男は女に敵わない

IF未来編~『灰色都市』風唄様とのコラボ~




 養父に押し付けられた、もとい頼まれた役目を果たす為に祥子しょうこは小さな姫と彰子しょうこと共に政宗の執務室へ向かった。

 姫はその紅葉のような小さな手で確りと祥子の手を握り、嬉しそうにちょこちょこと歩いている。彰子はそんな自分たちの歩みに合わせるようにゆっくりと歩を進めてくれている。途中侍女に何かを命じていたが、祥子にその内容は聞こえなかった。

「殿、甲斐にござりまする」

 政宗の執務室に着くと、彰子は襖の前に座り頭を垂れて告げる。小さな璃桜姫も母に倣いその後ろに座るのを見て、祥子も同じようにした。因みに甲斐というのは彰子のこの城の中での呼び名だ。甲斐の武田信玄の娘だから『甲斐の御方様』と呼ばれているのだ。尤も信玄の娘というのは、彼女を正室にする際に武田側と政宗とその側近が口裏を合わせたのだと彰子はこっそり教えてくれたのだが。

「Come in」

 政宗の承諾を得て、祥子たちは室内に入る。どうやら政宗は執務に飽きていたようでうんざりとした表情をしていた。尤も、最愛の妻と娘、そして可愛がっている祥子がやって来たことで気分は浮上したらしく、早速『ととさまー』と抱きついた娘を膝に抱え、その頬は緩んでいる。

「どうした?」

 突然やってきた3人に驚き、そう尋ねてくる政宗に祥子は正直に答えた。

「政宗様が政務をサボらないように監視にきたの。こじゅろーさんに言われた」

「……Shit」

 正直すぎる答えに政宗は渋い顔をする。これは後から小十郎に文句の10や20言うかもしれない。

「政宗さんがサボるから悪いのよ。色々まだまだ忙しいんだから、小十郎さんたちに余計な仕事を増やさせないの」

 不満げな顔をしている夫に彰子はピシリと言う。

「Honeyは何しに来た?」

「祥子ちゃんだけに旦那のお守りをさせるわけにはいかないでしょ。監視員その2です。っていうか、璃桜が祥子ちゃんと遊びたかったみたいだからね。政宗さんはついでかな」

「オレはオマケか」

「もしくは付録」

 きっぱりと言う彰子に祥子は目を丸くする。

 彰子と出会ってからそれなりに月日は経っているが、実はあまり政宗と彰子が一緒にいるところに遭遇したことはない。一応気を遣っているのだ。忙しい政宗が彰子とイチャイチャする時間を邪魔しちゃ悪いなと。成実から『梵と彰子ちゃんはラブラブだからねー』なんて言われていたことだし。

 だから、普段は戦国武将の妻らしい貴婦人ぶりを見せている彰子が、政宗にこんなふうに話をするとは思っていなかったというわけだ。まぁ、祥子は元々同じ異世界にいたことから彰子の普段の口調も知っており、『ふーふだから当然か』と納得した。

「璃桜、こちらにおいでなさい。父上のお邪魔をしてはなりませんよ」

 父親に抱っこされている娘を彰子は呼ぶ。璃桜姫は不満そうだが、父親が忙しいことを判っているのか大人しく父の膝を降りた。寧ろ父親のほうが往生際悪く娘を手放したがらなかったくらいだ。

「ととさまとあそべないのですね」

 母と祥子の間にちょこんと座り、しょんぼりと璃桜は言う。思わず可哀想で祥子は璃桜の真っ黒な尼削ぎの頭を撫でた。

「父上のお仕事が終われば遊んでいただけますよ。父上はご領主様でいらっしゃるのです。とても素晴らしいご領主様なのですもの。素早くお仕事を終えられて璃桜の願いを叶えてくださいますよ」

 璃桜に言い聞かせるふりをしつつ、実は政宗に聞かせているのだ。彰子の言葉を聞いた瞬間、政宗は猛烈な勢いで筆を動かし始めた。

「彰子さん、策士」

 政宗には聞こえないように祥子がボソリと呟くと、彰子はクスリと笑う。

「夫を如何に働かせるかは妻の手綱取り次第よ。祥子ちゃんも覚えておくといいわ」

「……覚えとく」

 自分が妻になる日なんて想像出来ないけれど。どう考えても10年は先の話だ。

 暫くそうして3人で政宗の仕事ぶりを見ていたが、徐々に飽き始めた頃、彰子付きの侍女たちが普段璃桜と祥子が使っている文机と硯を持ってやってきた。

「ただ待ってるだけじゃ暇でしょ。時間は有効に使わないとね」

 彰子はそう言って、祥子と璃桜の手習いの仕度をしてくれた。じっとしていることに飽きていた璃桜は喜んで早速文机に向かっている。祥子も退屈し始めていたことは確かなので、文机に向かい彰子が準備してくれた手習いを始めることにした。

