テニスの王子様

Deep in your heart

How deep is your heart?

持ち帰った仕事もひと段落して、コーヒーでも入れようかと立ち上がったとき、まるで見計らったかのようなタイミングでインターフォンがなった。

時間は既に深夜と呼べる時間になっている。

紫織は溜息をつくとインターフォンに出る。

「開けたわよ」

こんな時間にやってくる人物は一人しかいない。だから、出ると同時にエントランスのオートロックを解除していた。

「相手も確かめんと無用心やろ」

やってきた男は開口一番そう言う。

「こんな時間に来るなんて、あんた以外に誰がいるのよ」

「変質者かもしれへんやろ」

「…確かに変質者だったわね」

目の前に立つ男にそう言ってのけると、侑士は笑う。

「酷いなぁ…こないに紫織ちゃん可愛がってあげとるのに」

そういう侑士は既に紫織を背後から抱きしめ、体を弄っている。

「…親父くさい言い方…」

紫織は呆れたように言いながらも体は侑士に預けている。

どうしてこう、ちょうどいいタイミングで現れるのか。

紫織が誘おうとする頃になると、侑士は現れる。

既に侑士と関係を持つようになって3ヵ月。

固定パートナーという気安さからか、これまでよりも短い間隔で紫織は発情している。

自分から出向かねばならなかった頃は、多少の欲望なら体を動かすことで発散したり自分で慰めたりしていたが、今はまるで紫織から発する雌の匂いに反応したかのように侑士がやってくる。

「今週…何回目よ…サカリがついてるの、侑士…」

侑士の愛撫に身を任せながら紫織は言う。

「よっぽど紫織と相性ええんやろうなぁ…。なんかすぐ紫織抱きたくなるねん」

侑士とて一夜限りの相手を見繕っていた頃からは思いもしない頻度で紫織を抱いている。

紫織とのセックスはこれまで体験したどの女とのものよりも侑士の雄を刺激するものだった。

いくら抱いても飽きることはない。

初めて紫織を研究室で抱いたときには、あまりの具合のよさに欲望が尽きることなく、気がついたときにはすっかり日が暮れていた。

何度欲望を吐き出したか解らないくらい紫織の体に溺れ、ティーンエイジャーでもあるまいにと苦笑したほどだった。

「紫織かて、はよ俺に挿れてほしいんやないか? もう濡れてんで」

「馬鹿…」

 

 

 

 

 

 

