「どうやら、漸く旧宇宙から移転した星々の再生も目処が立ったようです」
女王と共に昼食を摂りながらジュリアスは言った。宇宙の運航を司りつつ、旧宇宙から移転した星々の再生も行なっている女王には僅かな時間も無駄には出来ない。だからつい食事を摂りながらも仕事の話になってしまうのだ。ゆえにジュリアス、クラヴィス、ルヴァといった惑星調査のリーダーと食事を共にすることが多かった。これもこれまでの女王にはなかったことだった。
「そう、それは良かった」
ジュリアスの言葉に、安心したようにアンジェリークは微笑んだ。その表情はまさに女王のものだ。
今、アンジェリークはベールを上げている。食事中だから当然のことなのだが、アンジェリークは執務室では大抵ベールを上げている。ベールで表情を隠すのは守護聖が全て集まるときだけなのだ。否、正確にはオスカーがいるときだけだった。アンジェリークの微笑んだ表情を見ながら、ジュリアスは改めてアンジェリークの苦しみを見たような気がしていた。
「わたしは……ずっと貴女にお詫びしなくてはならないと思っていたのです、陛下」
食後のエスプレッソを置いて、給仕していたメイドがいなくなると、ジュリアスはそう言った。
「ジュリアス?」
何を言いだすのかと、アンジェリークは不思議そうにジュリアスを見つめた。
「わたしは陛下のお心を無視したのです。陛下こそ女王となるに相応しい、そう思ったから。貴女の想いに気づかぬふりを致しました。そして、結果的にわたしが貴女とオスカーを引き裂き、苦しめてしまった」
苦しそうな表情をして、ジュリアスは言った。
「いいのよ、ジュリアス」
ジュリアスの告白に、アンジェリークは微笑んだ。
「貴方やクラヴィスや皆がわたしのことを心配してくれているのは知っています。とても嬉しく思っているの。わたしは1人ではないのだと感じるから。わたしは決して不幸ではないのよ」
決してジュリアスを安心させる為だけではなく本心からアンジェリークは微笑んだ。ジュリアスは自分の心を言葉にするのが苦手なはずだ。そのジュリアスがこうやって言葉にしてくれた。その気持ちだけでも十分にアンジェリークは嬉しかった。だから、これまでは自分の恋を知っていた2人にしか話したことのないことを口にした。
「女王になることはわたし自身が選んだことですもの。きっと恋を選んでいたら、わたしは後悔だらけで幸せにはなれなかったでしょう」
そう言ったアンジェリークをジュリアスは意外そうに見つめた。きっと女王は苦しんでいると思っていたから。けれど、目の前のアンジェリークの表情は穏やかだった。
「恋を選んでいたら、わたしはエリューシオンの民も宇宙も全て見捨てたことになるわ。きっと後悔していたでしょうね。もしかしたら、オスカーを恨んでしまったかもしれない。オスカーも後ろめたさを感じたかもしれない。そうすれば、わたしたちはきっと駄目になっていたわ」
自分が女王の座を選び、自分を責めていたときオリヴィエが言った。『あんたは自分の中で優先しなきゃならないことを選んだだけだよ』と。あのときは素直にその言葉を聞けなかった。けれど、心が落ち着いてくると、確かにそうなのだと思えた。自分は決してオスカーへの想いを捨てたわけではないのだ。だからといってオスカーを傷つけてしまった事実がなくなるわけではないが。
「それに、わたしは恋を捨てたわけではないのです、ジュリアス。想うことは誰にも止められないでしょう? わたしはまだ彼を想っているの。決して表に出すことは出来ないけれど。諦めたわけではないの。だから、わたしは幸福です」
そう言ってアンジェリークは再び微笑んだ。その表情はまさに慈愛に満ちた女王のものだった。その全てを赦し包み込む温かな微笑みを見てジュリアスは自分の罪が消えていくのを感じていた。
「さて、と。何かいい知恵はないものか」
執務室でオスカーは1人ごちた。
「オスカー、入るよ」
ノックもせずに、オリヴィエが現れた。後ろにはリュミエールもいる。2人とも脇に書類を抱えている。次期守護聖首座はオスカーだとジュリアスが明言していた。だからジュリアスを通じて女王に提出される書類は一旦オスカーの許へ持ち込まれるのだ。
「ああ、オリヴィエ、リュミエール。ちょうどいいところへ来たな」
そう言ったオスカーの表情がこれまでとは違っていることに2人は気づいた。つい先日までオスカーは2人が来ると表情を曇らせていたのだ。出来るだけ気にしないようにしてはいたが、常に気まずさが漂っていた。
