アンジェリーク

哀しみの必要

週に一度の休日。久しぶりにゆっくりとした朝寝を楽しんでいたアンジェリークだったが、ロザリアに叩き起こされた。

「久しぶりのお休みなんだから、ゆっくり眠らせて……」

寝呆けたまま、布団をかぶり蓑虫状態でアンジェリークは文句を言った。

「何を言ってるんですか。今日はランディたちと出掛けるのでしょう? 準備しないと迎えに来てしまいますわよ」

遠慮なく布団をはぎ取ると、ロザリアは言う。そのロザリアの言葉にアンジェリークは飛び起きた。

「いっけない。忘れてたわ」

ベッドからおりると、顔を洗う為にバスルームへ向かう。そんなアンジェリークの姿にロザリアは苦笑する。

つい先日ランディたち少年守護聖がロザリアの所に許可を求めにきた。女王をピクニックに誘いたいと。

「陛下はお疲れのようですから、少しでも気分転換になればと思って」

ランディたちはそう言った。それもそうだと、ロザリアは許可した。女王さえ承諾すればという条件で。勿論ロザリアはそれをアンジェリークに伝えたときに積極的に勧めた。ジュリアスも了承してくれた。オリヴィエとリュミエールがジュリアスを説得してくれたから。

そして今日、ランディたちと出掛けることになっていたのだ。聖地の中であれば安全だろうが、一応陰で遠巻きにするという条件で警備の者も付けることになった。

「ロザリア、何を着ればいいかしら」

バスルームから出てきたアンジェリークは、ロザリアに服選びを手伝わせる。女王の衣装はずるずる引きずる裾の長いドレスばかりだからアウトドアには向かない。けれど女王候補だったときの服は、ロザリアに言わせれば『女王らしくない』から着ることは出来ない。

「そうねえ、これなんかどうかしら」

くるぶしまでのロングキュロットと厚手のシャツを示してロザリアが応える。

「そうね、それが妥当かしら」

アンジェリークも首肯くと、着替え始めた。

服を着替え準備を整えるアンジェリークの為に、ロザリアは朝食の準備を整える。尤も、メイドが用意したものを整えるだけだが。

食事を終え、薄く化粧を施し終えた頃、ランディたち少年守護聖が迎えにきた。

「陛下、ランディたちが参りましたわ」

ロザリアの呼び掛けに応えて、アンジェリークはランディたちの許へ行った。

「今日は誘ってくれてありがとう」

にっこりと笑ってアンジェリークは言う。その表情をランディたちは眩しそうに見つめた。

「どうしたの?」

ランディたちが何も言わずにぼーっとしているのに対して、アンジェリークは尋ねた。

「あ、いいえ。陛下のお顔を拝見するのも久しぶりなもので……」

ランディが口篭もりながら言う。普段は女王のベールに隠されてアンジェリークの素顔を見ることはない。ほぼ1ヶ月ぶりにアンジェリークの顔を見たのだ。僅か1ヶ月の間にアンジェリークがとても綺麗になったようにランディは感じていた。女王としての威厳が、自信がアンジェリークを美しくしたのかもしれない。

「そうね。わたしも貴方たちの顔を直に見るのは久しぶりだわ。さ、早く行きましょう」

アンジェリークは再び微笑んで守護聖たちを促した。

「じゃ、陛下。楽しんでいらしてね」

ロザリアが昼食の入ったバスケットを、ゼフェルに手渡す。

「ランディ、ゼフェル、マルセル、陛下をお願いします。久しぶりですから陛下がはしゃぎすぎないように気をつけて。あまり羽目を外させないでくださいね」

確りと釘を刺し、ロザリアは4人を送り出した。

 

 

 

「わぁ、綺麗な所」

湖にやってきたアンジェリークは嬉しそうな声を上げた。

「ここって飛空都市の森の湖と似てるでしょ。あそこと同じで自然に包まれて凄く綺麗だよね」

横に並んだマルセルが応える。アンジェリークの頭の上ではマルセルの愛鳥チュピがポニーテールに結ばれているリボンを突いている。足元にはランディの愛犬であるゴールデンリトリバーのジョンが戯《じゃ》れついている。

