女性当主

クゥクーの娘

母と父たち

フィエリテの両親、マルシャン子爵家次男ペルセヴェランスとクゥクー公爵家長女アンソルスランはクゥクー公爵家が主導した政略結婚だった。幾人かの候補の中から補佐能力の高いペルセヴェランスが選ばれてのものだ。

婚約が結ばれた当時、ペルセヴェランスは18歳、アンソルスランは12歳だった。その頃ペルセヴェランスは学院生ながら当主となった兄の補佐をしていた。その能力が買われたのだ。

4年間の婚約期間を経てアンソルスラン16歳の成人と同時に2人は結婚した。婚約期間に交流を深め、2人は家族としての情愛と信頼を築き上げていた。

結婚して1年後、クゥクー公爵家の裏の役目をアンソルスランが果たすこととなった。その役目については理解していたものの、ペルセヴェランスにはつらい時期だった。

昼間はアンソルスランの当主の仕事を補佐し、いつもと変わらぬ生活を送った。アンソルスランが気に病まないよう、表面上は何もないふりをした。

そんなペルセヴェランスを義兄のシャン・シャッス・ド・シュエットが支えてくれた。けれど、鬱屈が晴れることはなかった。

そんなとき、学院時代の友人に誘われて王都の繁華街へと遊びに出かけた。そこで間違いが起きたのだ。アンソルスランの務めが始まって半年近くが経過していた。

後になって考えれば巧妙に仕組まれていた出来事だ。つまり、ペルセヴェランスはハニートラップに引っかかってしまったのだ。

強かに酔っ払い、意識を失い、目が覚めたときには裸で寝ていた。横には同じく裸のままの、情事の気配を色濃く残したヴュルギャリテがいた。

ヴュルギャリテは一応ペルセヴェランスとは幼馴染ともいえる関係だった。王都のタウンハウスが隣同士だったのだ。尤もペルセヴェランスの認識は近所の面倒な少女だったが。

目が覚めたヴュルギャリテはペルセヴェランスが強引に迫ってきたのだと泣いた。傷物になった自分はまともな結婚は出来ないから責任を取ってくれと。

全く以ってベタな展開だった。そもそも酔っ払って意識を失う前にヴュルギャリテはいなかった。そして深夜の王都歓楽街に独身の貴族女性が1人でいるなど有り得ない。確実にペルセヴェランスは嵌められたのだ。

ペルセヴェランスはすぐに妻の許へと戻り、包み隠さず全て話した。

「あらあら、ペルセったらお馬鹿さんねぇ。随分手垢のついたベタな『甘い罠』に引っかかったものね」

全てを聞いた妻はそう言って笑った。笑い事ではないが、夫を責めることはなく、すぐに策を講じた。

公爵家の影の者(いわゆる諜報部隊)に指示し、ヴュルギャリテを調べさせた。

そうして判ったのは、ヴュルギャリテの実家であるデトリチュス男爵家が困窮していること、次女を大商会の好色な隠居に後妻として売ろうとしていることだった。

ヴュルギャリテの境遇に同情しないでもなかったが、困窮の原因は男爵家に見合わぬ贅沢をしていたことであり、同情の余地はない。

また、3人の姉妹の中でヴュルギャリテが選ばれたのは、彼女だけが既に純潔ではなかったからだった。ヴュルギャリテの身持ちの悪さはそれなりに有名だった。

ヴュルギャリテにとっても男爵家にとっても自業自得という嫁入りだったが、ヴュルギャリテは嫌がっていた。そしてそこで目を付けたのが幼馴染であり高位貴族となったペルセヴェランスだったのだ。

ペルセヴェランスの学生時代の友人に幾何かの金を握らせ、ヴュルギャリテは罠を張った。当然、その協力者はヴュルギャリテの家族だ。そうしてペルセヴェランスはまんまとヴュルギャリテの、男爵家の罠に嵌まってしまったというわけだった。

「ヴュルギャリテはあなたに相当執着しているようね」

報告書を見ながらアンソルスランは言う。婚約期間にペルセヴェランスの実家のマルシャン子爵家に遊びに行くと、隣家から憎悪の視線を感じたものだ。おそらくそれがヴュルギャリテだったのだろう。