だが、今日のオスカーは違った。2人は顔を見合わせ笑う。昨日のクラヴィスの訪問は決して無駄ではなかったのだ。
「ちょっと知恵を貸してほしいんだがな」
くいくいと指で2人を手招く。
「なぁに? 高くつくわよ」
オリヴィエは明るい声で歩み寄る。心なしか足取りも軽くなった。リュミエールもほっとしたような優しい表情で歩み寄る。
「実はな……」
額を寄せ合わせるようにして、オスカーは囁いた。
「陛下と2人っきりになれる所ぉ?」
驚いたように大きな声を出すオリヴィエの口を慌ててオスカーは塞ぐ。
「ったく、この助平男。何考えてるんだろ」
「お前が考えてるようなことじゃないぜ、オリヴィエ。誰にも邪魔されずにゆっくり話がしたいんだ」
「だったら、陛下の寝室に忍び込んだら?」
疑わしそうな表情でオリヴィエが言う。
「それは拙い。俺の理性が保たなくなる」
「へぇ、あんたに理性なんてあるの?」
「あのなぁ……」
オスカーがかつての自分を取り戻したことで、オリヴィエも遠慮なく毒舌を揮えた。そのことがオリヴィエは嬉しかった。リュミエールも同じように感じているのかくすくすと2人の会話を聞きながら笑っている。
「陛下は毎晩、女王のサクリアを全宇宙に向けて放出していらっしゃいます。その為に瞑想の間へと赴かれるのです」
全く関係のないようなことをリュミエールは言った。
「そしてその後、暫くの間散歩なさるそうですよ。お1人で」
にっこりと笑って、リュミエールは続けた。
「ロザリアが怒っていました。陛下が護衛も連れずに夜の散歩をなさるといって。でも、聖地の中で危険なことなどあるはずないからといって、陛下は笑っていらっしゃるそうです」
「じゃあ、チャンスはそのときね」
頷いて、オリヴィエが言う。
「サンキュー、リュミエール。早速、今夜にでも行ってみるよ。さて、じゃあ、書類を見せてもらおうか」
そう言って、オスカーは2人から書類を受け取った。
気持ちの整理をつけて全ての屈託をなくしたオスカーは遠慮なく、2人の書類に厳しいチェックを加えて書き直すことを指示したのであった。
「また、今日もなの?」
諦めを含んだ溜息をつきながら、ロザリアはアンジェリークに尋ねた。
2人はちょうど瞑想の間を出てきたところだった。全宇宙に向けたサクリアを送る。女王のサクリアで、それぞれの守護聖のサクリアを高め、放つのだ。
「だって、力を使うと体が熱くなるのよ。夜の散歩は火照った体を冷ますのにちょうどいいんだもの」
「だったら、護衛をつけて頂戴」
「大丈夫よ。聖地の中で危険なことなんてありっこないでしょう? ランディが確り警備の指揮を執ってるんだから」
いつもの会話を交わしながら、2人は回廊を歩む。
「しょうがないわね。あんたってば、わたくしの言うことちっとも聞かないんだから」
溜息をつきながらロザリアが引き下がる。これもいつものことだった。2人っきりのときにはロザリアの言葉には遠慮がない。女王の孤独を癒す為に2人でいるときは『親友』として接することにしているのだ。アンジェリークもそれを望んでいたから。
「お茶の準備をして待ってますからね。さっさと帰ってくるのよ」
そう言い置いてロザリアは先に私室へと戻っていった。
宮殿を出るとアンジェリークは森に向かった。つい昨日ランディたちが連れてきてくれた湖だった。宮殿からはさほど離れていない。散歩にはちょうどいい距離にある。
「本当に森の湖に似てるわ」
湖の側には小さな滝もある。そんなところも飛空都市の森の湖に似ていた。
「よくお祈りしたわね」
僅か1ヶ月とちょっと前なのに、何年も昔のような気がした。あの頃の自分はオスカーに逢いたいと想って、滝の前で祈ったのだ。そうすると、オスカーが現れた。
「お祈り、してみようかな」
同じ効果があるとは思っていない。第一、同じ効果があったら、自分はどんな表情をすればいいのだろう。そう思ってアンジェリークはクスっと笑った。
けれど、やはりオスカーに逢いたかった。オスカーの苦しそうな表情を見るのは辛い。けれど、自分のオスカーへの想いは変わっていないのだ。昼間ジュリアスに告げたように。
今度は自分からオスカーに微笑みかけてみようか……オスカーの前で自分の気持ちを隠すのではなく、オスカーに自分の心が伝わるように、微笑んでみようか……そうすれば何かが変わるかもしれない。
「でも、また傷つけることにならないかしら……」
溜息と共にそう呟く。何か行動を起こしたくても、再びそれがオスカーの心を傷つけるのではないかと思うと恐かった。