「あ、あっちにとっても綺麗な花が咲いてるんだよ。行こうよ」

マルセルはアンジェリークの手を引くと走りだした。

「おいっ、マルセル!」

荷物を持って後からついてきていたランディとゼフェルが慌てて追い掛ける。マルセルはアンジェリークの手を引いたまま、逃げるように走っていく。

何も変わってはいないわ……アンジェリークはそう思った。女王と守護聖として公の場で接するときとは違っている。こうやってプライベートな時間には1ヶ月前と変わらず歳の近い友人のような感じで接してくれている。そういったランディたちの態度が堪らなくアンジェリークには嬉しかった。

「待って……マルセル……息が切れちゃう……」

マルセルに手を引かれて走っていたが、アンジェリークは音をあげる。日頃の運動不足が祟っていたし、元気盛りの少年の体力にはついていけないのだ。

「ごめん、つい嬉しくって。僕、はしゃぎすぎちゃった」

立ち止まりマルセルは言う。アンジェリークは深呼吸して乱れた息を整える。

「なんだよ、もうギブアップかアンジェ。情けねーの」

追い付いたゼフェルが座り込んでしまったアンジェリークを見て、言う。

「おい、ゼフェル。陛下に失礼だろう。それに、ちゃんと陛下ってお呼びしないと」

先輩守護聖らしく、ランディがゼフェルを咎める。

「いいのよ、ランディ。それに今日は名前で呼んでほしいわ。以前みたいに。プライベートな時間ですもの。構わないでしょ?」

立ち上がり、キュロットについてしまった草を払いながら、アンジェリークは言った。

「ですが、陛下……」

アンジェリークの言葉に反論しようとしたランディにアンジェリークは微笑みかける。

「いいのよ。だって、ジュリアスたちだって休日にはわたしのことアンジェリークって呼ぶもの。彼らだってそう呼んでいるんだから叱られることはないわ」

初めはジュリアスたちにも抵抗はあったのだがアンジェリークはそう呼ぶことを強く望んだ。ジュリアスたちもアンジェリークが女王と守護聖の関係を変えていこうとしていることを理解していたから渋々承諾したのだ。

「じゃあ、アンジェって呼んでいいの?」

マルセルが嬉しそうに言う。公の場で『女王』として接するアンジェは如何にも『女王陛下』でずっと遠くにいってしまったように感じていたから。

「ええ。公私の区別さえ確りつけていれば構わないでしょう? それに、女王と守護聖の間に隔たりがあっては宇宙の運航をスムーズに行なうことは出来ないし。わたしたちが親密なのは決してマイナスにはならないわ」

女王らしいことを一言言うと、アンジェはペロリと舌を出した。その表情は女王候補だったときと全く変わらなかった。

「第一、堅苦しいわ」

悪戯っぽい、そのアンジェリークの表情にランディたちは嬉しくなった。遠くにいってしまったように感じていたアンジェリークは、実は全く変わっていなかったのだと感じたのだ。

「じゃあ、今日は思いっきり楽しいもうぜ」

「ああ、そうだな」

そう言って、ランディたちはアンジェリークとの束の間の休日を楽しむことにした。

 

 

 

