、反逆と取られても仕方のないことだった。そんなオスカーをアンジェリークは緊張した面持ちで見つめていた。誤解から生じたことであり、自分たちは愛し合っているのだ。けれど、女王として今は自分からは何も言えない。
オスカーにも言われたのだ。自分を弁護してはいけない、と。罪は罪として認めなければならないと。でなければ、これから先、自分たちの関係を認めてもらうことは不可能になるから、と。
「……痴話喧嘩だ。処分などありえんな……」
いつもの淡々とした口調でクラヴィスが言い、他の5人も首肯した。
「これでオスカーを処分などしていたら、これから先、3日に一度はオスカーに謹慎を申し付けねばならなくなるだろう」
ジュリアスが穏やかな口調でそう告げる。
アンジェリークとオスカーは驚いたように2人を見た。リュミエールとオリヴィエも。
「……粋な計らいって奴だね」
こっそりとオリヴィエがリュミエールに耳打ちする。
「ええ……」
リュミエールも安堵したように頷く。
昨夜のことを不問に付す上、アンジェリークとオスカーの関係を認めたのだ。
ずっと皆がアンジェリークの幸福を願っていた。コレットをアンジェリークの身代わりにして寂しい思いをさせたこともあった。知らぬ間にアンジェリークを傷つけていた。だからこそ、アンジェリークには幸福になって欲しかった。
アンジェリークとオスカーの関係が好転することを祈っていた。女王の恋愛を認めるのかという問題もあったが、アンジェリークの為には、こうなることが一番良かったのだ。
「これでアンジェリークの力も、オスカーのサクリアも安定しましたからね~。あとは封印を解いて、聖地に戻るだけですねぇ」
なんでもないことのようにルヴァが言った。アンジェリークの穏やかな、そして幸福そうな表情を見ることが出来た。それだけで、どんな困難も乗り切れるような気がした。
そして、守護聖たちは退出していった。
「オスカー、アンジェリークに無理させちゃだめよ~この性欲魔人!」
オリヴィエがそんな軽口をきいてアンジェリークを真っ赤にさせた。
それから……アンジェリークのサクリアは安定し、アルカディアを来たるべき日まで支え続けた。そしてオスカーはそんなアンジェリークを包み、守り支えていったのである。
この地に来てから92日が過ぎていた。タイムリミットまであと23日だった。残された時間は少ないと言うのに、まだ謎は全て解明されたわけではない。漸くコレットが封印を解かねばならない存在が判明し、それが『エルダ』と呼ばれるようになった。
だが、守護聖・教官・協力者たちはそれが本当に邪悪な存在ではないのか判断がつかず、ゼフェルなどははっきりを信じられないと言い、他の者たちと対立したりもしていた。育成が完了するのが早いか、それとも時間切れが早いか……自体は一刻を争うような状況だった。
「陛下! 至急王立研究院においでください」
エルンストが血相を変えて執務室へ駆け込んで来た。常に冷静沈着な彼らしからぬ振る舞いだった。
「どうしたんだ、エルンスト」
オスカーが問い質す。エルンストの顔は蒼白だ。
時刻は深夜。この時刻にはレヴィアスが魔導をサクリアに変え、放出しているのではなかったか……。
「レヴィアスが……!」
エルンストの叫びに、アンジェリークとオスカーは王立研究院へと向かった。
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アンジェリークとオスカーが王立研究院に駆けつけたとき、レヴィアスは蒼白な顔をして簡易ベッドに横たわっていた。
「……知らせなくっていいって言ったのにな……」
駆けつけた2人を見て、レヴィアスはそう吐き出す。その声にも力はなかった。
「レヴィ……」
アンジェリークは震える足でレヴィアスの許へと歩む。
レヴィアスが自分のサポートの為に魔導を使っていた。それは知っていた。そしてそれが彼の命を削るであろうことも。自分も覚悟していたことだった。サクリアを、魔導を通常の何倍も放出することは、それだけで体に負担がかかる。それを自分のサクリア(魔導)が尽きるまで繰り返したら、それはサクリアの消滅だけではなく、生命そのものを失う危険性をもっていたのだ。
「馬鹿よ、貴方……。こんなになるまで自分を追い詰めて……」
アンジェリークはレヴィアスの枕許に跪く。
わたしの為に……わたしの為にこんなになるまで……。
アンジェリークの目に涙が滲む。
「……馬鹿……いいんだよ……結構……いい……気分で……逝けそう……なん……だ……」
レヴィアスはそんなアンジェリークに優しい瞳で笑いかける。
「お前……だって……こうなったかもしれないんだ……それに比べれば、俺なんてどうってことはない」
その言葉に偽りはない。アンジェリークを、愛する女をこんな辛い目にあわせ失うくらいなら、自分が逝ったほうがましだ。
「また……わたしをおいて逝くの?」
一度はアンジェリークをおいて逝った。ただ、孤独に耐えねばならないアンジェリークが気がかりだった。心残りだった。その想いがレヴィアスを輪廻の輪に戻らせなかった。
「今度は……大丈夫だろう? お前は、1人じゃない……あいつがいる」
そう言って、レヴィアスはアンジェリークの後ろで2人を見守っているオスカーに目を向ける。オスカーは真剣な眼差しでレヴィアスの視線を受け止めていた。
オスカーがレヴィアスを訪ねたのは、漸くアンジェリークと結ばれた翌日のことだった。
別にレヴィアスに何かをする為に訪ねたのではなかった。ただ、そう……アンジェリークを愛する者同士として語り合いたかった。
レヴィアスは別段驚いた様子もなく、予想していたかのようにオスカーを迎え入れた。
「レヴィアス……あんたには感謝している……」
オスカーのその言葉を受けて、レヴィアスは驚いたように目を見開いた。昨夜の激昂ぶりから見ても、オスカーは自分を殴る為にやってきたのだと思っていたのだ。仮令、アンジェリークと上手くいったにしても、アンジェリークを抱いていた自分をそう簡単には赦せないだろうと。アンジェリークを愛しく思えば思うだけ、憎いに違いないと。
だが、オスカーの態度は違った。そういえば、以前にもオスカーが自分を訪ねてきたことがあった。そのときにも自分はオスカーを見縊っていたと感じたのだ。伊達に守護聖として長い歳月を生きていたわけではなさそうだ……。改めてレヴィアスはオスカーを見直していた。
「あんたが現れて、漸く俺はアンジェリークに対して真剣に向き合うことが出来た。だから、感謝している。……尤も、あんたのシナリオどおりに動かされたって観は否めないけどな」
それがちょっとばかり癪に触る、とオスカーは言った。だが、最終的に見栄もプライドも捨ててアンジェリークに全てを曝け出したのはオスカーだった。いくらレヴィアスが画策したとしても、オスカーにそれだけの覚悟がなければ、何も変わりはしなかった。
「俺は……お前たちの背中を少し押しただけだぜ。お前たちが道を見誤らなかったんだ」
だから、安心して逝ける……。
「だが……お前はそれでいいのか?」
真剣な、嘘を赦さない強い眼差しで、オスカーはレヴィアスを貫く。
「お前だって彼女を愛しているんだろう? 命をかけても悔いがないほど」
愛する女を他の男の腕に委ねて、それでもいいのか?
