名探偵コナン

原作開始、断固阻止

探偵は書斎にいる

私は工藤優作。しがないミステリー作家だ。新進気鋭の若手作家と持て囃され天狗になっていたのは私にとっては黒歴史に他ならない。

ミステリー作家として難解な謎を生み出し、それを主人公たる名探偵に解かせる。作品を称賛され自惚れていた私は偶々遭遇した殺人事件で警察に解けなかったトリックを見破り事件を解決した。流石は新進気鋭のミステリー作家だと煽てられ私の天狗の鼻は更に高くなった。それからはそこで知り合った刑事に頼まれては事件現場へと出向き、推理をひけらかし犯人を追い詰めていった。そのことに快感を覚えていた自分はなんと浅ましい自己顕示欲の塊であったことか。

抑々ミステリー作家は推理によって事件を解決する名探偵ではない。作品の中の探偵が名探偵足りえるのは作者が考え付いた謎を探偵以外は解けないと設定し、探偵だけが抜きんでて優れていると描くからだ。だから、作者が名探偵のライバルとして登場させるモリアティ教授や黒蜥蜴によってホームズや明智小五郎は苦戦させられるのだ。そして、作者の考える謎が優れたトリックに見えるのは作品内でそれが探偵以外誰にも解けないと描写されるからにすぎない。

作家の能力の及ばない謎は作品には描かれない。だから、私には工学系や科学系の専門知識を使ったトリックは考えられないし、医学の専門知識を使ったトリックも考え付かない。精々が持っていた知識と独学で学べる範囲の内容での似非専門知識を使ったトリック程度のものだ。自分が解ける範囲の謎を、作中で解かせるために造り出しているのだから、私が優れた推理者に見えてしまうのは当然であり、そして過大評価であったのだ。私が解けないトリックに出会わなかったのは幸運な偶然に過ぎなかった。

私がそれに気付けたのは有希子と出会ったからだった。

当時はまだ高校生女優だった有希子と出会ったのは、私の原作の主演女優を彼女が漸く引き受けてくれてからだ。

それ以前から彼女のことを知っていた。私の作品の映像化の話が出たときにプロデューサーが推薦してきたのだ。TVを付ければ見ない日はないという絶賛売り出し中の女優だったから、名前と顔は知っていた。。大手事務所のごり押し戦略かと呆れていたが、プロデューサーが熱心に勧めるために一応と彼女の出演作品に目を通した。そして、全ての作品を見終わったとき、私は女優藤峰有希子の熱烈なファンとなっていた。

彼女の美貌は言うまでもないが、彼女はただの美人女優ではなかった。演技派の実力派女優だったのだ。天真爛漫な女子高生を演じていたかと思えば影のある犯罪被害者の悲劇のヒロインとなり、その一方で凛とした強さを見せる大名の姫君ともなる。素晴らしいの一言に尽きた。有名な監督やプロデューサーが挙って彼女を使いたがるのも納得だった。日本アカデミー賞の新人賞と主演女優賞を同時受賞したのは金の力でも事務所の力でもなく、紛れもない彼女の実力だったのだ。

だから、初の映画化となる思い入れのある作品のヒロインは彼女以外には有り得ないと思った。そこからはプロデューサーだけではなく私自身も熱心に彼女への出演交渉を行なった。

けれど、有希子はそれを断ろうとしていた。自慢ではないが(いや、自慢か?)私はネームバリューのある人気作家であるし、容姿だって良い。私の作品に出たがるタレントは多いし、私と接点を持とうとする女性も少なくない。なのに有希子は私の作品だと知ると難色を示していたらしい。それでも会社の業務命令には逆らえなかったのか、彼女は出演を引き受けてくれた。

クランクイン前に顔を合わせた有希子は地上に降りた天女ではないかと錯覚するほどに美しかった。決してファンの贔屓目だけではないと思う。柄にもなく舞い上がり話しかける私に、有希子は失礼にはならない程度の素っ気なさで対応していた。とても未成年の少女とは思えない大人びた対応だった。