少年守護聖たちがアンジェとのピクニックを楽しんでいる頃、オスカーの館に珍しい訪問者があった。闇の守護聖クラヴィスであった。

「少し時間をくれぬか、オスカー」

滅多に館から出ることのないクラヴィス。しかも自分とは職務以外では言葉を交わすことのないクラヴィスの訪問にオスカーは面食らっていた。

驚きつつもオスカーはクラヴィスを居間へと通す。クラヴィスは勧められるままソファに座ると、無言で窓から見える外の風景を眺めている。

執事が来客と主人の為に極上のワインとグラスを持ってくる。執事が下がると、無言だったクラヴィスが漸く口を開いた。

「ここのところ夜遊びがすぎるようだな、オスカー」

責めるようなことを言いながら、口調は決して責めているものではなかった。尤も、感情を含むクラヴィスの声など、オスカーは今までに一度も聞いたことはなかったが。

「それが何か……?」

今まで一度も自分の――いや、他のどんな守護聖に対しても――行動に口を出したことのないクラヴィスの言葉にオスカーは再び面食らう。

「ジュリアスも随分気にしているようだが、敢えて何も言わずにいるようだな」

オスカーの言葉には答えず、クラヴィスは言葉を接ぐ。

「アンジェリークのことを忘れることは出来たのか?」

いきなり核心をついた発言をする。

思いもかけなかったクラヴィスの言葉に、オスカーは言葉が出なかった。

「お前が何ゆえにあれほど外界へ行くのか、皆判っているのだ。尤も新参の3人は知らぬようだが。そして皆心を痛めている。お前とアンジェリークのことに、な」

淡々と告げるクラヴィスだったが、その声音には僅かながらオスカーへの気遣いがこもっていた。尤も、クラヴィスと親しいとはいえないオスカーには気づくこともない程度だったが。

「ご心配なく。忘れてみせますよ。俺は陛下に忠誠を誓った炎の守護聖です」

クラヴィスの心遣いに気づかず、オスカーは吐き捨てるように答えた。

「それでお前は満足なのか? 第一、忘れられるのか?」

「忘れられなければ、なんとしても封じてみせますよ。自分の意志で。そうでもしなければ、陛下にお仕えすることは出来ない」

自棄になったような口調で言うと、グラスを一息にあける。

そんなオスカーの態度を見て、クラヴィスは微かに溜息をついた。

「1つ、昔話をしてやろう。愚かだったわたしのことだ」

直接オスカーを説得しようとしても無駄だと思ったのかクラヴィスはそう言った。元々自分は巧く言葉を操ることは出来ない。それに親しくない自分にオスカーは心を開いてはいない。これがジュリアスやオリヴィエ、リュミエールであればもう少し反応も違うのかもしれないのだが。

そうして、クラヴィスは語り始めた。

――わたしはずっと、現女王であるアンジェリークが現れるまで誰にも心を開くことなく自分の心の闇だけを見つめていた。だが、自分とて聖地に来た始めからそうであったのではない。確かにその傾向はあったが、完全に心を閉ざしていたわけではなかった。自分がこうなったのは前回の女王試験の結果なのだ。わたしは先代の女王に恋をしたのだ。そして、お前と同じように恋に破れた。先代の女王は知ってのとおり女王としての責任を選び即位した。それからわたしは心の傷を癒す為に心を閉ざしたのだ。

オスカーは意外な思いで、クラヴィスの言葉を聞いていた。

「意外か、オスカー? だが、本当のことだ。わたしは失恋ゆえに心を閉ざし、自らを不幸に追い込んでいたのだ。周りの者の優しさにも気づかぬほどにな。全てを知っていたルヴァやディアがどれほど気を遣ってくれていてもそれに感謝も出来ぬほど」

自分の愚かさを嗤うように、クラヴィスは微かに笑みを浮かべた。

「心を閉ざしてしまうのは簡単なことだ。だが、お前はそうしてはならない。いや、そうしたくはないからこそお前は苦しんでいるのだ。違うのか、オスカー?」

深い闇色の目でじっとオスカーを見つめる。その心の中を見通そうとするかのように。

「わたしはアンジェリークに感謝している。あれの明るさ、素直さ、そして優しさが、わたしの凍った心を溶かしてくれた。わたしのことを案じてくれていた全ての者に感謝できるようになったのも、あれのおかげだ。あれの辛い顔など見たくはない。全てはお前次第なのだ、オスカー。お前の選択によってアンジェリークは幸福にもなり、不幸にもなる」