「お前だって判ってるだろう? 俺の命はもう長くない」
静かな笑みを浮かべてレヴィアスは言う。胸が痛くなるような穏やかな笑みだった。
だからこそ、オスカーは赦せなかった。勝手に1人で逝こうと決めているレヴィアスが。
「初めからそうじゃなかったはずだ。お前はアンジェリークを幸せに導く為にここに来たと言ってたな。それは彼女の負担を肩代わりすることじゃなかったはずだ。彼女だって、そんなことを望んではいなかったはずだ」
そうだ。だが、レヴィアスの中には初めから、自分がアンジェリークを幸福にするのだ、アンジェリークと共に生きるのだ、という選択肢は入っていなかった。自分は飽くまでも過ぎ行く流浪民なのだと思っていた。それを不思議と思ったことはなかった。けれど……。何故、愛する女と共に生きたいと願わなかったのか? それは……この命が仮初のものだからだ。本来の『レヴィアス・ラグナ・アルヴィース』としての生は終わっている。転生して新たな生を得るのは遠い未来のことだ。今のこの命は『ラ・ガ』と呼ばれる未来の悪意によって与えられたもの。そして、アンジェリークを守ろうとする宇宙の意思によって貸し与えられたものなのだ。それを知っていたから、アンジェリークと共に生きることを初めから諦めていたのだ。
「俺の役割だからな……この世界に復活する条件だったんだ」
悟りきった……いや諦観の笑みを浮かべ、レヴィアスは応える。
「俺が……本当に生きているんなら……きっとあいつをここから連れ去っていた。あいつが嫌がろうがどうしようが……一緒に生きる為に、あいつをどこかへ連れ去っていた。だが……俺は生きちゃいない」
浮かべた笑みは寂しいものだった。
「だがな……これでも俺は満足なんだ……。あいつを一度はおいて逝った。あいつが辛い思いをしているのを知っていたのに……。今度は安心して逝ける。お前があいつを守り、あいつを支え、愛していく。あいつは孤独じゃなくなる。それが判って逝けるんだからな」
オスカーは返すべき言葉を失っていた。
初めから報われない愛。絶対に、成就することのない愛。この世に残らない、愛……。
自分には耐えられないだろう。愛し合いながらも共に生きられないことなど……。
レヴィアスの息遣いは徐々に弱くなっていく。アンジェリークの顔が悲しみに歪む。
「そんな……顔……するな、って……。俺は……結構……いい気分……なんだ……ぜ? お前を守って……お前の為に……力を使い切って……愛する女の……為に……命を使い切った……んだ。こんなに……最高の……気分で……逝くことなん……て……そうそう出来ること……じゃない……。なぁ、オスカー」
アンジェリークを挟んで、一番理解し合える『友』。レヴィアスは彼にそう語りかける。
「……ああ……そうだな……」
愛する者を遺して逝くことを是とするのか……それには躊躇いがあったが、オスカーはそう応えた。命を燃やし尽くしたレヴィアスに他に言うべき言葉はなかった。
「アンジェリーク……忘れるな。俺がお前を愛したことを……」
そう……命をかけて悔いがないほど愛した。それほどまでに愛したのはアンジェリークであるがゆえだ。それだけの女なのだ、命すら惜しくないほどの。だから自信を持て。もっと自分を愛してやれ。もっと自分を大切にしろ……。
そうレヴィアスは言っているのだった。そして、それはアンジェリークにも伝わった。
「貴方に命を、力をもらったわ。だから、わたしはわたしを大事にする。そしてこの宇宙を守っていくわ。貴方に愛されたわたしを好きでいる為に。わたしを愛したことを貴方が誇れるわたしでいる為に」
アンジェリークはそうレヴィアスに応える。自分が価値のないものだと思うことは自分を愛してくれている人たちをも貶めることになる。過剰な自尊心を抱くことはない。けれど、今の自分を容認すること、そんな自分でも自分なのだと愛すること。全ての幸福はそこから生まれるのだ。
「ああ……オスカーと……幸せになれよ……」
レヴィアスは安心したように微笑んだ。そして、空気に融けるかのように、その姿は消えたのである……。
大陸育成の最終期限、115日が来た。育成はぎりぎりで間に合った。
途中、エルダの力を恐れた『ラ・ガ』がレイチェルに憑依し、封印の解除目前に最大の危機に見舞われた。だが、それもアンジェリークの力と、エルダの解放により乗り越えることが出来、全てが終結した。
さまざまな謎も解き明かされた。『エルダ』は新宇宙の聖獣アルフォンシアであったこと。未来の宇宙の危機、宇宙を救う為に未来の女王が助けを、創世の2人の女王に求めたこと。
アルフォンシアが人型を取ったことに対してアンジェリークは『あんなに美青年だなんてびっくりだわ』と言って、皆を笑わせた。そんな言葉が素で出てくるところに、皆安堵したのだ。アンジェリークが本来の彼女らしさを取り戻したのだと。
そして、それぞれの宇宙に戻る前日、アンジェリークの提案でこれまでの労苦を労う為のパーティが催されることになった。
「是非、陛下もご一緒に」
ジュリアスが言った。
「そうですねぇ……ここはやはり気軽に楽しめるように、屋外で、というのはどうでしょう」
ルヴァの提案に、守護聖たちが賛同する。
「そしたら、アンジェリークも楽しいでしょ?」
マルセルがうきうきしたように言う。
「あ、でもよ。おめー羽目外し過ぎんなよ? そこら中でこけるんじゃねぇぞ?」
「それは大丈夫だろ? そんなことにならないように、俺たちが気を配ってさ」
「アンジェがドジなのは皆知ってるからね。ちゃんとフォローしてあげるって」
守護聖たちは口々に言う。それがアンジェリークには堪らなく嬉しかった。全てが、変わってきていた。アンジェリークが望んでいた方向へと……。
そして、アンジェリークは自分の宇宙へと戻った。不思議なことに、アルカディアで過ごしていた時間は、この宇宙では数時間の出来事だったらしい。特にこの宇宙には異変もなく、やがて日常が戻っていった。
「オスカー! オスカー!」
ばたばたとらしくもない足音をさせて、ロザリアがオスカーの執務室に駆け込んできた。
「陛下を……アンジェリークを知りません!?」
隠しているならお出しなさい! ロザリアはそう詰め寄る。
「おいおい、俺は隠しちゃいないぜ?」