滝に向かって溜息を着いたとき、背後で草を踏む音がした。驚いて振り向くとそこには意外な人物が立っていた。
「アンジェリーク……」
「オスカー……!」
驚きのあまりアンジェリークは固まってしまった。きっとオスカーは自分から目を背けて踵を返してしまうだろう。そう思って、そんな姿を見たくはなくて、アンジェリークは顔を背けた。
だが、オスカーはそうはしなかった。ゆっくりと自分へ向かって近付いてきたのだ。
「夜風は体に毒です、陛下」
そう言いながら、オスカーは自分のマントを外す。そして、アンジェリークの前に立つと、ふわりとマントでアンジェリークの体を包んだ。
「オスカー……」
信じられないものを見るようにアンジェリークは目の前に立ったオスカーを見上げた。
以前にもこんなことがあった。自分がまだ女王候補だった頃に。
「以前にもこんなことがありましたね、陛下」
同じことを思い出したのか、オスカーはそう言った。そして、じっとアンジェリークの瞳を見つめる。
さて、なんと切り出せばいいものか……オスカーは心の中で言葉を選んでいた。実はアンジェリークが宮殿を出てからずっと後をついてきていたのだ。だが、なんと言葉をかけるべきか判らずに、声をかけることが出来なかった。滝の前に佇むアンジェリークを見て隠れてはいられずに出てきたが、まだ言葉は見つからなかった。
「オスカー……」
じっと見つめられて、僅かに頬を紅潮させたアンジェリークが名を呼んだ。
「わたし……ずっと貴方に謝りたかったの……」
そう言ったアンジェリークの唇をオスカーは指をあてて塞いだ。
「何も言わなくていい。全ては俺が愚かだったんだ……」
オスカーはそう言って優しく微笑んだ。
「俺は今、とても幸福な気分なんだ、アンジェリーク。君とこうして2人でいられて」
そう言って、そっとアンジェリークの肩を押して、歩きだす。
「あのときの俺もとても幸福だった。君とこうして2人で歩いて。君をどれほど愛しいと感じていたか」
アンジェリークの瞳をじっと見つめて、オスカーは言った。
「わたしも同じだったわ。いいえ、今でも同じ気持ちよ」
オスカーの優しい瞳に見つめられたまま、アンジェリークは言った。意識せずに言葉が零れていた。
「貴方を傷つけてしまったのに、こんなこと、言えるはずないのに……」
アンジェリークは苦しくなって、顔を背ける。きっとオスカーがこんなに穏やかなのは自分への気持ちにけりをつけてしまったからなのだ。そう思うと哀しかった。そして哀しんでいる自分の身勝手さに怒りも感じていた。
「俺が愚かだったんだ、アンジェリーク。自分のことばかりに囚われて、俺のそんな態度がどれほど君を苦しめていたか気づこうともしなかった」
そっとアンジェリークの頬に手を当て、アンジェリークの顔を自分に向ける。
「さっき君は以前と変わらぬ気持ちだと言ってくれた。それが俺にとってどれほど嬉しかったか、判るか?」
真摯な想いを込めて、オスカーは言った。
「俺のほうが罪深い。君をどれほど傷つけたか。だから君が愛想を尽かしても仕方ないと思っていた。だが、これだけはどうしても伝えたかった。俺の気持ちは変わっていない。君を愛している気持ちに変わりはないんだ、アンジェリーク」
そっとアンジェリークの頬に手を当てたまま、オスカーは告げた。
「オスカー……!」
アンジェリークはその言葉に大きく目を見開いた。そして、その瞳が涙に潤む。
「アンジェリーク……愛している……」
オスカーが再び、告げる。穏やかに、優しく。そして真剣な想いを込めて。
アンジェリークはその言葉に弾かれたように、オスカーの胸に身を投げ出した。
「わたし……貴方に赦してもらえるとは思っていなかった。ずっと、貴方を想っていたけどなんて身勝手なんだろうって、自分のこと思ってた……だけど……いいの? わたしを赦してくれるの?」
初めてオスカーの胸の中で涙を流した。
「赦してもらわなければならないのは俺のほうだ。君を傷つけたのは俺のほうだ」
アンジェリークを抱き締めながらオスカーは言った。腕の中のぬくもりが堪らなく愛しい。
「わたしも、貴方を愛してます、オスカー」
涙に濡れた瞳でアンジェリークはオスカーを見上げた。
「君が女王を退くまで待っていてもいいか? アンジェリーク。君が女王でなくなったら、君を俺だけのものにしたい」
クラヴィスに示された解決策がそれだった。かつてオリヴィエがアンジェリークに示したものと同じことだ。
