テニスの王子様

a Tre~三重奏~

altiero~誇らしげに(跡部視点)~

動き出す。

全てが…。

俺と、綾弥と。そして…忍足。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合宿から、1ヶ月が過ぎた。

その間に都大会が終わり、うちと青学が関東大会に出場することが決まった。他にも3校出場するが、たいした学校じゃねぇ。恐らく全国には進めねぇ学校だ。

関東大会で負けるような俺たちじゃねぇが、負けてしまえばそこで俺たちのテニスは終わる。

自然練習には熱が入り、例年にも増して真剣にトレーニングに打ち込む。

生活の全てがテニスを中心に回る。

 

 

 

 

 

――はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時期が時期だけに、俺と綾弥の情事の回数は減っていた。

元々綾弥から求めてくることはなかったし、俺も今は残り少ないテニスに打ち込みたい。

全く綾弥を抱かないわけではないが、頻度はかなり落ちた。

想いを自覚すれば、俺の中にあった苛立ちは消えた。

自分の欲しいもの、望むものははっきりと見えている。それを手に入れるための道筋も。

綾弥の心は忍足に向いている。俺じゃねぇ。

それは癪に障るが…だが、しかたねぇことだと諦めもつく。人の心はどうしようもねぇからな。

だからといって諦めるなんてのは俺らしくねぇ。

綾弥攻略は長期戦だ。

綾弥を手に入れるだけなら、事は容易に進む。跡部家から天野家へ申し入れればいいだけだ。綾弥を俺の妻にしたいと。天野の両親は断れないだろう。俺の両親も反対はしねぇはずだ。

だが、それは…俺が自分を抑え切れなくなったときの最終手段。どうしても綾弥の心が俺に向かなかったときの…俺自身が敗北を認めそれでも綾弥を諦め切れなかったときの見っとも無い手段だ。

必ず俺は綾弥の心ごと手に入れる。

綾弥に――愛されたい。

だから、今は焦らない。焦っても手には入らねぇ。

今は今しか出来ないことをやるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思っていたのに。

忍足の一言で、俺の心は脆くも揺らぐ。

この俺が。

恋なんてした所為で俺の心は弱くなっちまったらしい。

だが、綾弥を愛したことを後悔なんてしねぇし、弱いままでいる気もねぇが。

けれど、心が揺らいだのは確かだった。

『俺も綾弥に惚れとる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偶々綾弥が先に帰宅し、部室に残ったのは俺と忍足の2人だけだった。

いや、忍足は敢えて残ったのだろう。今日は綾弥の両親の結婚記念日で家族で食事に行くからと玲さんが綾弥を迎えに来た。いつもなら俺か忍足が綾弥を自宅まで送るが、その必要がないから。

「なぁ、跡部」

着替えを終え、綾弥の代わりに部誌を纏めていた俺に忍足がいつになく真剣な声音で呼びかけてきた。

「あーん、なんだ」

滅多に聞くことのない忍足の声を不審に思い顔を上げれば、忍足はどこか挑戦的な目で俺を見ている。

……この1月余りいつも感じていた、忍足の視線のまま。

「いつから、綾弥とセックスしとるん」

突然の忍足の問いに俺は一瞬言葉に詰まる。

「何…言ってやがる」

「隠さんかてええ。見てしもうたんや。合宿でな」

忍足は眼鏡を外し、俺を見据える。

忍足の伊達眼鏡。何処かとぼけた印象を与える丸眼鏡は、忍足の鋭い視線を隠す為のもの。

印象を和らげ、視線を隠す為に忍足は敢えて眼鏡をかけていた。

それを外し、むき出しの鋭い視線を俺に投げかける。

「どういうつもりで綾弥を抱いとるん。あいつは遊んでいい女やあらへんで」

「そんなこと判ってる」

そう、遊びなんかじゃねぇ。最初から…俺はあいつに惚れてたんだ。気付いてなかっただけでな。

「ああ、せやな。お前は遊びやあらへん。本気やなぁ」

口調は軽いが、声音も視線も依然として鋭いまま。

「お前らの関係知った後、ずっとお前らのこと見ててん。お前が綾弥に惚れとるんは簡単に判ったわ。けど、お前ら恋人やあらへんな」

綾弥の俺への態度は昔から変わっていないと…忍足は言う。

そんなことお前に言われるまでもねぇ。俺が一番判ってるんだよ。

「セックスフレンド…っちゅうことやろ。せやけど、納得いかへんねん。綾弥がそないな関係持つっちゅうんが」

綾弥は簡単にセックスするような女じゃない。心の伴わない関係を容認するような女じゃない。少なくとも自分自身のことに関しては。

忍足はそう言う。

ああ、本来はそうだろうな。

俺は綾弥の弱い部分につけこんであいつを堕とした。

お前に惚れてる綾弥の…苦しい恋に弱った心につけこんで、あいつを抱いた。

そして…ずっとそうしているだけだ。

「俺と綾弥の問題だ。てめぇには関係ねぇだろ」

関係ないはずはない。忍足自身には責はないが、忍足は十分関係している。綾弥の想い人として。俺の恋敵として。

「関係あるんや。俺も綾弥に惚れとる」

……!?