そういえば母が言っていた。ペルセヴェランスの兄、マルシャン子爵バヴァールがこの婚約を喜んでいたのは、格上との縁組というだけが理由ではなかったと。亡父と親しかった下位貴族からしつこいほどに次男と次女の婚約申し込みがあったのだそうだ。

マルシャン子爵家は商売と領地経営が上手く子爵家の中ではかなり裕福だった。何よりペルセヴェランスは同世代ではその美貌で有名だった。だから、ペルセヴェランスには縁談が多かった。その中で亡父との友誼を盾にマルシャン子爵家に何の得も利益もない婚約を押し付けてくるデトリチュス男爵家に辟易していたらしい。

そこに筆頭公爵家との縁談だ。クゥクー公爵家の入り婿は身分を問わない。過去には他国の平民冒険者が婿入りしたこともあるくらいだ。だから、男爵家も身分違いだから断ったほうがいいなどとは言えなかったらしく、漸く引き下がったのだそうだ。

「あんな問題だらけの家も、問題しかない娘も御免ですよ」

子爵家当主のバヴァールはそう言って笑っていたらしい。

「そんなに執着されていたのか」

妻から聞かされた話にペルセヴェランスは呆然とする。おそらく兄が自分を煩わせないために黙っていたのだろう。だが、知っていればもう少し警戒できたかもしれない。

「このまま放置も出来ないわね。まぁ、サクッと潰してしまってもよいのだけれど」

クゥクー公爵家であれば、末端の貧乏男爵家を潰してしまうのは簡単だ。領地経営の状態を見ても潰してしまったほうが領民のためにもなる。

だが、流石に『夫がハニトラに引っかかったから』なんて理由で筆頭公爵家がそれをするわけにもいかない。男爵家は色々と問題も多いが、法を犯しているわけでもない。

「ここのところ頻繁にヴュルギャリテがどう責任を取るんだと遣いを寄越しているんだ。入り婿だから婚家と相談して許しを得ないといけないと引き延ばしているんだが」

本当ならこのまま放置しておきたい。関わりたくないというのが本音だ。

けれど、無駄に行動力のある男爵家だ。このままではクゥクー公爵家に迷惑を掛けかねないし、アンソルスランに何かしかけてこないとも限らない。ヴュルギャリテが誑し込んだ愛人たちは下町の破落戸が多く、貴族の常識からは考えられない暴挙を行うこともあるという。

そういった懸念もあり、クゥクー公爵家の方針としてペルセヴェランスはヴュルギャリテに夢中になっている演技をしている。

「そうね……手元で監視下に置いたほうが良いかしら」

アンソルスランも溜息をこぼす。良い婿を迎えたと喜んでいたが、良い婿は他にとっても優良物件で、とんだ面倒を持ってきてしまったようだ。

そして、アンソルスランが役目を終えたころ、ヴュルギャリテの兄ポーヴルが公爵邸に押し掛けてきた。事前の連絡もなく、である。

会ってやる義理はなかったが、面倒を避けるためポーヴルと面会した。そこには義兄のシャンも同席した。妊娠中の妹に代わって話を聞くと告げれば、ポーヴルは驚いていた。まさか正妻も妊娠しているとは思いもしなかったのだろう。

因みに応接室の隣の隠し部屋では妻と姑もしっかり話を聞いていて、あとから散々女傑の姑には盆暗婿と叱られた。

そうしてポーヴルが告げたのはヴュルギャリテの妊娠だった。あの一夜でヴュルギャリテは身ごもったのだと。それでは大商会の後妻に入ることも出来ない。どうしてくれるのだと。暗にヴュルギャリテを公爵家に入れろ、愛人にしろと要求していた。

「それはそれはうちの妹婿が失礼したね。貴殿の言い分も尤もだろう。よろしい、縁談が破談になった分の慰謝料はお支払いしよう。当然、破棄された婚約証明書はあるのだろうね」

ペルセヴェランスよりも3歳年下の義兄は高位貴族らしい尊大な雰囲気をまといポーヴルに問いかける。この場ではペルセヴェランスは情けない入り婿を演じ、シャンがポーヴルと話をすることになっていた。

なおクゥクー公爵家ではヴュルギャリテと商会の隠居との縁談は話が出たばかりで口約束にも至っていないことを掴んでいる。つまり破談も何もない状態だ。

破談の慰謝料を要求するのであれば、最低限婚約証明書がなければならないというのは貴族の常識だ。後々のトラブル回避のために婚約証明書は貴族院と両家にそれぞれ破棄された旨が記されたうえで3年間の保存が義務付けられている。

