いろにいでにけり

IF未来編~『灰色都市』風唄様とのコラボ~




「若、好きな人いるのかな」





 それは仕事の間際に庭先で姉と軽く剣の稽古をしていた時のこと。

 義姉・祥子しょうこの口から唐突にぽろっと零れ出たその言葉に、彼こと片倉小十郎の嫡男・重長は軽く目を見張った。

 表情はあまりいつもの淡々とした様子と変わらない。

 が、よくよく見れば少々困ったように眉をひそめているのが彼には分かった。とても微妙な違いだったけれども。

 一体何があったというのか。



「姉上。信宗様と何かあったのです?」

「え? いや、特には」

「…………」

「…………あったかもというか……えっと、伊達ファミリーの相続事情を不可抗力で聞いちゃったというか……」



 じと目で見つめれば、祥子は非常にばつ悪そうな顔で視線を逸らした。

 姉は基本的に自分に見つめられると嘘がつけない。

 どうにも父親(小十郎)に問い詰められているように感じるかららしい。

 自分はあそこまで堅物ではないと思うのだが、なんてことを思いながら「話を聞かせてください」と続けて、彼女を縁側の縁に誘う。

 祥子は観念したようにため息をついたようだった。やっぱり珍しい。


 話を聞けば、どうやら師走に信宗の将軍宣下があることをたまたま甲斐御前(彰子しょうこ)と一緒に政宗の部屋を訪れた時に聞いてしまったらしい。

 噂には聞いていたが、まさかこんなに早いとはと少しだけ重長は驚いた。大殿もずいぶんと思い切ったことをする。



「それは良いことではありませんか」

「うん。そうだね。若ならすごく良い将軍様になれると思う」



 と、言いつつ祥子の顔はまだ曇っている。

 そこで彼は首を傾げた。

 この手の話題なら、姉は純粋に喜ぶ人間である。

「まだ若すぎるのではないか」だとか「不安ばかりで可哀想」だとか、そういった危惧はそこまで気にせず素直に相手を祝福する人間だ。

 何が珍しくここまでこの不思議な姉を困らせているのだろうか。

 それが彼には気になった。



「それだけですか?」



 追撃するように聞き返してみると、祥子は軽く目を見開いた後に苦笑を零す。

 誤魔化そうというよりは、「なんで分かったんだろう」という笑い方だった。



「それだけ……っていえば、それだけなんだけど」

「………」

「その、将軍のお仕事を引き受けるための若の条件がさ」



「御台所は自分で決める」ということだった。



 姉は確かにそう言った。

 まあつまり「自分の妻は自分で決めるから両親は何も言わないでくれ」と、そういう条件を信宗は出したらしい。

 この時代、親が子供の嫁ぎ先の方針を決めるのは珍しくはないことである。

 現に姉に持ちかけられる多数の縁談は父親や何故か大殿によって阻まれ続けていた。

 まあ、姉も姉でそういった色恋沙汰には疎い人間ではあるし、何より顔も知らない相手のところに行くのはごめんだと言っていたから問題ないとは思うのだが。

 祥子もなんだかんだ今年で二十を超える。この時代の嫁に行く年齢にしては少々遅い方だ。

 未だ決まることのない自分の嫁ぎ先に、もしかするとさすがの姉もその話を聞いて不安を覚えたのかもしれない。決して姉のせいではないとは思うのだが。



「だからやっぱり、若には好きな人がいるんだよね。きっと」



 そんなことを考えていると、ふと再び祥子が先ほどとほぼ同じ言葉を繰り返した。

 中性的な面差しの横顔は何だか少し寂しげである。

 その横顔を見て彼は少々の違和感を覚えた。



「それは、信宗様もそういうお年でしょうから…当然かと」



 何とかそれだけ言って重長は祥子の横顔を見つめる。

 彼女は「そうだよね」なんて口にしながら、しかし縁側でぶらぶらさせている足を見下ろしていた。


 おかしい。

 今日の姉は何だかおかしい。


 幾らなんでも自分の婚期の心配でここまで寂しげにする人ではなかったと思う。

 寧ろ1人でも楽しくやっていける程度には人生楽しんでいたような気がした。

 何がこの姉の表情を曇らせているというのだろうか。



「かわいい子なんだろうね、きっと」



 再びぽつりと零す。まるで独り言のように。

 重長はそれを聞きながら、ただひたすら目を丸くしていた。



「胸もしっかりあってさ、可愛い色と柄の着物の似合う女の子なのかも」

「姉上」

「髪も長くて、こう姫みたいな感じで。若くて綺麗で」

「……」

「性格もきっと守ってあげたくなるような、可愛い子なんだろうな」



 珍しく饒舌にそんなことをべらべらと喋り続ける祥子を見つめ、彼は違和感の正体に今更ながら気がついた。

 そうして息をつく。



「……………………」