「ですが、クラヴィス様。アンジェリークは女王です。彼女はそれを選んだ。俺に出来るのは、彼女に守護聖として仕えることだけです」

苦いものを吐き出すような口調でオスカーは答えた。

「女王はいつまでも女王ではないのだぞ、オスカー。いつかアンジェリークは1人の女へと戻るのだ」

いつか守護聖はその務めを終え聖地を去る。それは女王も同じなのだ。現に1ヶ月前に女王の交替が起こったではないか。そして、女王がその位を降りてしまえば、あとはただの女へと戻ることになるのだ。そうなれば、あとはどうしようと自由なのだ。

「お前の心を解き放てば良い。どうしたいのか、自分の心に問い掛けるのだ。アンジェリークを憎み恨みたいのか。それともアンジェリークを愛していたいのか」

お前はわたしとは違う。わたしよりもずっと靭い心を持っている。だからきっと自分の愛を認め、それを諦めずに成就させることが出来るはずだ――そう心の中で付け加える。

「ルヴァに2代に亘って同じ心配をさせることもあるまい。まずは己れの心を見つめるのだ。そして、お前が己れの愛を認めたときにはこれを読めばいい。きっと役立つだろう。ルヴァからの預かりものだ」

そう言ってクラヴィスは先日ルヴァから渡された書物をオスカーに渡した。

「クラヴィス様……お心遣い、感謝いたします……」

自分でも意外なほどあっさりと感謝の言葉が口から滑り出た。

「お前だけの為ではない。アンジェリークの為でもあるのだ。第一、お前とアンジェリークが巧くいかなければ聖地の空気が暗すぎる。このわたしでもうんざりするほどな」

感謝されたことがこそばゆいのか、らしくもなく下手な冗談をクラヴィスは言った。

「お前が自分の心に正直になれば、それが皆の幸福へと繋がるのだ、オスカー」

最後にそれだけ告げると、クラヴィスはオスカーの館をあとにした。

 

 

 

クラヴィスがオスカーの館を出ると、4人の守護聖が待っていた。ジュリアス、ルヴァ、リュミエール、オリヴィエである。

「ありがとうございます、クラヴィス」

にっこりと笑ってルヴァが言う。

「たまにはお節介な役目をやってみるのも悪くはないな」

薄く笑ってクラヴィスが応える。

「あとはオスカーがどう判断するかだな」

すっかり心配性になってしまったジュリアスが呟く。

「我々の思いが判らぬほど、オスカーは愚かではあるまい」

ジュリアスの不安を打ち消すように、クラヴィスが応える。

「そうね、あんたとは違うもんね」

結果的にはクラヴィスたちに事を委ねてしまったオリヴィエが感謝していることを隠すように揶揄った口調で言う。

「そういうことだ」

再び笑みを浮かべてクラヴィスは応えた。

「これで漸くアンジェリークも幸福になれますね」

心からほっとしたように、リュミエールが呟いた。そして、それは他の4人にも共通の心情だった。

 

 

 

「じゃあ、アンジェリーク。また遊ぼうね」

日が暮れるまで湖で遊んで、アンジェリークたちと楽しい時間を過ごし、すっかり満足した口調でマルセルは言った。

「ええ。また遊んでね。但し、貴方たちが確りと職務を遂行しなければ、遊んであげられないけれど」

軽くウィンクして、アンジェリークは応える。

「馬鹿にすんなって。今のオレたちは確り真面目に守護聖やってるじゃねーか」

ふん、と鼻を鳴らしてゼフェルが言う。

「アンジェリーク、確り休むんだよ。君はすぐに無理をするから。まぁ、思いっきり遊んだんだから、ぐっすり眠れるとは思うけど」

ランディがバスケットを渡しながら言う。

「ええ、ありがとう」

にっこりと微笑んでアンジェリークは応える。

「本当に今日はありがとう。いい気分転換になったわ。チュピもありがとう。ジョンもね」

ジョンの頭を撫で、チュピに軽くキスすると、アンジェリークは宮殿の中へ入っていった。

少年守護聖たちは、アンジェリークが衛兵に守られながら宮殿の中へ消えていくのを見送ると、自分たちの館に戻る為に歩き始めた。

「でも、今日は本当に楽しかったね」

すっかり満足した口調でマルセルが言う。

「ああ。楽しかったな。アンジェも変わってねーよな。相変わらずドジで鈍臭くてさ」

女王になったというのに、今日のアンジェリークはかつてと全く変わらなかった。相変わらずよく転んだ。そのたびに慌てて彼らが助け起こした。そのことは思い出してゼフェルは笑いながら言った。

