絶えて桜のなかりせば

IF未来編~『灰色都市』風唄様とのコラボ~




「あねさま。こんなところでなにをしておいでですか?」



 重長と別れてから特に何をするというわけでもなく、縁側でぼーっとしながら座っているとふと幼い声音に呼ばれて祥子しょうこはきょとんと目を丸くする。

 顔を上げると、そこには幼い伊達家の若君が1人可愛らしい顔をして小首を傾げている姿があった。





「なんだ、ちび若か」


 びっくりした、とさして驚いた様子もない表情で淡々とそう口にすると小さな彼・菊王丸はむっと頬を膨らませる。


「あねさま。なんどももうしあげてはおりますが、きくはちびわかではございませぬ。きくはきくにございます」

「あれ、不満?」

「そこまでふまんではないけれど、きくはあねさまになまえでよばれとうございまする」


 五歳児だというのにずいぶんと自分の意見をはっきりと物申す子である。あまり人のことは言えないのだが。

 さすがは政宗と彰子しょうこの息子だとこっそり感嘆した。

 そんなことを考えている間ずっとじと目で見つめてくる幼い若君に気がつき、祥子は苦笑した後、詫びのつもりでぽんぽんと自分の膝を叩く。


「そっか、ごめんね菊。ほら、おいで?」


 そう口にした途端、菊王丸は仏頂面だった顔を急にぱっと輝かせてとたとたと駆けてきたかと思うと慣れたように彼女の膝に腰を下ろした。

 小さな重みに思わず笑みを零す。

 城内ではあの政宗や璃桜に続いてのトラブルメーカーだと専ら有名な子だが、こうしているとやはりただの可愛らしい御子である。

 が、こうしてこの笑顔に騙されるだけではいけないとさんざん彼の母君やその側近の不思議な猫に口を酸っぱくして言われているので仕方なく祥子は問いかけることにした。


「ところで菊」

「ん?」

「私の記憶違いでなければ、この時間帯君は真朱まそおさんと手習いの時間だと思ってたんだけど」


 なんでここにいるのかな? としっかり子供の体を腕で捕まえながら口にすれば、菊王丸は小さく舌打ちをしたようだった。

 顔はどちらかと言えば奥方に似ているのだが、こういうところは非常に政宗方によく似ている。


「抜け出してきたんだね…」


 肩で息をついてそう言うと、彼は人の膝を叩いて物申してきた。


「きくはあねさまにいまどうしてもあいたかったのです!」

「私は構わないけど、後で怒られるのは菊の方だよ?」

「まそおにみつかるへまさえしなければだいじょうぶ。ちちうえもそうおっしゃってました」

「それ、何か違う気がするんだけど…」


 どういう教え方をしているんだと溜息をつきつつ、彼の頭をぽんぽんと叩く。

 他人様の家の教育方針に口を出すつもりはないが、これはこれでどうなのだろうか。後で彰子に聞いてみようとこっそり考えた。

 どうせここで自分が戻れと言ったところで素直に戻る子ではないことを知っていたので、祥子はお目付け役が迎えに来るまでの間、保護と監視がてらその小さな若君と話をすることに決めた。