 最後にぼそっとまるで重長がいることを忘れているかのように無意識に零れた言葉を聴いて、彼ははっきり確信した。

 何だそういうことだったのか。

 いやしかし、姉にしてはとても珍しい…とは思う。



「姉上」



 曇り気味の彼女にいつもと変わらぬ様子で彼は声をかける。

 案の定ぼうっとしていた祥子はその言葉にはっとして慌ててこちらに顔を向けながら「なに?」と首を傾げた。



「姉上は」

「うん?」

「……妬いてらっしゃるのですか?」



 途端、祥子の表情がみるみる驚きに染まっていく。

 どうやら本当に自覚がなかったらしい。天然にも程があるだろうとつくづく彼は思う。


 色恋に疎いこの姉を思う人間はこの世界に少なからず存在する。

 決して可憐な姫君という訳ではないが、そんな可憐な姫君がもてない不思議な魅力を姉は持っていた。

 そんな男たちの中の1人に信宗も実は括られている。

 本人から聞いた訳ではないが、大殿が姉の縁談をことごとく何かと理由をつけて邪魔をするのも、甲斐御前が姉を傍に置いて様々なことを教えているのも、それが理由なのではないかと重長は憶測をたてていた。

 まあ言ってしまえば遠目から見てるだけでも、彼が姉のことを愛おしそうに見つめる姿はここ数年度々見つかってはいるので憶測をたてるまでもないとは思う。残念なことに一部にはバレバレなのだ。

 問題はそれに一切気がついていないずぶとすぎる祥子の方なのだが。



 (これは意外と…姉上も、信宗様のことを…?)



「そうか、焼きもちか」と自分の言葉に妙に納得したように頷いている姉を横目で見ながら、彼はふとそんなことを思う。

 あくまで姉の信宗を思う気持ちというのは、正直に言ってしまえば自分同等「弟を見る姉の気持ち」なのだろうと重長は思っていた。

 まあ今も「弟に好きな子が出来て姉としては寂しい」とかそういう気持ちなのかもしれないが。

 だが、それにしてはあの困ったような寂しげな表情はちょっと行き過ぎているような気がする。

 そしてあの零れ落ちた言葉も。



「焼きもちか……全然それは、考えなかったな」

「違うのですか?」

「どうだろう。あんまりこういう気分になったことがないからちょっと分からない。父上を政宗様に取られてばかりの気持ちとは微妙に違うような気もするし」



 うーんと悩む姉の姿はいつになく真剣そのものだ。

 妬いていることに悩むのではなく、妬いているのかそうでないのかということを考えて悩む姉はやっぱり変わっていると彼は思う。



「でも……そうだね。妬いてるっていうなら……やっぱりちゃんと理由がつくかな」



 顎から手を離して力を抜いた祥子はふと柔らかに微笑んだ。

 それにやはり重長は軽く目を見張る。



「そっか。私、若に焼きもち妬いたんだ。やだなぁ、殿みたい」



 ふふっと笑って彼女はおもむろに立ち上がる。

 困ったように眉をひそめているものの、その表情はまるで解けない謎が解けたかのように晴れやかだ。



「若が思ってるみたいな可愛い女の子と張り合うような年齢でもないのにね。こまったこまった。私も早く自分の結婚考えないと」

「姉上」

「重。話聞いてくれてありがと。すごくすっきりした。私、ちょっと頭冷やしてくるね」



 そんな言葉を告げて、祥子はくるりと踵を返して縁側を去っていく。

 嫉妬だと気がついたというのに、妙に納得した上に表情晴れやかに去っていった姉の後姿を呆然と見送った彼は、途端大きなため息をついた。

 やっぱり、姉は鈍感だ。かつ天然だ。

 ずぶとすぎるにも程がある。



「そもそも10代で普通に通る容姿のくせに何を言っているんだろうか…」



 思わずぽろりとそんな言葉が転がり出た。

 これは何とかして彼女の自覚を別の方向に向けなければならない気がする。

 本来自分とてこういった色恋沙汰には疎い人種のはずではあるのだが。

 何しろ、相手があの姉である。心配なのも仕方ない。



「これは父上に相談すべきか……いや、政宗様……は、なしだな。姫様に文を送るという手もあるが…あちらはあちらで手一杯だろうし。ここは御前様……やっぱり父上……うーん………」



 どうすればいいかな、と想像以上に仕事の休憩時間をとってしまった彼はただひたすら頭を捻った。

 というのも、恐らく一番効いているのはぽつりと意図せずに零れ出てしまったであろうあの言葉があったからなのかもしれない。

 色恋に疎く、また自分の気持ちにも鈍い姉は小さくささやくような声でこう言った。




『私はもうお払い箱かな』




 そんなこと本人にでも直接言って、口でも吸われて自覚してしまえばいいのだと柄にもなく生真面目で苦労性な弟はそんなことを思ったのだとか。








 恐ろしいことに、姉は女として恋に片足を突っ込んでいることに未だ気がついていない。