「そうだな」

ランディもそれを思い出して笑う。だが、彼はアンジェリークが変わっていないのではなく、変わっていないように見せているのではないかと感じていた。

とても楽しそうにしていた。マルセルやチュピやジョンと走り回ってはしゃいでいた。よく笑っていた。だが、自分たちと離れると、溜息をついたり悲しそうな表情をしていたりした。どこか遠くを見つめるような表情で、湖を眺めていた。飛空都市の森の湖に似た風景の中で。

アンジェは無理をしていたのかもしれない――ランディはそう思わずにはいられなかった。アンジェリークの笑顔は、無理をしているように感じた。

「そうだ、俺、ちょっと用事があったんだ」

不意に思い出したように、ランディは言った。

「じゃあ、俺はここで。また明日な」

「あ、ランディ、どこ行くの?」

マルセルの問いには応えず、ランディは手を振ると駆けだした。

 

 

 

ランディがオスカーの館を訪ねると、オスカーは驚いた表情で出迎えた

「今日は客が多いな。まぁ、入れよ、ランディ」

そう言って、オスカーはランディを居間へ案内した。

居間へと通されながら、ランディは意外な気分でオスカーの表情を眺めた。オスカーは何かをふっ切ったような、さっぱりした表情をしていた。

「今日は、陛下を誘って遊びにいったんだろう? どうだった?」

執事が運んできたカプチーノに口をつけながらオスカーは言った。ランディの前にはコーラが置かれている。それに手を伸ばしかけていたランディはオスカーの言葉に驚いて、危うくグラスを落とすところだった。

これまで――アンジェリークが即位して以来オスカーが女王の話題を口にだすことはなかったから。

「ええ。楽しんでくださったようです。でも陛下よりもゼフェルやマルセルのほうがずっとはしゃいでました。陛下が以前と変わっていないと言って」

言葉を選ぶようにランディは言った。勢いに任せてオスカーの所へ来てしまったが、どうやって話を切り出せばいいのか判らなかった。第一、オスカーが自分からアンジェリークの話題を持ちだすとは思わなかったから。

「でも、俺には陛下が無理をしておられたような気がするんです。笑ってはいらっしゃったけれど、どこかお寂しそうでした」

アンジェリークの表情を思い出し、ランディは言った。

「俺、巧く話題を誘導することなんて出来ませんから、率直にお尋きします」

意を決して、ランディは姿勢を正すと、オスカーの目を正面から見つめた。

「オスカー様は陛下のことをどう思ってるんですか? 陛下のお気持ちをご存じですよね?」

ランディの言葉にオスカーは一瞬目を見開くとカップをソーサーに戻す。

「俺、陛下のこと好きでした。でも、ジュリアス様に止められたんです。守護聖としての立場を優先しろって。幸い俺はまだ陛下への気持ちが抑えられる程度のものだったし、陛下が即位なさったことで、気持ちの整理もついたんです。でもずっと陛下を見つめていたから、陛下の心が誰に向かっていたかも知っています」

そこまで一気に言ってから、ランディは息をついた。口の中を湿らせる為にグラスに口をつける。

「飛空都市にいた頃、陛下はとても明るい笑顔を見せてくれていました。オリヴィエ様やリュミエール様や俺といるときも、とても明るい笑顔でいてくれました。でも、陛下の笑顔が一番輝いていたのは貴方といたときです、オスカー様。俺が悔しくなるくらいアンジェリークの笑顔は輝いていた」