しかし、婚約は成立していなかったのだから当然ながらそれはない。ゆえにポーヴルは慰謝料を吹っ掛けることは諦め、恐れ多いと断らざるを得なかった。

「我が公爵家としても婿の不始末を放置するわけにもいかぬゆえ、愛人は容認しよう」

不本意そうな表情を作り、シャンが言う。それにポーヴルは満足そうに下卑た笑みを浮かべた。ペルセヴェランスもホッとしたような、嬉しそうな笑みをこぼす。

ペルセヴェランスも下位貴族出身とはいえ今は高位貴族の婿だ。それくらいの演技は容易だった。

男爵家がそう要求してくることは予想していた。一夜の過ちで済ませるはずがないことは想像に難くなかった。だから、アンソルスランはヴュルギャリテを愛人として認めることにしていた。ペルセヴェランスとしては不満だったが、まさしく自分の蒔いた種だ。

「では、近日中にヴュルギャリテを連れてまいります。部屋はどちらにいただけるんで? ああ、別館をご用意いただけるんですかい?」

おそらく安心して素が出たのだろう、貴族らしからぬ口調でポーヴルは言う。公爵邸にヴュルギャリテを住まわせようというのだ。

だが、常識的に考えて愛人を正妻の住む家に入れることなど有り得ない。ましてやペルセヴェランスは入り婿なのだからそれは出来ないとシャンは突っぱねた。

「妹は今大事な時期なのだよ。愛人を公爵家の敷地に入れるなど有り得ぬ。妹には僅かな心労すら与えたくない。それは同じく妊娠中の妹を持つ貴殿ならご理解いただけよう」

きっぱりと告げたうえでシャンはヴュルギャリテを愛人として認めるための諸条件を伝えた。その間、ペルセヴェランスはオロオロソワソワしている。当然演技だ。

ヴュルギャリテには王都内に家を与えること、月々の生活費を渡すことを約束した。但し、男爵家に対して公爵家が何かを援助したり支援したり融通することはないことも明言した。当然だろう、正妻の実家が愛人の実家を好くわけはないのだから。

それに対してポーヴルは激しく抵抗した。しかし、シャンは断固として譲らなかった。この条件を呑めないのであれば、ヴュルギャリテを愛人とすることも認めないと告げれば、渋々と引き下がった。

ついでに念のために念書も書かせた。デトリチュス男爵家が公爵家にもペルセヴェランスの実家のマルシャン子爵家にも一切関わらないというものだった。

男爵家にしてみれば不満はあれどそれで納得することにした。直接公爵家から金を引き出せなくても、潤沢に与えられるだろうヴュルギャリテの生活費から幾何か融通させればいい。ヴュルギャリテに耽溺しているペルセヴェランスであれば、ヴュルギャリテが願えばいくらでも金を持ってくるだろうと。

「近日中に家を用意して連絡する。貴殿ら家族がそこに出入りするのは自由だが、当公爵家とは一切無関係であることを忘れるな」

「へい、承知しておりやす」

ポーヴルはヘコヘコと頭を下げた。納得し受け入れた振りをしたが、内心では馬鹿にしていたのだ。

このシャンとかいう兄は家督を継げない盆暗と専らの評判だ。だから、妹婿のペルセヴェランスが公爵家を継ぐ。

ペルセヴェランスの妻が子供を産めば公爵は引退し、爵位を譲るという噂だから、あと1年弱待てばペルセヴェランスの天下になる。そうすれば今の妻はお飾りになり、ペルセヴェランスが溺愛するヴュルギャリテが実質的な公爵夫人となるのだ。

クゥクー公爵家の役割を知らず上位貴族の常識も知らぬポーヴルは自分たち男爵家に都合のいい夢を見て、公爵邸を後にしたのだった。

「面倒な相手に目をつけられたね、ペルセヴェランス」

「申し訳ない」

ポーヴルが出て行った応接室で疲れたようにペルセヴェランスは義兄の言葉に応えた。既に室内には妻と姑も入ってきている。

「まぁ、わたくしがこれこそはと選んだ婿ですもの。引く手数多でモテるのは当然ね」

笑いながら言うのは現クゥクー公爵である姑のクラージュである。いい婿を選んだと自画自賛している。そんな『好い男』の婿なのだから、女性問題が起きるのは当然だと思っているらしい。