オスカーは苦笑する。あの一夜以来、アンジェリークと2人で過ごしたことはない。性急に彼女を求めてはいなかった。ゆっくりと穏やかに、アンジェリークの傷が……レヴィアスを失った傷が癒えるのを待っていた。勿論、ただ待っているだけではなかったが、気持ちを押し付けるような真似はしなかった。
「で……宮殿を抜け出した、と?」
「そうですわ! もう……あの子ったら!!」
聖地内であれば心配は要らないのだが……。
オスカーは剣を掴むと立ち上がる。
「心当たりがある。俺が連れて戻るまで、ジュリアス様にばれないようにしておいてくれよ、補佐官殿」
「……ええ、そうですわね……」
ロザリアは溜息と共に応える。
聖地に戻って、守護聖たちとの関係が好転してからというもの、それまでなりを潜めていたアンジェリークのお転婆が復活した。暇を見つけては庭園に出かけたり、湖へ行ったり……。大抵は共犯者がいた。悪戯仲間の年少組、偶に姿を見せるセイランやチャーリー。そのたびにアンジェリークと共犯者はジュリアスの大目玉を食らっていた。
だが、今回はその誰もアンジェリークに同行していないという。
オスカーは後のことをロザリアに頼むと、聖地から出て行った。
「懐かしい……」
アンジェリークは懐かしい場所に来ていた。全てが始まった場所。彼と出会った場所。飛空都市・森の湖。ここで、オスカーに想いを告げた。そして、拒否された。遠い昔のことのように思える。
物思いに耽っていたアンジェリークの背後からオスカーが現れた。
ずっと、アルカディアを探していた。アンジェリークは時折、レヴィアスを偲んでいたから。まだ、アンジェリークはレヴィアスを愛しているのだと感じていたから。だから、レヴィアスに関係する場所にいるのだと思っていた。
「奴との思い出の場所を探してた。だが、東の塔にも、約束の地にも君はいなかった。まさかと思って来たが、ここにいるなんて……」
全てが始まった場所。アンジェリークがオスカーに想いを告げ、オスカーが誤魔化した場所。それから2人はずっとすれ違ったままだった。漸く想いが通じ合ったと思ってはいたが、自信が持てなかった。それだけアンジェリークを傷つけもしたし、アンジェリークがレヴィアスを愛していることを知っていたから。ここにアンジェリークがいると思うなんて随分都合のいい思い込みだと思った。だが、彼女はいた。
「ここは……俺の過ちの始まりの場所だな」
アンジェリークの隣に立ち、輝く湖面を見つめる。
「わたしたちの、ね……。そして、やり直す、リセットボタンが押せる場所よ」
アンジェリークは微笑む。そして、あの頃のように、あのときのように両手を胸の前で握り合わせ、オスカーを見つめる。
「オスカー……貴方が好きです。貴方を……愛しています」
そう、もう一度自分たちの関係を築き上げたい。傷つけ合って、周りに迷惑をかけた。けれど、この想いは変わらないのだ。オスカーを好き。愛している。
オスカーはアンジェリークの告白に目を見開く。
「お嬢ちゃん……俺の、お嬢ちゃん。こんな俺を愛してくれるというのか……。俺も君を愛してる。……だが、赦されるのか……君をあんなにも苦しめたのに」
「わたしも、同じ……。貴方を苦しめたわ……。でも、彼に言われたわ……。もっと自分を愛せって。自分の心のままに行動しろって……。わたしが今望んでいるのは貴方なの」
一度は1つになった。けれど、その後、また考え込んでしまった。本当にいいのか、と。本当にオスカーと幸福になろうとするのが赦されることなのかと……。レヴィアスの命を奪った自分が幸福を求めてもいいのかと……。けれど、そのレヴィアスの言葉がアンジェリークを決断させた。
「君は自分に厳しすぎた……俺とは逆だな。俺は自分に甘すぎた……。他人には厳しかったのにな」
自分の弱さに目を背けていた。だから、アンジェリークを傷つけていた。だが、もうそんなことはしない。
「貴方の強さをわたしに頂戴。わたしが自分らしくいられるように」
「君の優しさを俺に分けてくれ。俺が本当の強さを持つ為に」
アンジェリークはオスカーに歩みより、オスカーは両腕を広げる。アンジェリークがすっぽりとオスカーの腕の中に収まる。まるでそこはアンジェリークの為だけに用意されていた場所なのだというように。アンジェリークの躰がオスカーの腕に包まれる。まるでオスカーに抱きしめられる為だけに存在するのだというように。
「レヴィアスは……男は女を守って死んで、それで満足かもしれない……でも女は? 残された女の気持ちはどうなるの? 勝手よ……」
オスカーの腕の中で安心したように寄り添っていたアンジェリークが、突然口を開く。
「オスカー、死んだら許さない……。わたしを置いて逝くのは絶対に許さないから……! そんなことしたら、わたしは宇宙で一番不幸な女になって、貴方のことを恨み続けるわ」
そう、きっとオスカーを怨んで、オスカーを奪ったものを憎んで、そうしたこの世界を憎んで、黒いサクリアを目覚めさせてしまうだろう。そして、この世界は滅びてしまうかもしれない。
アンジェリークは意志の強い瞳でオスカーを見上げる。その強い意志に輝く目を美しいとオスカーは思う。この強さがアンジェリークなのだ、と。
「そんなことしない。俺は独占欲が強いんでね。俺が逝くときには君も連れて逝く」
そう、エゴイストといわれようが、これだけは譲れない。今のオスカーには、アンジェリークの幸せは自分と共にあり、自分の幸せはアンジェリーク無くしては在り得ないのだと確信できていた。
「約束よ?」
そしてその言葉を裏付けるかのように、アンジェリークは幸福そうな笑みを浮かべたのだった。
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女王アンジェリーク・リモージュの治世はさまざまな変革を宇宙に齎した。
その強大で慈愛に満ち安定したサクリアは、宇宙を発展させ、繁栄させた。幾多の危機に見舞われながらも。
だが、その女王の治世を支えたもの――それは公式の記録には残されない。
炎の守護聖オスカー、そして幾多の危機に女王を護る為に現れた白銀の剣士。
彼らの想い、彼らの願い、そして、愛。
それが女王アンジェリーク・リモージュを支えていた。