「そういえば菊、どうして私にあいたかったの?」


 純粋に疑問に思ったことを口にする。

 なぜなら彼は「今どうしても」と言っていた。訳があるのだろうと少なからず祥子は思った。

 すると菊王丸は器用にくるりと上半身だけ軽くひねってこちらに顔を向ける。

 その表情は好奇心の輝きで満ちていた。


「そう、そうなんです。きくはしょうこあねさまにききたいことがあったのです」

「聞きたいこと?何かな?」

「あねさまはとらあにうえのことすきですよね?」


 まあ、何ともタイムリーなことを聞いてくる子だとその時の祥子は思った。

 この子供の言う「とらあにうえ」とはこの伊達家の長男・信宗の他にない。

 先ほどその人のことで弟に相談した挙句、自分の嫉妬に気がついて軽く呆れていたところだと言うのに。

 そんなことを考えながら「そうだねぇ」と苦笑を零し、祥子はその子の頭をそっと撫でた。


「うん。好きだよ?」

「そのすきはどういうすきにございまするか?」

「そのままの意味でいいと思うんだけど、菊のそれはどういう意味かな」


 中々面白いことを聞いてくる彼に首を傾げてそう聞くと、菊王丸は目をきらきらと輝かせながら口を開いた。


「I like you.なのかI love youなのかどちらにございましょう?」


 そうきたかと祥子は軽く頭を抱えた。

 手習いを抜け出して何を聞きにきたかと思えば、そんなことである。

 何でこの子は唐突にそんなことを聞きにきたのだろうかと不思議に思うが、下手なことを言って城中にとんでもない噂が広まったら溜まったものではない。

 祥子はやんわりと話題を止めることにした。


「菊、それって今手習い抜け出して聞きにくるほどのことじゃないよね?」

「わたしにとってはとてもたいせつなことなのです!」

「どうして?」


 面白半分で聞き返してみると彼は至極真面目に爆弾を返してくる。


「もしあねさまがとらあにうえのことがんちゅうにないのでしたら、きくがしょうこあねさまをみだいどころにしたいとぞんじまする!」


 思わず「はい?」と素っ頓狂な声が上がってしまったのは仕方のないことだと思う。

 あくまで菊王丸の顔は真剣だった。

 一体何がどうしてそうなったのかはよく分からない。

 そもそもこの子の破天荒な考え方は父親通りこして一筋縄ではいかないと有名なあの祖母譲りだと聞く。理解しようとして出来るものでもないのかもしれない。

 小さい子の気まぐれかもしれないな、なんてことを考えながらくすくすと祥子は笑った。


「菊、気持ちは嬉しいけど…菊は私みたいなおばさんじゃなくてもっと若くて可愛い子をお嫁さんに貰った方がいいよ」

「あねさまはおばさんなどではございませぬ」

「菊が大きくなった頃にはおばさん通り越しておばあさんかもしれないよ?」

「あいにとしのさはかんけいないとははうえがおっしゃってました」

「いや、まあそうなのかもしれないけど…」

「あねさまはきくがいやですか?おきらいですか?」


 うるっとした表情でそんな風に聞いてくるのは非常に卑怯だと思う。

 思わず慌てて首を横に振ってしまった。


「いやいやそんなことないし、菊のことは私も好きだよ。嫌いなわけないよ」

「では、もんだいありませぬな」

「いやだからその…うーん……」


 それとこれとはまた話が別なのだが、どうにもこの小さな子のペースに乗せられてしまっている気がしてならない。


 (まあ…いっか)


 どうせ小さい時に交わした約束など覚えてやしないだろう。

 ちらりと彼の兄の横顔が脳内を横切ったが、祥子はそれを見てみぬふりをした。

 あの嫉妬をもしかしたらさっさと忘れたいのかもしれない。


「…そうだね。菊が覚えてたら菊のお嫁さんになっても…」


 そこまで口にしようとしたその瞬間だった。

 がっと唐突に後ろから肩を強い力で引き寄せられる。

 驚きに目を丸くしている間に体のバランスを崩して後ろのその人にもたれかかってしまった。

 幸いだったのは、それにいち早く気づいた菊王丸が自分の膝からひょいっと逃げて地面に着地していたことである。

 ちらりと見えた幼い彼の表情が何処か悪戯に成功したような笑みに見えたのが不思議だった。


「駄目だよ、菊」


 聞き慣れた、少し低音になり始めたその声に祥子は言葉を失った。

 振り返らなくても分かる。そこに誰がいるのか。

 ぐっと肩を引き寄せられる。自分はマグロのように固まったままだった。





「この人はお前の妻にはならないよ。諦めなさい」





 ☆




「若……ちょ…っとまって……っ!」



 腕を強く引っ張られながら城内の廊下を歩き続けて数分。

 何度もそう申し立てているものの、自分の腕を引っ張って歩かせている青年はうんともすんとも言ってはくれない。

 自分たちとすれ違う家臣や女中たちは触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに会釈をしては通り過ぎていく。

 一体何がどうしてこうなっているのだろうと祥子は珍しく動揺を抱えながら、ただただ自分の腕を引いて歩いている彼・信宗の後を歩いていた。


 手習いを抜け出した菊王丸と他愛のないおしゃべりをしていたのは良かったものの、その最中に突如として乱入してきた彼の兄は珍しく強引に小さな弟を彼のお目付け役である真朱に突き出し、そしてその後やはり珍しく強引に祥子の腕を引っ張ったまま何も言わずに連れ歩いているのである。