「母上、笑い事ではありませんよ」

母に似ず真面目なシャンは頭痛を堪えるような表情で、ペルセヴェランスとしては申し訳なくなる。

「あら、お兄様、仕方ありませんでしょ。わたくしが愛するほどの殿方ですもの。他の女が執着するのも当然です。ペルセヴェランスはわたくし一筋だから問題ありませんわ」

コロコロと笑うのは妻だ。妻は確実に姑に似ているとペルセヴェランスは思う。愛情を疑われていないのは嬉しいが、やはりこの家は女性が強かなのだと実感した。

「しかし、ペルセヴェランスは年初めに断種の術を受けているのだろう? 子供が出来るはずはないのだが」

首を傾げながら義兄のシャンは言う。そんな仕草にはまだ何処か幼さが見えた。

クゥクー公爵家の裏の役目を果たすため、今年の初めにペルセヴェランスは『断種の術』という魔法をかけられている。これは解呪するまで性交渉を行なっても子供が出来ないようにするものだ。つまり、ヴュルギャリテの腹の子はペルセヴェランスの胤ではない。

「他所の胤ですわねぇ。まさか我が家が托卵されるなんて、笑えますわ」

「笑い事ではないよ、ソル」

面白そうに言う妻にペルセヴェランスは溜息交じりに応じる。どうやらクゥクー公爵家は面倒な火種を抱えてしまったようだ。しかも自分が原因で。

「こうなった元々の原因はわたくしがあなたを夫に望んだせいですもの。一度だけは許しますわ」

面倒な役目を持つクゥクー公爵家の女を妻にしたせいで、ペルセヴェランスは鬱屈を抱えることになった。互いに愛情がなければペルセヴェランスが苦しむこともなかった。クゥクーの女自分を妻にし愛し合ったためにこんなことになってしまったのだとアンソルスランは思う。

寂しそうに笑うアンソルスランをペルセヴェランスは抱きしめた。決して彼女が悪いわけではない。悪いのは企んだ男爵家であり、情けなくもそれに引っかかった自分なのだ。

「私は君を愛しているし、君の子も愛するよ。私が愛するのは君と君の産んだ子供だけだ」

ヴュルギャリテを愛人にするのはアンソルスランや子供に害を出さないためだ。隔離するために囲うのだ。それなりの金を与えてさえおけば、当分の間は妙な野心も持たないだろう。

ポーヴルの無礼な来訪から約1ヶ月後、ヴュルギャリテは裕福な庶民の暮らす地区の一角に館を与えられた。館とはいっても庶民の富裕層が暮らすようなものだ。

貴族街の邸宅ではないことににヴュルギャリテは不満を持ったが、入り婿では用意できるのはこの程度だとペルセヴェランスが謝ったことで一応納得した。実家の男爵邸よりも余程広いし、豪華ではあったので我慢してあげることにした。

それからはペルセヴェランスは月に一度か二度訪ねてきた。婿養子であり正妻も出産が近いからという言い訳に不満はあったが、実家にいたころよりもかなり贅沢な暮らしが出来ることでヴュルギャリテは許してやることにした。

何しろペルセヴェランスはその美しい容貌に相応しい甘い愛の言葉を囁いてくれるし、豪華なアクセサリーもプレゼントしてくれる。愛されてるのは政略結婚の正妻ではなくあたしなのよとヴュルギャリテは思い込んでいた。

因みにヴュルギャリテが愛の言葉と思い込んでいるのは、義兄や年の離れた弟のような存在となった王太子が考えたものだった。空虚な美辞麗句を連ねただけで、直接『愛している』というような言葉は一切なければ、当然心も籠っていない。

また、豪華なアクセサリーは宝石ではなくガラス玉だ。付き合いのある商会がサンプル品として作ったものを格安で入手している。格安だから数を多く購入できる。

ヴュルギャリテは審美眼もなければ目利きも出来ず、それがイミテーションであることに気付きもしない。ただ、大きなガラス玉が多数ついたそれらを高額なアクセサリーだと思い、自分の愛を繋ぐためにペルセヴェランスが貢いでいると思い込んでいた。