だが、歴史はそれを語らない。ただ、女王を、彼らを知るものだけが、そっと語り継いでいったのだ。その愛の姿を。
女王アンジェリーク・リモージュの治世は突然終わりを迎える。炎の守護聖の退任と同時に。後任の女王に全てを譲り、彼女は姿を消す。歴史の表舞台から。
そして……かつての炎の守護聖が生の終焉を迎えたとき――彼女もまた、雲居の彼方へと、共に旅立っていくのだった。
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アスフォデルの花を君に
アルカディアから戻って1ヶ月余りが過ぎた。115日をアルカディアでは過ごしたはずだが、こちらの世界では数時間しか経っていなかった。そして、アンジェリークのサクリアも、元のまま――アルカディアで放出したはずのサクリアは回復していた。
サクリアが回復していたことにアンジェリークは戸惑いを感じていた。何の為に、レヴィアスは自分の命を犠牲にしたのだろう……。勿論、あのときはアンジェリークのサクリアが回復するとは思わなかった。だからこそ、レヴィアスは命を賭けて自分を守ってくれたのだ。
だが、理性では判っても感情が納得しなかった。
自分を未来の浮遊大陸へと連れ去り、また戻した未来の女王、レヴィアスを目覚めさせたこの宇宙の意思。そしてアンジェリークのサクリアを元に戻したのはこの2つの力だろう。それらにアンジェリークは怒りを感じていた。
だから、アンジェリークのサクリアは安定を欠いていた。未来の女王はともかく、この宇宙の意思に対しての怒り……それは自分が支えている宇宙への怒りだったから……。この宇宙を5年に亘って支え、且つ史上かつてないほどの繁栄を齎し得るほど強大なアンジェリークのサクリア。それが安定を欠いてしまう。そのことが、この宇宙にどんな影響を齎すのか。アンジェリークはまだそのことに気づいていなかった。
事件が起こったのはそんなときだった。
アルカディアから戻ってから、アンジェリークは毎週末はオスカーの館で過ごしていた。
アンジェリークがそうしたいと言ったとき、当然反対はあるものと思っていたが、ジュリアスもロザリアも反対しなかった。それがアンジェリークの心の安定に繋がることだと確信していたから。
アンジェリークとオスカーの関係が良くなかったときの彼女は見ていられなかった。もうあんな彼女は見たくないし、女王の恋愛が――はっきりいってしまえば処女かそうでないかがサクリアに悪影響を及ぼさないことは判っているのだ。寧ろ、アンジェリークが愛する男と共にいることが彼女の心もサクリアも安定させることは明らかだった。
「但し、公私のけじめはきっちりつけてくださいね。公の場でいちゃいちゃしないでよ?」
とロザリアは念を押したが、それは寧ろオスカーに対してだった。
そして今夜もアンジェリークはオスカーの館にいた。
「また、眉間に皺が寄ってるぞ」
つんとアンジェリークの額をつつき、オスカーは言う。アンジェリークのサクリアが元に戻ってからというもの、アンジェリークは時折自分の前でこういう表情を見せるようになった。理由は聞かなくても判っている。
「レヴィアスはあれで満足してるんだ。君があれこれ悩むことじゃない」
「悩んでるわけじゃないの……。でも、納得できないの、感情が……。判ってるの、ちゃんと。あのときはサクリアが戻るなんて誰も予想しなかった。だから、レヴィアスはわたしの為に魔導を使ってくれたんだって。でも……感情が納得しないの」
溜息をつきつつ、アンジェリークは言う。こんなことを話せるのはオスカーしかいない。そう、全てを許しあった、愛するオスカーだからこそ何でも言えるのだ。そして、自分と同じように彼を理解している人だから。
オスカーとしてもアンジェリークの気持ちが判らなくはない。もし仮にこうなることが判っていたら、レヴィアスは違う行動をとっただろう。彼が本当に死んだのなら、彼は無駄死にではないか……そう思う気持ちが確かにオスカーにもあったのだ。だが、オスカーは彼が『死んだ』のではないことも確信している。そう、そもそも彼は『生きて』いなかったのだから……。レヴィアス自身もそれを認めていたのだ。
そして、アンジェリークが宇宙の意思に憤りを感じることが決して宇宙に良い影響を与えないことも判りきったことだった。だから、敢えてオスカーは言わねばならなかった。納得しろ、と。
「じゃあ、君はサクリアが尽きてしまえば良かったのか? そして俺を残して聖地から去ってしまえばよかったと?」
思いがけないオスカーの言葉にアンジェリークは目を見開く。
「サクリアが戻ったから、俺と君はこうしていられるんだ」
もし、あのままだとしたら、アンジェリークの在位期間はずっと短くなったはずだ。それは恐らく自分より先にアンジェリークが聖地を去らねばならない事態を招いたはずだ。
「……考えてもみなかったわ……そうね……そうよね……」
そうであれば、自分はレヴィアスだけではなくオスカーも失っていたのかもしれないのだ。
「ったく、君は思いつめると周りが見えなくなるな」
苦笑しながらオスカーは言う。瞳に優しい色を乗せ、オスカーは言葉を継ぐ。
「それに、奴は君の治世が続くことを望んでいた。だから、魔導をサクリアに替え、君の負担を軽減した。寧ろこうなって奴は喜んでいるはずだ」
もし自分がレヴィアスだったら、きっとそうだから……。
「ついでに言えば、だ。そもそも奴はまだ生まれちゃいなかった。だから死んでもいない。役目を終わらせて本来の流れに戻っただけだ。そして、君が女王であれば、奴が本当に生まれるときまで生きることも出来る」
レヴィアスが『皇帝レヴィアス』として死んだ後、アンジェリークは彼の魂を輪廻の輪の中へ送った。偶々ラ・ガによって無理矢理目覚めさせられたに過ぎないのだ。
「そうね……もう、気にしないことにするわ」
アンジェリークは言った。簡単なことでないのは判っている。けれど、オスカーの心に応えたかった。オスカーはアンジェリークが負担を感じなくてもいいようにこう言ってくれたのだ。そして、未だにアンジェリークがオスカーへの想いとは別にレヴィアスに心を残していることを認めてくれているのだ。
「それでいい、俺たちの天使」
オスカーは柔らかなアンジェリークの髪に口づける。