 いつもだったら優しく自分を気遣う穏やかな彼がこんなことをするのはとても珍しい。

 何か嫌なことでもあったのだろうか、とつい心配してしまった。


「若、なんか嫌なことでもあった…?」


 ぽつりとそのまま思ったことを口にすると、彼はぴくりと肩を揺らした。

 早足だった歩みが止まる。掴まれた腕が緩く解かれた。

 不思議に思いながら「若?」と首を傾げる。


「姉様」

「ん?」

「私は今、とても自分に呆れています」


 そう言われてきょとんと目を丸くする。やはり何か嫌なことでもあったのだろうか。

 後ろを向いたままの彼に近づいて、そっと刺激しない程度に覗き込む。

 若い頃の父親そっくりなその顔は、祥子の知らない男の顔をしていた。


「若…?」

「姉様はきっと気付いていないでしょうから正直に白状しますが、先ほど私はあの幼い菊の戯言をあろうことかほんの一瞬真に受けたのです」

「先ほど……って」


 そこまで口にして「あっ」と祥子は思い当たる。

 そういえば、先ほど菊王丸の嫁になるだとか何だとか話をしていた。その最中に彼が割って入ってきたのである。


「貴女が誰かに娶られるなんて考えたくもない」


 はっきり口にしたその言葉に祥子は目を丸くする。

 自己嫌悪に陥っているらしいその瞳は政宗が彰子とくだらないことで喧嘩した後のそれによく似ていた。

 それはそうとして、その言葉の意味を祥子は考える。

 何だかそう、これでは。


「若…妬いてるの?」


 きょとんと首を傾げながらそう聞くと、彼は参ったように額に手をついた。


「………そうです…そうなんです。察してください姉様」

「え、あっ…ああ。そ、そうなんだ…なんか、ごめん」


 何がごめんなのかいまいちよく分からないままそんな風に謝る。

 気まずいような何とも言えない空気が2人の間に漂った。

 しばらく2人でそのまま廊下に突っ立っていると、ふいに信宗の方が再び祥子の腕をぐいと掴んだ。

 驚いて顔を上げようとした瞬間、そのまま抱き寄せられて彼の肩に顔を伏せる形になる。

 唐突なこの状態に目を丸くして「わ、若っ…!?」と声をあげるが、彼は「そのままの状態で聞いてください」と静かに祥子に告げた。


「姉様、私は貴女が考えているよりもずっと嫉妬深くて悪い人間なのです」


 吐き出される言葉に耳をすませる。誰もいない廊下に彼の低音だけが響いた。


「私は生まれるのが少し遅かった。だから誰よりも貴女の傍にいるために私は『弟』になりました。貴女に寄り付く男たちには一切取り合わないように仕組みました」

「わ…か?」


 ぎゅっと強く抱き寄せられる。くっついた体から彼の心臓が少し早鐘しているのが分かった。


「最初から私には貴女以外の女性は見えてないのです。貴女が私以外に娶られるなんてことを考えると気が狂いそうだ」


 もしかしたら座敷牢で誰にも見られないように幽閉してしまうかもしれない。

 と半ば冗談とも本気とも分からない言葉を吐かれて祥子は目を見張る。

 じゃあ、もしかして、もしかしなくとも。

 自分が酷く嫉妬してしまったあの「御台所」というのは。



 自分のことだったのだろうか?



 それを考えた瞬間、一気に祥子は酷い安心感と恥ずかしさに身を包まれた。

 おおうと声を上げて彼の胸の中に縮こまる。

 そんな自分の様子が分かったのか、信宗は「姉様?」と首をかしげたようだった。


「いや…あの……その」

「…なんでしょう?」


 不安気にしかしそれでも自分を気遣うことを忘れず、優しく聞いてくるのはやめてほしい。

 自覚をしてしまうと妙に気恥ずかしくなってしまうから。

 いくら自分に無頓着の鈍感と言われ続けている祥子でもこれだけ立て続けに色々と告白されればさすがに気がつく。

 だから祥子は口にした。


「若」

「…はい」

「私ね…その、こういうことってあんまり慣れてなくて…どう返事していいのかちょっと分からないんだけど…」


 そう言った後、彼女は自分を抱きしめている彼の襟首をぐいと掴んで引き寄せた後、怪訝そうにした彼の耳元で小さく囁いた。





「若――信宗さまにもし幽閉されるなら、それでも私はきっと後悔しない」





 貴方だけが愛してくれるその世界もきっと悪くはないだろう。