 璃桜姫は小さな筆を握り、お絵かきをしている。まだ小さな文字を書けるほどには器用には手を動かせない。その為、彰子は『筆に馴れることが一番ですからね』とお絵かきをさせているのだ。祥子は一応文字は書けるから、今は上達の為の手習いだ。

 彰子が来てから、祥子の手習いも少しだけ変わった。これまでは綱元に教えてもらっていたのだが、彰子の許で教えてもらうようになった。理由の一つは綱元の忙しさが増しているから邪魔をしない為。もう一つは女性である彰子に習ったほうが良かろうと養父たちの意見が一致した為だ。使っている道具も若干変わった。彰子は祥子や璃桜の手には大人も使う筆では使いにくかろうと、少し細めの短い筆を用意してくれたのだ。女性らしい、母親らしい配慮だよなーと祥子は関心したものである。

 時折璃桜や祥子の書くものを見ながら、優しい母の目で2人を見守ってくれている彰子に視線を向け、祥子は彰子と出逢ったときのことを思い返していた。






 それはある意味、衝撃の出会いだった。

 この世界に来て数ヶ月が経った頃、祥子は政宗が実は妻子持ちであることを知った。そして、今まで会ったことがないことを不思議に思ったが、その謎はすぐに解けた。政宗の妻は体を壊してしまい、療養ということで子供と共に越後へ行っていたというのだ。

 半年ぶりに御方様と姫が帰ってくるという日には、城内はいつも以上に騒々しくなっていた。政宗も落ち着かない様子で、あっちうろうろこっちうろうろと動物園の熊状態だった。いつもならお小言を言って仕事をさせる小十郎も綱元もこの日ばかりは仕方ないと苦笑し、政宗の分の仕事を片付けてあげていたくらいだった。

『御方様』ご帰還の翌日、祥子は小十郎に連れられて御方様と璃桜に対面した。御方様はまだ本調子ではないらしく、布団の上に座っての対面だった。

 が、何が衝撃だったかといえば、御方様ではなく、その傍にいた3匹の猫だった。入ってきて御方様の布団の脇に座った祥子と、御方様の隣に座っている政宗を見比べた猫たちは、突然部屋の隅へ行き助走で勢いをつけるや

「政宗っ!! お前という男はーーー!!」

 と見事な回転キックを政宗の額に炸裂させたのだ。思わず祥子が『おお~』と拍手してしまったほど、見事なライダーキックだった。

「政宗……俺は情けないぞ。隠し子だなんて……」

「見損なった~。政宗サイテー」

 3匹の猫たちは口々に政宗に詰め寄っている。そう、政宗と面差しの似た祥子を猫たちは政宗の隠し子と誤解したのだ。誤解されかねないくらい祥子が政宗の幼い頃と瓜二つであることは側近たちも認めるところである。因みに彰子はこのことを政宗からの文で知っていたのだが、猫たちには話し忘れていた。

「Wait.誤解だ!」

 ギャースカ言い合っている政宗と猫たちを祥子は呆然と見遣った。そういえば小十郎が言っていた。『御方様はともかく、その周囲にはちょっと変わった連中がいる』と。その変わった連中というのがこの猫たちなのだろう。というか、これは『ちょっと』変わっているという認識でいいのだろうか。人の言葉を喋っているというのに。だが、まぁ、人が炎やら雷やら氷を出す世界だ。それに比べたら猫が喋るくらいなんでもないことなのかもしれないと祥子は気を取り直した。

「ごめんなさい、騒々しくて。貴女が祥子ちゃんね。政宗さんや成実さんから聞いてるわ」

 ギャイギャイと喧嘩している政宗と猫たちを放置して、御方様は祥子に優しく声をかけてきた。

「はじめまして。かたくらこじゅろーがようじょしょうこです」

 ペコリと頭を下げると、彰子は優しい笑みを深くした。

「私も彰子というの。字は違うけれど同じ名ね。同じ名前で同じところから来た者同士、気軽に仲良くしてね、祥子ちゃん」

 そう言って彰子は祥子の頭を撫でてくれた。が……同じ名はともかく同じところから来たとは……と不思議に思ったところで、彰子は祥子にとって衝撃な一言を告げた。

「江戸川区の出身なんですってね。私は渋谷区に住んでたのよ」

「え?」

 この世界では聞くことのないはずの地名に祥子は目を丸くする。

「私も異世界トリップしてきたの。もうこの世界に来て5年目になるわ」

 驚いている祥子に彰子は説明してくれた。5年前に甲斐に突然飛ばされたこと、佐助に助けられ幸村に保護されたこと。幸村の姉として奥州へ嫁いできたこと。

「このことは政宗さんと小十郎さん、成実さんと綱元さん、佐助しか知らないことだから、トップシークレットね」

 にっこりと笑ってそう言う彰子にこっくりと頷いた。そして、なんとなく親近感が沸いた。同じ時代から、同じ世界から来た人が他にもいたことに少しばかりの安堵を覚えたのだ。