「あのね、今度のことで、わたしのサクリアは何事もなければあと5年は保つことが判ったわ」
アンジェリークは顔を上げ、オスカーを見つめる。
「ああ……そうだな、俺のサクリアの方が先に尽きるかもしれない……」
そうなったとき、自分はアンジェリークを置いて聖地を去らねばならない。だが、出来るだろうか。この愛しい者を置いていくことが……。答えは否だ。
「もしそうなったら……わたしは貴方についていく」
迷いのない目でアンジェリークはオスカーを見つめる。オスカーは何と答えるべきか戸惑う。守護聖としては諌めるべきだろう。だが、1人の男としてはそれを嬉しく思っているのだ。漸くこの手にした愛しい天使。最早彼女を手放せないことは誰よりもオスカーが知っていた。
「だから……もし貴方のサクリアが衰え始めたら、隠さないで。最初にわたしに言って。女王候補を見つけるから……」
少しでも『女王のサクリア』を持つ者を選び、彼女に自分のサクリアを継承させる。多分、出来るはずだ。レヴィアスは自分のサクリアを吸収していた。同じ性質を持つ力の間でなら、サクリアの遣り取りは不可能ではないはず。
「言ったよね、わたしを置いていったら赦さないって……貴方もわたしを手放さないって」
「ああ……仮令、宇宙の反逆者と呼ばれても、君を攫って行くさ」
もう互いがなくては生きていけない。それが判っているから。だから、アンジェリークの言葉はオスカーにとって何よりも嬉しいことだった。
「アンジェリーク……愛している」
オスカーはアンジェリークを抱き寄せる。2人が異変に気づいたのはそのときだった。今ここで何かが起こっているわけではない。だが、宇宙のどこかで、サクリアが暴走していた。それを感じ取ったのだ。
暴走しているのは……炎のサクリアだった。2人は言いようのない不安を胸に王立研究院へ向かった。
2人が王立研究院の着くと、既に異変を察知したジュリアスとロザリアが来ていた。他の者は自宅に待機させているとのことだった。研究院にはエルンストがいる。アルカディアから戻って以来、エルンストは聖地に留まり、その王立研究院にいるのだ。
「どこなの? サクリアが暴走しているのは」
アンジェリークは努めて冷静にエルンストに問う。
「惑星へステティアです」
答えながら、エルンストは星図を示す。辺境の惑星だった。そこでは炎のサクリアの暴走により戦争が――大規模な大陸間戦争が起こっていた。
「他の惑星及び星系への影響は今のところ見られません」
「そう……でも安心は出来ないわね、引き続き調査と監視を」
アンジェリークがそう言うや、オスカーがアンジェリークの前に進み出る。守護聖の顔をして。
「暴走しているのはわたしが司る炎のサクリアです。そして女王府軍の総帥代行として戦争が起きたとなれば放置しておけません。直ちにヘステティアに向かいます」
女王の前に跪きオスカーは言う。
「それは許可できないわ、オスカー」
アンジェリークもまた女王の顔で応える。何故かと問いかけたオスカーに応えたのはエルンストだった。
「暴走の様子が可笑しいのです。このような異常な状態のサクリアの中に、炎のサクリアを司るオスカー様が赴かれることは事態の悪化を招きかねないのです」
オスカーの持つサクリアにヘステティアの炎のサクリアが過剰反応を起こし更に暴走するかもしれないというのだ。確かにそうなるとはいえない。が、僅かでもその可能性がある以上危険は冒せないのだ。
「先ずは水と闇のサクリアをヘステティアに。それで少しは抑えが利くはずだわ。その間にオスカー、この暴走の原因を突き止めましょう。そうすれば混乱を収めることも出来るわ。原因が判れば、貴方が赴くことも出来るかもしれないのだし……」
納得しかねるといった表情をしているオスカーにアンジェリークは言う。
「そうね、これまでの記録からヘステティアにサクリアを送った時期を調べてみて。そこから何か判るかもしれない」
「御意」
自分が赴けないことは腹立たしい。けれど、万一の危険があるのであれば仕方がない。自分の身に危険があるだけならば構わないが、もし、それがヘステティアの住人に及ぶことになったら取り返しがつかない。だから、先ずはオスカーは原因を探る為に執務室へ戻った。
オスカーを見送りながら、アンジェリークはジュリアスに指示を出す。
「他の惑星や星系で、それぞれのサクリアに異常はないか、各人に調べさせて。本人のサクリアが一番異常を発見し易いはずだから。それから、クラヴィスとリュミエールにはヘステティアにサクリアを少しずつ送るように。あまりに一時に送ると反って厄介なことになると思うから、少しずつね」
ジュリアスは頷き一旦宮殿へと戻る。待機している守護聖たちに指示を出す為に。
「如何、エルンスト?」
守護聖達への指示を出し終えるとアンジェリークは再びエルンストに問いかける。
「サクリアが正常の姿とは変質しているようです。何故かは原因が判りませんが……」
一番考えられるのは、自分たちが不在だった数時間――アルカディアにいた115日――に何かが起こっていた可能性だ。聖地では数時間とはいっても外界では数ヶ月の月日は経っているはずだから。
「かといって、サクリア以外の何か……外宇宙から力の干渉を受けた形跡もありません。ですが、自然にこのようにサクリアが変質するとは考えられませんし……」
炎のサクリア以外は、数値も状態も正常なのだ。炎のサクリアだけが変質している。
守護聖のサクリアは女王のサクリアによって調整され、宇宙の放出される。女王のサクリアが守護聖のサクリアを倍化させ、調整するのだ。
「……!」
アンジェリークは何かに思い当たったかのように顔色を変える。
「陛下……?」
ロザリアが不振そうに声をかける。
「執務室へ戻るわ。オスカーが来たらそう伝えて」
アンジェリークは深刻な表情で、執務室へと向かった。
わたしの所為かもしれない……ううん、それ以外には考えられない。外宇宙からの干渉でないのであれば、サクリアが変質する理由は自分のサクリアによる影響としか考えられない。そうであれば、炎のサクリアにだけ影響があったのも納得がいく。アルカディアに行くまで……正確には戻ってくるまで、自分とオスカーの関係は最悪だったのだから。自分が唯一避けて、遠ざけて顔も見ようとしなかったっ守護聖、それがオスカーなのだから。