因みにこの贋物作戦は公爵家別館に入ってからも続いている。ヴュルギャリテが愛人となって以降、出入りする商人は全てクゥクー公爵家やマルシャン子爵家の配下の商会だ。ドレスなども一見豪華に見える安物の生地で、お針子たちの練習として作られた本来ならば売り物にならないものだ。つまり、哀れなほどにヴュルギャリテには『本物』は何も与えられていないのである。

なお、商会からの請求は安くては不審を抱かれるため、それなりの高額となっている。本来の価格との差額分はペルセヴェランスに返還し、それはピグリエーシュ伯爵領の経営に使われていた。

また、別宅には幾人かの使用人もいるが、全て平民出身だ。食事の支度、掃除と洗濯をするための雇い人で、メイドや侍女ではない。元々貧乏男爵家出身だったから、メイドや侍女がつかないことには特段ヴュルギャリテも不満は抱かなかった。

ペルセヴェランスが来ない退屈な時間は以前からの愛人たちを呼んで過ごした。愛人たちもヴュルギャリテの強欲さは知っていたから、金品を要求することはしなかった。愛人たちにとってはヴュルギャリテは単なる肉欲を満たすための相手でしかなかったのだ。

それでも幾人かは数多いアクセサリーを盗み出して売ろうとした者もいた。けれどそれがイミテーションであることを知ると、愛人とは名ばかりのヴュルギャリテの境遇に気付き、彼女から徐々に距離を置き離れるという、ある意味賢い選択をした。

また、別邸を構えた当初は男爵家の家族も出入りしていたが、やがてそれもなくなった。

ポーヴルたちは潤沢な生活費や豪華なアクセサリーの一部を融通させようと考えていた。それを自分たちの遊興費や不足する生活費に充てようとしたのだが、そうはいかなかった。強欲なヴュルギャリテはそれらを一切家族に渡さなかったのだ。

それによって、自然とヴュルギャリテと男爵家は疎遠になり、1年もするころには完全に縁が切れていた。そして3年も経つ頃には男爵家は王都では生活できなくなり、男爵位と領地、男爵邸を売り、辺境の田舎町へと逃げていった。

そこに公爵家の介入があったかどうかは定かではない。しかし娘夫婦の邪魔になりそうなものを排除する女傑と妹を溺愛する兄の存在が無関係ではないだろうとペルセヴェランスは考えている。

アンソルスランが18歳を迎えて間もなく、長女が誕生した。プラチナブロンドにサファイアの瞳という、母によく似た美しい赤ん坊だった。

ペルセヴェランスは妻によく似た美しい娘に『フィエリテ』と名付けた。女性として、貴族として、クゥクー公爵として誇りを持って生きてほしいと願ってのことだった。

ペルセヴェランスにとって、今回の妻の妊娠は慶事ではなかった。だから、妻の妊娠当初は自分が腹の子を我が子として愛せるかが不安だった。

けれど、それは杞憂だった。日々大きくなる妻のお腹に語り掛け、反応があれば嬉しかった。妻のお腹を蹴る胎児と早く会いたいと思った。

出産の痛みに叫ぶ妻の声を聞きながらオロオロし、普段はめったに祈ることのない神に母子ともに無事に出産が終わるようにと祈った。

生まれた娘を見た瞬間、感じたのは喜びだった。生まれた娘は紛れもなく自分の子だ。たとえ血の繋がりはなくともそう確信した。

時間の許す限りペルセヴェランスは妻と娘の側にいた。それは姑や舅、義兄が呆れるほどの親バカぶりだった。

それから数日して、今度はヴュルギャリテが出産した。別宅からヴュルギャリテが産気づいたとの知らせを受けたが、ペルセヴェランスは特に何も感じず、別宅へ行くつもりもなかった。

しかし、義兄と舅に行くように説得された。愛人に疑いを持たせてはならないからと。妻子の安全のためには愛人に優越感を持たせておけと。

実際、ペルセヴェランスの訪れが遠のくとヴュルギャリテは妻宛に嫌味満載の手紙を送りつけるのだ。尤も妻は全く気にしておらず笑っていたが。

愛人に振り回されているようで不本意ではあるが、用心に越したことはない。ヴュルギャリテの情人の1人には裏社会の幹部もいる。ヴュルギャリテとの関係解消はそれをどうにかしてからだ。