「どうしてミステリーと言えばすぐに殺人事件なんでしょうね。安直すぎると思います。人の死なないミステリーのほうが面白いです」

殺人事件モノばかりを書いている作家を前にしてのこの発言に有希子のマネージャーは慌てていた。私の付き添いだった編集者は気色ばんでいた。私は憧れの藤峰有希子から自分の書いてきたものを否定されたことにショックを受けた。

有希子はかなりの読書家だった。実際に自宅の書斎にある膨大な蔵書の半分は有希子のものだ。新一は全て私の蔵書だと思っているらしいが、ミステリーや洋書に偏りがちな私に比べ、有希子は色々なジャンルを読んでいた。それこそ官能小説とバイオレンス以外は読んでいるだろう。ファンタジーもあれば純文学もあり、ミステリーや歴史小説、恋愛小説、児童文学もある。

「有希子さんはミステリーは読まないのですか?」

編集者の言葉に有希子は首を横に振った。編集者としては担当作家(しかも一応出版社の看板作家の1人)を馬鹿にされたと感じたのかもしれない。『所詮食わず嫌いなんだろう、どうせ女子高生なんだから中身のない恋愛小説ばかりに違いない』というような偏見が見て取れた。

「読みますよ。殺人事件を取り扱ったものも。それよりは人の死なないミステリーのほうが好きですけど」

そう言って有希子が挙げた作家の名は錚々たるミステリーの大家や私の目下のライバルでもある若手作家たちだった。その中の1人は『人の死なないミステリー』を謳い文句に様々なシリーズを展開している作家だ。殺人事件ばかりを取り扱う作家たちとは一線を画し、探偵役のヒロインとそのアシスタントを務める男性(大抵は恋人もしくは相思相愛の両片想い)が詐欺や窃盗を解決していく。時には刑法上の犯罪ではないものも取り扱っていた。そして彼女たちは決して探偵は名乗らなかった。

この『探偵を名乗らない』というのも有希子にとっては大切なポイントだったようだ。彼女が名前を挙げた作家たちは前述の1人以外は主人公が警察官の作品が中心だった。全てが警察官ではない。警察とは協力関係にある学者、或いは犯罪に巻き込まれた一般人、そういった主人公ばかりだ。それらの作家の中には名探偵が出てくるシリーズもあったが、そのシリーズは一切読んでいないという。徹底して彼女のミステリー読書歴には私の作品のように『名探偵』が出てくる作品は1つもなかった。

「探偵はお嫌いですか?」

そう尋ねれば微妙な答えが返ってきた。

「フィクションとしては面白いんですけど……ついつい現実的に考えてしまって。なんで捜査権も逮捕権もない民間人の自称探偵が捜査するんだろうって。何の権利があって個人のプライバシーに踏み込んでそれを暴くのかしらって」

だってそうでしょう? と有希子は首を傾げて言った。フィクションだから仕方ないし、フィクションに現実を持ち込むことは野暮だと判っているがそれでもついツッコミを入れてしまうんです、そう有希子は苦笑した。その言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。

確かにフィクションに現実を持ち込むのは野暮だ。フィクションだから現実では有り得ないことも描ける。名探偵が犯人の心情や境遇を思い遣って警察に犯人を渡さず、犯人が死によって罪を償うことを黙認することもある。

「でも、犯人が自殺するのって、逃げだと思います。法治国家に生きていて法を犯すんです。罪を罪として認めているなら、それを国家に裁かれて初めて本当に罪を認めたことになると思います。それをしないのは本当は罪だなんて思ってないし、復讐という私刑を正当なものだと思っているとしか思えません。一社会人として、国家の定める罪を犯したのであれば、まずは法に従って裁きを受けるべきです。死にたいのなら罪を償った後にすればいい。大体、罪を犯して隠蔽工作して、名探偵に暴かれたから罪を償うために自殺するって、おかしいですよ。暴かれなかったら知らんぷりして日常生活に戻るんでしょう? それって罪を償うなんてこと初めから考えてないですよね」