惚れてる…?

愕然として忍足の顔を見返す。

「自覚したんは…お前らの関係知ったからなんやけどな」

我ながら阿呆すぎるわ…忍足は自嘲の笑みを浮かべる。

「お前が綾弥抱いとるの見てしもうてな…なんで俺やないんやって思うてなぁ。それで気ぃついたっちゅうこと」

忍足は溜息を零す。

「阿呆やろ。ホンマ情けないわ、俺」

そう言って笑う忍足に俺は言葉も出ない。

忍足も…綾弥に惚れている。つまりは2人は想いあっている。

それに互いが気付いてしまったら…俺に勝ち目はない。

「俺なぁ…お前と綾弥が好き合うとるんやったら…なんも言う気あらへんかってん。いや、お前には言うて、一発殴らせてもろうて、それで終わりにするつもりやったんや。けど…お前ら見とったらちゃうって判ってな」

俺の視線、俺の態度、そして綾弥の態度。そこから想いは俺の一方通行だと確信したのだと忍足ははっきりという。

「せやったら…俺が遠慮する必要はあらへんやろ。まぁ、多少は不利かもしれへんけど…」

不利なのは俺のほうだ。

1年躰をつなげても、綾弥の心は一向に俺に向かない。変わらずお前だけを見ているんだから。

「確かに…俺は綾弥に惚れてる。今はまだ綾弥の心は俺にはねぇが、必ず俺のほうを向く」

自分の不利を悟られないように、精一杯『いつもの俺様』調で俺は言葉を返す。自信たっぷりに見えるように。

「かもしれへんなぁ。けど、俺かて負ける気ぃはあらへんねん」

忍足は何処か不敵に笑う。見透かされているのか…?

「まぁ、今は綾弥を混乱させとうないし、取り敢えず全国終わるまでは俺はアクション起す気ないねん。俺かて全国終わるまではテニスに打ち込みたいしな」

お前もせやろ? 牽制するかのように忍足は言う。

そう…お前が俺に何も言わなければ…俺だってそうするつもりだった。

だけどな、忍足。逆効果だ。

お前の知らない真実を俺は知ってる。

お前が行動を起せば、不利なのは俺だ。俺が敗者だ。

だから…悪いが先に行動を起させてもらう。

………無様だがな。

それでも。

仮令どんなに無様でも、形振りかまっちゃいられねぇんだよ。

俺には余裕なんてねぇんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忍足の思いがけない告白で…俺は余裕を失う。

今動かなければ、綾弥は俺のものにはならない。

忍足が行動を起せば…綾弥は確実に忍足の許へと行ってしまう。

そんなことはさせねぇ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

忍足の思いもかけない宣戦布告によって俺の計画は修正を余儀なくされた。

忍足と綾弥が実は想い合っているのだと判った今となっては、俺の余裕なんて簡単に吹き飛んじまう。

忍足が行動を起こせば、敗者になるのは俺だ。

俺だってこれまで常に勝者だったわけじゃねぇ。だが、惨めな敗者になる心算はさらさらねぇ。少なくとも誇りある敗者でありたい。

俺のせめてものプライドだ。

綾弥が幸福になるのなら、俺は敗者でもいい。そう思う部分も確かにある。

それに─忍足にしても地元に戻れば政略なしには結婚を語れない家柄。忍足の本気がどの程度のものか今は計れねぇが…長期的に見ればまだ俺にもチャンスはある。高校時代の恋愛が永続する確率は決して高くない。

俺が綾弥を幸せにしてやる──そう思っていた。

それは綾弥の想いが叶わないものであることが前提だった。

だが、あいつの想いは叶う。そう遠くない未来に。それが長く続くものなのかは忍足とあいつ次第だがな。

とはいえ、このまま何もせず、ただ綾弥が忍足の許へ行くのは許せねぇ。

この俺が何もせず、ただの振られ役ってのは癪に障る。

俺が、動くきっかけを作ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で…てめぇはいつまで俺とこうしてる心算なんだ」