公爵家に影響はないだろう。裏社会の者は馬鹿ではない。筆頭公爵家を敵に回すことはないだろう。けれど、ペルセヴェランスの実家には何かあるかもしれない。或いはペルセヴェランスの妹たちが狙われるかもしれない。

そんな懸念があるから、ヴュルギャリテを愛人として囲い、監視しているのだ。

仕方なくペルセヴェランスは別宅へと行った。そのとき既に子供は産まれていた。

3ヶ月もの『早産』だった。生まれた子供は月満ちて生まれたフィエリテよりもずいぶん大きかったが、それでもヴュルギャリテは早産だと言った。成長が早かったから早産になったのだろうと。当然産婆も訝しんでいた。3ヶ月もの早産でこんなに丸々と肥えた五体満足な赤ん坊が生まれるなんて可笑しいと。一応ペルセヴェランスは産婆に口止めし、時が来たら証言してほしいと出産時の報酬を多めに渡しておいた。

メプリと名付けられた娘に対して、ペルセヴェランスはフィエリテのときのような喜びは一切感じなかった。自分の子とは思わなかった。髪は確かに自分と同じ色だが、全く似ていない。

だが、生まれた子に罪はない。せめてこの子が成人し職を得るか結婚するまでは面倒を見ようと決めた。

娘が生まれるとヴュルギャリテはアンソルスランやフィエリテへの愚痴が多くなった。愛されているのは自分なのに、メプリとフィエリテの扱いが違いすぎると。

自分の心情に相応しい待遇だと思いはしたが、ペルセヴェランスは妻と娘に害を及ぼさぬように愛人を宥めた。

「ねぇ、ペルセヴェランス。あたしが跡継ぎの男の子を生むわ。だから愛してちょうだい」

出産を終えて暫くするとヴュルギャリテはそんなことを言い出した。色々と間違っているが、あえてそれは指摘しなかった。

庶子が跡継ぎになれるわけがないし、既に跡取りは産まれている。アンソルスランの腹以外からはクゥクー公爵の後継は生まれないのだ。

当然ながらペルセヴェランスは二度とヴュルギャリテを抱くつもりはなかった。そもそも例の一夜とて本当に関係を持ったのかも定かではない。記憶が全く残らないほどの泥酔状態で性交渉が可能とも思えなかった。

よって、ペルセヴェランスは舅や義兄、王太子が用意してくれた様々な薬を使い、ヴュルギャリテに誤認させた。時には優秀な魔術師である舅の甥が幻想で対応してくれた。

そのおかげでペルセヴェランスはヴュルギャリテに指1本触れることなく、ヴュルギャリテに愛を交わしたと思わせ続けることが出来ていた。

それはアンソルスランが病に倒れるまで続いた。その頃にはヴュルギャリテとメプリではフィエリテに手出しは出来ないと確信を抱いたため、徐々に距離を置いた。

尤もそんな考えも後から気づいたことで、当時はフィエリテと共にアンソルスランの看病をすることで精一杯だったが。

最愛の妻の死後、ペルセヴェランスはヴュルギャリテとメプリとの関係を断つことを決めていた。妻であり公爵であるアンソルスランの服喪期間は3年だ。当然その間は男女のことも慎まなくてはならない。それを利用してヴュルギャリテたちと疎遠になり、喪が明けたら手切れ金を渡そうと考えていた。

既にペルセヴェランスたちが用心していたヴュルギャリテの情人たちはいない。彼女から離れた者もいるし、犯罪者として処罰された者もいる。ヴュルギャリテがどう足掻こうと娘にも実家にも被害は及ばないだろう。

けれど、それは常識のないヴュルギャリテの無駄に積極的な行動によって覆されてしまった。

外部の脅威はなくなったが、内部に入り込まれてしまった。ヴュルギャリテが直接フィエリテに手出し可能な距離に入り込まれてしまった。

強引に手を切ることも出来た。けれど、ペルセヴェランスはそう出来なかった。貴族として、公爵代理として、次期公爵の父としては情けないと自分でも思った。

しかし、どうしても人としての優しさと紙一重の弱さがヴュルギャリテとメプリを排除することを躊躇わせた。それが間違いだったのだと今ならよく判る。公爵邸に押し掛けてきたときに排除しておくべきだったのだ。

自分の弱さが招いた失態が、現在のこの茶番に繋がっているのである。

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