「これから私のことをお母さんやお姉さんと思って、何でも言ってね。娘と遊んでくれると嬉しいわ」

 そう言って彰子は自分の後ろに隠れている幼い少女を見る。母親の後ろに隠れてモジモジとしながら、ずっと自分を見つめていた少女だ。

 肩の下あたりで切り揃えられた尼削ぎの艶やかな黒髪と桜色をした頬の愛らしい少女。この子が璃桜姫なのだろう。

「璃桜、祥子ちゃんよ。小十郎さんの娘さん。これから仲良く遊んでもらいなさいね」

「しょうこ……」

「そう、祥子姉様よ」

「あねさま? あねさまなのね!」

 母親の言葉に幼い姫は目をキラキラと輝かせる。そして母の影から飛び出し、祥子の目の前にちょこんと座った。

「しょうこあねさま、りおとあそんでくださるの?」

 キラキラした目で桜色のほっぺで自分を見つめてくる小さな姫が、祥子にはとても可愛らしく思えた。

 思えばこの城に子供なんていない。況してやこんな小さな可愛らしい姫だ。初対面で無条件で慕われれば悪い気もしない。元の世界にいた小さな弟妹を思い出させる可愛らしい存在に祥子の頬も緩む。

「うん、遊ぼうね、姫」

「はい! あねさま、りおといっぱいあそんでくださりませ!!」

 そんな自分たちの様子を大人たち(猫含む)が微笑ましいものを見る表情で見つめていることに、そのときの祥子は気づかなかった。






 それから数ヶ月。すっかり璃桜に気に入られ、璃桜は何かと祥子の後をついて回っている。

 幼い姫に『あねさま、あねさま』と慕われれば悪い気はしない。ついつい祥子も世話を焼いて今ではすっかり祥子は璃桜の傅役だ。

 尤も傅役と思っているのは自分と養父くらいのもので、彰子は自分を璃桜の姉のように分け隔てなく可愛がってくれる。

「祥子ちゃんも女の子らしい格好をすればいいのに。まぁ、袴が動きやすいのは判るけどね」

 苦笑しつつそう言って彰子は女の子らしい色合いの袴をくれたのだ。それは退紅という抑えたピンクのもので、璃桜の薄紅梅の袴とお揃いのデザインだった。ピンクの絹に紗綾形文様の入った袴だ。

 更には『ちょっとしたワンポイントで女の子らしくもなるわよ』とこれまた璃桜姫とお揃いの飾り髪紐をくれた。何でも璃桜姫とお揃いで2人を分け隔てなく扱ってくれる彰子に、祥子は申し訳なさと嬉しさとを同時に感じてもいた。

 尤も養父はかなり恐縮し遠慮もしていたのだが、彰子は小十郎のそんな遠慮には一切取り合わなかった。しかも

「あねさまとおそろいなのよ。かわいいでしょう?」

 なんて璃桜姫が自慢げに小十郎たちに見せて回るものだから、璃桜姫に激甘な家臣たちは最早何も言えない状態だったりもしたのだ。

「よし、終わった。璃桜、祥子、遊ぶぞ!」

 祥子の回想を政宗の声が打ち破った。漸く大量の書類を処理し終えたらしい。よくこの短時間であれだけの書類を処理出来たものだと祥子は逆に感心した。というか、真面目にやればこんなに短時間で出来るのか。だったら普段から真面目にやれよと内心で突っ込んだのは秘密だ。

「普段から集中してれば、もっと璃桜と遊べるのに」

 どうやら彰子も同じことを思っていたようで、こちらはずばりと夫に言っている。

「……璃桜、祥子、行くぞ」

 何か言い返せば形勢不利になると踏んだのか、政宗は妻の言葉はスルーすることにしたようだ。

「はい、ととさま! あねさま、まいりましょう」

 璃桜姫はうきうきとした表情で祥子に声をかけ、先に立った父の後を追いかける。

 そんな父子に祥子はくすっと笑いが漏れた。

「祥子ちゃんには璃桜だけじゃなくて、政宗さんのお守りまでさせてごめんね。父娘揃って面倒かけるわね」

 やれやれと言いたげに彰子は苦笑している。

「いいよ。祥子は璃桜姫も政宗様も大好きだから」

 勿論、彰子さんもね。心の中でそう付け加えて、祥子は城主とその愛娘の後を追いかけた。






 とある、小春日和の奥州の1日。

 一足先に春がやってきたような、麗らかな心になるそんな1日のことだった。