休日。いつものように綾弥を呼び出し抱いた後、俺は綾弥に問うた。

綾弥は俺の突然の問いに不思議そうな表情を向ける。一体何を言い出すのか…といった表情だ。

「いつまでって…景吾が飽きるまで?」

飽くまで俺主体というわけか。お前の意思はどうなんだ。

「俺が…ねぇ」

綾弥はさっさとベッドを出て服を身につける。今日は─…セックスが目的じゃなかったから、綾弥の腰が立たなくなるほどには抱いちゃいねぇ。それでもセックスしちまったのは、惚れてる弱みと若さゆえということにしておこう。

「何?飽きてくれたの?」

「いや。だが、お前もそろそろ動いていい時期じゃねぇのか?」

「──どういう意味…」

綾弥の動きが一瞬止まる。

「俺とこうなって1年以上経つが、お前の心は変わってねぇだろ。相変わらず忍足に向いてる」

そう…躰を重ねてりゃ情も移るだろうに、綾弥の中で俺の立ち位置が変わることはなかった。

まぁ、変に忍足との関係の相談役なんてもんを割り振られなかったことはよしとすべきか。

「そうね。自分でも意外だったわ。景吾によろめくかと思ってたのに」

冗談に紛らわせようとするかのように綾弥は言う。

「お前は忍足の女に遠慮してたんだろうが、別れてるんだからもうその必要もねぇだろ」

忍足は俺に宣戦布告した翌日、言ったのだ。

『女と別れたんやけど、知れたら周り五月蝿いよって暫くはこれまで通り女いてる振りするよって、口裏合わせたってや』

と。俺たちレギュラー陣は既に忍足が女を切っていたことは知っていた。あれは綾弥に聞かせる為の台詞だった。

「第一、忍足だって女は1人じゃなかった。俺と同類だったんだからな」

これも綾弥は知らないはずのこと。忍足は表面上1人の女を大切にしてるというスタンスを見せてきていた。

『ファンクラブのお嬢さん方に知れたら大事な女が嫌な目に合うかも知れへんやろ。せやから何処の誰かは内緒やねん』

そう言って。巧いやり方だった。何処の誰かは知られていないから、その『大事な女』の中身が変わっても周りには気付かれないからな。

「──知ってたよ。侑士が決して周りが思ってるように一途な恋愛してるわけじゃないってこと。景吾と同じで、『大事な女』って言ってる彼女が躰だけの相手だってこと」

綾弥の言葉に今度は俺が驚く番だった。

「気付いてない振りしてただけ。侑士は他の女の子たちに対するのと同じように私にも見せてたでしょ。仲間とは言っても私は他の女の子たちと同列に扱われていただけ」

そう言う綾弥はどこか寂しげだった。

「ずっと侑士が好きで見てきたんだもの。解るよ。彼女と電話したりメールしたりしてる時の侑士の顔見れば、その人のこと本当に好きなのかくらい。あれは景吾が遊び相手見てる時と同じ目だもん」

気付いてたのか。──これだから女は侮れない。

「侑士にとって私は他の女の子たちと同じなんだよ。面倒な相手なの。テニス部のマネージャーとして、仲間として…男も女も関係ないって顔してるから、傍にいられるの。私が『女』として見て欲しいと願った瞬間から、侑士の傍にはいられなくなる」

綾弥は寂しそうに笑う。──抱きしめずにはいられない。

「景…吾?」

「そんな顔するんじゃねぇ」

そんな泣きそうな顔で微笑むんじゃねぇ。

忍足の心はお前に向いているのに。

「景吾は…優しいね」

抱きしめた俺の腕を振り払いもせず、綾弥は呟く。

「さっき言ったこと、少しだけ嘘がある。景吾によろめかないっての、あれ、ちょっとだけ嘘。時々景吾の優しさに縋りつきたくなってた」

俺の胸に頭を預け、綾弥は言う。

「景吾…ずっと恋愛なんてしないって言ってたけど、あれって景吾の優しさだよね。跡部の後継者だから…恋愛で結婚を決められない。自分で幸せにしてやれない恋愛ならしないほうがいい…そう思ってるんでしょ」

誰にも言ったことはない。だが…一番近くにいた綾弥はそれを感じ取っていたってことか。

「テニス見てても判る。テニス部の皆への接し方見てても判る。本当の景吾は情熱家で、情が深いってこと。──本気で景吾が人を愛したら、きっと全身全霊かけて愛しぬくんだろうね」

そうかもしれねぇな。お前が俺を愛してくれるなら、仮令跡部を捨てることも厭わねぇ。否、全てを敵に回してもお前さえいれば俺は戦える。戦ってお前とのことを認めさせた上で跡部を手に入れ、今よりも大きくしてみせる。お前が俺を愛したことを誇れるように。

「景吾に愛される人は幸せだね」

「──…お前だ」

自然に俺の唇から言葉が漏れる。

「え…?」

綾弥は驚いたように俺を見上げる。

「俺が愛してるのはお前だ、綾弥」

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