オスカーは何も言わずランディの言葉を聞いていた。目を瞑って。そうすれば簡単に思い出せた。自分と共に過ごしているときのアンジェリークの表情が。輝いていた。愛らしかった。愛しくて手放したくないと思ったのだ。その笑顔を守ってやりたかった。哀しげな表情や寂しげな表情をさせたくなかった。

「でも、今のアンジェは辛そうな顔をしています。貴方を見ると苦しそうな哀しそうな表情をするんです。きっと、オスカー様が決してアンジェの目を見ないから、だからアンジェがそんな表情をするんです」

いつのまにかオスカーを責めるように口調になってしまっていた。ランディはオスカーから顔を背け、唇を噛んだ。

自分ではアンジェリークに輝くような笑顔を与えることも、哀しげな表情をさせることも出来ないのだ。全てオスカーゆえの表情だと思うと悔しかった。けれどやはりアンジェリークには笑っていてほしかった。初めて恋をした相手だから幸せになってほしいのだ。そして、それは全てやはりオスカーにかかっているのだ。

「ありがとう、ランディ」

意外なほど優しい声でオスカーが言った。驚いてランディはオスカーの顔を見た。オスカーは穏やかな表情をしていた。

「お前にも心配をかけてしまったんだな。全く、オリヴィエやリュミエールならともかくお前にまで心配をかけてしまうなんて、俺も随分腑抜けていたらしいな」

そう言って自嘲の笑みを浮かべる。けれど、それは決して自棄になっているのではなかった。

「気持ちの整理はついたんだ。だから、安心してくれ。もう彼女を苦しめたりしない。まぁ、もう暫く時間は必要だろうがな」

クラヴィスにまで心配された。あのクラヴィスまでが心配していたとなれば、多分他の4人も心配していただろう。どうやらクラヴィスの口調からすると、ゼフェル、マルセルのガキんちょコンビは何も気づいていないようだが少なくとも6人の守護聖には心配されてしまっているようだ。

自分とアンジェリークの関係にこれほどの人々が心配し心を砕いてくれていたのだ。自分の殻に閉じ篭もっていた自分が恥ずかしかった。

クラヴィスの訪問からずっと自分の心を見つめていた。自分が何をしていたのか。忘れようと躍起になっていた。想いを封じようとしていた。けれどそれが出来ずにいた。忘れようと思えば思うほど忘れられなかった。

『お前の心を解き放てば良い。どうしたいのか、自分の心に問い掛けるのだ。アンジェリークを憎み、恨みたいのか。それともアンジェリークを愛していたいのか』

クラヴィスはそう言った。そうなのだ。たったそれだけのことなのだ。アンジェリークを愛している。それを無理に封じようとしたからこそ苦しかったのだ。

自分の傷ついたままの姿が、傷ついていることを見せ付けていた姿がどれほどアンジェリークを苦しめていたか、オスカーは今更のように気づいたのだ。アンジェリークを苦しめたくなかった。決して傷つけたかったのではない。今更何を言うのかといわれるかもしれない。けれど、アンジェリークを愛している。だから、その自分の心に正直になろう。オスカーはそう決意していた。

「もう俺のことは心配しなくていい。心配かけて済まなかったな、ランディ」

これまでランディが見たどの表情よりも爽やかな、優しい表情をして、オスカーは言った。

その表情にランディは安心した。だが、同時に寂しさも感じていた。きっとオスカーとアンジェリークは巧くゆくだろう。そして、いつかアンジェリークはオスカーだけのものになってしまうのだ。

「もしオスカー様がまたアンジェリークを哀しませるようなことをしたら、そのときは俺、遠慮なんかしません。オスカー様からアンジェリークを奪います」

精一杯の強がりと本心を込めて、ランディは言った。

「ああ。そんなことになったら遠慮なんかするなよ。尤も、二度も哀しませるほど、俺だって愚かじゃないつもりだがな」

かつてのような、嫌味なほど自信に満ちた笑みを浮かべて、オスカーは応えた。

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