アンジェリークは執務室に戻るとサクリアの記録に目を通す。いつどの時期にどの星系にサクリアを送ったかを記録してあるのだ。どの守護聖のサクリアを送ったかまでは記載されていないが、それは照らし合わせれば判ることだ。ヘステティアのあるガレス星系へサクリアを送っていた時期……。それは丁度どれもあることに重なっていた。
「ロザリア、この前の女王試験のときの記録はどこ?」
深刻そうな表情は変えぬまま、アンジェリークはロザリアに問う。
「ここですわ、陛下」
そう言って手渡しながら、ロザリアの不安そうな表情は消えない。アンジェリークがこんなにも深刻な表情をしているのは異様なことだった。これまでも深刻な事態に遭遇したことはある。つい1ヶ月前にだってあった。けれど、今回の事態はあのときに比べれば何でもないことのはずだ。
だが、アンジェリークの表情は深刻極まりない。いつだって、どんな困難なときだって、アンジェリークは必ず微笑んだ。皆を安心させるように。その微笑で確かに皆安心したのだ、どんな困難も乗り切れる、と。
「……わたしの所為だわ……」
データを見終えて、アンジェリークは呟く。多分間違いない。オスカーが持ってくる、炎のサクリアの記録と一致すれば、この事態を引き起こした原因が自分であることがはっきりするだろう。
「ロザリア、確か、ヴィクトールはまだ聖地にいたわね? 彼を呼んで。それからエルンストも」
「はい……?」
訳が判らないなりにロザリアは女王命令を遂行する為に2人の許に女官を向かわせる。
「それから……」
守護聖は誰がいいだろう? やはりオリヴィエ? そう考えていたところにノックの音と共にゼフェルが姿を現す。
「鋼のサクリア、異常なしだぜ」
「あ、ゼフェルがいいわ!」
報告と共にアンジェリークがいい、ゼフェルは驚いたように目を見開く。
「なんだよ、いきなり! びっくりするじゃねーか!!」
「なんのことですの、陛下?」
ロザリアも驚いたように言う。
「ヘステティアに行くの。だから、護衛にヴィクトールを呼んで。それから調査する為にエルンストも。ゼフェルは守護聖代表ね」
本当は自分1人で、調査を正確にする為にエルンストと2人でと思ったが、そんなことをロザリアやジュリアスが承知するわけはない。だから、アンジェリークはそう言ったのだ。
「何ですって!?」
女王自ら、戦乱が起こっている惑星に向かう? 冗談ではない。ロザリアは当然異議を唱える。だがアンジェリークは自説を引っ込めない。止めるロザリアとゼフェル、行くと言い張るアンジェリーク。
「いったい何の騒ぎだ」
そこにデータを持ったオスカーが姿を現す。
「ああ、丁度いいところに、オスカー。貴方も止めて頂戴。アンジェリークが自分でヘステティアに行くなんて言うの!」
「何だって!?」
女王自ら? オスカーは蒼白になってアンジェリークを止める。
「どうして君が行く必要がある!」
行くなら俺だろう? そうオスカーは言う。
「わたしのサクリアが元凶だからよ」
アンジェリークは冷静さを取り戻していた。そしてオスカーにデータを要求する。データに目を通し、アンジェリークは溜息をつく。やはり、自分が原因だった。
「どういうことなの? 納得いくように説明して頂戴!」
ロザリアが詰め寄る。アンジェリークはロザリアに見ていたデータを示す。
「ガレス星系にサクリアを送っていた時期に共通点があるの。判る?」
「初めの時期は、前回の女王試験ですわね?」
示されたデータを見たロザリアが不思議そうに答える。
「ああ、そっか。丁度おっさんがコレットといちゃついてた時期だ」
オスカーの行動を腹立たしく思っていたから(別にコレットに気があるというわけではなかったが)、ゼフェルはすぐに気づく。ゼフェルの口調に苦笑しながら、アンジェリークは言葉を継ぐ。
「2回目は……レヴィアス侵攻の後……その後も……全て」
「コレットが来ていた時期と重なる……」
苦々しげにオスカーが呟く。コレットが来ていた=アンジェリークが不安定になった時期だ。他ならぬ自分の所為で……。
「嫉妬で……黒いサクリアが目覚めそうになったこともあったわ……だから、きっと炎のサクリアだけが……オスカーのサクリアだけが影響を受けたんだわ……」
苦しげにアンジェリークは言う。逃げていた自分。利己的だったオスカー。その付けが今、こういう形で現れたのだ。
「わたしじゃないとこの混乱は収められない。原因を取り除くのはわたしにしか出来ないわ」
だから、自分が行くのだ。余計な気負いを見せず、アンジェリークは微笑む。これまでのどんな困難にも打ち克ってきた微笑。
その瞳にある意志の強さにロザリアは溜息を漏らす。
「判りました。行ってらっしゃいませ、陛下。その間こちらのことはご心配なく。けれど、くれぐれも無茶なさらないでね?」
その言葉に即座にオスカーが反応する。何故止めないのかと。
「陛下がこんな表情をしているときはお止めしても無理ですわ」
「だが……!」
「往生際が悪いぜ、オスカー。こいつがこうと決めたら絶対引く奴じゃねーのはおめーもよっく判ってんだろ?」
ゼフェルが呆れたように言う。確かにアンジェリークが……女王自らが赴くなんてむちゃくちゃだと思わないでもないが、それが最善なら仕方がない。今回は自分が同行を命じられているから余計にあっさりと納得しているゼフェルだった。そこへ呼ばれていたヴィクトール、エルンストと共に、調査を終えた守護聖らが集まる。
「原因が判ったの。原因を取り除くのはわたしが直接出向かないと無理だから、行ってくるわね」
何でもないことのように――それこそ、ちょっと公園にアイスクリーム買いに行ってくるわ、とでも言うように――アンジェリークは言った。即座に反対しかけたジュリアスだが、アンジェリークとロザリアの表情からすぐに納得する。
「御意。ですが、くれぐれも無茶はなさいませんよう」
ロザリアと同じことをジュリアスが言う。
「……わたしって、そんなに信用ない?」
ぷぅっと頬を膨らませるアンジェリークにオリヴィエが笑いながら答える。
「そりゃアンジェは宮殿脱走の常習犯だもん、言いたくなるって」
女王を聖地の外へ出すことの不安もあるが、アンジェリークへの信頼が強い。だから、守護聖たちはアンジェリークを送り出すことにしたのだ。