色々と突き刺さった。

「飽くまでも私の個人的な好みの問題だし、個人的な意見だし、所詮フィクションなのに何マジになってんだって話ですけど」

そう言い切った有希子は可憐な笑顔で微笑んだ。そのときに私は決意したのだ。いつか有希子が絶賛する『人の死なない、探偵の出ない、一社会人としての責任を全うする犯人の登場するミステリー』を書き上げるのだと。未だ達成できてはいないが。

そう言い切った有希子だったが、流石はプロフェッショナルだった。犯人のトリックを華麗に解き明かし、犯人の背景に涙し、犯人が自ら命を絶つことを黙認する自称探偵の美少女を見事に演じ切ってくれた。まるで作品から飛び出して現実世界に現れたかのような見事な演技だった。

私は1ファンとしてではなく、1人の男として女優ではない1人の女性・藤峰有希子に恋に落ちていた。

 

 

 

 

 

映画がクランクアップした後も私は何度も彼女へアプローチした。彼女の個人的な連絡先は知らない。教えてはもらえなかった。だから、彼女のマネージャーを通しての連絡しか取れない。

幸いだったのはマネージャーや事務所が協力的だったことだ。これは彼女が芸能活動を3年間限定と決めていたことと、彼女の夢が幸せな家庭を作ることだったからだろう。それなりに社会的な地位も確立し、財産もある私は事務所──実質彼女の保護者であった事務所社長やマネージャーにしてみれば格好の婿がねだったのだ。

断られることのほうが多かったが、それでも時折事務所の社長やマネージャー同席の上での食事は出来た。そのときには決してガツつくことはせず、出来るだけ穏やかに会話することを心がけた。私自身のことを知ってほしい、そして彼女のことをもっと知りたい。そう願って。

そうして、何度か保護者付きの逢瀬を重ね、漸く有希子も打ち解けてくれたように感じた頃、それは巡ってきた。

有希子の20歳の誕生日パーティ。事務所主催のそれは華やかで盛大なものだった。今思えばそれが『女優藤峰有希子』の最後となるパーティだったからだろう。

初めて口にするアルコールの効果か、有希子はいつになく私に甘えてきた。酔っているせいだと判ってはいたが、嬉しかった。私に甘え時折女を覗かせる有希子は、酔っていたことによってとても素直だった。そんな彼女に私の理性の箍はあっけなくはじけ飛んだ。

パーティが盛況のうちに幕を閉じ、有希子を送る役目を与えられ、まだ帰りたくないという有希子を部屋へと招いた。丁度缶詰になっていた私はパーティ会場だったホテルに部屋を取っていたのだ。全ての状況が私を後押ししているようだった。

熱烈な愛の一夜を過ごした。翌朝目覚めたときには有希子は既にいなかった。けれど、シーツに残された破瓜の印が夢ではなかったことを教えてくれた。そして私しか知らぬ有希子に他の男を知ってほしくはなかった。

直ぐにその足で宝石店へと赴き、有希子の事務所へと向かった。アポもなしに突然訪れた私に社長は驚いていたが、理由を知るとマネージャーに有希子の許まで送り届けるように言ってくれた。

「有希子はまもなく引退するんです。ですから、こちらのことは気にせずに想いを伝えてください。健闘を祈ります」

送り届けてくれたマネージャーはそう言った。

 

 

 

 

 

突然の求婚に有希子は驚いていたが、私が本気だと知ると頷いてくれた。尤も当日ではなく、3日ほど考えさせてほしいと言われたのだが。その3日は生きた心地がしなかった。

有希子との結婚の準備を進めているとき、新たな喜びもあった。あの一夜が実を結んでいたのだ。いきなり父親になることに戸惑いもあったが、家族が増える喜びは大きかった。

婚約会見から間もなく有希子は芸能界を引退した。世間では私との結婚と妊娠が引退理由と思われているが、元々この時期の引退はデビュー前から決まっていたそうだ。尤もそれを知るのは事務所の幹部とマネージャーのみで、他は誰も知らないことだったが。