クラヴィスがルヴァに託された書物には、122代女王アナスターシアの記述があった。アナスターシアの名は123代女王のところにも124代女王のところにも出てきた。123代女王のときには皇太后アナスターシア、124代女王のところでは太皇太后アナスターシアとして。そしてアナスターシアは当時の炎の守護聖ヴォルフガングと共に聖地を去っていた。そこには『太皇太后アナスターシア、夫たる炎の守護聖ヴォルフガングと共に聖地を去りぬ』と記されていた。
女王試験の際に、アナスターシアはヴォルフガングと愛し合ったのだ。そして、女王となったアナスターシアに守護聖として仕えながら、深い愛情でヴォルフガングは彼女を支えたのだ。その伝記には『ヴォルフガングの深い愛情に支えられ、女王アナスターシアの治世は安定しかつてないほどの繁栄を宇宙に齎らした』とあった。
きっと、自分とアンジェリークもそうやって支え合うことが出来るだろう。オスカーはそう確信していた。自分のアンジェリークへの愛は、決してヴォルフガングのアナスターシアへの愛に劣ってはいない。そう言い切れる自信が今のオスカーにはあったのだ。
「待ってくれるの、オスカー? 何年先か判らないわ。それでも、いいの?」
想いが通じた。それだけで十分だった。それから先のことなんて考えてもいなかった。だからアンジェリークは言った。
「待たせてくれるな、アンジェリーク?」
愛しい少女の瞳を見つめながら、オスカーは言った。その言葉にアンジェリークははっきり頷いた。
「待っていて、オスカー」
そう言って自分を見上げたアンジェリークに、オスカーは優しく接吻《くちづ》けた。
オスカーに肩を抱かれ、アンジェリークは宮殿へと戻った。宮殿へと戻りながら、2人はアンジェリークの在位期間が終わるまで、決して触れ合わないでいようと決めた。きっと触れ合ってしまえば、接吻《くちづけ》を交わしてしまえば、そのまま止まらなくなってしまうだろうから。自分たちは愛し合っている。その想いは誰にも恥じるところはないものだ。だからこそ、悪しき先例にならないようにけじめを付けようと決めたのだ。
「お休みなさい、オスカー」
私室の扉の前で、アンジェリークは言った。この声は甘く柔らかだった。
「ああ、いい夢を、アンジェリーク」
当分彼女を名前で呼ぶことはないと思いながらオスカーは言った。堅苦しいと言われても、けじめをつける為に『陛下』と呼ぶことに決めたから。
「貴方も、オスカー」
微笑んで、アンジェリークは私室へ入った。それを見届けると、オスカーも自分の館へと戻っていった。アンジェリークの即位以来初めて、ゆっくりと眠ることが出来そうだった。
「うふふっ。幸せそうね、アンジェリーク」
部屋に戻ると、オリヴィエとリュミエールがいた。当然ながらロザリアもいる。
「オリヴィエ、リュミエール、来ていたの?」
どうやら2人は何があったのか知っているような表情だった。その表情を見てアンジェリークは頬が熱くなった。
「あーらら、照れちゃって。可愛いんだから、アンジェってば」
ロザリアの入れてくれたハーブティーを受け取るアンジェリークの頬をオリヴィエが指で突く。
「オリヴィエ、そんなに揶揄っては失礼ですよ」
そう言いながらも、リュミエールは嬉しそうにくすくすと笑っていた。
昼間オスカーから相談を持ちかけられて、オスカーがどう行動するのかは知っていた。再びあのようなことになるとは思ってはいなかったが心配だった。オスカーはそれでも決して諦めはしないだろうと確信していた。けれど、もしそうなってしまったとき、再びアンジェリークは自分を責めて傷ついてしまうだろう。そう思っていざというときのフォローの為にアンジェリークの私室を訪ねていたのだ。だが、嬉しいことに2人の心配は杞憂に終わった。
「オスカーはなんて?」
アンジェリークの顔を覗き込んでオリヴィエは尋いた。
「わたしが退位するのを待っててくれるって……」
頬を染めたまま、アンジェリークが応えた。
「良かったね、アンジェリーク」
安心したように、オリヴィエが言った。リュミエールとロザリアも微笑んでいた。
「これで、皆幸せになれるね」
オリヴィエの言葉が2人の心を代弁していた。
そして、女王アンジェリークの治世は歴代女王の治世の中で最も安定し、かつてないほどの平和と繁栄を全宇宙に齎らしたのである。
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