30分後、準備を整えたゼフェル・エルンスト・ヴィクトールと共にアンジェリークはヘステティアへの次元回廊を開いた。
〔ったく、相変わらず無茶する奴だな〕
「……え……?」
突然のその声にアンジェリークは周囲を見回す。だが自分の他には誰もその声は聞こえていないようだった。
「どーしたんだよ、行くぜ?」
不審そうにゼフェルが声をかける。
「ええ……」
(まさか、そんなはずないよね……)
思い浮かんだ面影を否定して、アンジェリークは聖地に残る守護聖たちを見た。オスカー1人だけが、納得しかねるといった表情をしていた。
「ジュリアス、オスカーが無茶しないようにちゃんと監督してね?」
アンジェリークは言い、オスカーに微笑みかける。これは自分の所為だから。だから、わたし自身の手で償わなければならないことなの。そう言うように。そして、4人はヘステティアへと向かった。
ヘステティア郊外の草原。戦火を免れていたその地にアンジェリークたちは降り立った。息苦しくなるような高密度の炎のサクリア。だが、絶え間なく送られてくる水と闇のサクリアの影響で今のところ戦争は拡大せずに小康状態を保っていた。
「サクリアが……歪んでるな」
ゼフェルが言う。
「ええ……」
表面に表れているのは炎のサクリア。だが、本当の歪みは自分のサクリアだ。
背後で草を踏む音がする。気配にはじめに気づいたのはヴィクトールだった。振り向いた彼はそのまま絶句する。ヴィクトールの様子にゼフェルとエルンストも振り向く。
「何で……おめーが……」
「そんな……」
だが彼は彼らには答えず、そのままアンジェリークへと向かう。
「よう、会いたかったぜ」
その声に驚くことなくアンジェリークは振り返る。この地に着いた瞬間から、彼の存在を感じていたから。
「お帰りなさい、レヴィアス」
アンジェリークは微笑んだ。
惑星ヘステティアには大きな2つの国家と小さな多数の国家が存在した。今回の戦争はこの2大国家間で起こったもので、それぞれに他国が同盟し大規模な大陸間戦争へと発展していた。
アンジェリークたちはその一方の国家であるユリウスの首都に来ていた。まだ、大国の首都にまで戦争の被害は及んでいない。首都にまで及ぶのは戦争の最終段階だ。まだそこまでは至っていないのだ。
ここに来たのは、サクリアの歪みが最も大きな都市だったからだ。先に攻撃をしたのもユリウスだった。
取り敢えずホテルに落ち着き、全員が一室に集まっていた。
「で、どうすんだよ?」
「この惑星のサクリアを入れ換えるわ。わたしのサクリアが異常を見せてるから、一度わたしの中に戻して浄化して、またそれを送るの」
にっこりと微笑んでアンジェリークは言う。なんでもないことのように。だが、サクリアを浄化するとなれば負担は大きいはずだ。
「エルンストにはサクリアの数値の監視をお願いね。ヴィクトールはわたしたちの護衛。ゼフェルはわたしが無茶しないように監視ね?」
悪戯っぽくアンジェリークがゼフェルに言う。自分の監視――制止役を任せればゼフェル自身が無茶をすることはないはずだ。
「その間、俺がこの惑星にバリアを張る。他に影響が及ばないようにな」
アンジェリークの言葉をレヴィアスが継ぐ。
「エルンスト、どこがサクリアの交換に一番効率がいいか、場所を割り出して。その間に、わたしたちは町の様子を見てくるわ」
エルンストを残し、4人は街へ出た。表面上は混乱はない。けれど、道行く人々の表情からは笑顔が消えていた。
「レヴィアス、どうしてここに来たの?」
並んで歩きながら、アンジェリークが問う。
「また叩き起こされたんだよ。お前の宇宙の意思とやらに。お前が無茶してるからってな」
揶揄うように笑いながらレヴィアスは言う。
「良かった……」
死んでしまったわけじゃなかった……オスカーが死んではいないのだと言っても信じられなかった。確かにレヴィアスは自分の目の前で消えてしまったのだから。
「ったく、お前が無茶やらかすたびに叩き起こされたんじゃ、おちおち転生の順番待ちも出来やしねぇ。いい迷惑だぜ」
口ではそんなことを言いながらも決して本心ではない。勿論アンジェリークもそれは判っている。
「あら、じゃあ寝てれば良かったのに。アルカディアのときに比べたら、なんでもないことだわ」
「叩き起こされたんだからしょうがねーだろ」
軽口を叩きあいながら、アンジェリークとレヴィアスは歩いてゆく。その後ろをゼフェルとヴィクトールがついていく。
「ゼフェル様、彼が現れたということは、今回も何か起こるのでしょうか」
レヴィアスが現れアンジェリークをサポートせねばならないほどの事態が起きるのではないか。ヴィクトールはそう懸念したのだ。
「確かにこのサクリアは異常だけどよ、そこまで心配するほどのことじゃねーと思うぜ」
何よりもアンジェリークの状態が落ち着いている。サクリアも安定しているし。だから心配はないはずだ。しかしだとすればどうしてレヴィアスが現れたのか。
「ま、今は判らねーけど、そのうち奴が出てきた理由もはっきりするだろ」
そう言うしかないゼフェルだった。
街を一とおり見て回りホテルに戻ったときにはエルンストの調査も終わっていた。早速翌日からアンジェリークはサクリアの浄化を始めた。思っていたよりも順調で、1週間もすればサクリアは正常な状態に戻ることが判明した。
その頃、聖地では……。
オスカーは執務室に軟禁状態だった。アンジェリークたちが旅立った後、彼は宙港へ向かおうとした。シャトルでヘステティアに行こうとしたのだ。
「あのさ、心配なのは判るよ。でも、原因はアンジェリークのサクリアとあんたのサクリア、しかもあんたが行ったら過剰反応を起こして厄介な事態になるかもしれないんだろ? ここはアンジェリークに任せるしかないだろう」
オリヴィエが諭すように言う。オスカーとてそれは判っているのだ。だが、じっとしていることは出来なかった。
「アンジェリークのサクリアが歪んだ原因は俺なんだぞ」
自分が手酷いやり方でアンジェリークを拒否したから、彼女は傷ついた。その後も彼女の心を繋ぎとめる為にコレットを利用して彼女を苦しめた。自分がそんなことをしなければ、アンジェリークのサクリアが歪むことなんてなかったはずだ。だから、全ては自分の責任なのだ。