ただ、有希子や事務所と懇意にしていた監督やプロデューサーは薄々気付いていたらしい。私との婚約以前から新たな仕事のオファーを断ることも増え、新たなCM契約も結ばなかった。だから、引退とまではいかずとも長期休養を取るのではないかと予想していたらしい。

たが、それはほんの一部のことで、世間の多くは結婚引退と認識していたようだ。ゆえに私の許には有希子の熱烈なファンからの嫌がらせの手紙も殺到した。まぁ、有希子を手に入れた幸運な男だ、それも甘んじて受けるべきだろう。

 

 

 

 

 

有希子と出会ってからも、私は警察への捜査協力をしていた。頼まれれば現場に赴きトリックを解き明かし犯人を名指しする。有希子の嫌う『推理ショー』をやめてはいなかった。捜査協力を依頼されずとも事件発生率の高いこの東都では偶然に遭遇してしまうことも少なくなく、そんなときにも私は警察に協力していた。推理作家にして探偵。それが当時の私だった。

今でこそ、有希子が物語の探偵以上に現実世界の自称探偵を嫌っていることを理解しているが、当時の私は全く判っていなかった。有希子からミステリー小説の話を聞いていてもそれは飽くまでも『ミステリー小説の話』だと思っていたのだ。それが現実の私たち『探偵』にまで及んでいるとは思っていなかった。

否、現実の私たちと結びつけることを無意識のうちに避けていたのだろう。それほどまでに私はミステリー作家であることと同時に『探偵』であることに喜びを感じていた。ああ、ここで探偵と称することは実際に探偵業に従事している方々には不快なことだろう。

私は謎解きに取り憑かれていたのだ。謎を解き明かし称賛されることに取り憑かれていたのだ。

結婚し、安定期に入って悪阻も収まった有希子とともに久々の食事に出たところで、またしても殺人事件に出くわした。早速捜査をと足を踏み出したところで、有希子に腕を掴まれた。

「妊娠中に死体なんか見せて流産したらどうするの?」

目が笑っていなかった。そして言外に告げている。妊娠中の妻を置いて事件現場に向かう気なのかと。恐らくそんなことをすれば有希子は口もきいてくれなくなるどころか緑の用紙を役所からもらってきて私に突き付けることだろう。

周りにいたご婦人方も有希子に同意を示し、念のために病院に行けと勧めてくれた。有希子の体が第一だ。ご婦人方の言に従い、有希子を病院へと連れて行った。何の問題もなく安心した。

後日捜査一課の目暮君からは珍しいこともあるものだと言われたが、その際私は彼に告げた。今後現場に赴くことはないと。捜査協力を断るわけではないが、証拠や捜査資料を見せてもらうだけに留めると。まぁ、必要とあれば後日事件現場を見せてもらうこともあるだろうが、事件発生時にリアルタイムで現場に赴くことはしないと。

刑事たちからは『それでは事件の解決が遅れる』と言われたが、それが抑々おかしいのだ。事件を捜査し犯人を逮捕するのは警察の仕事であり、私のような民間人は飽くまでもアドバイザーであるべきなのだ。

私がそういった本来であれば判っていて当然のことに気付けたのも、有希子に懇々と諭されたからだった。全く以て情けない。学生時代に作家デビューをし、社会人経験のない私は何処か人としての常識に欠けていた。学生時代も勉強と執筆以外しなかったせいでまともな友人関係を築いていなかったツケともいえる。私はどうやら対人関係の想像力というものに欠けていたようだ。この方面では多くの友人に囲まれ魑魅魍魎の跋扈する芸能界を駆け抜けた有希子のほうがよほど私よりも経験豊富だった。

そうして私は現場には赴かず警察署や警視庁で資料を見せてもらいながらアドバイスするという、ごく一般的な協力者となった。事件に関わる頻度も減り、その分、有希子や新一と接する時間を多く持つことが出来た。