「今日、泊まっていってもええ?」

コトを終え、紫煙を燻らせながら侑士が言う。

「冗談やめてよ」

シャワーを浴びる為にベッドを出た紫織はとんでもないと応える。

泊めたりしたら、ずるずると望まない関係になってしまう気がする。

だから、絶対に泊めることはしなかったし、食事をしたり酒を飲んだり…セックス以外のことをしたことはない。

あくまでも自分と侑士の関係は体のみ。

「シャワーしてる間に帰ってね」

冷たくそう言うと、紫織はバスルームに向う。

一体何を言い出すのか…。

熱いシャワーを浴びながら紫織は思う。

侑士の提案を受け入れてから3ヵ月。

予想していた以上に侑士はいいパートナーだった。

発情周期が似ているのか、察しがいいのか…恐らく両方だろうが、紫織が『したい』と思う絶妙なタイミングでやってくる。

いや…思っていなくても、侑士に触れられると発情してしまう。

侑士のその存在がまるで媚薬のように紫織の雌を刺激するのだ。

侑士との情事はこれまでになかった悦楽を紫織に与え、ともすれば溺れてしまいそうになる。

でなければ、いくら鍵のかかる自分の研究室とはいえ、学内で体を重ねるなんて今までの自分からは考えられないことだ。

まるで今の自分はサカリのついた雌ネコのようだと紫織は自嘲する。

侑士の提案に乗ったのは、確かにいちいち男を物色するのが面倒臭かったから。自分から持ちかけてきただけあって、侑士は文句のないセックスパートナーとなったわけだ。

だが、提案を受け入れた一番の理由は『忍足侑士』という人間への興味だった。

侑士は入学当初からかなり有名人だった。

侑士の父親は個人病院としてはかなり大きな総合病院の院長であり、中学高校時代にはテニスで名を馳せていた。

更にあの容姿と優秀な頭脳。

女子学生からは熱い視線を送られ、教授陣からも一目置かれる存在。

尤も侑士自身は教授たちの評価はともかく女子学生の視線など無視し、どちらかといえば同性の友人たちを優先していた。

紫織は一般教養課程の中で侑士を担当し、出会った。尤も1対多数の中の1人の学生としてではあったが。

それでも侑士の容姿は目を惹き『あれが噂の忍足侑士か』と一目で解った。

学内で見かける事もあった。

けれど言葉を交わしたことはなかった。

だが…紫織は気づいた。

侑士が時折自分を見ていたことに。

何故なのかは解らなかった。学内での自分は目立つ存在ではない。

侑士に見られていると気づいたときから、紫織も侑士を観察し始めた。始めは何故自分を見つめるのか…という興味から。

やがて…紫織自身も侑士に興味を持った。男としてではなく。

侑士の目は全てを見透かしたかのような鋭いものだった。それでいて、虚ろな目でもあった。

全てを見ているのに、何も映していない…

底が見えず、食えない男。だが、その心には大きな暗い空洞が存在する。

その空洞に自分で気づいていながら、敢えて何もせず、もがきすらしない。

忍足侑士とはそういう人間だと、紫織は見たのだ。

どうしてああなったのか。

純粋に心理学を修める者として興味がわいていた。

だからといって、ほんの僅かな接点しかない自分が侑士に理由を聞けるはずはない。

あれほどの精神の傷は、よほどの事情がなければつくはずはない。

侑士自身がその傷を受け入れ、塞ごうともしていない。

だとすれば、紫織が興味だけで侑士に立ち入れるはずもない。

それ故、今回の侑士の提案は心理学者としての紫織にとっても願ってもないものではあったのだ。

セックス限定の付き合いとはいえ、本能に根ざす行為だからこそ、その本質に触れることができるのではないか…と。

だが、今のところ、何の手がかりもない。

悔しいことに10歳以上年下の男に手玉に取られている状態だ。

『泊まってもええ?』

そう言ってきた侑士。それは自分との関係に何らかの変化を望むがゆえの言葉なのだろうか。

これまできっちりと線引きをして、理想的なセックスパートナーだった侑士が、単に『帰るのが面倒くさい』なんて理由でそんなことを言うはずはない。

「取り敢えず…何かの変化はありそうね」

紫織はそう呟くとバスルームを出た。

 

 

 

 

 

案の定、寝室に戻ると、侑士はベッドの中にいた。

「帰れって言わなかったかしら?」

予想はしていたことだが、敢えて紫織は冷たい口調で言う。

「紫織冷たいなぁ…」

それに応える侑士はおどけてみせる。

「…なんか話あるんじゃないの? 聞くわよ」

「やっぱ『小早川助教授』は鋭いな」

自分の言葉から何かあると判断した紫織に侑士は思ったとおりの女だと満足げに笑う。

「1つは医学部4回生忍足侑士として、小早川助教授に頼みあるねん」

「それなら、明日大学で聞くわ。そうするべき事柄ではなくて?」

「公私混同やっつーこと? 時間勿体無いわ」

あっさりと侑士は言ってのける。

侑士が『頼み』とは、空いた時間に心理学を学びたいというものだった。

現代の医療において、精神医学は患者のメンタルケアのためにもある程度学んでおくべき事項とされており、当然医学部でもそれなりに講義を受ける。

だがどうせならもっと深く学びたい。空いた時間にうまく心理学関係の講義があればこっそり潜り込んでいた侑士だが、それでは学ぶには限界がある。折角心理学科の助教授と交流を持ったのであればそれを有効利用したいというわけだ。

「俺と紫織と両方の時間が合うときでええ。一から教えてくれとも言わん。俺が独学でやって足りんところ補う為に、質問にこたえてくれたらええんや」

侑士は言う。その顔は医学を志す者の顔であり、真剣だった。

「…解ったわ。公私混同はいやだけど、貴方の考えには納得できるし、賛成できる。私が出来ることなら、やりましょう」

紫織があっさりと承諾したことに侑士は少しばかり驚く。しかし、

「但し、交換条件よ。私は貴方…忍足侑士という人間に興味がある。研究対象としてね。だから…観察させてもらうわよ」

観察だけなら、既にしていたが、敢えて宣言する。そうすることで、或いは侑士の中に踏み込めるかもしれない。

「…ま、しゃあないわな。よろしゅう頼みます」

紫織がどういう点で自分に―しかも、紫織は男ではなく人間としての侑士といった―興味があるのかは解らないが、それが自分の不利益になるとは思わなかった。故に交換条件ともいえないそれを侑士は承諾する。

「で…1つは、って言ったってことはまだあるんでしょう? 他には何?」

紫織は問う。このことが、恐らく自分と侑士の関係を変える提案だろうと予想して。

そして、それは的中した。

「セックスフレンドやのうて、恋人ごっこしぃひん?」

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