「判ってるよ、そんなこと。だけどあんたが行ったって事態が改善されるわけじゃない。ここで自分に出来ることをするしかないんだ」
オスカーの苦しみは判る。けれど、オスカーの罪の意識だけで彼を行かせるわけにはいかない。彼らには宇宙に対する責任があるのだ。
「ここでやれることやりながら、罪の意識に耐えてな。そして二度と馬鹿なことしないように自分への戒めにするんだね」
親友だからこそ、耳に痛いことも言う。
「……ああ」
重い溜息をつき、オスカーは答える。そして、炎のサクリアを調整する為に星の間へと向かった。
ヘステティアのサクリア浄化が終わっても予想に反してレヴィアスは消えなかった。彼の役割はまだ終わったわけではなさそうだった。その頃にはレヴィアスも漸く自分が現れた本当のわけを理解していた。
「先に行ってるぜ」
どこへ、とは言わず、レヴィアスは魔導で転移する。アンジェリークが次元回廊を開くには空間の調整が必要だったから、もう少しかかるのだ。
レヴィアスが向かったのは、聖地の、オスカーの許だった。
「よう。久しぶりだな」
突然現れたレヴィアスにオスカーは驚きを隠せなかった。
「まさか、アンジェリークに何かあったのか!?」
それしか考えられないとばかりに、オスカーはレヴィアスに詰め寄る。
「落ち着けって。あいつに何かあったら守護聖のお前が何も感じないはずねーだろ」
その言葉でオスカーは我に返り苦笑する。前回レヴィアスが現れたのがアンジェリークを救う為だったから、レヴィアスの出現=アンジェリークの危機という図式がオスカーの中に出来上がっていたらしい。
「あいつももうすぐ帰ってくるさ。俺はお前と話したくて一足先に着た」
レヴィアスはそう言い、2人はオスカーの私室で話すことにした。
アルカディアでは考えられなかったことだが、2人は酒を酌み交わしながら話した。
「俺が呼ばれたのには理由が2つある。1つはお前らが喧嘩してたからだ」
別に喧嘩なんかしてない、そう言おうとしたオスカーをレヴィアスが目で制す。
「だけど、あいつが帰ってきたらひと悶着あったんじゃねぇか? 危ないことするなってお前あいつを叱り付けるだろ。しかも、お前にも原因があることだから、尚更。でも、あいつだって素直に納得はしない。そうすりゃ喧嘩だろうが」
確かに、アンジェリークが帰ってきたら、彼女を責めたかもしれない。自分の、自分に対する腹立たしさをぶつけていたかもしれない。そう言われればオスカーは反論しようがなかった。
「今回のことはお前もあいつも責任がある。どっちがより悪い、なんてことは関係ない。ただ、それぞれの役割にあわせて行動した、それだけのことだろうが」
ただそれでもオスカーとしては悔しいのだ、彼女を危険な場所へ送らねばならなかったことが。
「判ってるさ……。それくらいな……」
レヴィアスに言われるまでもないのだ。既にジュリアスにもオリヴィエにもロザリアにもルヴァにも、剰えクラヴィスにまで同じことを言われた。自分でも判ってはいたことなのだ。
「もう少しあいつを信じてやれよ。あいつが大丈夫だって言ったんだろ」
「だが、アンジェリークは辛いときこそ何も言わずに無茶するからな」
そのオスカーの言葉にレヴィアスも笑いを漏らす。
「確かにそうだ。でも、あいつの補佐官だって反対しなかった。あいつの女王としての力を一番知ってる補佐官がな。あいつを大事に思うことと必要以上に守ろうとすることは違うぞ。それじゃあいつを弱くしちまうだけだ」
レヴィアスは言う。オスカーは改めて自分を振り返る。
女性としてのアンジェリークを大切に思うあまり、女王としてのアンジェリークの力強さを忘れていたかもしれない。
「そうだな。彼女は……俺よりもずっと強い天使だったな」
自分に思い出させるようにオスカーは言う。その納得したような表情を見てレヴィアスは安堵したように笑った。
「お転婆すぎる天使だけどな」
「確かに」
レヴィアスの言葉にオスカーも笑いを漏らす。
「ったく、あんまり俺に心配させんな。お前らが喧嘩するたびに叩き起こされたんじゃ堪んねーからな」
その言葉にはオスカーも苦笑するしかなかった。
「で、もう1つの理由ってのは何なんだ?」
「ああ、それはもう終わってるんだ。あいつ、俺が死んじまったことで、怒ってただろ? 宇宙の意思に対して」
だから歪みが出る前にレヴィアスは姿を見せたのだという。自分は死んだのではないと。これは仮の姿で、アルカディアでもそうだったのだと。
「あいつが女王の間は俺は転生はしない。何かあったときにあいつを守る為に」
そしてそれを宇宙の意思も認めている。
「お前が出てこなきゃならないほどの事態が起きないように俺が守るさ」
「ああ、そうしてくれ。次に会うときは転生後、といきたいところだな」
レヴィアスは笑う。オスカーも頷く。
「いっそ、お前らの息子ってのも楽しいかもな。それでお前らの邪魔をする」
「……息子はライバルだからな……って冗談じゃないぞ。お前みたいな可愛げのない息子なんて要らんぞ、俺は」
思わずむきになって言い返すオスカーにレヴィアスは大笑いで答える。
「そろそろ、タイムリミットだ。あばよ、オスカー」
徐々にレヴィアスの姿が薄れていく。
「ああ……また会うときまで、ゆっくりと眠ってくれ、……友よ」
オスカーの最後の言葉にレヴィアスは一瞬驚いたように目を見開き、微笑んだ。そして、消えた。
丁度その頃、アンジェリークは聖地に戻っていた。
「お帰りなさいませ、陛下。お疲れになったでしょう?」
ロザリアとジュリアスが出迎える。
「わたしは平気。皆は大丈夫だった?」
「ええ。何事もなく」
「そう。じゃあ、詳しい報告は週明けに聞くわね」
そう言うとアンジェリークはどこかへ向かおうとする。
「陛下、どちらへ」
問いかけたジュリアスにアンジェリークは当然のことのようににっこりと笑って言った。
「今日は土の曜日でしょう? オスカーの所よ」
納得したように頷くロザリアたちを残して、アンジェリークはオスカーの館へ向かった。
「ただいま、オスカー」
「お帰り、俺たちのお転婆天使」
そうして、中断された週末のひとときを1週間ぶりに再開したのだった。
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