有希子は私に積極的に子育てに関わるように促した。子育てなど未知の領域で尻込みしていた私に『初めての経験なのは私も一緒。親は子供と一緒に育つって言うでしょ! それに子育ては事件なんかよりもずっとスリリングでミステリアスよ!』と煽ってきた。そうまで言われれば避けることなど出来ない。様々な育児書を読み、父親教室に通い、近所の父親に話を聞き、そうして私は父親になっていった。

結婚してから私はミステリー以外の分野にも手を伸ばした。子供向けのファンタジーや冒険小説だ。絵本や童話までは無理だった。

畑違いのジャンルに手を伸ばした理由は簡単だ。我が子に読んでもらうためだ。人の死なないミステリーは私には書けない。だからまだ子供に読ませるには早い。せめて中学生になるまでは読ませないと夫婦で決めている。ならば、我が子に読んでもらうためにはミステリー以外を書くしかない。幸い冒険小説はこれまで生み出していたミステリーのノウハウを使っての謎解き、暗号解読を組み込めたからそれなりのものが書けたのではないだろうか。子供向けの暗号には苦戦したが、そこは編集者の子供にも協力してもらった。

編集者には大層驚かれたが、『父親になるってこういうことかもしれませんねぇ』と笑われた。それでもミステリーを読まぬ層(特に子供を持つ親)から新たなファンを獲得したことで出版社側も定期的にミステリー以外を出してくれるようになった。尤も元々畑違いということもあって、生みの苦しみはミステリー以上だったのだが。

それでも、文字が読めるようになった新一が私の冒険小説を楽しみにしてくれているともなれば、次はどんな冒険をさせようかと年甲斐もなくワクワクしてしまうのだった。

 

 

 

 

 

新一を幼稚園へと送り届け、有希子はエプロンに身を包み楽し気に掃除洗濯と動き回る。有希子は私や新一のために家事をすることが楽しくて仕方がないと言ってくれる。有難いことだ。

引退後の有希子は一切表舞台には出ない。時折パーティの招待状も届くが、既に自分は引退した一般人だからと断っている。日本のパーティは夫婦同伴必須というわけではないから、彼女は私が出席するパーティであっても出ることはない。そもそも新一を残して外出できるはずがないと彼女は言う。私もパーティよりも家族と過ごす時間のほうが大切だから、どうしても不義理出来ないもの以外はお断りしている。

全く表舞台に出ず、元女優ではなく飽くまでも『工藤新一の母』『工藤優作の妻』として過ごす彼女はご近所でも評判がいい。だからか、新一の友人たちは彼女が伝説の大女優であることを知らず、単に友達のお母さんとしか思っていない。でもそれでいいのだと有希子は笑う。

「あら、監督、お久しぶりです。もう、毎回お断りしているじゃないですか。私は引退したんですよ。復帰はありません」

有希子が電話で話している。恐らく相手はかつて有希子の出演した映画を撮った監督の1人だろう。こうしたオファーは年に数回あるのだ。そして毎回有希子はそれを断る。

「有希子、芸能界に未練はないのかい?」

電話を終えた有希子に尋ねる。有希子は素晴らしい女優だったから、ただ私の妻として専業主婦をしているのはもったいないという思いもあった。

「全くないわ」

だが、笑って有希子はあっさりと答える。その表情に嘘はない。

「勿体無い。君ほどの女優はそうはいないのに。だからこそ、今でも君は伝説の大女優と言われているんだろうに」

私とて女優としての有希子の熱烈なファンだったのだ。再び女優藤峰有希子の出演する作品を見てみたいという思いもあった。

けれど、それ以上に妻として母として側にいる有希子が大切で得難いものだと判ってもいる。だから、彼女の言葉に安堵するのだ。

「伝説の大女優なんてどうでもいいの。私には大勢の他人の称賛よりも優作や新一のありがとうのほうがよっぽど価値があるんだもの。美人女優大女優と持て囃されるよりも新ちゃんのママと呼ばれることが私にとっては最高の栄誉なのよ」

そう言い切った妻の顔はこれまでどんな大きな賞を受賞しても見られなかった最高の笑顔だった。

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